ワタクシ、安倍晋三です。とうとうやりました。感無量です。
強行採決? 民主主義の蹂躙? 立憲主義の破壊? そんな泣き言は負け犬の遠吠え。力こそ政治、数こそ民主主義です。分かりきったことではありませんか。バンザイを叫びたいところですが、ここは我慢のしどころ。神妙な表情を造っておかなくては。しかし、辛い。噛み殺しても、どうしても笑みがこぼれてしまう。これで、戦後レジームを壊して、軍事大国日本を取り戻す道筋がはっきりしてきたのですから。
安保関連法案成立に伴う私のコメントを、誤解のないように自分で解説しておきましょう。
「平和安全法制は国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な法制で、戦争を未然に防ぐためのものだ。」
このフレーズの意味は国民の皆さまによく理解いただけたはず。解説の必要もありませんが、平和とは何よりも安全と安心のことです。安全と安心は、武力なくしてはあり得ません。近隣諸国を上回る武力を整備し、いつでも現実に使えるようにしておくことによって、ようやく安全と安心を手に入れることができるのです。
我が国を取り巻く国際環境は劇的に変わりました。北朝鮮だって、中国だって、いつ我が国に攻めてくるか分かったものじゃない。韓国だって油断はできない。攻めてこられたら、原発一基が爆撃されても壊滅的な被害となります。だから、武力は増強すればするほど、国民に安全と安心を保障します。武力こそが平和そのものなのです。国民が喰えなくても軍事力増強が必要なのです。ミサイルも、空母も、攻撃型潜水艦も、多ければ多いほど平和なのです。
切れ目なくいつでもどこでも、誰とでも戦争ができるように準備しておくことが平和の条件です。相手国が、負けるものかと武力を増強すれば、さらに我が国もこれを上回る軍事力を整備すればよいのです。いずれ、大国にふさわしく核兵器も運搬手段も装備して、近隣の悪者国家を震えあがらせなければなりません。そうすることによってはじめて、戦争を未然に防ぐことかができるのです。
「子どもたちや未来の子どもたちに平和な日本を引き渡すために、必要な法的基盤が整備された。」
言うまでもなく、「平和な日本」は、強力な軍備なくして実現し得ません。子どもたちや未来の子どもたちは、平和な日本を守るための軍備を支える、貴重な兵士の供給源なのです。その子どもたちを、平和をつくるために戦争に派遣することのできる法制がようやくにして成立したのです。何とお目出度いことではありませんか。
「今後とも積極的な平和外交を推進し、万が一への備えに万全を期す。」
このフレーズを平板に読んではなりません。大切なポイントは、「万が一への備えに万全を期す」ということなのです。万が一への備えとは、外交交渉がうまくいかなかったときの奥の手として、これまで憲法が禁じていた「国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使」のことです。握手しながらも、後ろ手に銃を持っていればこその外交ではありませんか。この法律の制定で、ようやくにして強い外交ができる立場を我が国が獲得したのです。
これも、国民の皆さまにはよくお分かりのとおり、「平和外交の推進」には武力の支えが不可欠なのです。「積極的な平和外交推進」には、交渉相手国を圧倒する武力が必要なのです。そんなことは、歴史が証明しているところではありませんか。
「今回、参議院では、野党からも複数の対案が提示され、議論も深まったと思う。民主的統制をより強化する上での合意が、野党3党となされたわけだ。与党だけではなく、野党3党の賛成も得て、皆さまの支持の下に、より幅広く、法案を成立させることができた。」
自分でも白々しい言葉だとは思いますが、次世代・元気・改革の3党が賛成にまわってくれたことは、最大限活用しなくっちゃ。法案の修正はしていないのだから、「議論も深まった」は言い過ぎだろうが、ああいう野党の存在は貴重だね。なんと言われようと、「与党だけなら強行採決と言われてもしょうがないが、今回は野党3党も賛成にまわったのだから強行ではない」で、押し通すことを強行しなくては。
「今後も国民に誠実に粘り強く説明していく。世論調査の結果によれば(国民理解のために)まだまだこれから粘り強く、丁寧に法案の説明を行っていきたい。」
めんどくさいけど、今さら遅いとも思うけど、「誠実に粘り強く説明していくフリをしなくてはならない情勢」ではあるようだ。私もそれほどバカではないから、その努力の必要性は認めざるを得ません。今後とも、今日の言葉に明日は責任を持たず、二転三転しながら、分からないと言われても、同じ言葉を繰り返すことによって、誠実に粘り強く見える説明を心掛けていきたい。
「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」が私のDNA。戦後レジームとは、結局のところ日本国憲法の理念とこれを実現するためのシステムのことですから、「戦後レジームからの脱却」とは日本国憲法を徹底して破壊すること。それこそが私の本能的な願望なのです。
できれば、明文改憲をしたいところですが、まだそこまでは国民が付いてこない。だから、解釈を変えるのですよ。変えた解釈にそって、法律を作ってしまう。この作戦図星だったじゃないですか。黄泉で戦犯の濡れ衣を着せられたお祖父さんもさぞ喜んでいることでしょう。
戦後レジームから脱却して、どんな日本を取り戻すのか。基本的には、万世一系の天皇を戴く戦前の輝く強国大日本帝国以外にないじゃないですか。それこそが、「日の丸・君が代」に何の抵抗感もない日本国民の望むところでしょう。
なんたって、三度の選挙で自民党と公明党に多くの議席を与えてくれた国民の皆さまではありませんか。皆さまに感謝申し上げるとともに、平和のためには戦争を準備し、平和のためとあらば戦争をすることに躊躇しない、ワタクシ、安倍晋三の「積極的平和主義」を末永くご支持いただくようお願い申し上げます。
(2015年9月20日・連続903回)
スペイン内戦で、反ファシズム陣営の合い言葉となったのが、「No Pasarán(奴らを通すな!)」。国会前の集会でも、たびたび演説者の決意として引用もされ、コールもされた。
そうだ。奴らを通してはならない。奴らはファシストなのだ。立憲主義をないがしろにし、民主主義を踏みにじり、教育の国家統制をはかり、労働法制をずたずたにして貧困と格差を生み出している。それだけではない。沖縄に新たな恒久的米軍基地をつくり、全国にオスプレイを配備しようとしている。この国を軍事大国にしようとしているではないか。明日にはいよいよ明文改憲にも手を付けかねない。
国会内では、奴らは数の力を押し通したが、今度は押し戻さねばならない。選挙の関門を通してはならない。奴らを通すな。奴らを落とせ。たたき落とせ。
奴らとは、今国会で戦争法案に賛成した自・公の与党議員全員だが、当面の目標は来夏の参院選だ。参議院議員として、戦争法案に賛成した、自・公・次世代・元気・改革の議員の中で、来年7月に6年の任期が満了して、「選挙区」から立候補しようとしている者が下記の42名だという。これがターゲットだ(党名記載ないのはすべて自民)。堂々たる市民主体の落選運動を展開して、奴らを落とそう。そうして、立憲主義と民主主義を回復しよう。
北海道 長谷川岳
青森 山崎力
宮城 熊谷太
秋田 石井浩郎
山形 岸宏一
福島 岩城光英
茨城 岡田弘
栃木 上野通子
群馬 中曽根弘文
埼玉 関口昌一 西田実仁(公明)
千葉 猪口邦子
東京 竹谷とし子(公明)中川雅治 松田公太(元気)
神奈川 小泉昭男
新潟 中原八一
富山 野上浩太郎
石川 岡田直樹
長野 若林健太
岐阜 渡辺猛之
静岡 岩井茂樹
愛知 藤川政人
京都 二の湯智
大阪 北川イッセイ 石川博宗
兵庫 末松信介
和歌山 鶴保康介
鳥取 浜田和幸(次世代)
島根 青木一彦
広島 宮澤洋一
山口 江島潔
徳島 中西祐介
香川 磯崎任彦
愛媛 山本順三
福岡 大家敏志
佐賀 福岡資麿
長崎 金子原二郎
熊本 松村佑史
宮崎 松下新平
鹿児島 野村哲郎
沖縄 島尻安伊子
具体的にどうするか。大きくは二つの柱がある。一つは、直接に奴らの票を減らすこと。そしてもう一つは、統一候補者を擁立して反安倍陣営全体で押し上げることだ。
奴らの票を減らす方法の王道は言論戦である。何よりも、言論戦を重視しなければならないことは言うまでもない。しかし、王道だけでは芸が無い。できることはなんでもやろう。何かないか。
弁護士・研究者・公認会計士などの専門家集団から成る「政治資金オンブズマン」が、たいへん興味深い運動の準備を始めているという。私もこれに参加しよう。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/archives/1040526008.html
政治資金オンブズマンは、政治とカネにまつわる問題で、多くの政治家を刑事告発し、あるいは大きくマスコミ公表するなどの経験を積み重ねている。この経験を生かして市民運動体の落選運動に役立てようというのだ。
具体的な最初の取り組みとしては、次のようなアウトライン。
? 奴らが所属する政党からの寄付金(政策推進費、交付金)などの調査、及び奴らが代表を務める政党支部や資金管理団体、後援会の各収支報告書の収入と支出、及びそれに添付している領収書類のコピーを徹底して調査する。(調査方法はHPに公表するが、同時に運動団体に弁護士などを無料で派遣することを検討中)
? そこから違法事実が判明すれば、政治資金規正法違反、公職選挙法違反などで告発することのアドバイス、告発状の作成なども無料で行うことも検討中。(なお政治とカネ問題だけでなく、どこかの議員のように未公開株式などの問題もおこれば法的なアドバイスも行う)
? 仮に違法でなくても、不当、不透明な収入や支出などが判明すればその情報をHPなどに公表し拡散することで、落選運動に寄与する。
奴らと言論でたたかうだけでなく、叩いてホコリを出そうというアイデアだ。徹底した身体検査をこちらでやって、不合格者をはねつけようという企画なのだ。非立憲・反民主の議員を叩くことが、同時に政治とカネとのつながりを断って政界を浄化することにもなる。一石二鳥ではないか。
もう一つ。奴らを落とすには、対抗馬として強力な反ファシズム統一候補が必要となる。完勝したオール沖縄方式、善戦もう一歩だったオール山形市方式だ。少なくとも、候補者調整が必要だ。
憲法が決壊し、日本の立憲主義と民主主義の危機なのだ。市民が一丸となって、奴らと闘い、奴らを叩き、そして強力な対抗候補を押し上げる。こうして、奴らを落とさねばならない。No Pasaránだ。
(2015年9月19日・連続902回)
日程と体力の余裕の限りだが、このところ連日国会周辺に出向いている。自分に何ができるわけでもないが、そうせずにはおられない。議員に聞こえるところで声を上げたい。何が起こったかを見届けたくもある。
昨日(9月17日)は雨中の集会だった。降りしきる雨の中、参加者の熱気はすさまじかった。そして今日(9月18日)は、夜分になってから続々と詰めかける人の列が途切れない。驚くべき数の集会参加者の人波に国会周辺は埋めつくされている。今日のコールは、「強行採決絶対反対」と「強行採決徹底糾弾」だ。
先日、鬼怒川の堤防決壊による洪水の被害が報じられた。一昨日は、眼前で警察が設置したバリケードが決壊して、群衆の渦が国会正面の車道になだれ込む瞬間を目にした。たった一個所の堤防の決壊が堤防全体の機能を喪失させ、広範な流域に甚大な洪水被害をもたらす。
憲法は堤防だ。権力という暴れ川の暴走を止め、洪水を防ぐ装置なのだ。政治は憲法に基づいて行われることによって秩序を獲得し、暴走が未然に防止される。公権力は憲法に基づいて、暴走せぬよう、溢水せぬよう、洪水を起こして国民に被害を及ぼすことのないよう行使されなければならない。
もともと権力は奔流となって暴走しようとする本能をもっている。これを憲法が堤防となって制御しているのだ。戦後保守政権は、これまで比較的抑制的な姿勢を示してきた。が、安倍政権だけが例外となった。富国強兵を国是とし、侵略と植民地主義を国策とした、あの時代のDNAによって形成された政権。その軍事大国たらんとする願望を解き放って暴走し、ついに戦争法の成立という形で憲法を決壊させようとしている。
この安倍政権の暴走によって決壊したのは、直接には憲法の平和主義であり9条である。しかし、洪水の被害はもっと広範囲に及ぶことを覚悟しなければならない。閣議決定で解釈を変えることによって事実上憲法を変えるという憲法破壊のこの手法は、無数の堤防決壊をもたらす危険を孕んでいる。
しかも、今回の強行に次ぐ強行採決の強引な審議のあり方はどうだ。政権と多数党とが法の支配を放擲したというほかないではないか。これで日本も立派な一党独裁国家だ。価値観を共有する国と言えば、「ならず者国家」と言われる諸国以外になくなったではないか。
決壊した堤防を修復し、洪水で水浸しとなった被害を少しずつ回復する作業は、なまなかなことではない。しかし、国民は自分たちの力で、これを始めなければならない。
本日の国会前集会に参加して、この修復は案外可能ではないかという希望を実感する。参加者に、諦めや敗北感が微塵もないのだ。この多数の参加者にみなぎっているものは怒りだけではない。この日からの再スタートの決意と自信とを共有しているように見える。
安倍政権というデビル、あるいはモンスターを、ここまで追い詰めた。姑息で粗暴な強行採決をせざるを得なかったのは、奴らの弱みだ。彼らは、議論ではボロボロだったではないか。法案反対勢力は、安倍政権を追い詰める中で自分たちの力量を自覚した。とりわけ、大きな共闘が成立したこと、中高年層から若者層へのバトンタッチができたことの意味は大きい。さらに、広範な人々が、これまでは社会的に孤立した存在でしかないとの無力感から脱皮して、政治的な課題の活動に参加を始めたことの意味ははかりしれない。
戦争法が成立したとしても、これを発動させないたたかいは新たに始まることになる。また、戦争法案反対の運動は次の課題に繋がる。まずは沖縄・辺野古新基地建設反対の共闘がある。各地へのオスプレイ配備反対もだ。さらには労働者の権利闘争にも展望が開けてくるだろう。
安倍晋三は、憲法破壊の巨悪として歴史にその悪名を刻むことになる。と同時に案外と、国民に対して自覚的な運動に起ち上がる契機を与えた反面教師としても、名を残すことになるのではないだろうか。
(2015年9月18日・連続901回)
昨日(16日)の夕刻は国会を取り囲む大群衆の中にいた。この群衆こそ主権者であるとの確信に支えられながら。19時30分、眼前で警官の制止にもかかわらずバリケードが決壊して、群衆の渦が国会正面の車道になだれ込む瞬間にも遭遇した。主権者の怒り、主権者の願い、主権者の祈りを肌で感じている。そして、この主権者の熱い思いと声は確実に議会に届いている。与党を怯ませ、野党を励ましている。
コールは明らかに2点に集中している。安倍政権打倒と強行採決阻止である。
「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」…と、繰り返される。このコールに最も熱がはいる。「戦争やりたい首相はヤメロ」「安倍政権の暴走止めよう」「安倍退陣」…。そして、「強行採決絶対反対」「キョウコウ、ヤメロ」にも、ボルテージが上がる。そのほかに、定番となっている「憲法壊すな」「九条守れ」「戦争反対」「平和を守れ」…。
特筆すべきは、シールズのアイデアなのだろう。「民主主義って何だ?!」に、群衆が「これだ!!」と応じるコール。
「これ」とは、投票箱が閉まったあとも主権者が声を上げ続けること、為政者を縛り続けこと。重大な法案の審議を他人任せに傍観せず、あらゆる手段で意見を表明し続けることだ。このように国会を取り巻いて主権者の声を議員に届けることが、この現場にいる者の、「これこそ民主主義だ」という実感なのだ。
このコールは、つまりは主権者の声は、参議院の院内の議員の耳に直接届いているという。安倍にも中谷にも、鴻池にもということだ。マスコミの取材も次第にずぶ濡れの群衆の声に好意的になって、視聴者にその熱気を伝えている。声を上げることの効果は確実にあるのだ。
院内で政権や与党がどれだけ強権の発動ができるか、野党が院内でどれだけの抵抗ができるか、すべては国民主権者の動向次第だ。いま、強行採決反対の国民の声が澎湃と巻きおこっている。院内の動きは、この国民の意向の反映だ。
国会の状況について、野党議員がたびたび報告に登壇する。国会内外の一体感が醸成されている。群衆から野党議員に激励の声が飛ぶ拍手が湧き起こる。そのなかに、「しっかりやれ」「本当に最後まで採決阻止やる気があるのか」という叱声も飛ぶ。これも主権者の意思なのだ。
さあ、できるだけのことをしよう。
幸いにして私は、仕事の合間に国会まで出かけることができる。まずは、日程と体力が許す限り、国会周辺に出かけよう。歴史の瞬間をこの目でしっかりと見極め、見届けよう。
見届けるだけでなく、いまできることは何だろう。ブログやSNSを使える人は、ここで意見を表明しようではないか。「強行採決絶対反対」「安倍退陣」「憲法壊すな」「九条守れ」「戦争反対」「平和を守れ」「少しの時間でも国会に出かけよう」「意見を言おう。行動に立ち上がろう」…、という声を響き合わせよう。
電話がある。ファクスがある。憲法の命運に重大な局面だ。下記の自公4名の参院議員(安保特委員)に、電話とファクスを集中しよう。
鴻池祥肇(こうのいけよしただ)電話03-6550-1001 FAX03-3502-7009
佐藤正久(さとうまさひさ)電話03-6550-0705 FAX03-6551-0705
荒木清寛(あらききよひろ)電話03-6550-1115 FAX03-6551-1115
山口那津男(やまぐちなつお)電話03-6550-0806 FAX03-6551-0806
(2015年9月17日・連続900回)
議会制民主主義とはいったい何なのだ。昨日(9月15日)が特別委員会の中央公聴会、そして今日(16日)横浜で地方公聴会。公述人の意見に耳を傾けて法案の審議に反映させ、審議の充実をはかるための手続であるはず。ところが、公聴会の前から、採決強行の日程が決められているというのだ。いったい何のための公聴会なのだ。
公聴会とは、国会法64条1項に根拠をおく手続。「委員会は、重要な案件又は専門知識を要する案件を審査するために公聴会を開き、利害関係者又は学識・経験がある者等(以下”陳述人”という。)から意見を聞くことができる。」というもの。「審査するために」「意見を聞く」のだ。誠実に聞くべきは当然で、聞き流してよいものではない。けっして、採決の前提条件を整えるためであってはならない。
議員は、公述の内容に耳を傾け吟味し咀嚼し、その後の審議の糧にしなければならない。当たり前のことだ。ところが、本日の日程は、15時半横浜での公聴会が終わると、委員らは国会にとって返して、18時に委員会を開会するという。ここで総括質問を強行し、あわよくば今日中にも委員会採決まで漕ぎつけようというスケジュールだという。
審議はほんの形だけ、体裁を整えるだけ。本音がまる見えで、もっともらしささえかなぐり捨てたやり口。実は、「法的安定性は関係ない」だけではない。合憲性も合理性も、議論も説得も世論の動向も、一切「関係ない」のだ。ひたすら数の力で押し切ろうというのが自民・公明の腹の中。謙虚に道理に耳を傾け、国民の声を聞こうという姿勢の持ち合わせはない。しかも、専門家の圧倒的多数から違憲と指摘された法案においてのこの手口だ。この強権ぶりは、日本の行く末を思うとき、肌に粟立つ思いを禁じ得ない。
いかなる世論調査も、「今国会での性急な法案採決強行は望ましくない」としている。政府与党は、敢えて国民の声に耳を塞ぎ、なにゆえかくも急ぐのだ。何を恐れているのだ。誰の目にも明らかな議会制民主主義の形骸化は、きわめて危険だ。戦前も議会制民主主義への信頼の衰退が軍部の台頭を招いたではないか。
昨日の公聴会では、法案に反対する立場の4人の公述人が異口同音に採決を急ぐなと述べたという。自分の公述内容を無視することなく、審議や採決に役立てて欲しいという当然の要請であり、抗議である。
その公述人の中では、話題のSEALDsから、明治学院大4年の奥田愛基さんが聞かせた。私の興味を惹く部分を抜粋したい。
「こんなことを言うのは非常に申し訳ないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。よろしくお願いします。」
「私たちは特定の支持政党を持っていない。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、五月に活動を開始した。デモや勉強会、街宣活動などを通じて、私たちが考える国のあるべき姿、未来について社会に問い掛けてきた。」
「第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている安保法制に対する大きな危機感だ。疑問や反対の声は、現在でも日本中でやまない。つい先日も、国会前では十万人を超える人々が集まった。東京の国会前だけではない。私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、全国二千カ所以上、数千回を超える抗議が行われている。累計して百三十万人以上の人々が、路上で声を上げている。
これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めている。誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、動員的な発想ではない。この国の民主主義のあり方について、この国の未来について主体的に一人一人、個人として考え立ち上がっている。私たちは一人一人個人として声を上げている。「不断の努力」なくして、この国の憲法や民主主義が機能しないことを自覚しているからだ。
「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい」。この国にはどこかそのような空気感があったように思う。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだと考えている。
路上に出た人々が、社会の空気を変えていった。デモやいたる所で行われた集会こそが不断の努力だ。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じている。
先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会った。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は今では九十歳だ。ちょうど今の私やシールズのメンバーの年齢で戦争を経験し、その後の混乱を生きてきた方々だ。そうした世代の方々もこの安保法制に対し、強い危惧を抱いている。その声をしっかり受け止めたいと思う。そして議員の方々も、そうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思う。
これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決はそうした思いを軽んじるものではないか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないか。」
「第二に、この法案の審議に関してだ。世論調査の平均値を見たとき、はじめから過半数近い人々は反対していた。月を追うごと、反対世論は拡大している。「理解してもらうためにきちんと説明していく」と政府の方はおっしゃっていた。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、法案への賛成の意見は減った。
現在の安保法制に対して、国民的な世論を私たちが作り出したのではない。この状況を作っているのは、紛れもなく与党の皆さんだ。安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたいたとえ話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めた。
結局説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのだから、もう結論は出ている。今国会での可決は無理だ。廃案にするしかない。
現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないか。世論の過半数は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対している。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」
「なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか。それには理由がある。
この法案が強硬に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるだろう。連日国会前は人であふれかえるだろう。次の選挙にももちろん影響を与えるだろう。当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ている。私たちは決して今の政治家の方の発言や態度を忘れない。
三連休を挟めば忘れるだなんて国民をバカにしないでください。むしろそこからまた始まっていく。新しい時代はもう始まっている。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。
私は学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる。できる範囲でできることを日常の中で。政治のことを考えるのは仕事ではない。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力だ。私は困難なこの四カ月の中で、そのことを実感することができた。それが私にとっての希望だ。
最後に私からのお願いだ。個人としての、一人の人間としてのお願いだ。どうか、どうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。」
この若者の真摯な問いかけには真摯に応えなければならない。けっして無視してはならない。議員諸君は、個人としてこの問と法案に向かい合わねばならない。もちろん憲法にも。諸君は、ロボットでも操り人形でもなかろう。血の通った生身の人間であろうし、理念を持つ政治家でもあろう。ものを考え自分の頭で判断する能力もあるはずではないか。日本の戦後史のこの重要な瞬間に、諸君はどのように行動しようというのか。
安倍晋三のロボットになり下がってはならない。歴史に悪名を刻してはならない。自分の頭で考えていただきたい。来年選挙の洗礼を受ける立場の議員はなおさらのことだ。奥田君の言葉を借りよう。議員諸君、「自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」そして、「国民をバカにしないでいただきたい」。
(2015年9月16日・連続899回)
本日(9月15日)の朝日・朝刊3面に、「『集団的自衛権は砂川判決の検討外』裏付け?」「当事者の最高裁元判事、書斎文書にメモ」という記事がある。インパクトの強い、グッドタイミングのニュース。しかも、朝日(あるいはテレビ朝日)のスクープだろうに、どうして扱いがこんなにも小さいのだろう。
周知のとおり、政権与党が戦争法案を違憲でないとする唯一の根拠が砂川事件最高裁大法廷判決の引用。安倍晋三はワラをもつかむ思いでこの判決にすがっているのだが、ワラは所詮ワラに過ぎない。大舟でないと言うもおろか、筏でも丸太でさえもない。そのことが、砂川判決に関わった最高裁元判事が書き残したメモからも明らかになった、という記事。言わば、ダメ押しの戦争法案違憲記事。
にわかに時の人になったのが、既に故人となっている入江俊郎元最高裁判事。
法制局長官として日本国憲法の制定作業に関わった経歴を持ち、52年8月史上最年少の51歳で最高裁判事に就任した人。71年1月の定年退官まで、歴代最長となる最高裁判事の在任期間記録保持者だという。最高裁長官にはならなかったが、長官代理の任にはあった。この人の遺品から貴重なメモが見つかった。あたかも現時点の論争(というよりは政権側の牽強付会)を見越したような内容となっている。
朝日の記事(抜粋)は以下のとおり。
「米軍駐留の合憲性が争われた1959年12月の砂川事件最高裁判決に関し、裁判に関わった入江俊郎・元最高裁判事(故人)が「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力か、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」などとするコメントを書き込んだ文書が見つかった。
政府・与党側は、判決が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」などと言及したことを引き、集団的自衛権を認める根拠だと主張する。しかし、入江氏の書き込みは、自衛隊が合憲か違憲かという個別的自衛権の判断を判決がしていないことを確認したもので、集団的自衛権は検討されていないことがうかがえる。
最高裁判決が触れた「自衛のための措置」について入江氏は「『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」と指摘し、判決も自衛隊が合憲か違憲かには踏み込まなかった。結論として、「故に、本判決の主旨は、自衛の手段は持ちうる、それまではいっていると解してよい。ただそれが、(憲法9条)二項の戦力の程度にあってもよいのか、又はそれに至らない程度ならよいというのかについては全然触れていないとみるべきであらう」と指摘した。
高見勝利・上智大教授(憲法)は「入江氏は判決の『自衛の措置』の意味内容を確認している。自衛隊の実力が憲法9条2項で禁じられた『戦力』に当たらないか否かという個別的自衛権の問題についても判決は答えを出していない。それなのに『自衛の措置』を引き合いに集団的自衛権容認の根拠とするのは明らかに無理がある」と話す。
この記事だけでは、やや分かりにくいのではないだろうか。
ポイントは、「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない。」ということだ。つまりは、判決は「自衛の為の措置」と「自衛の為に必要な武力」とを峻別した。前者は認めたが後者には言及していないと念を押しているのだ。自衛のための措置の具体的手段は幾通りもあるが、必ずしもその手段の一つとしての「自衛の為に必要な武力」保有を認めたわけではない。判決は自衛隊合憲論ではないことを、まず確認しなければならない。
ひるがえって、政府・与党側の主張はこんなものだ。
砂川判決は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」と言っている。「自衛のための措置をとりうる」とは自衛権を認めること。自衛権とは、個別的自衛権だけでなく集団的自衛権を含む概念なのだから、砂川判決は集団的自衛権をも容認していることになるのだ。つまり、最高裁は集団的自衛権を認めているのだ。
まったく形式的に、「自衛のための措置をとりうる⇒判決は自衛権を認めた⇒自衛権には個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も含まれる⇒だから判決は集団的自衛権行使を容認した」。そのように判決を読もうということだ。
政府側見解では、個別的自衛権とは自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利であり、集団的自衛権とは日本が攻撃されていなくても同盟国が第三国から攻撃をされたときに保有する恒常的武力(=自衛隊)を発動して当該第三国に武力を行使する権利、ということになる。
ところが、入江メモは、自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利を認めたものではないと言っているのだ。集団的自衛権を行使する手段としての恒常的武力(=自衛隊)の保有を認めていないと言うのだから、集団的自衛権行使を容認したものであるはずはない。
砂川判決を書いた判事は集団的自衛権など念頭においてなかっただけではなく、自衛権を認めるといいつつも、自衛の武力すら認めてはいないのだ。集団的自衛権の行使が武力の行使である以上、これを認めたはずはないということなのだ。
結局砂川大法廷判決とは、「日本国憲法は『自衛の為の措置をとりうる』ことを認めており、その手段につき他国への安全保障を求めてもよく、その結果としてアメリカ駐留軍がいても、それは憲法9条2項に保持を禁止されている『戦力』でないということを明らかにした」というだけのもので、自衛隊の合憲も言っていなければ、集団的自衛権の容認をしているものでもない。
入江メモによって、強引に砂川判決を引用したことの失敗は明白になった。砂川判決引用は、今や安倍政権の墓穴となっている。
(2015年9月15日・連続898回)
本日(9月14日)は、戦争法案反対の国会包囲大行動。私も国会を包囲した万余の人の渦の中に。
「強行採決絶対反対」「戦争法案今すぐ廃案」「憲法壊すな」「九条守れ」「安倍はヤメロ」「安倍退陣」「安倍政権の暴走止めよう」「憲法読めない首相は要らない」「戦争やりたい首相は要らない」…。ノリの良いシュプレヒコールが延々と続く。そして、各党の党首や大江健三郎、鎌田慧、山口二郎、落合惠子などのスピーチ。みんな気合いがはいっている。「たたかいはここから。たたかいは今から」などという歌を思い出す。
とりわけ、正門前の熱気がすさまじい。今日も、人の波の圧力は機動隊のバリケードを乗り越えて、集会参加者が車道にあふれた。幸いけが人などはなかったようだ。
法案反対の声を上げる人々の熱気を目にして、考え込まざるを得ない。民主主義とはなんだろう。民意とはなんだろうか。そして、この国の民主主義はきちんと機能しているのだろうか、と。
民主主義とは民意にもとづく政治ーのはず。にもかかわらず、明らかに民意に背く法案の採決強行が懸念される事態となっている。小選挙区制のトリックで掠めとった上げ底の議席の数が政権の強み。しかし、議席イコール民意ではない。安倍晋三は、自ら「この選挙はアベノミクス選挙です」と規定していたではないか。経済政策への期待観で掠めとった議席で、違憲の戦争法案を成立させようというのだ。議席の虚妄が違憲の法案をゴリ押ししている。政権が、民意をことさらに排撃しているのだ。これが、この国の現実であり、民主主義の水準。安倍晋三のごときを首相にしておく国の国民であることが恥ずかしくてならない。
明日(9月15日)中央公聴会の公述人が次のとおりに決まったという。
大阪大学大学院法学研究科教授 坂元一哉
政策研究大学院大学 白石隆
元最高裁判所判事・弁護士 濱田邦夫
慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林節
名古屋大学名誉教授 松井芳郎
明治学院大学学生・SEALDs 奥田愛基
与党推薦が坂元・白石の両名。御用学者という役どころ。野党推薦で、濱田・小林・松井の3名。そして公募人からSEALDsの奥田だという。95人の応募者から、たった一人ということ。NHKのカメラははいらない。世論に与えるインパクトは、小さく押さえられることとなる。
本日の特別委員会集中審議でも、首相答弁も防衛大臣答弁もよれよれで、法案はボロボロだ。それでも、審議時間は消化され、スケジュールがこなされたことになり、「決めるときには決める」のだという。「決めるべきとき」とは、討議が煮詰まって、採決するにふさわしいときのことであるはず。
安倍の脳裏にあるものは、数を恃んでの採決強行の一点のみ。「強行採決絶対反対」「戦争法案今すぐ廃案」「憲法壊すな」「九条守れ」「安倍はヤメロ」「安倍退陣」「安倍政権の暴走止めよう」「憲法読めない首相は要らない」「戦争やりたい首相は要らない」…。民主主義を知らない首相は、即刻辞めるべきなのだ。
(2015年9月14日・連続897回)
本日の朝刊各紙に、戦争法案反対の全面広告。「強行採決反対!」の大きな活字が重い。続いて、「戦争法案廃案!」「安倍政権退陣!」のスローガン。そして、「国会に集まろう!」という総掛かり行動実行委員会からの呼びかけ。
具体的な行動日程は、下記のとおり。
14日・月曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
18:30 強行採決反対・安倍政権退陣要求国会包囲大行動
15日・火曜日 12:30?17:00 国会正門前座り込み行動
18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
16日・水曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
17日・木曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
18日・金曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
さあ、いよいよ明日から始まる月曜から金曜までが大詰め。ここに来て、違憲法案推進勢力と反対勢力の色分けが鮮明になってきた。敵と味方の分水嶺は、強行採決によっての今国会成立に、イエスかノーかだ。
国会の中だけが、推進勢力の数が優る。国会の外では、圧倒的に反対勢力が優勢だ。理論的にも反対派が圧倒している。それでも、決めるのは国会なのだ。議会外の力関係を、議会内にどう反映させるか、問題はその一点にある。
大手メディアでの戦争法案推進勢力は、読売と産経のグループだけ。朝日・毎日・東京と地方紙は、圧倒的に反対論だ。しかも、理論水準や説得力に格段の開きがある。よろよろしている日経だが、その社説のトーンは「政府は具体例をあげて、(法律事実を)説明すべきだ」というのだから、今国会成立には慎重の範疇に数えてよい。NHKの報道姿勢の評価は最悪だが、市民の目の厳しさもあって、さすがに読売や産経のような法案への積極推進姿勢はない。
憲法学界・公法学会をはじめとする学界では法案の違憲論が席巻している。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の廃案を求める署名は13,796人とされている。各大学に次々と反対する会が結成されて、教員と学生の共闘が進んでいる。実務法律家の集合体である日弁連や全国の単位会も全力を上げて反対運動に取り組んでいる。元内閣法制局長も堂々と声を上げている。この事態に黙っておられないと、元最高裁裁判官も声を上げ始めた。濱田邦夫、那須弘平、そして山口繁元最高裁長官まで。
核分裂における連鎖反応の如くに、次から次へと声があがっている。シールズにミドルズ、オールズ、ティーンズ、トールズ、ママの会と続いている。映画・演劇界や芸能界などの表現者グループも、法案成立が表現の自由に関わるものとして次々に声を上げている。「韓国ではネットが民主運動の進展に大きな役割を果たしたが、日本のネットは右翼に占拠されている」とは昔日のことではないのか。戦争法案反対のグループつくりにはネットが大きな役割を果たしている。
もう、これくらいで十分だろうと思っていたら、重量級の反対意見がまだあることを知った。歴代首相5人の反対論である。当然に安倍批判と一体のものとなっている。昨日(9月12日)の毎日新聞に、保坂正康「昭和のかたちシリーズ」が「元首相たちと安保法制」との記事で情報を提供している。
「8月14日の安倍晋三首相による談話発表の前に、元首相5人が安倍首相に提言を試みた。戦後の長期間、マスコミで働いてきた記者・編集者が、『歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会』をつくり、12人の元首相に要請文を送ったのだという。その結果、5人が文書で1人が電話での回答になった。この5人の文書を、たまたま私も入手したのだが、安倍首相に対する率直な不満や不信を知り、驚くほどの内容であった。」
結局は6人がものを言ったことになるが、文書で安倍晋三への提言を試みたとして氏名を明らかにされている元首相は、羽田孜、鳩山由紀夫、細川護熙、村山富市、菅直人の5名。その内、羽田・鳩山・細川の「提言」が紹介されている。
「羽田孜氏の提言には、「『戦争をしない』これこそ、憲法の最高理念。平和憲法の精神が、今日の平和と繁栄の基礎を築いた。特に、9条は唯一の被爆国である日本の『世界へ向けての平和宣言』であり、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束」とあり、末尾は「安倍総理から日本を守ろう」と結んでいる。」
これはすごい。そのとおり、「安倍総理から日本を守」らねばならない。
「鳩山由紀夫氏の2400字に及ぶ提言では、いくつかの鋭い指摘がされている。たとえば、「あまり報道されませんでしたが、昨年オバマ大統領が来日した際の記者会見で、『小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂』と諫(いさ)めた通りです。安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかに良くなっているにも拘(かかわ)らず、『戦争に参加するための法案』を、なぜ今更議論するのでしょうか」と弾劾している。」
また鳩山は、「私は日本を『戦争のできる普通の国』にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する『戦争のできない珍しい国』にするべきと思います」と結んでいるという。耳を傾けるべき貴重な提言ではないか。
「細川護熙氏は「安保法制の審議について」と題し、2500字で自らの意見を鮮明にしている。冒頭ではっきりと、「安保法制関連法案は廃案にすべき」と断じ、その内容と手続きの両面で問題があると指摘する。内容については、「憲法9条をもつ平和憲法を変えることは(解釈改憲によるとしても)、世界に確立した平和国家日本のイメージを損なう危険があるばかりでなく、日本人自身にとっても、その目指すべき将来の国家像を混乱させる」と訴えている」
また、細川は、「やじを飛ばすような唯我独尊の姿勢に苦言を呈し、『そのような手法で、違憲の疑いの強い安保法制を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない』とたしなめている」という。
元首相たちの目には、現首相の姿勢が、危なっかしく見てはおられないのだ。しかも、その現首相の取り巻き連中が、安倍をたしなめることはない。ならば、国民がたしなめるしかないのだ。明日からあと5日がヤマ場だ。安倍総理から日本を守ろう。
(2015年9月13日・連続896回)
戦争法案審議の日程は来週が大詰めとなる。その決戦の来週、既定のスケジュールは以下のとおり。16日(水)15時30分までは決まっているが、その後はまったくの白紙だ。
14日・月曜日 特別委員会審議 9時?17時
15日・火曜日 中央公聴会
16日・水曜日 地方(横浜)公聴会 13時?15時30分
17日・木曜日 不気味な空白
18日・金曜日 不気味な空白
14日(月曜日)の委員会質疑では、佐藤正久・北澤俊美・山口那津男・片山虎之助・山下芳生・山田太郎・福島みずほらが質問者となる。安倍・中谷・岸田らが答弁し、NHKが放映する。NHKが中継するのだから強行採決はない。
この間、法案の廃案を目指す勢力の主な行動提起は以下のとおり。
14日・月曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
18時30分 強行採決絶対反対・安倍退陣 国会包囲大行動
15日・火曜日 12:30?17:00 国会正門前座り込み
16日・水曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
17日・木曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
18日・金曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
以後連休 27日会期末
さて、15日の中央公聴会はどうなるのだろうか。本日(9月12日)の東京新聞一面トップが、「安保公聴会 意見表明 95人応募 全員『反対』」というヘッドライン。これだけで、いや凄い事態だ。そして、これをトップに持ってくるのは、見上げたセンスではないか。
ずいぶん以前のことだが、私も参院憲法調査会の公述人公募に応募して採用されたことがある。あのときは競争率が低かった。今回は、与党側2人、野党側4人の枠に95名の応募者。狭き門ではあるが、せっかくの機会なのだから、私も今回再度手を挙げておけばよかった。後知恵の浅はか。
東京新聞記事を抜粋する。
「安全保障関連法案に関する参院特別委員会は十一日、有識者や国民から意見を聞くために十五日に開く中央公聴会で意見を表明する「公述人」の公募を締め切った。参院では過去十年で最多の九十五人が応募し、全員が法案に反対の立場を示した。法案に対する懸念の強さがあらためて裏付けられた。特別委の民主党理事が明らかにした。
参院特別委の福山哲郎理事(民主党)は「短期間の公募だったのに応募数が多く、全員が反対だったということが国民の法案に対する明らかな姿勢を表している」と記者団に説明。民主党が推薦する二人のうち一人は応募者から選ぶ考えを示した。
これに対し、与党は応募者ではなく、法案に賛成する有識者らから選ぶことになる。」
95人の応募者全員が「法案反対」。思いがけないことだが、これが世論の分布状況をよく表している。これで採決を強行してよいはずはない。本当にこんな状態で採決ができるというのだろうか。
「安保法案廃案・安倍政権打倒・立憲主義と民主義を守れ」という声は、メインの集会だけのものではない。東京でも地方でも、新しい反対運動が次々に生まれている。採決強行した場合の民衆の怒りと政権のダメージははかりしれない。けっして、採決強行が既定の事実となっているわけではない。
ところで、本日(9月12日)の東京新聞は読み応え十分。東京新聞(中日新聞)の読者でない人にために、宣伝を買って出よう。いくつかの記事をご紹介する。
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本日の社説が読ませる。「湾岸戦争のトラウマ 安保法案に通じるだまし」というタイトル。「湾岸戦争のトラウマ」は欺しだった。その欺しの手口が、今また「安保法案成立に向けて」世論操作に使われている、というなかなか刺激的で大きなテーマ。
私は、湾岸戦争のときに、仲間を語らって「市民平和訴訟」を起こした。湾岸戦争への国費からの1兆1700億円支出と掃海部隊派遣の差し止めを求める訴訟である。
このとき、当初は90億ドル、最終的には130億ドルの支出をしながら、「人を出して血を流す支援をしなかったから、国際社会から感謝されることがなかった。やっぱり一国平和主義ではなく、積極的に派兵を可能にしなければならない」という言説が流された。これが「湾岸戦争のトラウマ」である。
「◆感謝広告になかった日本
トラウマの原点は1991年の湾岸戦争にある。イラクの侵攻から解放されたクウェートが米国の新聞に出した感謝の広告には30の国名が並び、130億ドルの巨費を負担した「日本」の名前はなかった。日本政府の衝撃は大きかったが、間もなく政府は自衛隊海外派遣の必要性を訴えるキャッチフレーズとして使い始める。…防衛庁長官は「湾岸戦争から学んだものは、やはり、お金だけでは責任を果たしたことにはならない」と述べ、“トラウマ効果”を利用した。湾岸戦争の後、衆院に初当選した安倍首相もこのトラウマを共有している。
なぜ、意見広告に日本の名前がなかったのだろうか。政府はこれを調べることなく、人的貢献の必要性を言いはやし、翌92年、自衛隊を海外へ派遣する国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させて陸上自衛隊をカンボジアに派遣した。
派遣後の93年4月になって、政府は追加分90億ドル(当時のレートで1兆1千700億円)の使途を公表した。配分先のトップは米国で1兆790億円、次いで英国390億円と続き、肝心のクウェートへは12カ国中、下から2番目の6億3000万円しか渡されていない。大半は戦費に回され、本来の目的である戦後復興に使われなかったのである。
◆「逆手」にとった日本政府
本紙の取材であらたな証言が飛び出した。湾岸戦争当時、東京駐在だったクウェート外交官で現在、政府外郭団体の代表は「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した」と明かし、米国防総省に求めた多国籍軍リストがそのまま広告になったという。多国籍軍に参加していない日本の名前がないのは当たり前だったことになる。
クウェート政府に問い合わせていれば、たちまち明らかになった話だろう。解明しようとせず、「湾岸戦争のトラウマ」を逆手にとって焼け太りを図る様は、まともな政府のやることではない。このトラウマがイメージを先行させる手法だとすれば、安倍政権下で健在である。
◆採決急がず審議で正体を
安保関連法案をめぐり、首相は「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」と断言する。
「湾岸戦争のトラウマ」を利用し続けた政府の言葉を信用できるだろうか。国民をだましているのではないか、との疑念は国会審議を通じて、高まりつつある。政府は急ぎたいだろうが、参院では拙速な採決に走ってはならない。答弁を重ね、国民に法案の正体を説明する義務がある。」
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また、本日の同紙「こちら特報部」は、昨日の当ブログが触れた、都立校「日の丸・君が代」強制に関連する「内心の自由告知」問題を取り上げている。昨日(9月11日)の都教委への「申し入れ」行動の様子を、かなり大きなスペースで記事にしてくれた。「日の丸・君が代」強制問題は、民主主義や教育の根幹に関わる重要性を持ちながらも地味で記事になりにくい。関心を持ってくれる頼りのメディアは、東京新聞とサンデー毎日なのだ。
戦争法案審議大詰めの来週、東京新聞にはさらなる健筆を期待したい。
(2015年9月12日・連続895回)
富士には月見草がよく似合う。秋の風には鈴虫の音色。
日の丸には、武運長久の寄せ書きがよく似合う。千人針も。特攻も。そして、右翼の街宣車の騒音や暴力団員の鉢巻がぴったりだ。
靖国神社と平和の祈りとは似合わない。ハーケンクロイツと国際協調は似合わない。日の丸と九条も水と油。似合わないこと甚だしい。
この不似合いを無理矢理結びつけた「日の丸・九条の会」なる代物があるという。おふざけの類だろうが、黙っておられない。「日の丸・君が代」の強制に抵抗し、胃の痛くなる思いで、「日の丸・君が代」とたたかっている人たちの神経を逆撫でにする、配慮に欠け品位に欠けた茶番劇。
次には「君が代・九条の会」が生まれるのだろうか。「天皇バンザイ・九条の会」「靖国・九条の会」「歴史見直し・九条の会」と続くのだろうか。不まじめ「日の丸・九条の会」は、お・や・め・な・さ・い。
「日の丸」の権力的強制は、歴史認識に無自覚な人々の「日の丸」容認を背景にしている。社会的な日の丸への敬意表明同調圧力が、国家主義者による強制を可能としているのだ。「日の丸」や「君が代」の社会的容認度を少しでも高める試みを許してはならない。
もちろん、天皇についても、靖国神社についても同じことだ。九条を語る陣営の中から、「日の丸」積極容認の声が出て来るその無自覚さに、唖然とする。
「日の丸九条の会」の設立趣旨・要綱を掲げているサイトがある。
設立趣旨・要綱の全文は以下のとおり。
「日章旗は、過去「日本帝国」の旗頭として使われ、未だその侵略戦争の傷は癒えていない。しかし、これ自体にはなんら罪はなく、デザインも大変に優れており、もとより日本国の象徴として定着している。
ここに、これに愛着をもち「九条も立憲主義もこわすな」と下記の点で賛同する者の緩やかな集まり「日の丸9条の会」を設立する。
1?憲法が権力者を縛るための最高規範であることを認識し、今次の安倍政権の解釈改憲を認めない。
2―日章旗に愛着心をもつことを誇りをもって宣言する。
3―国旗・国歌の使用・不使用につき、誰に対するいかなる強制も嫌がらせも許さない。
4―専守防衛を明確にするための改憲でない限り、日本国憲法9条等の改憲を許さない。
5―侵略のための軍備は許さず、日本の核武装もその計画研究も認めず、非核三原則を堅持させる。
6―アメリカ合衆国を含めどの国の属国化していくことを認めない。
7ー啓発・運動にはもとより非暴力の手法のみを使い、他団体とも随時、共同で行動する。
8ー添付の画像を旗頭とする。
平成27年9月9日
日の丸愛好家にふさわしく、元号を使用しての宣言。おそらくは、右翼にも戦争法反対のウィングを広げるという大義名分を考えての「日の丸9条の会」なのだろう。しかし、各職域の九条の会がそれぞれ真摯さにあふれているのに、このおふざけは人の胸をうたない。運動に資するとは到底考えられない。
また、「日本国の象徴として定着している」との認識は容認できない。東京地裁の判決(2006年9月21日・「予防訴訟」における難波判決)でさえ、「日の丸・君が代」を次のように言っている。
「我が国において、日の丸、君が代は、明治時代以降、第2次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実であり、国旗・国歌法により、日の丸、君が代が国旗、国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。」
手堅い判決文の中でさえ、「日の丸、君が代が国旗、国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と言われているのだ。これを「日本国の象徴として定着している」と公言することによって、日の丸の社会的認容・定着化に加担することは、この国の保守勢力・国家主義者を喜ばせることで、反動に加担することにほかならない。
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本日午前中は都庁で、都教委と「日の丸・君が代」強制にまつわる問題での集団交渉があった。「日の丸・君が代」強制に抗って処分された人々や、父母の立場の人々による今日の交渉テーマは、「内心の自由の告知」禁止問題。かつては、校長や教頭が、卒業式・入学式の前に、「プログラムでは、国旗に向かって起立し国歌を斉唱するようお願いすることになりますが、日本国憲法は内心の自由を保障しています。ですから、けっして強制にわたるものではありません。飽くまでご協力をお願いするものです」との告知が普通に行われていた。それが、石原慎太郎教育行政が禁止して今日に至っている。そのことが国際的にも問題になりつつあり、文科省も問題と認識しているのだ。
この件に関しての交渉のあと、都庁32階食堂で、リラックスした雰囲気でみんなとランチをともにした。ここで、「日の丸9条の会」が話題となった。もちろん、私が口火を切って話題にしたのだ。弾んだ話しの大要を再構成する。
「私は、あるサイトで「日の丸9条の会」というものを知った。私の感性がどうしてもこれを受け付けない」
「私も見つけた。大きな違和感がある」
「天皇の発言をリベラルだと持ち上げる、あのセンスとよく似ている」
「「日の丸」と九条は両立しないでしょう」
「右へ運動を広げたいのだろうが、目先の小利に目が行って、大事なことが忘れられている」
「軽々にナショナリズムを持ち上げてもらっては困る」
「先日の反原発デモに日の丸が出てきて驚いた。愛する日本を汚すなという意味合いだったようだが、とてもついていけない」
「日の丸を自分の側のシンボルにした途端に、国家や政権と対決する姿勢を見失うことになる」
「一方に、深刻に悩みながら「日の丸・君が代」と対決している人がいるのに、どうしてこんなにノーテンキに日の丸を肯定できるのだろうか」
食事時の会話としては軽さに欠けるが、刺身にワサビだ。耳に心地よい会話で味付けの今日のランチは旨かった。
(2015年9月11日・連続894回)