澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

平和のために戦争を準備し、平和のために戦争をするのだ

ワタクシ、安倍晋三です。とうとうやりました。感無量です。
強行採決? 民主主義の蹂躙? 立憲主義の破壊? そんな泣き言は負け犬の遠吠え。力こそ政治、数こそ民主主義です。分かりきったことではありませんか。バンザイを叫びたいところですが、ここは我慢のしどころ。神妙な表情を造っておかなくては。しかし、辛い。噛み殺しても、どうしても笑みがこぼれてしまう。これで、戦後レジームを壊して、軍事大国日本を取り戻す道筋がはっきりしてきたのですから。

安保関連法案成立に伴う私のコメントを、誤解のないように自分で解説しておきましょう。
「平和安全法制は国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な法制で、戦争を未然に防ぐためのものだ。」

このフレーズの意味は国民の皆さまによく理解いただけたはず。解説の必要もありませんが、平和とは何よりも安全と安心のことです。安全と安心は、武力なくしてはあり得ません。近隣諸国を上回る武力を整備し、いつでも現実に使えるようにしておくことによって、ようやく安全と安心を手に入れることができるのです。

我が国を取り巻く国際環境は劇的に変わりました。北朝鮮だって、中国だって、いつ我が国に攻めてくるか分かったものじゃない。韓国だって油断はできない。攻めてこられたら、原発一基が爆撃されても壊滅的な被害となります。だから、武力は増強すればするほど、国民に安全と安心を保障します。武力こそが平和そのものなのです。国民が喰えなくても軍事力増強が必要なのです。ミサイルも、空母も、攻撃型潜水艦も、多ければ多いほど平和なのです。

切れ目なくいつでもどこでも、誰とでも戦争ができるように準備しておくことが平和の条件です。相手国が、負けるものかと武力を増強すれば、さらに我が国もこれを上回る軍事力を整備すればよいのです。いずれ、大国にふさわしく核兵器も運搬手段も装備して、近隣の悪者国家を震えあがらせなければなりません。そうすることによってはじめて、戦争を未然に防ぐことかができるのです。

「子どもたちや未来の子どもたちに平和な日本を引き渡すために、必要な法的基盤が整備された。」
言うまでもなく、「平和な日本」は、強力な軍備なくして実現し得ません。子どもたちや未来の子どもたちは、平和な日本を守るための軍備を支える、貴重な兵士の供給源なのです。その子どもたちを、平和をつくるために戦争に派遣することのできる法制がようやくにして成立したのです。何とお目出度いことではありませんか。

「今後とも積極的な平和外交を推進し、万が一への備えに万全を期す。」
このフレーズを平板に読んではなりません。大切なポイントは、「万が一への備えに万全を期す」ということなのです。万が一への備えとは、外交交渉がうまくいかなかったときの奥の手として、これまで憲法が禁じていた「国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使」のことです。握手しながらも、後ろ手に銃を持っていればこその外交ではありませんか。この法律の制定で、ようやくにして強い外交ができる立場を我が国が獲得したのです。

これも、国民の皆さまにはよくお分かりのとおり、「平和外交の推進」には武力の支えが不可欠なのです。「積極的な平和外交推進」には、交渉相手国を圧倒する武力が必要なのです。そんなことは、歴史が証明しているところではありませんか。

「今回、参議院では、野党からも複数の対案が提示され、議論も深まったと思う。民主的統制をより強化する上での合意が、野党3党となされたわけだ。与党だけではなく、野党3党の賛成も得て、皆さまの支持の下に、より幅広く、法案を成立させることができた。」

自分でも白々しい言葉だとは思いますが、次世代・元気・改革の3党が賛成にまわってくれたことは、最大限活用しなくっちゃ。法案の修正はしていないのだから、「議論も深まった」は言い過ぎだろうが、ああいう野党の存在は貴重だね。なんと言われようと、「与党だけなら強行採決と言われてもしょうがないが、今回は野党3党も賛成にまわったのだから強行ではない」で、押し通すことを強行しなくては。

「今後も国民に誠実に粘り強く説明していく。世論調査の結果によれば(国民理解のために)まだまだこれから粘り強く、丁寧に法案の説明を行っていきたい。」
めんどくさいけど、今さら遅いとも思うけど、「誠実に粘り強く説明していくフリをしなくてはならない情勢」ではあるようだ。私もそれほどバカではないから、その努力の必要性は認めざるを得ません。今後とも、今日の言葉に明日は責任を持たず、二転三転しながら、分からないと言われても、同じ言葉を繰り返すことによって、誠実に粘り強く見える説明を心掛けていきたい。

「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」が私のDNA。戦後レジームとは、結局のところ日本国憲法の理念とこれを実現するためのシステムのことですから、「戦後レジームからの脱却」とは日本国憲法を徹底して破壊すること。それこそが私の本能的な願望なのです。

できれば、明文改憲をしたいところですが、まだそこまでは国民が付いてこない。だから、解釈を変えるのですよ。変えた解釈にそって、法律を作ってしまう。この作戦図星だったじゃないですか。黄泉で戦犯の濡れ衣を着せられたお祖父さんもさぞ喜んでいることでしょう。

戦後レジームから脱却して、どんな日本を取り戻すのか。基本的には、万世一系の天皇を戴く戦前の輝く強国大日本帝国以外にないじゃないですか。それこそが、「日の丸・君が代」に何の抵抗感もない日本国民の望むところでしょう。

なんたって、三度の選挙で自民党と公明党に多くの議席を与えてくれた国民の皆さまではありませんか。皆さまに感謝申し上げるとともに、平和のためには戦争を準備し、平和のためとあらば戦争をすることに躊躇しない、ワタクシ、安倍晋三の「積極的平和主義」を末永くご支持いただくようお願い申し上げます。
(2015年9月20日・連続903回)

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