昨夕(1月20日16:59配信)の朝日新聞デジタルの記事。「ヤマハ英語教室の女性講師が労組結成 待遇改善求める」というタイトル。リードは次のとおりだ。
楽器販売「ヤマハミュージックジャパン」(東京都)が運営する英語教室で働く講師の女性14人が労働組合をつくった。女性たちは契約上は個人事業者とされて社会保険などが適用されないが、「実態はヤマハ側の指示で働く労働者だ」として、直接雇用や社会保険の適用などの待遇改善を求める団体交渉を同社側に申し入れているという。
組合の名称は「ヤマハ英語講師ユニオン」。昨年12月6日に結成した。組合によると、講師は同社と1年更新の委任契約を結び、講師はレッスンを任される形式で働いている。契約上は個人事業者となるため、ヤマハが雇用した社員とは異なり社会保険が適用されず、残業手当や有給休暇などもないという。
女性たちは昨年8月、会社側に直接雇用などを求める要望書を提出。同社から明確な回答がないことから組合結成を決めた。全国約1500カ所の教室で約1400人いるとされる講師たちに加入を呼びかけ、ヤマハ側に待遇改善を求めていくという。
労働組合の結成は社会の進歩だ。立ち上がった講師たちの毅然とした姿勢に敬意を込めつつ祝意を表したい。
実態は従属性ある労働契約でありながら、形式上請負として、労働者に対する保護を僣脱しようという、きたないやり口は、いま流行りだ。社会全体としての労働運動にかつての勢いがないいま、労働者が侮られているのだ。安倍政権下、労働基準行政も厳格さを失っている。
私の法律事務所でも、同様の事件を受任している。下記のブログをご覧いただきたい。
今日は良い日だ。労働仮処分に勝利の決定。
(2017年5月8日・連続第1499回)
https://article9.jp/wordpress/?p=8528
……いま私の手許に、2通の労働仮処分の決定書がある。同じ使用者を「債務者」(仮処分事件では相手方をこう呼ぶ。本訴になれば被告にあたる呼称)とするもので、事実上の解雇を争い、同年2月以後の賃金の仮払いを求める内容。1件は、「毎月21万2000円を仮に支払え」という申立の全額が認められた。もう1件は、「毎月12万円を仮に支払え」という決定主文。この人は、別の収入があるのだから、仮払い金額としてはこれでよいだろうというもの。あとは本訴で勝ち取ればよいのだ。なによりも、決定の理由が素晴らしい。
この事件は、澤藤大河が弁護士として依頼を受け、方針を定め、申立書を作成し、疎明資料を集め、審尋を担当してきた。今年の正月明けの1月4日に、東京地裁労働部に賃金仮払いの仮処分を申し立て、事件番号が労働仮処分事件として今年の01番と02番の事件番号が付いた。その後、審尋期日に疎明を尽くし、裁判所は債権者(労働者)側の勝利を前提とした和解を提案したが、債務者の受け入れるところとならず、4月12日審尋を終えて、今日まで決定の通知を待っていたもの。
2人の労働者はアメリカ人でいずれもリベラルな知性派だが、日本語が堪能とは言えない。私もリベラルな知性派だが、英語が堪能とは言えない。会話はほとんどできない。依頼者とのコミュニケーションはもっぱら英語によらざるを得ないのだから、この事件は大河にまかせるしかない。私の出る幕はない。
2人の勤務先は都内に12のブランチをもつかなり大きな語学学校で、この2人は英語講師としてかなり長く働いてきた。その間、労働者であることに疑問の余地はないと考えてきた。使用者は、広告によって受講者を募集し、授業時間のコマ割りをきめ、定められた受講料のうちから、定められた講師の賃金を支払う。労働時間、就労場所、賃金額が定められている。これまでは、疑いもなく、労働契約関係との前提で、有給休暇の取得もあった。
ところが、経営主体となっている株式会社の経営者が交替すると、各講師との契約関係を、「労働契約」ではなく「業務委託契約」であると主張し始めた。そして、全講師に対して、新たな「業務委託契約書」に署名をするよう強要を始めた。この新契約書では有給休暇がなくなる。一年ごとの契約更新に際して、問答無用で解雇される恐れもある。
経営側が、「労働契約上の労働者」に対する要保護性を嫌い、保護に伴う負担を嫌って、業務請負を偽装する手法は今どきの流行りである。政権や財界は、労働形態の多様性という呪文で、正規労働者を減らし続けてきた。これも、その手法の主要な一端である。
法とは弱い立場の者を守るためにある。経済的な弱者を守るべきが社会法であり、その典型としての労働者保護法制である。本件のような、「請負偽装」を認めてしまっては労働者の権利の保護は画餅に帰すことになる。
本件の場合、講師の立場は極めて弱い。仕事の割り当ては経営者が作成する各コマのリストにしたがって行われる。受講者の指名にしたがったとするリストの作成権限は経営者の手に握られている。このリストに講師の名を登載してもらえなければ、授業の受持はなく、就労の機会を奪われて賃金の受給はできない。これは、解雇予告手当もないままの事実上の解雇である。やむなく、多くの講師が不本意な契約文書に署名を余儀なくされている。
しかも、外国籍の労働者には、就労先を確保することがビザ更新の条件として必要という特殊な事情もある。つまり、労働ビザでの滞在外国人労働者にとっては、解雇は滞在資格をも失いかねないことにもなるのだ。その学校での100人を超す外国人講師のほとんどが、契約の切り替えに憤ったが、多くは不本意なからもしたがわざるを得ない、となった。
それでも、中には経営者のやり口に憤り、「断乎署名を拒否する」という者が2人いた。「不当なことに屈してはならない」という気概に加えて、この2人は永住ビザをもつ立場だった。
この五分の魂をもった2人は大河の友人でもあった。大河は、友人の役に立てただけでなく、弁護士として労働者全体の利益のために貢献したことになる。この事件の争点は、2人の労働者性認定の可否だった。債権者側が提示したメルクマールをほぼ全て認めて、完膚なき勝利の決定となった。
明日には、債務者から任意に支払いを受けるか、あるいは強制執行をすることになるかが明確になる。本案訴訟の判決確定までフルコースの解雇訴訟となるも良し、早期解決も良しである。今日は実に良い日だ。
?(2017年5月8日・連続第1499回)
この事件、実はいまだに係争中である。この賃金仮払い仮処分決定の後、まずは強制執行せざるを得なかった。一度執行したあとは任意の支払いが続いている。また、賃金仮払い仮処分が命じられる期間は、現在の実務では1年の期間を限度とする。結局2度目の賃金仮払い仮処分決定を得て、現在は毎月2人分で合計40万円の支払いが継続している。
そして、本案訴訟が粛々と進行している。被告側が慌てて本訴での和解を申し入れるか、あるいは訴訟進行の促進をはかるかと思いきや、どちらでもなかった。次回1月31日、東京地裁民事14部での原告両名と被告代表者本人尋問で事実上の結審となる。本案訴訟の判決確定までフルコースの解雇訴訟となる確率が高い。本案判決が思わぬ結果となるはずはない。
2人の英語学校教師労働者(米国人)の、それぞれ2件の賃金仮払い仮処分決定。参考になろうかと思う。「ヤマハ英語講師ユニオン」からのご連絡があれば、郵送させていただく。
(2019年1月21日)
30日以内
石川逸子
2019年1月13日
元徴用工訴訟をめぐって
日本政府は 1965年の日韓請求権協定に基づく
協議再開要請への返答を
30日以内に出すよう 韓国政府に求めた
植民地下 日本男性を根こそぎ徴兵したことから
労働者不足となり
一家の働き手 若い朝鮮人たちを
力づくで 脅して 軍事工場へ 飛行場へ 鉱山へ
拉致してきた 大日本帝国
自らの意思で会社と契約した労働者なんかじゃない
いわば奴隷だったのだ
思い出す
1944年9月 徴用令書の公布を受け
「給料の半分は送金する 逃げれば家族を罰する」
と脅され はるばる郡庁に集まり
軍人の監視を受けながら
貨車で釜山へ 連絡船で下関 汽車で広島の工場へ
12畳の部屋に12人詰めこまれたという
在韓被爆者たちの訴えを
思い出す
「ヤミ船でやっと帰国してみたら
送金はなく 赤ん坊が餓死していました」
「朝鮮総督府になにもかも供出して
屋根のない家に家族がいました」
「爆風で怪我し 体調ずっと悪く 今も息苦しくてたまりません」
口々に訴えたひとたちを
思い出す
「小学校時代
日本語をしゃべらないと殴られた
戦争末期には食器まで銃にすると取り上げられた」
と言ったひとを
「豊臣秀吉の朝鮮侵略を讃える授業が辛かった」
と言ったひとを
むりやり連れてこられたのに
自力で帰るしかなかったから
ヤミ船で遭難し 海の藻屑となったひとたちもいた
劣悪な食事に抵抗して捕らわれ
広島刑務所で獄死したひともいた
待てど待てど 戻らない夫を待ち
老いてもなお戸口に立ち尽くす妻もいた
それらひとりひとりの憤懣に 恨に
思いをいたすこともなく
30日以内と 居丈高に迫ることができるのか
「協定は国と国との約束
個人請求権はなくなりません」
これまでの国会での政府公式見解を
あっさりと 闇に葬り
期限を切って回答をせまる ごう慢に 無礼に 気づかないのか
思い出す
かつて日清戦争前夜
1894年7月20日
朝鮮政府に
受け入れるはずもない4項目の要求を突きつけ
同月22日までの回答を迫った
日本政府を
―京城・釜山間の軍用電話架設
―日本軍のための兵営建設
―牙山駐留の清軍を撤退させる
―朝鮮独立に抵触する清との諸条約の破棄
翌23日深夜
回答がえられないのを口実に
他国の王宮の門を オノやノコギリで打ち破り
王宮を力づくで占領し
国王夫妻・王子を幽閉し 財宝も奪った
日本軍
朝鮮人なら思い出すであろう
腹が煮えかえる歴史を
再び繰りかえすつもりでもいるのか
相手あっての交渉の日時を
30日以内など
一方的に要求するとは!
韓国人留学生が言っていた
「日本の書店には
反韓反中の本があふれていますが
韓国には反日の本など並んでいませんよ」
恥ずかしい国の
一主権者であることを恥じながら
小さな新聞記事を切り抜く
????????????????????????????????????????????????????? ―2019・1・16
日本政府のあまりの無礼な態度に呆れ、拙い詩を作りました。
ご笑読くださいませ。 石川逸子
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石川逸子さんは、第11回H氏賞受賞の詩人。受賞歴で紹介されることを快しとする方ではないが、紹介者が俗物だからお許しいただきたい。訴える術のない、無数の被爆者や「日本軍慰安婦」や戦没者たちを代弁して、その怒りや悲しみを詩にしてこられた。「日本軍『慰安婦』にされた少女たち」 (岩波ジュニア新書)など、多数の著書もある。
その石川さんが、元徴用工訴訟大法院判決への安倍内閣の対応に怒った新たな詩を書いた。1月13日の出来事を読み込んだ詩が16日の作となり、昨夜(19日)友人からメールで転送されてきた。歴史を踏まえての、「時事詩」でもある。
なお、作中にある「日清戦争前夜」の史実について、若干の解説を記しておきたい。
日清戦争は、日清両国の朝鮮に対する覇権の争奪戦だった。その陸戦は、牙山(韓国・中西部の都市)に籠もる清国軍を日本軍が攻撃したことを発端としている。
外交上、日本としては清国軍攻撃の口実が必要だった。その策を講じたのが、当時時の朝鮮公使・大鳥圭介だった。1984年7月20日午後、同公使は朝鮮政府に対しての申し入れをしたが、そのなかに「牙山駐留の清軍を撤退させる」との要求があった。この要求は、朝鮮が清軍を退けられないのであれば日本が代わって駆逐する意と解されていた。
回答期限の22日夜半の朝鮮政府の回答を不満として、23日未明日本軍は駐屯地龍山から漢城(ソウル)に向け進軍を開始。電信線を切断して、朝鮮王宮を攻撃し占領した。こうして日本は国王高宗を支配下に置き、大院君(高宗の実父)を再び担ぎだして新政権を樹立させた。そして新政権に対して牙山の清軍を掃討するよう日本に依頼させた。直ちに日本軍は牙山に向けて進軍し、本格的な陸戦は同月29日に始まり、その後8月1日に至って日清両国が宣戦布告をしている。
つけ加えれば、大鳥圭介は同年10月に朝鮮公使を解任されている。日清戦争後の1895年9月1日に朝鮮公使に就任したのが三浦梧郎。同年10月8日に、景福宮に押し入っての閔妃暗殺を指揮している(乙未事変)。日本は、日清戦争の前後に朝鮮の王宮に押し込み狼藉を働いているのだ。
(2019年1月20日)
昨日紹介した東京弁護士会の懲戒事例。昨日の記事は、この懲戒事案との対比で、スラップ受任弁護士に懲戒あってしかるべしとの内容。
スラップ受任弁護士には遠慮なく懲戒請求を
― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第146弾
https://article9.jp/wordpress/?p=11929
本日は、この懲戒事例がアディーレの業務における不祥事であることについての感想を記しておきたい。
この事件をTBSは次のとおり報道している。さすがにこれは分かりやすい。
アディーレ法律事務所に所属する弁護士が慰謝料の支払いを請求した相手に不当な要求などをしていたとして、東京弁護士会は業務停止1か月の懲戒処分としました。
? 東京弁護士会が業務停止1か月の懲戒処分にしたのは、東京・豊島区のアディーレ法律事務所に所属する吉岡一誠弁護士(31)です。
? 東京弁護士会によりますと、吉岡弁護士は2016年8月に、女性から夫の不倫相手に慰謝料500万円を請求するための依頼を受けましたが、依頼を受けたことを告げる「受任通知」を不倫相手の女性に送らず、この女性の職場に何度も電話をかけるなどしたということです。不倫相手の女性は教員で、吉岡弁護士はこの女性に対して、「誠意が見られなければ教育委員会に通告することも検討している」などと伝えていました。
? 弁護士会の調査に対して、吉岡弁護士は、「正当な弁護士活動だった」などと主張しているということです。
懲戒を受けたこの若い弁護士は弁護士としての職業生活をアディーレ文化の中でスタートした。アディーレが集客した事件を、アディーレから配点されて、アディーレのスキームにしたがって、アディーレ流のスタイルで業務に従事して、懲戒をうけた。やや気の毒な側面を否定し得ない。
アディーレは「過払い金請求・債務整理」に特化した業務を行っていると思っていた私が迂闊。この件で、「浮気・不倫の慰謝料請求」も行っていることを知った。この業務が、過払い金請求とならんで定型化に馴染むものと考えてのことだろう。そのニーズを掘り起こすべく顧客誘引のネット広告を打っている。
「浮気・不倫の慰謝料問題なら弁護士法人アディーレ法律事務所」というサイトがあって、「解決事例」が列記されている。「このサプリを飲んで、こんなに元気になりました」を思わせる類の広告。例えば、こうだ。
「不倫相手を懲らしめたい! 弁護士が強気で交渉して,慰謝料400万円を獲得!」「離婚を悩んでいるなら,まずは不倫相手に慰謝料請求。弁護士の交渉で100万円を獲得!」「夫が会社の部下と浮気。離婚を前提として弁護士が毅然と主張し慰謝料150万円を獲得!」
要するに、「浮気・不倫の慰謝料トラブルに関するご相談」に特化し、「400万円獲得!」「100万円を獲得!」「150万円を獲得!」と、獲得慰謝料金額を実績としてアピールしているのだ。
多面的な社会生活の一面の一部分を切りとってビジネスモデル化した「浮気・不倫の慰謝料請求」事件の受任。医療の現場では、「この医師は病気だけをみて、病人をみようとしない」が、批判の言葉となっている。開き直って弁護士が、「病気だけ」をみようというのだ。小さな患部の治療だけを専門にやります。その範囲をはみ出した面倒なことは一切いたしません、というわけだ。
そのこと自体は違法とも不当とも言いがたい。顧客の要請に応えていると言えば、確かにそうとも言える。そのようなニーズは確実に存在するだろう。しかし、どうしても、違和感をぬぐい得ない。手っ取り早く儲かりそうなところだけをビジネスにしているその姿勢に、である。
いずれは、弁護士業務の世界にも市場原理が持ち込まれる。弁護士もビジネスである以上は、人権だ社会正義だなど言ってはおられず、楽に金になる仕事を漁ることになるだろう。そう、「いずれは…」と語られていた事態が、「既に…」現実になっているのだ。
今回の若い弁護士の懲戒事案。私が違和感を拭えないとする弁護士ビジネスのありかたと深く関わっているものと考えざるをえない。アディーレがネットで宣伝している、「弁護士が強気で交渉し」「弁護士が毅然と主張する」という手法は、懲戒事案の「弁護士が、交渉相手を威迫し困惑させる」という手法と紙一重。手っ取り早く慰謝料を獲得しようというビジネスとしての姿勢が、相手方の言い分に十分に耳を傾けて社会的に妥当な解決に至ろうという弁護士本来のありかたに背反することになったものと推察される。
真っ当な弁護士なら、相手方の言い分にも十分に耳を傾ける。それが、妥当な解決の第一歩なのだ。ところが、弁護士業務をビジネスとしてだけとらえる弁護士には、そのような姿勢がない。例えば、スラップ弁護士。スラップ提訴は、提訴で威圧すること自体が目的なのだから、社会的に妥当な解決など眼中にない。そもそも適正妥当な請求金額という考え方がない。結局は、提訴者本人にも受任弁護士にも社会的な非難が集まることになって、提訴者の利益にはならない。
アディーレも同様。高額慰謝料額の請求や獲得をアピールするような、はしたないことは真っ当な弁護士はしないものなのだ。
ネットには、下記のような、法曹でない方からの感想もある。
若い弁護士は何を焦っているのでしょうか? 早く結果を求めるのでしょうか、大手の弁護士法人でもここまで焦って事件処理をする原因は何でしょうか、事務所から早い結果を求められる、売上を求められるのでしょうか? 勤務弁護士に対し毎月のノルマでもあるのでしょうか?
このような批判には、十分に耳を傾けるべきだろう。
なお、アディーレやこれに類似の弁護士からの請求を受けた方には、弁護士会へのご相談をお勧めする。真っ当な弁護士が法律相談に乗ってくれる。個人的対応で十分という判断もあろうし、個人での対応が難しければ受任弁護士の紹介もしてくれる。請求に威迫が伴っている場合には、弁護士懲戒の手続も教えてくれるはず。
ネット検索よりは、弁護士会を信頼することの方がずっと賢明な対応手段なのだ。
(2019年1月19日)
日弁連機関誌「自由と正義」(月刊)には、巻末に全国52単位会の弁護士懲戒全例が掲載される。弁護士会の会員に対する懲戒権は弁護士自治の根幹を支えているものだから、その行使の適切に関心をもたねばならない。もちろん、我が身にまったく無縁なことでもない。読むに気の重いことではあるが、他山の石としても目を通さざるをえない。
数日前に届いた「自由と正義」1月号の、以下の記事が目にとまった。私にとって、これは注目に値する。
懲戒処分の公告
東京弁護士会がなした懲戒の処分について同会から以下の通り通知を受けたので、懲戒処分の公告及び公表等に関する規定第3条第1号の規定により公告する。
1 処分を受けた弁護士
氏 名 吉岡一誠
登録番号 51064
事務所 東京都豊島区東池袋3-1-1 サンシャイン60
弁護士法人アデイーレ法律事務所
2 処分の内容 業務停止1月
3 処分の理由の要旨
被懲戒者は、2016年8月頃に被懲戒者の所属する弁護士法人AがBから受任した、懲戒請求者とBの夫Cとの不貞行為についての懲戒請求者に対する慰謝料請求事件についてその担当となった。被懲戒者はBとCとの婚姻関係が破綻に至っておらず、不貞行為を裏付ける証拠が弁護士法人Aが作成した定型的な書式に概括的に記入されたC名義の文書のみであり、懲戒請求者に否認されたときには慰謝料請求権の存否が問われかねないものであったところ、およそ判決では認容され難い500万円もの慰謝料を請求する目的で住民票上懲戒請求者が単身で居住していることを知りながらあえて受任通知を送付せず、同年9月15日から同月19日まで多数回懲戒請求者の携帯電話に電話して不安をあおり、さらに同月20日には懲戒請求者の勤務先に電話してその不安を高め、携帯電話の履歴から電話をしてきた懲戒請求者に対し、500万円もの高額の慰謝料を請求し、その交渉材料として懲戒請求者の人事等に関する権限を有する機関への通告を検討していることを伝えて畏怖困惑させ、これにより相当な慰謝料額よりも高い賠償金を支払わせようとした。
被懲戒者の上記行為は弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
4 処分が効力を生じた日 2018年10月15日
2019年1月1日 日本弁護士連合会
処分理由の要旨を読むには少し骨が折れるが、この弁護士は女性の依頼者(B)からの相談を受け、その夫(C)の浮気相手と思われる女性(懲戒請求者)を相手に何度も電話をかけて慰謝料の請求をした。この女性(懲戒請求者)は教員だった。交渉材料としたというのは、「教育委員会に通告を検討している」旨伝えたということ。請求金額は500万円だった。
東京弁護士会がこの弁護士を「業務停止1月」の懲戒とした理由を整理してみよう。
この弁護士の受任事務は、依頼者の夫(C)と相手方女性との不貞行為にもとづく、慰謝料請求である。それ自体に、違法も不当も、弁護士としての非行もない。
弁護士としての非行があったとされたのは、次の理由だ
(1) 慰謝料請求の根拠は薄弱だった。
(2) にもかかわらず、およそ判決では容認されがたい500万円もの高額の慰謝料を請求した。
(3) 何度も相手側に電話を掛け、「教育委員会への通告を検討している」とまで言って脅した。
(1)と(2)とは相関関係にある。まとめれば、「当該の具体的状況においては、およそ判決では容認されがたい過大な金額の慰謝料を請求した。」ことが、弁護士としての非行の根拠とされている。
そして、もう一つの非行の根拠として、(3)の請求や交渉の態様の悪質さがある。
私(澤藤)は、DHCの会長である吉田嘉明から、慰謝料6000万円の請求を受けた。請求は、訴訟という形でのことだった。吉田嘉明からこの件を受任して提訴したのは、第二東京弁護士会の今村憲外2名の弁護士である。
同弁護士らが受任した件は、
(1) 慰謝料請求の根拠は極めて薄弱だった(後に、敗訴が確定している)。
(2) にもかかわらず、およそ判決では容認されがたい6000万円もの高額の慰謝料を請求した。
(3) しかも、事前の交渉はまったくなく、いきなりの2000万円請求の提訴だった。これを被告(澤藤)が、当該の提訴自体がスラップ訴訟として違法なものだとブログで反撃を始めるや、今村憲らは直ちに2000万円の請求を6000万円に増額した。
どうだろうか。今村憲らのスラップ受任は、「弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。」と十分に言えるのではないだろうか。本来、躊躇なく、今村憲らを所属弁護士会に懲戒請求すべきだったのだと今にして思う。
スラップ訴訟とは、言論の自由を封殺しようという社会悪である。私が、吉田嘉明を批判したのは、典型的な政治的言論だつた。吉田嘉明が、渡辺喜美という政治家に、8億円もの巨額の裏金を渡して、金の力で政治を動かそうとしたことを批判したものだ。この批判を嫌って、言論を封殺しようとしたのが、DHCスラップ訴訟である。
吉田嘉明だけでは提訴はできない。こんな事件でも受任してくれる弁護士が必要なのだ。慰謝料請求の根拠は極めて薄弱で、勝訴の見込みがゼロに近いことは普通の弁護士なら分かることだ。いささかなりとも憲法感覚のある弁護士ならば、「吉田さん、およしなさい」「裁判なんかやったら、かえってあなたの立場が悪くなる」と諫めるべきだった。
にもかかわらず、今村憲外2名は、私を被告として提訴した。当初は2000万円の請求額、そしてその後には6000万円への請求の拡張。およそ判決では容認されがたいことが客観的に明らかな高額の慰謝料請求である。私の件を含め、同様のスラップは少なくとも10件あった。すべて、今村憲らが代理人として受任している。
スラップ防止の立法が困難だとすれば、スラップの提訴自体を違法とする損害賠償認容判決の積み重ねが有効だと考えてきた。しかし、スラップ受任弁護士の懲戒請求も有効ではないだろうか。結局のところ、スラップを違法という根拠は、民主主義社会における言論・表現の自由の価値に対する格別の尊重にある。それは、少なくとも弁護士会内では、十分に理解してもらえるものではないか。
裁判所にも、弁護士会にも問題を提起しつつ、商品市場ではスラップを常套とするDHCに不買運動で対応することが必要だと思う。
(2019年1月18日)
2月24日投開票が予定されている「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」。住民の直接請求を受けて、沖縄県議会が可決した住民投票条例によるもの。その事務手続は、各市町村が代行することになっており、その費用は県が負担する。
この投票事務手続委任の趣旨を木村草太さんは、沖縄タイムスへの寄稿の中で次のように説明している。
「地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。
なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。」
この点を、沖縄県のホームページはこう解説している。
Q5 市町村事務に要する経費について
市町村の事務の執行に要する経費については、地方財政法第28条の規定に基づいて全額、県が負担し、市町村に交付します。市町村が実施する投票に関する事務の主なものは「名簿の調整」、「投票の実施」、「開票の実施」に係る事務があります。
ところが、この投票事務手続に関して、県内5市(沖縄、宜野湾、うるま、宮古島、石垣)が実施を拒否して事実上の投票不参加を表明している。
この実施拒否はおそらくは違法だ。違法な上に、住民の意見表明の権利を侵害している。これは、官邸や自民党の意向を忖度した宮崎政久・自民党議員の煽動によるところが大きく、5市の関係者の責任は重く大きい。そのことは明確だが、いまどう対応すべきか、それが喫緊の課題となっている。
なによりも全国の世論の結集と糾弾が最重要であろう。それを背景に、県から総務省に緊急に要請して、同省から各市町村への行政指導を求めるのが、一つの手立てではないか。あるいは、5市の住民から、各市を被告とする直接型義務付け訴訟の提起と、仮の義務付けの申立(行政訴訟法第37条の5・1項)ができないだろうか。
ところで、一昨日(1月15日)、「2・24県民投票じのーんちゅ(宜野湾市民の意)の会」が、同市で記者会見し、市を相手とする投票権侵害に対する国家賠償請求訴訟に向けて、原告を募集することを発表した。当座の間に合わないが、これも、インパクトが大きい。
原告募集期間は、2月24日まで。宜野湾市に住む同県民投票の投票資格者を対象としている。訴額(損害賠償請求額)は1人1万円、費用負担は訴訟費・事務経費などで1人千円で、3月の提訴を目指しているという。
「同会共同代表の宮城一郎県議は、原告団の規模の目安は同県民投票を求める市内の有効署名数の4813人と発言。「お金で償ってもらうというのは本来の趣旨ではない。やはり私たちの権利を奪うことの償いとして、その罪を歴史に残す」と説明しました。会は並行して、松川市長に引き続き県民投票の参加を求めていく構えです。」(TBS) また、宜野湾だけでなく、宮古島などでも同様の動きがあるという。
関連して提案したい。この損害賠償請求の提訴には、宜野湾市だけでなく、松川市長個人も、県民投票参加に反対した保守系議員も被告にすべきではないだろうか。
地方自治法の規定によって、県から事務の委託を受けた市は、その執行の義務を負うものと解される。だからこそ、市長は受託事務の執行やその予算を議会に提案した。議会がこれを否決すると、市に義務がある限り、市長はその義務遂行のために、議案を再提案(再議)しなければならない。そして、再び否決されても、やはり市の義務の遂行のためには、否決された受託事務を執行しなければならない。
この義務に違反していることが明らかな市と市長が、損害賠償の義務を負うべきことは分かり易い。この点を、今話題の自民党・宮崎政久衆院議員が作成・配布した12月5日付「県民投票条例への対応について」と題する2頁の資料には、このように記されている。
3 市町村議会で予算案を否決した場合の取り扱い
地方自治法177条第1項により、当該市町村長は再議に付さなければならない。
再議における議会の議決で再度否決された場合は、同条第2項により、当該市町村長は当該予算案を原案執行することが可能である。
しかし、この原案は執行することが「できる」のであって、議会で予算案が否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切である。
果たしてそうだろうか。もともと、市は県から委託された事務を執行する義務を負っている。この「できる」は、再否決によっても義務を免除されない意と読むべきであって、「執行してもしなくてもよい」意と解してはならない。行政庁が「できる」とされた権限の不行使が違法とされる例は、数多くある。
むしろ問題は、議案に反対した議員の責任である。
やはり、宮崎が作成した、12月8日付の「県民投票条例への対応に関する地方自治法の解釈」と表題する文書には、
「予算案を否決することに全力を尽くすべきである。議員が損害賠償などの法的な責任を負うことはない」
との一文が見える。明らかに無責任な煽動というしかない。「法的な責任を負うことはないのだから」と、「市の義務の執行のための予算案」を無責任に否決した議員を特定して、その責任を問わねばならない。煽動した宮崎も、煽動された議員側も、予算案を否決する議決に責任が伴うことは考えていないようだ。しかし、憲法51条の議員の発言・表決についての免責特権は国会限りのもので、地方議会の議員に適用はないとされている。私自身の経験でも、以下のような判例がある。
(1991年1月10日・岩手靖国訴訟仙台高等裁判所判決)
「県議会のした国の代表及び国賓による靖国神社公式参拝が実現されるよう強く要望するとの趣旨の決議が違憲無効であることを前提として,同決議を可決して県に同決議事項を内容とする意見書等の印刷費並びに同意見書等を内閣総理大臣,総理府総務長官及び衆,参両議院議長等に提出するための旅費の支出による損害を被らせたこと及び法律上の原因なく前記旅費の支給を受けたことを理由として提起された地方自治法242条の2第1項4号後段に基づく議員個人に対する損害賠償請求及び県議会議長に対する不当利得返還請求につき,議員の発言又は表決は,地方自治法99条2項所定の地方議会の議決がその後の司法判断により違法とされても,その議決当時,前記発言又は表決の対象となった議決の内容に関する法的解釈が分かれている状況にあった場合には,前記発言又は表決が憲法及び法令の遵守義務を負う議員としての見識に基づき,かつ,相当の根拠と合理性を有する法解釈に依拠している限り,違法と評価されるべきではなく,また,議長は,議決の違憲性又は違法性が一見明白でない限り,議決に従って職務を行うべきであるから,職務上の行為としてした意見書等の印刷及び意見書等の提出のための出張は,違法とはいえず,その行為のため支出された費用を取得しても不当利得とはならない」
議員に責任を負わせることはできなかったが、この高裁判例の射程距離からは、煽動された5市の議員らが「憲法及び法令の遵守義務を負う議員としての見識に基づき,かつ,相当の根拠と合理性を有する法解釈に依拠していない」ことが明らかである以上は、有責と考えざるを得ないではないか。
(2019年1月17日)
千代田区の私立正則学園高校の教員約20人が1月8日朝ストライキを実施したことが大きな話題となっている。今の時代、ストライキが珍しい。教員のストライキは、なおさら珍しい。報道が大きい。インパクトが大きいのだ。
本来、ストライキとは組合側の要求獲得の手段として、企業の生産に支障をきたすことを目的とする。当然のことながら、組合員も賃金カットを覚悟せざるを得ないが、肉を切らせて骨を断たねばならない。もっとも、現実には「骨を断つ」まで行く例は稀であるが、ストライキが企業活動に支障を及ぼすものでなくては、企業側からの譲歩を引き出す手段としての有効性がないことになる。
正則学園高校の教員ストは、みごとなものだと思う。これだけメディアの耳目を集めただけで成功している。おそらくは事前の通知が徹底していたのだろう。寒さの中のストは絵にもなり、学園側に打撃は大きかったと推察される。報道によれば、「ストライキは早朝のみで授業への影響はなかった」というのだから、賃金カットは最小で、最大効果を上げ得たのではないだろうか。何しろ、教員に対する待遇の酷さのアピールには大成功だったのだから。理事長の悪役イメージも定着した。
教員の要求は、「長時間労働の是正」がメインだったようだが、世論にアピールしたのは、「始業前にほぼ毎日行われている午前7時前の理事長へのあいさつの廃止」そのため、この学校の教員は早朝6時半の出勤となるという。この理事長への挨拶をして退室する際には、神棚に向かって「二礼 二拍手 一礼」をするというアナクロぶり。
組合からの下記ツイッターを見ることができる。
本日、私学教員ユニオン(総合サポートユニオン私学教員支部)は、正則学園高校に団体交渉を申し入れました。月に100時間を超える長時間労働で多くの教員が体調を崩しています。その一因が早朝六時半?始まる理事長への挨拶儀式です。そこで、私たちは理事長への挨拶儀式のストライキを通告しました。
なるほど、これが今どきのストライキのスタイルなのだ。
「私学教員ユニオン」の下記ホームページが参考になる。
http://shigaku-u.jp/
団体交渉と争議の結果を続いて発信してもらいたいと思う。そして、多くの労働組合に、争議の権利あることを思い起こしていただくよう期待したい。
なお、このストが、教員によって、学校で学生に見える形で行われたことに触れておきたい。私は、このストライキそのものが、生きた立派な教育だと思う。
「教育とは、教師と生徒との全人格的接触による営為である」とはよく言われる。学校現場における争議の実行は、まさしく教師がその全人格的生き方を生徒にさらけ出していることだ。生徒は、争議の背景、事前の交渉や準備、ストライキの態様や、それに対する学園側の対応、父母や社会の反応を心に刻みつけるだろう。
生徒は、「権利の擁護のためにはストライキもできるのだ」「堂々とストライキをして恥じるところはないのだ」と学ぶだろう。それだけでなく、ストライキに参加する教員としない教員とを見比べることにもなる。自分はどうすべきか、考えざるをえない。
精神科医の野田正彰さんの著書に、「子どもが見ている背中―良心と抵抗の教育」がある。教師の背中は、つねに子どもに見られている。その生き方に疚しいとこはないか、言行が一貫しているかどうか、常に子どもの目が問うている。日の丸・君が代に対する起立斉唱や、「君が代」伴奏を強制された教師がどういう態度をとるか、教師の背中が子どもから見られているという表題なのだ。
また、東京「君が代」裁判・第4次訴訟で、減給処分取消を求めている現職教員は法廷でこう語っている。
?「東京都教育委員会は『教師が生徒に対して起立斉唱する姿を見せること、範を示すことが大切である。』と言います。しかし、侵略戦争や植民地支配の歴史を背負った『日の丸』や『君が代』に対して、私が起立斉唱することで敬意を表す姿を生徒に見せることは、私自身の教員としての良心が許さないのです。」
「私が起立斉唱すれば、生徒に対しての『日の丸』や『君が代』強制に、私自身も加担することになってしまいます。そのことは、私にとっては、自分自身の教育の理念に反する、大変に辛いことなのです。どうしても命令には従うことができないのです。」
「私の教員としての良心は、児童生徒に一方的な価値観をすり込んではならない。そして児童生徒の前で教員が恥じるような行為を行ってはならないというふうに考えています。日の丸や君が代に対して、生徒の前で私が敬意を表することによって児童生徒はそれらに敬意を表明することが絶対的に正しいものだというふうに理解します。そのことは一方的な価値観をすり込むことであって、私の教員としての良心がゆるしません。」
真面目な教師こそ、悩みに悩んだ末に、辛くても苦しくても、自分の信念を貫くことになる。ストライキを貫徹した教員も「君が代」不起立の教員も、立派な教育者だ。
(2019年1月16日)
首相でありながら改憲の旗を振る安倍晋三。その取り巻きの一人に、櫻井よしこという右翼活動家がいる。この人が、「NEWS ポストセブン」という小学館運営のホームページに寄稿している。一昨日(1月13日)のことだ。表題が興味深い。「世界で一つの変な憲法の改正は今が最後の好機」というのだ。ちょっと変な日本語感覚だが、まさか編集者側が勝手に付けたタイトルではあるまい。
「世界で一つの変な憲法」とは、「世界で一番変な憲法」あるいは「世界でたった一つの変な憲法」ということなのだろう。要するに、「変な」と言いたいのだ。右翼に、立派な憲法と言われては、日本国憲法も形無しだ。櫻井よしこから、「変な」と言われたのだから、日本国憲法はさぞかし本望だろう。
注目すべきは、「憲法の改正は今が最後の好機」という表現である。おそらくは、デマでもフェイクでもない。櫻井よしこの心情を吐露した本音なのであろう。そしておそらくは、安倍晋三も同じように考えているに違いない。「今がラストチャンスだ」「今、せっかくのこのチャンスを逃すと、もう改憲はできない」。これが改憲勢力の本音なのだから、護憲派は「さあ、改憲のラストチャンスをつぶそう」「もう少しの努力で、改憲を阻止し得る」と展望を語ることができる。
以下は、櫻井の言の要約である。
? 「日本国憲法は、国の交戦権さえ認めない恐らく世界でたったひとつの変な憲法です。日本が国民、国家、国土を自分の力で守る力を持つ『自立』した国になるために、一刻も早く憲法を改正する必要があります。しかし、安倍政権下で期待された憲法改正の発議は、今に至ってもなお実現していません。」
?
? 「その最大の理由は、政党および国会議員のあまりの無責任さにあります。とりわけ公明党は与党でありながら、『議論が熟していない』と憲法改正に背を向けています。」
?
?? 「『モリ・カケ問題』や『外国人人材法案』をタテに、衆参両院の憲法審査会に応じてこなかった立憲民主党や国民民主党など、野党の無責任さは言わずもがなです。」
?
? 「国会議員のなかで本気なのは安倍首相を筆頭に少数の議員に限られるのではないか。肝心の自民党さえも、党全体の状況を見ると、その動きは消極的に見えます。」
?
? 「憲法改正には衆参両院で3分の2以上、さらに国民投票で過半数の賛成を得る必要があります。与党が3分の2を大幅に上回っている衆議院はともかくとして、参議院では自民党が126、公明党が25、日本維新の会が11議席で合計しても162。ぎりぎり3分の2に達するという薄氷を踏むような状況です。」
?
? 「今年7月には参議院選挙があり、改正に賛成する議員で3分の2を確保できる保証はありません。現実的に考えれば、今が憲法改正の最後のチャンスなのです。」
櫻井は、何のために、こんな寄稿をしたのだろうか。私には、護憲派へのエールに聞こえる。千載一遇の改憲のチャンスが、みすみす失われつつあるという。この情勢認識は、改憲陣営への愚痴であり護憲派への励ましにほかならない。
私も、櫻井の情勢分析に同意する。要するに、今や「カイケン、カイケン」と空元気を振りまいているのは、安倍とその取り巻きだけなのだ。「国会議員のなかで本気なのは安倍首相を筆頭に少数の議員に限られる」のである。実は、改憲推進派は、孤立したさびしい少数派に過ぎない。
連立与党の公明党は、風を読むことに長けている。いま、安倍と改憲の策動をともにすれば、党勢を決定的に殺ぐことになる。「平和の党」「福祉の党」の看板を外して選挙はできない。うかうかと、安倍に乗せられてはならない。そのように風を読んでいる。
さらに、「肝心の自民党さえも、党全体の状況を見ると、その動きは消極的に見えます。」は当たり前。安倍との軋轢は避けたいが、安倍改憲に肩入れして安倍との心中なんぞ御免こうむる。皆がそう思っているに決まっている。
そして野党だ。櫻井が愚痴をこぼさざるを得ないほどの立派な姿勢なのだ。これを支えているのは、世論である。安倍というこの危なっかしい人物に、憲法をいじらせてはならないと、多くの人が考えている。
さて、7月の参院選が天王山だ。現在が、「ぎりぎり3分の2に達するという薄氷を踏むような状況」なのだ。改憲阻止派が、この3分の2を突き崩すためには、護憲野党の共闘が必要である。これさえできれば、「改憲のラストチャンス」をつぶすことができるのだ。
櫻井よしこは、正直にこう言っている。「憲法改正は、薄氷を踏むような状況です」。そのとおりだ。我々は、せっかくのこの櫻井のエールに応えねばならない。改憲派が戦々恐々として踏んでいる薄氷を、もっもっと薄くする努力をしよう。さすれば、氷は割れる。水に落ちた安倍改憲策動が再び浮上することはないだろう。
(2019年1月15日)
本日(1月14日)は「成人の日」。数少ない、天皇制とは無縁の、戦後に生まれた祝日。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日(祝日法)とされている。関東は天気も晴朗。「みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」にふさわしい日となった。私も、この日に、若者諸君に祝意と励ましの言葉を贈りたい。
何をもって「成人」であることを自覚するかは、社会によって時代によって異なる。かつての日本では徴兵検査だった。その時代、すべての成人男子には否応なく兵役の義務が課せられた。男子にとって大人になるとは、天皇の赤子として、天皇の軍隊の兵士になる義務を負うことだった。軍人勅諭を暗唱し、行軍と殺人の訓練を受けた。戦地に送られ、命じられるままの殺戮を余儀なくもされた。
その時代、主権は天皇にあって国民にはなかった。立法権も天皇に属し、帝国議会は立法の協賛機関に過ぎなかった。女子には、その選挙権も被選挙権もなかった。その時代、天皇制を支えた家制度において女性は徹底的に差別され、民事的に「妻は無能力者」とされていた。
あり得ないことに、天皇は神を自称していた。もちろん、神なる天皇は操り人形に過ぎなかった。この天皇を操って権力や富をほしいままにした連中があって、その末裔が今の日本の保守政治の主流となっている。
天皇、戦争、女性差別は一体のものだった。そのような非合理な国は亡ぶべくして亡びた。国の再生の原理は、新しい憲法に確固として記載された。国民主権、平和、そして自由と平等である。徴兵制はなくなった。天皇に対する批判の言論も自由である。女性差別もなくなった…はずである。その憲法の「改正」をめぐって、いませめぎ合いが続いている。
平和も、国民主権も、性差のない平等も、言論の自由も、昔からあったものではない。これからずっと続く保障もない。現実に、憲法は一貫して「改悪」の攻撃に曝されている。徴兵検査のない成人式も、主権者の意識的な努力なければ、今後どうなるか定かではない。
私たち戦後間もなくの時代に育った世代は、日本国憲法の理念を積極的に受容して、今日までこの憲法を守り抜いてきた。しかし、この憲法をよりよい方向に進歩させることは今日までできていない。いま、せめぎ合っているのは、憲法を進歩させようという改正問題についてのことではない。大日本帝国憲法時代の「富国強兵」の理念を復活させようという勢力が力を盛り返そうとしているのだ。言わば、「成人男子には徴兵検査を」という時代への方向性をもった「憲法改悪」なのである。
今の若者は保守化していると言う言葉をよく聞く。しかし、今のままでよいじゃないかというほどの社会はできていない。今のままでは将来が不安だと若者たちも気付いているはずだ。
この世の不正義、この世の不平等、権力や資本の横暴、人権の侵害、平和の蹂躙、核の恐怖、原発再稼働の理不尽、沖縄への圧迫。格差貧困の拡大、過労死、パワハラ、セクハラ…。この世の現実は理想にほど遠い。若さとは、この現実を変えて理想に近づけようという変革の意志のことではないか。
若さとは将来という意味でもある。社会がよりよくなればその利益は君たちが享受することになる。反対に社会が今より悪くなればその不利益は君たちが甘受しなければならない。
君たちには多様な可能性が開けている。未来は、君たちのものだ。君たち自身の力で、未来を変えることができる。これから長く君たちが生きていくことになるこの社会をよりよく変えていくのは君たちだ。
さて、今年は、選挙の年だ。君たちの一票が、この国の命運を決める。とりわけ7月に予定の参院選。いまは、自・公・維・希の改憲勢力が、かろうじて議席の3分の2を占めている。この3分の2の砦を突き崩せば、安倍改憲の策動は阻止することができる。君たちの肩に、主権者としての責任が重くのしかかっている。
投票日だけの主権者であってはならない。常に、主権者としての自覚をもって、民主主義や人権・平和のために何ができるかを考える人であって欲しいと思う。
一つ、主権者としての自覚における行動を提案したい。DHCという、サプリメントや化粧品を販売している企業をご存知だろうか。その製品を一切購入しない運動に参加して欲しい。商品の積極的不買運動、ボイコットでこの企業に反省を迫ろうというのだ。
DHCとは、デマとヘイトとスラップをこととする三拍子揃った企業。その会長である吉田嘉明が在日や沖縄に関する差別意識に凝り固まった人物。電波メディアを使って、デマとヘイトの放送を続けている。そして、吉田嘉明とDHCは、自分を批判する言論に対するスラップ(言論抑圧を動機とする高額損害賠償訴訟)濫発の常習者でもある。詳しくは、当ブログの下記URLを開いて、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズをお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
あなたがなんとなくDHC製品を買うことが、デマとヘイトとスラップを蔓延させることになる。あなたの貴重なお金の一部が、この社会における在日差別の感情を煽り、沖縄の基地反対闘争を貶める。また、安倍改憲の旗振りに寄与することにもなる。
言論の自由を圧迫するスラップ訴訟は、経済合理性を考えればあり得ない。しかし、DHCの売り上げの一部が、こんな訴訟を引き受ける弁護士の報酬にまわることにもなる。
DHC製品不買は、「消費者主権」にもとづく法的に何の問題もない行動。意識的にDHC製品を購入しないだけで、この社会からデマとヘイトとスラップをなくすることができる。若者たちに訴える。ぜひ、主権者としての自覚のもと、「DHC製品私は買わない」「あなたも買っちゃダメ」と多くの人に呼びかけていただきたい。投票日だけの主権者ではない、自覚的な主権者の一人として。
(2019年1月14日)
河野タロウでございます。
日韓請求権・経済協力協定の理解に関して、ミスリーディングなニュースや解説が流されています。まことに遺憾なことで、この機会に丁寧な説明をしておきたいと思います。
しんぶん赤旗電子版は、2018年11月15日号にこう記事を掲載しています。
『河野太郎外相は14日の衆院外務委員会で、韓国の元徴用工4人による新日鉄住金に対する損害賠償の求めに韓国大法院(最高裁)が賠償を命じた判決(10月30日)をめぐり、1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は「消滅していない」と認めました。
日本共産党の穀田恵二議員への答弁。大法院判決について「日韓請求権協定に明らかに反する」としてきた安倍政権の姿勢が根本から揺らぎました。』
しかし、「個人の請求権は消滅していない」ということは以前から答弁していることですし、個人の請求権は救済されないということにはなんら変わりはないわけですから、何かが根本から揺らいだわけではなく、極めてミスリーディングです。
さらにこの記事は続けて、こう言っています。
『また穀田氏は、大法院判決で原告が求めているのは、未払い賃金の請求ではなく、朝鮮半島への日本の植民地支配と侵略戦争に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員への慰謝料だとしていると指摘。
これに関し柳井条約局長が、92年3月9日の衆院予算委員会で日韓請求権協定により「消滅」した韓国人の「財産、権利及び利益」の中に、「いわゆる慰謝料請求というものが入っていたとは記憶していない」としたことをあげ、「慰謝料請求権は消滅していないということではないか」とただしました』
韓国国民の請求権は、「消滅させられてはいませんが、請求権が救済されない」ということは、常々申し上げてきたとおりです。衆議院外務委員会で何か新しいことがあったわけではありません。
上記の判決にもとづく執行としてなされた、大邱地裁による新日鉄住金に対する差押え命令の法的効力に対しても、同様の原則を貫いてまいります。
いうまでもなく、協定によって、個人の請求権を含む日韓間の財産・請求権の問題は完全かつ最終的に「解決」されました。当時の韓国が軍事政権下にあって、この協定が韓国国民からは強い反対を受けていたことはご存じのとおりですが、どのような事情があろうとも、政府間の協定は正式に成立しています。
もう少し丁寧にご説明申しあげれば、請求権・経済協力協定第二条1で、請求権の問題は「完全かつ最終的に解決された」ものであることを明示的に確認し、第二条3で、「一方の締約国及びその国民は、他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権に関して、いかなる主張もできない」としていることから、個人の請求権は法的に救済されません。
しかも、この協定を実施するために、日本では国内法を制定し、この法律によって、法律上の根拠に基づき財産的価値が認められる全ての実体的権利、つまり財産、権利及び利益を消滅させたところです。
おわかりいただけますか。徴用工の新日鉄住金に対する請求権は、消滅させられたわけではありません。しかし、法的に救済されないのです。よろしゅうございますね。
何か、質問がございますか。
A社です。「協定で請求権は消滅しないが、法的に救済されない」というご説明がさっぱり分かりません。今のご説明を聞いていますと、むしろ、日本がつくった国内法の効力として、日本国内では、請求権が法的に救済されないものになったと理解すべきではないでしょうか。そのような国内法をもたない韓国では、司法が請求権の法的救済を認めるのは当然のように思えるのですが、いかがでしょうか。
次の質問どうぞ。
A社です。お答えいただけないのですか。どうして、そんな常識では分かりにくい協定になったのでしょうか。そのようなことは、相互に確認されているのでしょうか。
ハイ、次の質問どうぞ。
B社です。「一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずるべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅した」ことについてのご説明が、ポイントだと思うのですが、これが理解いたしかねます。日本政府は、この協定によって、植民地統治時代における、いかなる種類の個人請求権も法的保護から外されたものとお考えなのでしょうか。仮に、虐待による不法行為慰謝料請求権まで法的保護から外されたというご見解であるとすれば、国家間の協定で個人の訴権までを奪いうるというその根拠をご説明ください。
ハイ、次の質問どうぞ。
B社です。ぜひお答えいただきたい。国民個人の請求権は、これを政府が代理して放棄したり処分してしまうことができるとお考えなのでしょうか。徴用工問題だけでなく、慰安婦問題にもつなが論点ですので、ご回答いただきたい。
ハイ、次の質問どうぞ。
C社です。文大統領は、韓国が三権分立の国である以上、司法部の判断を尊重するしかないと意見を表明しています。司法の独立という文明国の原則から当然のことと思いますが、大臣はこれにご批判あるのでしょうか。
ハイ、次の質問どうぞ。
C社です。この問題は、第三国から見ると、日本の司法権の独立はなく最高裁は政権の意のままになるのだと誤解を受けかねませんよ。
ハイ、次の質問どうぞ。
D社です。外務省のお考えを伺います。今回の韓国大法院の徴用工判決を、どうお読みになっていますか。判決理由は、実体的な債権だけでなく、訴権も失われていないことを当然のこととして詳細な説明がありますが、法廷意見の論理は間違っているとお考えでしょうか。
ハイ、次の質問どうぞ。
重ねてD社ですが、ご説明のうち「韓国は日本との協定を締結した以上は、誠実に実行すべきだ」ということは分かります。しかし、それは韓国の行政府のことであって、司法は別ではないでしょうか。司法は、国際条約を尊重しなければなりませんが、条約が国民の人権を蹂躙するものとして憲法と矛盾する場合には条約を無視しなければならなくなります。今回の大法院の判断は、実質的にそのようなものとお考えになりませんか。
ハイ、次の質問どうぞ。
D社です。お答えいただけないのは、結局大法院判決の論理には反論できず、ただただ不愉快なだけだと聞こえますが、そういう理解でよろしいでしょうか。
ハイ、これで質問を打ち切ります。会見は終了しました。
(2019年1月13日)
本日(1月12日)夕刻に、「終わっていないぞ! DHC『ニュース女子』問題2周年!」「沖縄ヘイトを許さない集い」に参加した。
DHC「ニュース女子」放送事件をきっかけに立ち上がった「沖縄への偏見をあおる放送を許さない市民有志」の主催。いかにも手作りという温かい雰囲気の集会で盛会だった。とりわけ、メインの安田浩一さんの講演は熱のこもったものだった。
話題の中心は、デマとヘイトが人を壊し社会を壊す罪深いものであること。また、今沖縄に生じている問題は、けっして「沖縄問題」ではない日本全体の問題としてとらえなければならない。沖縄を今の状態に置いている本土の我々の責任に真摯に向き合わねばならないということ。その立場からは、デマとヘイトの元凶であるDHCへの社会的制裁が必要であり、不買運動を重ねなければならないという結論になる。
いくつもの運動体が、会場から貴重な発言をした。私も、以下のビラを配布して、このビラに沿った発言をした。複数の新聞記者が、DHCスラップ訴訟に興味をもってくれた。
DHCを追い詰める運動が拡がっている感がある。
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「デマとヘイトのDHC」は、
「スラップのDHC」でもあります。
DHCスラップ反撃訴訟で、吉田嘉明尋問決定!
4月19日(金)午後 東京地裁415号法廷(東京地裁・4階)
皆様、ぜひ傍聴にお越しください。
いま、在日や沖縄に対するデマとヘイトで俄然有名になったDHC。実は以前から、「スラップ常習企業」としても悪名を轟かせています。「スラップ」とは、批判の言論を封じるために提起された高額民事訴訟のこと。デマ・ヘイト・スラップと三拍子を揃えた、これほど性悪の企業も珍しいのです。
DHCのスラップは、当時地位確認で争っていた労働組合に対して、5000万円の名誉毀損損害賠償をしたことで有名になりました。労組幹部個人に対しても、1000万円の請求訴訟を提起しています。
2014年の3月。DHCの会長である吉田嘉明が、週刊新潮にとんでもない手記を掲載しました。吉田嘉明は、政治家・渡辺喜美に裏金8億円を渡していたということを、臆面もなく自ら滔々と述べたのです。当然のことながら、吉田嘉明は、多くの人からの批判に曝されました。そうしたら、DHCと吉田嘉明は、批判者の内から10名を選んで、スラップ訴訟を提起したのです。最低2000万円から、最高2億円まで。
私もブログで、「政治が金によって動かされてはならない」とする至極真っ当な批判をしました。こうして、私もその10人の内の一人となりました。DHC・吉田嘉明から私に対する請求額は、最初は2000万円。このDHC・吉田嘉明の提訴は違法なスラップ訴訟だとブログで批判を始めた途端に、2000万円の請求は6000万円に跳ね上がりました。DHC・吉田嘉明の提訴の目的が、言論の封殺にあったことは明らかではありませんか。
このスラップ訴訟では、私が全面勝訴しました。今、攻守ところを替えて、スラップ提訴が違法だとする「反撃」訴訟を提起しています。その訴訟で、吉田嘉明本人尋問が決定したことをお知らせします。
(詳細は、ネットの「澤藤統一郎の憲法日記」をご覧ください)
スラップ被害の当事者として
2014年の5月。まったく思いがけなく、私自身を被告とする典型的なスラップ訴訟の訴状送達を受けとりました。原告は、DHC・吉田嘉明。請求金額は2000万円。屈辱的な謝罪文の要求さえ付されていました。この上なく不愉快極まる体験。こんな訴訟を提起する人物か存在することにも、こんな訴訟を受任する弁護士が存在することも、信じがたく腹立たしい思いを禁じえません。
この訴訟の請求額は、3か月後の同年8月6000万円に跳ね上がりました。私がブログで、「スラップ訴訟を許さない」とキャンペーンを始めたからです。経過から見て明らかに、DHC・吉田は、高額な損害賠償訴訟の提起という手段をもって、私に「黙れ」「口を慎め」と恫喝したのです。
私の怒りの半ばは私憤です。私自身の憲法上の権利を侵害し言論による批判を封じようというDHC・吉田に対する個人としての怒り。しかし、半ばは公憤でもありました。訴訟に精通している弁護士の私でさえ、自分自身が被告となれば戸惑わざるを得ません。応訴には、たいへんな負担がかかることになります。訴訟とは無縁に生活している一般市民が、私のようなスラップの提訴を受けた場合には、いかばかりの打撃を受けることになるか。このような負担を回避しようという心理が、言論の萎縮を招くことになります。強者が提起するスラップが効果を発揮することとなれば、この社会の不正を糾弾する言論が衰微することにならざるを得ません。私は、「けっしてスラップに成功体験をさせてはならない」と決意しました。
言うまでもなく、訴訟本来の使命は、権利侵害の回復にあります。法がなければ弱肉強食のこの社会、法がなければ強者が弱者の権利を蹂躙し、権利を侵害された弱者は泣き寝入りを強いられるばかり。法あればこその権利侵害救済が可能となり、これを実現する手続として民事訴訟制度があり、裁判所があって法曹の役割があるはずではありませんか。
DHC・吉田の私に対する提訴は、この訴訟本来の姿とは、まったくかけ離れたものと言うほかはありません。権利救済のための提訴ではなく、市民の言論を妨害するための民事訴訟の提起。これこそがスラップの本質なのです。
もし仮に、本件スラップの提訴が違法ではないとされるとしたら、吉田嘉明を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が濫発される事態を招くことになるでしょう。社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行するそのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることとなります。それでは、権力と経済力が社会を恣に支配することを許すことになってしまいます。けっして、スラップに成功体験をさせてはならないのです。
(2019年1月12日)