澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

半藤一利・保阪正康両氏の危機感を真剣に受けとめよう

本日、知人から5月5日付「岩手日報」の切り抜きをいただいた。「現論」というコラムに、半藤一利の気合いの入った論稿が掲載されている。タイトルは、「集団的自衛権と総動員法」、副題が「危うい『国防』の野心」である。

国家総動員法は第1次近衛内閣によって、1938年2月第73帝国議会に法案として提出され、3月16日に無修正で可決。5月5日に施行されている。その国会審議の過程で、有名な「黙れ」事件が起きている。

衆議院・国家総動員法委員会において「黙れ!」と叫んだのは、陸軍省の説明員として出席していた佐藤賢了。当時陸軍中佐で軍務課員だった。法案の精神や個人的な信念を滔々と演説した佐藤に「やめさせろ」「やめろ」と野次が飛んだ。そのとき、政府の説明員に過ぎない佐藤が、国会議員に対して「黙れ!」と怒鳴りつけたのだ。軍人の傲慢極まれりという象徴的事件として語られる。

戦後、半藤は、その佐藤賢了をインタビューしたことがあるという。佐藤は、次のようにまくし立てたそうだ。
「いいか、国防に任ずる者は、たえず 強靱な備えのない平和というものはない と考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん。いいか、その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」

半藤は述懐する。
「この元軍人には反省という言葉はないと、そのとき思った。そして勝海舟の言葉『忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ』とつぶやいたことであった。」

そして、半藤は、今をこう見ているという。
「いま、政治の場での、憲法解釈変更の集団的自衛権行使論議をみていると、奇妙なほど佐藤賢了氏の壮語が想起されてくる」「『国防に任ずる』人たちは、いつの時代でも『いまそこにある危機』型の議論をひたすら強調し、とにかく戦争のできる『正常な大国』にしたがっているようである」「国家総動員法の成立が国家滅亡の一里塚となったような危険を、集団的自衛権はこの国にもたらす。そんな予感が消せないでいる。」

この記事に目を通して、5月10日付毎日の「保阪正康の昭和史のかたち」を思い出した。こちらのタイトルは、[閣議決定による集団的自衛権容認]「統帥権干犯論法復活を憂う」というもの。大意は、以下のとおりである。

「『統帥権の独立』は、明治憲法には明記されていないが、この語が昭和前期を軍事主導体制一色に染めたことは否定できない」「統帥権を手にした軍部は、やりたい放題、国民の生命と財産の保全なんか二の次であった」「太平洋戦争に至る道筋は、この語によって政治家も官僚も政策の進展をなにひとつ具体的に知らされていなかった」「憲法が、昭和のある時期から、こうした不明朗な語を用いることで権力構造を歪めてしまったのはなぜだったのか。私たちは今この事実と向き合う必要がある」

なぜ今、統帥権干犯論争と向き合う必要があるのか。保坂は、今を昭和前期の過去になぞらえる。
「安倍内閣は、この轍を踏もうとしている」「安倍内閣の閣議決定が憲法よりも上位に位置し、それを主権者の国民には知らせない『特定秘密』にするという時代を私は恐れるのである」

半藤も保坂も、保守陣営の人という印象が強い。その両人がそろって、戦前の歴史と比較した安倍政権の危うさを、ここまで深刻に語っている。「今そこにある危機」についての警告。

半藤は、集団的自衛権行使論議が行われる時代の状況を、国家総動員法の時代を想起させるものという。総動員法成立の後3年で、日本は太平洋戦争に突入している。
保坂は、「解釈改憲+特定秘密保護法≒統帥権干犯論」という定式を掲げている。なるほど、憲法がないがしろにされるときは、戦争が近づいているときなのだ。
昭和史研究者の貴重な警告を、真剣に受けとめねばならないと思う。
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  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
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こちらもよろしくお願いします。
(2014年5月11日)

高村正彦さん、卑怯な振る舞いはおやめなさい

本日の東京新聞は、集団的自衛権問題に関する記事が満載。論旨明快で読み応え十分。この新聞にこそ講読部数の伸びを期待したい。

一面トップが、「安保法制懇 空白3ヵ月」「報告時期 政権の意のまま」という大見出し。来週火曜日(5月13日)に提出とされている同懇談会の集団的自衛権容認提言について、「政治情勢に配慮し、安倍政権の都合に合わせて提出時期をずらしてきた」「諮問会議がもつべき客観性や第三者の視点は見えない」「議論は初めから容認ありきだった」「政権の意向を実現するための『舞台装置』としての役割が大きい」と、遠慮なく真実をついて手厳しい。

関連記事として、3面「核心」欄に、国民投票法改正案の衆院通過について「改憲手続きのみ先行」の記事。「『18歳成人・選挙権』棚上げ」だけでなく、他の課題についても先送りされている事情が手際よく解説されている。

24・25面が看板の「こちら特報部」、今日は集団的自衛権についての「『密接国』の見方」。米・韓は、日本の集団的自衛権行使容認論をどう見ているか、に迫っている。米での歓迎勢力は武器商人だけだ、オバマ政権はリップサービスで「歓迎」とまでは言ったが決して「必要」とは言っていないことに注意せよ、という論調。また、韓国は、朝鮮半島有事で日本とともに集団的自衛権行使を望むどころか、自衛隊の軍事活動の拡大には拒否感・警戒感が強い、という当然の指摘。

特報部の「デスクメモ」が、次のように呟いている。本質を衝く鋭さをもっている。
「憲法9条により、集団的自衛権は行使できない。どんなに解釈を変更してもできないものはできない、というのが歴代政権の姿勢だ。安倍政権は『変更』というが、『逸脱』にほかならない。改憲できないからといってあまりにひどいごまかし。本当に必要なら堂々と改憲を議論したらいい」

さらに、27面(社会面)に、砂川事件の元弁護団員が、「砂川判決 政府援用に抗議」「集団的自衛権と無関係」と、声明発表の報道記事。

この件は、他紙も報道している。
赤旗は、次の記事。
「旧米軍立川基地(東京都)の拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして起訴された砂川事件(1957年)にかかわった弁護士らが9日、都内で記者会見し、自民党の高村正彦副総裁らが唱える砂川事件最高裁判決を援用した集団的自衛権の行使容認論について「牽強付会の強弁に過ぎない」と厳しく批判した声明を発表しました。
 会見したのは砂川事件弁護団の内藤功氏、新井章氏、山本博氏、神谷咸吉郎氏ら。声明は首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、集団的自衛権の行使を容認する報告書を提出する前に取りまとめたものです。
 このなかでは、裁判の「主要な争点」は日米安保条約に基づく米軍駐留の憲法9条適否であって、わが国固有の自衛権問題ではなかったことなど、砂川事件最高裁判決のとらえ方を説き、集団的自衛権行使の可否について判断も示唆も示していないと指摘しています。
 会見で弁護士らは「国民世論を惑わそうとしているとしか評価できない言説」(新井氏)などと厳しく批判しました。弁護士らは声明を各政党に届け、自民党の高村副総裁にも面会を求めたいとしています。」

朝日は、
「安倍政権が集団的自衛権の行使を容認する根拠として、1959年の砂川事件の最高裁判決を引用していることについて、当時の弁護団が9日、都内で記者会見し、『砂川判決は集団的自衛権について判断を示しておらず、断固として抗議する』との声明を出した。
 砂川判決は「自衛権」について、「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置」と定義。この部分について、自民党の高村正彦副総裁は「判決は必要最小限の集団的自衛権を排除していない」として、行使容認の根拠になるとの見方を示している。
 この日の声明には、当時の弁護団276人のうち21人が賛同。裁判の争点について「日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性であり、わが国固有の自衛権の問題ではなかった」と指摘した。判決が定義した「自衛権」についても、「わが国をめぐる『個別的自衛権』の問題であり、集団的自衛権の問題では全くない」と訴えている。
 声明文を起案した新井章弁護士(83)は「事件の当事者として、裁判で何が判断されたのか多くの人に知ってほしい」と訴えた。弁護団は今後、各政党に声明文を送り、高村副総裁に面会を求めるという。」

東京も同内容だが、自民・高村副総裁の「反論不必要という『反論』」が記事になっている。タイトルは「否定された主張 反論の必要ない」。記事の核心は、高村氏の「弁護団の主張は全面的に砂川判決で否定された。そういう人たちがなんと言っているかあまり興味がない」という発言。

そりゃおかしいよ。高村さん。
自分に都合のよいようにつまみ食いの発言をしておいて、批判されたら論戦は避けて、「あまり興味がない」ですか。元弁護団の皆さんの抗議の声明は、当時の法廷での弁護団主張を展開しているわけじゃない。この刑事裁判において、何が問題となって、最高裁がどんな文脈で何を語ったのかだけを問題にしていることが明らかではありませんか。弁護団が最高裁判決に異論あることは当然として、今問題になっているのは、「判決で否定された弁護団の主張の当否」ではない。砂川事件最高裁判決が、何を言ったのかを正確に読み解こうと言っているのではありませんか。

高村さん、論戦を仕掛けたのはあなただ。反論されて、尻尾を巻いて逃げてはいけない。面会を求められたら、あなたには、これに応じる義務がある。堂々と公開の場で論争しなければならない。「興味ない」なんて、言い訳は卑怯千万。あなたが言い出したことが、本当で正しいのか、それともごまかしのインチキに過ぎないのか、ことは憲法の解釈に関わる重大問題。たとえ、あなたに興味が無くとも、既に国民は大きな興味を抱いているのですよ。
(2014年5月10日)

道徳教育の教科化に反対する

小中学校における道徳教育の教科化がはかられようとしている。「文部科学省は、近く中央教育審議会に諮問し、2018年度にも実施の見通し」などと報道され、「道徳科」検定教科書の導入も既定の方針のごとく語られている。安倍政権の教育政策の柱のひとつとして危険極まりなく、看過しえない。

「道徳」には、上から目線の胡散臭さがつきまとう。そのような役割を果たしてきたからだ。人類が社会を形成して以来、支配被支配の関係が途絶えることはなかった。支配者は暴力で支配を確立し、宗教的権威で支配を確実化しようと試みた。時代が下ってからは、経済力による支配の比重が大きくなっている。そして、安定した支配の手段として、被支配層にその時代の支配の秩序を積極的に承認するよう「道徳」が求められてきた。

社会的支配の手段としての道徳とは、被支配者層の精神に植えつけられた、その時代の支配の仕組みを承認し受容する積極姿勢のことだ。内面化された支配の秩序への積極的服従の姿勢といってもよい。支配への抵抗や、権力への猜疑、個の権利主張など、秩序の攪乱要因が道徳となることはない。道徳とは、ひたすらに、奴隷として安住せよ、臣下として忠誠を尽くせ、臣民として陛下の思し召しに感謝せよ、お国のために立派に死ね、文句をいわずに会社のために働け、という支配の秩序維持の容認を内容とするのだ。

本家の中国に「王土王臣」思想というものがあった。詩経に「溥天の下王土に非ざるは莫く、率土の濱王臣に非ざるは莫し」とあるそうだ。要するに、「広大無辺のこの地のすべてが帝王のものであり、その地の人々のすべてが帝王の臣なのだ」という、王と王の支配に加担する者たちが勝手に作りあげたご都合主義の「思想」。この強者の押しつけが、被支配者に積極的に受容されれば、「道徳」となる。儒家とは、そのような道徳の主たる宣伝者であった。「君君足らずとも、臣臣たれ」と、自虐的にバカ殿にも忠義を尽くせとまで説いたのだ。

中国を真似て、古代日本にも「ミニ王土王臣思想」が取り入れられた。割拠勢力の勝者となった天皇家を神聖化し正当化する神話がつくられ、その支配の受容が皇民の道徳となった。支配者である大君への服従だけでなく、歯の浮くような賛美が要求され、内面化された。

武士の政権の時代には、「忠」が道徳の中心に据えられた。幕政、藩政、藩士家政のいずれのレベルでも、お家大事と無限定の忠義に励むべきことが内面化された武士の道徳であった。武士階級以外の階層でもこれを真似た忠義が道徳化された。強者に好都合なイデオロギーが、社会に普遍性を獲得したのだ。

明治期には、大規模にかつ組織的・系統的に「忠君愛国」が、臣民の精神に注入された。学校の教室においてのことである。荒唐無稽な「神国思想」「現人神思想」が、大真面目に説かれ、大がかりな演出が企てられた。天皇制の支配の仕組みを受容し服従するだけではなく、積極的にその仕組みの強化に加担するよう精神形成が要求された。個人の自立の覚醒は否定され、ひたすらに滅私奉公が求められた。

恐るべきは、その教育の効果である。数次にわたって改定された修身や国史の国定教科書、そして教育勅語、さらには「国体の本義」や「臣民の道」によって、臣民の精神構造に組み込まれた天皇崇拝、滅私奉公の臣民道徳は、多くの国民に内面化された。学制発布以来およそ70年をかけて、天皇制は臣民を徹底的に教化し臣民道徳を蔓延させて崩壊した。この経過は、馬鹿げた教説も大規模に多くの人々を欺し得ることの不幸な実験的証明の過程であったといえよう。

戦後も、「個人よりも国家や社会全体を優先して」「象徴天皇を中心とした安定した社会を」などという道徳が捨て去られたわけではない。しかし、圧倒的に重要になったのは、現行の資本主義経済秩序を受容し内面化する道徳である。搾取の仕組みの受容と、その仕組みへの積極的貢献という道徳といってもよい。

為政者から、宗教的権威から、そして経済的強者や社会の多数派からの道徳の押しつけを拒否しよう。そもそも、国家はいかなるイデオロギーももってはならないのだ。小中学校での教科化などとんでもない。

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  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
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  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
こちらもよろしくお願いします。
(2014年5月9日)

5月18日(日)午後1時30分? 私が喋ります

親しくなった村岡到さんは、「NPO日本針路研究会」という団体を主宰して、ほぼ毎月「討論集会」を企画している。今月18日には、「法律・弁護士・市民運動」というタイトルでの集会。レポーターは私。村岡さんから、「貴ブログでも告知してください」との要請があった。以下に、まず集会の概要を告知した上で、何をレポートしたらよいか、レジメを綴ってみよう。

ちなみに、6月15日(日)が、「討論会:都知事選挙の教訓を探る」。場所は同じ。報告・発言は、西川伸一さん、河合弘之さんら。こちらの方が面白そう。
      *********************************************
日時 2014年5月18日(日) 午後1時30分? 
場所 文京区民センター3C(地下鉄「後楽園」「春日」下車直ぐ)
集会名 「討論会:法律・弁護士・市民運動」
    報告 澤藤統一郎(弁護士)
資料代 700円 
主催  「NPO日本針路研究会」(電 話 03?5840?8525)
              集会の趣旨
この法治主義の社会では、どんな課題にせよ要求を実現するためには、法律問題に関わらざるをえません。市民運動の展開においてもさまざまな法律と直面します。法律と直面するときに、出会うのが弁護士。その弁護士、実はこの社会が真っ当であるために、さまざまな役割を果たしています。現役のベテラン弁護士に、弁護士の役割についての話しを聞いたうえで、この社会の在り方や、市民運動における法や弁護士との関わり方を考えて見ませんか。
        *********************************************
                 レ ジ メ
※法とはなんだろう。なんのために法はあるのか。
 *法の二面性  A面「弱者の権利擁護」と、
            B面「体制的秩序の維持」と。
   この世の弱者(労働者・市民)は、法のA面を最大限に使おうとする。
   この世の強者である権力と企業とは、法のB面をもって応戦する。
 *法は、弱者と強者のせめぎ合いにおける暫定的休戦協定
   進歩の勢力が法の改革を望み、
   保守の勢力が改革に抵抗する。
 *法体系の頂点に日本国憲法が存在する戦後日本の特殊事情
   今の時代、「憲法の理想」が「現実」をリードする意義は大きい。
   憲法は、単なる「理想」ではない。実定法として裁判規範でもある。
※弁護士(=実務法律家)とはなんだろう。なんのために弁護士はいるのか。
 *法は、法の担い手としての弁護士をつくった。
 *弁護士法1条の使命(社会正義と人権の擁護)をどう読むか
 *弁護士の在野性の必然性 人権擁護は反権力に徹してこそ
 *弁護士の自由業としての特性 社会的支配からの自由
※弁護士の活動領域
 *法廷(民事・刑事・家事)
 *企業や団体個人のコンプライアンス
 *弁護団活動(弁護士個人の業務の枠を超えて)
*弁護士会 会はどう運営され、何をしているか。
*共同法律事務所
 *弁護士の任意団体 人権派弁護士の再生産組織
 *弁護士の収入 人権派弁護士の収入に関するテーゼ
※市民運動と法・弁護士
 *法に支えられた運動
 *訴訟を利用する運動
 *立法運動
 *市民運動の中で弁護士の役割

ここまで書いて読み直して、「これではダメだ」と思う。四角四面、ちっとも面白みがない。話しを聞いてもらおうという姿勢に乏しい。そのためのサービス精神に欠ける。全面的に書き直そう。

        *********************************************
                 レ ジ メ(第2案)
※法とはケンカの武器である。
 *実力で劣る弱者が、強者と対等に渡り合うための武器が法である。
 *法体系の頂点に「日本国憲法」がある心強さ。
 *法は新しく生まれ改廃される。解釈も一義的には決まらない。
 *既存の法を使いこなすことだけでなく、鋭利な法をつくることも視野に。
※弁護士とは、ケンカの助っ人である。
 *弁護士は、法という武器の使い手であるが、
 *金で雇われる者もあり、心意気で働く者もある。
※弁護士の自由は社会から与えられたもの
 *弁護士の自由は権力や金力に縛られずにケンカができるためにある。
 *弁護士の自由は「反権力」「反資本」の立場で弱者のために行使すべき。
※弁護士の諸相
 *アンビュランスチェイサー、悪しき隣人としての弁護士たち
 *目立ちたがり屋の弁護士たち
 *資本の側にあっても、弁護士は弁護士
※弁護士と市民運動(私の体験から)
 *労働運動と弁護士 ジャンボを止めた争議の現場での弁護士
 *政教分離運動と弁護士 岩手靖国訴訟10年を闘って
 *平和運動と弁護士 平和的生存権を武器とした市民平和訴訟
 *消費者運動と弁護士 冷凍庫が火を吹いたーPL訴訟と立法運動
            先物取引被害・証券被害・悪徳商法と弁護士
 *漁協民主化と弁護士 「浜の一揆」訴訟の成果
 *医療・薬害と弁護士 スモン・未熟児網膜症、専門家責任
 *「日の丸・君が代」強制反対運動の中の弁護士
※弁護士会の権力からの独立・この貴重なるもの

「レジメ第2案」でやってみよう。できるだけ具体的に、リアリティあふれる報告をしてみたい。乞うご期待。
(2014年5月8日)

商品先物取引の規制緩和に反対します(パブコメ)

 商品先物取引法の施行規則(農林水産省・経済産業省令)改正案についてのパブコメ募集に関して、その第102条の2第1号・2号案に反対します。この部分の改正案を撤回されるよう求めます。

 同規則同条各号の改正案は、個人顧客を相手方とする商品先物取引について、現在原則禁止となっている不招請勧誘(顧客の要請をうけない訪問・電話勧誘)を実質において解禁するものです。その結果として、今沈静化している商品先物取引被害が再び蔓延することは灯を見るより明らかで、多くの人に不幸をもたらすことになります。その立場から、強く反対の意見を申し述べます。

 私は消費者サイドの弁護士として、約40年にわたって消費者被害と向き合ってまいりました。痛感することは、電話という簡便なツールから始まる消費者被害があまりに多いということです。利殖勧誘だけでなく、商品勧誘や役務勧誘タイプの消費者被害も、悪徳詐欺商法も、その多くが電話から始まっています。
 まさしく、「被害は一本の電話から始まる」のです。
 あるいは、「不幸は電話線を伝わってやって来る」のです。
 この不幸の源をしっかりと断ち切らなければなりません。いったん断ち切ったはずの不幸の源を、なんとまた復活させようなどとはもってのほかと言わねばなりません。

 商品先物取引への参加者は2種類に分かれます。そのひとつは、「当業者」として最終的に商品の売り手買い手となる者。主として大規模な生産者や商社などの事業者がこれに当たります。もうひとつは、スペキュレーター(「投機家」)として、売買差益を求めて取引に参加する者。この人々の中には、取引を知り尽くした「投機家」の名にふさわしいプロもあり、仕組みやリスクに理解のない素人も含まれています。実は、これまで多くの素人が先物業者の勧誘によって取引に参加し、短期間で大きく損をして取引から去っていく。常に新しい素人の補給を繰り返すことで成り立っていたのが、この業界の実態でした。

 先物取引における「投機」は、いわゆる「投資」とは違って、新たな価値や利潤を生むことはありません。「投機家」間の賭博の掛け金の拠出に過ぎないのです。「賭博をしているに等しい」と比喩的に表現しているのではありません、文字どおり「賭博そのもの」、丁半博打とまったく同じなのです。サイコロの目の替わりに変動する売買価格となっているだけのこと。賭博の勝ちは、必ず同額の(正確には寺銭をプラスした)負けを伴います。先物取引もまったく同じ。取引差益は、必ず同額の(正確には手数料をプラスした)差損から生じます。手数料を捨象すれば、差益と差損は常にゼロサムとなる世界。ウィンウィンは絶対にあり得ないのです。

 プロとアマとが混じって賭博をしているのですから、勝負は目に見えています。一時的なフロックは別として、アマに勝ち目はありません。絶えずリクルートされ続けている多数の素人が、一握りのプロと手数料稼ぎの先物取引業者のカモになっている構図が浮かびあがってきます。こうして深刻な先物取引被害が蔓延しました。その、被害者集団を常に補給し続ける手段の主たるものが電話勧誘だったのです。

 電話による甘い勧誘文言に乗じられての先物取引被害は、消費者被害の典型でした。勧誘する方はプロですから、「利益が生ずることの断定」は避けつつ、巧みに利益を得られそうな幻想をふりまいて、新規顧客を誘うのです。ちょうど、食虫植物がその甘い香りで虫を誘うように、です。

 ですから、先物取引被害の防止の決め手は、不招請勧誘の禁止と認識され続けてきました。2009年7月の法改正で、ようやくその実現があり、2011年1月からの施行によって、確実に被害の減少に実効をあげてきたのです。なんと、それをこのほど実質解禁しようというのです。到底容認し得ません。

 なぜ、今、こんな時代に逆行する「改正」なのか。ひとえに「規制改革」「規制緩和」なのです。今回の省令改正は、規制緩和策の一環として行われるものです。それだけ事態は深刻と言わねばなりません。
 改正の趣旨について、主務省は、「規制改革実施計画(平成25年6月14日閣議決定)を踏まえた不招請勧誘禁止等に関する見直しを行うため、『商品先物取引法施行規則』及び『商品先物取引業者等の監督の基本的な指針』について所要の改正を行うものです」と明記しています。

 商品先物取引における規制緩和とは、「業者の商行為の自由を拡大して、委託者保護のための規制を緩和する」とということであり、消費者の保護よりは業者の利益を優先する姿勢の表れにほかなりません。「消費者被害は自己責任、それよりは萎縮せずにのびのびと企業の経済活動をさせるべき」という、新自由主義的な発想がこのような政策の転換をもたらしているものではありませんか。

 商品先物取引の制度そのものをなくせとまでは主張しません。しかし、過去幾多の委託者トラブルが明らかにしているとおり、仕組みが複雑でリスクが高い商品先物取引は、本来、投資知識が豊富で余裕資金のあるプロの投機家の世界で素人が手を出せる世界ではありません。少なくとも、電話・訪問による不招請勧誘は禁止が大原則でなくてはなりません。

 もし、仮にこのまま改正案が省令となるようなことがあるとすれば、アベノミクスの3本目の矢の正体は、消費者を狙った毒矢であると指摘せざるを得ません。多くの人を不幸にする不招請勧誘禁止の実質解禁には強く反対いたします。
(2014年5月7日)

毎日新聞「記者の目」をお勧めする

物心ついたころから、毎日新聞を読みつづけてきたような気がする。その昔、毎日小学生新聞も読んでいた。その毎日が最近元気がよい。ライバル紙に勢いがなくなったことからの印象であれば、少しさびしいが。
本日(5月6日付)の紙面も、気骨にあふれた記事が多い。

社説は、「憲法と秘密保護法」。「国民主権なお置き去り」とのタイトルで、特定秘密保護法を「いったん廃止すべき」と結論している。国民主権原理から説き起こし、「国の持つ重要情報が幅広い行政の裁量で『秘密』とされ、国民の目に届かない仕組みができれば国民主権の基盤は大きく崩れる」と原則論を述べた上、政権にはこの法律の運用において行政の恣意をチェックする手立てを講じようとする熱意が見えないことを具体的に指摘している。そういえば、今日でこの悪法が成立してちょうど5か月。あきらめずに、異議申し立てを続けようというジャーナリストの心意気に共感する。

毎月第1火曜日の「社説を読み解く」が、「竹富町VS文科省」として、教科書採択問題を取りあげている。「毎日新聞はこの間、4度にわたってこの問題を社説に取りあげてきた。論説委員たちの議論で共通したのは、この問題を教科書選びの在り方を見直す機会にすべきだという提案と、是正要求にまで及んだ文科省の姿勢を厳しく批判する視点である」という。私も当ブログで何度か取りあげたが、毎日の立ち場は、確かに「竹富町の自主性を尊重すべき」ものと一貫している。

この解説記事のとおり、我田引水でなく毎日社説が各紙をリードしていたと思う。東京の社説がこれに続き、朝日はまことにヌルかった。読売・産経の2紙は、政権の機関紙かと見まごうばかり。本日の「読み解く」は、中央5紙と琉球新報・沖縄タイムスの地元2紙の各社説の内容を客観的に紹介して、その意見の違いの拠って来たるところを解説している。姿勢がしっかりしているから、読み応え十分。

毎日に勢いがあるのは、おそらくは第一線の記者に、とりわけ若い記者に、制約なく書かせているからなのだろう。その象徴が「記者の目」。本日は、静岡支局の平塚雄太記者が「第五福竜丸・ビキニ事件60年」という記事を書いている。これも読み応えがある。

第五福竜丸やビキニ水爆実験は、核兵器の恐怖の象徴として語られた。その目指すところは原水爆の廃絶となる。しかし、3・11以後は放射線被曝に焦点が当てられることが多くなっている。本日の「記者の目」も、専ら福島原発事故に重ねての被曝問題を論じている。焼津というローカルな地域を見つめる確かな「目」が、歴史的にも地理的にも、大きく拡がった世界の大きな問題を捉えることができるということを教えている。

平塚記者の記事の大意は、以下のとおり。
「60年前のビキニ事件での放射線被害は、第五福竜丸だけではなかった。日本の貨物船や漁船1000隻近く(厚生省調査では漁船856隻)が被ばくした可能性がありながら、日米両国は当時、被害を第五福竜丸だけに矮小化した」「米国は、ビキニ事件をきっかけに日本で反米、反核感情に火が付くのを恐れ、日本はこれに追随して、被ばく者を切り捨てた」「本来なら国の責任で、被ばくが疑われる関係者をきちんと調べるべきで、今からでもビキニ事件の被ばく実態を調査し、放射線被害の教訓とすべきだ」

記者は、「事件翌年の55年日米原子力協定が結ばれ、原子力基本法が成立。日本の原発開発はビキニ事件にふたをする格好で国策として走り出した」ことを指摘して、「都合の悪いものを消し去ろうとした核大国・米国の身勝手さ」と「それに追従した日本政府の情けない姿勢」に憤っている。まったく、そのとおりだ。

しかも、ことは過去の問題ではない。「東京電力福島第1原発事故に見舞われても住民被ばくを過小評価し、原発再稼働を急ぐ日本政府の姿勢を見ると、『国策優先』という歴史が繰り返されているように見える」と、福島原発事故に重なる国の姿勢を批判している。

その視点から、記者は広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師の次の言を紹介している。
「日本政府は安全保障や経済的な理由で米国の原子力政策に追随し、自国民の被ばくから目を背けた。福島の原発事故でも住民の被ばく線量などを積極的に公表しておらず、その姿勢はビキニ事件から変わっていない」

記事は、「久保山さんは『原水爆の被害者は私を最後にしてほしい』と言い残して絶命した。その遺志をかなえるためにも、ビキニ事件の真相を解明しなければならない」と結ばれている。その言や良し。

不幸にも、第五福竜丸の存在が福島原発事故によって脚光を浴びている。平塚記者には、核を操る人間の傲慢さと、核の被害に蓋をしようという国策とに、憤りを持ち続けて、第五福竜丸にまつわる記事を地元から発信していただきたい。その記者の正義感からする憤りの記事を制約なしに掲載する毎日であって欲しい。一人の毎日ファンからの要望である。

なお、以上の3本の記事は、以下のURLで読める(と思う)。
http://mainichi.jp/opinion/news/20140506k0000m070086000c.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20140506ddm004070017000c.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20140506ddm005070014000c.html
(2014年5月6日)

松元ヒロ・「憲法くん」の語りに脱帽

憲法フェスティバル、略称「憲フェス」に足を運んだ。40回目の憲法記念日となった1987年に、青年法律家協会が企画して第1回を開催。以来連綿と続いて、今年は28回目となっている。実行委員会は、年に1度のイベントを開催するだけでなく、通年の憲法運動の担い手となっている。これが立派なところ。

今年のテーマは、子どもの日にちなんで「この子らに託すもの」。大林宣彦監督作品「この空の花ー長岡花火物語」の上映と、同監督のトークがメインの企画だが、私のお目当ては、松元ヒロさん。「今年の憲フェスに、あの『憲法くん』が帰ってくる!」という惹句に惹かれて、「憲法くん」に会いに行った。

素晴らしいステージだった。45分間の熱演を堪能した。…という程度では言葉が足りない。脱帽した。ショックさえ感じた。そして、その姿勢に学びたいと思った。こんな風に、楽しく、分かりやすく、大切なことを上手に語れるようになりたいものと思う。

私は、ヒロさんの「憲法くん」の初演を観ている。あのときもすごいと思ったが、あれから遙かに芸が磨かれ、洗練されている。同じ古典落語をくり返し聞いていると、簡潔だが実に的確な言葉の組み立てになっていることに気づかされる。言葉の贅肉を殺ぎ落として成り立つ芸。そういう芸を聞かせてもらった。

ヒロさんは、「テレビには出演することのない」芸人として定着している。政権への批判や皇室への物言いにも遠慮がない。そこが、観客にウケる所以だが、決して言葉にどぎつさを感じさせない。政権の要人や天皇を揶揄して笑い飛ばしても、その人格を貶めてはいない。だから、会場全体で安心して笑える。

いくつかのセリフに感心した。憲法の本質を語り、自民党改憲草案の危険性の本質をよく語っている。以下は、私の記憶の限りでのトークの一部の再現。

「私たち国民が国の主人公なんですよ。戦前とはそこが違う。だから本当は私たち国民自身が、どのように国を動かしていくか話し合って決めなければならない。だけど、私たち、みんな忙しいですよね。仕事もしなければならない。だから、私たちの代わりに話し合いをする人を選んで、その人たちにきちんと国を動かすように頼むんです。その頼む相手が代議士・国会議員。その中から、国を動かす責任者も出てくる。別にエラクもなければ、先生と呼ぶ必要もない。」

「私たちはこういう人たちに、しっかりと国を動かしてくれよ、と頼むんです。だけど丸投げで頼むわけじゃない。頼まれたから何でもできると思って戦争なんか始めちゃダメだよ。そのために、憲法にしっかりと9条を書いてこれをわたす。この憲法に書いてあることをしっかり守って、頼まれごとをやってくれ、と」

「この世の中の歪みの犠牲者として、貧しい人が出てきますよね。不幸な境遇の方もいる。そういう人を、社会全体で支えてあげたいと思いますよね。お互いさまですから。私たちは、国の主人公として、そういう風に国民のお金を使いたい。だけど、私たち一人一人はみんな忙しいですよね。仕事をしなくちゃならない。だから、みんなからお金を集めて、困っている人に配分する仕事を頼むんです。そのときに、『ハイ、これが25条。これに基づいてみんなのお金を使ってくれ』と渡す。これが憲法というものなんです」

私も、ヒロさんに学んで分かりやすく語ることの修行を積み重ねよう。分かりにくいのは、語る側がよく分かっていないからだ。あるいは、分かってもらおうという情熱に欠けるから。聞き手に、あるいは読み手に分かってもらうため工夫を重ねよう。そして、話しも文章も、長すぎないように心掛けよう。原則として…、だけど。
(2014年5月5日)

憲法記念日の読売社説に反論する

憲法記念日の読売社説は、「集団的自衛権で抑止力高めよ」と標題したもの。憲法を記念するでもなく、その意義を確認するのでもなく、現行憲法に敵意を燃やす内容。「集団的自衛権行使容認は、米国との防衛関係を強化して抑止力を高めることになり、領土の保全と国民の生命財産を守ることにつながる」として、安倍政権の解釈改憲路線を擁護する見解を披瀝している。

もちろん、荒唐無稽の論旨ではない。しかし、大新聞の社説としてはまことに出来が悪い。格調などは望むべくもないが、論理の展開に滑らかさを欠き、説得力がない。多くの人に賛意を得ようという熱意の感じられない文章となっている。

小見出しは次の4本。
◆解釈変更は立憲主義に反しない
◆日米同盟に資する
◆限定容認で合意形成を
◆緊急事態への対処も

以上の4本の小見出しをつなげれば、次のような論旨となろうか。
「集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更は、立憲主義に反するものではない」。だから解釈変更に遠慮は不要で、「集団的自衛権の行使容認という日米同盟の強化に資する」手段を選ぶべき。もっとも、国会内の意見はさまざまだから「限定容認で合意形成を」することが望ましい。なお、集団的自衛権の問題だけではなく、「緊急事態への対処も」お忘れなく。

この社説、一読しての論旨の把握は容易ではない。以上の小見出しと、各小見出しに続く文章とが整合していないので、読みにくいことこの上ない。一般に、記者の書く文章は、要領よく読みやすいものなのだが…。

以下、小見出しを付された文章を、第1?4節として、順次反論してみたい。

第1節は、以下のとおりである。
『◆解釈変更は立憲主義に反しない
 きょうは憲法記念日。憲法が施行されてから67周年となる。
 この間、日本を巡る状況は様変わりした。とくに近年、安全保障環境は悪化するばかりだ。米国の力が相対的に低下する中、北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルの開発を継続し、中国が急速に軍備を増強して海洋進出を図っている。
 領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るため、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化することが急務である。』

この節には、「解釈変更は立憲主義に反しない」という見出しに対応する主張は述べられていない。述べられているものは、防衛力依存至上主義ともいうべき抜きがたい基本姿勢である。「領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るためには、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化すること」が必要であり急務であるという。これは「危険思想」というべきではないか。ここには、あからさまに中国と北朝鮮を仮想敵と名指しされている。危険な敵の侵犯から、領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るためには、自国の防衛力を整備し増強することとならんで、アメリカとの軍事同盟関係を強化すべきだとされているのである。

ある一国が隣国に対してこのような姿勢を有していれば、隣国も同じ対応をせざるを得ない。不信が不信を生み、恐怖が恐怖を再生産して、愚かな軍拡競争を引きおこすことになる。これまで、改憲勢力が「安全保障環境の悪化」を言わなかったことがあっただろうか。安全保障環境の悪化を口実とした9条改憲の主張は、「特に近年」において始まったことではない。いつもいつも、隣国の不信や危機を煽るのが、改憲勢力の常套手段である。中国も北朝鮮も、あるいは韓国の国防も、「日本の好戦的姿勢」「いつかきた道を繰りかえしかねない恐怖」を口実にしている。その口実を封じることこそが「急務」ではないか。お互いに、軍備増強の口実を与え合う愚を犯してはならない。

第2節は以下のとおり。
『◆日米同盟強化に資する
 安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい。憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断だ。
 集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が攻撃を受けた際に、自国が攻撃されていなくても実力で反撃する権利だ。国連憲章に明記され、すべての国に認められている。
 集団的自衛権は「国際法上、保有するが、憲法上、行使できない」とする内閣法制局の従来の憲法解釈は、国際的には全く通用しない。
 この見解は1981年に政府答弁の決まり文句になった。保革対立が激しい国会論戦を乗り切ろうと、抑制的にした面もあろう。
 憲法解釈の変更については、「国民の権利を守るために国家権力を縛る『立憲主義』を否定するものだ」という反論がある。
 だが、立憲主義とは、国民の権利保障とともに、三権分立など憲法の原理に従って政治を進めるという意味を含む幅広い概念だ。
 内閣には憲法の公権的解釈権がある。手順を踏んで解釈変更を問うことが、なぜ立憲主義の否定になるのか。理解に苦しむ。』

読売が、「安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい」というのは、結局のところ憲法遵守よりは防衛力増強を優先する軍事力至上主義の表れというほかない。「憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断」というに至っては、軍事力至上主義からの明文改憲を是としたうえで、ここしばらくは9条改憲の国民意識の成熟はないことを認めて、解釈改憲と立法改憲に右派の世論を誘導しようというもの。読売の発行部数を考慮すると、罪が深いというほかはない。

また読売は、集団的自衛権について、「国際法上保有するが、憲法上行使できない、とする内閣法制局の従来の憲法解釈を国際的には全く通用しない」という。しかし、国際的に通用しないというのは間違っている。現に、この解釈でこれまでアメリカに対応してきた。アメリカとの関係で、またNATOとの関係でも通用したからこそ、これまで数々の海外派兵の要請を断り続けて来られたのだ。安保条約5条1項にも、「各締約国は、…自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処する」と、憲法遵守が明記されている。

「内閣には内閣としての憲法解釈がある」ことは、一般論としては当然である。問題は、解釈にも限界があることであり、これまで積み重ねてきた解釈の継続性・安定性を放擲して突然に変更することの不自然さにある。集団的自衛権の行使容認は、文言解釈の限界を超えているのだから、憲法をないがしろにすること明らかで、立憲主義に反する。これまで、長く緻密に積み重ねられてきた解釈を強引に替えようとしているから、立憲主義に反するのだ。「納得しうる手順を踏んでの解釈変更」ではなく、法制局長官の首のすげ替えをしての乱暴な手口であり、安保法制懇という手の内にある安全パイの人物を使っての答申を使うという姑息なやり方が立憲主義の否定となるというのだ。理解に苦しむことはない。

第3節「◆限定容認で合意形成を」はやや長い。3個のパラグラフに分けて論じる。
第1パラグラフは以下のとおり。
『集団的自衛権の行使容認は自国への「急迫不正」の侵害を要件としないため、「米国に追随し、地球の裏側まで戦争に参加する道を開く」との批判がある。だが、これも根拠のない扇動である。集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある。
 年末に予定される日米防衛協力の指針(ガイドライン)の見直しに解釈変更を反映すれば、同盟関係は一層強固になる。抑止力の向上によって、むしろ日本が関わる武力衝突は起きにくくなろう。』

ここで展開されている「思想」は、「自国は正義、隣国は敵」「自国の軍備は常に防衛的で、隣国の軍備は常に攻撃的で危険」「自国の平和は軍備の増強によってのみ保たれる」というものである。

ここで言われている「集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある」は、まことに歯切れが悪い。「抑止力としての効果」は、いざというときには集団的自衛権の行使をなし得るからである。現実の集団的自衛権行使が予定されているのである。「主眼がある」とは、「戦争に加担」を排除していない言葉使いである。

要するに、武器を研ぎ澄まし、防衛力を増強すること、他国の戦争に加担することもためらわないとすることこそが、邪悪な隣国に対する抑止力となり、戦争を回避できるのだとする思考回路から抜け出せないのだ。

第2パラグラフは以下のとおりである。
『政府・自民党は、集団的自衛権を行使できるケースを限定的にする方向で検討している。
 憲法9条の解釈が問われた砂川事件の最高裁判決を一つの根拠に「日本の存立のための必要最小限」の集団的自衛権の行使に限って認める高村自民党副総裁の「限定容認論」には説得力がある。
 内閣が解釈変更を閣議決定しても、直ちに集団的自衛権を行使できるわけではない。国会による法改正手続きが欠かせない。法律面では、国会承認や攻撃を受けた国からの要請などが行使の条件として考慮されている。
 自民党の石破幹事長は集団的自衛権の行使を容認する場合、自衛隊法や周辺事態法などを改正し、法的に厳格な縛りをかけると言明した。立法府に加え、司法も憲法違反ではないか、チェックする。濫用は防止できよう。』

砂川事件最高裁判決を集団的自衛権行使容認の論拠とすることについて、「説得力がある」などと言うべきではなかろう。およそ、なんの検討もせずに、ひたすら自民党におもねっているだけの姿勢を暴露することになるからである。しかも、読売社説の文脈は、「日本の存立のための必要最小限」への「限定容認論」の論拠として説得力があるというのだ。これまでは、自衛のための最小限度の実力であれば、9条2項の「戦力」には当たらないとされてきた。これもかなり苦しい「論理」。読売は、それを超えて「日本の存立のための必要最小限」の範囲なら集団的自衛権行使も容認される、という。こんな無限の拡大解釈の許容は言語による規範設定という法そのものの機能を奪うものとしか評しようがない。これを「説得力がある」とは、よくも言えたもの。

第3パラグラフは以下のとおり。
『集団的自衛権の憲法解釈変更については、日本維新の会、みんなの党も賛意を示している。
 公明党は、依然として慎重な構えだ。日本近海で米軍艦船が攻撃された際は日本に対する武力攻撃だとみなし、個別的自衛権で対応すればいい、と主張する。
 だが、有事の際、どこまで個別的自衛権を適用できるか、線引きは難しい。あらゆる事態を想定しながら、同盟国や友好国と連携した行動をとらねばならない。』

読売は、自民党安倍政権の解釈変更に賛意を表し、維新とみんなを、自民に同意見として評価している。「自・維・み」3党の改憲トリオは、読売のお気に入りというわけなのだ。
その上で、「慎重姿勢」の公明党に不快感を表明している。つまり、公明が「なにも集団的自衛権行使を容認せずとも、個別的自衛権で対処可能なことがほとんどではないか」と主張していることに異議を唱えて、「有事となれば、必ずしも個別的自衛権だけでは十分ではない事態も想定できるのではないか。そのときのために集団的自衛権行使ができるようにしておくべき」と言うのだ。同盟国や友好国と連携した軍事行動を可能にしておくことを最優先して、そのような方針の大転換が近隣諸国を刺激し日本の平和主義国家としてのブランド力を損なうことは考えていない。仮想敵を作り、軍備を増強することが、近隣諸国との緊張を高め、戦争の危険を増大することを考慮しないのだ。

第4節は以下のとおり。
『◆緊急事態への対処も
 武力攻撃には至らないような緊急事態もあり得る。いわゆる「マイナー自衛権」で対処するための法整備も、検討すべきである。
 先月、与野党7党が憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正案を国会に共同提出した。今国会中に成立する見通しだ。
 憲法改正の発議が現実味を帯びてくるだろう。与野党は共同提出を通じて形成された幅広い合意を大切にして、具体的な条項の改正論議を始める必要がある。
 安倍政権には、憲法改正の必要性を積極的に国民に訴え、理解を広げていくことも求めたい。』

改憲勢力の国民投票法(改憲手続法)整備への期待と、その整備の手続きを通じての憲法改正案の成文化の期待が語られている。右派勢力大同団結だけでは突破できない。「幅広い合意を大切に」という言葉がものがたっているとおり、中道勢力を取り込んでの3分の2をどう作るか、彼らも悩んでいる。

以上の読売社説には、「今が好機」という高揚感と、「今のうちになんとかせねば」という焦躁感とが同居しているように見える。「議会内における自民党の圧倒的多数からは、解釈改憲など直ぐにでもできるではないか」としながらも、しかし、「それだけで終わらせてはならない。千載一遇の今のうちに、憲法改正を実現しなければ」という焦りも見える。鷹揚に、解釈改憲だけでよいとしていたのでは、明文改憲の機会を永遠に失いかねない、そう思っているのではないだろうか。

平和や人権、民主主義を大切に思い、そのために憲法を実効あらしめたいと考える者にとっては、ここはじっくりと腰を据えて、解釈改憲にも立法改憲にもそして明文改憲にも、さらには改憲手続き法の改正にも、一つ一つ反対の声を挙げ、運動を積み上げて行くしかなかろう。護憲派が焦る必要はない。最近の世論調査の動向を見れば、成算は十分と思われるのだ。
(2014年5月4日)

憲法記念日の各紙社説に意を強くする。

憲法記念日である。政府は記念行事を行わないが、国民はこの日憲法について思いを巡らし、その存在意義を再確認する。各紙が総力をあげて、それぞれの使命や方針を読者に伝える日でもある。

手の届く範囲で各紙の憲法記事に目を通した。各紙それぞれに工夫を凝らして、憲法問題に取り組んでいる。ほぼ全紙が憲法問題についての社説を載せている。昨年同様、読売・産経の2紙を除いて圧倒的に明文改憲にも解釈改憲にも反対の論調となっている。とりわけ、立憲主義から説き起こして、軽率な明文改憲や時の政権の思惑による憲法解釈の変更を戒めているものが主流を形成している。総じて、列島全域に安倍政権への警戒感が強く滲み出ている。読売や産経は、相変わらずの安倍政権寄りの論調を掲げているが、論理において劣勢であるだけでなく、完全に少数派に転落している印象が強い。

琉球新報社説の冒頭の一節がこうなっている。
「憲法記念日が巡ってきた。今年ほど、憲法改正論議が交わされることも、憲法の意義や価値が説かれることも、かつてなかった。安倍政権は今、集団的自衛権行使に向けた解釈改憲への意欲を隠さない。だがその論理は、平和構築の上でも、民主制・法治という国の体制の面でも、不当かつ非論理的なものと言わざるを得ない。沖縄にも戦争の影が急速に兆す今、戦争放棄と交戦権否定をうたう憲法9条の価値はむしろ高まっている。その資産を守り、今こそ積極的に活用したい。」

また、北海道新聞の「きょう憲法記念日 平和主義の破壊許さない」という社説の冒頭。
「戦後日本の柱である平和憲法が危機に直面している。安倍晋三首相は歴代政権が継承してきた憲法解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認する「政府方針」を、今月中旬にも発表する。自衛隊の海外での武力行使に道を開くもので、専守防衛を基本とする平和主義とは相いれない。9条を実質的に放棄する政策転換と言っても過言ではない。
 首相はさらに、憲法が権力を縛る「立憲主義」を否定する。一国のリーダーが、国の最高法規をないがしろにする異常事態だ。」
以上2紙の社説が、全社説の大勢を反映しているといって良いのではないか。

今年の各紙社説の共通テーマは、「立憲主義に照らして、解釈改憲は許容しがたい」「集団的自衛権行使を容認する行政府の憲法解釈は禁じ手」「砂川判決は論拠にならない」「集団的自衛権の限定行使も容認してはならない」というもの。そして、少なからぬメディアが憲法意識の世論調査の結果を引用している。その世論調査のいずれもが、昨年と比較して、明文改憲阻止、集団的自衛権行使容認拒否の方向に劇的に動いている。安倍政権の改憲論は、世論に見はなされ孤立を深めている、と言ってよい情勢。たいへん心強い。

翻って、昨年の憲法記念日は、96条先行改正論をめぐる論議が白熱した時期であった。憲法記念日を前後する論争の盛り上がりのなかで、立憲主義の何たるかが社会に浸透し、これを大切にしなければならないとする世論が定着した。96条先行改憲論を標的として、「姑息」「裏口入学」「禁じ手」「96条先行改憲の本丸は9条改憲」と難じられ、安倍政権も96条先行改憲論をあきらめざるを得なくなった。これが第2次安倍政権改憲論争における護憲勢力の緒戦の勝利であった。

96条先行改憲の困難なことを知った安倍政権は、解釈改憲に主力を移した。内閣法制局長官の首をすげ替える露骨で強引な人事を強行し、安保法制懇答申を待って一気呵成の閣議決定を目論んだが、世論の批判は厳しく、遅滞と後退を余儀なくされている。いまは、「集団的自衛権の限定的行使容認論」。それさえも、本当にできるのか困難な情勢。加えて、2013年12月、無理に無理を重ねて成立させた特定秘密保護法強行時に幅の広い統一戦線的反対論の勢力結集を見た。ここで、保守派も含めて、安倍政権の危うさを共通認識とすることになった。加えて、行かずもがなの靖国参拝である。NHKの人事強行問題もある。

そのような事態を経ての今年憲法の日。その主要テーマである集団的自衛権論争はまさしく、昨年の96条先行改憲是非の論争の延長線上にある。96条先行改憲論に対する批判の核心は、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という国会の発議要件を「各議院の総議員の過半数の賛成」に変更することが立憲主義に悖るということであった。解釈改憲は、国会内の論議を尽くすこともなく、国民に意見を求めることもなく、時の政権が恣に憲法の解釈を枉げて、実質的に憲法を改正してしまおうというのだ。立憲主義に反すること、これ以上のものはない。

以上の趣旨を反映した社説はたくさんある。典型例は、「揺らぐ憲法ー立憲主義の本旨再確認を」という河北新報社説。以下のとおり、立憲主義の本旨に触れての本格的な論説となっている。
「集団的自衛権をめぐる問題は、容認の是非もさることながら、立憲主義の本旨と衝突する側面も軽視できない。事実上、政府の一存で「実質的な改憲」を行うならば、憲法自体への信頼性を深く傷付けよう。憲法は強大な「国家権力」を縛り、国民一人一人の「権利」「自由」を守る最高法規だ。閣議で都合良く解釈を変更し、自衛隊の運用などは別途、法改正で対応するというのであれば、権力の暴走を招きかねない。」

また、安保法制懇という私的な諮問機関を使う手法についても、手厳しい批判がある。たとえば沖縄タイムスの「岐路に立つ憲法ー戦争の足音が聞こえる」という深刻な標題を掲げた社説の次の一節。
「首相は、解釈の変更によって集団的自衛権の行使容認を実現しようとしている。その理論的支柱となっているのが安保法制懇である。長年にわたり積み重ねてきた政府答弁を、何の法的根拠もない私的懇談会の報告書を基に内閣の解釈変更で覆すことができるなら立憲主義、民主主義の否定につながり、9条の法規範としての意味が失われる。」
そのとおり。安保法制懇は、何の権限ももたず、何の権威もない。時の政権の意を体する人物たちが国会のなすべきことを掠めとろうとしているだけの話しではないか。

砂川事件大法廷判決が、解釈改憲の論拠にはならないとする社説も多い。中国新聞は標題に「憲法の解釈変更 砂川判決 論拠にならぬ」とする社説を掲げて、自民党高村正彦氏の論旨を批判し、さらに、この判決がアメリカの圧力によるものである疑惑濃厚であることから、論拠として引用するにふさわしいものでない趣旨を述べている。

また、限定的にせよ、集団的自衛権行使容認と原則を替えることの危険性を説く社説も多い。原則を放棄すれば、限定の歯止めがなくなるのは必定という指摘と、以下のとおり海外出兵の要請を断れなくなるとするものがある。
「ベトナム戦争の際、集団的自衛権の行使で韓国軍が派遣され多数の死者が出た。イラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して兵士を送り込み、米国に次ぐ死者を出した。日本は、戦争終結後に人道復興支援で陸自を派遣したが、一人の犠牲者もなく民間人を傷つけることもなかった。9条が歯止めとして機能したからだ。あの時日本が集団的自衛権の行使が可能だったら、米国からの戦闘派遣要請を断れなかっただろう。」(沖縄タイムス)

また、毎日、朝日、日経、NHK、北海道新聞、沖縄タイムス、琉球新報などが、世論調査を発表し、あるいは直近の調査を引用している。

特筆すべきは、毎日の調査結果。「9条改正反対51%ー前年比14ポイント増」というもの。
「毎日新聞が3日の憲法記念日を前に行った全国世論調査によると、憲法9条を「改正すべきだと思わない」との回答は51%と半数を超え、「思う」の36%を15ポイント上回った。昨年4月の調査では、同じ質問に対し「思う」46%、「思わない」37%だった。安倍晋三首相が改憲ではなく憲法解釈変更によって集団的自衛権の行使を認めようとしていることも影響したとみられる。
 9条の改正反対はすべての年代で賛成を上回った。安倍内閣支持層では改正賛成51%、反対36%だったのに対し、不支持層では反対が75%に達し、賛成は18%にとどまった。集団的自衛権の行使を認めるべきではないと考える層では、改正反対が79%と圧倒的。認めるべきだと考える層(全面的と限定的の合計)は賛成が54%だったが、反対も36%を占めた。」

つまり、「9条改正賛成派」対「9条改正反対派」の比率は、
 昨年の調査では、46%対37%で、改正賛成派が多数だった。その差9ポイント。
 今年の調査では、36%対51%で、反対派が逆転した。しかも、その差は15ポイントである。
9条改正反対派は、1年で実に14%増えたのである。賛成派は10%も減らした。こと、憲法問題に関する限り、「安倍ノー」の世論が圧倒しているといって良い。ものを書き、口にし、語りかけることは無意味ではない。確実に世論を動かし得る。自信を持とう。
(2014年5月3日)

籾井勝人の「だまし討ち」に怒る

NHK・籾井勝人会長。これほど任務にふさわしからぬ人はない。また、この人ほど人格識見のなさを天下に晒した例も少なかろう。このみっともない会長人事が、NHKの権威も信頼も傷つけた。安倍政権の足をさえ引っ張っている。「NHKの新年度予算審理が終了すれば辞任するだろう」「自分で辞める気がなくても、政権が詰め腹を切らせるにちがいない」「政権にその気がなくても、NHKの総体が、まさかこんな会長を居座らせることはないだろう」。誰もがそう思っていた。ところが、そうはなっていない。それどころではなく、籾井のNHK乗っ取りが始まった。籾井の逆襲である。このままではたいへんなことになる。まさしく、「政府が右と言えば、左ということのできない」NHKになりさがる。これは、民主主義の危機にほかならない。

4月22日のNHK経営委員会でのできごとは、ある程度のことは各紙に報道されていた。しかし、昨日(5月1日)発行の週刊新潮の記事を読んで愕然とした。タイトルは、「NHKには独裁者がよく似合う」「『私が人事を決める』とすごんだ籾井会長の『経営委員会語録』」というもの。これほど深刻な事態とは知らなかった。視聴者・国民の受信料支払い凍結運動がどうしても必要だ。それ以外に籾井会長を辞任に追い込む手段はなさそうだ。受信料支払い凍結が、日本の民主主義の危機を救う。

週刊新潮の記事は、経営委員会委員長代行の上村達男さんを中心に書かれている。私は、弁護士としては消費者問題分野での活動家である。消費者問題の最大課題はは、新自由主義的な規制緩和路線との対決。商法や金融商品取引法の専門家としての上村さんは、規制緩和至上主義を厳しく批判する立ち場で消費者族とは肌合いの合う研究者。企業コンプライアンスに関しては厳格な立ち場を崩さない方だから、NHKの経営委員としては誰が見ても適格であろう。

その上村さんであればこそ、籾井会長の言動に批判の言が鋭くなることは当然のこと。籾井会長は、この批判を何とか封じなければならない。その批判封じの手段が、「根回し」と「だまし討ち」だったようだ。昨年の12月20日、宇都宮選対から同様の「だまし討ち」の目に遭った私としては、上村さんの怒りがよく分かる。

4月22日NHK経営委員会議事録は、本日(5月2日)現在未公開である。経過は新潮の記事によるしかないが、その内容は具体的で信頼性は高い。なによりも、後に議事録公開があるのだから、いい加減なことは書けなかろう。

籾井の逆襲は、露骨な人事権の濫用を手段とするもの。4月22日に明らかになったのは、理事の人事について。NHKの理事は10人いる。籾井会長就任の際に、辞表を書かされたとして話題になった、あの10名。安倍政権や籾井会長への親疎が一様でない。籾井としては、手の内の者で人事を固めたい。優遇する者を作り出してこれを子飼いとしたい。NHKの合理的経営のための人事ではなく、自らの地歩を固めるための人事。そして、安倍政権への期待に応える人事である。

22日の経営委員会の各委員の席には、予め封筒がおいてあったという。封筒にハサミを入れて出てきたのが籾井会長の理事に関する人事案。「一瞥してカッとなった上村達男経営委員会委員長代行と籾井会長の間でバトルが繰り広げられたという」。

承認を求める理事人事の提案を封筒に入れて当日提出するとは、常識的に考えがたいやり方。経営委員会の当日に人事案を示すなどはこれまで前例のないことと報道されている。やられた方の違和感が察せられる。この日、上村さんの「なんでこういうことになるのですか!」という問に、会長は「情報が漏れるからだ」と答えている。おまえたちを信頼していないという宣言である。

人事案の提案書には、理事10名の名前と担務が記入されていたという。内2人が新理事の起用。2人の理事が退任することになる提案である。実は、4月25日に任期が切れる理事は4人だった。そのうち2人を再任、2人を退任とした。それとは別に、籾井会長は前日(21日)に2人の専務理事を呼び出して、「退任を迫った」という。「その両者とも、今年の2月に再任されたばかり。そんな無茶苦茶な話しはないと断られ」ている。会長は、できるだけ、自分の手の内の者で理事を固める腹だったのだ。

さらに問題は、担務にある。「理事の担務で最も重要なのが放送統括、2番目が国際放送統括、3番目が経営企画統括」なのだそうだ。籾井は、理事の中で「唯一の籾井派」と言われる人物を専務理事に昇格させて、放送統括と国際放送統括を兼務させた。この二つを一人の理事が握ったことは史上初。そして、経営企画統括は新たに理事になった人物。菅官房長官と親しいとされているという。「ここまで露骨な人事は聞いたことがないですね」と新潮は中堅職員の解説を掲載している。

退任した2人の理事が異例の挨拶をしている。1人は、「経営委員は何をやっているのか」と怒りを隠さなかったそうだ。なぜ、その権限を行使して籾井会長を罷免させないのか、という意味。「前代未聞のこと」であろう。もう1人も、涙を浮かべて、「現場はたいへんなんです。一生懸命やっているのに可哀想だ」と述べたという。愚かな会長の言動で、第一線の職員が迷惑していることについての精いっぱいの表現なのだろう。

ところが、である。この日出席の経営委員は11名(1人欠席)。そのうち、2人だけが籾井会長の人事提案に同意を留保したという。9人は同意に回ったわけだ。籾井にしてみれば、慣例に反して人事提案を封緘してハサミを入れさせるなどは、経営委員の神経を逆撫でする危険な行為であることは承知の上。事前の根回しなしには考えられない手法である。経営委員の何人に根回ししたのかは分からない。しかし、上村さんを筆頭とする「うるさがた」を除く根回しで、大丈夫だと踏んでの提案であったに違いない。なにしろ、「安倍友(あべとも)人事」による経営委員会なのだから。

上村さんは、事前の根回し工作を知らされず、経営委員会内部では結局は孤立させられた。籾井提案同意が9、留保2の勢力分布である。権力を握る者の、根回しとだまし討ちの効果である。

新潮記事は、さらに警告する。「5月末には、要の局長、部長級人事があるようです。籾井さんは、今度はここに手を突っ込むと噂されています」と言うのだ。そして「歴代の会長や理事たちは、手を替え品を替え政権と距離を置きながらやってきたものを、これからはツーカーでやろうとしているとしか思えない」というNHK幹部の声を紹介している。週刊新潮に政権べったりを批判されるNHKなのだ。このままで良かろうはずがない。

新潮記事は、「クレジットカード払いが主流になっている中、受信料が減ることはまずないが、もし減っていた場合、籾井さんは窮地に立たされることになるでしょう」という元理事の言葉を引用して、最後をこう結んでいる。「今回の独裁的人事が、受信料の不払いを加速させる可能性があることもお忘れなく」

以上が、受信料支払い凍結運動開始の日に発売の週刊誌の記事である。頃や良し、籾井勝人会長辞任に要求を高く掲げて、国民の手で会長を辞任させ、報道における民主主義を勝ち取ろうではないか。
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          受信料支払い凍結運動にご参加を
具体的な受信料支払い凍結の手続については、下記のURLに詳細である。是非とも参照の上、民主主義擁護のための運動にご参加ください。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/nhk-933f.html

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支払い凍結と並んで、NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動も継続中です。こちらにもご協力をお願いします。
運動の趣旨と具体的な手続に付いては、下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
こちらもよろしくお願いします。
(2014年5月2日)

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