(2022年6月10日)
金曜日には、「週刊金曜日」に目を通す。毎号の巻頭に「風速計」というコラムがあって、まずはここから読むことになる。編集委員7名が持ち回りで書いているが、崔善愛さんの文章からは、知らないこと、気が付かないことを教えられることが多い。
崔さん執筆の同誌4月8日号同コラムの冒頭に次の一文があって、ギョッとさせられる。「引き裂かれる想い」と題されたもの。
「郊外は破壊され焼き尽くされた。ヤシュとヴィシルはおそらく塹壕で戦死しただろう。マルセルは捕虜になったのが見える。おお神よ、あなたはおいでになるのですか。おいでになるのならどうして復讐してくださらないのですか! それともさらなるロシア人の罪を望んでいるのですか! それとも、まさか神よ、あなたもロシア人なのですか!」
これは、ポーランドの作曲家フレデリックショパンが1831年ドイツ・シュツットガルトで書いた日記の一部だという。崔さんは、「『侵略への怒り』それはショパンのどんなに美しい旋律にも宿っている。なぜ歴史はこうも繰り返されるのか」と綴っている。
200年後の今、プチャで、マリウポリで、そしてさらにセヴェロドネツクで、「まさか神よ、あなたもロシア人なのですか!」という怨嗟の声が聞こえる。しかし、崔さんは、ロシア糾弾一色の「正義の声」にも不安を隠さない。このコラムの最後は、こう結ばれている。
「朝鮮半島が再び戦火に見舞われたとき、この国全体が『正義は我にあり』という熱狂に覆われるかもしれない」「ゼレンスキー大統領が日本へ向けて行った演説後、国会議員らが総立ちで拍手するのをテレビで見ながら、こわくなった。」
表題の「引き裂かれる想い」とは、自分の中にある「侵略者ロシアを強く糾弾する想い」と、「『正義は我にあり』という熱狂を危険で警戒すべきものとする想い」との葛藤ということなのだろう。
そして、同誌5月27日号の「風速計」が崔善愛さんの執筆である。「国家に左右されないもの」という表題。そのなかに、次の一文がある。
「2カ月前、劇団制作者らが集う会合の席でこんな意見が出された。
『公演のために準備していた作品の中でロシア民話の部分を割愛することにした』
まるで戦時中の『敵性音楽』扱いだ」
「子供達は絵本の物語を聞くとき、それがどこの国の話なのかなど気にしない。絵本の中の世界に無心に引き込まれていくだけだ」「罪深いのは民話ではない。大人たちが覇権を争い、戦争を仕掛けたこと。そして忘れてならないのはロシアの人々の中にも、平和を愛し、戦争を憎み、戸惑い、嘆く人が少なからずいることだ。
国家に左右されない民の歌、民の震える声に耳をすまそう」
ここにも、ロシア糾弾一色という全体状況へのプロテストがある。私も、崔さんに倣って、国家の大声にかき消されそうになる「民の歌、民の震える声」に耳をすまそうと思う。
(2022年6月9日)
本日の衆院本会議で、立憲民主党提出の岸田内閣不信任案が賛成少数で否決された。現状での否決という結果自体は予想されたところ。むろん、大切なのはプロセスである。この不信任案への対応で各党の姿勢がよく見えてきた。
自民・公明の与党が、反対に回ったのは謂わば当然である。
ところが、国民民主と維新の両党も反対にまわった。これは、あるまじき対応というべきか、「ゆ・党」と「悪・党」にふさわしいありかたというべきか。いずれにしても、その立ち位置を明確にすることとなった。
さらに、れいわ新選組は採決を棄権した。おやおや、この党は国民生活擁護、反権力をウリにしていたはずではなかったか。
結局、賛成は,立憲民主・共産党・社民党となった。
なお、細田博之衆院議長の不信任決議案も同様に、自民・公明に加え、維新・国民民主の反対で否決された。
立憲民主の泉健太は、岸田内閣下での、円安・物価高を「岸田インフレ」と批判した。「補正予算においても経済無策を続け、国民生活の苦境を放置しているのは許されない」と訴えた。
さらに、消費税率の時限的な5%への引き下げや、安倍政権から続く異次元の金融緩和を含む「アベノミクス」の見直しを主張。岸田内閣の看板政策「新しい資本主義」を「分配政策が乏しく、格差を広げるアベノミクスが継続されている」と指摘。「分配を軽視し、格差が拡大させ、国民が分断される」と強調した。
誰もが納得せざるを得ない常識的な主張ではないか。反対派は、これに反論し得たのか。
自民の上川陽子は反対討論で、「ウクライナ情勢などによって、不確実性を増す情勢変化に的確に対応し続けてきた。唐突な不信任決議案の提出は不誠実だ」と反論。公明の浜地雅一は内閣支持率が政権発足時から上がっていることを理由に「国政を安定的に着実に運営する岸田内閣はまったく不信任に値しない」と討論したと報じられている。
いずれも噛み合った反論になっていない。とりわけ、岸田内閣の看板政策「新しい資本主義」について、「分配政策が乏しく、格差を広げるアベノミクスが継続されている」「分配を軽視し、格差が拡大させ、国民が分断される」との指摘に対する噛み合った議論を期待したいところだが、ない物ねだりとなってしまった。
反対討論に立った維新の足立康史氏は「内閣を積極的に信任するわけではない」としつつも、「少数派の野党が内閣不信任を提出し、多数派の与党が粛々と否決する一連の茶番に異議を申し立てると言う意味で、反対を投じる」と述べたという。
この人のいうことは、常によく分からない。意味が伝わらない。それでも分かることは、この党のあまりの不真面目さである。それだけでも、不信任案提出の意味はあったというべきであろう。
一方、共産の笠井亮氏は不信任案に賛成の立場から岸田政権が検討する「敵基地攻撃能力」の保有を「専守防衛の大原則を投げ捨てるものだ」と批判した。これはこれで、あまりに真っ当な対応のコントラスト。
なお、NHKは、立民と自民との討論を、こう整理している。
立憲民主党の泉代表は「国民が物価高で苦しむなか、政府が物価対策を届けていないことで、消費が低迷し、日本経済に打撃となる可能性がある。その事実を国民に伝え、国民の意思によって政治を動かせる限られた機会がこの不信任決議案だ」と述べ、賛同を呼びかけました。
これに対し、自民党の上川幹事長代理は、「情勢の変化に対応し続けてきた岸田総理大臣の決断力や実行力への期待が高まっている。その歩みを止める不信任案の提出は極めて不誠実だ」と反論しました。
立民の問題提起に自民が応え得ているか。議論は内容であって、有権者一人ひとりの判断が大切なのだ。結果としての賛否の票数だけを問題とするのは、民主主義の形骸化であり堕落である。この討論を茶番という輩が、民主主義の何たるかを知ろうとしない者なのだ。
(2022年6月8日)
来週の水曜日、6月15日に通常国会が閉幕する。そして、参院選公示となり、7月10日投開票となる。
有権者の関心事は、けっして憲法改正にはない。そしてコロナでもなくなった。主要な論争点の一つは、日本と世界の平和の構築をどうするかであり、もう一つは今急激に国民生活を襲いつつある物価高である。
再選の投開票まであと1か月、この間に高物価は全ての国民に厳しい生活苦を強いることになる。とりわけ、非正規労働者、フリーランス、年金生活者には深刻である。言うまでもなく、これは天変地異ではない。国民はあらためて、この10年におけるアベノミクスと名付けられた自公政権による経済政策の失敗を学ばざるを得ない。賃金は上がらず、家計は冷え込み、生産も分配も滞って、ひたすらに大企業と金持ちを優遇した減税に励み、その減税を原資とした庶民増税に邁進してきた今日の脆弱な日本経済ではないか。今日の格差と貧困の実態ではないか。
アベ政権も、その後継スガ政権も、アベノミクスの失敗を国民に批判され、目先を変えて岸田現政権となった。「分配重視」「金融所得課税」への言及はそれゆえである。ところが、今岸田は、完全に岸田色を失った。失敗したアベノミクス路線を何の成算も希望もなく、走り続けざるを得ない立場に追い込まれている。このアベ・スガ・キシダ、3代の経済政策の失敗故の生活苦が選挙の争点とならざるを得ない。
本日夕刻、立憲民主党が衆議院に内閣不信任案を提出した。「一貫して無為無策」な政府を追及するものだという。多くの国民の気持ちを代弁するものではないか。もとより、「ゆ党」や「悪党」といわれる連中の賛同は難しいと報道されており、「同調の動きは限定的で、否決される見通し」とされているが、この不信任案は、有権者の支持を得ることができると考えてよい。
毎日新聞によれば、同不信任案の理由は以下のとおりである。
「岸田内閣の『何もしない』ことを安全運転と呼んではばからない厚顔無恥な政権がこれ以上続くのは、日本のためにならない」「『岸田インフレ』は亡国の道である。首相が『令和版所得倍増』の代わりに『資産所得倍増プラン』を掲げたことを『投資信託のコマーシャル』のようで、今この日本で、どれだけの人が乏しい生活費の中から投資にまわす余力があるだろうか」
なお同時に、立憲は細田博之衆院議長に対する不信任決議案も衆院に提出した。
細田氏の不信任理由は、細田氏が衆院議長として「最も不適切な人物」であり、衆院小選挙区定数の「10増10減」に否定的な見解を繰り返し示したことなどを問題視。さらに週刊文春が5月19日発売号以降、女性記者らにセクハラ行為を繰り返していると報じたことについて「あってはならない疑惑」だとし、細田氏が報道を「事実無根」だと全面的に否定していることに関し、「説明責任を果たさない」と問題視したもの。
衆院は明日9日の本会議で不信任2案を審議・採決するが、有権者は各議院の賛否をよく見極めよう。
提出後、立憲の西村智奈美幹事長は記者団に「政治は国民の命と暮らしを守るためにある。岸田内閣はその責任を全く果たしていない」と語ったという。「平和」と「暮らし」、その両者が目前の参院選の争点となってきた。俄然、政権には大きな逆風である。
(2022年6月7日)
ロシアのウクライナ侵攻が始まったのが、2月24日。早くも3月上旬には各地の地方議会でロシア批判の決議が採択されている。多くは全会一致である。3月7日、神奈川県議会には「ロシアによるウクライナへの侵略に断固抗議する決議(案)」が自民党議員から上程され、同日全会一致で成立している。
3月24日には、横浜市議会が、これも自民党提案で「ロシアによるウクライナへの侵略を非難するとともに、国際紛争における武力行使の根絶を求める決議」が成立している。全会一致である。
そして同じ3月24日、横須賀市議会も、自民党提案による「ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議」を賛成多数で採択した。但し、全会一致ではない。
採択された同決議の全文が以下の通りである。
ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議
国際社会の懸命の努力にもかかわらず、2 月2 4 日にロシア軍はウクライナへの軍事侵攻を開始した。
これらは、ウクライナの主権及び領土の一体性を侵害するとともに国際法に違反する行為であり、断じて容認できるものではない。また、その影響はヨーロッパにとどまるものではなく、アジアを含む国際秩序を揺るがす重大な事態であり、横須賀市議会としても看過できるものではない。
政府においては、在留邦人の安全確保と避難民への支援に努めるとともに、国際社会と連携し、あらゆる外交手段を駆使して、ロシア軍の即時撤退と速やかな平和の実現に全力を尽くすことが求められる。
よって、横須賀市議会は、ロシアによるウクライナ侵攻に対し厳重に抗議し強く非難するとともに、ロシア軍が即時に完全かつ無条件で撤退するよう強く求める。
以上、決議する。
この決議に二人の議員が反対にまわった。二人とも右翼でも右派でもない。無所属の市民運動派である。平和運動へのこだわり故の反対ということのようだ。この間の事情が、先頃届いた《非核市民宣言運動・ヨコスカ/ヨコスカ平和船団》からの「たより 330」(発行5月13日)に窺える。
3月・月例デモ出発前集会
ロシアのウクライナ軍事侵攻抗議
私たちの反戦も問われている
という見出し。「ロシアのウクライナ軍事侵攻抗議」は分かり易いが、「私たちの反戦も問われている」は、「何がどう問われている」というのか、けっして分かり易いものではない。それでも、みんな真剣に考えている大きな問題点なのだ。
新倉裕史(月例デモ・リーダー) コロナ感染対策で、1月、2月、月例デモを休みました。口シアによるウクライナヘの軍事侵攻は今も続いていて、反戦の声を上げようと、今月は月例デモの実施に踏み切りました。感染は収まっていないので、総監部前とゲート前での兵士への放送はありますが、商店街はサイレントです。
ロシアの軍事侵攻には抗議の声を上げますが、ウクライナ頑張れが、自分の国は自分で守る、そのためには軍事力も必要だという声も生まれています。私たちの反戦が問われています。ぜひご意見を。
◆ ◆ ◆
市川平(平和船団) ロシアは、ウクライナヘの軍事侵攻以前にも、1990年から 2000年にかけては、チェチェンの独立を弾圧しています。2008年にグルジア、今はジョージアと呼ばれていますが、ここに軍事侵攻し、2014年にはケリミア地域への攻撃とロシアヘの編入。その後も、2015年にはシリアヘの軍事介入と、アメリカと同様に、周辺の国々への軍事侵攻をしてきました。
今、バイデン大統領はプーチン大統領を戦争犯罪人と言いますが、アメリカも同じようなことを繰り返してきている。だから、そんなふうに言う資格はありません。
私たちはこうした大国による軍事侵攻を、どう食い止め ることができるのか。昔、ペンは武器より強し、といいましたが、今はSSNの活用で、個人が世界に向けて情報を発信できる時代です。この「ペン」を大いにに活用して、反戦の発信をしていきましょう。
◆ ◆ ◆
新倉 ロシアの武力による現状変更は、今に始まったことではないという指摘ですが、そのことはしっかりと認識したいと思います。その上で「ロシア許すな!」がナショナリズムを刺激し、反戦が翼賛化したり、軍事化したりする傾向も無視できません。
横須賀市議会で、ロシア抗議の意見書が賛成多数で採決されました。本会議で二人の議員が、この意見書に反対しました。そのお一人、小室たかえ市議がいらしていますので、経過の報告をお願いします。
◆ ◆ ◆
小室たかえ(市議会議員) 先日木曜日が、横須賀市議 会定例会の最終日でした。《口シアによるウクライナ侵攻に抗議する》という決議案が、当日の午前中の議運に自民党から提出されました。私は会派に入っておりませんので議運に席がありません。オンラインで傍聴していましたが、そのときには内容までは確認できませんでした。
ロシアがウクライナに軍事侵攻したこと自体は、本当に許されないことだと思いますが、今朝提出された決議文を、その日の午後に、賛成か反対かというのは、内容が内容だけに、とまどいました。
決議文のなかに、あらゆる外交手段をという文言がありました。あらゆるのなかに武力が含まれるのか、含まれないのか。武力も外交手段という言い方もありますし、そんなことを考えると、私はこれにはそう簡単には賛成できないなと、迷いました。
多くの人が、抗議決議当然でしょという中にあって、賛成できないというのは、正直怖いなという思いもありました。
そんなふうに思っていたところ、小林(伸行)議員が反対討論をしました。その内容は、私が悶々としていた内容といっしょでしたので、小林議員が反対討論を終えて議席に戻ってきたところで、わたしも同感ですと伝え、採決のときには40人中38名が起立をして賛成。私たち二人だけが着席したまま、反対の意思を表明した、ということです。
私の今日の話はつたないものですが、近くホームページに自分の考えをちゃんと載せるつもりです。ありがとうございます。
◆ ◆ ◆
新倉 小林議員の反対討論をネットの中継録画で聞きました。小林さんも、ロシアがしているとはとんでもなくひどいことで、一刻も早い停戦を求めるのは当然のごととしたうえで、問答無用の「正義」が振りかざされていることへの、抵抗としての反対討論だったと思います。お二人の反対票は、重要な視点を私たちに与えてくれていると思います。
市民派議員二人から投じられた《ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議》への反対票は、もちろんロシアによるウクライナ侵攻を免罪しようというものではない。反対票を投じた議員の1人は、「決議文のなかの《あらゆる外交手段を》という文言が武力を含のか含まれないのか。この点が曖昧では簡単には賛成できない」という。
そして、運動体の側は、この反対票を《問答無用の「正義」が振りかざされていることへの抵抗》であり、《「ロシア許すな!」がナショナリズムを刺激し、反戦が翼賛化したり、軍事化したりする傾向への警戒》と評価する。
まだ十分に咀嚼されていないが、重要な問題提起をしているように思う。
(2022年6月6日)
本日、関東甲信地方に梅雨入りの宣言。陰鬱で肌寒い日である。雨風ともに強い。ウクライナの戦況は膠着して停戦の希望は見えてこない。被害の報がいたましい。国内では戦争便乗派の平和憲法攻撃と、防衛費倍増論に敵基地攻撃能力論まで台頭している。私の体調もよくない。憂鬱この上ない本日。ものを考えるのも億劫だし、煩瑣な文章を書く気力もない。昔読んだ小川未明の童話を引用して、本日の責めを塞ぎたい。
たしか、小学校の図書室で小川未明の幾つかの作品を読んだ。そのうちの「野ばら」が鮮明に記憶に残っている。読後感は深刻だった。どうして、人と人とは仲良くできるのに、国と国とは戦争をするのだろうか。国なんかなくなければ人と人とは仲良くできるのか、とも考えた。誰が考えても、戦争はおろかなことではないか。もう、こんなことをやってはいけない。
野ばら 小川未明
大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣となり合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起らず平和でありました。
ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。
二人は、石碑の建たっている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。
初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝やいているからでありました。
ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。
「どれ、もう起きるか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ出でると、はたして、太陽は木のこずえの上に元気よく輝やいていました。
二人は、岩間からわき出でる清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。
「やあ、おはよう。いい天気でございますな。」
「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持がせいせいします。」
二人は、そこでこんな立ち話しをしました。たがいに、頭を上あげて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感を見る度に心に与えるものです。
青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向い合って将棋を差していました。
初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。
この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。
やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん。」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。
青年は、また勝みがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝やかしながら、相手の王さまを追っていました。
小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送っていました。
冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方ほうを恋しがりました。
その方には、せがれや、孫が住すんでいました。
「早く、暇をもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。
やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮していた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。
「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と、老人はいいました。
これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方ほうで開かれています。私は、そこへいって戦います。」と、青年はいい残して、去ってしまいました。
国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲さいて、みつばちは、日が上がると、暮れるころまで群っています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人はその日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしてたちました。
ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終ったということを告げました。
老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠をしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊いはきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらが枯かれてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。
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小川未明の作品は、既に著作権の保護期間が終了している。転載自由である。青空文庫本を多くの人に読んでいただきたい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51034_47932.html
パロディはいくつもある。下記は、公開されている才能溢れたマンガの一作。
https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZk5Ffc/pGBIkZk5Ffk
今、この国境をはさんだ二人の兵士の話は、ロシアとウクライナ両国兵士の関係として連想せざるを得ない。両国の国民と国民とが、兵と兵とが、殺し合うほど憎しみ合っているはずはない。プーチンに読ませたいと思うが、無理だろうか。
(2022年6月5日)
一昨日(6月3日)、東京高裁(渡部勇次裁判長)が「ニュース女子ヘイト報道事件」での控訴審判決を言い渡した。判決の結論は、当事者双方からの控訴を棄却し、昨年9月の一審判決をそのまま維持するとした。
このところ選挙ムード一色の赤旗が、4日の社会面トップでこの記事を報道した。その見出しが、「DHCへの賠償命令維持」「辛淑玉さんへの名誉毀損認定」である。簡潔さがよい。形式的には、一審被告の法人格名は「株式会社DHCテレビジョン」である。そのとおり表記すべきが正確とも言えるだろうが、実質において「DHCテレビ」は、DHCの一部門に過ぎない。「DHCテレビ」はDHCの一人会社である。全株式を所有しているのが親会社DHC。もちろん、 「DHCテレビ」 の代表者はDHCのワンマンにして差別主義者として知られる吉田嘉明(取締役会長)である。このデマとヘイトに満ちた恥ずべき放送は、いくつもの部門をもつDHCの部門の一部に、その社風ないしは体質が表れたと見るべきであろう。違法と断定され、550万円の支払を命じられたのは外ならぬDHCなのだ。
赤旗は、本日も続報を掲載している。「一歩踏み込んだ」「『ニュース女子』訴訟控訴審判決」「原告の辛淑玉さんら評価」という、原告・弁護団の記者会見記事。
一般紙では、東京新聞の報道が、長い見出しで主要な論点を押さえている。「DHCテレビ『ニュース女子』の名誉毀損を認定」「高裁も一審判決支持『番組に真実性は認められない』」
東京新聞の報道は、注目されたところ。何しろ、DHCテレビとならんで被告にされたのが、元東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋なのだから。長谷川はこの番組の司会を務めていた。それでも東京新聞は真摯な報道姿勢を貫いている。そして見出しに「DHCテレビ」を出している。以下、一部を引用する。
「判決は、辛さんが組織的に参加者を動員して過激な反対運動をあおっているという番組の内容に、真実性は認められないと判断。現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などとテロップで表示されているとして、「在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と言及した。
番組の司会者だった本紙元論説副主幹の長谷川幸洋氏の責任については「番組の制作や編集に一切関与がなかった」とし、一審と同様に認めなかった。長谷川氏が辛さんに損害賠償を求めた反訴も同様に退けた。
番組は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で2017年1月に放送された。昨年9月の一審判決は、DHCに賠償と自社サイトへの謝罪文掲載を命じた。
判決後の会見で辛さんは「名誉毀損が認められてうれしいが、沖縄に対して申し訳ない気持ちもある。平和運動や沖縄を、在日である私を使ってたたくという、二重、三重に汚い番組だった」と振り返った。金竜介弁護士は、判決が出自に絡む誹謗中傷に言及した点に「人種差別をきちんと認めたことは評価できる」と話した。
朝日の見出しは、「東京MXの「ニュース女子」、高裁も「名誉毀損」 賠償命令を維持」である。これはいただけない。この見出しだけだと、東京MXが被告になっているように誤解されかねない。DHCの責任が浮かび上がってこない。
この番組を巡っては、BPO放送倫理検証委員会が 東京MX に対して、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表。遅れてのことだが、 東京MX は番組の放送を打ち切り、辛淑玉さんに不十分ながらも謝罪している。DHCが頑強に、謝罪もせず、番組の削除もしなかった結果が訴訟での決着となった。朝日の見出しは、「東京MX」を「DHC」か「DHCテレビ」とすべきではなかったか。
毎日の見出しも、面白くない。「『ニュース女子』訴訟、制作会社に550万円賠償命令 東京高裁」である。「制作会社」とはそりゃ何だ。「DHC」も「DHCテレビ」も出て来ない。デマとヘイトの企業に、いったい何を遠慮しているのだと言いたくもなる。
当然のことながら、沖縄の報道は辛口である。沖縄タイムスは「沖縄差別 裁判問えず 辛さん勝訴 笑顔なし ニュース女子訴訟」と見出しを打った。辛さんが、「沖縄に対して申し訳ない気持ちもある」と言った点に、沖縄からの共感である。
そして、琉球新報が下記のとおり伝えている。「『プチ勝訴』ニュース女子制作会社が主張、上告も示唆 控訴審判決受け」という見出し。この明らかな敗訴判決を「プチ勝訴」というDHC側の異常な感覚を曝け出している。
「ヘイトスピーチ反対団体の辛淑玉共同代表への名誉毀損を認めた東京高裁の控訴審判決を受け、被告側のDHCテレビジョンが3日午後、東京高裁前で番組の収録を行った。同社の山田晃代表(社長)は「プチ勝訴」などと主張する一方、「金銭的な部分で不服」として賠償責任を負う点に不満を示し、上告を示唆した。
勝訴とは言わない。プチ勝訴と考えている。山田代表は同日午後の控訴審判決後、東京地裁前に姿を現し、報道陣に独自の主張を展開した。「プチ勝訴」とした理由について、同社ホームページで掲載を続ける番組の削除が命じられなかった点を挙げた。一審に続き550万円の賠償命令が出た点には「会社としてはね、やっぱり1円でも」「金銭的な部分で不服とするのは当然」と述べて「不当判決」とした。今後の方針を問われると「もうワンチャンスある」「上告に向けて検討する」として、「事実認定」の変更が期待しにくい最高裁の判断に望みを懸けた。」
この会社の体質がよく表れている。判決理由で「放送内容の真実性は認められない」「現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で『韓国人はなぜ反対運動に参加する?』などとテロップで表示されている。だから『在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない』とされていることに何も反省しないのだ。一・二審とも、謝罪文の言い渡しを命じられていることにも意に介している様子はない。
この会社は、つまりはDHCとその経営を牛耳っている吉田嘉明は、根っからのレイシストである。法や判決で命じられない限り、「ヘイトのどこが悪いか」と居直る体質なのだ。一つは判決で、そしてもう一つは良識ある民衆の批判とDHC製品不買で矯正するしかない。
(2022年6月4日)
1989年6月4日早朝、北京天安門広場とその周辺に集まった無防備・無抵抗の群衆に人民解放軍が襲いかかった。「人民からは針一本、糸一筋も盗まない」ことで、人民からの信頼を得てきた中国共産党の人民解放軍であった。人民から生まれ、人民とともにあるはずの人民解放軍。その人民解放軍が人民に銃を向け発砲したのだ。何のためらいも、容赦もなく。
天安門広場に集まった大群衆は、党と国家の民主化を求めていた。この人たちが銃撃され、夥しい死傷者を出した。殺戮されたのは広場に集まった学生や市民ばかりではない。民主主義や人権という文明の普遍的価値も虐殺された。以後、中国は民主主義や人権とは無縁の野蛮国となる。そして人民解放軍は、人民の軍ではなく、党幹部の私兵となった。
この日、私の中での重要な何かが崩壊した。だんだんとそれが、明確になってきたように思う。私は楽観主義者だった。人類の歴史は、人権の尊重・民主主義・平和を軸に、進歩し発展するに違いない。長い目で見れば、中国も人権・民主主義の社会になるだろう。しかし、天安門事件の衝撃は、私の楽観論を打ち砕いた。永く、中国に理想の未来を期待していただけに、落胆は大きかった。
この衝撃の「事件」だけでなく、事後の対応にも許しがたいものがある。我々が、日本の保守勢力を「歴史修正主義」と非難していることを、中国共産党もやったのだ。事件そのものがあたかもなかったごとくに、事実を語る言論は統制され、歴史は塗り替えられようとしている。これが天安門以後の中国共産党の実像である。
中国には「天安門の母」というグループがある。天安門事件で子供を殺害された親らの会。1日、この「母の会」がネットに声明を発表した。平和的なデモに軍を出動させ「自国民を虐殺した」と非難し、改めて真相や責任所在の解明を共産党・政府に求めた。
中国共産党は、民主化を求めた人々の運動を『反革命暴乱』とし、「党と政府は旗幟鮮明に動乱に反対して社会主義国家の政権を守った」と言っている。中国共産党にとって、人民の民主化運動は『反革命暴乱』なのだ。これが、権力の本質なのだ。
ところで、中国には「天安門の母」があるように、ロシアには「ロシア兵士の母」という会があって政府にもの言うことで知られている。かつて、日本には「靖国の母」「九段の母」があった。いずれも、流行歌としても歌われている。下記は、歌謡曲「九段の母」の2番の歌詞である(作詞・石松秋二)。発表は1939年、太平洋戦争開戦の2年前である。
空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
神とまつられ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに
「天安門の母」は息子の死に憤り、「ロシア兵士の母」も軍の横暴にものを言う。ところが、「九段の母」は息子の死を「母は泣けます うれしさに」というのだ。恐るべし、天皇制のマインドコントロール。
(2022年6月3日)
昨日、日本維新の会が夏の参院選に向けたポスターを発表した。「改革。そして成長」をスローガンに掲げ、松井一郎と吉村洋文の写真を並べた。
維新の関係者によると、スローガンには当初「決断そして実行」を掲げる予定で調整していた。ところが自民党が1日、岸田文雄首相の写真に「決断と実行」と大書した参院選ポスターを発表。かぶりを避けるために、急遽変更したという。いったい、この事態をどう理解すればよいのだろうか。
維新の所業についての情報は宮武嶺の下記ブログが最も詳細で信頼できる。そして、宮武の歯に衣きせぬ対維新評価は常に私の感覚に近い。「維新の悪党ぶりは宮武嶺に聞け」というのが私の確信である。
https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9a183ef7ac9955068fd87659e7285bf2
本日の宮武嶺ブログが、案の定立派なものだ。その一部を引用させていただく。
「自民党とそっくりの選挙ポスターを作ったマヌケな維新の会の松井一郎代表(笑)。ろくに決断も実行もしない岸ダメ政権と、ろくな決断と実行をしない日本イソジンの会だと、丙丁つけがたい(笑笑)
冒頭の画像は、参院選に向けて日本維新の会が用意していたポスターと自民党のポスター。自民党が先に発表したのを見たら、自分たちのとクリソツ(「決断と実行」と「決断そして実行」)なので維新はびっくり!(笑)
そりゃ、「野党でもユ党でもなく悪党」の維新の会は、特に安倍・菅政権のころは自民党と一心同体でしたから、こういうことも起こります(笑)。
そしてあわてて、作り直したというのですが、2文字のそれらしい熟語ならもうなんでもいいというwww
新自由主義政党なので、「分配」だけは絶対入れないwww
それにしても、日本維新の会の参院選向け公約の右傾化ぶりは自民党を超えていまして、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえると称して、自民党の「反撃能力」そっくりの、国民を守れる「積極防衛能力」を整備すると言い出し、「中距離ミサイルや軍事用ドローンをはじめとする新たな装備を拡充する」というんですよ。
【#維新は日本一の悪党】日本維新の会が岸田政権に「核共有」の議論を求める提言。防衛費をGDP2%に倍増することも要求。無能な維新は余計な事は考えずコロナ死者最多の大阪の問題に取り組め。
しかも、国民の人権を制限する緊急事態条項は憲法に創設、防衛費は国内総生産(GDP)比2%への倍増、憲法9条に自衛隊を明記。そのうえ、米国の核兵器を日本に配備し運用する「核共有」政策を含めた拡大抑止の議論を日米間で開始するとしていて、自民党さえためらった核共有検討を堂々と入れています。
まさに、日本に必要ない有害政党、それが日本維新の会と言えるでしょう。
安倍元首相と橋下徹氏の「核共有」構想は非核三原則違反であるばかりか、憲法にもNPT条約にも原子力基本法にも反する違法行為。ところが松井一郎代表が「非核三原則は昭和の価値観」と言い出した(笑)。
それにしても、日本維新の会って毎回公約が行き当たりばったりの思い付きですし、だいたいが自民党のパクリですよね。
そして、常に自民党よりちょっと言い過ぎてみるという、ほんとに政界の害虫みたいな存在です。」
維新を「野党」でも「ゆ党」でもない、その反憲法的な姿勢は「悪党」であるというのは、言い得て妙である。維新を自民の補完勢力と位置づけるのは、今や正しくない。その独自の「反憲法的」「反人権的」「反民主的」姿勢は、「政界の害虫みたいな存在」というべきであろう。
宮武嶺のますますの健筆を期待したい。
(2022年6月2日)
日本民主法律家協会の機関誌『法と民主主義』(略称「法民」)か好調である。
「法民」は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌。(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。
毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っている。憲法、司法、原発、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいている。
定期購読も、1冊からのご購入も可能である。お申し込みは、下記からお願いしたい。(1冊1000円)。
お申し込みは、下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
とりわけ、本年2月ロシアのウライ侵攻以来の改憲世論に抗しての護憲の論調の堅持は、貴重な役割を担うものとなっている。最近の特集記事は、以下のとおり。
「法と民主主義2022年2・3月号」【566号】
●特集『最高裁裁判官国民審査』
「法と民主主義2022年4月号」【567号】
●特集『公害弁連発足50周年記念集会 「被害者とともに50年」』
― 公害弁連の闘いの継承と未来への展望 ―
法と民主主義2022年5月号【568号】
特集●ロシアのウクライナ侵略に抗議する ― 9条徹底の立場から
そして、このほど発売の「法と民主主義2022年6月号【569号】の特集記事が、特集●「全国で広がる憲法運動」である。目次は以下のとおり。
◆特集にあたって … 編集委員会・飯島滋明
◆5月3日にみんなで日本国憲法を読む会/
十勝平和市民の会
◆医療9条の会・北海道
◆道南地域平和運動フォーラム
◆宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会
◆マスコミ・文化 九条の会 所沢
◆安保法制に反対するママの会@ちば
◆さつきが丘9条の会
◆調布九条の会「憲法ひろば」
◆市民連合 めぐろ・せたがや
◆新宿平和のための戦争展実行委員会
◆本郷湯島九条の会
◆宗教者九条の和/
平和をつくり出す宗教者ネット
◆明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)
◆戦争させない・9条壊すな!
総がかり行動実行委員会 青年PT
◆本牧・山手九条の会
◆おだわら・九条の会
◆戦争しない・させない・
平和がいい市民の会(ピースアクションうえだ)
◆不戦へのネットワーク
◆西農憲法集会/9条の会・おおがき
◆みえ市民連合連絡会
◆岡山での憲法運動
◆ピースリンク広島・呉・岩国
◆山口での憲法運動
◆平和といのちをみつめる会
◆長崎県平和運動センター
◆平和憲法を守る会・大分
◆佐賀県平和運動センター
◆鹿児島県護憲平和フォーラム
◆宮古島での憲法運動
◆石垣島での憲法運動
◆特別掲載
インタビュー・参院選で平和を守る勢力の前進を 困難乗り越え「統一」を … 中野晃一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈6〉
書評『学問と政治 ── 学術会議任命拒否問題とは何か』 … 藤谷道夫
◆連続企画・憲法9条実現のために(38)
「9条改憲の流れを絶て! 自民党改憲を許さないキックオフ院内集会」より
講演・改憲論議の作法と9条擁護の理由 … 愛敬浩二
◆司法をめぐる動き〈74〉
・「女たちの安保法制違憲訴訟」 ── 東京地裁が見せた異常な訴訟指揮と判決 … 中野麻美
・4月の動き … 司法制度委員会
◆判決ホットレポート
表現の自由をまもる歴史的な札幌地裁判決 ── 道警ヤジ排除訴訟 … 神保大地
◆メディアウオッチ2022●《「憲法」をどうするのか》
ここで世論を作り直そう メディアは「第三者」ではない … 丸山重威
◆改憲動向レポート〈№41〉
5月3日憲法記念日にむけての各党の談話・アピール等を中心に … 飯島滋明
◆インフォメーション
『日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案』(公選法並び3項目改正案)の
拙速な審議採決に反対する法律家団体の声明
◆時評●平和的生存権と予防外交 … 大脇雅子
◆ひろば●改憲問題対策法律家6団体連絡会の近時の活動 … 辻田 航
今だからこその特集であ。ぜひ、ご購読をお願いしたい。
(2022年6月1日)
私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。
亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。
坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。
私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。
その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。
坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。
その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。
私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。
そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。
一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。
もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。
幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。
このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。
結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」
これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。