澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

コロナ風吹きすさぶ中での「ズーム」会合

コロナ禍は、確実に生活のスタイルを変える。その一つが、対面のコミュニケーションから、オンラインのコミュニケーションへの変化である。弁護団会議も市民団体の会合も様変わりだ。

本日(4月20日)、ズームを使っての2時間枠の会合が二つ。自宅にいながらの参加なのだから、何ともありがたい。不器用な私も、ようやくこの会議のやり方に慣れてきた。互いに離れた人びとの参加が容易になるし、交通の時間と費用が節約できる。これは、事態が平常に戻っても続くことになるだろう。もしかしたら、人口の一極集中の弊を解消する切り札になるかも知れない。

ところで、本日の会合は二つとも、気心の知れた仲間内のものだった。話は自ずとコロナ禍の問題となる。事態の打開が見えて来ない現状がもどかしくも重苦しい。が、それだけでない。この事態を乗り切るための国家の手法のあり方がより重要ではないか。その手法如何は、国家や社会の基本原理を転換しかねない。いつになるかはともかく、コロナ禍はいずれ収束する。しかし、この災厄を逃れるために必要として変えられた社会は、もしかしたら元に戻れなくなってしまうかも知れないのだ。

今進行しつつあるパンデミックの進行を阻止し解消するためには、人と人との接触を避けなければならない。あるいは、感染者から感染経路をたどらねばならない。その必要性は避けがたいことだ。

その実効的手段として最も手っ取り早いのが、権力的統制である。国民に、集会を禁止し外出を禁止し、スポーツや歌舞音曲の場をなくしてしまう。その強制の実効性を担保するためには実力行使を辞さない。そしてもう一つが、事実と道理を説くことによって国民を説得し、自発的な行動規制を求める手法である。こちらは、手ぬるく迂遠な印象を持たれがちである。

現実には両者の手法が折衷することになるが、中国が統制型の手法を用いて前者のモデルの成功例となりつつある。これは恐ろしいことだ。国家が全国民の行動履歴や健康状態を把握することは、かつては望むべくもない不可能事であった。今は、それが容易なことになり、現実化している。「1984年」のデストピアの出現である。

正常な国民感覚は、国家のプラバシー侵害を忌避する。ところが、このパンデミックの非常事態の恐怖は、多くの国民に「権力に無限の権限を」「プライバシーよりは生命の安全を」という感情を醸成させる。

私たちが、今もたねばならないのは、このような国民に届く説得力をもった言葉である。そのことに、誰も異議がない。

しかし、そこから先の具体策については、よく分からない。意見が一致しない。まだ、先は長そうだ。本日のズームの会合では、問題の整理ができただけでも収穫であったとしよう。
(2020年4月20日)

祝・サガン鳥栖のユニフォームから「DHC」の文字が消えた ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第177弾

佐賀県の東端に位置して鳥栖市がある。「鳥栖(とす)」という地名には、他にない独特の古代の響きがある。昔は「鳥の巣」と言ったとのこと。九州陸路での交通の要衝であり、朝鮮通信使の立ち寄る場所でもあったという。

鳥栖は、私には懐かしい地名だ。父が奉職していた宗教団体の立教の地としてである。この教団は、戦前大きな勢力を誇っていたが、教義が不敬にあたるとして、天皇制政府から徹底した弾圧を受けて壊滅した。初代教組は不敬罪確定前に死亡し、2代目は有罪確定して下獄したが敗戦で釈放された。その2代教祖が、敗戦の翌年1946年に教団を再建した。その本部が置かれたのが鳥栖であった。幼いころ、父から、鳥栖という地名を何度も聞かされた。

その鳥栖をホームタウンとして、「サガン鳥栖」というプロサッカークラブが誕生したことは知っていた。しかし、誰がスポンサーであるかに関心はなかった。私が、DHCからスラップ訴訟を提起された後に、「サガン鳥栖」のメインスポンサーがDHCであることを知った。そのユニフォームの胸に、「DHC」の3文字が入っているのだ。

「DHC」とは、言うまでもなく「デマとヘイトのカンパニー」である。これにスラップまで加わって、3拍子揃った珍しい企業。そのDHCが「サガン鳥栖」のスポンサーになった事情については知らない。おそらくは吉田嘉明が唐津の出身であった縁からであつたろう。

鳥栖は、さして大きな街ではないが、「サガン鳥栖」はまぎれもなく、佐賀県を代表するスホーツチームである。今スポンサー一覧のリストを眺めるとなんと「佐賀大学」(国立)まで入っている。その佐賀県代表の選手の胸に「デマとヘイトのカンパニー」なのだから、佐賀県の恥ではないか。さすがに、文字には書きにくいが、佐賀に縁のある人にはそうしゃべってきた。

ところが、目出度いことに、DHCと「サガン鳥栖」との縁が切れた。2020年1月でDHCがスポンサーから撤退。2月からの「胸スポンサー」は佐賀新聞となった。「サガン鳥栖」の選手の胸に、DHCの3文字はなくなり、「佐賀新聞」が取って代わっている。

「デマとヘイトとスラップ」のDHCとの縁が切れたことを、佐賀県民のために、心から「おめでとう」と申しあげたい。これからは、サガンの選手から目を背けなくてもよくなるのだから。

なぜ、DHCがサガンから撤退したのか、その理由はよく分からない。よく分からぬままにネットを検索していたら、次の記事にぶつかった。2020年2月1日付のもの。原文のまま、一部を転載する。

【悲痛】J1鳥栖スポンサー相次ぐ撤退その真相は?胸スポのDHCまで!
DHCの吉田嘉明会長
DHCの吉田会長を調べると…色々なスキャンダルが出てきました。
吉田会長が政治家に資金をを貸し付けた事を弁護士がブログで批判した事で、吉田氏側から自由な言論を封じる脅し目的の訴訟を起こされ、精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めている。
吉田会長といえば、2014年にみんなの党・渡辺喜美氏に8億円もの供与し大問題に発展。渡辺氏を通じて安倍晋三首相にも接近しようとしていたとも言われている。
吉田氏が自社株を買い戻したときの金額を国税局が低すぎるとし約6億円の追徴課税を行った際には、処分取り消しの訴訟を起こしただけでなく、国税庁職員の調査によって精神的な苦痛を受けたとして国を相手に約1億4000万円の損害賠償訴訟を起こすなど、『けんかっ早いフィクサー』『ワンマン経営者』などと呼ばれてきた吉田会長。
1992年には六本木に元社長秘書をママに据えた会員制クラブを開店したことが「週刊新潮」で取り上げられている。
このようなスキャンダルが今回のスポンサー撤退理由になのかは解らないがDHC側に有るに[の]では無いかなとも思ってしまう。
DHCの商品は僕は好きなのでなんだか微妙な気分ですね。
DHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義が一歩後退することになる。反対に、DHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義が一歩前進することになる。『DHC不買』運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだと2017年1月18日に記事になっていた。

このブロガーは率直に述べている。「このような吉田嘉明の度重なるスキャンダルが今回のスポンサー撤退理由だと断定はできないが、DHC側に問題があるのだろうと思えてしまう」と言うのだ。

《DHC商品を一つ買えば、デマとヘイトの番組作りを後押しして、日本の民主主義が一歩後退することになる。反対に、DHC商品の購入を控えれば、デマとヘイトの番組作りは一歩後退し、日本の民主主義が一歩前進することになる。『DHC不買』運動は、デマとヘイトを抑制する民主主義運動なのだ》は、私の文章である。このように拡散されていることは欣快の至りである。

「DHCスラップ訴訟」を許さない・シリーズを重ねて本日が第177弾。書き続ければ何らかの影響を確認できるようになる。書かなければ何も生まれない。DHCとの闘いはまだしばらく終わらない。本シリーズもまだまだ終わらせるわけにはいかない。
(2020年4月19日)

大事なのは、「トップの人が言ったことに従う」ことなのか。

重苦しい雰囲気である。「非常時」、「戦時色」、「臨戦態勢」などの言葉が現実味を帯びつつある。そして、この社会の重苦しさの原因として、政権への批判を封じる同調圧力が感じられる。コロナも恐いが、「一億一心」になりかねない人心も恐い。一歩間違うと、非国民非難になりかねない。

本日(4月18日)の毎日新聞・スポーツ面に、リーチ・マイケルの囲み記事。タイトルは、「外出自粛で“ワンチーム”に リーチ・マイケルが呼びかけ 『油断が危ない』」というもの。

ラグビー・ワールドカップで活躍したリーチ・マイケルが17日、ウェブでの記者会見で報道陣の取材に応じ、新型コロナウイルス感染拡大防止に向け、W杯日本代表のスローガンを引き合いに「ひとりひとりが責任を持ち『ワンチーム』として外出自粛などの行動ができれば拡大は防げる。油断が危ないので正しい行動を取って」と呼びかけたという。官製企画に、スポーツ界もメティアも踊らされている図である。

NHKもこう報じている。
「一人一人が責任持って行動を」リーチ マイケル選手 呼びかけ
「『大事なことは一人一人が責任を持って行動することだ。そうすればウイルスの感染拡大を防げるし、ワンチームになれる』とファンなどに呼びかけました。」

ところが、この動画を眺めて気が付いたのは、彼がこう言っていることだ。もちろん、日本語である。
「トップの人が言ったことに従う。それをやればワンチームになれる」

つまり、大事なことは一人一人が責任を持って判断することではない。「トップの人が言ったことに従って行動すること」だというのだ。ワンチームとは、チームの中に諸チームがないこと、一つのチームがスッキリとまとまり良いことなのだろう。トップに対する批判など、もってのほかなのだ。

念のためと思って、産経の電子版を見ると果たして、こうある。

新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けては、(リーチは)安倍晋三首相や東京都の小池百合子知事の名を挙げて「トップが言ったことに従う」必要性と、各自の責任ある行動を呼びかける。「慣れて油断するのが一番危ない。だから毎日毎日、正しい行動をとれたかを見直す。難しいが、できるだけ家に」。レビュー(振り返り)を通して成長を遂げ、W杯8強にたどり着いた代表チームの軌跡と重ね合わせる。

これが恐い。国難だから、非常時だから、「みんな一丸となってトップが言ったことに従うべきだ」というのだ。単純に短絡的に、チームを国家と同一視して、ワンチームを称揚することで、「全国民がトップの言ったことに従う」という美風を肯定し、そのための「ワンネーション」を目指そうというのだ。

結局のところ、国難だから、非常時だから、「安倍晋三や小池百合子など『トップが言ったことに従うべきだ』と、リーチは引っ張り出されて語らせられているのだ。今後、この動きに警戒し、批判を続けなければならない。

同様の問題意識で、快調にヒットを重ねるリテラが、4月15日に下記の痛快な記事を掲載している。
https://lite-ra.com/2020/04/post-5372.html

糸井重里、山下達郎、太田光…「責めるな」「いまは団結を」と安倍政権批判を封じ込める有名人がわかっていないこと

 安倍政権の酷すぎるコロナ対策、多くの人が怒りの声をあげているのは当然だろう。一方で、「いま批判するのはやめよう」「いまは誰かを責めている時期じゃない」と、政権批判や補償を求める声を封じ込めようとする動きが起き始めた。3.11のときも「国民が一つなって危機をのりこえるべきときで、責任を追及する時期じゃない」と、原発批判が封じ込められたが、まったく同じ状況になっている。

その代表が糸井重里だ。糸井は4月9日にこんなツイートをした。

〈わかったことがある。
新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。
ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ。〉
〈責めるな。じぶんのことをしろ。〉

これに批判が殺到した。映画評論家の町山智浩〈糸井重里さん、もうレトリックはいいですよ。言いたいことをはっきり、「庶民はお上に逆らうな」「政府に補償を求めるな」「マスク二枚で満足しろ」「お前らは犬だ」「奴隷だ」と言えばいいじゃないですか〉と糸井の本音を喝破。小島慶子〈はー。責めるな、自分のことをやれとどこかのお殿様が呟いたようだけど、コロナ危機なんて他人事なのでしょう…お城に篭っておくつろぎ遊ばせ。あなたに言われなくても、みんな自分のことも他人のことも懸命にやってますから〉と一刀両断にした。

さらに、秀逸だったのはライターの武田砂鉄の皮肉たっぷりのツイートだ。
〈わかったことがある。
「商売が成り立たない」「これからどうしたらいいかわからない」「だから補償を」という悲鳴を、こうやって「責め立てている」なんて変換されるのがつらいのだ。〉

そのとおりだ。大切なのは、「トップの人が言ったことに従う」ことではない。批判の精神を持続して発言し続けることなのだ。
(2020年4月18日)

検察庁法改正案は権力分立の大原則を侵す

安倍の悪事は多過ぎて、追いかけるだけでも目が回る。コロナだけに気を取られてはいけない。モリ・カケ・サクラ、テストにカジノにカワイ。その全てと関わるのが、幹部検察官人事に介入しようという検察庁法改正案。国家公務員の定年延長法案と抱き合わせとなっている。それが、昨日(4月16日)衆議院で審議入りした。こんなにも評判の悪い、こんなにも不当性見え見えの法案が、堂々と国会で審議されている。

塩川鉄也議員(共産)は、衆院本会議で質疑。これが、分かり易い。

「発端は安倍政権が1月に黒川弘務東京高検検事長の定年を延長させる閣議決定をしたことだ」「戦後、日本国憲法のもとで制定された検察庁法は、検事の定年延長は認めなかった。それは、検察官人事への政治の恣意的な介入を阻止し、検察官の独立性確保のためだ」「違法な閣議決定につじつまを合わせるため検察官の役職定年に例外を設け、内閣が認める時は63歳を超えても、さらには退官年齢(65歳)を超えても検事長などのまま勤務させることができるという抜け穴まで設けたもので許されない」「今回の法案は、検察官人事への介入を通じて内閣が恒常的に司法の一角に対する支配をを可能とすることで、憲法の基本原理である権力分立を破壊するもの」と批判した。まったくそのとおりだ。

**************************************************************************

ところで、16日に法案の審議入りが予想されるとして、法律家6団体が、15日に記者会見を開いた。それがズーム(Zoom)を用いた「ウェッブ会見」だと報告を受けた。ふーむ、世は遷っている。

2020年4月14日

「国家公務員法等の一部を改正する法律案(検察庁法改正案)」
に反対する法律家団体の共同記者会見に関する取材と報道のお願い

改憲問題対策法律家6団体連絡会            
社会文化法律センター     共同代表理事 宮里 邦雄
自 由 法 曹 団        団  長 吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議  長 北村  栄
日本国際法律家協会        会  長 大熊 政一
日本反核法律家協会        会  長 佐々木猛也
日本民主法律家協会         理 事 長 右崎 正博
改憲問題対策法律家6団体連絡会事務局長 弁護士大江京子

お問い合わせ先 弁護士 江夏大樹

1 検察庁法改正案が衆院で審議入り
政府は,「国家公務員法の一部を改正する法律案(検察庁法改正案)」を,4月16日に衆議院で審議入りする方針を固めました。
検察官は,「公益の代表者」であり,内閣総理大臣を含む政権中枢の権力犯罪に対しても捜査・起訴権限を付与された準司法官的な地位を有する国家機関であることから,政権からの独立性・公正性が制度的に保障されなければなりません。しかしながら,検察庁法改正案では,すべての検察官の定年及び定年延長について国家公務員法の規定が適用されること,内閣ないし法務大臣の広範な裁量により定年延長ができることを規定し,次長検事,検事長,検事正,上席検察官に役職定年制を導入するとともに,内閣ないし法務大臣の広範な裁量に基づき役職定年を延長する規定が盛り込まれています。この改正案では,検察官全体の人事に政権が恒常的に介入することが合法化することになります。

2 新型コロナ感染が広がる中での検察庁法改正
現在、新型コロナの感染拡大が止まらない中、内閣ないし法務大臣が検察人事に介入するという極めて問題のある検察庁法改正案を国会で審議する必要は全くありません。
また、安倍内閣は現在、自民党の河井克行前法相、河井案里参院議員に対する公職選挙法違反事件や元自民党の秋元司衆院議員に対するカジノを含む統合型リゾート(IR)事業の汚職事件が直撃している上に、自身も森友問題や桜を見る会に関連する支出を政治資金収支報告書に記載していない等の様々な疑惑が浮上しており、捜査の対象となる立場です。そうすると、今回の検察庁法の改正は新型コロナの混乱に乗じて、自身への疑惑の追及を回避する仕組み作りにあるとの謗りを免れません。
そこで,私たちは,4月16日に予定されている検察庁法改正案の国会審議入りを前に,同法案の問題点を明らかにし,同法案の廃案を訴えるために共同記者会見を行うことといたしました。

日時: 4月15日午後3時?4時(予定)共同記者会見
手段: Zoomのウェビナー機能を用いて行います。
参加方法:幹事社の毎日新聞の方に参加URLをメールで送ります。
? Zoomのウェビナーでは参加者がパネリスト(発言可)と一般視聴者(視聴のみ)に分かれます。
? 各メディアの方でご参加いただける方は事前に江夏(enatsu@tokyolaw.gr.jp)に「お名前」と「お使いになるアドレス(Zoomに登録したアドレスの場合はそちらのアドレス)」をお伝えください。パネリストとして記者会見にご招待いたします。
? 本記者会見は一般の方々も視聴者として参加することを可能としました。
? Zoomの参加方法にご不明な点がありましたら江夏までお問い合わせください。
会見出席者:各団体からの発言をご依頼するとともに、各野党の国会議員の先生方に発言をしていただく予定です。

是非,取材をして頂くと共に,報道の程,お願い致します。

(2020年4月17日)

韓国総選挙での文在寅与党勝利に祝意

聯合ニュースの伝えるところでは、韓国主要紙の本日(4月16日)朝刊ヘッドラインは、以下のとおりである。
<朝鮮日報>共に民主党が前例なき圧勝 与党陣営180議席以上獲得
<東亜日報>「国難克服」に力を添えた民心 与党が圧倒的な過半数確保
<中央日報>共に民主党が圧勝 コロナ禍で民心は安定を選択した
<ハンギョレ>共に民主党170議席前後 民主化後で与党が最大の勝利
<京郷新聞>共に民主党が「単独過半数」 与党陣営180議席獲得の可能性
<毎日経済>与党が圧勝 国民は野党を審判した
<韓国経済>共に民主党 170議席以上を席巻…巨大与党独走体制

韓国の国会は一院制である。議席の定数は300、小選挙区比例代表並立制の選挙制度で議員の任期は4年。文在寅政権与党である「共に民主党」は、2016年4月の前回総選挙では、小選挙区110、比例13の合計123議席獲得にとどまっていた。比例の得票率は25.5%で3位だったという。今回総選挙直前には、「共に民主党」は120議席、連立与党の「共に市民党」の8議席を加えて、128議席の少数与党であった。

文政権の経済政策に目に見えた成果が上がらず、政権運営にも閣僚不祥事などがあって、国民の与党批判のなかで迎えるかに見えた今回総選挙だったが、新型コロナ問題で情勢は一変したという。

与党「共に民主党」は、友党「共に市民党」と合わせて改選前の128議席から50議席増の180議席を獲得して圧勝した。これが、各紙のヘッドラインとなっている。文在寅大統領は、自信をもっての政権運営を続けことになるだろう。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で不安が高まる中、有権者が現政権によるコロナ対策の実績に高い評価を与え、安定的な国政運営を望んだ結果とされている。確かに、文政権のコロナ対策は素早く果敢で、創意にあふれたものだった。WHOの賞讃するところでもある。次の記事における彼我の差は、どこから出て来るのだろうか。

本年2月段階で既に一日1万件を超すPCR検査を実施していた。それだけの国家と国民の力量が備わっているのだ。ドライブスルー方式や電話ボックス型検査所の設置など、現場のやる気と創意が伝えられている。

検査数の多さも世界を驚かせている。韓国疾病管理本部は13日基準で検査件数を51万4621名と発表していたが、実際はそれよりはるかに多い86万1216名であったことが報告された。13日行われた中央防疫対策本部チョン・ウンギョン本部長のブリーフィングによると、統計は疾病情報統合システムから報告された、疑わしい患者や症状が出ている検査対象者の数であり、医療機関や保健所からの申告件数を収集しているため、すでに感染が確定された患者などに対する調査件数は除いた統計を発表していたという。韓国全体の検査件数は日本をはるかにしのぐ件数行っていたこと示しながら、さらに積極的に国民の検査を行うとブリーフィングを締めくくっている。
医療崩壊を懸念し、数日間は家で様子を見るなどをすぐに検査を行わない日本の正反対を行く韓国は、疑わしきは即検査をして対処する方針だ。(ニューズウィーク・日本語ウェッブ版・4月16日

「韓国でできることがなぜ日本ではできないのか」と、問われている。当然できるはずではないかという思い上がりは禁物である。政権の姿勢が異なる。国民の力量も意欲も異なるのだ。日本が学ぶべきことが多々あるとしるべきである。

もっとも、韓国の手法がすべて学ぶべきものとも思えない。とりわけ、国民のプラバシーをさらけ出させての感染経路探査には、果たしてそこまでの必要があるものかと首を傾げざるを得ない。一歩間違うと中国型の統制社会となりかねない。この点の検証は、これからも続くことになろう。

とは言え、韓国国民は、政権選択を国民の生命に関わるものと受けとめたうえで、高い投票率において現政権与党に支持を表明した。<ハンギョレ新聞>の見出しのとおり、「韓国民主化後における与党の最大の勝利」として、祝意を表したい。
(2020年4月16日)

東京都内のPCR検査数なぜ減っている。

 新型コロナウィルス感染症対策の基本方針が見えてこない。政府のやることに信頼感がないのだ。それが多くの人の不安や焦慮の原因となっている。

誠実さのカケラもなく無能な総理には、もとより何の期待もしていない。国民に語りかけるその言葉の無内容さに呆れるばかり。しかし、日本の官僚の能力や使命感には期待できるのではないか。あるいは日本の医療水準や医療体制は信頼に足りるものではないか。ひそかに、そんな淡い期待をもっていた。それがどうやら、木に縁りて魚を求むの類であったようだ。日に日に、絶望感が深まっていく。

ことあるごとに、「日本すごい」という連中がいる。そのような連中の精神構造を軽蔑しつつも、そうであって欲しいという願望は私の中にもあった。単なる願望ではなく、日本は「中くらいの国」として、イザというときには国民にとって頼りになる存在ではあろうなどと思うところはあった。その幻想が音を立てて崩れつつある。

台湾・韓国・シンガポール、そして中国すらも、それぞれの流儀で新型コロナ感染の拡大を克服しているように見える。ヨーロッパではドイツだ。私は、中国の統制型統治には強い嫌悪感がある。韓国のプライバシー無視の政策も好きではない。しかし、それぞれの国がそれなりのやり方でコロナ対策に成功しつつあり、その過程で国家や国民の力量を示している。どうも、日本はその力量に乏しいようなのだ。

日本型の感染対策の基本は、クラスター潰しだと説明されてきた。しかし、今や、その手法の失敗が国民の実感として明らかになってきている。では、どうするのか。その基本方針が見えてこない。PCR検査は増やさなければならないのに、むしろ減っているのだ。これは、どうしたことだ

公表されている限りでだが、4月に入ってからの東京都内の各日の感染者数と検査者数の推移は以下のとおりである。まず、関心をもつべきは、驚くべき検査者数の過少である。しかも、最近は検査数が減少しているのだ。

 各日の感染者数 検査者数
 1(水) 66  164
 2(木) 97  469
 3(金) 89  551
 4(土)116   65
 5(日)143   62
 6(月) 83  356
 7(火) 79  271
 8(水)144  366
 9(木)178  344
10(金)188  362
11(土)197  503
12(日)166   57
13(月) 91  250
14(火)161   91
15(水)127  未発表
(死者累計47、累計感染者に対して2%)

緊急事態宣言の出る寸前の土・日の検査人数は、65人・62人である。12日(日)もわずかに57人。昨日14日は91人。牧歌的な数ではないか。ドイツや韓国と比較すべくもない。

また、3月中の各日曜日の検査者数は、以下のとおり。日曜はほとんど検査をしていない。担当職員が休まなければならないからであろうが、緊迫感は感じられない。なお、29日(日)だけが331名と突出している理由は分からない。永寿総合病院の患者や職員を対象としたものであったのかも知れない。

 1日 14
 8日  0
15日  0
22日  1
29日331

検査者数に対する陽性率は、下記のとおり上昇している。検査対象を有症者に絞る方針を採っているからであるとしか考えられない。

3月末日現在の累計感染者数 521,累計検査者数3173  陽性率16%
4月8日現在の累計感染者数1338,累計検査者数5111  陽性率26%
 14日現在の累計感染者数2319,累計検査者数7084   陽性率33%

なぜこのような検査者数の推移になっているのか、合理的な説明はない。まず知りたいことは、「専門家委員会の基本方針にもとづいて検査対象を絞り込んでいるのでこの検査数で十分だ」と考えているのか、あるいは、「不十分だが、人的物的な条件整備が調わないのでやむを得ない」のか。誰もが疑問に思っていることである。説明責任を果たさねばならない。次の疑問、次の提言は、そこから始まる。

以上の検査人数の推移と陽性確認者数の推移を見れば、いま検査対象は、明らかな有症者とその周りの濃厚接触者だけに限られているごとくである。そのことは無症状の感染者を追うことも隔離することもあきらめたということを意味する。検査の無力を認めたに等しい。

あるいは、受け入れ診療機関の有床数に見合った感染者数を考慮して、検査者を絞っているのではないのだろうか。

官僚だけではない。都知事にも聞きたい。テレビで顔見せするだけが能ではない。多数の検査希望者が拒否されている実態があるにもかかわらず、この検査者数推移はどうしたことか。緊急事態宣言後も検査者が増えていないのはどうしてなのか、納得できるよう聞かせていただきたい。

国民の納得を得ることなくして、危機の克服はあり得ない。
(2020年4月15日)

コロナ風強く吹く、本郷三丁目交差点での訴え。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま。こちらは本郷湯島九条の会です。日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、ここ本郷三丁目交差点の「かねやす」前で、雨にもまけず風にも負けず、ささやかな訴えを続けています。

本日は、天気晴朗ですが、コロナ風が強く吹く中の訴えとなりました。緊急事態と言われる今だからこそ、国民の声が封じ込められるようなことがあってはならない。このようなときにこそ、大切な表現の自由を錆び付かせてはならない。そのような思いからの、宣伝活動です。

もっとも、本日は、私たちからご通行中の皆様に、署名を求めたり、ビラの配布のために近づいたりはいたしません。基本的には、スタンディングのスタイルで訴えます。横断幕や、スローガンを書いたポスターをご覧ください。そして、昼休みの限られた時間、マイクでの訴えに耳をお貸しください。

今、私たちは新型コロナウィルス感染拡大の脅威にさらされています。たいへん恐ろしい事態。このときだからこそ、二つのことを訴えたいと思います。

一つは、この感染症の脅威をどう乗り切るべきかです。政権や都政にお任せして安心ではないことは、国民の誰もが肌で感じているところです。私たちは、なんのために国を作って、なんのために税金を支払っているのか。今のままでは、無能な政権に何もかも犠牲にされてしまいそうではありませんか。

とりわけ、政府は、「人的接触の機会を8割減らせ。そのために、経済活動は自粛せよ。家に閉じこもれ」と言っています。この言のとおりにしたら、国民の多くは餓死しかねません。みんなが、家にこもり犬を抱いてコーヒーを飲んでおられる余裕はないのです。

自粛の要請には補償が必要だ、と大きな声を上げなければなりません。この危機的状況を弱い立場にある者の犠牲で乗り切ろうというたくらみは許されません。コロナ禍の対策に、店を閉じなければならず、あるいは通勤もしてはならないとなれば、休業による減収も、賃金のカットも、補償してもらわねばなりません。経済的な補償がなければ、休業できるはずはありません。

この期に及んで、財源がないとは言わせません。国の財政も、東京都の財政も、すべてわれわれの懐から出たものではありませんか。国や都の財政を傾けても、必要な金は出さなければなりません。その補填は、国民がこの危機を乗り切ったあとに考えればよいことです。

「この非常時だ、国を信頼して思いきったことをやらせるべきだ」という声もあります。しかし、それは明らかに間違っています。権力には常に批判が必要です。このようなときにお上にお任せしていては、徹底した弱者の切り捨てが行われます。しかも、安倍晋三政権です。政治と行政を私物化し、ウソとごまかしに明け暮れ、散々に公文書を隠し改竄してきた、薄汚い政権ではありませんか。こんな政権を信頼してお任せできるはずはありません。

そして、小池知事です。オリンピック開催に熱心な時には、コロナを問題にもしなかった。オリンピック開催の来年への延期が決まった途端に、東京は危ないと言い始めた。本当に、それまで「コロナによる東京の危機」はなかったのでしょうか。オリンピック実施のためにコロナの危機の情報を押さえたということではないのでしょうか。オリンピック延期となったら、今度はコロナ感染の危機を叫んで、自分を目立つ場におき、事実上の選挙運動をしている。そのようにしか見えません。こういう飽くまでも自分ファーストの政治家を信頼できるはずはない、いや警戒しなくてはなりません。

もう一つ、訴えたいことは、このどさくさに紛れて火事場泥棒的な憲法改正を許してはならないということです。

憲法改正は、国民みんなが理性的な議論を経て、慎重に自分たちの未来を決めるプロセスです。今、憲法改正の議論ができるような環境ではありません。新型コロナウィルス感染症の蔓延を克服するためにこそ、議論を重ねなければならないとき。社会不安を利用して、どさくさ紛れの改憲策動を許してはなりません。

そのことを心から皆様に訴えます。ご静聴ありがとうございました。(澤藤)

**************************************************************************

改定新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が発令されて初の「本郷・湯島九条の会」の昼街宣になりました。

12名の方々が参加し、風の強い蒼天のもと元気よく活動を展開しました。特殊な事情に鑑み、フライヤーは配らず、署名もせず、横断幕をみんなでもち、手書きのプラスターをそれぞれがもち訴えました。

新型コロナウイルス感染症COVID-19で国民に自粛・休業を要請するのであれば補償を完全におこなえと。さらに世界中でコロナとたたかっているさなか、国家緊急権を内容とした緊急事態条項を憲法に書き込もうと画策する安倍政権を告発しました。

強風のなか、みなさまほんとうにご苦労さまでした。コロナや安倍政権に何としても打ち勝ち、新生日本をつくり、世界平和の発進駅にする新しい政権をわたしたち自身の手で作ろうではありませんか。

(湯島本郷9条の会世話人 石井彰)

(2020年4月14日)

トランプ・安倍・小池の「国難」便乗支持率アップの行方

3月14日に、トランプが「国家非常事態宣言」を発出してからちょうど1か月。新型コロナ感染症の猛威はいまだおさまらない。これに取り組むニューヨーク州知事クオモの名声が高まって、国民の目がそちらに集まるのと反比例して、トランプの存在感が稀薄化し、支持が低迷していると伝えられている。

通例、「国難」は為政者の統治のための最強のアイテムである。とりわけ、国民からの信頼薄く、無能な為政者にとっては神風に等しい。

「国難」・「非常時」・「緊急事態」の勃発によって国民が共有する恐怖は、強く国民の一体感の醸成や統合に作用し、時の政権の求心力を強化する。「この難局を乗り切ることが喫緊の最優先課題」「そのためには、この為政者を中心に一致団結するしか選択肢はない」「その大事なときに、為政者を批判している暇はない」と吹聴されるのだ。為政者にとっての願ってもないチャンス。

だから、「国難」の克服を国民に訴えて支持を回復しようとすることが、評判の悪い政権の常套手段となる。思い出そう、前回総選挙が、安倍晋三によって「国難突破総選挙」と銘打たれていたことを。2017年9月の臨時国会冒頭で、安倍は北朝鮮からのミサイル飛翔の脅威を「国難」として、その「突破」のための解散・総選挙に踏み切った。そして、その思惑は一定の成功をおさめたのだ。その後今日に至るまで、「国難」の真否の検証はなされていない。

戦時の為政者には国民からの支持が集まるのが歴史の常識。無能を囁かれていた子ブッシュの支持率が、9・11事件直後には80%を超える高値を示している。政権運営には国難活用が有効なのだ。

今、パンデミックの危機下に、これを国難として利用しようとしている3名、トランプ・安倍晋三・小池百合子について、その国難活用事情を見ておきたい。

新型コロナ感染症は中国だけの問題で対岸の火事と軽視していたトランプだったが、3月なかばに一転して方針を変えた。コロナ対策を大統領選挙の材料にしようとの思惑からである。積極策を打ち出して、連日のブリーフィング(説明会)でTVに出まくることにして一時は成功したかに見えた。世論調査支持率は急上昇し、49%と就任以来最高の数字をたたき出したことが話題となった。

しかし、4月に入ってからは調子が変わった。いずれの世論調査も支持率は以前並みに低下し、今や不支持の世論が支持を上回っている。また、11月大統領選で、共和党トランプと民主党バイデンのどちらに投票するかという問に、主要な各世論調査のすべての結果が、バイデン有利を示しているという。

結局トランプは、ブッシュのようにこの「国難」を活かせていないのだ。その原因は、どうやらトランプ自身の無能にあるとみられているようなのだ。

斎藤彰(ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)氏らが伝えるところでは、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は9日、「トランプの無駄なブリーフィングTrump’s Wasted Briefings」と題する異例の社説を掲載したという。

「今国民が大統領の口から聞きたがっていることは、身近かにいる人たちの生命をいかに救い、失職者たちをどう救済するかといった具体策だ。彼は連日自分でブリーフィングをすることで、バイデン候補に勝利できると思い込んでいるが、それは間違いだ。11月大統領選挙の唯一課題、それはすなわち、大統領としてこの危機をいかにうまく収拾し、経済を再生できるかということにほかならない」
要するに、トランプには、国民が求める具体策を語る能力がないと言うことなのだ。

また、ニューヨーク・タイムズ紙など有力紙の間でも、大統領によるブリーフィングでは虚言、事実の曲解、前言撤回などが多すぎることを理由に、「ジャーナリストがいつまでも政治利用され続けていいのか」といった自省の声も上がり始めたという。トランプと安倍、どこまでもよく似ているのだ。

つまりは、為政者の国難利用も、決していつも思惑の通りには行くものではない。国難打開の成果が期待できないまま、国民に無能をさらけ出せば、却って強い反感を招くことにもなるのだ。

いま、安倍と小池は、トランプと同じ運命をたどっているようではないか。何よりも、「東京オリパラ」優先を至上命題として、コロナの蔓延を隠蔽していた疑惑が濃厚なのだ。情報を隠し早期に感染を防ぐ手立てを怠った責任は極めて重い。

「オリパラ」の1年延期を発表したのは3月24日。手のひらを返したように、その翌日には小池百合子が緊急記者会見を開き、唐突に「東京はオーバーシュートの重大局面にある」と危機を説き始めた。不自然で、当然裏があると考えざるを得ない。

3月26日には、厚生労働省が「新型コロナウイルスが蔓延しているおそれが高い」とする報告書をまとめ、その記述のとおり以後PCR検査結果での感染確認者が急増している。この検査結果が感染蔓延の推移を正確に反映した信頼できるものか、あるいは意識的に操作されたものか、厳密な検証を待たねばよく分からない。検査対象数が極端に絞り込まれていたのだから操作は可能であろう。しかも、オリンピック延期決定を境にこの急変である。疑惑は濃厚と指摘されて当然であろう。

にもかかわらず、安倍も小池も開き直って、国難を背負った「戦時のリーダー」を演じている。とりわけ、小池のはしゃぎぶりは目に余る。露骨に、「オリンピックで目立つことができなくなったのだから、コロナ対策で目立たなくっちゃ」という、みっともないトランプ亜流である。

コロナ禍の被害が長引いて国民・都民の不満が高じ、さらにコロナの蔓延に責任を免れないとなれば、トランプ同様「国難」便乗支持率アップも急速にしぼんでゆくことにならざるを得ない。

安倍や小池の、「オリンピック開催のためのコロナ感染隠し疑惑」を暴こう。そして、「コロナ対策便乗支持率アップ」のたくらみを許してはならない。
(2020年4月13日)

新型コロナウィルス感染症蔓延対策覚え書き

新型コロナウイルス感染の拡大の報が重苦しい。その対策についての行政の説明に隔靴掻痒の感あるうちに、患者数と死者数の増加が伝えられて無力感が募る。
しかし、誰にも明らかな、幾つかの喫緊の課題が浮かび上がってきている。必要なことに声を上げなければならない。多くは、医療行政と財政に関わるもので、内閣の責任が大きい。非体系的だが、課題を備忘録的にまとめておきたい。

第1 医療を崩壊させるな
1 この事態、すべての国民にとって何よりも医療が頼りである。検査・診断・隔離・治療・救命に万全を期していただきたい。伝えられる医療従事者の献身に心からの敬意を表するが、その医療現場から脆弱な医療の実態と危機的状況について切迫した声が上げられている。中には、既に医療崩壊が始まっているという深刻な現場の声もある。
医療行政は現場の声に耳を傾けその実態を的確に把握し、現場の医療と医療従事者を支援しなければならない。絶対に医療現場を感染の場としてはならない。

2 全医療従事者の感染の有無を検査せよ
PCR検査対象を拡充することが必要である。問題は優先順位である。まずは、医療従事者を検査対象とせよ。再び、医師や看護師が感染源となってはならない。コロナ感染疑いの患者に接する頻度の高い医療従事者から、順次全員の検査を行い、必要に応じて医師らの判断で繰り返さなければならない。

3 医療従事者を感染から守れ。
医療従事者が自らへの感染を心配することなく患者に対応できるよう、必要な感染防護の態勢を整備せよ。これは、医療行政の喫緊の課題である。医療用マスク、防護服、減圧室等の物的整備が必要であり、そのための経済支援を惜しんではならない。

第2 検査態勢を充実せよ
1 クラスターを見つけて感染経路を追跡調査するという感染拡大防止戦略が崩壊して、感染源の不明の患者が増加している以上、PCR検査対象を拡大せざるを得ない。あるいは抗体の有無を確認する血清検査を拡大充実しなければならない。そのための、人的物的態勢整備が必要である。
2 現在、PCR検査の能力の活用すらできていない。検査能力を拡大して、医療従事者、老健介護施設職員、保育園職員などから順次検査し、陽性者は業務から除外しなければならない。
3 さらに、発熱・発咳・嘔吐などの症状で感染が疑われる者は、近医の判断で検査を受けることができるよう態勢を整えるべきである。ドイツ並みは無理としても、韓国並みの検査態勢ができないはずはない。

第3 治療薬とワクチンの開発に全力を
1 現在、新型コロナウィルス感染症に有効な治療薬も予防方法もない。感染患者を入院させるのは他への感染を予防するための隔離の意味が大きく、治療は対症療法で救命し、苦痛を緩和することで患者がもつ免疫機能がウィルスを克服するのを待つほかはない。
この感染症克服の最終ゴールはワクチンの開発である。開発されたワクチンが投与可能となるまでに必要な期間として1年説もあるが、2年を覚悟しなければならないようである。それまでに、既存の抗ウィルス薬で有効なものを特定しなければならない。
2 ワクチンと治療薬。その開発を全世界の共通イベントとしなければならない。個別の製薬企業、研究機関、国家の枠を越えて、共同作業として実現してはどうか。
少なくとも、予算措置を惜しむようなことがあってはならない。

第4 休業要請には損失補償の大原則を
1 人と人との接触機会を低減することが感染拡大に有効だとしても、人は生きていくために最低限の経済活動を休止することができない。接触機会低減のための経済活動の自粛要請には、当然に損失補償が伴わなければならない。感染症拡大阻止には接触機会低減が必須であれば、それを可能とするために、ワクチンや特効薬開発までは、あらん限りの財政を注ぎ込むしかない。国民の生命の維持のために、国富を傾ける覚悟が必要ではないか。
2 国富とは、結局のところ国民の財産である。最終的には、大企業や富裕層のもつ財産を国民全体の利益のために活用するという構図を描かなければならない。

第5 もっと情報の公開を。もっと丁寧な説明を。
1 なぜ、医師が必要と判断してもPCR検査が拒否されるのか。永寿総合病院の院内感染はどうして起きたのか、それが慶應病院にどう波及したのか。死亡した国民的コメディアンはどこでどうして感染したのか。なぜ、医療現場に医療用マスクが払底しているのか。人工呼吸器が不足なのか。まことに、情報が不足である。これでは、人は納得して行動できない。
2 そして、ことは予防医学・感染症学に関わる。決して自明の常識的知見だけでの理解が当然とは言い難い。行政が、国民に「行動変容」を求める以上は、もっと真摯にもっと丁寧に、国民に望まれる「行動変容」の根拠を噛み砕いて説明しなければならない。
3 これまで、情報開示と説明責任については、極端に否定的な実績を積み上げてきた安倍内閣である。国民の信頼を勝ち得ることは客観的には絶望的であるかも知れない。しかし、自分の播いた種である。安倍晋三には自分で刈り取って始末を付けるべき責任から逃れる術はない。

第6 今こそ行政に発言しなければならない。
1 「国難」は独裁の温床である。「国難」を口実に権力者はより強力な権限を求め、国民に積極的な服従を求める。しかし、国難を克服することは独裁ではできない。また、弱者を切り捨てての「国難」対処を許してはならない。とりわけ、火事場泥棒のごとくたくらまれる安倍改憲策動を警戒しなければならない。
2 惨事便乗型独裁煽動の言論が横行している。「今はリーダーの決断を批判する時ではない。危機管理の最中における非難や批判は有害無益であり、結果的に自分達の首を絞めるだけである。国民には、リーダーの決断に対し、積極的、自主的に協力するフォロアーシップが求められる。」という類のもの。なんとも権力者に好都合な馬鹿馬鹿しい「論理」。
実は、真反対である。今こそ、積極的に行政にものを言わなければならない。災害回避の国民的力量の源泉は、主体的な意思をもった国民一人ひとりにほかならない。もの言わぬ無批判な衆愚には何の力量もない。また、被支配者がリーダーの決断に唯々諾々と追随していれば、大量の弱者を切り捨てた強者の生き残り策が強行されることになってしまうのだ。

強く行政にものを言おう。提言を続けよう。この災厄を乗り越えて生命と生活を守るために。そして、民主主義を擁護するために。
(2020年4月12日)

児玉龍彦さんの緊急の問題提起に耳を傾けよう

おなじみになった、米ジョンズ・ホプキンズ大の集計。新型コロナウイルス感染症による死者数が本日(4月11日)、世界全体で10万人を超えたという。5万人を超えたのが今月2日。9日間で倍増したことになる。9日ごとに倍増というこの勢いがしばらく続くと仮定すれば、世界中が恐るべき事態となる。人の悲劇が数の大きさだけで表される深刻さに戦慄する。

身近には、東京都内本日の新たな陽性確認患者が197人だという。その推移は、
 8日に144人
 9日に178人
 10日に189人
 11日に197人
で、「4日連続過去最多更新」とされている。
しかし、この推移をどう評価すべきか私にはよく分からない。絶対数として無視し得ないことは明らかだが、指数関数的に爆発的な増加ではない。果たして、「オーバーシュート」寸前なのか、よく抑えている成果が現れているとみるべきなのか。危機的なのか危機的とは言えないのか、危機的であるとしてどの程度のものなのか。

専門家諸氏が、いったい何をどれだけ分かっているのか、実は分かってはいないのか。将来予測をするためにはどのようなデータが必要で、そのデータを得る努力はどのようにされているのか。あるいはそれどころではなく、何もされてはいないのか。中国、台湾、韓国、イタリア、スベイン、フランス、ドイツ、アメリカ各国の、積極消極の各教訓はどのように認識され、生かされているのか。ドイツや、韓国に比較して、日本の検査率が、かくも極端に低いのはなぜなのか。

政府は、「接触機会の低減に徹底的に取り組めば、事態を収束に向かわせることが可能であり、以下の対策を進めることにより、最低7割、極力8割程度の接触機会の低減を目指す。」という。「接触機会の低減」だけが有効対策なのか。「接触機会」とは何を言うのか。どう計測するのか。いつを規準に8割というのか。家族間の人的接触や施設での介護は、あるいは公共交通機関の利用はどうカウントするのか。生存に絶対必要な食料品調達や受診による医師との接触も分母に入るのか。それを除いての8割なのか。

この間、安倍・小池や、そのスジの専門家の言うことは、到底納得しがたい。とりわけ、日本のPCR検査のハードルがかくも高く実施率がかくも低度であることがどうしても理解できない。

この間、専門家として説得力のある解説をしているのは、児玉龍彦さん(専門は分子生物学、システム医学。東大アイソトープ総合センター長)である。彼は、分かっていることと分からないことをきちんと区分して語っている。下記の各動画は、政権の政策への問題提起として、必見といえよう。

新型コロナ重大局面 東京はニューヨークになるか (4月3日)
https://www.youtube.com/watch?v=r-3QyWfSsCQ

自分で考え いのちを守れ! 新型コロナと闘う その先の未来へ(4月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=RUrC57UZjYk

ここで語られていることは、専門家委員会(個人ではなく)の胡散臭さである。安倍・小池が都合よく使っている「専門家」だが、これを至急に取り換えねばならないという彼の提言には、頷かざるを得ない。

あらためて思う。権力を握る者の責任の重さである。今の時期、日本国民も東京都民も、とんでもない人物を頼らざるを得ない窮地に陥ってしまっている。せめて、背後霊のようにくっついている「専門家」の適格性を至急検証しなければならない。

**************************************************************************
なお、本年2月25日時点で、ネットにアップされた「サンデー毎日」の記事の一部を抜粋して引用したい。児玉さんの主張の骨格が見えると思う。

新興感染症にどう対応?
「予防ワクチンと、重症化抑止の抗ウイルス剤がまだできていない。従って、入り口の『ウイルス診断』と出口の『重症呼吸不全』への対応が致命的に重要だ」

今回はどんなウイルス?
「風邪のような症状と、嘔吐(おうと)と下痢をおこすタイプと2種類あるが、武漢からの報告では、今回のは両方起こす。そのため予防策が混乱する。飛沫(ひまつ)感染が中心だが、食事を介する感染が目立つ。武漢は食品市場で起こり、日本でも屋形船で感染した。SARSではクラスBの対応だったが、コレラ並みのクラスAを推奨する論文も出ており、感染予防に特別の注意が必要だ」

感染か否かの診断は?
「咽頭(いんとう)のぬぐい液などからウイルスの中にある遺伝子情報であるRNAを増幅して診断するリアルタイムPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)という方法が有効だ。これはゲノム診断でもよく用いられる簡易的な方法で、測定機械は一般の大学や研究機関、民間の検査企業にかなりの台数がある。さらにシークエンサーで見れば偽陽性か本当の感染か、比較的簡単に区別できる

クルーズ船対策。どこで間違った?
安倍首相が突然入国拒否と言い出したところだ。今までインバウンド、クルーズ船誘致と言ってきたのが、入国拒否という一種のヘイト的非人道措置を打ち出した。WHO(世界保健機関)がやるべきでないというところに飛びついてしまった。汚染船内に閉じ込めるということは、感染拡大につながる。少なくともいったん船から降ろして全部消毒すべきだったが、閉じ込めたままにした。専門家ではない厚労官僚が対応、PCRや重症化の対応も知らなかったことで、『監禁船での感染実験』と批判される羽目になった」

PCR検査も遅れた。
先述したように簡易な検査だ。もっと民間の検査機関を活用すべきだったが、厚労省が自分たちの組織内でやることにこだわった。厚労技官や国立感染症研究所が予算確保の好機と考えた節もある。政権は(2月)14日、153億円の緊急対策を決めたが、最大の問題であるウイルス診断と、重症呼吸不全の緊急対応問題がほとんど理解されていない」

(2月)17日発表の「相談・受診の目安」では、「37・5度以上の熱が4日以上」続けば受診しろというが。
普通の人が4日熱を出して重い症状になると病院に行けなくなる。武漢の例を見ると、呼吸不全が突然重症化する例が多い。まずやるべきはPCR検査のできる場所を大量に増やすことだ。研究機関レベルのスクリーニングでもいい。偽陽性になった人が専門的な外来でチェックする。つまり、スクリーニング自体のやり方を変える必要がある。今は検体をいったん国立感染研に集める形式を取っているが、官僚統制はすぐにやめ、迅速に動ける民間企業にやらせた方がいい」
「ただ、検査の問題は時間とともに解決する。最大の問題は、一定数で発生する重症者、特に高齢者、合併症保持者への対策だ。大量の排気をするし、一般の人工呼吸器でやると大量のウイルスを出す。重症者を受け入れる病棟を特設しないと院内感染は防げない」

ミスの重なりが痛い。
医療行政としては薬害エイズに匹敵する失態だ。80年代血友病患者に対し、加熱処理してウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用、多数のHIV感染者を生み出した。 「医療の問題というのは、分子レベルから社会レベルまでいろんな階層があるが、全体状況を統合できる専門家が必要だ。ある意味で正しい政策が別の面では失敗を招く。薬害エイズでは、血友病治療に熱心だった医師に血液製剤の知識がなく、今回は検疫をするにあたり、船内の人のことを考える人がいなかった。ただ、日本の医学界にも心ある人は大勢いるし、日本の科学技術の水準は今回のように低いものではない。医学界全体が大きく反省し目を覚ますべき時だと感じる。医療従事者を助けるためにも行政にPCR検査体制整備や重症施設特設を早急にやらせる必要があり、言論の役割も非常に大きい

(2020年4月11日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2020. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.