澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」? 憲法擁護と憲法遵守と。

(2022年4月2日)
 メールやメーリングリストの普及によって、仲間同士の情報や意見交換は実に便利になった。さらに、最近はズームやチームのオンラインの活用。電話とファクスの時代に長く過ごした身には、今昔の感に堪えない。

 ところで、自由法曹団には、テーマ別に幾つかののメーリングリストがある。そこでの意見交換は、にぎやかで楽しい雰囲気。その内の一つに、最近ある弁護士がこんな書き込みをした。

 知り合いの(定年後)再任用の教員から、こんなことを尋ねられました。
 「毎年、一年ごとに任用されることになり、その都度教育委員会に誓約書を提出するのですが、その文言が以前は「憲法を遵守し」だったのに、今年の書式には「憲法を擁護し」となっていました。これって、どう違うんでしょうか。変更には悪しき意図がありませんか。弁護士さんの感覚はどうですか。」
 さて、皆さんのご意見はいかがでしょうか。

  これに、にぎやかに意見が寄せられた。
 
 「誓約書としてはその言葉の変更自体で特段の差はないように思う」「99条の条文をよく見たら『遵守』ではなく『擁護』となっていたことに気付いたから、『擁護』の方がふさわしいと考えた。その程度のことではないでしょうか」という以外は、次のように、概ね好意的・肯定的な意見が多かった。

 「直感的に、『遵守』より『擁護』の方は改憲を許さん的な意味でむしろ奮っているのではないかと思いました。辞書を調べると、『遵守』は単に厳格に守るということですが、『擁護』はやはり危害から庇い護る事とあります。これは教育委員会の中のどなたかの計らいだとすると、かなりメッセージ性の強い変更のように思います。悪しき意図を感じるものではありません。」

 「『遵守』は98条の最高法規性の条文で、『擁護』は99条の憲法尊重擁護義務の条文なんですね。誓約書には、もちろん99条の方がしっくりきますね。これを変更した方は、この2つの条文の意味を理解したのかもしれません。私は賛成です!」

「文言変更の意図がどこにあるのかわかりませんが、結果的には良い方向になっているということですね。この教育委員会を訴訟の相手にしている立場としては、それほど立派な組織とは思われませんが、誓約書の件については結果オーライといったところではないでしょうか。」

「これが弁護士的感覚かというと自信はないですが、すごくいいじゃんと思います」

 私も意見を述べたが、少数派であった。少し敷衍して、改めてコメントしておきたい。

 憲法学者・佐藤功の名言として、「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」というフレーズが知られている。子ども向けに書き下ろした『憲法と君たち』の中の一節だという。「憲法が国民を守り 国民が憲法を守る」「憲法が市民を守り 市民が憲法を守る」と言い換えてもよい。

 「憲法は君たちを守る」は、憲法が国民の人権や民主主義を守る根拠となるという法的な作用を語っている。そして、「君たちが憲法を守る」は、国民が憲法の命じるところに従うべきという意味ではない。主権者である国民に憲法改悪を阻止し、憲法の理念を実現する努力を求める呼びかけとしての政治的メッセージと読むべきだろう。この後者の国民の政治的な作用として「憲法を守る」を、憲法擁護というにふさわしい。縮めれば、「護憲」である。

 他方、「国民が憲法の命じるところに従うべきという意味での『憲法を守る』義務」は存在しない。国民の憲法遵守義務というものは観念しがたい。が、むろん、公務員には憲法遵守義務がある。

 憲法の条文を意識せずに「憲法を守る」というときには、
 「現行憲法の定めに従う」という意味と、
 「現行憲法の条文や理念を改悪させない」という意味の
両義がある。

 前者を『遵守』、後者を『擁護』と使い分けると意味がはっきりする。前者は法的な概念で、後者は政治的概念だと言うしかない。

 この言語感覚からは、憲法99条の公務員の「憲法を尊重し擁護する義務」という用語の使い方が国語とズレている。本来、99条は『擁護』ではなく『遵守』がふさわしい。

 現に公務員の採用時には、「憲法遵守」と宣誓している例も多いようで、この言葉づかいは条文上間違い、などと言われることがある。しかし私は、国語としては「遵守」の方が正しいのだと思っている。

 この県教委が、教員に対して、「日本国憲法を遵守するのみならず、(改憲を阻止して)憲法を擁護する」という宣誓文言がふさわしい、との含意での誓約を求めているとすれば素晴らしいことだろうが、それはあり得ない。憲法99条の条文の文言のとおりに、公務員の「憲法を尊重し擁護する義務」という用語を使うように変更しただけのことであろう。

 問題は国民皆の憲法意識にある。国民が憲法遵守の義務を負うことはない、権力者や天皇に憲法を遵守させなくてはならない。そして、この日本国憲法とその理念を飽くまで擁護しようと意識すべきなのだ。

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