日の丸・君が代強制から見えてくる神聖国家の思想(再論)
東京「君が代裁判」弁護団会議の都度、議論が繰り返される。入学式・卒業式での国旗国歌強制を違憲とは言えないとする最高裁判決の論理を覆すヒントがほしい。裁判官に頭を切り換えてもらう法律分野以外での学問的成果の教示を得たい。
我々の前に立ちはだかっている最高裁判決の「壁」となっているのは、次の文章である。
「本件各職務命令の発出当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての『日の丸』の掲揚及び国歌としての『君が代』の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人らに対して上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
また,上記国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見ても,特定の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件各職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件各職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」(2011年6月6日第一小法廷)
もっとも、このあとには最高裁の弁明めいた文章が続き、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」とは言うのだ。しかし、飽くまで、「(国旗国歌に対する起立斉唱を強制する)本件各職務命令は,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできない」という原則が後生大事に貫かれている。
最高裁の「論理」におけるキーワードは、「儀式的行事」における「儀礼的所作」である。最高裁は、入学式・卒業式を「儀式的行事」と言い、その式次第の中の国歌斉唱を「(慣例上の)儀礼的所作」という。最高裁は、何の説明もないまま、自明のこととして、「『儀式的行事』における『儀礼的所作』」だから、思想・信条とは無関係だという。最高裁の言葉をそのまま使えば、「学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものである。したがって,国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,各教員の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえ(ない)」というのだ。
この最高裁の「論理」は、「儀式的行事」「儀礼的所作」という必ずしも明確ではない概念を介在させることによって、学校儀式での日の丸・君が代強制を、思想・良心の問題と切離そうというものである。
「日の丸」と「君が代」。そのいずれも、歴史的な負の遺産としての側面を否定しようのない存在である。また、国旗国歌(国家象徴)としては、その取り扱いにおいて、個人と国家との関係についての価値観が直截に表現されるものでもある。「日の丸」と「君が代」、これほど歴史観、国家観に関わるシンボルはない。この歌や旗にどう向かい合うかが、思想・良心に無関係なはずはない。
ところが、最高裁は、「日の丸に向かって起立し君が代を斉唱する行為」と、日の丸・君が代が象徴した「天皇制国家の侵略戦争・植民地支配・国家主義・軍国主義・人権否定・差別肯定等々の負の側面」(負とは、日本国憲法の理念に相反することをいう)とを切り離したのだ。その道具が、両者に介在させられた「儀式的行事」と「儀礼的所作」のキーワードである。
さすがの最高裁も直接に「国旗国歌(日の丸・君が代)の強制は、思想良心に無関係」とは言えない。そこで持ち出された策が、こういう「論理」だ。「日の丸・君が代への起立斉唱は『儀式的行事における儀礼的所作』に過ぎない」。「『儀式的行事における儀礼的所作』であるから思想良心には無関係」「だから、『儀式的行事における儀礼的所作』に過ぎない日の丸・君が代を強制しても、思想・良心を侵害したことにはならない」
このような最高裁の「論理」は、到底理性ある国民を納得させるものではありえない。
この論理の核心をなすものは、『儀式的行事における儀礼的所作だから、特定の思想や良心(歴史観ないし世界観)を否定することと不可分に結び付くものとはいえ(ない)」という部分である。「儀式的行事における儀礼的所作だから思想的には無色」というドグマ。これを徹底して批判しなければならない。
私は、「儀式的行事における儀礼的所作」とは、世俗性よりは宗教性に馴染むものと思う。著名な宗教学者の示唆によってこのことを確信するようになった。儀式・儀礼は宗教行事の重要な要素である。儀式の参加者総員が、日の丸に向かって起立し君が代を斉唱する図は、まさしく「宗教儀式における各信仰者の宗教儀礼たる所作」である。
また、問題はさらに根深い。仮に、国家神道のシンボルであった「日の丸・君が代」の宗教性が客観的に払拭されているにせよ、問題は幾つも残ることになる。
まず、日の丸・君が代の強制を自己の信仰に対する侵害と観念し、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」という憲法20条2項の抵触が生じる。
また、宗教儀式や儀礼の強制(あるいは禁止)が、なぜ個人の信仰や宗教上の信念を侵害するものとされているかを把握しなければならない。特定の宗教における儀式や儀礼という身体的な所作と、その宗教の教義や帰依の信念とが、密接に結びついているからである。
ことは、20条の信仰の自由にとどまらない。19条が保障の対象としている思想・良心の自由においても同様に身体的な強制(禁止)が思想良心を直接に侵害することになる。むしろ、思想・良心に反する行為の強制こそは、思想・良心に対する侵害の典型的なあり方というべきなのである。
その意味では、国家神道(天皇教)を国教とした旧憲法時代には、権力が宗教の自由を徹底して抑圧しただけでなく、宗教に無関係な世俗的思想・良心も徹底して押さえ込んだ。
その明治維新を準備した思想の源流として著名なものが水戸学、とりわけ尊皇攘夷思想の代表作といわれる会沢正志斉の「新論」であるという。
「『新論』は、対外関係の切迫のもとで国体論による人心統合の必要を強調し、そのための具体的方策を国家的規模での祭祀に求め、祭・政・教の一体化を主張した。『億兆心を一にして』というような用語法や忠孝一致の主張にもあらわれているように、のちの教育勅語や修身教育の淵源となる性格の強い書物である。ところで、『新論』がこうした人心統合に対立させているのは『邪説の害』であるが、それはより具体的には、さまざまの淫祀、邪教、キリスト教なども含めた、ひろい意味での宗教のことにほかならない。」(安丸良夫「神々の明治維新」岩波新書)という。
「新論」以来、国体論による人心統合の必要が強調されていたのだ。これを採用した天皇制政府は、具体的方策を「国家的規模での国家神道祭祀に求め」た。ここでは、「祭・政・教の一体化」がはかられたのだ。「祭」は宗教的儀礼で、「政」が軍事を含む政治、「教」は天皇を神とする信仰を意味するものだろう。教育の場と軍隊で、その浸透がはかられた。
ここから、過日伺った宗教学者の説示とつながる。私が理解した限りでのことだから、正確性は期しがたいことを、再度お断りしておく。
「文科省の調査で、卒業式に国旗国歌を持ち込んでいるのは、中国と韓国と日本だけ。これは東アジア文化圏特有の現象。儒教文化の影響と考えてよい。
儒教の宗教性をめぐっては肯定説・否定説の論争があるが、儒教の中心をなす概念「孝」とは直接の親を対象とするものではなく祖先崇拝のことで、祖先の霊を神聖なものとして祀るのだから宗教性を認めるべきだろう。
その儒教では、天と一体をなす国家を聖なるものとみる。国家は宗教性をもつ神聖国家なのだから、国旗を掲げて国歌を奏することは、神聖国家の宗教儀式にほかならない。これが、中国の影響下の儒教文化圏の諸国だけで、教育現場に国旗国歌が持ち込まれる理由だと思われる。
宗教には、幾つかのファクターがある。「律法・戒律」「教義」「帰依の信念」などとならんで、「儀礼」は重要なファクターである。祭りという神事も典型的な儀式・儀礼であって、神道は儀礼を重視する宗教である。儀礼だから宗教性がない、などとは言えない。
儀礼には宗教的なものと世俗的なものがあり、その境界は微妙である。ハーバート・フィンガレットという宗教学者が、直訳すれば「孔子ー世俗と聖」という書物を著している。邦訳では、「孔子 聖としての世俗者」となっているようだ。この書に、儒教における神聖な国家像が描かれている。
日の丸・君が代の強制は、儒教圏文化の所産である神権的天皇制国家の制度として作られた儀礼。とりわけ、参列者が声を合わせて一斉に聖なる国家を讃えて唱うという行為は宗教儀式性が高い。同調して唱うことに抑圧を感じる人にまで強制することが神聖国家を支える重要なシステムとなっている。
明治維新を準備した思想の柱は、国学ではなく儒学だと考えられる。その中でも水戸学といわれるもの、典型は会沢正志斎の「新論」だが、ここで國體が語られている。國體とは神なる天皇を戴く神聖国家思想にほかならない。これが、明治体制の学校教育と軍隊内教育のバックボーンとなった。戦後なお、今もこれが尾を引きずっているということだ。」
さらに伺いたいのは、宗教儀式や「儀礼」がどのように「教義」や「信念」と結びついているのか。身体性や共同性のもつ信仰への関わりである。そして、他の信仰を持つ者、信仰を持たない者に対する「儀礼」の強制がいかなる心理的な葛藤をもたらすことになるのか。さらには、その「儀礼」強制による軋轢や葛藤の構造は、宗教を離れた思想や信念に関しても、同じものと言えるのではないのだろうか。
ここまで聞ければ、これをどう咀嚼し肉付けして、憲法論とし、裁判所を説得する論理として具体的に使えるものとするか。それが、私たち実務法律家の仕事になる。これが成功すれば、最高裁判例の「論理」の土台を掘り崩すことができるのではないだろうか。
(2016年11月1日)