福井農林高校演劇部の皆さん、日本国憲法はあなた方の味方だ。
(2021年11月20日)
中日新聞(11月17日)の社会面に、「高校演劇作品 公開せず 県高文連『せりふに差別用語』」「脚本関係者『表現の自由への制約』」という記事。これは看過できない。地元紙・福井新聞では、「作中に差別用語…高校演劇巡り広がる波紋」「主催者が映像化を中止、創作者は表現抑圧と反発」という見出し。投げかけている問題は大きい。
中日新聞を引用する。
「県高校文化連盟(県高文連)演劇部が今年9月に福井市で開催した県高校演劇祭の関係者向けインターネットサイトで、福井農林高校(同市)が上演した演劇作品だけ公開されていないことが分かった。県高文連は劇中のせりふに「差別用語」が含まれていたことを理由としているが、脚本に関わった関係者は「差別的な文脈で使用したものではなく、表現の自由に対する制約だ」と主張している。
作品のタイトルは「明日のハナコ」。二人の少女が1948(昭和23)年の福井地震から現在までの県内の歴史を振り返りつつ、未来について考え成長していく物語。
県高文連の関係者によると、元敦賀市長の発言として原発誘致の利点を語るせりふの中に「カタワ」という言葉が含まれていた点を問題視した。この作品をサイトで公開しないことは、高校演劇部の顧問らで作る顧問会が事前に弁護士に相談した上で、10月8日に協議して決めた。差別表現はどのような場合でも許されないことや、公開した場合に生徒や教員が誹謗中傷にさらされたり、名誉毀損などの罪に問われる可能性があることなどを弁護士に指摘されたことから判断したという。
せりふは過去の文献を参考にした形で書かれていたが、脚本家に対し、せりふを書いた意図について確認はしなかったという。
さらに、この作品のDVDは作らず、脚本は顧問が管理し、生徒の手に渡らないようにすることなども決めた。演劇祭の様子は12月に地元の福井ケーブルテレビで放映される予定だったが、県高文連側がこれらの懸念を伝え、放映しないことになった。
県高文連演劇部会長を務める丸岡高校の島田芳秀校長は、取材に対し「子どもたちを守るための判断で、問題はない」と述べた。脚本に関わった関係者は「表現に対する過度の制約につながり、懸念している」と話している。
演劇「明日のハナコ」で使われたせりふの抜粋
小夜子 (略)「まあ原子力発電所が来る。電源三法の金はもらうけど、そのほかに地域振興に対して裏金よこせ、協力金よこせ、というのがそれぞれの地域にある。(中略)そんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわ。そりゃもう棚ぼた式の街作りができる。そのかわり100年たってカタワが生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階で原発をおやりになった方がよい」
ハナコ それ誰。
小夜子 敦賀市長。石川県の志賀町で原発建設の話が持ち上がったときに地元商工会に招かれてしゃべったらしいのね。
(後略)
生きた議論を
志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法・芸術関連法)の話 差別的な表現について法律家が文脈を見ずに「許されない」と助言することは通常考えにくく、学校側の誤解があったのではないか。学校の管理権は広く認められる傾向にあるが、(生徒の危険を理由に非公開とした決定は)善意ながら上から目線で事なかれ主義を押しつけた可能性がある。特に脚本を生徒の目に触れないようにするなど、後からの検証を不可能とする形で言論を封殺することは最もやってはいけない。せりふの意図を説明した上で公開するなど、表現を成立させる方向へ進んでほしい。学校側がこれを機に表現の自由を考える場をつくるのであれば、生きた議論ができるはずだ。
さすが志田教授、憲法論にとどまらず、あるべき教育論にまで踏み込んだ立派なコメント。
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そして、佐藤正雄・福井県議会議員(共産)が、こう語っていることにも大賛成だ。
https://blog.goo.ne.jp/mmasaosato/e/f5a9ce2a88573c40d7bcc4c9fd61afa4
私のコメント
「福井農林高校演劇部の劇も、必要な措置をおこない福井ケーブルテレビで放映すべきと考えます。」
この経緯には、福井農林演劇部の生徒さん、顧問の先生、外部指導員の玉村さん、校長先生、そして、校長先生で構成される演劇部会、演劇部顧問で構成される顧問会議、教育委員会、福井ケーブルテレビ、スクールロイヤーなどの多様な当事者が存在します。
大事なことは演劇含めて表現の自由は最大限尊重されなければなりませんし、舞台上演可能な高校演劇がテレビ放送には適さない、というダブルスタンダードでは当事者である生徒たちや、県民にもわかりにくいと思います。
原発誘致をめぐる当時の敦賀市長の、差別用語の問題発言は当時も大きく報道されていますし、書籍にも掲載され、現在でも簡単にネット上で検索もできます。
歴史的な政治家の発言をそのまま使うことには小説であれ、演劇であれ、ありうることです。それが現在では不適切であれば、その際に、「ことわり」を入れることは当然です。
弁護士であるスクールロイヤーが「差別用語の放送は危険であり、放送は大きな問題だ」と指摘したことが今回の展開に大きな影響を与えたようです。
しかし、私も障がい者運動の当事者の方々の意見もお聞きしましたが、「歴史的な発言を語る演劇が放映されないことの方が問題ではないか。だから原発に忖度したのではといわれる。落語でも小説でも歴史的な差別用語を残して今日に伝えている例はたくさんある」などと話されています。
放映の際にその部分に、「不適切な表現がありますが当時の敦賀市長の発言のまま放映しました」などのことわりが流れるようにすれば、障害をお持ちの方含め県民理解も得られるのではないでしょうか。
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なお、市民運動団体「福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会」によると以下の事情があるという。
9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。
そこでその日に行われた顧問会議の結論は、「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。
その理由としては、
1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。
3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。
「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。
「2」個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。
「3」反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。
もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。
したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。
また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。
・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。
・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。
・脚本はすべて回収する。会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。
・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。
・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。
・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。
顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。
なるほど、主役は原発なのだ。そういう目で事態の推移を見直せば、よく分かる。ということは、この件をこのまま放置していれば、「原発批判は避けて通るに越したことはない」という社会の雰囲気を醸成することにもなるのだ。
それにしても、志田陽子教授、左藤正雄議員とも、見事なコメントである。付言すべきことはない。