関東大震災96年 朝鮮人犠牲者追悼式典
日時 2019年9月1日(日) 午前11時?
都立横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3番25号)
交通 JR総武線「両国駅」西口 徒歩7分
都営地下鉄・大江戸線「両国駅」A1出口 徒歩2分
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による大混乱・不安の中で「暴動が引き起こされている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」などといった流言飛語が飛び交い、軍・警察・自警団など人の手によって多くの朝鮮人・中国人そして日本の社会運動家が虐殺されました。
しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意をこめて追悼式典を開きます。
主催 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
(事務局 日朝協会東京都連合会)
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9月1日に東京都内で営まれる関東大震災(1923年)の朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、実行委員会が8日、小池百合子東京都知事に宛てて、式典に追悼文を送るよう求める要請文を提出した。小池氏は2年続けて送付を見送っており、取材に対して「昨年と同じ」と話し、今年も送付しない考えを示した。(8月9日 朝日)
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今年も9月1日が近づいている。私が名付けた「国辱の日」。1923年9月の関東大震災後に、日本人が無辜・無抵抗の朝鮮人・中国人を集団で虐殺した、その虐殺事件を国辱と呼んでいる。今なお、「そのような虐殺事件はなかった」「朝鮮人の暴動が先行した」という歴史修正主義者たちが、国辱の上塗りをしているのが情けない。
その国辱上塗りグループに加担しているのが小池百合子・東京都知事。今年も、9月1日の朝鮮人慰霊式典に知事は追悼文を送らないという。このポピュリスト政治家は、追悼文など送らなくても次の知事選には影響がない、そう高をくくっているのだ。
東京・横浜だけでなく、関東全域に無数に組織された「自警団」という「普通の日本人集団」が、無抵抗の人々を撲殺したり刺殺したのだ。この無理無体は、到底文明人のできることではない。その野蛮極まる集団虐殺行為を「国辱」と言わざるを得ないではないか。
先日、この件について詳しいジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かり易く説得力に富む内容だった。その彼が、講演の最後に、なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて、「三つの論理」を述べた。これが印象に深い。
三つの論理とは、「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
「差別の論理」とは、当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識、謂われのない蔑視の感情が、容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。
次いで、「治安の論理」である。このとき、朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は、蔑視だけでなく、朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情も併せ持っていたであろう。朝鮮人に対する、過剰な警戒心をもっていたであろう。
さらに、「軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには、あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし、軍隊の経験を経ている者は、人を殺すハードルを乗り越えている。自警団の中心にいたのは、実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも、彼らは、シベリア出兵(1918?)、3・1独立運動弾圧(1919?)、間島出兵(1920)など、ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。
あらためて、次の言葉を噛みしめる。
一人一人の兵士を見ると、みんな普通の人間であり、家庭では良きパパであり、良き夫であるのです。戦場の狂気が人間を野獣にかえてしまうのです。このような戦争を再び許してはなりません。(村瀬守保)
いったん戦場の狂気に囚われた多くの人が、戦場から離れて日常生活に戻ったあとに、非常時の「狂気」によって再びの「野獣」に化したということなのだろう。
「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」は、いずれも戦争を準備する「論理」として、平和のために克服しなければならない。とりわけ、日韓関係が軋んでいる今なればこそ。
心ある人びとに、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典ご参加を呼びかけたい。
(2019年8月21日)
「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」。これが、「朕」が兵士に下した軍人勅諭の一節である。230万人もの「兵」が、この勅諭にしたがって、鴻毛より軽い死を余儀なくされた。
一方、上から目線で勅諭をたれた「朕」の責任はどうだったか。古来戦のあとには、敗軍の将は死をもって敗戦の罪を贖った。兵を語らず、言い訳をすることなく。敗戦時自決した軍人は少なくない。そんな政治家もあった。自決は忌むべき野蛮な風習だが、自己を一貫するための痛ましい選択であったことは、理解し得ないではない。それほどにも、自らの責任の重さを感じていたということなのだ。最高責任者である「朕」の場合はどうだったのか。ヒトラー・ムッソリーニと並び称されたヒロヒト本人に、いったいどれだけの責任の自覚があったか。
「朕」は、230万の英霊だけにではなく、「朕」のために犠牲になった民間人80万人に対しても、アジア太平洋戦争で皇軍によって殺戮された2000万人の人の死にも責任を取らねばならない。その責任の重さ心苦しさには計り知れないものがあるに違いない。そう考えるのが常識というもの。いや、下々の浅知恵というもの。
初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」公開が話題となっている。昭和天皇(裕仁)の「生の声」が甦ったとされる。NHKは、番組のサブタイトルに「語れなかった戦争の悔恨」とつけた。さぞかしの、慚愧・苦悩・悔恨の「肉声」かと思いきや、何のことはない。責任転嫁・見苦しい弁明をしようとして、許可されなかったというだけのこと。
彼がいう「反省」とは、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などいう程度のもの。「国民皆に反省すべき悪い点があった」とは、「私だけじゃない」という開き直りの弁明。これを毎日社説は「天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。」という。そのとおりだ。
それだけではない。「朕」は、再軍備と憲法改正の必要性にまで、言及していたのだ。およそ新憲法の精神を理解せず、君主意識をもったまま。主権が国民に移行した意味すら、分かってはいなかったのだ。
「英霊」諸氏よ。武器も食糧もなく戦場をさまよって餓死した英霊の諸氏よ。特攻という名の自殺を強いられた英霊の諸氏よ。あなた方に死を命じた人は、このような、この程度の人物なのだ。
とりわけこう言っていることが驚きではないか。
「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」
これは、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った1951年8月のこと。「退位したら、『私の場合むしろ好む生活のみがやれる』『むしろ楽』」と考えていたのだ。これが、多くの人を死に追いやった人の発言だろうか。こんな人物のために多くの人が殺し合い、尊い命を失った。
この「朕」の信じがたいほどの無責任ぶりをいかがお考えだろうか。都合の悪いことは国民に知らせず、ベールに包まれた一握りの権力者による忖度の政治。権力や権威に対する批判の言論が封じられた政治の行き着く先が、このような無責任の横行なのだ。実体のないものを有り難がったり、畏れいったりすることをやめよう。昔のこととして看過せず、今の教訓として、よく噛みしめようではないか。
(2019年8月20日)
DHCのヘイト体質が、韓国で話題になっている。
DHCとは、
D デマと
H ヘイトの
C カンパニー
これに、スラップが加わって三拍子揃った、稀有な右翼体質企業。
そのDHCの子会社DHCテレビジョン(会長・吉田嘉明)が、8月14日ホームページに以下の声明(抜粋)を発表した。
韓国メディアによるDHC関連の報道について
去る8月10日より数日間、韓国の放送局「JTBC」はじめ複数の韓国メディアによって、弊社製作の番組について、「嫌韓的」「歴史を歪曲している」などの批難報道が繰り返されている件、同時に、韓国内でDHC商品への不買運動が展開されている件につきまして、弊社の見解を申し上げます。
弊社、株式会社DHCテレビジョンは、2015年、親会社である株式会社ディーエイチシーの提供を受け、「真相深入り! 虎ノ門ニュース」などのニュース解説・言論番組の配信を開始しました。
この放送事業は、平和な民主主義国・日本における、いっそう自由な言論空間を具現すべく、従来のメディア等が「タブー」としてきた事柄含め、多角的にニュースを論じることを旨としております。当然のこととしまして、世界中の政治・経済、宗教など多岐にわたるトピックを扱う際、番組と出演者が、独自の見識、視点から、時折厳しく、内外の事象、人物へ批判を加える場面もあります。
今般、韓国のメディアから弊社の番組内容に対し、「嫌韓的」「歴史を歪曲している」などの批難が寄せられていますが、弊社としましては、番組内のニュース解説の日韓関係に関する言説は、事実にもとづいたものや正当な批評であり、すべて自由な言論の範囲内と考えております。韓国のメディア各社におかれましては、弊社番組内容のどこがどう「嫌韓的」か、どこがどう「歴史を歪曲」しているのかを、印象論ではなく、事実を示し具体的に指摘いただけましたら幸いです。
一方、番組内容と無関係なDHC商品について、韓国の誠信女子大学の徐敬徳教授を中心に、「#さよならDHC」なる不買運動が展開されていることは大変遺憾に存じます。
言うまでも有りませんが、韓国DHCが提供する商品やサービス、現地スタッフと、DHCテレビの番組内容とは直接何ら関係はありません。そうした常識を超えて、不買運動が展開されることは、「言論封殺」ではないかという恐れを禁じ得ません。
しかしながら、DHCグループは今後も、健全なビジネス環境の土壌となる「自由で公正、多様性を尊ぶ」社会の維持・発展に寄与すべく、自由な言論の場づくりを有意義と考え続けます。
その理念のもと、弊社DHCテレビジョンといたしましては、あらゆる圧力に屈することなく、自由な言論の空間をつくり守って参りたく存じます。
この声明で、DHCに何が起こっているのか、DHCが何を恐れているのか、よくお分かりだろう。スラップ常習企業として知られるDHCが、自分の言論に対する攻撃には「言論封殺」と言って非難しているのが嗤うべき事態なのだ。
問題は、「真相深入り! 虎ノ門ニュース」である。
リテラが、手際よく解説してくれている。これを引用させていただく。
発端は、韓国の放送局・JTBCのニュース番組が今月10日、「韓国で稼ぎ、自国では嫌韓放送…DHC“2つの顔”」と題し、DHC子会社のDHCテレビジョンが嫌韓放送をおこなっていると伝えたことだった。
本サイトでは何度も取り上げてきたが、化粧品やサプリメントを主力商品とするDHCの吉田嘉明会長は、極右・歴史修正主義をがなりたてている企業経営者のひとり。2016年には「DHC会長メッセージ」のなかで在日コリアンにかんするデマを書き立てた上で〈似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう〉などとヘイトスピーチを堂々と掲載したこともある。
さらにDHCは、子会社としてDHCテレビジョンを擁し、安倍応援団がこぞって出演する『ニュース女子』や『真相深入り!虎ノ門ニュース』などの番組を制作、ここでも韓国や沖縄などに対するヘイトデマを垂れ流している。
私も、これまでDHCや吉田嘉明の酷さは、繰り返し書いてきた。下記を参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
DHCがいう「いっそう自由な言論空間を具現すべく、従来のメディア等が「タブー」としてきた事柄含め、多角的にニュースを論じることを旨としております。」とは、「良識を大胆にかなぐり捨て、メディアの世界の規範を大きく逸脱することを厭わず、通常のメディアではとても口にできないヘイトの言論を重ねることによって、野放図で無規律なネトウヨ言論空間を具現することを旨としている」ということなのだ。
ヘイトをウリにしておいて、攻撃されると「当社番組内容のどこがどう「嫌韓的」か、どこがどう「歴史を歪曲」しているのかを、印象論ではなく、事実を示し具体的に指摘いただけましたら幸いです」と開き直るのは見苦しい。
極端な嫌韓ヘイト体質のDHCが、韓国に支社を置いて業務を行っていることは知らなかった。なるほど、「韓国で稼ぎ、自国では嫌韓放送…DHC“2つの顔”」なのだ。韓国での事業に差し支えが生じるのは必然である。二つの顔が両立するものと考える神経が理解し難い。当然に起こるであろう不買運動を止めることはできない。実力での業務妨害をともなわない限り、不買運動が違法になることはない。もちろん犯罪にもならない。
日本国内でも、DHCの不買運動提唱は以前からある。私も呼びかけている。が、その影響の有無や程度はよく分からない。この際に、再度日本の消費者に呼びかけたい。日韓の消費者が連携して、デマとヘイトとスラップのDHCに制裁を加えようではないか。
『表現の不自由展』再開署名の第2次集約のお願い
「あいちトリエンナーレ2019」『表現の不自由展・その後』企画展の再開を求める署名の第2次集約は、8月26日(月)到着分までです。未署名の方は、次のいずれかの方法でよろしくお願いします。
●ネット署名の場合
下記URLの署名欄に記入のうえ、「送信」をクリックください
よかったらメッセージもお願いします
→? http://bit.ly/2YGYeu9
●用紙署名・郵送の場合
署名用紙を http://bit.ly/2Ynhc9H からダウンロードし、下記へ郵送ください
→ 〒285-0858? 千葉県佐倉市ユーカリが丘2-1-8? 佐倉ユーカリが丘郵便局 局留
表現の自由を守る市民の会 醍醐 聰 宛
なお、第一次署名は6,691筆を、8月15日、大村秀章実行委員長(愛知県知事)と河村たかし実行委員会会長代行(名古屋市長)に提出しました。
(2019年8月19日)
8月17日学習会の続きです。事前のご注文が下記のとおり。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと
「第1 改憲の危機・情勢等」は、昨日のブログに。以下は、その続きです。
第2 立憲主義・個人の尊厳等
1 近代憲法の根源的価値は、人権(個人の尊厳)です。この公理を揺るがせにしてはなりません。
人権という法概念は、市民社会が生み出した歴史的所産で、様々な人権のカタログと、その再整理の方法が提案されています。
自由権・平等権・参政権…社会権・受益権・平和的生存権など
2 憲法の形(イメージ化) 人権第一主義の立場から
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」と「統治機構」の両部門から成ります。「人権」という価値本体を、この価値を損なわぬよう権力分立という原理を持つ「統治機構」が支えています。
⇒近代立憲主義に適合の構図
自由主義(国民の自由を国家機構が侵害してはならない)
3 さらには、自由主義を基本としつつ、
⇒現代立憲主義
福祉国家主義(国家機構が、国民の福祉増進の役割を持つ)
4 立憲主義とは、一面権力行使を正当化し、一面権力行使の限界を画するために、憲法を制定するという考え方。欽定憲法とも相性はよく、戦前もてはやされた。
天皇主権下では、民主主義という言葉は使えない。主要政党は政党名に「立憲」を冠しました。(立憲政友会・立憲改進党・立憲革新党・立憲国民党・立憲帝政党)
寺内正毅は、憲法に忠実でないことで、「ビリケン(非立憲)宰相」「ビリケン内閣」と揶揄された。旧憲法にも、不十分ながら、権力を分立して人権を擁護する側面はあったわけです。
日本国憲法下では、久しく立憲主義が大きな話題となることはなかった。護憲運動の側から、立憲主義を掲げ、マスコミもこれに呼応するようになったのは、安倍政権成立以来のこと。権力の主体が改憲に性急な事態を、立憲主義の基本に立ち帰って、「憲法とは、主権者国民が発した、権力者に対する命令である」「その命令に縛られる立場の権力者が、憲法を気に染まぬとして改正しようとは自己矛盾」と批判しました。
5 日本国憲法の基本性格と改憲問題の構図
日本国憲法は不磨の大典ではありません。もちろん、理想の憲法でもない。
飽くまで、歴史的な所産として、
「人類の叡智の結実」の側面を主としてはいるが、
「旧制度の野蛮な残滓」をも併せもっています。
すべての憲法条文は普遍性をもつとともに、特異な歴史性に彩られてもいます。
憲法のすべての条文は、歴史認識を抜きにして語ることができません。
☆戦後の革新勢力は、憲法をあるべき方向に変える「改正」の力量を持たない。
さりとて、「改悪」を許さないだけの力量は身につけてきました。
これが、「護憲」「改憲阻止」という革新側スローガンの由来です。
☆政治的なせめぎ合いは、いずれも革新の側が守勢に立たされています。
「改憲(憲法改悪)阻止」と「壊憲(解釈壊憲)阻止」
第3 天皇交代における憲法問題
1 いったい何が起きつつあるのか。
4月1日 元号発表
4月末日 天皇(明仁)退位
5月1日 新天皇(徳仁)即位 剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
10月22日 安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
11月13日?14日 宗教行事としての大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。
2 憲法における天皇の地位
天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではありません。象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを消極的に表現するだけのもので、象徴から、何の法律効果も生じません。
本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはなりません。
天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能です。 憲法改正の限界に関しては諸説あるものの、天皇・天皇制を廃止しうることは通説です。また、皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではありません。
3 憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物です。
憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げているところであって、憲法解釈においても、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければなりません。
4 近代天皇制とは、国民統治の道具として明治政府が拵えあげたものです。旧憲法時代の支配者は、神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を、この上なく調法なものとして綿密に使いこなし、大真面目に演出して、国民精神を天皇が唱導する聖戦に動員しました。
そこでの政治の演出に要求された天皇像とは、神の子孫であり現人神でもある、徹底して権威主義的な威厳あふれる天皇像でした。「ご真影」(油絵の肖像を写真に撮ったものでホンモノとは似ていない)や、白馬の大元帥のイメージが臣民に刷り込まれました。
天皇の権威は、教場と軍隊とで、国民に刷り込まれた。
教育勅語と軍人勅諭。「上官の命令は天皇の命令」。
5 敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っています。しかし、初代象徴天皇は、国民の戦争被害に責任をとろうとはしなかった。戦争責任を糊塗し、原爆被害も「やむを得ない」とする無責任人物としての天皇像。それが、代替わり後次第にリベラルで護憲的な天皇像にイメージを変遷してきた。
現在、国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはなりません。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、「非権威主義的な権威」をもつ象徴天皇であって、はじめてそれが可能となります。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのです。これを「リベラル型象徴天皇像」と名付けておきましょう。
国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の国民主権を形骸化する危険を増大することになります。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならないのです。
6 天皇代替わりにおける政教分離違反問題
☆政教分離とは、象徴天皇を現人神に戻さないための歯止めの装置です。
「国家神道(=天皇教)の国民マインドコントロール機能」の利用を許さないとする、国家に対する命令規定です。
・従って、憲法20条の眼目は、「政」(国家・自治体)と「教」(国家神道)との「厳格分離」を定めたもの
・「天皇・閣僚」の「伊勢・靖國」との一切の関わりを禁止している。
・判例は、政教分離を制度的保障規定とし、人権条項とはみない。
このことから、政教分離違反の違憲訴訟の提起は制約されている。
・住民訴訟、あるいは宗教的人格権侵害国家賠償請求訴訟の形をとる。
☆運動としての岩手靖国訴訟(公式参拝決議の違憲・県費の玉串料支出の違憲)
靖国公式参拝促進決議は 県議会37 市町村1548
これを訴訟で争おうというアイデアは岩手だけだった
県費からの玉串料支出は7県 提訴は3件(岩手・愛媛・栃木)同日提訴
☆訴訟を支えた力と訴訟が作りだした力
戦後民主主義の力量と訴訟支援がつくり出した力量
神を信ずるものも信じない者も 社・共・市民 教育関係者
☆政教分離訴訟の系譜
津地鎮祭違憲訴訟(合憲10対5)
箕面忠魂碑違憲訴訟・自衛隊員合祀拒否訴訟
愛媛玉串料玉串訴訟(違憲13対2)
中曽根靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
滋賀献穀祭訴訟・大嘗祭即位の儀違憲訴訟
小泉靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
安倍首相靖国公式参拝違憲国家賠償訴訟
7 天皇交代劇に見る国民主権と主権者意識の実態。
※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
※日本国憲法における天皇とはロボット(宮沢俊義)です。
※象徴天皇制を支える小道具の数々
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園…
(2019年8月18日)
※はじめに
本日(8月17日)の学習会。ご指定のタイトルが、「改憲阻止のために」。
そして、次のテーマに触れるよう、事前のご注文をいただいています。
第1 改憲の危機・情勢等
第2 立憲主義・個人の尊厳等
第3 天皇代替わり関連のこと
以上の第1が、「憲法をめぐる政治情勢」。第2が「憲法の構造をどう理解するか」という基本問題。そして、第3が象徴天皇制をめぐるトピックのテーマと理解して、報告を進めます。
なお、かなり長いので、第1を本日(8月17日)、第2・第3を明日(8月18日)の各ブログにアップいたします。
第1 改憲の危機・情勢等
1 憲法をめぐる大状況
実は、改憲の危機はこれまで常にあったし現にある、と言わねばなりません。日本国憲法成立以来、憲法は一貫して危機にあったのです。
自民党が、「自主憲法制定は結党以来の党是」としている如く、戦後の保守政権は、一貫して憲法を敵視し、あわよくば改憲を狙い続けてきましました。
ほぼ一貫して、このような保守政権を支え続けてきたのが国民であり、また、改憲策動を許さず、憲法を守り抜き、定着させてきたのもまた国民です。
改憲反対の側から見れば、保守が邪魔とする憲法であればこそ、護るべき意義があると言えると思います。
2 安倍政権の改憲志向
その保守のホンネを語る貴重な文化財が自民党改憲草案(12年4月27日)です。そのようなホンネを恥ずかしげもなく実現しようとする真正右翼・改憲主義者が政権を把握しました。それが、安倍晋三です。
安倍政権とは、
国家主義・軍事大国主義・歴史修正主義・新自由主義を理念とし、
「親大日本帝国憲法・叛日本国憲法」路線の政権です。
3 「安倍改憲」提案の経過
☆安倍ら改憲派にとっては、明文改憲が必要なのです。戦争法(安保関連法)はようやく成立させたけれど、憲法9条の壁を乗り越えられず、「不十分なもの」にとどまっている。「フルスペックの集団的自衛権行使」はできないままとなってる。今のままでは、同盟国・アメリカの要請に応じての海外派兵はできない。だから、何とかしての「9条改憲」なのです。
☆しかも、改憲ができそうな情勢ではありませんか。改憲派が、各院の3分の2を超える議席をもっている。今のうちなら、改憲の現実性がないとは言えません。
☆2017年5月3日 安倍は、右翼改憲集会へのビデオ・メッセージを送り、同時に読売新聞紙面で、「アベ9条改憲」を提案します。ご存じのとおり、現行の9条1項2項には手を付けず、そのまま残して、「自衛隊を憲法に明記するだけ」の改憲案です。この改憲を実現して、2020年中に施行するというのです。
☆実は、その種本は、日本会議の伊藤哲夫「明日への選択」に掲載された論文です。
彼は、一方では、「力関係の現実」を踏まえての現実的提案としていますが、もう一つの積極的な狙いを明言しています。「護憲派の分断」という戦略的立場です。
つまり、これまでの護憲派の運動は、「自衛隊違憲論派」と「自衛隊合憲(専守防衛)派」の共闘で成立している。この両者の間に楔を打ち込むことが大切だというのです。
☆その1年後の2018年3月25日、自民党大会がありました。予定では、この大会までに党内意見を一本化して、華々しく9条改憲を打ち上げる手筈でした。何とか、改憲原案については党内の「憲法改正推進本部長一任」までは取り付けましたが、全然盛り上がらない。現実には4項目の「たたき台・素案」作成にとどまるものでした。
☆その後速やかに、改憲諸政党(公・維)と摺り合わせ→「改正原案」作成、の予定とされていましたが、現在与党内協議さえ、まったく緒についていない現状です。
☆当初は、2018年秋の臨時国会にも、「改正原案」上程の予定でした。
衆院に『改正原案』発議→本会議→衆院・憲法審査会(過半数で可決)
→本会議(3分の2で可決)→参院送付→同じ手続で可決
『改正案』を国民投票に発議することになる。
☆60?180日の国民投票運動期間を経て、国民投票に。
国民投票運動は原則自由。テレビコマーシャルも自由。
有効投票の過半数で可決。
☆「安倍のいるうち、両院で3分の2の議席あるうち」が、改憲派の千載一遇のチャンスなのです。裏から見れば、安倍を下ろすか、各院どちかでも3分の2以下にすれば良い、と言うことなります。
☆そのような視点からは、2019年7月の参院選→改憲派の3分の2割れは由々しき事態です。しかも、自民は9議席減らして、相対的に公明の発言力が強くなっていますが、その公明が世論の動向を気にして、改憲協議に応じようとはしないのです。
☆しかも、現在、衆参両院の憲法審査会は機能していません。これを無理やり動かそうとした下村博文が、却って与野党の関係者から批判を浴びている現状です。大島衆院議長を批判した萩生田光一も肩身の狭い思いを強いられています。
4 「安倍9条改憲」の内容と法的効果
★「自民党改憲草案・9条の2」は、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」という勇ましいものです。自衛隊ではなく、堂々の国防軍をもちたいのです。これが、安倍晋三のホンネ。
★さすがにそれは無理。「たたき台素案・9条の2」はこうです。「前条(現行憲法9条)の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛隊を保持する。」
☆安倍改憲では、堂々の国防軍は持たない。「自衛のための実力組織」としての自衛隊しか持ちません。しかし、よく読めばお分かりのとおり、9条1項2項の規定はそのまま置かれることにはなりますが、新しい定義の自衛隊を持てるというのです。これは、現行の9条を死文化することになります。自衛隊の中身は、時の多数派の意向次第。
「従って、本来ないはずの軍事力」が明文で合憲化されます。軍事の公共性が認められることにもなります。自衛隊員募集協力への強制や、土地収用法・騒音訴訟・戦争被害賠償訴訟にも、沖縄・辺野古基地関連訴訟にも大きく影響します。
☆しかも、戦争法を合憲化し、集団的自衛権行使が可能となり、海外派兵も容易になります。
5 緊急事態条項の危険性
制憲国会での金森徳次郎の次の答弁が示唆的です。
「緊急事態条項は、権力には調法だが、民主主義と人権には危険」
だから、新憲法には、緊急事態条項を盛り込まなかったのです。
権力と民主主義、調法と危険は、相反するのです。
(2019年8月17日)
私も呼びかけ人の一人となった、「表現の不自由展・その後」の再開を求める緊急署名活動のご報告。
昨日(8月15日)、醍醐聰・浪本勝年・岩月浩二の3氏が、愛知県庁と名古屋市役所を訪ねて、署名簿を提出して申し入れを行った。正確には、名古屋市長には抗議のうえ「不当な発言の謝罪・撤回」を要請し、愛知県知事には中止した状態となっている企画展の再開を要請したことになる。提出した署名は、用紙署名が3509筆、ネット署名が3182筆の合計6691筆だった。8月6日から14日までの短期間でのもの。
愛知県庁で応接されたのは、文化芸術課・トリエンナーレ推進室主幹の朝日真氏。名古屋市役所では、文化振興室長上田剛氏だったとのこと。その後に県政記者クラブで記者会見し、その模様が数紙に掲載されている。
醍醐氏らは「テロや脅迫などに屈することなく、行政が毅然とした姿勢を示し、憲法が保障する『表現の自由』を守るため展示再開を求めた、と報道されている。
気になるのは、この要請に対して県担当者は「県への脅迫などの数は減ったが、今も続いている。再開へのハードルは来場者や職員、会場の安全の確保」と答えました、とされていること。
名古屋市の姿勢は論外だが、愛知県の姿勢にも問題があるのではないか。「断固として、違法な妨害行為から、表現の自由を守り抜く」という気概が感じられない。これでよいのだろうか。
繰り返すが、批判の言論は自由である。右翼にも産経にも、「表現の不自由展・その後」の表現内容や愛知県がこのような企画展を主催することについて、批判の言論を展開する自由は当然にある。しかし、批判を超えての害悪の告知は、脅迫罪を構成する犯罪であって、けっして許されることではない。害悪の告知や有形力の行使による企画展の妨害は、法定刑懲役3年の威力業務妨害罪に当たる。右翼メディアも、批判の言論を超えて、企画展の実力による妨害を煽動してはならない。
威力業務妨害罪の保護法益は、業務の安全かつ円滑な遂行とされる。業務の安全を脅かし円滑な遂行を困難ならしめれば犯罪として成立する。愛知県が主催しても、この企画展は非権力的行為として公務ではなく業務に当たる。犯罪成立の要件としての威力における有形力の程度は、公務執行妨害罪の成立に要求される暴行、脅迫よりも軽度のもので足りるとされる。電話・ファクス・メールあるいは口頭での害悪の告知があれば、遠慮なく警察に告訴をすべきである。現場での録音・撮影による証拠の保全に万全を期すべきでもある。愛知県は、県警と十分な連携のもと、違法な犯罪行為から、企画展を守り抜かなければならない。そのことが、日本国憲法の理念を護ることにつながる。
「不自由展」再開に向けては、「ニコン慰安婦写真展中止事件」の教訓を学ぶべきだろう。当事者は、今回の「表現の不自由展」出品者16名の一人となっている、安世鴻さんである。
2012年に、ニコンの運営する東京と大阪のニコンサロンで開催が予定されていた従軍慰安婦の写真展が、ニコン側からの突然の通告で中止となった。ニコンは「諸般の事情」としか言わなかったが、在特会をはじめとする右翼からの抗議や、ネット上でのニコン製品不買運動の呼びかけが原因と報道された。
安世鴻は東京地裁に仮処分を申し立て、予定のとおりに写真展示会場を使用させることを命じる決定を得た。ニコンは仮処分異議、抗告と争ったがいずれも破れて、東京での写真展は実現した。その後の損害賠償請求本訴で、東京地裁は安世鴻勝訴の判決を言い渡した(2015年12月25日)。賠償金額は110万円だった。
問題は、外部からの抗議や申し入れが激しいことを理由に、ニコンが展示会を中止できるかにあった。当然のことながら、外部からの抗議や申し入れが激しいというだけで、中止が認められるわけはない。万全の防衛策を尽くしてなお、具体的な危険が予測される場合にはじめて、中止の可否が検討されるべきことになる。しかし、その場合には、刑事的な対応が可能となる事態と言うべきであろう。
法体系が、無法に屈して表現の自由侵害を看過するとは考えられない。ニコン写真展事件でも、判決は「ニコンの対応に正当な理由はない」とした。
(2019年8月16日)
8月15日である。74年前のこの日に戦争が終わった。
日中戦争・太平洋戦争が手痛い敗北によって終わったというだけでなく、明治維新以来幾たびも繰り返された、飽くなき侵略戦争もこの日以後はない。あの日以来74年、曲がりなりにも、日本は平和を享受してきた。
戦争こそ、最大の人権侵害であり、最大の環境破壊である。そして、最大最悪の凶悪犯罪でもある。明治維新以来今日まで、およそ150年の前半は、我が国が戦争に明け暮れた歴史だった。野蛮な天皇制が支配する軍国主義国家として侵略戦争を繰り返してきたのだ。富国強兵のスローガンのもと、国民には滅私奉公が強いられた。故なく、近隣諸国民を憎悪し侮蔑する差別感情が煽動される国家でもあった。
74年前の8月、敗戦とともに国家の原理は転換した。ポツダム宣言第6項は、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。」という。この「勢力」の頂点に天皇が位置することに争いの余地はない。8月14日ポツダム宣言受諾をもって、主権は天皇から国民に転換したものと考えられる。
74年前の敗戦の日は、日本の近代を分かつ日であった。戦争と平和と。天皇主権と国民主権と。国家主義と人権尊重と。戦争終結の記念日は、天皇支配終焉の記念日でもあり、国民主権・民主主義・人権尊重の国家が再出発した記念日とも重なる。
本日。戦争責任を自覚することも表明することもないままに亡くなった当時の天皇(裕仁)の孫が、天皇(徳仁)として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに前天皇(明仁)の式辞とほぼ同文の次の一節がある。
「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。
この文言が、内閣の助言と承認を経てのものであるかについて疑義なしとしないが、「深い反省」の言葉があることは、注目に値する。同じ場での首相・安倍晋三の式辞には、反省も責任の一言もないのだから、印象際だつものがある。憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることも、同様である。
ただし、天皇の「深い反省」は曖昧模糊としたものである。天皇は、「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べたが、「過去を顧み」とは、どのような過去の歴史をどのように顧みたのだろうか。戦争の惨禍をもたらした天皇の責任についての自覚はあるだろうか。過去の侵略戦争が、天皇が唱導した聖戦とされていた歴史的事実を十分に顧みているだろうか。「上官の命令は天皇の命令」として軍規を律した過去についてはどうか。天皇制否定の思想を死刑に値する犯罪とした治安維持法をもって平和運動を弾圧した過去などは、天皇の脳裏にあるだろうか。
「深い反省」とは、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことの反省でなくてはらない。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべきだと考えているのだろうか。
今、私たちは、再び戦前の過ちを繰り返してはならないことを自覚しなければならない。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。
かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者からも、権威あるとされる者からも、操られることを厳格に拒否しよう。
権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう。そして、一切の差別につながる言論を拒否しよう。平和を擁護するために。次代に、平和な社会を手渡すために。
(2019年8月15日)
下記は、昨日(8月13日)配信の共同記事(但し、過剰な敬語は省いている)。
靖国神社が昨秋、当時の天皇(現上皇)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。
天皇の参拝は創立から50年ごとの節目以外でも行われていたが、1975年の昭和天皇が最後。78年のA級戦犯合祀が「不参拝」の契機となったことが側近のメモなどで明らかになっている。
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「行幸請願」とは、天皇の公式参拝要請以外のなにものでもない。天皇の公式参拝を違憲と名言したのが、岩手靖国訴訟控訴審判決(仙台高等裁判所・1991年1月10日)である。同判決は、詳細な理由を付して、「天皇、内閣総理大臣等による靖國神社公式参拝が実現されるように要望する旨の岩手県議会議会の議決」を違憲違法とした。靖国神社による天皇参拝要請と軌を一にするもの。
靖国神社が天皇に「違憲の公式参拝」を求めたというのだから、これは大きな事件なのだが、実は内容がよく分からない、いらいらさせる記事となっている。
「昨秋」の請願と拒否が、なぜ今頃報じられるに至ったのか。このニュースは、誰がどのようにリークしたのか。なぜこれまで伏せられていたのか。何よりも知りたいのは、宮内庁ないしは内閣がどのように関わり、どのような理由で拒否をしたのか。閣議にかけられたのか、宮内庁ではいかなる稟議書が作成されたのか。決裁の文書にはどう記載されているのか。宮内庁長官宛と思われる「行幸請願書」は誰も情報公開請求をしていないのか。
いったい、「昨秋」とはいつのことなのか。小堀邦夫前宮司が、「陛下は靖国神社を潰そうとしていらっしゃる」発言で物議を醸し、退任したのが2018年10月末日。山口建史現宮司就任が11月1日付である。「行幸請願」と「拒否回答」とは、宮司交代時期とどう関わっているのか。
今朝(8月14日)の東京新聞は、こう報じている。(敬称は略)
上皇は在位中に参拝しておらず、平成は天皇参拝のない初の時代となった。関係者によると、靖国神社は昨年九月、平成中の参拝を促すため、宮中祭祀を担う宮内庁掌典職に過去の天皇の参拝例を示し、参拝を求める行幸請願をした。
掌典職は代替わりを控えた多忙などを理由に、宮内庁長官や天皇側近部局の侍従職への取り次ぎも「できない」と回答したという。共同通信の取材に対し、掌典職は「参拝について判断やコメントをする立場にない」としている。
靖国側は「断られた」と判断、創立二百年の参拝も確約されないことから「将来も参拝は難しくなった」と受け止めた。代替わり後の再要請について取材に「(陛下の参拝を)お待ち申し上げる立場」と回答し、行わない方針だ。
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?國神社は、1969(明治2)年6月29日の東京招魂社鎮座・第1回合祀祭の日をもって創建の日としている。函館戦争終結(5月18日)直後のこと。周知のとおり、幕末の騒乱から戊辰戦争にかけての官軍側の戦死者だけを合祀している。日本国民を、天皇に服属する者としからざる者とに分断する思想にもとづいてのことであるが、死者をも未来永劫に差別しようという天皇制の苛烈な一面をよく表している。怨親平等という、古くから日本人に馴染んだ感性とはまったく異質なもの。日本の伝統的死生観とは、およそ相容れない。
以来、150年。靖国神社は、敗戦を挟んで天皇のために戦死したものを祀る天皇の神社であり、軍国の神社であり続けた。その神社が、天皇に行幸を請願して断られたという。まことに皮肉な話ではある。泉下の《英霊》たちも、さぞかし戸惑っているのではないか。
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問題は幾重にもあるが、前掲の岩手靖国訴訟控訴審判決から、関係する判示の一部を抜粋引用しておきたい。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail5?id=16653
《戦前における天皇の靖国参拝》
戦前における天皇の参拝は、国の公式儀礼としての参拝であり、内閣総理大臣の参拝は、いわば天皇の随臣としての性格を有するものであった。
《戦後における天皇の靖国参拝》
☆戦前における天皇、内閣総理大臣の靖國神社参拝は、国の機関として行われたものであるが、戦後における参拝については、新憲法が定めた信教の自由、政教分離との関係で、さまざまな問題が生じた。
☆昭和二七(1952)年四月二七日、日本国との平和条約の発効により、連合国の占領が終了して我が国が独立を回復し、神道指令が効力を失った後、現在の日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟を中心に、国民の間に、靖國神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が起こった。
☆昭和五〇(1975)年頃からは、右運動に代わり、従来、天皇及び内閣総理大臣その他の国務大臣が靖國神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝すべきであるとの運動が展開されるに至った。しかし、天皇の靖國神社参拝に関する質問主意書に対する昭和五〇年一一月二八日付け政府答弁書で、従来行われた天皇の靖國神社参拝はいずれも私的参拝にとどまることが確認されて以後、公式参拝の働きかけは、内閣総理大臣その他の国務大臣に対し集中的に行われるようになった。
《天皇の参拝の法的性格について》
天皇の公的行為は私的行為ではないから、原則として自由に委ねられているものではなく、政治的な意味のない儀礼的行為といわれるものについても、それが宗教とのかかわり合いが問題とされる場合には、政教分離原則の適用を受けるものと解するのが相当である。したがって、…天皇の公式参拝については、その公的行為性をひとまず是認したうえで、それが憲法二〇条三項によって禁止される宗教的活動に当たるかどうかについて判断するのが相当である。なお、同法条の規定する「国及びその機関」の概念は、必ずしも明確ではないが、その立法の趣旨にかんがみれは、天皇もその機関に含まれると解される。
《天皇参拝の違憲性》
☆靖國神社が宗教法人になってからの天皇の公式参拝はなされていないから、その方式及び規模がどうなるかは定かでないが、天皇の公式参拝が行われるとすれば、天皇の公式儀礼としてふさわしい方式と規模を考えなければならず、また、天皇が皇室における祭祀の継承者でもある点をも視野にいれなくではならないであろう。右のような点を考え合わせると、天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易に推測されるところである。
☆以上、認定、判断したところを総合すれば、天皇、内閣総理大臣の靖國神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格においてなされる右公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、右公式参拝における国と宗教法人靖國神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えろものと断定せざるをえない、したがって、右公式参拝は、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。
以上のとおり、天皇の靖国参拝は、首相の参拝以上の大きな違憲問題なのだ。けっして、天皇を靖国に「行幸」させてはならない。
(2019年8月14日)
ご近所の皆様、本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは平和憲法を守ろうという一点で連帯した行動を続けております「本郷・湯島九条の会」です。私は近所に住む者で、憲法の理念を大切にし、人権を擁護する立場で、弁護士として仕事をしています。
真夏の真昼時、まことに暑いさなかですが、平和を守ろう、憲法9条を大切にしようという熱い願いの訴えです。少しの時間耳をお貸しください。
74年前の8月、東京は度重なる空襲で焼け野原となっていました。1945年8月15日正午、国民に敗戦を知らせる天皇の言葉が、NHKラジオの電波に乗って焼け跡の東京に響きました。国力を傾け尽くし、310万人の自国民死者と、2000万人にも及ぶ近隣諸国の犠牲者を出した末に、ようやくにして悲惨な侵略戦争は終わりました。
こんな戦争を始めなければ、もっと早く戦争を終わらせていれば、何百万もの貴重な命が失われずに済んだはずなのです。多くの人の戦死による記録が残されていますが、とりわけ住民を巻き込んでの地上戦となった沖縄の体験は悲惨でした。沖縄では、多くの中学生・女学生が戦場に動員されなくなりました。
第一高女と師範女子部からなる「ひめゆり学徒隊」の悲劇が有名ですが、実は9校あったすべての高等女学校の生徒が動員されています。第二高女の4年生は、45年の3月から「白梅学徒隊」として、第24師団の野戦病院に配属されました。
読売新聞社会部が1980年に「沖縄 白梅の悲話」という記録集を出版しています。その中から、戦死した二人の女学生の例を紹介いたします。いずれも、15才か16才の年齢。その若さで認めた家族への手紙が事実上の遺書となって記録されています。その内容に驚かされます。
お一人は、大嶺美枝子さん。
白梅学徒隊は、6月4日に現地解散し、「各自行動」の指令となります。その後間もない9日の夜、大嶺さんは直撃彈で戦死。彼女は、動員直前に、母親宛の手紙を書いています。
「お母様、いよいよ私達女性も出動できますことを心から喜んでおります。お母様も喜んで下さい。『皇国は不滅である』との信念に燃えて生き延びてきました。軍と協力して働けるのはいつの日かと待っておりましだ。いよいよそれが報いられたのです。いま働かねばいつの日働きますか。私は暖かいお母様のお教えを生かして一人前の立派な日本女性となる覚悟で居ります。
お母様、私の身軆のすべてを大君に捧げたのです。男でも女でも忠を尽くす信念は一つです。私達の身軆は国が保証して下さるのです。何の心配もなさらないで下さい。散る時には立派な楼花となって散って行きます。その時には家の子は偉かったと賞めて下さいね。」
母親の感想は、掲載されていません。心中いかばかりだったことでしょう。
もう一人は、仲村渠幸子さん。終戦の前年1944年夏頃に、姉(第一次女子挺身隊として沖縄から滋賀の近江航空に動員されていた)に宛てた手紙が遺されています。
「姉さん、戦いも益々熾烈を極め、サイパン島玉砕の報を知った時には熱い涙がこみあげ、宿敵米撃ちてし止まむの意気旺盛になり、今迄の生ぬるい生活を断然、制裁しております。
……那覇では近頃、疎開騒ぎで荷車や荷馬車が夜昼となくガラガラと大通りを行くのを見るにつけ此の沖縄が戦場化されると思うと私達が玉砕するのも今年中でせう。おばあさんは相変わらず頑固で、疎開なんかしませんので頼もしい。他府県の人は総引き上げで、級友は6名も転校してしまいました。私達は純粋なる琉球人ですから居残って、ヤンキー共の首の二つや三つは竹槍で刺し殺してから玉砕する覚悟です。上級学校希望も捨てました。代わりに女子整備兵を希望して大いに運動して居ります。?」
彼女の最期については、このようだったと言います。
「彼女は防衛隊の父の戦死を知った夜、『仇を討ってやる』と、石部隊の兵に混じり軍服を着てハチマキを締め斬り込みに行った。家族が止めても止めても聞かなかったという。どの様な最後であったか不明のままである。」
生き残った元学徒からは、その悲劇の原因として、皇民化教育が語られています。無数の悲劇を重ねて、1945年8月15日、戦争が終わります。1931年から始まった長い長い戦争でした。再び、この戦争の惨禍を繰り返してはならない。多くの人々の切実な思いが、平和憲法に結実しました。とりわけその9条が、再びの戦争を起こさないという国民の決意であり、近隣諸国への誓約でもあります。
大日本帝国憲法は戦争を当然の政策と考えた、軍国主義憲法。主権者である天皇の名による戦争を神聖で正当なものとし、国民に戦争参加の義務を押し付けた憲法でした。戦後の日本国民は、きっぱりとこの好戦憲法を捨て去り、平和憲法を採択したのです。以来74年、私たちの国は戦争をすることなく、過ごしてきました。
日本国憲法は、戦争を放棄し戦力を保持しないことを憲法に明確に書き込みました。それだけではなく、この憲法には一切戦争や軍隊に関わる規定がありません。9条だけでなく、全条文が徹頭徹尾平和憲法なのです。戦争という政策の選択肢を持たない憲法。権力者が、武力の行使や戦争に訴えることのないよう歯止めを掛けている憲法。それこそが平和憲法なのです。
ところが、歴代の保守政権は、この憲法が嫌いなのです。とりわけ、安倍政権は憲法に従わなければならない立場にありながら、日本国憲法が大嫌い。中でも9条を変えたくて仕方がないのです。
彼が言う「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」とは、日本国憲法の総体を敵視するという宣言にほかなりません。「戦後」とは、1945年敗戦以前の「戦前」を否定して確認された普遍的な理念です。人権尊重であり、国民主権であり、議会制民主主義であり、なによりも平和を意味します。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断にほかなりません。安倍首相は、これを再否定して「戦前にあったはずの美しい日本」を取り戻そうというのです。
戦後74年、日本国憲法施行以来72年、国民は日本国憲法を護り抜いてきました。それは平和を守り抜くことでもありました。そうすることで、この憲法を自らの血肉としてきました。平和は、憲法の条文を護るだけでは実現できません。国民の意識や運動と一体になってはじめて、憲法の理念が現実のものとして生きてきます。平和憲法をその改悪のたくらみから護り抜き、これを活用することによって恒久の平和を大切にしたいと思います。
そのため、安倍9条改憲を阻止して、「戦後レジームからの脱却」などというふざけたスローガンを克服して行こうではありませんか。夏、8月、暑いさなかですが、そのような思いを新たにすべきとき。憲法9条と平和を大切にしようという訴えに、耳をお貸しいただき、ありがとうございました。
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各 位
「本郷・湯島九条の会」石井 彰
強烈な炎天下での昼街宣になりました。平和運動の方、文京労連の方もご参加いただき13名の方々がマイクでの訴え、署名、リーフ配布とみなさん大活躍でした。みんな汗びっしょりです。ほんとうに頭が下がります。
三度の大戦許すまじの熱い思いた熱暑を払い除けての活躍です。こんな素晴らしい仲間がいることを誇らしく思います。お盆でいつもより人通りは少なくても多くの方が訴えに耳を傾けていただきました。
来月は9月10日(火)12時15分?です。多くの方のご参集をお待ちしています。炎暑はまだ続きます。御身専一にお過ごしくださるようお願い申し上げます。
(2019年8月13日)
再々度のお願いです。
署名簿は、ネット署名に添えられたメッセージ集を添えて、8月15日(木)午後に愛知県知事に持参提出いたします。その際に、記者会見も予定しています。
署名の趣旨は、下記の2点です。
1.主犯者というべき河村名古屋市長に謝罪を求める。
2.企画展の即時再開を求める。
時期が切迫していますので、できるだけネット署名でお願いします。
8月14日、24時まで受け付けます
*ネット署名(入力フォーマット)→ http://bit.ly/2YGYeu9
ぜひ、メッセージもお寄せください。
メッセージ一覧のURL → http://bit.ly/2LZz0RR
*用紙署名(署名用紙のダウンロード)? → http://bit.ly/2Ynhc9H
・用紙署名の場合は、記入済用紙のスキャンをメール添付で
<mailto:morikakesimin@yahoo.co.jp> 宛てにお送りください。
*ご自分の署名を済まされた方も、呼びかけの拡散をお願いします。
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国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展『表現の不自由展・その後』の中止は、「表現の自由」や民主主義の時代状況を反映する象徴的事件となった。この企画展は、8月1日から10月14日までの予定で、名古屋市内の愛知県立美術館でスタートしたが、右翼の妨害で8月3日をもって中止とされた。今、再開のメドは立っていない。
この企画展の実行委員が掲げている公式コンセプトは以下のとおりである。
「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。
また、津田大介芸術監督のコメントはこう言っている。
「表現の不自由展・その後」という企画は、日本の公立美術館で、一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否された作品の現物を展示し、現物だけではなく、撤去あるいは拒否された経緯とともに展示を行うという趣旨のものです。撤去された実物とともにその経緯を来場者が鑑賞することで、非常に議論が分かれる「表現の自由」という現代的な問題に対して、その状況に思いを馳せ、どこまでが許される表現なのか、そのことを議論するきっかけにしたい、その問題提起を行いたいということがこの展覧会の趣旨です。
あいちトリエンナーレ実行委員会、そして「表現の不自由展」の実行委員会、そして芸術監督である僕、津田大介が企画内で展示されている個々の作品に対して、何らかの賛否を述べるものではありません。
以上の企画のコンセプトは銘記されなければならない。
この社会には、多様な意見がある。そして、民主主義社会には多様な意見が共存していることが、大切なのだ。特定の意見の表明を妨害してはならない。
多様な意見について、それぞれ表現の自由が基本的人権として保障されなければならない。それだけでなく、多様な言論が「言論の自由市場に」共存していることが、民主主義を支えるものとして、尊重されなければならない。多様な意見の内、時の政権や時の多数派に親和的な意見が、表現を妨害されることはない。しかし、時の政権を厳しく批判し、時の多数派の耳に心地よくない意見は、往々にして表現の妨害に遭う。しかし、それでは社会が貴重な意見に接するチャンスを失うことになる。民主主義における「少数意見の尊重」とは、そのことを指している。
現に、我が国においては、「慰安婦」・天皇と戦争・植民地支配・憲法9条・政権批判などのテーマにおける表現が妨害され侵害されている。その「表現の不自由」の実態を可視化して、ことのもつ意味を問題提起しようというのが、この企画展の趣旨だった。
ところが、「ガソリン携行缶を持って行く」などとテロ行為をほのめかす脅迫や嫌がらせ電話、それらの行為を煽るに等しい政権の要人や自治体の首長の発言が、はからずも「表現の不自由」の実態を再確認する事態となってしまった。そのことは、この社会の民主主義の未成熟を物語るものでもある。
もちろん、このような企画に対する批判の言論の自由は保障されている。しかし、脅迫や暴行をほのめかし、威力を持って企画を妨害することは犯罪行為として許されない。
いま、その許されざる妨害行為によって、民主主義の基礎が揺らぐ事態となっている。妨害者たちは、気に入らない表現に対して、匿名の電話やファクス、メールを集中することでつぶすことができるという、成功体験に昂揚している。政権も、右派メディアも、電波メディアも、基本的に自分たちの味方であると確認してもいる。
今必要なのは、この企画妨害者たちの成功体験を打ち砕くこと。そのための企画再開をさせることだ。まずは、表現の自由や民主主義の価値を大切に思う、多くの人の声を集約しなければならない。
その手段としてのネット署名に、ぜひともご協力をお願いします。
もちろん、実効性があるのは法的手続である。ニコン写真展と同様の、「展示再開を命じる民事上の仮処分」も、行政訴訟としての「展示中止処分」の取消訴訟の提起と、これにともなう執行停止もあり得よう。あるいは、愛知県民からの住民訴訟の活用も考えられる。事後的には、電話・ファクス・メール等で明らかに違法な妨害行為をした個人を特定して、損害賠償請求も提起しなければならない。違法を放置してはならない。
今は、理性にもとづく世論を喚起することで、再開を求めたい。ぜひとも、ネット署名にご協力を。
(2019年8月12日)