(2021年11月20日)
中日新聞(11月17日)の社会面に、「高校演劇作品 公開せず 県高文連『せりふに差別用語』」「脚本関係者『表現の自由への制約』」という記事。これは看過できない。地元紙・福井新聞では、「作中に差別用語…高校演劇巡り広がる波紋」「主催者が映像化を中止、創作者は表現抑圧と反発」という見出し。投げかけている問題は大きい。
中日新聞を引用する。
「県高校文化連盟(県高文連)演劇部が今年9月に福井市で開催した県高校演劇祭の関係者向けインターネットサイトで、福井農林高校(同市)が上演した演劇作品だけ公開されていないことが分かった。県高文連は劇中のせりふに「差別用語」が含まれていたことを理由としているが、脚本に関わった関係者は「差別的な文脈で使用したものではなく、表現の自由に対する制約だ」と主張している。
作品のタイトルは「明日のハナコ」。二人の少女が1948(昭和23)年の福井地震から現在までの県内の歴史を振り返りつつ、未来について考え成長していく物語。
県高文連の関係者によると、元敦賀市長の発言として原発誘致の利点を語るせりふの中に「カタワ」という言葉が含まれていた点を問題視した。この作品をサイトで公開しないことは、高校演劇部の顧問らで作る顧問会が事前に弁護士に相談した上で、10月8日に協議して決めた。差別表現はどのような場合でも許されないことや、公開した場合に生徒や教員が誹謗中傷にさらされたり、名誉毀損などの罪に問われる可能性があることなどを弁護士に指摘されたことから判断したという。
せりふは過去の文献を参考にした形で書かれていたが、脚本家に対し、せりふを書いた意図について確認はしなかったという。
さらに、この作品のDVDは作らず、脚本は顧問が管理し、生徒の手に渡らないようにすることなども決めた。演劇祭の様子は12月に地元の福井ケーブルテレビで放映される予定だったが、県高文連側がこれらの懸念を伝え、放映しないことになった。
県高文連演劇部会長を務める丸岡高校の島田芳秀校長は、取材に対し「子どもたちを守るための判断で、問題はない」と述べた。脚本に関わった関係者は「表現に対する過度の制約につながり、懸念している」と話している。
演劇「明日のハナコ」で使われたせりふの抜粋
小夜子 (略)「まあ原子力発電所が来る。電源三法の金はもらうけど、そのほかに地域振興に対して裏金よこせ、協力金よこせ、というのがそれぞれの地域にある。(中略)そんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわ。そりゃもう棚ぼた式の街作りができる。そのかわり100年たってカタワが生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階で原発をおやりになった方がよい」
ハナコ それ誰。
小夜子 敦賀市長。石川県の志賀町で原発建設の話が持ち上がったときに地元商工会に招かれてしゃべったらしいのね。
(後略)
生きた議論を
志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法・芸術関連法)の話 差別的な表現について法律家が文脈を見ずに「許されない」と助言することは通常考えにくく、学校側の誤解があったのではないか。学校の管理権は広く認められる傾向にあるが、(生徒の危険を理由に非公開とした決定は)善意ながら上から目線で事なかれ主義を押しつけた可能性がある。特に脚本を生徒の目に触れないようにするなど、後からの検証を不可能とする形で言論を封殺することは最もやってはいけない。せりふの意図を説明した上で公開するなど、表現を成立させる方向へ進んでほしい。学校側がこれを機に表現の自由を考える場をつくるのであれば、生きた議論ができるはずだ。
さすが志田教授、憲法論にとどまらず、あるべき教育論にまで踏み込んだ立派なコメント。
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そして、佐藤正雄・福井県議会議員(共産)が、こう語っていることにも大賛成だ。
https://blog.goo.ne.jp/mmasaosato/e/f5a9ce2a88573c40d7bcc4c9fd61afa4
私のコメント
「福井農林高校演劇部の劇も、必要な措置をおこない福井ケーブルテレビで放映すべきと考えます。」
この経緯には、福井農林演劇部の生徒さん、顧問の先生、外部指導員の玉村さん、校長先生、そして、校長先生で構成される演劇部会、演劇部顧問で構成される顧問会議、教育委員会、福井ケーブルテレビ、スクールロイヤーなどの多様な当事者が存在します。
大事なことは演劇含めて表現の自由は最大限尊重されなければなりませんし、舞台上演可能な高校演劇がテレビ放送には適さない、というダブルスタンダードでは当事者である生徒たちや、県民にもわかりにくいと思います。
原発誘致をめぐる当時の敦賀市長の、差別用語の問題発言は当時も大きく報道されていますし、書籍にも掲載され、現在でも簡単にネット上で検索もできます。
歴史的な政治家の発言をそのまま使うことには小説であれ、演劇であれ、ありうることです。それが現在では不適切であれば、その際に、「ことわり」を入れることは当然です。
弁護士であるスクールロイヤーが「差別用語の放送は危険であり、放送は大きな問題だ」と指摘したことが今回の展開に大きな影響を与えたようです。
しかし、私も障がい者運動の当事者の方々の意見もお聞きしましたが、「歴史的な発言を語る演劇が放映されないことの方が問題ではないか。だから原発に忖度したのではといわれる。落語でも小説でも歴史的な差別用語を残して今日に伝えている例はたくさんある」などと話されています。
放映の際にその部分に、「不適切な表現がありますが当時の敦賀市長の発言のまま放映しました」などのことわりが流れるようにすれば、障害をお持ちの方含め県民理解も得られるのではないでしょうか。
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なお、市民運動団体「福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会」によると以下の事情があるという。
9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。
そこでその日に行われた顧問会議の結論は、「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。
その理由としては、
1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。
2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。
3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。
「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。
「2」個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。
「3」反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。
もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。
したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。
また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。
その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。
・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。
・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。
・脚本はすべて回収する。
会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。
・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。
・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。
・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。
顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。
なるほど、主役は原発なのだ。そういう目で事態の推移を見直せば、よく分かる。ということは、この件をこのまま放置していれば、「原発批判は避けて通るに越したことはない」という社会の雰囲気を醸成することにもなるのだ。
それにしても、志田陽子教授、左藤正雄議員とも、見事なコメントである。付言すべきことはない。
(2021年11月19日)
本日の毎日新聞朝刊。社会面トップが、『ヘイト投稿、放置できぬ 川崎の在日コリアン 男性を提訴』という記事。その紙面での扱いの大きさに敬意を表したい。
続いて、『差別文書、差し止め命令 フジ住宅の賠償増額 大阪高裁』の記事。今のところ、《東のDHC》《西のフジ住宅》の両社が、悪名高い在日差別企業の横綱格。そのフジ住宅に対する厳しい高裁判決。ヘイトの言論はなかなか無くならないものの、ヘイトに対する批判の世論や運動は確実に進展していると心強い。
まずは、ヘイト投稿への損害賠償請求提訴。提訴は、昨日(11月18日)のこと。提訴先は原告の居住地を管轄する横浜地裁川崎支部である。
「川崎市の多文化総合教育施設「市ふれあい館」館長で在日コリアン3世の崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(48)は18日、インターネット上で繰り返し中傷を受けたとして、投稿した関東地方の40代の男性に対し、慰謝料など305万円の損害賠償を求める訴えを横浜地裁川崎支部に起こした。
訴状などによると、男性は2016年6月、自身のブログで「崔江以子、お前何様のつもりだ‼」とのタイトルで「日本国に仇(あだ)なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」などと投稿した。崔さんの請求を受けてブログ管理会社が投稿を削除すると、同年10月から約4年にわたり、ブログやツイッターなどで崔さんについて「差別の当たり屋」「被害者ビジネス」などと書き込んだ。
崔さんは21年3月に発信者情報の開示を請求し、投稿した男性を特定した。男性は崔さんとの手紙のやり取りの中で自身の行為を認めて謝罪をしたものの「仕事がなくてつらかった」などと弁解したため、反省がみられないとして提訴に踏み切った。」
「川崎市は20年4月、ヘイトスピーチに刑事罰を科す全国初の『市差別のない人権尊重のまちづくり条例』に基づいて有識者で構成する審査会を設置。この審査会がヘイトと認定した計51件のネット上の書き込みを削除するようサイト運営者に要請した。このうち37件が削除されたものの要請に強制力はなく、残る14件にそれ以上の措置をとれないのが実情だ」
弁護団は「やったことに対して責任を取らせるというのがこの裁判の趣旨。削除要請だけでは問題が解決しないケースで、このまま放置できないと考えた」と話している。
この被告とされた男性は、「仕事がなくてつらかった」から在日差別の投稿を繰り返していた。イジメの動機として多く語られるところは、惨めで弱い自分を認めたくないとする心理が、自分よりも弱く見える相手を攻撃することによって、自分の弱さを打ち消そうとするものだという。
問題は、このような攻撃の捌け口として、在日コリアンが標的とされる日本社会の現状にある。リアルな社会では差別を恥としない右翼政治家や評論家、行動右翼の言行が幅を利かせ、差別本が世に満ちている。ネットの世界では匿名の壁に隠れて口汚い差別用語が飛び交っている。この状況が、在日コリアン攻撃に対する倫理的抵抗感を失わしめ、しかも報復のない安全な弱い者イジメと思わせてはいないだろうか。在日コリアンだけでなく、貧困や性差別や心身の障害などでの差別に苦しむ人々についても、イジメの対象としてよいと思わせる風潮があるのではないか。
いまや、理念や倫理を語るのでは足りない。刑罰や、損害賠償命令という形での民事的な制裁が必要と考えざるを得ない。差別言論は、刑事罰を科せられ、あるいは損害賠償を負うべき違法行為と自覚されなければならない。広範にその自覚を拡げるために毎日新聞記事のスペースの大きさを歓迎したい。
そして、たまたま同じ日に、「差別文書、差し止め命令 フジ住宅の賠償増額 大阪高裁」の記事である。
「ヘイトスピーチ(憎悪表現)を含む文書を職場で繰り返し配布され、精神的苦痛を受けたとして、東証1部上場の不動産会社「フジ住宅」(大阪府岸和田市)に勤める在日韓国人の50代女性が同社と男性会長(75)に計3300万円の賠償を求めた訴訟の判決で、大阪高裁(清水響裁判長)は18日、1審・大阪地裁堺支部判決から賠償額を計132万円に増額し、文書配布を改めて違法と判断した。1審判決後も文書が配られ続けたとして、会社側に配布の差し止めも命じた。」
フジ住宅については、当ブログで何度も取りあげてきた。下記を参照いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?s=%E3%83%95%E3%82%B8%E4%BD%8F%E5%AE%85
昨日の判決では、「会社側には差別的思想を職場で広げない環境作りに配慮する義務がある」との判断が示されたという。その上で、「差別を助長する可能性がある文書を継続的かつ大量に配布した結果、現実の差別的言動を生じさせかねない温床を職場に作り出した」ことをもって、会社側はその配慮義務に違反し、「女性の人格的利益を侵害した」と結論付けたという。
これは素晴らしい判決である。これまで、労働契約に付随する義務として、使用者には労働者に対する「安全配慮義務(=安全な労働環境を整えるよう配慮すべき義務)」があるとされてきた。今回の判決はこれを一歩進めて、「使用者には労働者に対して、差別的思想を職場で広げない環境作りに配慮すべき義務を負う」としたのだ。つまりは、労働者を尊厳ある人間として処遇せよという使用者の具体的義務を認めたということである。さらに判決は、ヘイト文書の職場内での配布を差し止め仮処分も認容した。これも素晴らしい成果。
裁判所は、よくその任務を果たした。が、それも原告の女性社員が臆することなく訴訟に立ち上がったからこその成果である。社内での重圧は察するに余りある。孤立しながらの提訴に敬意を表するとともに、この原告を支えて見事な判決を勝ち取った弁護団にも拍手を送りたい。
フジ住宅は「差し止めは過度の言論の萎縮を招くもので、判決は到底承服できず、最高裁に上告して改めて主張を行う」とのコメントを発表したという。ぜひ、上告してもらいたい。そして、《弱者を差別し傷付ける言論の自由の限界》についてのきちんとした最高最判例を作っていただきたい。そうすれば、フジ住宅というヘイト企業も社会に貢献したことになる。
(2021年11月18日)
天皇の交替に伴う儀式を違憲とする幾つかの訴訟の中で、最も規模の大きなものが、東京地裁に提訴された「即位・大嘗祭違憲訴訟」。これが、1次・2次訴訟とあり、各訴訟がいくつかに分離され、さらに高裁の差し戻し判決もあって、複雑な経過をたどっている。
昨日(11月17日)東京高裁(第23民事部)で、「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次)」の分離された《人格権に基づく差止請求の訴え》に対する判決が言い渡された。残念ながら、主文は控訴棄却。原審の却下判決が維持された。
私はこの弁護団に入っていないが、そのニュースに注目している。ここまでの経過は、以下のとおり相当に込み入っている。
第2次提訴(慰謝料の国家賠償と、違法支出差止の請求)⇒東京地裁が、国家賠償請求と支出差止請求とを弁論分離⇒東京地裁支出差止請求を却下判決⇒控訴⇒東京高裁原判決破棄・差し戻し判決⇒東京地裁差戻審が、支出差止を《納税者基本権に基づく請求》と《人格権に基づく請求》とに弁論分離⇒(《納税者基本権に基づく請求》は、東京地裁却下・東京高裁控訴棄却で確定)⇒東京地裁《人格権に基づく差止請求》を却下⇒控訴⇒昨日(2021年11月17日)東京高裁棄却判決
さて、大手新聞はこの判決にさしたる関心を払っていない。違憲合憲ないしは違法合法の判断をまったく含んでいないからだ。中で、産経の報道だけが際立っている。その全文を引用する。
大嘗祭支出、高裁も適法 市民団体の訴え棄却
皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭(だいじょうさい)」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するとして、市民団体メンバーらが国に支出しないよう求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、東京高裁は17日、支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、メンバーらの控訴を棄却した。
小野瀬厚裁判長は「公金支出に不快感を抱くことがあるとしても、思想良心や信教の自由の侵害と認めるには、思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」と指摘した。
この記事の主眼は、「国費支出を適法とした1審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した」という点にある。だから見出しも、「大嘗祭支出、高裁も適法」となっている。産経読者の記憶には、「皇位継承に伴う「即位の礼」や「大嘗祭」への国費支出は憲法が定めた政教分離の原則に反するものではなく適法な支出であると、1審東京地裁が認め、控訴審東京高裁もこれを支持する判決を言い渡した」と刷り込まれることになる。
「その記事は間違いだ」と言うよりは、「それは嘘だ」と指摘するべきだろう。あるいは「フェイク記事」と。我田引水も甚だしく、産経の記事の世界に浸っていると洗脳されることになる。
本件控訴事件の原判決は、東京地裁民事第25部(鈴木昭洋裁判長)が本年3月24日に言い渡した却下判決である。弁護団のコメントでは、「残念ながらこれまでのやりとりが何だったかと思わせる不当判決」「13ページのうち実質的理由は2ページにすぎませんが、諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする、全く紋切り型の、国の主張をそのままなぞったもの」だという。
一見して明らかなとおり、一審判決も控訴審判決も、大嘗祭支出の合違憲判断には踏み込んでいない。人格権に基づく差止請求の適法要件として、原告の具体的権利侵害を要求し、その具備がないとして、実体審理に入ることなく「却下」とされたのだ。
人格権に基づく差止請求が認められるためには、第一段階として「思想の強制などで直接不利益を受けることが必要だ」というのである。原告に、「直接不利益」という「具体的権利侵害」があって初めて、大嘗祭支出の合違憲について実体的審理を求める訴訟上の権利が発生する。そこまでの証明がない以上、違憲・違法判断するまでもなく差止請求は却下となった。
一方、慰謝料を求める国家賠償請求には却下はない。本件の第1次請求と第2次請求の国家賠償請求部分は併合されて、東京地裁で本格的な審理が進んでいる。こちらも、決して低いハードルではないが原告団・弁護団の熱意に期待したい。
(2021年11月17日)
2009年5月27日
社団法人日本将棋連盟御中
澤 藤 統 一 郎
お 願 い と ご 質 問
私は将棋愛好家のはしくれです。
余暇に恵まれず対局の機会はほとんど持てないのですが、新聞の将棋欄を楽しみにしています。当然のことながら、将棋愛好家の一人として、貴連盟の発展を祈念して已みません。
しかし、不幸なことに、私は貴連盟の会長である米長邦雄氏には好感が持てません。婉曲な物言いを避けて率直に申し上げれば、虫酸が走るほどに大嫌いなのです。
氏のアナクロニズムで品性に欠けた言動には以前から眉をひそめていましたが、在野から発言する限りでは「言論の自由の行使」であって、「虫酸が走るほど大嫌い」にはなり得ません。ところが、氏は石原慎太郎都知事から、教育に関する見識ではなくその蛮勇を期待されて東京都教育委員に起用されました。行政権力を行使しうる立場となった氏は、教育にも憲法・教育基本法にも無知・無理解のまま、教育現場を混乱させ萎縮させる尖兵として大きな役割を果たしました。「大嫌い」の所以です。
近々米長氏が貴連盟会長の任期を終えるものと心待ちにしておりましたが、本日、あと1期・2年の続投が決まったとの報道に接しました。そこで、やむなく、次のお願いと質問を申し上げます。
私は、貴連盟にアマチュア段位申請の予定です。毎日新聞の紙上段位認定テストに連続10週応募し、200点満点のところ190点を得て、規程のうえでは5段位までの申請資格があるとされています。その段位の免状に、連盟会長としての米長氏の署名を拒否したいのです。
もう、ずいぶん昔のことですが、盛岡に住まいしていたころに、日本将棋連盟岩手支部の推薦で初段位の免状をいただきました。その免状には、大山康晴・中原誠・二上達也という、尊敬に値する3名の棋士のお名前が連署されており、感動したことを覚えております。
しかし、尊敬に値しない米長邦雄氏署名の免状では感動の余地はなく、むしろ、不愉快極まるものと言わざるを得ません。一将棋愛好家の、「米長邦雄氏の免状では、まっぴらご免」の気持を汲んでいただきたいのです。
棋風について好みの棋士や、尊敬する幾人かの棋士を特に選んでお願いという我が儘は申しません。米長氏でさえなければ、棋士のどなたの署名でもありかたく頂戴いたします。
なお、もう一点のお願いがあります。免状における段位允許の日付の表記が平成という元号でされた場合には大きな違和感を禁じ得ません。初代天皇・神式の即位を元年とする「皇紀」という年号表記にも、当代天皇の即位を元年とする「元号」表記にも、どうしても馴染めません。
将棋と天皇制とは何の関連性もなかろうと思います。ぜひとも、国際的に通用する西暦表示で免状をいただきたいのです。
以上の2点についてよろしくお願い申し上げ、承諾のご回答を得て、段位の申請手続きに及びたいと存じます。あらためて申し上げれば、
(1)段位の免状から、米長氏の署名を外していただきたい。
(2)免状の日付の表記を、元号ではなく西暦でお願いしたい。
将棋愛好家として、貴連盟からの快諾のご返事をお待ち申し上げます。
なお、この質問書と貴連盟からのご回答については、何らかの方法で公開させていただきますので、ご承知おきください。
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澤 藤 統一郎 様
平成21年6月2日
社団法人 日本将棋連盟
普及推進部支部免状課
浅 見 章 安 印
前略 初夏の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。
日頃は大変お世話になっております。
さて、先日は免状の署名ならび発行日付の表記について、お手紙をいただきました。この2点についてご返事させていただきます。
社団法人日本将棋連盟発行免状は会長,名人,竜王の署名にて発行しています。 現会長の署名を外して免状の発行は,過去にはございませんので大変申し訳けございませんがお受けできません。
支部免状課職員一同,一枚の大高檀紙の丹精をこめて署名された現在の免状に対して誇りを持っています。
澤藤様には色々な感情があると思いますが,澤藤様が毎日紙上にて五段位認定の点数を取得された過程が大事と思われます。
日付の表記は通常は平成ですが,西暦の記入については考慮いたします。
以上,2点の問題についてお知らせいたします。
今回の件におかれましてはご賢察の程,お願い申し上げましてご通知にかえさせていただきます。
草々
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2009年6月4日
社団法人 日本将棋連盟
普及推進本部支部免状課
浅 見 章 安 様
澤 藤 統 一 郎
先に、段位免状の申請に関して下記2点のお願いを申し上げ、諾否の回答を求めた者です。
(1)段位授与の免状から、米長邦雄氏の署名を外していただきたい。
(2)免状の日付の表記を、元号ではなく西暦でお願いしたい。
この不躾なお願いと質問に対して、貴職名でのまことに迅速で丁寧なご回答に接しました。その真摯な対応に敬意と謝意を表します。
将棋愛好者の一人として、会長人事を別とすれば、貴連盟が社会的な良識を堅持されていることを知り、たいへん嬉しく思いました。
第1点のご回答は、「現会長の署名を外した免状の発行はできない」とのこと。私的な団体の取り決めであれば、ご無理を申し上げるわけにはまいりません。
第2点については、「日付の表記は、通常は平成ですが、西暦の記入については考慮いたします」とのこと。この点にっいては、心から感謝申し上げます。
ご回答に接して、米長氏が会長職を辞することを心待ちにし、米長氏の署名のない段位授与免状がいただけるようになった時点で、速やかに段位の申請手続きをして、西暦表記の免状をいただきたいと存じます。その際によろしくお願いします。
なお、私の毎日新聞紙上段位認定テスト応募は1248回から1257回まで、合計190点です。段位甲請手続きが、米長氏退任まで遅延することをご丁解ください。
末筆ながら、(米長氏を除く)貴連盟のますますの発展を祈念申し上げます。
(2021年11月16日)
いま振り返って、2019年9月の「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展その後」は、日本社会の嘆かわしい現状をあらためて教えてくれた。
問われたのは、この日本の社会に表現の自由がどれほど根付いているかという問題である。天皇を批判する表現の自由はあるのか。従軍慰安婦問題を根底から考えようという表現についてはどうなのか。その困難を知りつつ果敢にこの企画の実行に挑戦した人たち、そして問題が顕在化してからは懸命にこの企画を守ろうとした多くの人たちの真摯さ熱意に讃辞を送らねばならない。
しかし、これを妨害しようという心ない勢力が、我が国の表現の自由の水準を教えてくれた。その勢力の中心に、高須克弥、河村たかし、吉村洋文、田中孝博らの名があった。右翼とポピュリストたちの反民主主義連合である。
彼らが、「不自由展」を主宰した責任を問うとして始めた大村知事リコール運動を担った署名活動団体「愛知100万人リコールの会」の会長が高須克弥であり、その事務局長を務めたのが田中孝博。当時田中は、日本維新の会・衆議院愛知5区選挙区支部長(総選挙予定候補者)であった。
その会が提出した署名のおよそ8割に当たる約36万人分が偽造だったとして、世を驚愕させた。右翼とポピュリストたちの薄汚さを晒して余すところがない。今、田中は地方自治法違反(署名偽造)の罪名で起訴されて公判中であるが、河村や高須がどう関わったかは、まだ明らかにされていない。
かつて中国に「?国无罪」(愛国無罪)というスローガンがあった。河村や高須には、「自分たちは愛国者だ。天皇を誹謗する不逞の輩を糾弾する愛国心の発露に違法の謂われはない」という思い上がりがあるのではないだろうか。
本日の夕刊に、久しぶりに高須克弥の名を見た。「高須院長の秘書ら2人を書類送検 リコール署名偽造の疑い」というタイトル。
毎日新聞は、こう報道している。
「愛知県の大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件で、県警が署名活動団体「愛知100万人リコールの会」会長、高須克弥氏(76)の女性秘書(68)と50代女性の2人を地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検していたことが16日、関係者への取材で判明した。いずれも容疑を認めているという。
送検容疑は同会事務局長の田中孝博被告(60)=同法違反で公判中=と共謀し、2020年10月ごろ、愛知県内で数人分の署名を偽造したとしている。
署名偽造を巡っては佐賀市内でアルバイトを雇い、署名を書き写したとして田中被告らが逮捕、起訴されているが、佐賀市以外での署名偽造に関して立件されるのは初めて。
女性秘書については田中被告の指示で押印のない署名簿に自身の指印を押していたことが既に判明。県警は5月に女性秘書の関連会社を家宅捜索し、任意で事情を聴いていた。地方自治法は署名偽造について罰則がある一方、他人の署名に押印する行為への罰則や過失規定はないため、立件は見送られていた。
秘書が書類送検されたことについて、高須氏は16日、毎日新聞の取材に「僕はリコールのノウハウもなく、(署名活動団体事務局に)全部丸投げでお願いしますと言っていた。秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない」と自身の関与について否定した。」
また、産経の報道にこうある。
「大村秀章愛知県知事へのリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件に関わったとして、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検された高須克弥・高須クリニック院長の女性秘書(68)が、自身が役員を務める企業の従業員らにそれぞれ数万円の報酬を支払って署名を偽造させた疑いがあることが16日、捜査関係者への取材で分かった。」
取材に対して、高須は、「秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない(だから、僕には責任はない)」「全く知らなかった。私自身は全く関与していない」と話している。安倍晋三を典型とする政治家に真似た、秘書という尻尾切り捨ての術である。
また、河村たかしも、「報道で知ってびっくりした。とんでもない話ですわ。県警は誰にも遠慮せず、きちんと事実を明らかにしてほしい」と話したという。
私は知らなかったが、愛知県警は今年2月以降、秘書への任意の事情聴取を複数回実施。同5月には、秘書の自宅や秘書が役員を務める関係会社を同法違反容疑で捜索し、パソコンや携帯電話などを押収していたという。
遅々としてではあるが、着実に捜査の手が高須の身辺に迫っている印象を受ける。愛国無罪などあってはなない。厳正な捜査を尽くしてもらいたいと願う。
(2021年11月15日)
秋篠宮家の長女が結婚して皇族から離脱した。皇族の女性が一人減ったということは、女性天皇を認めた場合の有資格者が一人減ったことにもなる。
天皇という地位は世襲とされている(憲法第2条)。世襲とは血統でつながるということだから、血統でつながる者がいなければ、天皇という地位はなくなる。いわば、天皇制が自然死を迎えることになる。もちろん、無理に傍系をたどれば血統のつながりは無限に広がるが、天皇の場合そうはいかない。
皇室典範第1条が皇位継承の資格を「皇統に属する男系の男子たる皇族」に限定していることから、天皇候補の有資格者払底のリスクが高まっている。これに関連して、女性・女系天皇の可否をめぐる議論が盛んである。つまりは、皇統の絶滅防止の観点からの女性・女系天皇容認が議論の発端なのだ。
男系男子にこだわれば、傍系を探して天皇に就けることになるが、右翼にとっても、天皇信仰者にとっても、血統愛護者にとっても、ちっともありがたくない天皇が生まれることになる。
マルクスが喝破したとおり、君主の主要なる任務は生殖にある。しかも、天皇家の場合、男子を産まなくてはならない。これは、皇位継承者とその妻にとって大きなプレッシャーである。大正天皇(嘉仁)以来、側室制度はなくなった。今さら復活も出来まい。
皇統大事の保守派は「天皇制自然消滅」への危機感をもった。その危機感が、小泉政権時の「皇室典範に関する有識者会議」となり、女性・女系に皇位継承資格を拡大する内容の報告書をまとめている(2005年11月24日)。
しかし、この保守派の思惑に対する右翼の抵抗は大きい。たとえば、産経新聞コラム「政界徒然草」(2021.4.7)は、《有識者会議があぶり出す「革命勢力」 女性天皇と「女系天皇」が持つ意味》というおどろおどろしいタイトルで、こう言っている。
「皇位は初代の神武天皇から現在の天皇陛下まで126代にわたり、一度の例外もなく父方に天皇がいる男系が維持されてきた。「女系天皇」はその大原則を破るのだが、肯定する勢力がこの機に乗じて動きを活発化させている。」
これ、100年前の記事ではない。へ?え、右翼って大真面目にこう思っているんだ。ところで、この論者から「革命勢力」という讃辞を得た女性(ないし女系)天皇容認論だが、リベラルなものだろうか。あるいは憲法適合的なものだろうか。
女性(ないし女系)天皇容認論は、天皇や天皇制の存在を前提とする保守性と、性による差別を否定する進歩性を併せもっている。天皇就位の性差別を是正したところで、所詮は天皇や皇族という身分差別容認の枠内でのこととして迫力はない。むしろ、女性天皇容認は「安定的な皇位継承策」の一策として語られ、天皇制の自然死を防止する役割を期待されるものとなっている。
リベラルな論調で知られる東京新聞の社説(2021年8月10日)が「皇位継承論議 新しい皇室像を視野に」(2021年8月10日)、「皇位継承策 議論の先送りをせずに」(2021年8月10日)などの社説を掲げている。同旨なので、後者を抜粋して紹介する。
「安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議が中間整理案をまとめた。女性宮家案か、旧宮家の皇籍復帰案かの二つだ。」
「現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮さまと悠仁さま、八十代半ばの常陸宮さまの三人だけだ。悠仁さまの時代に十分な皇族の数を維持できなくなる…。そんな危機意識を踏まえた論議である。」「そもそも論点は既に出尽くしており、議論の先送りはもう避けたい」
要するに、天皇制を維持するためには、一刻も早く、女性・女系天皇を容認せよというのだ。両性の平等の主張の如くに見えて、実は家制度を守ろうという主張ではないか。
個人の尊厳や法の下の平等が常識となっているこの時代に、憲法上の世襲の制度を守ろうというのが、時代錯誤の奇妙さの根源なのだ。
(2021年11月14日)
自由法曹団本部からずしりと重い封書が届いた。中身は、B5版サイズで200頁を超す冊子。その表紙にこうある。
2011?2020
この10年に亡くなられた
自由法曹団員を憶う
自由法曹団は「ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」ことを標榜する弁護士だけの団体である。団は今年創立100周年を迎えた。この追悼集も数々の記念企画の一つである。この追悼集に収められたこの10年の物故団員は115名におよんでいる。
懐かしい先輩団員の名前が並んでいる。私と同期の弁護士も、同じ事務所で机を並べて仕事をした人も。若くして亡くなった方も…。一人ひとりの追悼文が、それぞれに胸を打つ。
その115名の冒頭にあるのが後藤昌次?さん(2011年2月10日没・享年87)である。追悼の文章は鶴見祐策さんが書き下ろしている。いかにも鶴見さんらしい筆致で、真正面からの後藤昌次?論。初めて知ることばかり。中に、こうある。弁護士の事件に対する向き合い方として、これ以上の讃辞はない。
「松川事件上告審弁論における弁護側の陳述は全部で37名の72項目にわたるが、そのうち10項目を後藤昌次?さんが担当しておられる。『実行行為ー自白の誘導の破綻』『高橋被告の身体障碍』『任意性判断の羊頭狗肉』『虚構の経過とその破綻』『官憲の偽証を論ず』などだ。いずれも松川裁判の根幹にかかわる論点だが、原審の公判調書にインク消しによる改ざん(刑事訴訟規則59条違反)の痕跡が400箇所もあるとされる『公判調書の改ざん』も出色と思う。この指摘はご自身が膨大な公判調書を隅から隅まで克明に検討された事実を物語っている」
後藤昌次?って誰? という方には、下記の『法と民主主義』2005年6月号の連載インタビュー「とっておきの一枚」『草笛は野づらをわたり」(訪ね人 佐藤むつみ弁護士)をご覧いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/2005_06/06.html#totteoki
その記事での略歴紹介欄には簡潔に次のように記されている。
後藤昌次郎
1924年、岩手県北上市に生まれる。
1954年、東大法学部を経て弁護士。以後、松川・八海・青梅事件、日石・土田邸事件など多数のえん罪・弾圧事件に関わる。
1992年、東京弁護士会人権賞授賞
私が後藤さんに親しみを感じているのは、後藤さんが黒沢尻(現北上市)の出身で、私の父と同じ旧制黒沢尻中学の後輩筋に当たるから。そして、湾岸戦争への戦費支出の差止を求めた「ピースナウ! 市民平和訴訟」での法廷活動を共にしたからでもある。
私が先輩弁護士から後藤昌次?の名を教えられたときには、その名は既に伝説の中にあった。「およそ名利と無縁で、弁護士としての仕事に妥協のない人。かつて、収入が乏しく、生活保護を受けながら弁護活動を行った。おそらくは、生活保護を受けた唯一の弁護士」というものだった。
佐藤むつみインタビューでは、「医療扶助は受けたが、生活扶助は受けていない」ということのようだが、私が耳にした伝説はそれほど真実と懸け離れてもいないようだ。
後藤さんの凄いところは、自分に対する毀誉褒貶をまったく気にするところがないこと。およそ、政治的な思惑で動くところはない。だから、誰とも等距離で付き合えるが、同時に政治性が足りない統一戦線的ではないと批判されたりもする。過激派と近いと陰口されたり、そんな事件に没頭する意義があるのかと揶揄されたりもする。しかし、人権擁護というものは政治性とは無縁であり、重要性の大小などあり得ない、というのが後藤さんの信念であったに違いない。その意味では、みごとな一典型としての弁護士であった。
以下、佐藤むつみが語る後藤昌次?像である。
草笛の音色はリリカルである。もう何十年も前になるが、後藤先生は四谷の住人だった。四谷税務署の裏にちょっとし公園がある。ジャングルジムやブランコがある公園の片隅で後藤先生は草笛を吹いていた。公園の低木の茂みごしに、小柄で痩身、両手を口元にあてちょっと前傾するような立ち姿が見えた。昼下がりの街、そこだけ不思議な野の風が吹いているようだった。かすかに草笛の音が聞こえた。弁護士になってまだ数年だった私は修習生時代に聞いた先生の逸話をふと思い出した。「孤高の刑事弁護人は生活保護を受けながら事件をやっていた」。弁護士ってこんな生き方ができるんだ。都会の真中、同じ町に先生がいる。なんだかうれしかった。
当時先生は六〇代。大きな刑事事件を抱えて忙しい日々を送っていたに違いない。岩波新書の「冤罪」を発刊したのが一九七九年四月。私も読んだ。自分とは次元の違う弁護士、遠く仰ぎ見る人であった。二〇〇五年五月、このインタビュウをと思っていたそのとき、地下鉄丸の内線の最後尾の車両すぐ側に先生がいた。勇ましい白髪、野人の風格の先生。二〇年前と同じ野の風が吹く。先生は地下鉄の音で聞き取りにくいのか私の方に耳を傾けるようにする。「入れ歯にしたのでちょと」「このごろ物忘れが」などと言いながら私の強引な話に付き合ってくれる。「入れ歯でも草笛は吹けるんですか」思わず聞いてしまった。「それができるようになりました」よかった。
後藤先生は今年八一歳になった。一九二四年、岩手県の県都盛岡から一二里、汽車で一時間の黒沢尻町で生まれた。長男、下に弟妹がいる。家は貧乏だった。父親は便利屋をやったり奥羽山脈の中の鉱山の守衛をやったりしながら家計を支えていた。小学一年で落第、いじめにあった屈辱をバネに、後日長男の昌次郎君にはえらく教育熱心でつきっきりで勉強をさせた。学校で一番にならないと「飯を食わせない」。昌次郎君はこれによく耐えた。小学校を終えると昌次郎君は憧れの地元旧制黒沢尻中学へ進学を希望。父は「授業料はタダだから師範学校に入れ」と反対。何とかという昌次郎君に「一番で入ったら入れてやる」。昌次郎君はがんばったが四番だった。夕飯の時「親父がちっちゃい皿に鮪の刺身を買ってきた。私の家は貧乏でしたから一週間に一度くらいしか魚なんていうのは食えない。まして鮪の刺身なんか食ったことがない。ところが親父が鮪の刺身を買ってきた。『おどっチャ、きょう何かあるのすか』と言った。『ナヌゥお祝いだじゃ、お祝い』」。
昌次郎君は黒沢尻中学に無事入学。ところがスポーツ好きが高じて結核性の股関節のカリエスになってしまう。結核は当時死に至るおそろしい病だった。地元の病院で誤診され、誤った手術を受け、ろう孔ふさがらなくなってしまう。激痛に堪えかねて東北大学病院へ。言下にカリエスと診断される。「一生寝ていなくてはならない」との宣告。「父は私を助けるために、あやしげな民間療法にまで一縷の望みを託して、私のために文字どおり必死に尽くしてくれた。まもなく心労と過労で四三歳の若さで脳卒中で急死した」昌次郎君は父が亡くなる一月ほど前に混合感染を起こし膿がピタリぴたりと止まりろう孔もふさがってしまう。一〇人に一人に起こる不思議な現象に救われたのである。昌次郎君はそれでも寝たままであった。「父が死んで、私は長男として位牌を持って寺の葬式に臨まなくてはならない。おそるおそる立ち上がり、おそるおそる足を踏み出してみると、なんと悪い方の脚で立てるではないか。父の生きているうちにどうして思い切って立上ってみなかったろう」
カリエスの病根を残したまま昌次郎君は二年遅れて中学にもどる。肉体労働のできない昌次郎君には就職口など無い。「とにかく学校に行って勉強するよりほかなかった」「軍国主義が華やかな時代」「上級学校も兵隊になれないようなやつ」は取らなかったのである。「日本に唯一つ、わが校は人間を養成する学校であって、兵隊を養成する学校ではない」と公然と言っていた旧制一高だけが入れる学校だった。校長は哲学者安倍能成。一高であれば寮に入って家庭教師のアルバイトをすれば仕送りが無くてもなんとかいける。母と弟妹に迷惑はかけるがこの道しかない。受験勉強に全力を傾注した昌次郎君は一高にトップで合格する。
まずは文科で西田哲学を始める。いかに生きいかに死すべきかその答えを求めたが「一生懸命読めば読むほどわからない」。戦争に負けてみると西田哲学が砂上の楼閣のように思われる。本当の学問を求めて文科を中退し受験し直し理科に再入学する。ところが議論にまったくついていけない。後にフィールズ賞を受賞するような「特殊な天才」がいる。悪戦苦闘している数学の基本書を中学の夏休みに読んでしまったと言う不破哲三もいた。「寮にオルグに来ていた彼をつかまえて本当にわかっているのか聞いてみた。極めて明解に説明する。ボクはだめだと思いました」「常識でわかる学問」をやるしかない。
後藤先生の弁護士の第一歩は東京合同である。ストレプトマイシンでカリエスを抑えながら使っていた股関節は弁護士になってまもなく「結核菌ですっかり腐食して手のつけ様がない」ことになってしまう。その時一年半医療保護と知人友人のカンパで食いつないでいた。これが「生活保護で刑事弁護」神話の真実である。そして後藤先生はまた代々木病院で奇跡にあう。無名の名医の関節固定手術によって「多くの人は私の跛行に気づかなかったほど」になる。
「もしカリエスで脚が不自由とならなかったら、私は戦場で戦死し、妻と結ばれることも、愛する子らとこの星でめぐり会うことも無かっただろうこのありえたかもしれないもう一人の別の私の、かぎりない悲痛と孤独を思わなくては、あの戦争で生命を失った人々に対する冒涜となるだろう」と思い半世紀。八一歳になるまで後藤先生は多くの冤罪事件を闘い、刑事弁護人として法廷に立ち続けたのである。
二〇〇五年一月先生は『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由「A少年」は犯人か』を発刊した。先生の渾身のこの書は「せいいっぱい書いたこの本が、A少年とご両親の目にふれますように」と結ばれている。冤罪を許さない気迫と限りないやさしさが切々と心打つ。
(2021年11月13日)
抜けるような青空。高い空というべきか、深い空というべきか。風はなく、寒さもない。今後のことはいざ知らず、コロナも小康状態である。こんな日は、アリも巣穴から這い出してくる。鳥も鳴き交わす。人も同じ。外へ出て、人と話しをしたくもなる。時には会話も弾む。
湯島天神は菊まつりで賑わっている。妻にくっついて菊の品定めをしていると、少し年嵩の男性との会話になった。
「その花めずらしかないよ。こっちの方がいいんんじゃない」
「そっちは、去年買ったもので」
「じゃあこれは? でもこの鉢、持って帰るのたいへんじゃないの」
「いえ、ウチはすぐ近くですから」
「電車に乗るわけじゃないんだ。わたしはスカイツリーの方だ」
「そちらも菊まつり盛んじゃないですか」
「いや最近どこもダメ。ここ湯島の菊まつりが一番だね」
「亀戸天神はお近くじゃないですか」
「昔は立派だったけど今はちょっとね。両国の慰霊堂公園なんかも盛んだったけど今はダメだ」
「横網町の慰霊堂ですね。あそこには、毎年9月1日に行くように心がけているんですよ。虐殺された朝鮮人の追悼式にね」
「おや、そうなの。私も、その式典には多少関わりがある。日本人は朝鮮人に対してひどいことをしたもんだ。あのとき罪もないたくさんの人が殺されている」
「やっぱり間違ったことは、ごまかさずにきちんと認めて謝罪をしなくてはならないと思うんですよ」
「そのとおりだ。ところが小池百合子だよ、ひどいのは。これまでは追悼式に知事の追悼文が届けられていた。あの、石原慎太郎ですら、追悼文を送っていたのに、小池百合子はやめたんだ。石原慎太郎にも劣るひどいやつだ」
「おっしゃるとおり、右翼とつるんだあんなひどいのが知事になっているんだから、東京はおかしい」
「もっとひどいのが安倍晋三だよ。戦争の反省をまったくしていない。あんなのに長く首相をやらせたんだから、東京だけじゃない日本全体がおかしい」
「植民地に対する反省も、戦争の反省もしていないから、安倍なんかを首相にしちゃうし、いまだに天皇が威張っている社会になったまま」
「そうだよ。あの戦犯、数え切れない人の命に責任をとらなきゃならない立場じゃないか。本当なら処刑されて当然なのに、部下を犠牲にして自分は生き延びた」
「ところが、そんな天皇の責任を追及しようという声がなかなか大きくならない」
「今度の選挙には期待したんだけれど、結局負けちゃって…」
「だけど、めげていてもしょうがない」
「そうだよ。安倍は派閥の親分になって、また3度目の首相復帰を狙っているというじゃないの。そんなことをさせちゃいけない。粘り強く、がんばらなくっちゃ」
握手して、お別れ。お互いに名乗り合うこともなかったが、励まし合って気分は爽快。
そのあと、菊を売っていた「文京愛菊会」の女性が、二鉢の菊を買ったサービスに、スマホの写真を見せてくれた。自分の家の屋上に並べたみごとな菊の鉢の数々…、まではよかった。が、その写真の最後に、皇室の菊のマークが出てきた。
「せっかくの菊の美しさが、天皇のお陰でだいなしだね。この菊のマークを見ると不愉快この上ない」
「えっ? そんなに皇室が嫌いなんですか」
「だいっきらい。侵略戦争の責任者で、何百万、何千万の人々の死に責任負わねばならないのに、みんな部下のせいにして、ちっとも責任とらなかったでしょう」
「でも、しょうがなかったんじゃないですか。東条英機など、周りが悪かったから戦争になったんで、天皇のセイじゃないように思ってますけど」
「東条英機もお気の毒。たしかに、彼は東京裁判では、全部自分のセイで天皇に責任はないと言ってますよ。だけど、別のところでは自分は天皇の命じるままに行動したまでで、天皇の意向に背いたことは一度もない、とも言っている」
「天皇は、戦争のことなどなんにも知らされていなかったんでしょう」
「それはない。むしろ、陸軍と海軍は仲が悪かったから、それぞれ相手のことはよく知らない。全部のことを、一番よく知っていたのは天皇ですよ。開戦の前には、陸軍にも海軍にも、何度も『それで勝てるか』『本当に勝てるか』と念を押してから、ゴーサインを出している。それは天皇の伝記を読めばすぐに分かる」
「でも、今の天皇や皇室は、戦争当時とはまるっきり違うでしょう」
「戦争の指導はしていないし、政治に口出しは出来ない。でも、エラそうにしているのは戦前と同じ。そして、国民の税金で喰っていることにも変わりはないと思いますよ」
「まあ、あの人たちには、自由も権利もないから、お気の毒と言えばお気の毒だけど」
「宮内庁の経費も含めれば、皇室の予算は年額200億円を超しますよ。あの広い皇居や赤坂御所を占拠もしている。兎小屋に住み、低賃金の中から税金を納めている国民が不満を言わないことが、私には不思議でならない」
「あの人たちは雲の上の人ですから、自分と較べることなんて出来っこないんじゃないですか」
「天皇の地位は国民が認めているからあるので、自分と較べてもいいんです。あんなのに税金を使いたくないと国民多数が言えば、天皇制をなくすることも出来るんですから」
「そう言う話はどこまで行っても尽きないんでしょうが、今日は菊を買っていただいてありがとうございました」
握手することはなく、お別れ。もちろん、お互いに名乗り合うこともない。気分は爽快とまではいかないが、天気のせいか、菊のおかげか、あるいは弾んだ会話の効用か、特に不愉快ということもなかった。
(2021年11月12日)
弟・明の急逝が本年8月12日。葬儀が同月の15日だった。本日が、3度目の月命日となる。喪失感は、まだ癒えない。
先月12日の当ブログに、亡弟についての記事を書いたところ、元毎日新聞労働組合本部書記長を務めた福島清さんから、ご親切に弟の組合活動に関する資料をお送りいただいた。厖大な資料の中から探していただいたであろうことに、感謝に堪えない。
送っていただいた資料の中に、毎日労組西日本支部の機関紙「いぶき」のコピーがあった。1983年10月4日号の一面が「第37回定期支部大会」を報じている。その大会で、弟は支部長に選任されている。
その紙面に、「39期澤藤執行部がスタート」という見出しで、下記の澤藤明新支部長の挨拶が掲載されている。「1人1人手携え」「前途多難 乗り越える努力」という表題が付けられ、いかにも若々しい、弟の顔写真が添えられている。当時、弟は35歳。
やや長文で、掲載は抜粋にしようと思ったが、どうしても削れない。全文を掲載させていただく。
「今責任の重さに身が打ちひしがれそうな状態です。西部支部760人の生活と権利を守っていく戦いのトップに立たねばならない。自分の器でやれるのだろうか。若くて未熟な私がやって本当によいのだろうか。正直言ってこんな疑問を自分自身にぶつけながらの支部長就任でした。
推薦委員会からの推薦を受け職場(整理部)の仲間から尻をたたかれるような『激励』の波に洗われているうちに、山口支局時代に取材した自衛官合祀訴訟の原告中谷康子さんの言葉をふと思い出しました。中谷さんの夫は自衛官として在職中に死亡。その霊を自衛隊が護国神社に合祀したことにクリスチャンである中谷さんが反発、合祀を取り下げるように求めました。憲法の「信教の自由」を真っ正面から問う訴訟の取材に伺ったのは第一審判決の直前の頃でした。
私が「こんな大きな訴訟を女手一つで戦ってこられた原動力は何ですか」と問うと、中谷さんは、聖書の中の一節を示してくれました。それは「神はその人の力に能(あた)わざる試練は与え給わず」という言葉でした。「人生にはいろんな試練が次から次に降りかかってくるものです。でも、澤藤さん。どんな難事に見えることでも、必ずその人の力で乗り越えられるものなのよ」と中谷さんは笑顔で解説してくれました。
実際、中谷さんは、一審、二審とも勝訴し、見事に試練に耐え抜き、勝利を掴んでいます。
西部支部支部長という自分に課された試練の重さを改めて思うにつけ、あの時中谷さんが示してくれた聖書の言葉の深い意味が実感されます。私は35年間、どちらかと言うと淡々とした道を歩いてきました。長という肩書きがついた仕事は小学校の時学級委員長というのをやったくらい。人の世話をしたり、人を引っ張っていくといった仕事には無縁でしたし、今後も縁がないだろうと思っていました。
それだけに、中谷さんの言葉を一つの励みとし「自分の力でこの試練は乗り切ることが出来る」と自分自身に言い聞かせながら、歩を進めていきたいと決意しております。
試練に立たされているのは私一人ではありません。組合員一人一人であり、新執行部であり、会社という組織全体でもあるわけです。一人一人と手を携えて試練に立ち向かっていきましょう。
また中谷さんを取材した時の話になりますが、「聖書の言葉だけが、あなたの導きだったのですか」と問うと、「それだけではありません」と言って、押入れの中からダンボール二箱にいっぱい詰まった全国からの激励の手紙を見せてくれました。小学生からのたどたどしい文字の手紙、お年寄りからの手紙、「お小遣いを貯めましたので」と書き添えられたカンパ……。「この一つ一つの支援の声がなかったら、私は途中で投げ出していたでしょう」と中谷さんは正直に話してくれました。
組合の執行部は、リーダーシップを発揮せねばならない立場にあります。しかし中谷さんと同じように、多くの人の支えがなければ、この難局を乗り越えていくことはできません。生まれたばかりの新執行部に絶大な支援をお願いしてやみません。」
いかにも、若い頃の弟らしい、穏やかで柔らかい発言。ああ、弟はこうして懸命に生きていたのだ、という感慨一入である。
(2021年11月11日)
昨日に続いて、裕仁の末弟・三笠宮(崇仁)の「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」(1946年11月3日、新憲法公布の日)からの引用である。「女帝について」と表題した個所。当然に彼は女帝容認論かと思う向きもあろうが、さに非ず。ややねじれている。
下記に【D】とあるのは、憲法14条に記載の「すべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係において差別されないこと」である。これでは煩瑣なので、【D】に「両性の平等」を代入して読んでいただけば、意味を損ねない。
「先づ問題になるのは女帝を認めないことと【D】との関係であらう。純粋に【D】を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ。しかし之については私は現在としては政府案で結構と考へる。その理由として法律論でない実際論から一つだけ述べておく。今の女子皇族は自主独立的でなく男子皇族の後に唯追随する様にしつけられてゐる。之は決して御本人の罪ではなく周囲が悪いのであるが之では仮令象徴でも今急に全国民の矢表に立たれるのは不可能でもあり全くお気の毒でもある。其の上天皇を補佐すべき各大臣が皆男子である。従つて当分女帝は無理と思はれるが何と考へても【D】は全世界に共通の傾向であり今や婦人代議士も出るし将来女の大臣が出るのは必定であつて内閣総理大臣にも女子がたまにはなる様な時代になり、一方今後男女共学の教育を受けた女子皇族が母となつて教育された女子皇族の時代になれば女子皇族の個性も男子皇族とだんだん接近して来るであらうからその時代になれば今一応女帝の問題も再研討せられて然るべきかと考へられる。」
これを素材にいろんな議論が出来そうである。これと真逆なのが、憲法学者・故奥平康弘の「『萬世一系』の研究」(岩波書店)に紹介されている、1882年当時の有力紙・東京横浜毎日新聞が掲載した「女帝を立(たつ)るの可否」の議論。その中に、「立憲主義国では平凡な君主で構わないから女性でも務まろう」という立論があったという。「立憲主義国では平凡な君主で構わない」までは卓見だが、「女性でも務まろう」がいただけない。
三笠宮、今あれば、女性天皇問題にどう発言するだろうか。案外、「仮令象徴でも全国民の矢表に立たれるのは、男でも女でも負担が大きく全くお気の毒でもある。象徴天皇制そのものを廃止してはどうか」と言うのではないだろうか。
この議論を上手にまとめた、ある行政書士さんのブログに、子どもにも分かるようにと、こう記されている。
「天皇に女性がなること」 について…
日本では昔から
あーでもない、こーでもないと
議論が続けられてきた歴史がある。
少なからず、そこには
“男尊女卑”(だんそんじょひ)
という考え方があった。
海外では、
英国のエリザベス女王をはじめ
女帝が君臨する例もあったが
日本では、明治憲法で、
天皇を男性に限定していた。
昭和時代に制定された 現在の憲法である
日本国憲法では
条文上は、世襲とされ 男性には限定していない。
なぜなら、新憲法では 「法の下の平等」
つまり、「男女平等」を 原則としているから。
天皇家・皇族にも
自由や人権があって当然である。
では、日本の天皇制は どうあるべきか?
個人の尊重
男女平等
人権、民主主義…
全て踏まえて 考えていく必要がある。
この文章は、《日本国憲法の趣旨を正確に踏まえるなら、女性天皇容認論が結論とならざるを得ない》という論旨。それも一理であろうが、果たしてそうだろうか。本当に正確に憲法の理念を把握するなら、天皇制そのものが、個人の尊重・人間の平等・人権・民主主義…に背馳するものではないか。女性天皇も、天皇である以上、差別構造の上にしか成立し得ない。
天皇制の存在は憲法の容認するところだが、世襲の天皇の血統が絶えれば、天皇制はなくなる。言わば自然死することになる。女性天皇の拒否は、天皇制の自然死への道として歓迎すべきことではないだろうか。