(2022年4月10日)
このところ鳴りを潜めているDHCと吉田嘉明だが、久しぶりにそのヘイト体質でメディアに話題を提供している。人権救済申立事件を受けた日弁連が、DHCに人権侵害ありと断定して、警告書を発したのだ。昨日(4月9日)の毎日新聞朝刊が、「DHC会長の差別文章掲載は『人権侵害』 日弁連が警告書」という記事を掲載している。大要以下のとおり。
「化粧品会社「ディーエイチシー(DHC)」(東京都港区)がホームページに在日コリアンを差別する文章を掲載した問題で、日本弁護士連合会は人権侵害に当たるとして、文章を出した創業者の吉田嘉明会長と同社に警告書と調査報告書を送り、差別的な言動を繰り返さないよう求めた。16年2月にも在日コリアンを差別する内容の文章を掲載していたという。
日弁連は警告書で、一連の文章は人格権を保障した憲法13条や法の下の平等を定めた14条にも反すると指摘。「出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害した」と非難した。」
毎日は、日弁連に人権救済を申し立てていたNPO法人「多民族共生人権教育センター」(大阪市)の記者会見を切っ掛けに記事を書いているが、朝日は3月30日に記事にしている。「DHCと会長に警告書 日弁連、在日コリアンへの人権侵害と指摘」という見出し。なかに、次の言及がある。
「問題になったのは、同社が公式サイトで2016年以降に会長メッセージとして載せた文章。「帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩(やから)です」などと記した。20年11月にも吉田会長名で、「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などとする文章を載せた。
日弁連は今回、在日コリアンの排除を扇動していると説明したうえで、「蔑称を用いて在日コリアンを著しく侮辱し、悪質性の程度は強い」と指摘。1500万人以上の通信販売会員を抱える点も踏まえ、「私企業の代表者が私的領域で見解を述べたのではなく、公的領域での表現行為」と判断。一連の内容は在日コリアンへの人権侵害として、差別的言動をサイトなどに載せないよう警告した」
日弁連の警告書と、その理由の「調査・報告書」の全文は相当に長文だが、下記のURLを参照されたい。
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/complaint/2022/220328.pdf
その結論部分が、下記のとおりである。
https://www.nichibenren.or.jp/document/complaint/year/2022/220328.html
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株式会社DHC・株式会社DHC代表取締役吉田嘉明氏宛て警告
2022年3月28日
株式会社ディーエイチシーが運営する同社のウェブサイトに、「株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 吉田嘉明」名義にて、在日コリアン等について「チョントリー」「似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」 「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などと「会長メッセージ」及び「ヤケクソくじメッセージ」を掲載したことは、憲法13条に基づく人格権として保障される在日コリアン等の出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害し、また憲法14条の平等権保障の趣旨にも反し人権侵害にあたるものであるとして、株式会社ディーエイチシー及び同社代表取締役吉田嘉明氏へ警告した。
1 株式会社ディーエイチシーに対する警告の措置
在日コリアン等に対する差別的言動を、同社のウェブサイトを含む同社が製作・運営する各種媒体に掲載しないよう警告する。
2 株式会社ディーエイチシー代表取締役吉田嘉明氏に対する警告の措置
在日コリアン等に対する差別的言動を繰り返さないことを警告する。
なお、この人権救済申立て制度について、日弁連ホームページからの引用を中心に、若干の説明を付加しておきたい。
人権救済申立てとは(制度の概要)
日弁連は、弁護士法第1条(「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」)に基づき、さまざまな人権問題についての調査・研究活動を行っている。その中でも、人権擁護委員会では、人権侵害の被害者や関係者の方々からの人権救済申立てを受け付け、申立事実および侵害事実を調査し、人権侵害又はそのおそれがあると認めるときは、人権侵害の除去、改善を目指し、人権侵犯者又はその監督機関等に対して、以下のような措置等を行っている。
〔主な措置等〕
警告(意見を通告し、適切な対応を強く求める)
勧告(意見を伝え、適切な対応を求める)
要望(意見を伝え、適切な対応を要望する)
つまり、「警告」は、「勧告」や「要望」とは異なる「悪質性の程度が最も強く」 看過し得ない行為に対する厳重な措置ということなのだ。DHC・吉田嘉明は、深く肝に銘じなければならない。
ところが、日弁連の調査に際した問い合わせに対し、DHCは一切回答を拒んだという。また、この「警告」が発せられて以来のメディアからの対応の問い合わせにも、DHC広報部は「コメントは差し控える」としている。
DHC・吉田嘉明の体質は変わっていない。批判のないところでは本音を曝してヘイトを振りまいて恥じない。批判が強まると、こっそり撤回する。そして、けっして反省も謝罪もしようとはしない。ノーコメントで押し通す。およそ、腹の据わらない卑怯千万の振る舞い。
DHC・吉田嘉明が私を訴えた、6000万円請求の「DHCスラップ訴訟」でも、一貫して、自分の言に自ら責任をとろうという潔さのない行為。この点の詳細は、もうすぐ書物にまとめて刊行の予定。
ところで、DHC・吉田嘉明は、いつものように無反省・ダンマリ・ノーコメントではすまされないと言うことを知っているだろうか。
日弁連の人権救済申立事件に対する「警告・勧告・要望等」には、《執行後照会》という制度が附随してある。
「日弁連は人権擁護委員会による措置の内容を実現させるため、人権救済申立事件で警告・勧告・要望等の措置を執行した事例について、一定期間経過後(現在は6ヶ月経過後)に、各執行先(DHCと吉田嘉明)に対して、日弁連の警告・勧告・要望等を受け、どのような対応をしたかを照会(確認)しています。回答内容が不十分な場合、再度の照会を行うこともあります」ということなのだ。
DHCよ吉田嘉明よ。ヘイトやスラップやデマの姿勢を誠実に反省し謝罪せよ、二度と繰り返さないと誓約せよ。
そして、日本に居住する皆さんに訴える。こんな悪質な企業や経営者を、無反省のままにのさばらせいおいてはならない。消費者としての日常の商品選択で、DHC・吉田嘉明に反省を迫っていただきたい。
(2022年4月9日)
コロナもありウクライナ侵略もあれども、季節はよし天気もよい。本日の鎌倉、早朝より晴れわたってまことに爽快だった。若宮大路の二の鳥居にある阿吽の巨大な獅子が、コロナ蔓延以来大きなマスクをしている。このマスク、いつになったら取れるやら。
ここから、鶴岡八幡宮境内までの参道が段葛。頼朝が、妻政子の安産祈願に寄進したものと伝えられ、桜の名所として高名だった。もっとも、近年の改修でかつての風格はない。
それでも、植え替えられた桜の若木がよく花を咲かせている。これはこれでなかなかの桜並木。本日は、ちょうど散り盛りの花が、時折の風に花吹雪となった。青い空に、舞う花びらがひときわ映えての見事な風情。
ところが、この風情をぶち壊す不粋なものが現れた。右翼の街宣車が若宮大路を行ったり来たり。車体に団体名が書いてあり、その中に「皇」の字があつた。この不粋な「皇」結社が、日の丸を立てている。その「日の丸」が勢いよく翩翻と翻っていた。ものには似合い・釣り合いということがある。「右翼」と「皇」と「日の丸」と、なるほどよく似合う。そのどれもが、今日の風情をぶち壊している。
驚いたことに、その右翼街宣車が、「日の丸」とならベてウクライナ国旗を掲げていた。かつてのソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の一部だった旧社会主義国の旗をである。そして、右翼のスピーカーが、ロシアよりはむしろソ連の過去の蛮行をなじって、ウクライナを持ち上げている。ウクライナのように戦える日本を、日本の軍備増強を、というわけだ。今の世、桜を楽しむ余裕すら乏しい。
この神社にも、参詣者が願い事を書いて奉納する絵馬が並んでいる。微笑ましい庶民の願い事が綴られているが、この願掛をした日付が西暦か元号かを見るのが、私の趣味。圧倒的に「西暦」が多い。「令和」は少数派なのだ。それを確認することが私の密やかな楽しみ。
たくさんある絵馬の内、アトランダムの一角を選んで、「西暦」の日付がはいっているものを順に20枚まで数えてみる。それまで「元号」派は何枚あるだろうか。圧倒的に日付のないものが多いのだが、これを除いて日付のあるものだけを数えてみた。
結果は、「西暦」20に対して、「元号」が8。興味深いのは、「元号」8のうち「R」とだけの表記が5、漢字で「令和」という表記はわずかに3。若い世代には、完全に西暦使用が定着しているという印象。そして、「令和」と表記するのは、手間のかかる面倒な作業なのだ。
さて、全国に数多くある「八幡神社」。その祭神の起源はよくわからないながらに武神ないしは軍神とされ、武家が信仰の対象とした。鶴岡八幡宮も同様である。その本殿正面の掲額の「八」の字が2羽の鳩の抱き合わせとなっているのは、鳩が軍神の使いとされたからだ。ノアの箱舟伝説以来、西洋では鳩は平和の象徴だが、日本では軍事につながるイメージ。軍記物では、鳩が戦での勝運を呼ぶ縁起ものとされている。鎌倉幕府時代鳩の絵柄を家紋に使う武将も少なくなかったという。
若宮大路に面して、「鳩サブレー」の本店がある。「鶴岡八幡宮を崇敬していた初代は、かねてから八幡様にちなんだお菓子を創りたいと考えていました。本殿の掲額の「八」の字が鳩の抱き合わせで、境内の鳩が子ども達に親しまれていたことから、このお菓子を鳩の形にし「鳩サブレー」と名付けました」というのが、店側の説明。
その菓子の製造は120年前からだとか。戦前、軍国主義華やかなりし時代には、「鳩」はいったい、どんなイメージだったのだろうか。
(2022年4月8日)
いうまでもないことだが、ジャーナリズムの神髄は権力に対する批判にある。多くのジャーナリストがそのことを肝に銘じて、自らの姿勢を糺している。取材のために権力と接しても権力との距離を保たねばならないとし、権力に擦り寄ることを致命的な職業倫理違反であり恥としている。
しかし、どこの世界にも例外というものがある。国政を私物化し嘘とごまかしで固めた安倍政権に擦り寄った恥を知らない「忖度ジャーナリスト」として、TBSに山口敬之、NHKに岩田明子、東京新聞に長谷川幸洋、そして時事通信に田崎史郎などが知られてきた。
まさか朝日には…。いや、朝日にもいたのだ。その記者(編集委員)の名を、峯村健司という。昨日、朝日がその旨を明らかにし、1か月の停職処分とした。このことを「朝日新聞社編集委員の処分決定 「報道倫理に反する」 公表前の誌面要求」という見出しで報じている。
峯村は何をしたのか。朝日の調査によれば、以下のとおりである。
「(週刊ダイヤモンド)編集部は外交や安全保障に関するテーマで安倍氏にインタビューを申し入れ、3月9日に取材を行った。取材翌日の10日夜、峯村記者はインタビューを担当した副編集長の携帯電話に連絡し、『安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている』と発言。『とりあえず、ゲラ(誌面)を見せてください』『ゴーサインは私が決める』などと語った。副編集長に断られたため、安倍氏の事務所とやりとりするように伝えた。記事は3月26日号(3月22日発売)に掲載された」
朝日の記事は、「公表前の誌面を見せるように要求した峯村記者の行為について、報道倫理に反し、極めて不適切だと判断した」と述べている。「極めて不適切」どころではなかろう。奇妙奇天烈、摩訶不思議というしかない。なお、このインタビューで安倍は、「核共有の議論をタブー視してはならない」と語ったのだという。
なぜ、安倍晋三本人なり安倍事務所が直接ダイヤモンド編集部に「ゲラを見せていただけないか」と申し入れをせずに、峯村に依頼したのか。峯村が背負っている朝日のブランドに着目したからとしか考えようはない。朝日の依頼なら、ダイヤモンド社は応じるのではないか。
ダイヤモンド社編集部は怒った。怒りの矛先は朝日に向けられ、「編集権の侵害に相当する。威圧的な言動で社員に強い精神的ストレスをもたらした」との抗議になって、朝日の調査が開始された。
朝日は、「政治家と一体化して他メディアの編集活動に介入したと受け取られ、記者の独立性や中立性に疑問を持たれる行動だったと判断し、同編集部に謝罪した」と公表している。当の峯村は、「安倍氏から取材に対して不安があると聞き、副編集長が知人だったことから個人的にアドバイスした。私が安倍氏の顧問をしている事実はない。ゲラは安倍氏の事務所に送るように言った」と説明している。
峯村は「安倍氏とは6年ほど前に知人を介して知り合った。取材ではなく、友人の一人として、外交や安全保障について話をしていた。安倍氏への取材をもとに記事を書いたことはない」と説明している。どうやらこの記者、「折りあらば、安倍のために一肌脱いで、貸しを作っておこう」と思っていたようだ。
毎日は、「朝日新聞編集委員 処分 安倍氏記事 事前に誌面要求」と報じた。その中で、「峯村氏は反論」という小見出しで、「重大な誤報を回避する使命感をもって説得し、『(安倍氏の)全ての顧問を引き受けている』と言った。安倍氏からは独立した第三者として助言する関係だ」と峯村の言い分を紹介している。
NHKは、「朝日新聞 記者を処分 安倍氏記事事前に閲覧週刊誌に要求」と見出しを付け、東京新聞は、共同配信の記事として、「安倍晋三元首相の記事、事前に見せるよう要求 朝日新聞が編集委員を懲戒処分」としている。
本日の赤旗は、この件を社会面のトップで扱っている。「安倍元首相と『朝日』編集委員 週刊誌に“圧力” 『核共有』記事 公表前点検要求」という見出し。リードだけを紹介しおきたい。
自民党の安倍晋三元首相が、週刊誌に掲載される自身のインタビュー記事を公表前にチェックするよう朝日新聞の編集委員に依頼していたことが7日、明らかになりました。朝日新聞社は同日、峯村健司編集委員(47)が週刊誌側に公表前の誌面(ゲラ)を見せるよう求めたことを公表しました。同社は「政治家と一体化して」他メディアに圧力をかけたと受け止められる行動だったとして峯村氏を停職1カ月の懲戒処分にしました。(取材班)
この峯村という記者、今月20日には朝日を退社する予定という。さて朝日退社後も、「安倍の番犬」という大きな名札を付けて、「ジャーナリスト」として職業生活を継続しようというのだろうか。やっていけるほど日本の言論界は甘いのだろうか。
(2022年4月7日)
国立市で開催された「表現の不自由展東京2022」が、4日間の日程を無事に終えた。何ごともなくてよかったという安堵の思いとともに、この国の「表現の不自由」の現実を改めて思い知らされてもいる。
「表現の不自由展東京」は、当初は21年6月に予定されていた。しかし、右翼の街宣車による妨害によって会場側が貸し出しを拒否する事態となり、10か月も遅れての開催を余儀なくされた。今回も、「街宣抗議の中、警察官100人以上が警備態勢に」と報道された厳重な警戒の下、ようやく無事に終えることができたのだ。
この国には、天皇にヨイショする恥ずべき言論や、隣国に対する露骨なヘイトの言論、従軍慰安婦の存在を否定する歴史修正主義の言論の自由は保障されている。しかし、天皇を批判し天皇の神聖を否定する言論や、歴史修正主義を論難して隣国の平和運動との連帯を求める表現は、大きな制約を受けざるを得ない。この国では、表現の「自由」はあるべきところにはなく、あってはならない「不自由」がいたるところに立ちはだかっている。
我が国には日本国憲法があり、その21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。保障されているのは、「一切の表現の自由」である。しかし現実には、「一切の表現の自由」が保障されてはいない。国民は、権力者や社会的強者、政治的社会的権威を、思うとおりに批判し得ない。この国は、けっして生き生きと表現の自由を謳歌している状態にはない。
「表現の自由」とは、言いにくいことを、言いにくい人に向かって、遠慮なくものが言えるということでなくてはならない。政権を批判する言論の自由を保障することには大きな意味があるが、政権におべんちゃらを言う自由の保障は意味をなさない。天皇や皇族を批判する表現の自由の保障は極めて重要であるが、天皇や皇族を敬語で語る表現の自由を保障する意味はない。
「表現の不自由展」・東京実行委員会は、そのホームページで「はじめに・ご挨拶」として、こう述べている。
https://camp-fire.jp/projects/view/556785#main
「芸術作品の展覧会を開催できない。表現を発表する場、鑑賞する場が保障されていない。今の日本社会は、私たちが生きていく上で必要不可欠な表現の自由が守られていない、そんな社会です。
日本社会に存在する、排外主義、性差別、植民地支配責任・戦争責任について改めて考えるきっかけを与えてくれるような作品をみなさんにぜひ観ていただきたいと考えています。2022年春、表現の不自由展・東京を実現させるために、ご支援・ご協力を募ります!」
下記の実行委員会の呼びかけにも耳を傾けたい。
「国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における表現の不自由展展示中止事件は記憶に新しいかと思います。しかし、最初の表現の不自由展は2015年に遡ります。2012年5月に起きた新宿ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件、同年8月に起きた「慰安婦」をテーマにした2作品の東京都美術館による撤去事件を発端に、表現の自由が侵害されている現状を伝えたいという思いから、各地の美術館・公共施設などから撤去や規制を受けた作品を集め、「消されたものたち」の権利と尊厳の回復をめざして2015年1月、最初の表現の不自由展を開催しました。
それから約7年が経ちましたが、表現の自由が保障された社会になったといえるのでしょうか? 2019年のあいトリでの展示中止事件、2021年の東京・名古屋・大阪の表現の不自由展に対する妨害、会場の使用拒否、中断など、表現の自由が侵害される事件が相次いでいます。
しかし、暴力的な攻撃や妨害に屈しているだけでは表現の自由を守ることはできません。私たち実行委員会は平穏に展覧会を開催し、ご来場の皆さんに心おきなく作品を鑑賞していただきたく、2022年春、東京で開催するため現在準備をしています。開催するためには、警備、弁護団、会場確保などさまざまな経費がかかるため、今回クラウドファンディングで支援金を募ることにしました。」
この実行委員会の努力は、「連日満員、四日間で約1600人にお越しいただきました。」という成功につながり、「開催にご協力いただいた作家、地元市民、ボランティア、弁護士の皆さんに感謝します。表現の自由を保障するということの意味を、皆さんに考えてもらう機会になれば幸いです」という弁となった。
なお、今回の「不自由展」成功には、国立市の協力が大きく貢献している。その国立市は、ホームページに次の一文を掲載した。
くにたち市民芸術小ホールで開催される展示会
に関する市の考え方について
このたび、4月2日から開催される展示会(主催:表現の不自由展・東京実行委員会)について、市民の皆様から様々なご意見が市役所に寄せられておりますので、市としての考え方を、市民の皆様にお知らせいたします。
公の施設であるくにたち市民芸術小ホールの利用につきましては、指定管理者である「くにたち文化・スポーツ振興財団」が、条例・規則等のルールに基づいて承認決定したものです。施設利用については、内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません。これは、アームズ・レングス・ルール(誰に対しても同じ腕の長さの距離を置く)と、同じ考え方です。
市としましては、多様な考え方を持ったそれぞれの市民・団体が、法令に従い実施する様々なイベント・活動の場として、公の施設の利用は原則として保障されるべきものと考えています。
なお、他の地域で実施された同展示会の実績から、会期中混乱を生じる事が予想されますので、市民の皆様に安心していただけるよう、関係機関と連携し必要な対応をとってまいります。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
表現の自由を実現することも、容易ではない。努力を重ねて、実績を積み上げなければならない。そのような努力をされた実行委員会と国立市に、敬意を表したい。
(2022年4月6日)
改憲の危機は、安倍晋三と結びついて語られてきた。タカ派で歴史修正主義者の安倍晋三が首相なればこその改憲の危機。国民の意識が、改憲を望むものではないのに、改憲を煽ってきたのが、安倍晋三。改憲勢力は、安倍の存在と、国会での改憲派の議席数増を、千載一遇のチャンスと捉えた。当然護憲派には危機感があった。
その安倍晋三があっけなく政権を投げ出し、これでしばらくは憲法は安泰かに見えたが、このところ雲行きがおかしい。ハトかと思われていた岸田の正体が、どうも怪しい。維新という新たな改憲勢力の策動もある。衆参両院の憲法審査会の動向が混沌としている。「緊急事態下における国会議員の任期延長についての意見のとりまとめを行うべきだ」などという発言に驚かざるを得ない。
毎回の憲法審査会を傍聴している仲間の弁護士から提案があって、本日、法律家団体の意見をまとめて、下記の緊急声明となった。憲法審査会の動きを注視し監視するよう、呼びかけたい。
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あらためて緊急事態条項創設改憲案に反対する法律家団体の緊急声明
2022年4月6日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
社会文化法律センター 共同代表理事 海渡 雄一
自由法曹団 団長 吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野 格
日本国際法律家協会 会長 大熊 政一
日本反核法律家協会 会長 大久保賢一
日本民主法律家協会 理事長 新倉 修
はじめに
今通常国会における衆議院憲法審査会は、予算審議中の2月10日に始まり、これまでほぼ毎週開催という異例ずくめの展開となっている。新型コロナ感染拡大を受けて、早急にオンラインによる国会審議について議論等が必要として始まった衆議院憲法審査会は、現在、自民、公明、維新の会、国民民主などの改憲推進派委員が一体となって、感染症や大災害、ロシアのウクライナ侵攻のような国家有事に備えて憲法に緊急事態条項を創設すべきとする議論を口々に語り、まずは緊急事態下における国会議員の任期延長についての意見のとりまとめを行うべきなどとの発言も出ている。
改憲問題対策法律家6団体連絡会は、安倍首相当時にとりまとめられた自民党改憲4項目案(?憲法9条に自衛隊明記?緊急事態条項の新設?合区解消?教育充実)に一貫して反対してきたが、今般、あらためて緊急事態条項の創設をはじめとする改憲案に強く反対するとともに、主権者を蔑ろにして衆議院憲法審査会で進められている改憲論議に抗議をするものである。
1 緊急事態条項の危険性
自民党らの狙う緊急事態条項は、9条改憲とあいまって戦争などの緊急事態において、国権の最高機関である国会の立法権を奪い、内閣や首相が独裁的に国民の人権制限を行うことを可能にするものである。緊急事態条項は、立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、行政府への権力の集中と強化を図って国家・政権の危機を乗り切ろうとするもので、立憲主義と民主主義を破壊する大きな危険性を持つ。
「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護致します為には、左様な場合の政府一存に於いて行いまする処置は、極力之を防止しなければならぬのであります。言葉を非常と云ふことに藉りて、その大いなる途を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実を其処に入れて又破壊せられる虞れ絶無とは断言し難い」(第90回帝国議会:金森徳次郎国務大臣答弁)として、憲法はあえて緊急事態条項を設けていないのであって、その意味を重んじるべきである。
2 緊急事態を理由とする改憲は不要 国会議員は自らの責務を尽くせ
戦争・内乱・大規模自然災害・パンデミックなどの対応については、すでに充分な法律が整備されており、憲法に緊急事態条項を置く必要性はない。すでにある法律でもし足りないところがあれば、それを議論して法改正を行うことこそが国会議員の責務である。金森国務大臣も答弁している通り、何より重要なことは実際に予想できる特殊な緊急事態に備えて、平素から対応を考えて準備をしておくということである。そのために、立法及び法律改正が必要であれば、濫用の虞れがないよう十分に国会で審議を尽くして、法令を完備しておくことこそが重要である。国会議員のこれらの責務を放棄し、あるいは国会議員にはその能力がないと認めて、内閣に白紙委任するような改憲を口にすること自体、国会議員として許されない行為である。
また、神戸や東日本大震災並びに新型コロナ感染拡大などの経験から言われていることは、せっかく高度に整備された法制度があるにもかかわらず、平時から災害やパンデミックに備えた事前の準備がほとんどなされていないためにそれをうまく運用できなかったという点である。その点の検証と改善こそが緊急に必要なのであり、改憲議論は不要であるばかりか、災害やパンデミックから国民の命を守るために真に必要な国会での議論を阻害しかねないのであって有害である。
3 緊急事態での国会議員の任期延長改憲は不要である
大規模災害等で選挙ができないと国会議員が不在となって国会の機能が維持できないから、国会議員の任期延長を認める改憲が必要であるなどの議論がなされている。
憲法は「参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに議員の半数を改選する。」(憲法46条)。したがって、参議院議員が同院の定足数(総議員の3分の1;憲法56条1項)を欠くことはない。衆議院の解散後に緊急事態が発生した場合には、参議院の緊急集会(憲法54条2項但書)を開催し緊急事態に対応することは可能である。憲法はそのような事態をも想定して参議院の緊急集会を規定している。
衆議院議員の任期満了の場合について憲法54条2項但書の類推適用が認められるかについては、学説上は肯定説が有力である。もっとも、この点については、任期満了により選挙ができないような状況が生じないよう、任期満了までに必ず衆議院選挙を行うような公職選挙法31条等の改正で解決できるのであって、そもそも改憲は不要である。必要な法改正をすぐに行えば済むことである。
以上のとおり、憲法は国会の機能が常に維持できる体系を用意しているのである。改憲推進派は、日本全土が沈没して選挙が実施できないような極端な事態を想定して任期延長改憲が必要と主張するが、そのような極端な事例を出して議論すると「間違う危険性が強い」(本年2月24日高橋和之東大名誉教授)。「何よりも重要なのは、憲法に手を付ける前に、まず、緊急時における対応についての法制を準備しておくということではないか」(同日只野雅人一橋大学大学院教授)。こうした憲法研究者の意見は重要であり、その意味を理解しないで軽々に扱うことは許されない。
選挙が実施できない地域では繰延投票制度(公職選挙法57条)を利用すれば済む。また、日本弁護士連合会が、2017年12月22日付「大規模災害に備えるために公職選挙法の改正を求める意見書」で提言するように、?平時から選挙人名簿のバックアップを取ることを法的に義務付けること、?避難所又は避難先で被災者が元の住所を入力することで、被災者の所在地を把握できる仕組みを構築すること、?大規模災害が発生した場合でも実施できる選挙制度の創設として、ア指定港における船員の不在者投票類似の制度の創設、イ郵便投票制度の要件緩和など、先ずは公選法改正で対応できることをやるべきである。
4 国会議員の任期延長改憲は、国民の参政権を侵害し権力による濫用の危険が大きい
国会議員の任期延長は、国民固有の権利(憲法15条1項)である選挙の機会を奪うということであり、民主政治の根幹を揺るがしかねない。
任期延長とその期間を決めるのが国会議員自身または内閣であるとすれば、自らの地位延命のために、あるいは、政権や国会多数派にとって不利な時期の選挙を避けるために任期延長をはかるといったご都合主義、お手盛りの危険が常につきまとうのであり、国会議員自らが軽々に任期延長の議論をすること自体、厳に慎むべきものである。わが国では1941年に衆議院議員の任期が任期満了前に立法措置により1年間延期されたことがある。選挙を行うと「挙国一致防衛国家体制の整備を邁進しようとする決意について、疑いを起こさしめぬとも限らぬ」からという理由で選挙が延期され、その間に真珠湾攻撃を行い非戦論を封じてアメリカ・連合軍との無謀な戦争に突入したのである。この教訓が端的に示すとおり、緊急の事態にあっては、むしろ民主政治を徹底し国民の審判の機会を保障することこそが必要である。
しかも、国会議員の任期を延長したからといって国会が開かれる保証はない。改憲派の狙いは選挙を避けて権力を温存したうえで緊急政令等の内閣・首相の独裁で政治を行うことにあるとみるのが正確であろう。憲法53条の国会召集要求をコロナ禍でさえも2回にわたって無視するような自公政権を見ればこの危険は一層の現実味を持つと言えよう。
緊急事態における国会議員の任期延長は、以上のとおり、国民主権・民主主義の根幹にかかわる議論であり、権力による濫用の危険が極めて高く、立憲主義を破壊する危険がある。憲法審査会で軽々に議論をして、しかも多数決で「とりまとめ」るなどといった暴挙は、絶対に許されない。
5 まとめ
任期延長の議論のとりまとめが済めば、次は、緊急政令と人権制限、憲法9条の改憲議論に突き進むことは、現状の改憲派の動静から見て明らかである。
わたしたち改憲問題対策法律家6団体連絡会は、コロナ禍で多くの市民が苦しむ中、民主主義と立憲主義を葬りかねないような議論が衆議院憲法審査会で行われていることに強く抗議するとともに、緊急事態下における国会議員の任期延長についての意見のとりまとめを行うことに対しては断固反対するものである。
以上
(2022年4月5日)
「法と民主主義」4月号(567号・3月末発刊)の特集タイトルは、「『維新』とは何か」というもの。下記の目次のとおり、維新を多面的によく語っている。維新という事象を考えるについて必読と言ってよい。
『維新』とは何か? その性格を表すのに、次の3ワードが必要にして十分ではないだろうか。
新自由主義・ポピュリズム、そして改憲策動。
このほかに、この特集を通読すると「成長至上主義」「幻想ふりまき」「管理・統制」「略奪型経済政策」「メディア露出」「新たな利権」「自助努力・自己責任」「反科学主義」「批判拒絶体質」「政権擦り寄り」等々の評価も述べられているが、概ね前記の3点で包括できるだろう。
維新と言えば、何よりも極端な新自由主義政党である。資本の利益のために、府民・国民の利益を切り捨てようという政党。それでいて、府民・国民の利益を擁護するごときポーズで幻想を振りまき、選挙民の欺瞞に一定の成功を収めてきたポピュリスト集団である。
だから、この特集の中の教育面解説「維新政治による教育破壊の“ほんの一部”」の記事の中にあるように、《気をつけよう「身を切る改革」 あなたの身》なのだ。維新は、容赦なく大阪府民・市民の身を切ってきた。そして、府外からの収奪も狙う。それでいて、「開発幻想」を振りまいているのだ。
そしていま維新は、現政権の言いにくいことを代弁して改憲策動の尖兵となり、「非核三原則の見直し」「核共有」の声を上げている。野党ではなく、与党の政策をさらに保守の立場から引っ張る存在である。
維新を語る際の最大の関心事は、いったい誰が維新支持の担い手なのかということ。近畿圏以外の人には、まったく分からない。この点について、特集リードの中に、次の一節がある。
「関西学院大学の冨田宏治教授が三年前に分析した論文(「維新政治の本質ーその支持層についての一考察」)は次のとおり、維新支持層のイメージを描いている。
そこに浮かび上がってくるのは「格差に喘ぐ若年貧困層」などでは決してなく、税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見合う公的サービスの恩恵を受けられない不満と、自分たちとは逆に公的負担を負うことなくもっぱら福祉医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」や「年寄り」や「病人」への激しい怨嗟や憎悪に身を焦がす「勝ち組」・中堅サラリーマン層の姿にほかなりません」
本号の巻頭論文に当たる「日本維新の会の『支持基盤』を探る」(岡田知弘・京大名誉教授)は、この見解をベースにしつつも、維新は「さらなる成長を」というスローガンによる「開発幻想」を振りまくことによって、「勝ち組」以外からも集票したとみる。強固な支持層としての、新自由主義の利益に均霑する「勝ち組」 中堅サラリーマン層 と、「開発幻想」にすがるしかない立場の「非勝ち組」層。
しかし、現実の地域経済の衰退は覆うべくもないことを指摘し、在阪マスコミの維新擁護の報道を乗り越えて、「維新が振りまく幻想の危険性」と「真実にもとづく維新批判」の言論高揚の必要を説いている。
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特集●「維新」とは何か
◆特集にあたって … 岩田研二郎
◆日本維新の会の「支持基盤」を探る … 岡田知弘
◆在阪マスコミと中央政権が育てた新たな利権政党 … 幸田 泉
◆大阪IRカジノの問題点 … 桜田照雄
◆大阪都構想の問題点とその後の動き … 森 裕之
◆地域経済を疲弊させる維新の略奪型経済対策 … 中山 徹
◆維新府政のもとでのコロナ禍の保健所の現状 … 小松康則
◆維新政治による教育破壊の“ほんの一部”
?大阪は 維新政治で 滅茶苦茶に? … 今井政廣
◆維新政治による人権侵害と闘う弁護団活動 … 岩田研二郎
◆維新による公務員の団結権への侵害と反撃 … 豊川義明
◆改憲勢力としての日本維新の会 ── 憲法審査会での策動を中心に … 田中 隆
◆維新は政党政治の一翼を担えるか … 栗原 猛
特集外記事
◆連続企画・学術会議問題を考える〈5〉
「日本学術会議の在り方に関する政策討議取りまとめ(令和4年1月21日)/ CSTI有識者議員懇談会」をどう読むか … 広渡清吾
◆司法をめぐる動き〈72〉
・「日の君」再任用訴訟で逆転勝訴判決
── 再任用拒否の違法性を正面から認定 … 谷 次郎
・2月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2022●《「核時代の戦争」と世論・情報・メディア》
どんな理由でも戦争は認めない 不戦、非核、非武装の外交の確立を
── ウクライナ戦争を機に … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№11〉
「戦争の不条理」を胸に … 鶴見祐策先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№39〉
憲法改正を「今こそ成し遂げなければならない」と主張する岸田首相 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆インフォメーション
ロシアによるウクライナ侵攻に対し強く抗議するとともに直ちに戦闘行動を停止し撤退することを求める声明/ロシアのウクライナへの軍事侵攻に強く抗議し、ロシア軍の即時撤収を訴える声明/自民党改憲案(4項目改憲案)に反対し、改憲ありきの憲法審査会の始動には反対する法律家団体の声明
◆時評●地位協定と新型コロナ対策 ── 日伊の比較 … 高橋利安
◆ひろば●和歌山での憲法を守る取り組み ── 93回目のランチタイムデモ … 阪本康文
(2022年4月4日)
ヒトを宿主とする「戦争ウィルス」という亡霊が、人類誕生以来今日まで、世界の各地を徘徊してきた。そして今、このウィルスによる古典的な「戦争病」がヨーロッパの一角に発症し、その被害が猖獗を極めている。
当然のことながら、このウィルスは戦時にのみ存在するものではない。平時に、ヒトの内奥に潜伏して伝播を繰り返し、ときに権力者に感染して、基礎疾患と相俟って戦争病の発症と重症化をもたらす。その症状と被害とはとてつもなく無惨で甚大である。宿主の絶滅をももたらしかねず、その対応は人類全体の喫緊の課題となっている。
戦争ウィルスには、いくつもの亜種・変異株がある。
国際収奪種
大国ナショナリズム種
民族ヘイト株
言論統制株
好戦教育株
それぞれのウィルスが各国で蔓延し、他国のウィルスとの相互作用によって急速に活性化される。いったん発症すると、未だに有効な治療手段は開発されておらず、このウィルスの暴虐を制御することは困難である。戦争という典型症状に至らずとも、戦争未満の大国の横暴や威嚇は常に国際緊張の火種となってきた。
この事態に、けっして人類が拱手傍観してきたわけではない。数々の平和思想を生みその実践も重ねられてきた。戦争を違法とする国際条約の締結や、国際連盟・国際連合、さらには国際司法裁判所も創設されている。それでもなお、戦争ウィルス根絶は困難で、戦争病を駆逐し得といない。
人類はこのウィルスに対する有効な抗体をもたないのだが、実は既に75年前に戦争ウィルスに対する有効なワクチンは開発され、少なくも一国には接種されている。そのワクチンの名を「日本国憲法第9条」という。
そのワクチン効能の機序は、被接種国の権力に「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を命じることによって、一切の戦争を不可能としてた平和を招来しようというものである。ワクチンであるからその接種率の向上が課題であるところ、残念ながら、現在に至るまでその明るい見通しは開けていない。
だが、あきらめてはならない。このワクチンの効果は実証済みなのだ。戦争ウィルスに起因する最も警戒すべき重症症状は、侵略戦争の開戦である。「9条ワクチン」は、被接種国が侵略戦争に暴走することへの有効な法的歯止めとなる。もちろん、侵略戦争に不可避的に附随する軍国主義の高揚や言論統制、教育の国家化なども防止する。そして、外交における相手国への威嚇や挑発はなく、国際協調を実現する外交態度の実現ともなる。
もっとも9条ワクチンは平和への万能薬ではない。全世界の主要国がこのワクチンを接種するまでは、平和をつくる国際運動の有力な武器になるという役割を果たすことになる。平和のための工夫と努力の、頼もしい拠り所となるのだ。
いま、望まれることは、9条ワクチンの接種率の向上である。今、人類の平和構築の構想は過渡期にある。このワクチンの接種が全ての主権国家に行き届いたとき崩れぬ平和が実現する。世界の戦争が根絶され、恒久平和が実現する。
それまで、このワクチンの摂取率を上げることが、人類の課題である。侵略・軍拡・核武装容認・核威嚇・敵基地攻撃能力整備論は、ウィルスに冒された症状の発現である。これを克服する努力を重ねなければならない。世界の主要国に接種が進行するまで。貴重な既接種国が、自らワクチンの効果を否定することは、人類史に対する冒涜とというべきである。
(2022年4月3日)
花冷えである。しかも本格的な雨。せっかく咲いた花が、かじかんで震えている。気持ちも晴れない。ウクライナの停戦が実現しそうで実は困難なことが見えてきて胸がふたぐ。ロシア侵略軍の蛮行によるウクライナの人々の甚大な被害、その報道に落ち着かない。これからどうなるのか。そして、日本への影響は。おろおろするばかり。
同じ出来事を経験しても、教訓として得るものは人によって大きく異なる。アジア太平洋戦争の惨禍を経て、「二度と戦争をしてはならない」と教訓を語る人が大多数なのだが、実はそのような人ばかりではない。「もっと周到な準備の下に、国防体制を立て直して、今度こそ勝つ戦争をしなければならない」という反省の仕方もあるのだ。どちらも、論理としては成立しうる。
ロシアのウクライナ侵略の推移を見て、「自衛のための軍備が必要」「防衛予算を増額しなければならない」「国家への忠誠心がなくてはならない」「強国との軍事同盟が不可欠」「敵基地攻撃能力があればさらに安心」「非核三原則を見直して核共有も」と、「教訓」を声高に語る人がいる。
しかし、果たしてそうだろうか。むしろ、汲むべき教訓は、「軍事力で国民を守ることはできない」ということではないのか。ウクライナに「9条」はない。むしろ、相当の軍事力を持った国である。洗練された兵器をもち、兵の練度も高い。それでもなお、ロシアの軍事侵攻を防ぐことはできなかった。また、ウクライナのNATO加盟への強い意思が、ロシアの侵略を決意させたともいわれている。
この度のウクライナ侵攻に、ロシアは、そしてプーチンは、どう教訓を得ただろうか。国民に対する情報操作による世論誘導の危うさ、そしてその破綻の危惧におののいてはいないか。国際世論を敵にまわすことの重圧を感じてはいないか。経済制裁による国家財政のデフォルトの危険を認識してはいないのか。なくもがなの侵略を敢えてした愚を後悔しているのではないか。この侵略がどのような結末になるにせよ、ロシアの権威も経済力も凋落することが目に見えている。世界の諸大国もこのロシアが陥った現実を見据えて教訓としているだろう。
日本は、維新直後から第2次大戦まで、侵略戦争を繰り返してきた。9条に象徴される敗戦時の「不戦の誓い」は、侵略戦争の放棄という気分であったろう。日本が侵略戦争さえしなければ、日本に攻め入る侵略国があろうとは考え難かった。こうして自衛戦争まで放棄し、戦力不保持を明記した9条が成立した。
その後、日本が侵略の対象となる現実的な危機の経験はなく、むしろ、日米安保の存在は、アメリカの戦争に巻き込まれる危険の文脈で語られ続けてきた。今、ロシアから侵略対象とされたウクライナを、中国からの侵攻の危険に曝されている台湾になぞらえ、あるいは日本に喩えて、「侵略される危険」が語られている。憲法制定時とは、日本周辺の国際環境が大きく変化してきたというのだ。
しかし、だからと言って、軍事力の増強、軍備拡張の路線に走ってはならない。ましてや核の保有などと短絡するのはもってのほか。特定の国家を意識して、侵略防止のための軍備拡張は、実は相手国を刺激して二国間の緊張を高め、戦争を誘発することにもなりかねないのだ。
金子みすゞの「こだまでしょうか」をこう解したい。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「仲良くしよう」っていうと「仲良くしよう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。
「僕の方が強いぞ」っていうと「僕の方がもっと強い」っていう。
「僕の方がもっともっと強いぞ」っていうと「僕の方がもっともっともっと強い」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、どこの国でも。
(2022年4月2日)
メールやメーリングリストの普及によって、仲間同士の情報や意見交換は実に便利になった。さらに、最近はズームやチームのオンラインの活用。電話とファクスの時代に長く過ごした身には、今昔の感に堪えない。
ところで、自由法曹団には、テーマ別に幾つかののメーリングリストがある。そこでの意見交換は、にぎやかで楽しい雰囲気。その内の一つに、最近ある弁護士がこんな書き込みをした。
知り合いの(定年後)再任用の教員から、こんなことを尋ねられました。
「毎年、一年ごとに任用されることになり、その都度教育委員会に誓約書を提出するのですが、その文言が以前は「憲法を遵守し」だったのに、今年の書式には「憲法を擁護し」となっていました。これって、どう違うんでしょうか。変更には悪しき意図がありませんか。弁護士さんの感覚はどうですか。」
さて、皆さんのご意見はいかがでしょうか。
これに、にぎやかに意見が寄せられた。
「誓約書としてはその言葉の変更自体で特段の差はないように思う」「99条の条文をよく見たら『遵守』ではなく『擁護』となっていたことに気付いたから、『擁護』の方がふさわしいと考えた。その程度のことではないでしょうか」という以外は、次のように、概ね好意的・肯定的な意見が多かった。
「直感的に、『遵守』より『擁護』の方は改憲を許さん的な意味でむしろ奮っているのではないかと思いました。辞書を調べると、『遵守』は単に厳格に守るということですが、『擁護』はやはり危害から庇い護る事とあります。これは教育委員会の中のどなたかの計らいだとすると、かなりメッセージ性の強い変更のように思います。悪しき意図を感じるものではありません。」
「『遵守』は98条の最高法規性の条文で、『擁護』は99条の憲法尊重擁護義務の条文なんですね。誓約書には、もちろん99条の方がしっくりきますね。これを変更した方は、この2つの条文の意味を理解したのかもしれません。私は賛成です!」
「文言変更の意図がどこにあるのかわかりませんが、結果的には良い方向になっているということですね。この教育委員会を訴訟の相手にしている立場としては、それほど立派な組織とは思われませんが、誓約書の件については結果オーライといったところではないでしょうか。」
「これが弁護士的感覚かというと自信はないですが、すごくいいじゃんと思います」
私も意見を述べたが、少数派であった。少し敷衍して、改めてコメントしておきたい。
憲法学者・佐藤功の名言として、「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」というフレーズが知られている。子ども向けに書き下ろした『憲法と君たち』の中の一節だという。「憲法が国民を守り 国民が憲法を守る」「憲法が市民を守り 市民が憲法を守る」と言い換えてもよい。
「憲法は君たちを守る」は、憲法が国民の人権や民主主義を守る根拠となるという法的な作用を語っている。そして、「君たちが憲法を守る」は、国民が憲法の命じるところに従うべきという意味ではない。主権者である国民に憲法改悪を阻止し、憲法の理念を実現する努力を求める呼びかけとしての政治的メッセージと読むべきだろう。この後者の国民の政治的な作用として「憲法を守る」を、憲法擁護というにふさわしい。縮めれば、「護憲」である。
他方、「国民が憲法の命じるところに従うべきという意味での『憲法を守る』義務」は存在しない。国民の憲法遵守義務というものは観念しがたい。が、むろん、公務員には憲法遵守義務がある。
憲法の条文を意識せずに「憲法を守る」というときには、
「現行憲法の定めに従う」という意味と、
「現行憲法の条文や理念を改悪させない」という意味の
両義がある。
前者を『遵守』、後者を『擁護』と使い分けると意味がはっきりする。前者は法的な概念で、後者は政治的概念だと言うしかない。
この言語感覚からは、憲法99条の公務員の「憲法を尊重し擁護する義務」という用語の使い方が国語とズレている。本来、99条は『擁護』ではなく『遵守』がふさわしい。
現に公務員の採用時には、「憲法遵守」と宣誓している例も多いようで、この言葉づかいは条文上間違い、などと言われることがある。しかし私は、国語としては「遵守」の方が正しいのだと思っている。
この県教委が、教員に対して、「日本国憲法を遵守するのみならず、(改憲を阻止して)憲法を擁護する」という宣誓文言がふさわしい、との含意での誓約を求めているとすれば素晴らしいことだろうが、それはあり得ない。憲法99条の条文の文言のとおりに、公務員の「憲法を尊重し擁護する義務」という用語を使うように変更しただけのことであろう。
問題は国民皆の憲法意識にある。国民が憲法遵守の義務を負うことはない、権力者や天皇に憲法を遵守させなくてはならない。そして、この日本国憲法とその理念を飽くまで擁護しようと意識すべきなのだ。
(2022年4月1日・毎日連続更新満9年と1日)
4月、年度が変わる。当ブログも本日から10年目に入る。毎日連続更新を広言して連載を始めたのが2013年4月1日。昨日で満9年、毎日連続更新第3287回となった。この間一日の休載もなく書き続けられたことに、いささかの達成感がある。怪我や病気や事故なく過ごせた好運に恵まれたことを喜びたい。
この日記の連載を始めたのは、安倍晋三極右政権の改憲に危機感あってのこと。当然に、改憲阻止をメインテーマにしてきたが、人権や民主主義に関わる諸問題や、司法問題にも触れてきた。法律問題だけでなく、「日記」として日常の諸問題をも書き綴ってきた。
この9年間で印象に残るのは、何よりもこのブログによる「舌禍」としてDHC・吉田嘉明からスラップ訴訟を起こされたこと。このブログで大いに反撃し、「DHCスラップ訴訟」と、これに続く「DHCスラップ『反撃』訴訟」とをともに完勝し、その経過を逐一このブログで報告した。この顛末を、いま出版しようと稿を練っているところ。刊行を楽しみにしていただきたい。
そして「宇都宮君おやめなさい」シリーズ。今読み直して力作である。当時の緊張した思いが懐かしいだけでなく、重大な問題提起をしていると思う。何よりも読み物として、面白いのではなかろうか。しかし、残念ながら、今のところこちらのテーマでは出版の予定がない。そのほか、東京「君が代」裁判や、NHK問題などの報告、弁護士会のあり方、天皇制批判などについて、自分なりに意義ある言論を世に問うてきたとの、ささやかながら自負がある。
繰り返し広言してきたが、権力者や経済力のある者、多数意見派の耳に痛いことを遠慮なく言わねばならない。その姿勢を堅持したい。終期を決めず、安倍政権が終わるまではと思っているうちに意外に安倍政権が長期政権となって、ブログの連載も長期化することとなった。負けるものかと張り合ううちに、政権は倒れたが改憲危機は続くことになり、「憲法日記」は本日まで止められない事態となった。本日のこの記事が、10年目の第1回となる。当面の目標をあと1年の継続としよう。
このブログの発信は、ネットやメール接続のフロクだという。その意味ではタダなのだ。なんの変哲も工夫もなく、写真一枚ない文字だけのブログ。誰の宣伝もしない。毎日相当の時間を割いて一円にもならない作業になぜのめり込むのか。自分でも分からない。人には、自分の内心を表出したいという生来の欲求があるということなのだろう。
それにしても、このブログの記事を紙に印刷して撒けば、いったいどれだけ撒くことができるだろうか。ネットなればこそ、金をかけることもなく、瞬時に全国の人に読んでもらうこともできる。誰もが社会に発言できるツールの存在を素晴らしいことと思う。これを活用しない手はない。
身近な人が口を揃えていう。「ブログをもっと短くしなさいよ」「長文と思った瞬間読む気が失せる」「読んでもらえなけりゃ意味がないでしょう」と。これまで、そのアドバイスに従おうと思いつつ、できなかった。
10年目、今日からは短くするぞ、このブログ。きっと…。多分…。いや、必ず…。多くの人に読んでいただけるように。