民主主義の政治システムにおいては、政治権力が知られたくない情報をこそ、国民が把握できなくてはならない。そのような意味での国民の知る権利が全うされるか否かは、ひとえにメディアの報道姿勢の如何にかかっている。
諸メディアの中で、NHKがひときわ大きな存在である現在、NHKの報道の質は、国民世論の動向や政権形成のあり方に影響極めて大きいと言わねばならない。日本の民主主義を語る上で、NHKの政治報道姿勢は避けて通れないと言ってよい。
比較の対象は、公共放送としての性格を近しくするBBCだ。その権力におもねらない姿勢故の英国国民からの信頼に比して、NHKはまことに権力からの独立という矜持に乏しい。国民からの信頼が薄い。
NHKは、「大本営発表」時代の母斑を消すことのできぬ間に、「政府が右と言えば、左ということはできない」と公言する会長を据えてしまった。恥ずかしげもなくNHKの経営委員の席を占める大方も、アベのお友だち揃いではないか。いまや、NHKの政治報道を「アベチャンネル」と揶揄する言葉が定着している。アベ政権と籾井NHKの醜い「相い寄る魂」の図。その籾井勝人会長の任期が来年1月で切れる。こんな人物を再任させてはならない。
「国民は自らにふさわしい政府しかもてない」から、アベ政権が存続している。「国民は自らにふさわしいメディアしかもてない」から、NHKのアベチャンネル化を許している。政権がアベチャンネル化を促進し、アベチャンネルが政権を支える。この悪循環を断ちきらねばならない。
国民が声を発して、まずはNHKのアベチャンネル化を脱却しよう。そのためには、籾井続投を許してはならない。NHKをアベのチャンネルから解放して、真っ当な政権批判のできるメディアにしなければならない。
そのための、メディアに関心をもつ各団体が、共同して籾井NHK会長再任に反対する署名を提出した。NHKの会長人事権は、経営委員会が持っている。署名は経営委員会宛の要望書となっている。
☆要望書のタイトルは、
「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求める」というもの。
☆経営委員会長宛の具体的な要望事項は以下のとおり。
1. 公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3. 会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会に設置すること
☆ 要望事項に添えられた要請文は下記のとおり。
来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。
私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。
籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。
次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。
第3次集約分の署名は合計3万2670筆となって、11月7日これを経営委員会に提出した。以下は11月9日付け赤旗の記事。
「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の醍醐聰共同代表らは7日、次期NHK会長選考にあたっての要望署名第3次集約分を経営委員会に提出しました。新たに集約されたのは1万2575人分。第1次集約からの累計で3万2670人分となりました。
署名は同コミュニティを含む全国27の視聴者・市民団体が呼びかけています。籾井勝人現会長の再任に反対し、会長の推薦・公募制の採用を求めています。
併せて、署名とともに寄せられた視聴者からのメッセージ13人分も提出しました。主な声は次の通り。
「不偏不党であるべき放送事業者は、時の政権や経営責任者におもねることなく市井の視点から番組などを作っていくのが使命だと思います」
「籾井現会長になってからは、情報などが信用できなくなり、テレビを整理して観ていません」
「NHKには公共放送だからこそできる、政権からも財界からも独立した放送を目指し続けていただきたい」署名の最終集約は18日で、最終分を21日に提出します。
未署名の方は是非ご協力をお願いしたい。国民が真実を知ることのできるNHKとするために。署名の最終集約は11月18日。
☆署名用紙の全文(呼びかけ団体、署名運動の趣旨、要望事項、署名欄、署名用紙の郵送先などを記載)は下記URLを参照してください。
http://bit.ly/2aVfpfH
☆ネット署名も受け付けています。
https://goo.gl/forms/G43HP83SSgPIcFyO2
署名に添えられたメッセージを、個人情報を省いて、ネット上で公開しています。
https://goo.gl/GWGnYc
☆署名の最終集約とその提出予定
集約日 11月18日(金)
提出予定日 11月21日(月)
(2016年11月10日)
まさかと思っていたことが現実になった。反知性で、排外主義で、倫理性に欠けた、粗暴な男が、世界最強にして最も富む国の政治指導者になった。これは、文字通りの衝撃だ。ドルが売られて円が買われ、日本の株価も1000円も下がった。世界が動揺していることの表れだ。このトランプショックは、いったい何を物語っているのだろうか。
おそらく、原因は複雑に入り組んで、一義的な解答はあり得ないというべきなのだろう。多様な理解があり得て、一面的に自分に都合のよい見方で割り切ることは避けたいと思う。それでも、何かを言わねばならないという気持になる。
両陣営の対抗軸は何だったのだろう。
民主党対共和党
リベラル対コンサーバティブ
政治家経験者対未経験者
知性対非知性
常識対非常識
グローバリズム対ドメスティック
自由貿易対保護主義
シリコンバレー対沈みゆくラストベルト
移民寛容派対排外主義派
高所得層対低所得層
勝ち組対負け組
フェミニズム対マッチョ
女性対男性
都市中間層対地方ブルーカラー
カラード対ホワイト
安定志向対変化願望
格好付け対ホンネ
……
どれもしっくり来ない。
実は、ヒラリーはエスタブリッシュメントのシンボルとなって、敗れ去ったのではないだろうか。エスタブリッシュメントとは、既成の秩序。つまりは、資本主義体制それ自体とその体制の上に築かれた政治的、文化的秩序のことである。その頂点にあるものとしてヒラリーが怨嗟の的となったのだ。
ヒラリーは、トランプと闘う以前に、サンダース現象に遭遇して苦しんだ。サンダース現象こそが、鮮やかにアメリカの抱える問題をえぐり出して見せつけた。貧困と格差の拡大、そしてその固定化である。かつては、「貧しき者も、その汗と努力によってやがては報われる」という、アメリカンドリームの幻想が、貧困や格差の害悪を糊塗していた。しかし、いま、若者たちにその幻想は消え失せている。
貧困や格差の再生産と固定化は、到底自己責任で論じることのできない、不平等感を社会に蔓延させたのだ。資本主義の負の部分を剥き出しにしてよいとする新自由主義が、一握りの極端な勝ち組と、多くの貧困者層との修復しがたい対立構造をつくり出した。このような経済秩序がつくり出した一握りの極端な勝ち組が、エスタブリッシュメントにほかならない。ヒラリーは、ウォール街から金を集めて、そのシンボルとされたのだ。
経済体制がつくり出す不平等や諸々の不合理を、民主主義的政治過程で抑制する。それこそがサンダースの唱える民主社会主義であろう。ヒラリーはサンダースに一定の妥協をする形で、この真っ当な陣営からの挑戦を乗り切った。
しかし、次にヒラリーが対決したトランプ陣営は正体不明のヌエのごとき存在で、結局は対処すべき方法を見つけられなかった。正体不明で多面的なトランプ旋風も、その基本はエスタブリッシュメントに対する怒りであったろう。新自由主義が行き着いた資本主義がもたらした、格差と貧困にあえぐ人びとの怒りである。
グローバルな資本主義に対する不審や不満の運動が、サンダース現象では社会民主主義的な理性ある行動の集積となり、トランプ旋風では、移民排斥や人種差別の粗暴な形で表れた。そのどちらの闘いでも、ヒラリーは格差や貧困の蔓延する社会でのエスタブリッシュメントのシンボルとされ、最終的には敗北したのだ。
本日(11月9日)決着したアメリカ大統領選挙の結果は、ヒラリーの敗北に意味がある。それは、新自由主義・グローバリズムという形の資本主義の行き詰まりを意味している。一方、トランプ勝利の意味は小さい。
(2016年11月9日)
ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。こちらは「本郷湯島九条の会」です。「平和憲法を守ろう」、「平和を守ろう」、「日本を、再び戦争する国にしてはならない」。そのような思いで、活動している小さなグループです。小さなグループですが、同じ思いの「九条の会」は全国に7500もあります。
安倍内閣の改憲策動を許さない。平和憲法を壊してはならない。政策の選択肢として戦争をなし得る国にしてはならない。全国津々浦々で、7500の「九条の会」が声を上げています。しばらくご静聴ください。
日本国憲法は、70年前に公布されました。言わば、今年が古稀の歳。人間と違って、年老いるということはありません。ますます元気。ますます、役に立つ憲法です。私たちは、これを使いこなさなくてはなりません。
しかし、この憲法が嫌いな人がいます。なんとかしてこの憲法を壊したい。別のものに変えてしまいたい。その筆頭が、今の総理大臣。最も熱心に、最も真面目に、憲法を守らなければならない立場の人が、日本中で一番の憲法嫌い、最も熱心に日本国憲法を亡き者にしようと虎視眈々という、ブラックジョークみたいな日本になっています。
皆さまご存じのとおり、この人は「戦後レジームから脱却」して、「日本を取り戻す」と叫んでいます。「戦後レジーム」とは、日本国憲法の理念による社会のあり方のこと。日本国憲法の理念とは、国際協調による平和、民主主義、そして一人ひとりがかけ替えのない個人として人格を尊ばれる人権擁護のこと。
総理大臣殿は、そんな社会が大嫌いなのです。そのホンネが、2012年4月に自民党が公式に発表した「日本国憲法改正草案」に生々しく書かれています。
この改憲草案は、102条1項に、「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書き込みました。これはおかしい。憲法とは、本来主権者である国民が権力を預けた者に対する命令の文書です。だから現行憲法は、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に憲法を尊重し擁護する義務を課しています。「国民に対する憲法尊重義務」を書き込むことは、憲法の体系を壊すこと、憲法を憲法でなくしてしまうことにほかなりません。
そして、自民党改憲草案は、現行憲法の「第2章 戦争の放棄」を、「第2章 安全保障」と標題を変えます。これは極めて示唆的です。日本は、戦争を放棄した国ではなくなるということです。今の自衛隊では戦争ができない。戦争するために差し支えのない国防軍を作ろうというのです。軍法会議も憲法に明記しようというのです。こうして、戦争を国の政策の選択肢のひとつとして持ちうる、戦争のできる国に変えようというのです。
もちろん、政権は、国民の権利も自由も大嫌いです。言論の自由をはじめとする国民の権利は大幅に切り下げられます。国民の自由に代わって、責任と義務が強調されることになります。「公益と公の秩序」尊重の名の下に国家・社会の利益が幅を利かせることになります。
それだけではありません。緊急事態条項というとんでもない条文まで紛れ込ませました。日本国憲法制定のための議会の審議では「権力に調法だが、それだけに危険だから憲法には置かないことにした」という代物です。戦争・内乱・自然災害などの「緊急事態」においては、国会を停止させようというのです。その代わりを内閣がする。法律でなければできないことを政令でできるようにする。予算措置も、内閣だけで可能というのです。
そして、自民党改憲草案の前文は、日本を「天皇を戴く国」とし、天皇を元首としています。憲法に、国旗国歌条項を書き入れるだけではもの足りないと、国民に国旗国歌尊重義務を課するという徹底ぶり。これが、安倍晋三が称える、「日本を取り戻す」というものの正体ではありませんか。
元首たる天皇が権威を持ち、国防軍が意のままに行動でき、反戦平和の運動や政府批判の言論が弾圧される。個人主義などもってのほか、人権ではなくお国のために尽くしなさいと教育がなされる国。それが、自民党・安倍政権が目指す「取り戻すべき日本」というほかはありません。
政権や自民党は、「憲法は外国から押しつけられたものだから変えましょう」という。これもおかしい。この70年の歴史を曇りない目で見つめれば、アメリカと日本の軍国主義者たち、日本国憲法は邪魔だという権力者たちが、日本国民からこの憲法を奪い取ろうとしてきた70年であったというべきではありませんか。
私たち国民にとっては、押しつけられたのではなく、守り抜いた日本国憲法ではありませんか。このことを私たちは、誇りにしてよいと思います。
憲法への評価は、立場によって違うのが当然のこと。一握りの権力に近い立場にいる者、経済的な強者には、邪魔で迷惑な押しつけかも知れません。しかし、大部分の国民にとっては、嫌なものの押しつけではなく、素敵なプレゼントだったのです。
もし、仮に日本国憲法を押しつけというのなら、押しつけられたものは、実は日本国憲法だけではありません。財閥解体も、農地解放も、政治活動の自由も、言論の自由も、労働運動の自由も、政教分離も、教育への国家介入禁止も、みんなみんな「押しつけられた」ことになるではありませんか。「押しつけられたものだから、ともかくいったんは、ご破算にしてしまえ」ということになりますか。
今年は、女性参政権が実現してから70年でもあります。46年4月の歴史的な衆議院議員選挙で、はじめて女性が選挙に参加しました。憲法を押しつけというなら、男女平等も押しつけられたもの。「外国から押しつけられた女性の参政権は、日本の醇風美俗を失わしるもの。だからご破算にして元に戻せ」などというおつもりですか。日本国憲法押しつけ論は、もうバカバカしくて何の説得力もありません。
憲法の制定にも携わった憲法学者である佐藤功が、こう言っています。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」
ここでいう「君たち」とは私たち、一般国民です。政治権力も経済権力もない圧倒的多数の相対的弱者のこと。「憲法は弱い立場の国民を守る」からこそ、国民にとって守るに値する日本国憲法なのです。だから「弱い立場にある私たち国民が憲法を守ってきた」のです。憲法を都合よく変えたいとする強い立場にある人たちとのせめぎあいを凌いでのことなのです。
これまで、日本国憲法を守り抜いて、自分たちのものにしてきたからこそ、憲法の古稀を目出度いものとしてお祝いしようではありませんか。
なお、一点付け加えます。日本国憲法は、国家よりも個人を大切にしています。ところが、今東京都の教育現場では、都教委が教員に国旗国歌(日の丸・君が代)に敬意を表するよう「起立・斉唱」の職務命令を発し、これに従わなかった教員に懲戒処分を濫発しています。これは、個人よりも国家を貴しとする思想にもとづくもの。しかも、教員の思想良心の自由を侵害する権力の行使であり、教育の内容に公権力が介入してはならないとする教育基本法が定める大原則の侵害でもあります。これではまるで戦前の日本。あるいは、まるでどこかの独裁国家のよう。到底自由な国日本の現象ではありません。
このことについては、幾つもの訴訟が提起されていますが、今最も大きな規模の「東京「君が代」裁判・4次訴訟」での原告本人尋問が、11月11日(金)に行われます。どなたでも、98席が満席になるまで、手続不要で傍聴できますので、ぜひお越しください。
時 11月11日(金)午前9時55分?午後4時30分
所 東京地裁103号法廷
6人の原告の皆さんが、いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が生々しく語られます。きっと、感動的な法廷になります。そして、石原都政以来の憲法蹂躙の都政と東京都の教育行政に、ご一緒に怒ってください。よろしくお願いします。
ご静聴ありがとうございました。
(2016年11月8日)
アベ政権は、アフリカ・南スーダンPKO(国連平和維持活動)に派遣予定の陸上自衛隊部隊に「駆けつけ警護」と「共同防護」の任務を付与しようとしている。今月(11月)15日にも閣議決定の予定と報道されている。大統領派と副大統領派の戦闘の現実を、「戦闘ではない、衝突に過ぎない」と無責任なレトリックで、危険な地域に危険な任務を背負わしての自衛隊派遣である。これは、海外派兵と紙一重。
これまで派遣されていたのは「南スーダン派遣施設隊」の名称のとおり、施設科(工兵)が主体。道路修復などもっぱらインフラ整備を主任務としてきた。今度は、普通科(歩兵)だ。危険を認識し覚悟しての自衛隊派遣。派遣される自衛隊員も危ないし、自衛隊員の武器使用による死傷者の出ることも予想されている。
アベ政権が、危険を承知で新任務の自衛隊派遣を強行しようというのは、憲法を壊したいからだ。憲法の平和主義を少しずつ侵蝕して、改憲の既成事実を積み上げたい。いつの日にか、「巨大な既成事実が憲法の理念を押さえ込む」ことを夢みているのだ。
1992年6月成立のPKO協力法(正式には、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)審議は、国論を二分するものだった。牛歩の抵抗を強行採決で押し切って、にようやくの成立となった。もちろん、憲法との整合性が最大の問題だった。
そもそも1954年成立の自衛隊法による自衛隊の存在自体が憲法違反ではないか。これを、与党は「自衛権行使の範囲を超えない実力は戦力にあたらない」として乗り切った。そのため、参議院では全員一致で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」をしている。
PKO協力法は、その自衛隊を海外に派遣しようというもの。明らかに違憲ではないかという見解を、法に「PKO参加五原則」を埋め込むことで、「戦闘に参加する恐れはない。巻き込まれることもない」として、乗り切ったのだ。
そして今度は、「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防護」だ。場合によっては、積極的に武器使用を辞さない覚悟をもっての自衛隊派遣を許容する法が成立し、運用されようとしている。これを許せば、いつたい次はどうなることやら。
下記は、10月27日付けの法律家6団体による「南スーダン・PKO自衛隊派遣に反対する声明」である。さすがに問題点をよくとらえている。
安倍政権は、多くの市民の反対の声を無視して、2015年9月に「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の制定を強行し、この中で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(いわゆる「PKO法」)も改正された。施行された改正PKO法によって、今年11月には、南スーダンへ「派遣」される青森駐屯地の陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊を中心とした部隊に、他国PKO要員などの救出を行う「駆け付け警護」と国連施設などを他国軍と共に守る「宿営地の共同防護」の任務を付与しようとしている。
そもそも、1992年にPKO法が制定された時、PKO活動の変質(米ソ冷戦前は北欧やカナダなどが原則非武装で、派遣国の停戦・受入合意がある場合にPKO活動を行っていたが、米ソ冷戦後は時にアメリカなどの大国が重武装で、しかも派遣国の停戦・受入合意がない場合でもPKO活動を実施するようになった)と憲法との関係(自衛隊をPKO活動に「派遣」するのは憲法9条違反ではないかという議論)から、当時の野党は国会で牛歩戦術まで使って抵抗したほど議論があった。
そのため、政府・与党もPKO法を制定したものの、PKO法に基づく参加に当たっての基本方針として5原則(?紛争当事者間での停戦合意の成立、?紛争当事者のPKO活動と日本のPKO活動への参加の同意、?中立的立場の厳守、?上記原則が満たされない場合の部隊撤収、?武器使用は要員の生命等の防護のために必要最小限のものに限られること)を定め、自衛隊のPKO活動はあくまで復興支援が中心で、武器使用は原則として自己及び自己の管理に入った者に限定し、派遣部隊も施設部隊が中心であった。
しかし、南スーダンでは、今年4月に大統領派と反政府勢力の前第1副大統領派とが統一の暫定政府を立ち上げたが、今年7月に両派で大規模な戦闘が発生し、この戦闘ではPKO部隊に対する攻撃も発生し、中国のPKO隊員と国連職員が死亡している。国連安保理は、今年8月にアメリカ主導で南スーダン政府を含めたいかなる相手に対しても武力行使を認める権限を付与した4000人の地域防衛部隊の追加派遣をする決議案を採択したが、この決議には南スーダンの代表自体が主要な紛争当事者の同意というPKOの原則に反しているという理由で反対し、ロシアや中国なども棄権している。今月も大統領派と前第1副大統領派との間での戦闘が拡大し、1週間で60人もの死者を出している。この状況はとてもPKO参加5原則を満たしている状況とはいえない。そして、政府が今後予定しているのは、施設部隊に加えて普通科部隊や、さらに中央即応集団の部隊も派遣される可能性があり、他国部隊を守るために武器使用に踏み切るならば、憲法9条で否定された武力行使にあたることになる。
私たち改憲問題対策法律家6団体連絡会は、憲法違反の「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の廃止を引き続き求めていくとともに、かかる状況の下での自衛隊の南スーダンへの派遣と新任務の付与に断固として反対するものである。
2016年10月27日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
自由法曹団 団長 荒井新二
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 原和良
日本国際法律家協会 会長 大熊政一
日本反核法律家協会 会長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理事長 森英樹
その後さらに、事態は悪化している。国連南スーダン派遣団(UNMISS(アンミス))参加国の撤退が相次いでいるからだ。
ケニア政府は11月3日、現地部隊にUNMISSからの即時撤退を命じた。同国は南スーダンの隣国、1230人を派遣してUNMISS総人員約1万3000人の主力をなし、UNMISSの司令官を出す地位にあった。ところが、潘基文国連事務総長はこのオンディエキ司令官を解任した。同国部隊が撤退した事情は、「今年7月首都ジュバで発生した政府軍と反政府勢力との戦闘のなか、政府軍の攻撃で多くの住民が死傷し、海外の援助関係者がレイプなどの被害に遭ったにもかかわらず、UNMISSの歩兵は動かなかった」「このため、国連は1日公表の報告書で、文民保護に失敗したと断定。司令官だったオンディエキ氏はその責任を追及されたとみられる」と報じられている。
文民警察を派遣していた英国、ドイツ、スウェーデン、ヨルダンなども、7月の戦闘を契機に「安全確保」などの理由で文民警官を国外に退避させている。新たな任務を帯びた自衛隊は、そんなところに行くのだ。
UNMISSの一員としての自衛隊は、その任務遂行のためには南スーダン政府軍との交戦が避けられない。既に、PKO参加五原則の要件は崩壊している。敢えての自衛隊派遣と駆けつけ警護等による武器使用は、憲法の許すところではない。
自衛隊員よ。南スーダンに行くなかれ。
(2016年11月7日)
本日(11月6日)の東京新聞1面トップの見出しが、「入れ替わった9条提案 学習漫画『日本の歴史』」「幣原→マッカーサーに」というもの。
小学館発行の学習漫画『日本の歴史』の、最終巻「現代の日本」の中の一コマの内容が、ある時期増刷の際に「9条提案者が入れ替わっていた」というもの。ことは、「平和憲法」が押しつけられたものか否かという論争に関わる。内容改変の時期は、20年余の以前に遡るものだが、東京新聞はこれを今日的に意味ある問題としてトップ記事に取り上げたのだ。
リード
戦争放棄を盛り込んだ憲法九条は、日本側の意思でつくられたのか、それとも連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものなのか。長く論争となってきたテーマについて、読者の方から興味深い情報が寄せられた。小学館の学習漫画は当初、幣原喜重郎首相の提案と表現していたが、ある時からマッカーサーGHQ最高司令官の提案に変わったという。記載はいつごろ変わったのか、どんな事情があったのか、学習漫画を巡る『謎』を追った。
本文
学習漫画は『少年少女日本の歴史』。第一巻が一九八一年から刊行されているロングセラーだ。指摘された場面は第二十巻『新しい日本』の中で、四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談を描いた一コマ。出版時期が違うものを探して比べたところ、絵柄はほぼ同じなのに発言内容が変わっていた。
具体的には、九三年三月発行の第三十三刷は、戦争放棄を憲法に入れるよう提案したのは幣原としていたが、九四年二月発行の第三十五刷はマッカーサーの提案となっていた(第三十四刷は見つからず)。現在発行されている増補・改訂版は二十一巻で現憲法制定に触れているが二人の会談場面は描かれていない。(以下略)
記事は、、改変前後のマンガの一コマを対比している。
いずれも、左にマッカーサー右に幣原の会話の図柄。よくよく見ると、マッカーサーの帽子のふくらみ具合が少しだけ違ようだが、まったく同じと言っても差し支えない。そして、両コマに戦争放棄発案の吹き出しが付けられている。その吹き出しの向きが違っている。
ビフォアーは、幣原の発言となっている。その内容は次のとおり。
「病中いろいろ考えたのですが、新しい憲法には、戦争放棄ということをもりこみたいと思います」
そして、これにマッカーサーが「大賛成です!」と応じている。
アフターは、幣原ではなくマッカーサーの発言となっている。
「いろいろ考えたのだが、新しい憲法には、戦争放棄ということを盛りこもうと思う」
ビフォアーでは、両者の言葉遣いは対等者間のもの。これに対して、アフターではマッカーサーの言葉遣いが、やや命令口調。「押しつけ」のニュアンスがにじみ出ている。92年?93年に、どうしてこうなったか。小学館も不明といい、東京新聞も解明できなかったとしている。
東京新聞は、このことに気付いて発信を始めたという埼玉県日高市のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏(72)のインタビューを掲載している。
インタビューは、『戦力不保持を明記した九条は際立っている。この条文を各国の憲法に生かすことができれば、大きな起爆剤となるはずだ』という同氏の発言で締められているが、内容改変の動機やその影響については、説得力ある発言となっていない。
この学習漫画「少年少女日本の歴史」のキャッチフレーズは、「『日本の歴史』学習まんがの決定版!」「30年以上にわたるベストセラーです。2015年現在、累計発行数は1800万部。あの『ビリギャル』もこのシリーズで日本史を学びました。全23巻をセットで読んでも、興味のある巻だけ読んでもしっかり楽しく学べます。」というもの。たいへんなロングセラーである。
また、このようにも宣伝されている。
「〈日本の歴史が楽しくわかる。〉綿密な時代考証にもとづき旧石器時代から現代までを大迫力のまんがで再現。子供が最初に出会う歴史書として楽しみながら正しい知識が得られる本格的な全書です。」「学習まんがだから小学生でも読みやすく、しかも内容は本格的。中学入試からセンター試験まで、小中高・・・と長く利用できます。親しみやすいまんがで学ぶ事により歴史が大好きになります。」「偏差値が上がるともっぱらの評判! 受験に役立ちます。映画『ビリギャル』のモデルが愛用して慶應大学に合格したという大人気シリーズです。」
そして、「第21巻 現代の日本(?現代)」。「この本は、1981年10月に発行されたものを、1998年2月に『改定・増補版』として新しくまとめたものです。」「この巻では、敗戦後から現代に到る日本の姿を描きます。敗戦後の日本は激動の時代でした。アメリカの占領、日本国憲法の制定、経済大国への道、そして平成の現代までをまんがでときあかします。戦後、現代の日本がどのようにしてできたかをわかりやすく描きます。」となっている。
私も、店頭でパラパラとめくって見たおぼえがある。内容悪くなかったはず、という印象がある。
インターネットは便利だ。10頁ほどの立ち読みができる。
そのマンガのなかに、こんなセリフが出てくる。
「何だ、何だ?」「農地改革だと?」
「ばあちゃんよろこべ」「地主の農地を国が買い上げて、おれたち小作人に安くはらい下げてくれるそうだ」
「えっ、ありがたいこった!」「もう小作料を払わなくてもいいんだな」「そうとも。働いた分だけ自分のものになる」
「地主の世の中は、もう終わりなんじゃな。」「もう、ペコペコせずにすむぞ」
「くそっ、GHQめ!!」
「空襲はどうだったか。」
「は、全部やけました。」
「全部、あ、そう。」
「この子たちは、戦災孤児であります。」
「あ、そう…」「元気にやりなさい」
(マークゲインを思わせるアメリカ人記者)「天皇に対する日本人の態度には、おどろかされるばかりだ」
「おや、あれは?」「NHKの街頭録音だぞ」
「あなたの今の最大の関心事は?」
「戦地から帰らぬ長男のことじゃ。」
「天皇の戦争責任のことだ」
「食うこと、それが一番ですよ」
この年の五月、皇居前広場で食糧メーデーが行われました。
「ワタシタチハ オナカガ ペコペコデス」
「詔書 国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ。 ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ」
問題は、基調としては以上のような水準にある学習歴史漫画が、どうして突然に改説したかである。当初は、明確に「9条幣原発意説」を採りながら、突然にマッカーサー発意説に、わざわざ変更したのだ。新たな資料が発見された、あるいは有力学説の大きな転換があった、などという事情は考えられない。東京新聞は、「湾岸戦争で世界の批判影響か」としているが、推測としても説得力がない。
「9条幣原発意説」と「マッカーサー発意説」のいずれが歴史的真実であるかという歴史学的論争とは関わりなく、「押しつけ憲法論」者からの圧力があったとするのが最も考え易いところではないか。
歴史は、真相を探求し真実のとおりに語るべきが当然である。自分に都合のよいように歴史を断定してはならない。私は、マッカーサーの証言を信憑性高いものとして「9条幣原発意説」を有力とみるが断定はしがたい。また、仮に「マッカーサー発意説」でも、あるいは「両者合同発意説」でも、70年経過した今日、日本国民が選び取った9条になっていることにいささかの影響もないとも思っている。
しかし、「押しつけ憲法論」の陣営にとっては、幣原発意説ではプロパガンダ上具合が悪いのだ。だから、幣原発意説を攻撃し、「学習漫画『日本の歴史』」に対しては、その圧力が奏功したと見るべきだろう。教科書だけではない。国民の監視の目が届かないところでは、あるいはその目が曇れば、あらゆる場面で歴史修正主義が跋扈することになる。このことが本日の東京新聞トップの記事が語る教訓といってよいと思う。
(2016年11月6日)
朝日が、「天皇の『お言葉』、憲法学者ら考察」として、「著名な憲法学者らが、先人の憲法解釈を引きながら天皇の『お言葉』問題を論じている。」と紹介している。
「憲法学界の重鎮の樋口陽一・東京大学名誉教授が、『加藤周一記念講演会』に講師として登場。司会者から天皇の退位問題へのコメントを求められ、戦前から戦後にかけて活躍した憲法学者・宮澤俊義(故人)の憲法解釈を紹介した。」
その内容が以下のとおりである。
「天皇には政治的権能がなく、その行為には内閣の助言と承認を必要とするとした新憲法のもとで、天皇は『ロボット』的な存在なのだと宮澤は説明していた。宮澤があえてその言葉を使った背景には戦後の象徴天皇制に関する『健康な構図』のイメージがあった、と樋口さんは語った。国民主権のもと、国民が選挙を通じ、政治家を介する形で、正しくロボットに入力していくという構図だ。
『しかし実際はどうか』と樋口さんは、2013年に政府(安倍政権)が開催した『主権回復の日』式典に言及。『国論が分裂する中、沖縄県知事があえて欠席するような集会に天皇・皇后両陛下を引き出して、最後には(天皇陛下)万歳三唱を唱和した』と批判し、『いまだに日本国民は、宮澤先生の言った正しい意味での『ロボットへの入力』をすることができないでいる』と述べた。」
「今回(の天皇の生前退位希望発言)も、本来なら『国民が選挙を通して内閣の長に表現させるべきこと』だったとして、国民の責任に注意を促した。」という。
帰するところは、象徴天皇とは何かという問題である。象徴とは、何の権能も持たない存在。存在はするが、厳格に自らの意思をもって機能してはならないとされる公務員の職種。これを宮沢は、『ロボット』と称した。そのことを紹介した樋口には、いま国民にそのことの再認識が必要との思いがあるのだろう。
このことに関連して、天皇機関説論争が想い起こされる。
昭和初期、軍部の台頭と共に國體明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫されていった。その象徴的事件として、美濃部達吉を直接の攻撃対象とする天皇機関説事件が起こった。
美濃部の天皇機関説は、国家を法人とし、天皇もその法人の機関であるというに過ぎない。これが当時における通説となっていた。しかし、軍部や右翼が、突然にこの学説を國體に反するとして、熾烈に攻撃しはじめた。舛添都知事に対する突然のバッシングを彷彿とさせる。既に満州事変が始まっていたころ、これから本格的な日中戦争と太平洋戦争に向かおうという時代。1935(昭和10)年のことである。
貴族院議員であった美濃部が、貴族院において、公然と「天皇機関説は國體に背く学説である」と論難され、「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆」、「学匪」「謀叛人」と面罵された。これに対する美濃部の「一身上の弁明」は院内では功を奏したやに見えたが、議会の外の憤激が収まらなかった。
天皇を『機関』と呼ぶこと自体が、少なからぬ人々に強烈な拒否反応を引き起したとされる。「天皇機関説問題の相当部分は、学説としての内容やその当否とは関わりなく、用語に対する拒否反応の問題である」と指摘されている。
以下、宮沢の「天皇機関説事件」は次のような「拒否反応発言」例を掲載している。(長尾龍一の引用からの孫引き)
「第一天皇機関などと云う、其の言葉さえも、記者[私]は之を口にすることを、日本臣民として謹慎すべきものと信じている」(徳富蘇峰)
「斯の如き用語を用いることすらが、我々の信念の上から心持好く感じないのであります」(林銑十郎陸軍大臣)
「此言葉は・・・御上に対し奉り最大の不敬語であります」(井上清純貴族院議員)
「この天皇機関説という言葉そのものが、私共日本国民の情緒の上に、非常に空寒い感じを与えるところの、あり得べからざる言葉であります」(中谷武世)
「天皇機関説のごときは・・・之を口にするだに恐懼に堪えざるところである」(大角岑生海軍大臣)
「唯機関の文字適当ならず」(真崎甚三郎陸軍教育総監)
右翼のなかには、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」との発言もあったという。
結局は、美濃部の主著「憲法撮要」「逐条憲法精義」「日本国憲法ノ基本主義」は発禁処分となり、政府は2度にわたって「國體明徴に関する政府声明」(國體明徴声明)を出して統治権の主体が天皇に存することを明示するとともに、天皇機関説の教授を禁じた。
美濃部は貴族院議員を辞職し、翌1936年、右翼暴漢に銃撃されて重傷を負うに至る。
戦前の天皇も、憲法には縛られていた。天皇やその政府の専横には立憲主義の歯止めが設けられていたはず。しかし、天皇の神聖性を侵害することは許されなかった。国民の憤激というチャンネルを介して、統治権の総覧者としての天皇(旧憲法1条)ではなく、神聖にして侵すべからずとされる神権天皇(同3条)こそが、実は機能する天皇であったのではないか。
象徴天皇も事情はよく似ている。法的な権限も権能も必要なく、その存在が神聖で国民の支持を受けているというだけで、危険に機能する虞をもっている。だから、「象徴としての天皇の行為は認めない」、あるいは、「これを極小化すべし」というのが戦後憲法学界の通説だったはず。
いわば、「ロボットに徹せよ」ということが、憲法が天皇に課している憲法擁護遵守義務の内容なのだ。しかし、問題は、憲法論よりは民衆の意識だ。次のように80年前の愚論が繰り返されてはならない。
「天皇をロボットなどという、其の言葉さえも、これを口にすることを、日本国民として謹慎すべきものと信じている」
「かくの如き用語を用いることすらが、我々の信念の上から心持好く感じないのであります」
「この言葉は・・・御上に対し奉り最大の不敬語であります」
「この天皇ロボット説という言葉そのものが、私ども日本国民の情緒の上に、非常に空寒い感じを与えるところの、あり得べからざる言葉であります」
「天皇ロボット説のごときは・・・これを口にするだに恐懼に堪えざるところである」
「ただロボットの文字適当ならず」
「おそれ多くも天皇陛下をロボットに喩えるとは何事か」
絶無とは考えられないので、敢えて言う。今、「宮沢・象徴天皇ロボット論」の紹介がけっして右翼からの攻撃対象とされてはならない。
(2016年11月5日)
来週の金曜日(11月11日)午前9時55分から午後4時30分まで、東京「君が代」裁判(第4次処分取消請求訴訟)の原告本人尋問が行われる。傍聴席数は98席。満席になるまで、何の手続もなくどなたでも入廷して傍聴が可能だ。きっと、感動的な法廷となる。いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が語られる。貴重な体験となると思う。
とりわけ、「日の丸・君が代強制」がもつ憲法問題に関心のある方、思想・良心の自由に関心のある方、信教の自由に関心のある方、そして公権力の支配から教育は独立していなければならないとお考えの方。それだけでなく、どうも今の世の中の動きが戦前と似てきたのではないか。時代の主権者を育てる教育の現場はどうなっているのだろうと危惧をお持ちの皆さま方、是非法廷に足を運んでいただきたい。
10・23通達関連の訴訟は数多いが、そのメインとなっているのが、起立斉唱命令違反による懲戒処分取消を求める「東京『君が代』裁判」。172名の1次訴訟から始まって、現在一審東京地裁民事第11部に係属しているのが4次訴訟。
2010年から2013年までの間に、17名に対して懲戒処分22件が発せられた。その内の14名が原告となって、19件の処分取消を求めている。なお、処分内容の内訳は、「戒告」12件、「減給1月」4件、「減給6月」2件、「停職6月」1件である。
前回(10月14日)の原告7名の尋問に続いて、今回は6名の原告が証言する。午前中に2名、午後4名の予定。いずれも卒業式・入学式における国歌斉唱時に起立斉唱しなかったとして、懲戒処分になった教員の方々。どうして起立できないのか、しなかったのか。起立斉唱は、自分の思想や教員としての良心にどのように抵触することになるのか。起立することの心の痛み。そして、起立しないことによる具体的な不利益の数々。
多くの教員が、真摯に教員としての職責を全うしようとの姿勢を貫こうとし、それゆえに日の丸・君が代強制を受け入れがたいという。
いうまでもなく、学校の主人公は生徒である。主人公たる生徒の権利を全うするために、教育を行う専門職としての教員がいて、教育行政が教育条件整備の義務を負う。ところが、公立校の卒業式を見れば視覚的に明らかとなる。学校の主人公とは、実は「日の丸・君が代が象徴する国家」なのだ。式典に参列する誰もが「日の丸」に敬礼する。国歌斉唱時には、全員が起立して「君が代」を斉唱しなければならない。
心ある教員は、唯々諾々とこれを受け容れることが出来ない。このハタ、このウタは、かつては神権天皇制政府のシンボルであり、侵略戦争と植民地支配のシンボルでもあった。それはとりもなおさず、忠良なる臣民を育成する軍国主義教育のシンボルではないか。これに敬意を表することを強制する教育に加担することはできない。教育者としてのあり方を真摯に追及すれば、「40秒間だけ黙って我慢してやり過ごせばよい」とは考えることができない。このような都教委のやり方や、全国的なの教育統制の流れに異議を申し立て、できればそのような流れを押しとどめたい。こうして、処分覚悟で不起立という教員が少なからず存在するのだ。
注目すべきは、この日(11月11日)証言予定の原告6名のうち、2人が信仰者(いずれもキリスト教徒)であることだ。信仰者であることを公表し、起立できない理由として自らの信仰との抵触を挙げている。
我が国の支配者は、踏み絵(正確には絵踏み)という禍々しい宗教弾圧の手法を発明したことで、世界に名高い。キリスト教徒をあぶり出すために、信仰者にとっての聖なる絵を踏めと命じるのだ。「踏み絵」を前に信仰者は悩むことになる。「聖なる絵を踏むことは、信仰者としてあるまじき恥ずべきこと」。しかし「信仰を貫いて、聖なる絵を踏むことを拒否すれば、拷問による死を覚悟しなければならない」。「棄教か、死か」という、いずれにしても受け入れがたい結果をもたらすものが、踏み絵であった。
私は、「10・23通達」による「日の丸・君が代強制」は、現代の踏み絵だとの思いを強くしている。信仰者にとって、国家神道のシンボルであった日の丸・君が代への敬意表明のために、「起立斉唱することは、信仰者としてあってはならない恥ずべきこと」なのだ。しかし「信仰を貫いて、起立斉唱を拒否すれば、懲戒処分や生涯賃金の減額を覚悟しなければならない」。どちらも、「信仰を貫くために高い代償を甘受しなければならない」という点で共通している。
「思想・良心の自由についての保障」や、「教員としての責務」は、なかなか理解に難しいが、宗教弾圧は、極めてわかりやすい。東京オリンピックを機に日本を訪問する外国人観光客が年間2000万人のペースだという。この人たちにも、訴えやすい。「東京は信仰の自由を認めない野蛮都市」であると。
法廷終了後に、下記の報告集会も用意されている。こちらにも是非参加されたい。
東京弁護士会 5階 502EF
名称:東京「君が代」裁判報告集会
(2016年11月4日)
ちょうど70年前の今日、1946年11月3日に「日本国憲法」が公布された。人間にたとえれば、今日が日本国憲法の誕生日であり、古稀の祝賀の日でもある。
誕生日は目出度い。日本国憲法に限りない祝福の意を表しよう。そして、古稀を寿ごう。日本国憲法の古稀は、格別の意味を持っていると思うからだ。
よく知られているとおり、この日の憲法公布は明治節(明治天皇・睦仁の誕生日)を特に選んでのもの。旧憲法が、紀元節(2月11日)を選んで公布された事情とさしたる違いはない。
70年前の今日、天皇裕仁は、午前8時50分宮中三殿において憲法公布を「皇祖皇宗」に「親告」し、次いで午前11時、国会議事堂貴族院本会議議場において、日本国憲法公布の勅語を読みあげた。その全文は以下のとおり。
「本日、日本國憲法を公布せしめた。
この憲法は、帝國憲法を全面的に改正したものであつて、國家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された國民の總意によつて確定されたものである。即ち、日本國民は、みづから進んで戰爭を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が實現することを念願し、常に基本的人權を尊重し、民主主義に基いて國政を運營することを、ここに、明らかに定めたものである。
朕は、國民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化國家を建設するやうに努めたいと思ふ。」
主権者に向かって、なんという上から目線の物言い。しかも、何とも歯切れの悪い文章。「国民主権」という言葉が出て来ない。「主権の存する国民」の言葉はなく、「天皇が国政に関する権能を失った」という宣言もない。「朕が、全力をあげ、この憲法を正しく運用するやうに努めたいと思ふ」のであれば、なすべきことは主権者たる国民に敬意を払うべきことであったろう。そして、その余のことには沈黙を守ることであったはず。
これに対する総理大臣吉田茂の「奉答文」も奇妙なものだった。
「まことにこの憲法は,民主主義に基いて国家を再建しやうとする日本国民の意によつて,確定されたものであります。そして,全世界に率先し,戦争を放棄することをその条項に明らかにしたことにつきまして,私どもは,かぎりない誇りと責務とを感ずるものでござゐます。」
この敬語の使い方は、天皇に向かっての語りかけを表している。それでも、その内容はここまでは良しとしよう。これに続く一文が、次のとおりまったくいけない。情けない。
「今後私どもは,全力をあげ,相携へて,聖旨に添ひ奉る覚悟でござゐます。」
なんということだ。ここに主権者としての矜持はなく、「臣・吉田茂」としてのおもねりがあるのみ。これが、国民を代表しての首相の発言なのだ。国民は、「臣民」から脱皮していなかったというべきだろう。
この日、午後2時より、皇居前で東京都主催による新憲法公布の祝賀会が開催され、天皇夫妻が参加、約10万人の民衆が参集した。翌日の各紙は、「群衆は両陛下の周りに殺到し、帰りの馬車は群衆の中を左右に迂回しつつ二重橋に向かった」と報じている。
こうして公布された日本国憲法には、前文の前に以下のとおりの「上諭」と御名御璽が付せられている。「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」というもの。
何とも珍妙な光景ではないか。また、何とも形容しがたいパラドックスではないか。徹底した国民主権原理に基づく日本国憲法が、天皇主権の帝国憲法第73条による改正手続として行われたのだ。昨日までは主権者であり、神聖な現人神でさえあった天皇が、「ここにこれを公布せしめる。」と国民主権憲法を裁可し、主権者の代表であるはずの内閣総理大臣が「私どもは,全力をあげ,聖旨に添ひ奉る覚悟でござゐます。」と奉答している。そして、民衆は、天皇を糾弾するでもなく、戦争責任を追及するでもなく、天皇の馬車の周囲に蝟集している。これが、70年前の現実であった。
人民が勝ち取った憲法制定権力が日本国憲法を確定したとは言いがたい。しかし、旧天皇制権力もこの憲法を拒否するだけの力量を持っていなかった。それゆえの、70年前の11月3日における天皇と首相と群衆の珍妙な光景だったといえよう。
当時、日本国憲法が、人類普遍の原理に基づいた民主々義憲法として定着するか、それとも日本固有の歴史・伝統・文化にそぐわない借り物として廃棄されることになるか、憲法公布の日には定まってはいなかった。この、混沌とした憲法の運命を確固たるものとしたのは、ひとえに国民の憲法意識と憲法運動とであった。
あらためていうまでもないことだが、この国の保守政権や政権を支えた財界は日本国憲法を桎梏と認識し続けてきた。冷戦の本格化とともにアメリカの態度も豹変した。日米両政府が改憲勢力となったのだ。日本国民はこれに抵抗し続けた。奪われそうになった憲法を、これまで70年間守り抜いた結果としての日本国憲法の古稀である。
あれから70年。国民自身が、憲法を日々選びとってきた歴史に誇りをもってよい。今日まで一度の改憲も許さず、憲法を国民自身のものとして定着させてきたのだ。だから、日本国憲法の古稀は格別の意味を持ち、今日は特別の祝意を述べるべき日なのだ。
佐藤功の「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」は至言である。「憲法が国民を守る」からこそ、国民にとって守るに値する日本国憲法なのだ。だから「国民が憲法を守ってきた」。そのような憲法擁護の運動の始まりの日が70年前の今日である。今も続く、改憲対護憲のせめぎあいである。
70年前に、「聖旨に添ひ奉る」と言った為政者の民主々義感覚はほとんどそのままである。支配の道具としての天皇制の利便を捨てようとはしない。平和主義は明らかに後退している。また、国民の憲法意識も盤石ではない。70年前に天皇を囲んだ群衆の末裔の一定部分は、今なお、「陛下、おいたわしや」と言い続けている。
せめぎあいが厳しいだけに、古稀を寿ぎたい。日本国憲法にこそ、「千代に八千代に苔のむすまで」変わらずにあって欲しいと思う。ますます壮健な日本国憲法の喜寿も米寿も見たいものと思う。そして、遅くも白寿のころには、天皇制を廃止して徹底した民主々義を実現するとともに、形式的な平等ではなく実質的な平等を国民に保障し、この国に住むすべての人に無償の医療や教育を給付する理想の憲法に発展していることを願う。
改めて日本国憲法憲法の理念を確認するとともに、これを堅持する決意を固めたいと思う。
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NHK経営委員会宛ネット署名(11月4日締切り)のお願いー「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求めます」
NHK経営委員会 御中
来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員会は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。
私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。
籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。
次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。
1. 公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3. 会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会内に設置すること
署名数はもう一押しで3万に到達します。
詳細は以下を参照ください。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nhk-1e91-1.html(注)紙の署名用紙はこちら→http://bit.ly/2aVfpfH(注)この署名運動についてのお問い合わせは
メール:kanjin21menso@yahoo.co.jp または、
お急ぎの場合は 070-4326-2199 (10時?20時受付)までお願いします。
(注)以下のネット署名でNHK経営委員会に提出する名簿にはメールアドレス以外の項目すべてが記載されます。ネット上に集計結果を公開するときは「お名前」「お住まい(市区町村名)」は削除します。
→ 集計結果の公開URLは https://goo.gl/GWGnYc
*署名の第3次集約は11月4日(金)です。
11月7日、NHKに提出予定です。
(2016年11月3日)
10月27日、三笠宮が亡くなった。もうすぐ葬儀が始まる。
没後、メディアはこの人の人生について相当量の情報を提供した。準備があったということだ。色川大吉や中根千枝らと親しい間柄とは知らなかった。宮地正人や樋口陽一らと座談会も行っているという。
新聞論調は、挙げて「リベラルで飾らぬ人柄」を偲ぶという内容。「戦争への反省を貫いた皇族」「皇族でありながら紀元節復活に反対した理性の人」という描き方。
三笠宮個人史にさしたる関心はないが、「リベラルな皇族」というメディアの描き方が国民意識に及ぼす影響には大いに関心をもたざるを得ない。ことは、象徴天皇制をどう構想し、現在の皇室のあり方をどう評価するかに関わる問題なのだから。
10月28日東京新聞の社説がひとつの典型であろう。
故人を「国民に親しみやすくも、信念の人だったに違いない。」と言っておいて、こう続ける。
「天皇や皇族のお立場をひと言で言い表すのは難しい。しかし、戦後の皇室の在り方を振り返ると、国民とともに歩み、国民に寄り添う存在であってほしいというのが国民の願いであり、皇室自身も目指してきた姿ではなかろうか。
つい先ごろ、天皇陛下が生前退位を望まれ、ビデオメッセージで静かに、また力強く、その胸中と意思を述べられたのは記憶に鮮やかであり、陛下の人間としての魅力と存在感に、聞く者は深く胸打たれもした。」
「三笠宮さまの率直な発言や親しみにあふれた行動を振り返る時、そこに皇室・皇族のひとつの理想像を思い浮かべてもいい。」
東京新聞のリベラルってこんなものだったのか。心底落胆するほかはない。
「陛下の人間としての魅力と存在感に、聞く者は深く胸打たれもした。」などという気恥ずかしい文章は、ジャーナリストの筆になるものとは思えない。「陛下」とは、どこかの「教祖」か「敬愛する将軍様」並みの扱いではないか。形を変えた、臣民根性丸出しというほかはない。三笠宮個人の好感度が、天皇制支持への国民意識の動員に、最大限利用されているのだ。
三笠宮の好感度の根拠となる生前語録は各紙が紹介している。たとえば…。
戦時中に支那派遣軍総司令部で行った彼の講話の原稿「支那事変に対する日本人としての内省」が残されているという。「中国の抗戦長期化の原因に挙げられているのは、日本人の『侵略搾取思想』や『侮華(ぶか)思想』であり、また抗日宣伝を裏付けるような『日本軍の暴虐行為』などなどだった。後に司令部はこの印刷原稿を『危険文書』とみなし、没収・廃棄処分にしたといわれる」(毎日・余録)
「帝王と墓と民衆」という著書中の「わが思い出の記」に以下の印象的な一文があるそうだ。
「(敗戦、戦争裁判という)悲劇のさなかに、かえってわたくしは、それまでの不自然きわまる皇室制度――もしも率直に言わしていただけるなら、『格子なき牢獄』―から解放されたのである」(朝日)
皇族が、皇室制度を「不自然きわまる」とし、「格子なき牢獄」とまで言ったのだ。もっとも、これは戦前の制度に関してのことだが、戦後「不自然きわまる格子なき牢獄」は本当になくなったか。囚人は解放されたのだろうか。
「昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあったのである」(「紀元節についての私の信念」文芸春秋59年1月号)
これも、朝日が紹介している。「架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあった」というのは、この人が言えばこその重みがある。
制度と人とは分かちがたく結びつき、人の評価が制度を美化し、制度の肯定評価に重なるおそれを払拭しがたい。伝えられる限りでは、個人としての三笠宮の好感度は皇族の中では抜群のものだろうが、それだけに、これを天皇制の肯定評価に結びつけようという動きにこそ警戒しなければならないと思う。
(2016年11月2日)
東京「君が代裁判」弁護団会議の都度、議論が繰り返される。入学式・卒業式での国旗国歌強制を違憲とは言えないとする最高裁判決の論理を覆すヒントがほしい。裁判官に頭を切り換えてもらう法律分野以外での学問的成果の教示を得たい。
我々の前に立ちはだかっている最高裁判決の「壁」となっているのは、次の文章である。
「本件各職務命令の発出当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての『日の丸』の掲揚及び国歌としての『君が代』の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人らに対して上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
また,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件各職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件各職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」(2011年6月6日第一小法廷)
もっとも、このあとには最高裁の弁明めいた文章が続き、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」とは言うのだ。しかし、飽くまで、「(国旗国歌に対する起立斉唱を強制する)本件各職務命令は,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできない」という原則が後生大事に貫かれている。
最高裁の「論理」におけるキーワードは、「儀式的行事」における「儀礼的所作」である。最高裁は、入学式・卒業式を「儀式的行事」と言い、その式次第の中の国歌斉唱を「(慣例上の)儀礼的所作」という。最高裁は、何の説明もないまま、自明のこととして、「『儀式的行事』における『儀礼的所作』」だから、思想・信条とは無関係だという。最高裁の言葉をそのまま使えば、「学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものである。したがって,国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,各教員の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえ(ない)」というのだ。
この最高裁の「論理」は、「儀式的行事」「儀礼的所作」という必ずしも明確ではない概念を介在させることによって、学校儀式での日の丸・君が代強制を、思想・良心の問題と切離そうというものである。
「日の丸」と「君が代」。そのいずれも、歴史的な負の遺産としての側面を否定しようのない存在である。また、国旗国歌(国家象徴)としては、その取り扱いにおいて、個人と国家との関係についての価値観が直截に表現されるものでもある。「日の丸」と「君が代」、これほど歴史観、国家観に関わるシンボルはない。この歌や旗にどう向かい合うかが、思想・良心に無関係なはずはない。
ところが、最高裁は、「日の丸に向かって起立し君が代を斉唱する行為」と、日の丸・君が代が象徴した「天皇制国家の侵略戦争・植民地支配・国家主義・軍国主義・人権否定・差別肯定等々の負の側面」(負とは、日本国憲法の理念に相反することをいう)とを切り離したのだ。その道具が、両者に介在させられた「儀式的行事」と「儀礼的所作」のキーワードである。
さすがの最高裁も直接に「国旗国歌(日の丸・君が代)の強制は、思想良心に無関係」とは言えない。そこで持ち出された策が、こういう「論理」だ。「日の丸・君が代への起立斉唱は『儀式的行事における儀礼的所作』に過ぎない」。「『儀式的行事における儀礼的所作』であるから思想良心には無関係」「だから、『儀式的行事における儀礼的所作』に過ぎない日の丸・君が代を強制しても、思想・良心を侵害したことにはならない」
このような最高裁の「論理」は、到底理性ある国民を納得させるものではありえない。
この論理の核心をなすものは、『儀式的行事における儀礼的所作だから、特定の思想や良心(歴史観ないし世界観)を否定することと不可分に結び付くものとはいえ(ない)」という部分である。「儀式的行事における儀礼的所作だから思想的には無色」というドグマ。これを徹底して批判しなければならない。
私は、「儀式的行事における儀礼的所作」とは、世俗性よりは宗教性に馴染むものと思う。著名な宗教学者の示唆によってこのことを確信するようになった。儀式・儀礼は宗教行事の重要な要素である。儀式の参加者総員が、日の丸に向かって起立し君が代を斉唱する図は、まさしく「宗教儀式における各信仰者の宗教儀礼たる所作」である。
また、問題はさらに根深い。仮に、国家神道のシンボルであった「日の丸・君が代」の宗教性が客観的に払拭されているにせよ、問題は幾つも残ることになる。
まず、日の丸・君が代の強制を自己の信仰に対する侵害と観念し、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」という憲法20条2項の抵触が生じる。
また、宗教儀式や儀礼の強制(あるいは禁止)が、なぜ個人の信仰や宗教上の信念を侵害するものとされているかを把握しなければならない。特定の宗教における儀式や儀礼という身体的な所作と、その宗教の教義や帰依の信念とが、密接に結びついているからである。
ことは、20条の信仰の自由にとどまらない。19条が保障の対象としている思想・良心の自由においても同様に身体的な強制(禁止)が思想良心を直接に侵害することになる。むしろ、思想・良心に反する行為の強制こそは、思想・良心に対する侵害の典型的なあり方というべきなのである。
その意味では、国家神道(天皇教)を国教とした旧憲法時代には、権力が宗教の自由を徹底して抑圧しただけでなく、宗教に無関係な世俗的思想・良心も徹底して押さえ込んだ。
その明治維新を準備した思想の源流として著名なものが水戸学、とりわけ尊皇攘夷思想の代表作といわれる会沢正志斉の「新論」であるという。
「『新論』は、対外関係の切迫のもとで国体論による人心統合の必要を強調し、そのための具体的方策を国家的規模での祭祀に求め、祭・政・教の一体化を主張した。『億兆心を一にして』というような用語法や忠孝一致の主張にもあらわれているように、のちの教育勅語や修身教育の淵源となる性格の強い書物である。ところで、『新論』がこうした人心統合に対立させているのは『邪説の害』であるが、それはより具体的には、さまざまの淫祀、邪教、キリスト教なども含めた、ひろい意味での宗教のことにほかならない。」(安丸良夫「神々の明治維新」岩波新書)という。
「新論」以来、国体論による人心統合の必要が強調されていたのだ。これを採用した天皇制政府は、具体的方策を「国家的規模での国家神道祭祀に求め」た。ここでは、「祭・政・教の一体化」がはかられたのだ。「祭」は宗教的儀礼で、「政」が軍事を含む政治、「教」は天皇を神とする信仰を意味するものだろう。教育の場と軍隊で、その浸透がはかられた。
ここから、過日伺った宗教学者の説示とつながる。私が理解した限りでのことだから、正確性は期しがたいことを、再度お断りしておく。
「文科省の調査で、卒業式に国旗国歌を持ち込んでいるのは、中国と韓国と日本だけ。これは東アジア文化圏特有の現象。儒教文化の影響と考えてよい。
儒教の宗教性をめぐっては肯定説・否定説の論争があるが、儒教の中心をなす概念「孝」とは直接の親を対象とするものではなく祖先崇拝のことで、祖先の霊を神聖なものとして祀るのだから宗教性を認めるべきだろう。
その儒教では、天と一体をなす国家を聖なるものとみる。国家は宗教性をもつ神聖国家なのだから、国旗を掲げて国歌を奏することは、神聖国家の宗教儀式にほかならない。これが、中国の影響下の儒教文化圏の諸国だけで、教育現場に国旗国歌が持ち込まれる理由だと思われる。
宗教には、幾つかのファクターがある。「律法・戒律」「教義」「帰依の信念」などとならんで、「儀礼」は重要なファクターである。祭りという神事も典型的な儀式・儀礼であって、神道は儀礼を重視する宗教である。儀礼だから宗教性がない、などとは言えない。
儀礼には宗教的なものと世俗的なものがあり、その境界は微妙である。ハーバート・フィンガレットという宗教学者が、直訳すれば「孔子ー世俗と聖」という書物を著している。邦訳では、「孔子 聖としての世俗者」となっているようだ。この書に、儒教における神聖な国家像が描かれている。
日の丸・君が代の強制は、儒教圏文化の所産である神権的天皇制国家の制度として作られた儀礼。とりわけ、参列者が声を合わせて一斉に聖なる国家を讃えて唱うという行為は宗教儀式性が高い。同調して唱うことに抑圧を感じる人にまで強制することが神聖国家を支える重要なシステムとなっている。
明治維新を準備した思想の柱は、国学ではなく儒学だと考えられる。その中でも水戸学といわれるもの、典型は会沢正志斎の「新論」だが、ここで國體が語られている。國體とは神なる天皇を戴く神聖国家思想にほかならない。これが、明治体制の学校教育と軍隊内教育のバックボーンとなった。戦後なお、今もこれが尾を引きずっているということだ。」
さらに伺いたいのは、宗教儀式や「儀礼」がどのように「教義」や「信念」と結びついているのか。身体性や共同性のもつ信仰への関わりである。そして、他の信仰を持つ者、信仰を持たない者に対する「儀礼」の強制がいかなる心理的な葛藤をもたらすことになるのか。さらには、その「儀礼」強制による軋轢や葛藤の構造は、宗教を離れた思想や信念に関しても、同じものと言えるのではないのだろうか。
ここまで聞ければ、これをどう咀嚼し肉付けして、憲法論とし、裁判所を説得する論理として具体的に使えるものとするか。それが、私たち実務法律家の仕事になる。これが成功すれば、最高裁判例の「論理」の土台を掘り崩すことができるのではないだろうか。
(2016年11月1日)