本日(1月21日)のNHK「日曜討論」は、「明日から通常国会 与野党論戦の焦点は」というタイトル。その番組紹介は次のとおり。
「通常国会が22日に召集され、論戦が始まります。各党は国会審議で何を訴えるのか? 予算案の評価は? 働き方改革は? そして憲法をめぐる議論は? 与野党の幹部が討論します。」
今次通常国会最大のテーマは、アベ改憲発議の有無とその内容だ。自民党は、国民に向かって、説得的に改憲案の内容と必要性を説明しなければならないが、改憲案の必要性を説得的に説明するなどは無理筋の話し。
NHKオンライン(NHKの公式ホームページ)によれば、本日の「日曜討論」では、「憲法改正について、自民党は自衛隊の存在を明記すべきだとして、3月の党大会までに党としての方針をまとめたいとしたのに対し、立憲民主党などは9条の改正には反対する考えを強調しました。」と述べている。
討論における各党の発言を眺めておこう。
自民党の柴山筆頭副幹事長は
「憲法学者の多くは、まだ、自衛隊は違憲だということを言っているので、混乱をなくすために自衛隊を明記することを、しっかりと進めていくべきだ。党大会がある3月の終わりには党の方針をなんとかまとめる方向で進めていけたらいい。与野党が衆参の憲法審査会でそれぞれの考え方を戦わせ、一定の方向性が見られればベストだ」
と述べたという。
「憲法学者の圧倒的多数が、自衛隊は違憲だと言っている」という自民党の認識は正確で、まことにそのとおりだ。しかも、それは今に始まったことではない。憲法学者に限らず、日本語をまともに読む能力のある者が憲法を素直に読んで、自衛隊の実態と照らし合わせれば、「正気の日本人の圧倒的多数が、自衛隊は違憲」だと判断するだろう。
だから、本来は憲法という規範に照らして、「違憲の自衛隊をなくす」「あるいは、縮小する」ことが正しい。少なくとも、これ以上は自衛隊を増強しないよう心がけなければならない。にもかかわらず、「混乱をなくすために自衛隊を明記することを、しっかりと進めていくべきだ」とは、「違憲の事実が明らかなようだから、憲法の方を変えてしまえ」ということではないか。何とご無体な。これが、自民党の憲法観。これでは何のための憲法か、存在の意味がなくなる。
公明党の斉藤幹事長代行はこうだという。
「憲法改正で最も大切なのは、やはり幅広い合意だ。衆議院、参議院それぞれで3分の2以上の賛成を得て、そのうえで国民投票にかけるので、国論を二分しない幅広い国民合意を作り上げていく姿勢こそ、今、われわれ国会に求められていると思う」
アベ自民よりよっぽど理性的で、真っ当な姿勢ではないか。もっとも、これまで何度も経験していることだが、いつの間にか大事なところで、自民党に擦り寄り屈服して変節する「下駄の雪」体質が、この党の政権にとっての利用価値。前回総選挙での国民の批判が骨身に応えているうちは、軽々にアベ自民の改憲策動に擦り寄ることはできまい。
立憲民主党の長妻代表代行は
「安倍総理大臣は、9条について『自衛隊を書き込んだとしても一切、武力行使の限界は変わらない』と言っているが、2項を削らずに自衛隊を明記しても違憲の議論は消えないので、説明自体が間違っている」
と述べたという。「9条2項を削らずに自衛隊を明記しても違憲の議論は消えない」はそのとおりだろうが、全体として、えらく理論的に難しいことをおっしゃる。もう少し、端的に分かり易くできないだろうか。
希望の党の岸本幹事長代理は
「安倍総理大臣は『9条に自衛隊を書き込んでも何も変わらない』と言っており、立法事実がない。立法事実がない改正はありえず、安倍総理大臣が言う9条改正には反対だ。議論はするが優先順位は相当、後ろにくる。期限を切る必要は全くない」と述べたという。
希望の党のこの発言はまことに興味深い。これまで、小池百合子党と見られたことが裏目に出て、権力に擦り寄る姿勢を批判されたことが堪えているのだ。右転落は、実は大きく支持を失うということ。この発言を読む限り、立派なものではないか。
民進党の川合幹事長代理は、
「9条の改正について、少なくとも、『国民の多くは安倍政権下で憲法改正することを望んでいない』という世論調査の結果も出ている。国民が望んでいないことに政府や政治が血道を上げ、発議を無理やり行うことが果たして適切なのか」
と述べたという。
「国民が望んでいないことに政府や政治が血道を上げ、発議を無理やり行うことが果たして適切なのか」は、まったくそのとおりだ。アベ政権の改憲路線に対峙する立場を明示するところなくては野党としての存在の意味はない。
共産党の小池書記局長は、
「自衛隊が書き込まれれば9条の1項と2項は死文化し、何の制約もなく海外で武力行使ができるようになる。憲法の不戦の概念が根本的に変わる。市民と力を合わせて絶対に発議を許さない」
と述べたという。
「自衛隊が書き込まれれば9条の1項と2項は死文化する」「憲法の不戦の概念が根本的に変わる」は、あり得ることだろう。「後法は前法を破る」のが原則なのだから。「市民と力を合わせて絶対に発議を許さない」には賛同する。
日本維新の会の馬場幹事長は、
「『9条が改正されれば戦争に巻き込まれるのではないか』という漠然とした不安を持つ人がいるが、根本的な原因は安全保障法制にあり、存立危機事態の中身を絞り込むべきだ」
と述べたという。
いかにも、獅子に対する狐の論理。「存立危機事態の中身を絞り込むこと」で、9条改憲に対する国民の不安を払拭しようというのが維新案。「一応9条改憲反対派」という立場。
自由党の森幹事長代理は、
「国家の私物化が強く疑われている安倍総理大臣が、権力を抑制する憲法の改正を提唱していくことに国民は怒らなければならない」
と述べたという。
各論における批判では、全面的な批判たりえず時間も足りない。ズバリと、核心を衝いたアベ政治への基底的な批判。そのとおりではないか。
社民党の又市幹事長は
「9条2項の戦力の放棄、交戦権の否認を有名無実化しようという狙いがあって、やろうとしているのは明らかだ」
と述べたとのこと。まったくそのとおりではないか。
9条改憲を狙っているのはアベ自民だけ。アベ自民の改憲提案は明らかに孤立している。アベ自民をさらに孤立させよう。たとえ保守でも真っ当な保守は9条改憲など主張してはいない。アベ君、もうキミの出番はない。アベ自民に引導を渡そう。
(2018年1月21日)
本日(1月20日)午後、上智大学文学部新聞学科の田島泰彦教授の最終講義。同大学12号館102教室は、学内外の受講者で満席だった。
田島教授は、1952年埼玉県秩父市生まれ。上智大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程単位取得満期退学(指導教授:浦田賢治)。神奈川大学を経て、1999年4月より現職とのこと。専攻は、メディア法。表現の自由や報道の自由、メディアの自由と市民の人権などを研究され、活発に社会に向けての発言をしてこられた。個人的には、DHCスラップ訴訟でご支援いただいている。
本日の講義は、「表現の自由とメディアはどこに向かうのか」。表現の自由に対する権力的規制に着目した論述となった。以下、その概要。
柱建ては次の3項目。
1 表現の自由規制は、今どこまで来ているのか。
2 その規制は、今後どこまで及んでいくのか。
3 表現の自由規制の中にあって、メディアの役割と課題は何か。
そして、「おわりに 市民はどうするか」でまとめられている。
1 表現の自由規制は、今どこまで来ているのか。
☆今の規制は2012年総選挙での第2次安倍政権誕生以降に急展開している。
しかし、それ以前民主党政権時代に問題がなかったわけではない。たとえば、「メディア規制3法」の提案が先行して物議を醸しているる。「個人情報保護法(成立)」「人権擁護法案(撤回)」「青少年有害社会環境対策規制法案(断念)」など、市民の自由や人権よりも、有事への備えやテロ対策が優先されてもやむをえないという雰囲気の醸成がなされた。
☆安倍第2次内閣の下、2013年以後今日まで情報の統制が進展してきた。
それは、「権力による情報の独占と統制」と定式化できる。
・03年の特定秘密保護法は、公的情報(防衛・外交等)の秘匿と漏示の禁圧
・同年の共通番号(マイナンバー)法は、個人情報の国家管理化である。
☆同時に市民監視が強化されてきた。
・権力による市民監視は、市民の発言に萎縮をもたらし、表現の自由を毀損する。
・監視カメラの増殖、盗聴法改悪による盗聴機会の拡大、マイナンバー法の施行。
・さらに、市民監視加速ツールとしての共謀罪法が成立し、市民間のコミュニケーションの自由に深刻な影響が出ている。
☆ここまで、情報は「お上」のものとして、市民からの取り上げが進行してきた。
2 その規制は、今後どこまで及んでいくのか。
☆表現の自由に対する権力からの規制は、より一層進むことになるだろう。
☆まず、権力による市民監視は次のような進展が予想される。
・盗聴の範囲の拡大 共謀罪の全277罪を対象範囲に拡大
・居住の室内に立ち入っての会話の盗聴が可能となる
・司法手続を介在しない「行政傍受」も可能となる。
・以上が、東京オリンピックにおけるテロ対策を口実に行われる危険がある。
・通信履歴保管の法的義務化。
・さらには、本格的な情報・諜報機関の創設も警戒しなければならない。
☆憲法改正による、表現の自由そのものの切り捨てが懸念される。
・12年自民党改憲草案は、21条2項で「公益・公序を害する結社の禁止」を明記。
・結局は「お上」が許容する範囲での「官製言論」だけが横行する社会に。
・「自衛隊加憲」も「国防軍創設」も、国防強化は表現の自由を圧迫する。
・国家や社会の安全安心という価値は、表現の自由と相容れない。
・今後、憲法改正を許せば際限なく表現の自由への規制が拡大していくことになる。
3 表現の自由規制の中にあって、メディアの役割と課題は何か。
☆本来、メディアは表現の自由規制の強化に対して、立場を超えて連帯し、市民と手を携えて、権力と格闘しなくてはならないはず。しかし、現実にはそれができていない。
☆こと表現の自由制約に関わる問題については、政治的立場の如何を問わず、共闘しなければならない。これは、ジャーナリズムにとって当然のこと。メディアが、ジャーナリズム本来の姿から乖離しつつあるのではないか。
☆権力からの要請に応えての取材の自主規制合意(イラク戦争時が典型)などは再検討しなければならない。
☆喫緊の課題として、国民投票法における「国民投票運動の自由」についての再検討が必要であろう。国民投票法では運動の自由の側面が強調されすぎた感があるが、自由だけでなく公正も重要な価値である。金のある側が、際限のないテレビコマーシャルの垂れ流しが可能では、公正な競争にはなりえない。
☆メデイアによる国民投票運動について、自主ルールの作成が必要となるだろう。
おわりに 市民はどうするか
☆メディアが対権力の関係で、表現の自由を守り抜けるか否か。それは最終的には市民の問題だ。市民が最終的な受益者でもあり、被害者にもなる。
表現の自由を支え、豊かにしていくのは、市民の活動にかかっている。
☆今や市民は単にメディアからの情報の受け手ではない。ネットの空間では、対権力の関係で、表現の自由を守り抜けるか否か。それは最終的には市民の問題だ。市民が最終的な受益者でもあり、被害者にもなる。
表現の自由を支え豊かにしていくのは市民自身であって、その活動にかかっている。
☆のみならず、市民自身も表現者となりつつある。とりわけネット空間においては、市民自身が情報の発信者となりつつある。市民は、知る権利を持つ者として間接的に表現の自由制約に関わるだけでなく、表現の自由行使の主体としても直接的に表現の自由制約に関わりつつある。
田島さんは、時間いっぱいに熱く語りかけた。教え子である多くの女子学生が、真剣にメモをとりながら受講していた。ここから、第一線のジャーナリストが輩出されるのかと思えば、日本のジャーナリズムの将来は悲観ばかりではない。そう思わせる、「最終講義」であった。
(2018年1月20日)
報道によると、「2017年12月6日、日本維新の会代表の松井一郎・大阪府知事が、新潟県の米山隆一知事に550万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した」。提訴の理由は、「大阪府立高の頭髪指導訴訟をめぐるツイッターの投稿(2017年10月29日)で名誉を傷つけられた」ということ。「本年1月18日、米山知事がこのことを自身のブログで公表した」という。
知事が知事を訴えたのだ。濫訴時代の到来を予感させる事態。そして、問題の名誉毀損言論は、ツィッターだ。いかにも、今日的なお膳立て。衆人環視の中での短い文章のやり取りが売り言葉に買い言葉となって、論争の舞台を裁判所に移したというわけだ。
この事件の原告となった松井知事は、1月18日大阪府庁で記者団の取材に応じ、提訴の事実を認めて、次のように語ったという。
「ツィッターで人を馬鹿にしたようなことを言うからね、彼(米山知事)も今はもう公人なんだから、公人として不特定多数の皆さんに事実でないことを掲げて、人を馬鹿にするということをやれば、それに対して、きちっと反省していただく。」
いささか軽すぎる印象ではあるが、原告松井側の言い分は、「被告米山が不特定多数に対して『事実でないことを掲げて』、人を馬鹿にした」ということだ。公然事実を摘示して、他人の名誉を毀損した、というわけだ。
これに対する被告米山側の反論は、次のとおりホームページに掲載されている。
?そもそも私のツイートが松井府知事に対するものだとの松井府知事の主張は誤読であり、私のツイートは松井府知事に対するものではなく、当然ながらその名誉を棄損するものではない。
?仮に私のツイートが松井府知事に対するものだと解する余地があるとしても、その後再三にわたってツイッター上でそうでない旨説明しており、既に誤読の余地はない。
?仮に私のツイッター上の説明をもってしてもなお、松井府知事の主張する誤読の通りだと解する余地があるとしても、その誤読自体松井府知事と日本維新の会に対する言論の自由の行使としての正当な論評であり不法行為に当たらない。
もっとも、これだけでは何のことだかよく分からない。
三浦瑠璃という人物(政治学者)のツィッター発言が先にあり、名誉毀損とされる米山ツィッターは三浦発言に対してなされた言論で、松井知事宛のものではない。
三浦発言の内容は、「大阪府立高3年の女子生徒が2017年、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らから指導されて精神的な苦痛を受けたとして、府を相手取り、約220万円の賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした」件について、被告大阪府を批判する立場からのものだった。
三浦のツイートは「まあどんな1984年に迷い込んだんだとおもうよね。私が公教育でときどき体験したあの感じを思いだす。支配への従順さを強要する態度。染める行為に従順さを見出し満足するという教師として最低の態度。」というもの。
これに対して、米山がこう呟いたのだ。
「因みにこの『高校』は大阪府立高校であり、その責任者は三浦さんの好きな維新の松井さんであり、異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景と随分似ていて、それが伝染している様にも見えるのですが、その辺全部スルー若しくはOKというのが興味深いです」
このツイートが、名誉毀損言論とされた。
三浦が、府立高教師の「支配への従順さを強要する態度」を不快とした発言に対して、米山が「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景」に似ていると軽く揶揄したもの。
このツイートに、松井が反応した。「米山君、いつ僕が異論を出した党員を叩き潰したの?君も公人なんだから、自身の発言には責任取る覚悟を持ってるでしょうね。いつ僕が異論を出したものに恭順を誓わせたのか説明して下さい。」と出てきた。
明らかに、松井は米山ツイート中の、「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」の主体を原告松井自身と判断してのこと。
これに、米山が弁明する。
「どこにも松井さんとは書いていないのですが…。文章上分かりづらかったなら恐縮ですが、状況上誰かは言わずもがな当然松井さんもご存知と思います。叩き潰していないという理屈は勿論言われるのでしょうが、あれだけ衆人環視で罵倒されれば、普通の人は異論は言えないと思います。違いますでしょうか?」
「状況上誰かは言わずもがな」とは、「松井さん、あなたを指しているのではなく、橋下徹さんのことだとお分かりでしょう」ということなのだ。「あれだけ衆人環視で罵倒されれば、普通の人は異論は言えないと思います。」とは、報道によってよく知られた事実を指している。「橋下氏は当時、衆院選直後に『衆院選総括と代表選なしに前に進めない』などとツイートした同党所属の丸山穂高衆院議員(大阪19区)と対立。『代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ!』とTwitter上で激しく反発していた。」ということ。
しかし、松井はこの弁明に納得しない。「話をすり替えるのはやめなさい。僕がいつ党員の意見を叩き潰したのか?恭順させたのか?答えなさい。」と言い募る。そして、もう一つが、「僕が『生徒指導は適法』としていると報道から把握しているとされていますが、何処の報道でしょうか?僕は生徒指導は適法なんて一言も言っておりません。」という点。
せっかく論戦の場ができているのだから、お互い言論の応酬を徹底すればよい。ところが、松井は言論戦継続ではなく、提訴を選んだ。この姿勢は残念というほかはない。
この点を米山は、
「私は、この様な訴訟は、憲法で保障された言論の自由(憲法21条)を強く委縮させ、事実上、松井府知事、松井府知事が代表を務めるおおさか維新の会、日本維新の会への正当な批判を極めて強く委縮させる効果があるものであり、訴訟それ自体の成否を度外視して批判を抑圧するためになされる所謂SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation:批判的言論威嚇目的訴訟)であるとの疑いを禁じえないとの念を抱いていることも、併せて申し上げさせて頂きます。」と言っている。
DHC・吉田嘉明からスラップ訴訟を起こされ、恫喝された私の経験から、松井の提訴をスラップという米山意見に賛同する。「批判的言論威嚇目的訴訟」というスラップの訳語もよくできていると思う。
この訴訟は、「公的立場にある者の、批判の言論に対する不寛容」という問題と把握するしかない。「今後容認し得ない私に対する批判には、誰であろうとも、遠慮なく訴訟を提起するぞ」という威嚇効果を持つからだ。
法律論としては、当該の言論が被告松井の社会的評価の低下をもたらしたものかがまず問題になる。この訴訟の判決は、この点を否定して棄却となる公算が高い。
名誉毀損、つまりは社会的な評価の低下の有無は、「一般読者の普通の注意と読み方」を基準として判断される。「原告松井の名誉が毀損された」は、米山の弁明も踏まえれば無理筋だと考えざるをえない。
仮に、原告松井側がこの点のハードルを越えたとしても、違法性阻却3要件(公共性・公益性・真実(相当)性)具備の判断がなされる可能性はきわめて高い。
実務上の問題点は、「名誉毀損表現が事実の摘示か、意見・論評か」ということとなる。
「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」は「一般読者の普通の注意と読み方」からすれば、直接的には維新の党への名誉毀損表現として原告松井に関連すると考えざるをえないが、否定し得ない前提事実を踏まえての「意見・論評」と解する以外にない。言うまでもなく、政党のあり方に対する批判の「意見・論評」は、高度に尊重されなければならない。
被告米山の側は、政党の党首であり大阪府の知事でもある公人松井についての批判受忍義務論を精力的に展開し、公人に対する政治的言論の自由を古典的に強調することになろうが、勝算十分と考えられるところ。
一方、原告松井の側が、どうしてかくも強気で提訴に及んだのか、理解に苦しまざるを得ない。が、所詮スラップ訴訟とはそのようなものなのだ。
このような「スラップ訴訟」が、早期の棄却判決で決着となるよう期待している。
(2018年1月19日)
あっ、これはすごい。これ、きっと古典になる。
毎日新聞・仲畑流万能川柳1月8日掲載の一句。
俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器 (東京 ホヤ栄一)
これが核大国のホンネだ。とりわけアメリカの。そしてトランプの。
多くの核非保有国が、こう言っている。これが世界の潮流だ。
世界中 みんな捨てよう 核兵器
ところが、核保有国はみんなこう言うのだ。
俺だけが 捨てたらヤバイ 核兵器
日本政府の立場はこうだ
持ちたいが 持つとはいえない 核兵器
揉み手して 入れてください 核の傘
トランプは、金正恩にこう言ってみろ。
俺捨てる きみも捨てろよ 核兵器
金正恩もトランプにこう言えないか。
約束だ 一緒に捨てよう 核兵器
核抑止力とはいったい何だろう。
参ったか 俺は持ってる 核兵器
参らない 俺も持ってる 核兵器
参ったか 俺の前には 核ボタン
きみよりも 俺のが大きい 核ボタン
俺だけが 持ってたはずだ 核兵器
おれ持てば 周りも持つのか 核兵器
どこよりも たくさん持つぞ 核兵器
恐いから 俺は捨てない 核兵器
持って不安 持たれて不安 核兵器
使えぬが 捨てるもできない 核兵器
実は、核兵器に限らない。通常兵器による防衛力一般が同じことなのだ。
俺は持つ きみは捨てろよ 軍事力
俺だけが 捨てたらヤバイ 軍事力
禁止され それでも持ってる 軍事力
俺捨てる きみも捨てろよ 軍事力
みんなして 一緒に捨てよう 軍事力
参ったか 俺は持ってる 軍事力
参らない 俺も持ってる 軍事力
参ったか 俺は持ってる 新兵器
参らない 俺はもってる 新新兵器
おれ持てば 周りも持つんだ 軍事力
どこよりも たくさん持つぞ 軍事力
恐いから 俺は捨てない 軍事力
持って不安 持たれて不安 軍事力
使えぬが 捨てるもできない 軍事力
おまえより 俺のが大きい 防衛費
生活費 ギリギリ削って 防衛費
貧困にあえぐ社会の防衛費
試射なんてしません 一発10億円
当たるも八卦当たらぬも八卦で1000億
きっと当たります ミサイルと宝くじ
価値感だけでなく財布も同じと武器を買い
だから、日本国憲法9条が輝く。
おれ捨てる きみも捨てろよ 軍事力
防衛費なくせばくるぞ 豊かな社会
軍事力なくした地球に真の春
(2018年1月18日)
本日(1月17日)の毎日新聞夕刊、「私だけの東京・2020に語り継ぐ」欄に、作家・早乙女勝元のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「散歩道を『寅さんの故郷』に」だが、やはりこの人だ。戦争の記憶と憲法9条に触れている。
「ばかの一つ覚えみたいに東京大空襲のことを書いてきました…。私の場合、亡くなった10万人という桁外れの人たちの声に押されてやってきたところがあります。それと空襲直後、級友を捜して歩いて見た光景です。隅田川沿いの桜並木に、吹き飛ばされた色とりどりの衣類がまとわりついて桜みたいだったり、人が焼け焦げた後に足袋の金属製のこはぜ(留め具)だけがたくさん残り、踏むとぷちぷちと鳴ったりしたのを鮮烈に覚えています。…殺された多くは民間人で主に女性と子どもです。鎮魂がすぐに広がらなかった…思い出すのは痛みを伴いますし、子どもが生き返るわけじゃない。かさぶたを厚くしておこうという気持ちが被災者にはあったんです。
でも、それでは、戦争の犠牲になるのは民間人だという史実が後世に伝わらない。政府は被災者には何の補償もせず、逆に空爆を指揮した米国軍人に勲章を与えました。「忘れよう」のままでは、なかったことにされかねない。
3月10日の一晩で10万人が死んだのが東京です。すべて戦争のせいです。その戦争を永久に放棄した憲法9条を改めるなどとなれば、死んでからも、お前は一体何をしてきたんだと言われそうな気がします。」
彼がいうとおり、日本の政府は軍人には累積総額で50兆円を上回る恩給を支払いながら、民間の被災者にはびた一文の賠償も補償もしていない。それだけでなく、政府は周到な準備によって一晩に10万人の民間人を虐殺した殺人者カーチス・ルメイに、勲一等旭日大綬章を授与している。1964年佐藤内閣の頃のことだ。これが戦争であり、戦争処理である。こんなことは、繰りかえし語り継がなければならない。絶対に戦争を繰り返させないために。
そしてまた彼がいうとおり、アベ政権によって「戦争を永久に放棄した憲法9条を改める」たくらみが進行している。このたくらみの切迫性と、予定されている手続について記しておきたい。もちろん、改憲手続を阻止の運動に資するために。
長く与党であり続けてきた自民党は、「自主憲法制定」を結党以来の党是としてきた。だから、これまでも度々の「憲法の危機」はあった。しかし、その都度国民の改憲阻止の運動がこの危機を克服し、戦後70年余の長きにわたって、日本国憲法は無傷で今日に至っている。その危機克服の過程において、国民は憲法を誇るべき我がものとし、血肉化してきた。国民が憲法を守り、その憲法が国民の人権や平和を守ってきたのだ。
ところが、「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」というスローガンを掲げて登場したアベ政権による憲法の危機は根深い。アベ晋三は、行政府の長として誰よりも憲法を守らねばならない立場にある。にもかかわらず、誰よりも憲法の改正に熱心で、危ういほど前のめりの姿勢なのだ。そのため、憲法改正手続のここまでの具体化は、日本国憲法が成立して以来、いまだかつてなかったことだ。政権を取り巻く右翼陣営は、「今こそ、憲法改正のチャンス」「安倍内閣の今を逃せば、永遠にその機会が失われる」という意気込みと悲壮感。憲法の危機とは、立憲主義の危機であり、国民の人権や民主主義、平和の危機ということでもある。
アベは、昨年(2017年)5月3日に、日本会議が主催した「憲法改正を求める集会」にビデオメッセージを寄せて改憲を提案した。「憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」というもの。「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」と改憲の時期まで明示する積極さ。
これを受けて、自民党憲法改正推進本部が、昨年暮れの12月20日に「論点整理」を発表した。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案併記となっている。
?9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
?9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき
この第1案が、「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼ばれる本命の案。いずれこの案に一本化される。第2案は、第1案をよりマイルドに見せる仕掛けに過ぎない。
近々、一本化のうえ条文化された具体的な「安倍9条改憲案」がとりまとめられる。とはいうものの、「自衛隊を明文で書き込む」にせよ、「自衛隊を憲法に明記する」にせよ、条文化の幅は広く、硬軟いくつものバリエーションが考えられる。
おそらくは、硬めの原案をまとめて公明党と摺り合わせ、少し柔らか目なところを落としどころとするのだろう。戦争法原案作りの手法だ。実は事前に両党間の裏取引ができていて、デキレースを見せつけられるのかも知れない。さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも形だけは意見を聞いて、「憲法改正原案」を作成することになる。
こうして、改憲勢力諸政党間の意見の摺り合わせででき上がった「憲法改正原案」が、国会に提案される。提案は、衆院では100人、参院では50人以上の賛同者を必要とする。ここまでは自・公・維・希など改憲派諸政党間の水面下の動きが中心となる過程。そして、「憲法改正原案」が作成されると、舞台は国会に移ることになる。おそらくは、衆議院の先議となるだろう。
衆議院憲法審査会のホームページをご覧いただこう。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/h27_shiryosyu.pdf/$File/h27_shiryosyu.pdf
「衆議院憲法審査会 関係資料集」の「3 憲法改正国民投票における手続の概要」(19頁・20頁)の図がとても分かり易い。学習会資料には不可欠のアイテム。
「憲法改正原案」提案者となった議員が本会議で趣旨説明のあと、衆議院憲法審査会に付託されて審議・公聴会を経て、過半数で可決されれば本会議報告となる。本会議での3分の2以上の賛成で可決されれば衆議院を通過し、参議院に送付される。参議院で同様の手続を経て、両議院ともに3分の2以上の賛成で可決されれば、国会がこれを憲法改正案として国民に発議する。
憲法改正案の発議と同時に、60日から180日の範囲とされる国民投票運動期間が始まり、これを経て国民投票が行われることになる。仮に有効投票の過半数の賛成があれば、憲法は改正となり、現行憲法と一体を成すものとして公布されることになる。
この過程を整理すれば、
(1) 今から「自民党案」の確定まで
現行の両案を一本化して条文化する作業。この成案が議論の出発点となる。
(2) 「自民党案」の確定から「憲法改正原案」の作成まで
政党間の協議が行われる。公明・維新・希望が世論の動向をどう読むかが鍵となる。
(3) 「改正原案」提出から「憲法改正案」の発議まで
審査会審査と決議(過半数)、本会議の議事と議決(3分の2)
(4) 両院による「憲法改正案の発議」から「国民投票」による承認と公布まで
最短60日から最長180日。
憲法改正案が国民に発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はない。改憲が発議されたら、カネを持っている側が、膨大な費用をかけて広報宣伝をすることになる。テレビCMも垂れ流しになる。発議させないための運動が重要。しかも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころというのが、運動に携わる者の一致した見解。
「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動が必要で、これが、いま超党派の市民が取り組んでいる3000万署名運動。「憲法9条を変えないでください」というシンプルな要請。
事態は既に緊迫している。ヤマ場は先のことではない。来年(2019年)には、参院選も、統一地方選も、天皇の代替わりも予定されている。改憲派は親天皇派でもあるのだから、スケジュールはタイトと言わなければならない。自ずと今年(2018年)がヤマ場とならざるを得ない。
そしてヤマ場となる今年に9条改憲反対の世論が沸騰すれば、来年の参院選で改憲派を敗北させて3分の2以下の議席に追い込むことが可能となるだろう。そうすれば、改憲は不可能となって9条改憲のたくらみが潰えることになる。今の日本人にとっての果報であるだけでなく、1945年3月10日に亡くなられた(正確には虐殺された)10万の東京下町の人々の魂も喜んでくれるだろう。それだけでなく、310万の日本人戦争犠牲者の鎮魂にもなろう。もちろん、2000万人と推定される近隣諸国の戦争犠牲者へも慶事として報告ができることになる。
(2018年1月17日)
今年(2018年)の「第2期・友愛政治塾」(西川伸一塾長)については、1月5日付の当ブログでご紹介しました。
歳のはじめに「友愛政治塾」(西川伸一塾長)ご案内
https://article9.jp/wordpress/?p=9715
西川伸一塾長の第1回講義が近づいたので、あらためてご案内申しあげます。
時:1月21日(日)
所:文京シビックセンター 区民会議室4階A
(看板は「日本針路研究会」とのこと)
?同日 午後1時?3時50分
講 師 西川伸一(明治大学教授)
??? 友愛政治塾の2018年第1回講義
テーマ 最近の裁判官人事の傾向
参加費:1000円
?引き続き午後4時?6時、同じ会場で新年会
参加費:2000円 「軽食あり。歓談したいと思います」
こちらは、「フォーラム社会主義について」の新年会ですが、
「会員でなくてもどなたでも参加できます」とのことです。
「友愛政治塾」と「フォーラム社会主義について」との異同や関係は私にはよく分かりません。分からないながらも、去年も楽しく歓談した記憶があります。取って食われるようなことは決してありません。
なお、受講には下記に事前申込が必要だそうです。
住所:〒113-0033? 東京都文京区本郷2-6-11-301
ロゴスの会?? TEL:03-5840-8525
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さて、西川伸一塾長の講義は、「最近の裁判官人事の傾向」というものです。西川さんご自身の惹句は次のようなもの。
?寺田逸郎最高裁長官は2018年1月8日に定年退官し、大谷直人新長官の下、2018年の最高裁はスタートする。最高裁長官は内閣が指名し天皇が任命する。最高裁判事は内閣が任命する。ただ、内閣が専権的に最高裁裁判官を決めてきたわけではない。最高裁の意向をきいてそれを尊重することで司法の独立が担保されてきた。しかし、安倍政権の長期化に伴いこの慣例が崩されつつある。「アベノ人事」は司法にまで及んでいる。報告ではそれを明らかにしたい。
西川講義のキーワードは、「アベノ人事」。省略なしでは、「安倍晋三のオトモダチに対するえこひいき人事」。もう少し、分かり易く言葉を補えば、「安倍晋三のオトモダチと思われる人物、あるいは右翼安倍晋三の思想に親近感をもっていると考えられる人物を特別に優遇して、最高裁判事に推薦することによって、安倍晋三が喜んでくれるであろうと忖度し何らかの見返りあることを期待してのえこひいき人事」である。司法にまで及んでいるという「アベノ人事」の実態解説とあれば興味津々。受講したくもなろうというもの。
アベノ人事として有名なのは、木澤克之氏だ。私はこの件も、最初はリテラで知った。
「安倍首相の親友が経営する“第二の森友”加計学園の関係者を最高裁判事に任命! 司法までオトモダチで支配」という記事。
http://lite-ra.com/2017/03/post-2997.html
このタイトルにある「加計学園の関係者」が木澤克之。「木澤氏は加計理事長と立教大学の同窓で、卒業年も同じ…」だそうだ。安倍のオトモダチでなくても、オトモダチのオトモダチまで、えこひいきが行き届いているというわけだ。
この木澤克之。2018年総選挙の際の「国民審査」公報の経歴紹介欄で、「加計学園監事」という経歴を削除したことが、また話題を呼んだ。
それ以外の露骨な「アベノ人事」については知らない。誰が見ても研究者の山口厚元東大教授が、強引に弁護士枠で最高裁裁判官に推薦されたのも「アベノ人事」なのだろうか。
本年1月9日付で第19代最高裁長官に就任した大谷直人氏と、東京高裁長官から最高裁判事に就いた深山卓也氏はどうなのだろうか。大谷の経歴は、裁判官であるよりは司法行政官というべきだろう。深山も、裁判官出身者というよりは、訟務検事の経歴が重い。
そして「最高裁判事で初の旧姓使用者」として話題の宮崎裕子氏。史上6人目の女性最高裁判事。これまで仕事では旧姓の「宮崎」を使っており、就任後も旧姓を名乗る意向。最高裁は1月8日、人事を戸籍名で発表し、旧姓を併記したが、これに対して宮崎は所属する法律事務所を通じて旧姓での報道を強く求めたという。「旧姓を使うことは当然だと思っています」とメディアに話しているそうだ。
最高裁は昨年(18年)6月に裁判文書で旧姓使用を認めることを発表。全国の裁判官約3800人のうち、実際に運用が始まる9月1日までに18人が旧姓使用を申請したという。その意味では、特に宮崎が先例を作ったというわけではないが、「最高裁判事としては初の」ケースとなる。最高裁判事15人のうち女性は3人だが、「法曹人口に占める女性の割合はもっと多いはず。最高裁の女性判事の割合も上げていく方がいい」と話しているという。「夫婦同姓の強制を合憲」とする判例の変更に一歩近づくことにもなろう。
とはいえ、彼女は典型的な、渉外・企業法務担当弁護士。「世界銀行法務部に勤務後、セブン銀行社外取締役などを歴任」という経歴。決して人権課題に取り組んできた人ではない。日本弁護士連合会が最高裁に推薦した9人のうちの1人だったという。さて、これも「アベノ人事」だろうか。西川さんの解説に耳を傾けたい。
そして、出席者全員での質疑討論を行います。昏迷の時代に、揺るぎない自分自身の考え方、ものの見方の基礎を作るために…。多くのみなさまのご参加をお待ちしています。
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もう一つの集会ご案内
村岡到著『「創共協定」とは何だったのか』出版記念集会
日時:2月4日(日)午後1時
場所:文京区民センター 3C(後楽園駅)
資料代 : 700円
報告 北島義信さん(真宗高田派正泉寺前住職)
「社会主義と宗教との関係」
司会 佐藤和之さん(高校教員)
主催 ロゴスの会 協賛 社会評論社
長いあいだ社会主義と宗教とは切り離されて理解されてきた。しかし、歴史をたどると実は深い関係があったようである。近年、下斗米伸夫氏の研究によってロシア革命においては「古義式派」というキリスト教の一派が大きな位置と役割を担っていたことが明らかにされている。
日本でも明治時代にはキリスト者が初期の社会主義運動と深く関わっていた。
北島義信氏は、浄土真宗高田派の僧侶であり、南アフリカの反アパルトヘイトの闘いでも宗教者と社会主義者が協力したことを明らかにし、近年は韓国の宗教者と交流を深めている。
「人間性社会主義」を長く唱えていた創価学会とは何かも探る必要がある。
北島義信著書:『親鸞復興』同時代社、『坊主の品格』本の泉社
論文:「宗教と平和──霊性を中心に」『フラタニティ』第8号=2017年11月
(参加者には村岡到著『「創共協定」とは何だったのか』を特価1500円で頒布します)
村岡 到SQ選書14?? 四六判 192頁 1700円+税
「創共協定」とは何だったのか──社会主義と宗教との共振
1964年に創成された公明党は「人間性社会主義」を長く唱えていた。創設者の池田大作は、共産党のトップ宮本顕治との対談で「宗教とマルキシズムの共存は文明的課題だ」とまで語った。彼が主導して1974年に結ばれた「創共協定」とは何だったのか。マルクスの「宗教はアヘンだ」という非難とそれを援用したレーニンによって宗教は排斥されてきたが、〈社会主義と宗教との共振〉こそが求められている。
「創共協定」の歴史的意義とその顛末
社会主義と宗教との共振
愛と社会主義
戦前における宗教者の闘い
親鸞を通して分かること
社会評論社 03-3814-3861
(2018年1月16日)
かつては、松川事件・三鷹事件、菅生事件、白鳥事件、メーデー事件等々の大型「刑事弾圧事件」があった。過半は、権力による謀略事件である。しからずとも、公権力が政治的意図をもって、政治活動や市民運動に打撃を与えるための刑事訴追。逮捕・勾留・捜索・差押え、そして起訴、有罪判決執行までがフルコースだ。
最近は少ない。が、もちろんなくなったわけではない。隙があれば、権力とは牙を剥くもの。私はそう思っている。労働争議への介入、選挙弾圧、集会やデモへの過剰な取締り、そして民主運動諸団体の活動掣肘を狙った刑事事件のでっち上げ。
そのような現在進行中の刑事弾圧事件の典型として、岡山倉敷民商(民主商工会)弾圧事件がある。
その倉敷民商職員に対する、「法人税法違反幇助・税理士法違反」被告事件の控訴審判決で朗報がはいった。一審の有罪判決を破棄して、地裁に差し戻す判決。無罪判決ではないが、無罪に道を開いた判決である。
「山陽新聞」(電子版)の第一報が次のとおり。
「高裁支部 一審破棄差し戻し 倉敷民商職員脱税ほう助
建設会社の脱税を手助けしたなどとして、法人税法違反ほう助などの罪に問われた倉敷民主商工会(倉敷市)事務職員禰屋町子被告(62)の控訴審判決で、広島高裁岡山支部は(1月)12日、懲役2年執行猶予4年とした一審岡山地裁判決を破棄、審理を同地裁に差し戻した。
判決理由で長井秀典裁判長は、一審で鑑定書として証拠採用された広島国税局財務事務官の報告書について『一審が鑑定書に当たるとして事実認定に用いたのは違法。判決に影響を及ぼすことが明らかな手続きの法令違反がある』とした。」(2018.1.12)
一審判決の決め手とされた証拠が、証拠能力のないものとして排斥されたのだ。禰屋さんが、無罪となる可能性はきわめて高い。
この広島国税局財務事務官の報告書については、次のように問題にされていた。
「岡山・倉敷民商弾圧事件・禰屋町子さんの控訴審初公判が(2017年)10月27日、広島高裁岡山支部で開かれました。長井秀典裁判長は、『国税査察官報告書』を鑑定書扱いした一審判決に疑問を投げかける『意見書』を証拠採用しました。裁判の流れが大きく変わる可能性も指摘されています。裁判所が証拠採用したのは、立命館大学大学院法務研究科の浅田和茂教授が刑事法学の観点から検討した『意見書』。岡山地裁判決が『鑑定書』として扱った国税査察官報告書について『必ずしも特別の専門的知識を用いたものとはいえない』とした上で、『査察官は訴追者そのものであって第三者としても鑑定人とはいえない』と指摘。さらに『たとえ書面の内容が鑑定にあたり査察官が第三者に当たるとしても、他の査察官の報告書の利用は再伝聞であって、そのままでは証拠能力を有しない』と断定しています。」(全国商工新聞2017年11月13日号より)
2017年3月3日禰屋裁判の不当判決に対する国民救援会の抗議声明の中に次の言葉が見える。
「禰屋町子さんは本来無罪であり、この事件の真実は、憲法が保障する納税者の自主申告権にもとづき運動をすすめる民主商工会への弾圧である。
禰屋さんは428日間勾留され本犯の建設会社の社長は逮捕も勾留もされず追徴課税があったかも明かされていない。」
また、下記は一審判決以前に書かれた、「週刊金曜日」の解説記事(抜粋)である。筆者は成澤宗男さん。
「逮捕者は428日も勾留――不可解な公安『倉敷民商』捜索
確定申告の際、申告者が作成した決算書の数字を税務ソフトに入力するといった手伝いをしただけで民主商工会(民商)の女性事務局員が脱税がらみの「法人税法違反容疑」等で逮捕・起訴され、しかも当の申告者が逮捕も勾留もされていないのに、何と約1年2カ月間(428日)も勾留される――。こんな異様な事件が、岡山地裁で審理中だ。
この女性は、倉敷民商の事務局員・禰屋町子さん。事件の発端は2013年5月21日、岡山県倉敷市の民商事務所に広島国税局が、当時会員だった建設会社社長夫妻の「脱税容疑」と称して捜索に入ったこと。禰屋さん宅も捜索された。
禰屋さんの容疑は、建設会社の経理担当者の指示に従い、単にパソコンの会計ソフトの入力作業や振替伝票の作成を行なったことが脱税(法人税法違反)を「幇助」し、さらに資格がないのに税理士の業務をした(税理士法違反)というもの。だが、家宅捜索で押収された164点の書類中、この建設会社関連のものはごくわずかで、大半が容疑と関係のない倉敷民商の会議議事録や会員の名簿、スケジュール表といった組織の内部資料で占められていた。
しかも、この種の経済事件とはまったく管轄外のはずの岡山県警公安部は翌2014年1月21日、禰屋さんを「法人税法違反」で逮捕したのに続き、2月には「税理士法違反」で再逮捕。だが、脱税当事者であるはずの建設会社社長夫妻は後に在宅のまま懲役1年6カ月・執行猶予付きの有罪判決が確定したものの、1日も勾留されず、なぜか広島国税局の捜索すら受けていない。
つまり、形式上脱税事件の「主犯」を単に「幇助」した立場の禰屋さんが、「主犯」が免れた国税局の捜索や勾留を強いられた上に、勾留日数も428日にも及ぶという異常な事件だ。さらに検察側は肝心の建設会社の脱税に関し、現在まで重加算税が課せられたのかどうかの事実すらも明らかにしていないという不自然さだ。弁護側は、「禰屋さんが一貫して容疑の否認を貫いたため、裁判所が事実上の制裁を課した人権侵害だ」と抗議している。」
「かりに民商側の行為が違法でも通常は反則金等の行政罰で足りるケースだ。それを管轄外の公安警察が捜索し、「主犯」でもない逮捕者を長期勾留するのは、「中小企業会員の『自主計算・自主申告運動』を続けてきた民商に対する、権力の弾圧」(須増事務局次長)と批判されても仕方ないだろう。」
禰屋さんの428日間の勾留は、有罪判決を前提とした刑の執行の前倒しにほかならない。禰屋さんが無罪判決を受けたとする。無実の者が、確定判決もないままに428日間もの自由刑の執行を受けて、自由を失ったことになる。この自由の喪失は、取返しがつかない。
昨年(2017年)7月31日に逮捕され、以来半年になろうとする長期勾留中の籠池夫妻の場合も同様だ。私たちは、政権の意向を忖度した近畿財務局の関係者の8億円値引きが背任に当たるとして告発した。この公務員らの背任こそが主たる犯罪で、籠池の補助金詐欺容疑はこれに付随する微罪というべきものだろう。
にもかかわらず、近畿財務局の関係者には何のお咎めもなく、籠池側は逮捕されて半年間の勾留。独房の中で年越しを余儀なくされた。このような事件では、もっと柔軟に保釈の活用あってしかるべしである。そうでないと、裁判所までが弾圧事件に加担していることになる。
(2018年1月15日)
世の中、知らないことばかりだが、ときに、知らなかったというだけでなく、「えっ?」「どうして?」と盲点を衝かれたような事実を知らされることがある。「闘いを記憶する百姓たち:江戸時代の裁判学習帳」 (八鍬友広著:吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、2017年9月刊)の読後感がそれ。
この本で、筆者が「目安往来物」と名付けるジャンルがあることを初めて知った。これが、意外なもので興味が尽きない。
「往来物」とは、中世から近世にかけての庶民階層の教科書である。寺子屋は、官製の小学校と張り合って、明治の中期までは盛んだったというから、往来物もその頃までは命脈を保っていたことになる。もともと「往来」とは、「消息往来」の意味で書翰の往復を意味した。模範的な手紙文が、教科書のはじめであったことは容易に肯ける。
やがて、「庭訓往来」「商売往来」「百姓往来」「名所往来」等々の各種往来物が出回り、これによって子どもたちが読み書きを憶え、文章の作法を心得、その内容を通じて算術や商売の基礎や農事を身につけ、地理や歴史や伝承を習い、礼儀や道徳も学んだ。
「目安」とは、訴状のことである。もともとは箇条書きにした「見やすい」文書のことだったが、近世以後はもっぱら訴状を指すという。この用語は8代将軍吉宗の「目安箱」で有名だが、目安箱は江戸城外辰ノ口の評定所(幕府の司法機関)に置かれた。「目安箱」とは、庶民の不満についての「訴状」受け付け窓口だったのだ。
だから、「目安往来物」とは、江戸期の庶民が訴状のひな形を教科書にして、読み書きを習い、同時に「訴状」の書き方を学んでいたというのだ。しかも、この「目安」は、貸金請求や、家屋明渡請求、離婚請求の類の訴状ではない。歴とした現実の百姓一揆の「訴状」なのだ。生々しくも、百姓一同から、藩や幕府への訴状。まずは、具体的な要求を整理して列挙し、その要求の正当性を根拠づける理由を述べるもの。領主や代官の理不尽な圧政、それによる領民の苦しみ、そしてその怒りが暴発寸前にあること、事態がこのまま推移した場合の領民たちの決起の決意、等々を順序立てて説得力ある文章でなくてはならない。これを、江戸期の庶民が教科書として繰りかえし書き写し、その文体を身につけ、さらにはこの訴状を書いた先人を義民と讃える口碑の伝承とともに、反権力の作法を学んでいたのだ。
筆者八鍬友広の見解によれば、苛政に対して庶民が実力での蜂起を余儀なくされていた「一揆の時代」は江戸初期までで、幕藩体制の整備とともに、江戸中期以後は「訴訟社会」になっていたという。そのため、人々は先人の一揆の訴状を教材として、訴訟制度の利用に知恵を磨いたのだという。けっして、幕末に幕政の権力統制が衰退したから、反体制の文書が許容されたという事情ではないとのことだ。
その見解に安易に同意はしがたい。しかし一揆の訴状の教科書化は、連綿として苛政への反抗の精神を承継することに貢献しただろう。何よりも、我が国の近世には反権力的訴訟があったこと、また反権力的訴訟制度を学習してこれを利用しようとする運動の伝統があったとの歴史的事実には、まことに心強いものがある。
権力や強者の苛斂誅求や理不尽があったとき、被圧迫者はけっして泣き寝入りしない。団結し連帯して闘おうとするのだ。訴訟制度があれば訴訟を手段として、訴訟制度を手段とすることができなければ、実力をもってする。これは、万古不易変わらない。
この書物で蒙を啓かれたのは、実力をもってする一揆と、法と理をもってする訴訟制度の利用とが、明確につながっていることだ。そのことが、「闘いを記憶する百姓たち」というタイトルと、「江戸時代の裁判学習帳」というサブタイトルによく表れている。江戸中期以後、苛政にあえぐ庶民たちは、一揆に立ち上がった先人たちの闘いの精神や犠牲を忘れず、これを教材に訴訟制度の利用方法を学習したのだ。
私も、現代の訴訟に携わるものとして、一揆の精神を受継した先人の心意気を学びたいと思う。
(2018年1月14日)
文京区内で弁護士として仕事をしています澤藤大河です。
9条改憲にノーを突きつける3000万署名のスタートに当たり、その必要性や意義、効果、運動の進め方などについて、お話しさせていただきます。
まず、緊迫した情勢について認識を共有したいと思います。
自民党憲法改正推進本部が、暮れの12月20日に「論点整理」を発表しました。改憲項目として4点があげられ、9条については次の2案が併記されています。
?9条1項2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき
?9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき
この第1案が、私たちが「安倍9条改憲案」あるいは「加憲的9条改憲案」と呼んでいる本命のもので、第2案に比べればよりマイルドに見える仕掛けになっています。一見マイルドに見えるこの「加憲的改憲案」ならさしたる抵抗を受けることなく、すんなり国民に受け容れられるのではないか。安倍政権や自民党にはそのような思惑があるものと感じられます。これから、この案が条文化されて自民党案となり、安保法制のときと同様に、公明党と摺り合わせて与党案となり、さらに維新や希望の党などの改憲勢力と摺り合わせ、その他の政党にも意見を聞いて、「憲法改正原案」としておそらくは先議の衆議院に提出されることになります。
「憲法改正原案」は、本会議で趣旨説明のあと、憲法審査会に付託されて、過半数で可決されれば本会議での3分の2以上の賛成で衆議院を通過し、参議院に送付されます。参議院で同様の手続を経て可決されれば、国会が国民に発議して、国民投票が行われることになります。
改憲が発議されたら、そこから国民の改憲反対運動が始まる、などと悠長に構えている余裕はありません。改憲が発議されたら、状況は極めて厳しいものになることを覚悟せざるを得ません。国民投票運動は、原則自由です。自由は望ましいことのようですが、カネを持っている側は、膨大な費用でのCMや宣伝がやり放題です。既に、安倍政権はこのことを意識して芸能人の抱き込みを始めた感があります。
他方で公務員や教員などへは、その地位を利用した運動を禁止して締め付け、萎縮効果を狙っています。ですから、発議させないための運動が大切なのですが、これも「憲法改正原案」が作成されるまでが勝負どころと言わねばなりません。
「憲法改正原案」作成を許さない運動が必要で重要なのです。「9条改憲に手を付けたら世論から猛反発を受ける」「とうてい次の選挙を闘えない」と政治家や政党に思わせる目に見える運動、それが今提起されている3000万署名なのです。
事態は緊迫しています。ヤマ場は先のことではありません。「今年の暮れ」「来年の初め」などではなく、これから始まる通常国会が大事だと考えざるをえないのです。
この署名運動の担い手や対象の人々について、一言述べておきたいと思います。
私は、国民の憲法9条に関する考え方は、大別して3グループに分類できると思っています。
一方に、「自衛隊違憲論派」と名付けるべきグループがあります。伝統的左派や宗教的平和主義者、あるいはオーソドックスな憲法学者たちがその中核に位置しています。憲法9条の1項2項を文字通りに読んで、その武力によらない平和を大切に思う人々。このグループは、今ある自衛隊は違憲の存在だと考えます。
その対極に、「海外派兵容認派」とでも名付けるべきグループがあります。「軍事大国化推進論派」と言ってもよいでしょう。軍事的な強国になるべきが最重要の課題と考え、自衛隊を国防軍とし、集団自衛権行使を肯定する、安倍政権の無条件支持派です。日本会議などの右翼をイメージすれば分かり易いはずです。
しかし、この両翼だけではなく、その中間に最も大きなグループがあります。
今ある自衛隊は、いざというときの防衛のために存在を認める。しかし、これ以上自衛隊を大きくする必要はないし、海外に進出して武力の行使をする必要はない、と言う人々。集団的自衛権行使は否定し、専守防衛に徹すべしというグループです。実は、政府の公式見解も、3年前まではこの考え方でした。
安保法制反対運動では「自衛隊違憲論派」と「専守防衛論派」とが共同したことによって、大きな運動となりました。この両者の共闘で、「海外派兵容認派」と対決したのです。
今度の9条改憲反対運動でも、同様の構図を描かなければなりません。その場合のポイントは、専守防衛派の人々にも、9条改正の必要はないことを理解してもらうことになります。いやむしろ、安倍9条改正を許すと、専守防衛を越えた軍事大国化や海外派兵の危険性があるということの訴えが必要だと思うのです。
そのことを意識して、本日のお話しのポイントは次のようなものとしました。
☆憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことかについての基本の理解。
☆安倍改憲によっていったい何が起こるか
9条改憲がなされたらどうなる?
☆署名運動のなかで、出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるか
実践的やりとりについて
☆署名運動の影響力について
まずは、憲法とはなにかということですが、
形式的に「憲法」と名前が付けられた法律というだけではまったく意味がありません。「国家統治の基本を定めた法。政治権力とそれを行使する機関の組織と作用及び相互の関係を規律する規範。」などと言っても、大して変わりはありません。
私たちが憲法と呼ぶものは、「立憲的意味の憲法」なのです。「自由主義に基づいて定められた国家の基礎法」、あるいは、「専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法」でなくてはなりません。よく言われているとおり、立憲主義とは「国家権力を憲法で縛る」思想です。日本国憲法は、そのような立憲主義憲法にほかなりません。
2018年初頭、安倍は、内閣総理大臣年頭記者会見で、「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであります。」と言いました。大間違いです。法学部の試験なら落第です。
日本国憲法第9条は、こう言っています。
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
内閣総理大臣は、この条文を誠実に守らなければなりません。憲法に縛られるのです。意に染まない憲法だから、変えてしまえとは、とんでもない発想と言わねばなりません。
ところで、憲法9条をどう変えるか。自民党の具体的な改正条文案は未定です。昨年末までにはできるという報道がありましたが、「自衛隊を憲法に位置づける」を具体的に条文化するとなると結構難しいのです。
改憲条文案予想の1は、シンプルに次のようなものです。
9条第3項 自衛隊は、前項の戦力にはあたらない
しかしこれでは、ここでいう「自衛隊」って何?という問題が出てきます。多くの人は、現状の自衛隊と思うかもしれないが、その内容はここで定められていません。行動範囲、や装備に歯止めを掛けることになりません。
予想の2は、
9条第3項 前二項の規定は、国が外国から武力攻撃を受けたときに、これを排除するための必要最小限度の実力の行使を妨げるものではなく、そのために必要な最小限度の実力組織を前項の戦力としてはならない
これだと、集団的自衛権の行使がまったくできなくなります。
安倍改憲派に認識が乏しいのですが、現在の国際法において武力行使ができるのは、国連憲章第51条が定める「自衛権の行使」をするときに限られます。憲法98条2項は、国際法・条約を誠実に遵守することを求めているから、「自衛権の行使」を超えた武力行使は、そもそも国際法上許されないのです。
そこで、正確に言おうとすれば、元内閣法制局長官だった阪田雅裕さんが言うように、9条1項・2項に続けて…。
第3項 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織を保持することを妨げるものではない。
第4項 前項の実力組織は、国が武力による攻撃を受けたときに、これを排除するために必要な最小限度のものに限り、武力行使をすることができる。
第5項 前項の規定にかかわらず、第3項の実力組織は、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされる明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を測るために必要な最小限の武力行使をすることができる。
何とも、いいかげんにしろ!と言いたくなるような複雑さ。
さて、明文改憲されたらどうなるでしょうか。
制限規範から根拠規範へ
つまり、自衛隊に関しては、「これはできない」ではなく、「あらゆることができる」へ原則が変わることになります。
たとえば、自衛隊に対する国民の協力義務という問題があります。自衛隊からみれば国民に対する協力要請を求める権利の問題です。
武力攻撃事態等における業務従事命令には、現在従わない場合の罰則はありません。しかし、自衛隊が憲法上明記される組織となれば、従わない場合の罰則が設けられることになるでしょう。
自衛隊のための土地収用も可能になるでしょう。
1889年の旧土地収用法2条1号では
「国防其他兵事ニ要スル土地」が収容対象に挙げられていました。
しかし、新憲法下の1951年の土地収用法では軍事目的収用は削除されました。
だから、成田空港という民間空港の土地収用はできても、自衛隊の百里基地の滑走路については、土地収用ができません。いまだに、副滑走路が、くの字に曲がったままです。9条改憲が成立すれば、おそらくこのくの字の滑走路は真っ直ぐ伸びることになるでしょう。
戦時中にできた陸軍成増飛行場の例があります。今は、光が丘団地になっているところ。
首都防衛に必要として、1943年6月24日、該当地区の関連地主約500人が、印鑑持参で区役所に呼び出され、買収契約が強制調印され、居住する約60戸に対し、8月末までに立ち退くよう申し渡されたということです。土地は時価より高額で買い取られたが、農作物の補償はなく、移転費用は現物支給であったそうです。7月には赤羽工兵隊成増大隊(臨時編成)が駐留開始。8月には荒川作業大隊その他諸動員隊が駐留開始。同年12月21日には飛行場が完成。これが、軍隊のやり方です。
軍事機密保護法の制定も必要になります。
軍法会議も設置されます。
このことは、自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)に、
「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く」と明記されています。
どちらも、「普通の」軍隊になるために必須のアイテムです。
軍事産業が拡大し、それに伴って軍学協同体制が拡大するでしょう。
軍事セクターが巨大化し。歯止めがきかない事態になります。
今でさえ、閣議決定で、あっという間に数千億円の防衛予算が付いてしまいます。
ジブチでこんなことがありました。
アフリカのソマリア沖での海賊対処を理由に自衛隊がジブチ共和国内に設置しているジブチ基地で、業務委託企業が雇用するジブチ人労働者の解雇をめぐる労働争議に対し、自衛隊が装甲車と銃で威嚇し、排除していたことが25日、現地関係者らへの取材で分かりました。(山本眞直)
2016年6月14日、自衛隊から営繕や調理などの業務委託を受注していた元請けのT企業が、下請け委託業者を予告なしに契約解除しました。新規に業務委託を受けたF企業(本社・横浜市)は7月24日、前下請け企業のジブチ人労働者全員の雇用を拒否すると表明しました。
ジブチ人労働者でつくる日本基地労働者組合(STBJ)によれば、全労働者(約90人)がこれに抗議し、ジブチ労働総同盟(UGTD)の支援を受けストライキで抵抗。
同24日、解雇撤回を求めて基地に入ろうとした際、自衛隊は基地正門付近で、装甲車2台と銃を構えた自衛隊員約30人が威嚇し排除した、といいます。
2017年10月26日「赤旗」報道
この人たちが、日本に帰国して、労働組合や労働争議を見る目がどうなるのだろうか。たいへん気になるところです。軍隊が民衆の運動や労働争議弾圧に使われる例は、けっして珍しいものではありません。
また、改憲後の軍事予算の膨張が気になるところです。
米国日本に迎撃弾売却へ 改良型SM3、総額150億
【ワシントン会川晴之】米国務省は9日、日米が2006年度から共同開発してきた弾道ミサイル防衛(BMD)用迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の日本向け輸出を承認し、米議会に通知した。ブロック2Aの輸出承認は初めて。国務省は「日本の海上自衛隊の防衛能力向上に貢献する」と意義を強調した。
北朝鮮の核・ミサイル開発加速を背景に、トランプ米政権は日本に米国製武器の購入を求めており、これが第1弾となる。ミサイル4発や、発射機Mk29などが対象で、販売総額は1億3330万ドル(約150億円)を見込む。このほか、日本は1基当たり約1000億円の陸上配備型の迎撃システム「イージス・アショア」や、最新鋭ステルス戦闘機F35の追加導入を検討している。
弾頭を覆う先端部分のノーズコーンや2段目のロケットエンジンなどに日本の技術を利用している。速度が増すため、短中距離ミサイルより高速で飛ぶ大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃や、ミサイル発射直後の「ブースト段階」での迎撃にも利用できる可能性がある。米ミサイル専門家は「BMD能力が飛躍的に高まる」と指摘している。
当初は16年度中に導入を予定していたが、開発が遅れていた。17年2月にハワイ沖で初実験に成功したものの、6月の2度目の実験では迎撃に失敗した。米国防総省はミサイル本体などではなくコンピューター設定など「人為ミス」が失敗の原因と説明している。
毎日新聞2018年1月10日
オスプレイの購入
米国防総省は5日、垂直離着陸機V22Bオスプレイ17機と関連装備を日本に売却する方針を決め、米議会に通知しました。
同省の国防安全保障協力局(DSCA)によると、価格は推定で総計30億ドル(約3600億円)。2015年度の社会保障予算削減分3900億円に匹敵する金額です。
日本政府はオスプレイの購入価格として1機あたり100億円程度を想定しており、15年度軍事費に計上した購入経費も5機分で516億円でした。しかし、米側の提示した価格は1機あたり約212億円で、想定の2倍以上です。
米国製オスプレイの最初の輸出先はイスラエルの予定でしたが、同国が昨年末にとりやめたため、日本が最初の輸入国になる見通しです。このままでは、消費税増税分が社会保障費ではなく、米国の軍需産業を潤すという、異常な対米従属政治になりかねません。
DSCAが通知したのは最新鋭のブロックCで、米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備されているMV22Bオスプレイと同世代です。また、日本側が売却を求めていた関連装備としてロールスロイス社製エンジン40基や通信・航法システムなど12品目、予備の部品などを挙げました。
防衛省は19年度から陸上自衛隊にオスプレイ17機を順次配備し、佐賀空港を拠点とする計画です。
DSCAは「V22BブロックCの売却は陸自の人道支援・災害救助能力や強襲揚陸作戦の支援を高める」と指摘。同機の配備が、自衛隊の「海兵隊」化=強襲揚陸能力の向上につながるとの考えを示しました。
また、DSCAは日本へのオスプレイ配備には「何の困難もない」と述べています。しかし、佐賀空港を抱える地元の佐賀市は「(空港の軍事利用を否定している)公害防止協定が前提だ」(秀島敏行市長)との態度を崩していません。
さて、署名運動は国民との対話です。そのなかでいろんな議論が出てくると思います。その会話に出てきそうな疑問や意見と、それにどう答えるかのやりとりについて、少し考えてみましょう。実践の中で、経験を持ち寄って再度練っていけばよいと思います。
まずは、抑止力論です。自衛隊はあつた方がよい、大きければ大きいほどよい。強ければ強いほどよい。それが抑止力となって平和をもたらすのだから、などという議論。
浅井基文先生が力説されるところですが、抑止とは、元々は”deterrence”(デタランス・威嚇させて恐れさせること)の訳語で、厳格な定義のある軍事用語です。国家が敵国からの攻撃を効果的に未然に防ぐために報復という脅迫を使う軍事戦略で、核兵器の正当化のために作られた概念と言われます。
「報復する能力」と「報復する意志」の双方が必要で、ソ連脅威論の中で、「報復による脅迫」では受け入れられないと考え、「抑止」という誤訳を意図的に作り出し、アメリカの核の傘に入る1985年の防衛白書から表面化しました。
ですから、デタランスは最小限度の軍事力ではなく、相手を脅迫するに足りる武力を想定するものです。両当事国の双方がそう考えれば、限度のない軍拡競争に陥るだけのことになります。
国連憲章第51条は武力攻撃が発生した場合に限り、しかも暫定的に自衛権の行使を認めるのですから「抑止」の観念は認めません。また、日米韓は武力攻撃がなくとも、必要に応じて自衛権を行使すると言っています。軍事力と軍事同盟が、平和をもたらしているのではなく、明らかに緊張を増しているではありませんか。
(中略)
軍事的均衡は防御側不利で、軍拡競争には、日本は経済的にも耐えられません。
アンサール・アッラー(フーシ派)の弾道ミサイル保有数は、100発とも300発ともいわれます。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は1000発以上保有といわれています。一発への対応に100億円かかるとすれば、合計10兆円。それでも、完全に迎撃できるわけではない。武力に武力で対抗することは、無意味というほかはありません。「抑止」にもならないのです。
最後に、原水爆禁止署名についてです。1945年の広島、長崎の被爆があったから、日本で原爆反対の運動が起こったわけではありません。1954年第5福竜丸の被爆で、久保山愛吉さんが犠牲になるというショッキングな出来事があって、杉並区の主婦のグループが始めた原水爆禁止署名が、3200万筆を集めて原水爆禁止世界大会を実現し、被爆者救済へ社会の耳目を集め、世界的運動の中核になったのです。この運動は、米国の対日政策の変更をうながし、非核3原則を国是とし、昨年の核兵器禁止条約の採択やノーベル平和賞にまでつながっています。
平和をつくった署名活動としての学ぶべき前例だと思います。自信をもって、署名を進めようではありませんか。
(2018年1月13日)
A おや、いったいどうした? 新年早々、目が血走っているんじゃないのか。
B 今年は、9条改憲阻止決戦の年じゃないか。のんびりなどしておられるわけはなかろう。
A まあ、落ち着けよ。どうしてそんなに焦っているんだ。
B あのアベが、唐突に9条改憲案を口にしたのが、昨年(2017年)の5月3日。右翼の集会でのことだ。彼のスケジュールは、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」というものじゃないか。そのためには、今年2018年が天下分け目の決戦の年になる。もうすぐ始まる今年の通常国会から、闘いは始まる。実のところ、緒戦がヤマ場だ。改憲発議原案をつくらせない運動は、待ったなしだ。
A 右翼の集会って、あの日本会議の「公開憲法フォーラム」のことだね。櫻井よしこが講演をして、安倍晋三がビデオメッセージで9条改憲を口にしたというあれ。あんなところでの改憲決意やスケジュールの発表がそもそも異様だが、それにしても、天下分け目とは大仰じゃないか。
B 昨年10月の総選挙では「改憲派」議員が8割を超えたとされる。衆参両院に、改憲発議のための憲法審査会が設置されている。改憲手続き法もできている。自・公と維新が数を恃んで強行すれば、改憲発議ができる情勢になっているではないか。
A とはいえ、保守勢力が70年余にわたって、やろうとしてできなかった憲法改正。発議をして、国民投票で否決されれば、確実に安倍のクビは飛ぶ。今後何十年も憲法に手を付けることができなくなるだろう。しかも、小選挙区制のマジックで改憲派が議席の多数をとったが、国民世論は改憲に否定的だ。安倍一派が、性急にことを起こすとは考えにくいんじゃないか。
B そうでない。アベを取り巻く右翼の連中には、今こそ千載一遇のチャンスという読みがあると思う。あるいは、アベが政権の座に就いている今を措いて改憲のチャンスはない、との読み。多少の無理を承知で、改憲発議に突っ走る可能性は高い。
A そうは言っても、安倍が提案した「96条改憲」も、「緊急事態条項改憲」も、世論によってつぶされている。安倍のホンネの本命が9条改憲による軍事大国化にあることは周知の事実だが、常識的にそれは難しかろう。
B 問題は安倍の変化球だ。「戦争放棄をうたった9条1項と戦力不保持を定めた2項を堅持した上で、自衛隊の存在を明記する条文を加える」という改正案。これなら大した実害はないと国民をごまかす効果を否定できない。
A それはそうかも知れない。これまでの自民党憲法改正草案は、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」という憲法9条2項を全文ばっさり削って、国防軍を新設しようとするものだ。それと比較すれば、現行の9条には手を付けず、自衛隊を憲法に位置づけるだけという安倍の改憲案は、格段にマイルドに見える。
B 自民党憲法改正推進本部が昨年暮れの12月20日に発表した「憲法改正に関する論点取りまとめ」でも、安倍の「9条1・2項存置・自衛隊条項加憲案」と、石破らの「9条2項削除論」とが両論併記となっている。こういう手法で、安倍の加憲的9条改憲提案を、おとなしいものに見せている。
A それはそのとおりだが、むしろ安倍のホンネであるゴリゴリの軍事大国路線では世論を動かすことができないという、彼らの弱さのあらわれではないのかな。
B それが、いつもながらのキミの甘さだ。9条2項をそのまま置いたとしても、「集団的自衛権行使を容認された自衛隊」が憲法に書き加えられれば、9条2項は上書きされて死文化してしまう。自衛隊は、日の当たる場所に躍り出て、一人前の軍隊としての存在となる。編成・装備・人員・予算の制限はなくなる。自衛隊は実質的に軍隊となり、国防の危機を煽って攻撃的な兵器を要求し、近隣諸国との軍事緊張を高めることになる。
A それこそ、いつもながらのキミの早急な決め付けだ。自衛隊は、法律にはその存在が明記されている。それを憲法に書き込んだとたんに性格が変わってしまうことにはならないだろう。むしろ、自衛隊の存在をきちんと認めた上で、その膨張や暴走に歯止めを掛けることが大切ではないのか。その観点からは、自衛隊を憲法に書き込み、同時に海外派兵をしないこと、侵略的な兵器をもたないこと、シビリアンコントロールに服することなどを憲法にしっかりと書き加えることも、考えられるのではなかろうか。
B 安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認する戦争法を提案したとき、キミも「安倍内閣は憲法を守れ」と声をあげ、一緒に行動したではないか。改憲派に、宗旨を変えたのか?
A そうではない。ボクは、憲法を大切に思っている。だからこそ、安倍内閣が戦争法案を国会に提出したときには、立憲主義の危機だと思った。集団的自衛権の行使という名での戦争を行うこと、巻き込まれることは平和の危機だとも思った。だから、真剣に法案反対の運動に加わった。 ところが、キミの理解だと自衛隊は憲法違反ではないということだ。やはり大甘の議論だと思うね。いま、自衛隊の膨張や、暴走に歯止めを掛けているのは、軍事力の保有を認めない9条の存在だ。自衛隊の根拠規定が憲法にないことだといってもよい。自衛隊が、「陸海空軍その他の戦力」に該当するほどの軍事的実力をもつことになれば、あるいは自衛権行使の範囲を逸脱した実力行使があれば、たちまち違憲となる。これが重要なことではないか。
A いや、自衛隊は日本を防衛する実力装置として、国民に深く信頼され、根を下ろしている。今さら、違憲の存在として放置してはおかれないものと思う。最大の問題は海外派兵や侵略戦争を絶対にさせないこと、そして自衛隊の際限のない拡大や防衛予算にどう歯止めを掛けるかということだろう。自衛のための自衛隊は今でも違憲ではないと思うし、憲法を改正して自衛隊を認めてもいいんじゃないのか。
B ボクは、前文と憲法9条が指し示す日本国憲法の平和主義は、武力による平和を否定する思想に基づくものと理解している。「平和を望むなら自国を防衛する武器を磨け」という思想の破綻という現実から9条が生まれた。「平和を望むなら武器を捨てよ」「我が国がまず武器を捨てるから、貴国も捨てよ」という思想が実定憲法となった。これを大切にしなければならない。
A それは理想論としては理解するが、現実の国際政治では通用しない。多くの国民が、そのような危険な実験をしてみる気にはならないだろう。私は、どうしても自衛のための最小限の実力は必要だと思うし、日本国憲法がその実力保持を禁じているとは思えない。
B 「専守防衛」に徹する「最小限度の実力組織」として自衛隊の存在は認めるというキミの立場は、1954年自衛隊法成立から、アベ倍が内閣法制局長官をすげ替えるまでの自民党政権の一貫した見解でもあった。しかし、専守防衛に徹すると言いながら、自衛隊は次第に巨大化し、また米軍との一体化を強める中で、その性格を変えてきたでないか。戦争法が成立した今、自衛隊は「専守防衛」でも、「最小限度の実力組織」でもなかろう。
A 私は立憲主義を尊重する立場で、専守防衛に徹する自衛隊は合憲と考えている。だから、安倍内閣の戦争法には反対をつらいたし、その法律の廃止を求める立場だ。
戦前のような富国強兵策を支える軍隊をもつ必要はないが、自衛権行使のための再使用限度の実力部隊は必要と考えざるをえない。自衛隊は、まだ他国に攻撃する編成や装備をもっているとまでは言えない。かろうじて、「専守防衛」に徹する「最小限度の実力組織」といえると思う。
B キミとボクとの間には、憲法の理解に相当の隔たりがあるけれど、アベ政権の戦争法反対運動には一緒に参加してきた。今度のアベの加憲的9条改憲には賛成なのか反対なのか?
A 正直なところ、すこしの迷いがある。立憲主義を尊重すべきだとするボクの目からは、憲法理念としての9条文言と、現在の自衛隊存在の現実との乖離は確かに大きくなっている。現実に合わせて憲法を変えるか、理念に合わせて自衛隊の現実を変えるかを考えなくてはならない。両方ともに選択肢としてはあり得るが、ボクは当面9条改憲反対を貫きたいと考えている。その何よりの理由が、安倍晋三という人物を信用することができないからだ。安倍晋三を取り巻く人脈の胡散臭さに不安を感じずにはおられない。
ボクは、当面これ以上自衛隊を大きくすることは不要だし、国防予算はもっと削ってよいと思っている。だから、安倍晋三のような、声高に戦後レジームを否定し、強い・美しい日本を取り戻すなどという政権が退場して、もっと落ちついた為政者の時代になれば、その時点で慎重に憲法改正の是非を考えたい。それまでは、キミたちと一緒に、安倍9条改憲に反対するつもりだ。
B 提案された憲法改正案には、是か非か、賛成か反対か、二つに一つの返答しかない。ということは、賛成派も反対派も、一つの思想や理念・立場でまとまったものであるはずはない。アベ9条改憲反対の理由がたったひとつであるはずはなく、多くの考え方の潮流の参加が必要だと思う。
ボクは、憲法9条は一切の武力保持を禁止していると思うが、専守防衛派のキミたちと一体となったから戦争法反対の大きな運動ができたと思っている。アベ9条改憲提案は、明らかに、これまでの護憲派を、「自衛隊違憲論者」と「自衛隊合憲論者」に分断しようという策となっている。アベのブレインは、露骨にそのことを述べてもいる。
A 私の立場は、「自衛隊合憲論」だが、それは専守防衛に徹した本当の意味の「自衛」組織必要論だ。だから、米軍の要請あれば海外にも出よう、武器使用も認めよう、もっともっと軍事力を増強しよう、沖縄の米軍基地も強化しようという安倍政権とは考え方が根本からちがう。安倍晋三の日本を軍事大国化しようという路線には絶対反対だ。
B その点が確認できれば安心だ。平和を築くためには本当に武力が必要か、これからも議論を重ねよう。議論をしつつも、3000万署名の請願のとおり、「憲法第9条を変えないでください」と一緒に言い続けよう。
A 武力不必要論で、現実に日本の領土や国民の安全を守ることができるのか、その議論を重ねつつも「憲法第9条を変えないでください」と一緒に言い続ける、それはけっこうだ。
(2018年1月13日)