澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

2か月先に迫った、大阪府市首長のダブル選。争点は、カジノ誘致反対の一点であろう。

(2023年2月8日)
 統一地方選が近い。全国の政治地図は、どう塗り替えられるのだろうか。
 全国ではなく局地的な選挙戦としては、大阪の知事選・市長選(4月9日)が大きく耳目を集めることになるだろう。大阪府下で育った者としても関心を持たざるを得ない。このダブル選、わずか2か月先のことである。報じられている情報をまとめてみた。

 府知事選は、現職の「イソジン・吉村」に、辰巳孝太郎と谷口真由美が挑む構図だが、どちらも反維新。大阪で反維新勢力が割れてしまってどうする、どうして共闘できないのかと、やきもきせざるを得ない。

 かつて、維新は、大阪都構想を「一丁目一番地」の看板政策とし、非維新連合に敗れた。今さら、その蒸し返しはあるまい。だが、「大阪都構想・反対」を軸とする非維新共闘を困難にもしているという。

 ダブル選挙の最大の争点は、夢洲のカジノ誘致への賛否であろう。賭博場を作って、博打のテラ銭での地域振興策など、真っ当な感覚からはありえない政策ではないか。真っ当ならざる維新の提案は、さもありなんではあっても、これが府民に浸透するだろうか。そして、辰巳が「カジノ反対」を鮮明にしているのに比して、谷口が「カジノには慎重」な微温的立場と報じられているのが気にかかってならない。

 谷口を擁立した、「アップデートおおさか」は1月に設立届を府選管に出したばかり。自民党や立憲民主党に、ウィングを広げて「非維新」勢力の結集を目指すという。谷口がカジノ反対と言わない歯切れの悪さは、自民党や関西財界への思惑からのことであろうか。こういう構図にしかならない、大阪の政治状況がもどかしくてならない。

 しかし、カジノ誘致・建設反対の住民の声は高い。現在、国が計画を審査しているが、夢洲では液状化や地盤沈下の恐れが指摘され、ギャンブル依存症の問題も懸念される。

 昨年、カジノに反対の市民団体が19万筆超の署名を集めて住民投票条例案が府議会に提出されたが、維新などの反対で7月に否決されている。このマグマは、けっして冷えてはいない。しかし、この過程で自民党は必ずしも旗幟鮮明ではなかったという。「誘致に賛成の府議団と反対の市議団で態度が割れている」とも報じられている。

 もう一つの政策課題が、「教育無償化」である。これまでも維新は教育無償化についてたびたび触れ、政策として主張してきた。しかし、その主張に対して「あまりにミスリード」と批判の声が上がっているという。

 1月29日放送のNHK『日曜討論』で、番組に出演した維新の藤田文武幹事長は番組内で「いわゆる0歳から大学までの高等教育までの無償化というのは大阪限定ですが実現しました」という発言をした。

 今この「ミスリード」が叩かれている。「国が全国一律に事業としてやっていることを、さも大阪だけが実現できたといっている」と。

 「大阪でやっている教育費の無償化というのは私立高校の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)と大阪公立大学の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)だけです。そのほかの無償化というのは国が全国一律にやっていること。こうした維新の『無償化キャンペーン』とも言えるミスリードは、過去にも繰り返されてきたという。

 今は、維新の「教育完全無償化」キャンペーンに惑わされず、カジノ誘致反対で維新を追い詰めてもらいたい。そう、切に望むしかない。

「同性婚」も「選択的夫婦別姓」も、少しも恐れることはない。

(2023年2月7日)
 昨年末までの臨時国会は「統一教会国会」だった。年が明けの今通常国会は、思いがけなくも「LGBT国会」の趣を呈しつつある。明らかに、前国会の空気と通底してのこと。まことに結構なことではないか。

 統一教会の正式名称は「世界平和統一家庭連合」、略称を「家庭連合」としている。「家庭」は「反共」とともに、教団の教義を支えるキーワードの一つである。統一教会と自民党右派勢力は、いずれも「家庭」を旧社会の秩序を支える基礎単位と見た。その共通の理解によって、両者は緊密に癒着した。

 この両者にとっての「家庭」とは、「伝統的・家父長制的家族像」と結びつき、個人の人権や自由、平等を抑圧する場でしかない。このような前世紀の遺物である特殊な家庭観からは、「LGBTへの理解」も「選択的夫婦別姓制度」も、あるべき社会の秩序を破壊するものとして、容認しえない。

 統一教会とそのイデオロギーが強く糾弾された今、冷静に「『家庭』重視に藉口したLGBT差別や選択的同姓強制制度の不合理」を考える好機とすべきであろう。同性婚にも、選択的夫婦別姓制度にも、いまや反対しているのは、統一教会と癒着していた自民党右派だけなのだから。

 混乱を招いている自民党の中心に岸田文雄という人物がいる。この人、何の信念も持たない人の典型に見える。あっちにおもねり、こっちに忖度しているうちに、今や自分が何者であるかを、完全に見失っている。防衛問題しかり、経済政策しかり、そして「LGBT」や「同性婚」「選択的夫婦別姓制度」問題においてしかりである。

 彼は、2月1日衆院予算委で、同性婚の法制化を求める立場からの立憲民主党西村智奈議員質問に対して、こう答弁している。

 「極めて慎重に検討すべき課題だ」「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だからこそ、社会全体の雰囲気にしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」

 つまり、同性婚を認めれば、「社会が変わってしまう」と述べたのだ。これが、彼の信念から出た言葉なのか、党内安倍派へのおもねりによるものであるかは、おそらく彼自身にも分からない。そして、どちらでもよいことだ。

 その2日後、荒井勝喜首相秘書官が、オフレコの会見で性的少数者や同性婚をめぐり問題発言に及ぶ。

 「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「秘書官室もみんなが反対している」「同性婚を認めたら国を捨てる人がでてくる」

 「首相だけではなく、僕だって(LGBTは)見るのも嫌だ」というのだ。「首相だけではなく、秘書官室もみんなが(同性婚に)反対している」だけでなく、「同性婚を認めたら、首相が『社会が変わってしまう』と言った通り、日本を捨てる国民が出てくる」とも言う。つまり、すべては秘書官として、首相の発言をフォローしたつもりだったのだろう。あるいは、徹底しておもねりの姿勢を見せたとも言うべきだろう。これが、岸田の言いたかった本音と読むこともできる。

 このオフレコでの発言が記事になって、世の空気が変わった。事態を重く見た首相は4日に荒井を更迭。その差別発言について「不快な思いをさせてしまった方々にお詫び申し上げる」と陳謝した。「まったく政府の方針と反しています。国民に誤解を生じたことは遺憾だ」「言語道断」とも言ったが、何とも白々しい。

 この事態への対応策として、自民党は一昨年お蔵入りしていた「LGBT理解増進法案」を、埃を払って持ち出してきた。茂木幹事長は会見で、「一昨年の場合、国会の日程で(LGBT理解増進法案の)提出には至らなかった。(今国会で)法案提出に向けた準備を進めていきたい」と語ったという。さて、そんな程度で治まるものか。

 なお、一昨年5月自民党が法案提出を見送ったのは、国会の日程の都合ではない。「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」とする目的と基本理念に、右派の議員が声高に反対したからだ。安倍晋三亡き今、どうなるだろうか。

 なお、首相の念頭には、今年5月のG7サミットが消えない。同性婚を認めていないのは、G7の中で日本一国だけである。理念ではなく、信念からでもなく、ただただ面子のために何とかしたいところのごとくである。

 ところで右翼とは、個人の自立や自由、多様な生き方を否定する立場を言う。秩序が大好きで、常に権力的統制に親和性を示す。この人たちは、同性婚や選択的夫婦別姓の制度が出来ると、社会が崩壊すると心配するのだ。岸田も、荒井も、社会が壊れる、国民が国を見捨てると心配している。

 この心配性の人たちに、「明日も太陽は昇る」と訴えたニュージーランド議会の名演説が今また、日本のネット上で再び注目されて話題になっている。その人、モーリス・ウィリアムソン議員はこう言っている。

 「社会の構造や家族にどのような影響を与えるのか心配し、深刻な懸念を抱く人たちがいるのは理解できる」。しかし、「法案は愛し合う2人が結婚でその愛を認められるようにするという、ただそれだけのことだ」「(法案が成立しても)明日も太陽は昇る。あなたの十代の娘は何でも分かっているように口答えするだろう。あなたの住宅ローンは増えない。世界はそのまま続いていく。だから大ごとにしないで」

 ニュージーランドには、今日も太陽が昇っている。日本を除くG7の国々にも。

「こんな仕打ちをするこの国を見ろ。こんな国に、まだいたいのか?」ー 国とはいったい何だろう。

(2023年2月6日)
 本日の毎日新聞朝刊1面トップに、「ウイグル族学者、消息なく」「ためらう娘に『米へ行け』 出国寸前、空港で拘束」というインタビュー記事。これは、渾身の告発記事である。トップに据えられるだけの迫力に満ちている。訴える力をもったドラマだ。読む人の胸を撃つ。そして、考えさせる。

 ちょうど10年前、2013年2月の北京空港。娘と一緒にアメリカ行きの搭乗手続を済ませた父が、出発直前で当局に拘束される。父は、泣きじゃくる18歳の娘の背を押して、一人でアメリカへ行かせようとこう言う。

 「周りを見ろ。あなたにこんな仕打ちをするこの国を見ろ。こんな国に、まだいたいのか?」

 娘は、アメリカに知り合いはなく、英語もほとんど話せない。アメリカがよい社会だから行け、というのではない。中国に絶望して、この国を出ろというのだ。こんなにも人を不幸にする国家とはいったい何だろう。中国は、どうして、いつから、「こんな国」になってしまったのだろうか。自由や人権の普遍性は、なにゆえかくも無力なのだろうか。こんな状態はいつまで続くのだろうか。手立てはないものだろうか。

 記事は、1面トップと7面に分かれている。ネットでは有料記事だが、URLは以下のとおり。
 https://mainichi.jp/articles/20230206/ddm/001/030/132000c

 娘の背を押した父とは、ウイグル族の経済学者イリハム・トフティさん(53)。ノーベル平和賞の候補に毎年名前が挙がる人だそうだ。娘は、ジュハル・イリハムさん(28)。二人は、あの日北京の空港で生き別れた。

 その後娘は、苦難を乗り越えて英語を学び大学を卒業して、いま世界の労働者の権利擁護を訴える団体で、新疆ウイグル自治区の人権問題を訴える活動を続け、父イリハム・トフティさんの解放を求め続けている。

 北京の空港で拘束された父は、その後自宅軟禁の状態に置かれ、14年1月当局に突如身柄拘束の上起訴される。同年9月には「インターネットを使って新疆の独立を呼びかけた」などとして国家分裂罪で無期懲役刑を言い渡された。さらに、17年に家族がウルムチの刑務所で面会したのを最後に消息が途絶えているという。その後、どこかに移送されたのか、今も生きているのかも分からない。中国とは、とうてい近代国家ではない。

 この父は無期懲役を言い渡された翌日、面会に訪れた弁護士にこう言った。「拘束されてからの8カ月間で、昨日が一番よく眠れた」。弁護士がいぶかって聞くと「死刑になると思っていた。無期懲役だ。まだ希望はある」と言ったという。ジュハルさんによると、父は自分の死が漢族とウイグル族の間に憎しみを生まないことを願っていた。

 中国政府は、ウイグル族らへの人権侵害は起きていないと否定し、黒人差別などの問題を抱える米国などが中国を批判するのは「ダブルスタンダードだ」と反発する。ジュハルさんは「どんな社会も完全ではない。だが、自己を見つめ、過ちを改善することができるのが民主主義だ。中国では間違いを指摘することもできない」と語り、こう続けた。「中国にはそもそもスタンダードがない」。あるのは中国共産党の意思だけだ。

 あの時、北京の空港で「また必ず会おう」と約束した親娘が再会できるときは来るのだろうか…。それは、歴史がどう遷るかにかかっている。

「オロカモノ」と叫べば、我が身に返ってくる。こだまでしょうか、いいえ丸川珠代。

(2023年2月5日)
 ある言葉が、ある人やその人生と緊密に結びついてる例はいくつもある。「それでも地球は回っている」「地球は青かった」「賽は投げられた」「二十にして已に朽ちたり」「不可能という言葉はない」「自由は死なず」「予は危険人物なり」「難波のことは夢のまた夢」「ケーキを食べれば」「見るべきものは見つ」「寸鉄人を刺す」「薄氷を踏む」「待ちかねたー」「もっと光を」「母は来ました今日もまた」「バカヤロー」「天罰」「ガチョーン」「アイーン」「シェー」…等々。

 こういう特定の人と結びついた言葉の豊穣の中に、もう一つ新しい言葉が加わった。「愚か者」である。今や、丸川珠代の専売特許。この人の性格や人生と深く結びついたものとなってしまった。正確には、「この愚か者めがー!」「このくだらん選択をしたバカ者どもを絶対忘れん!」というフレーズ。一度、彼女の口から放たれたこの言葉が、13年を経て彼女のもとに回帰してきた。無数の人の口からの「おまえこそ、愚か者だ!」という矢になって。「エラそうにくだらん言葉を発したバカ者を絶対忘れん!」という、重量級の返し矢もあったようだ。

 我が身を省みれば、人を愚か者と謗ることは憚られる。が、敢えて言わざるを得ない。この人にはまったく知性というものが感じられない。丸川は議場でのヤジで注目を集めた軽薄な政治家の典型である。数々の知性欠如のエピソードでも知られる。「オロカモノー」の批判を浴びて当然、その批判が生涯つきまとう宿命なのだ。この宿命は、安倍晋三との出会いから始まっている。人生、どこに不幸な躓きがあるか、予測しがたい。

 安倍晋三も「政治の私物化」「嘘とゴマカシ」「アンダー・コントロール」などの言葉と緊密に結びついて後世の人々の記憶に残ることになる政治家である。丸川珠代の「愚か者」とともに、それぞれの刻印が後世にまで消えることはない。

 丸川の「この愚か者めが!」は、2010年3月、参院厚生労働委員会で子ども手当法案採決の際の絶叫である。丸川に「愚か」と言われた法案は、民主党政権による所得制限なしの子ども手当導入だった。のち、自民党政権復活後に結局所得制限が導入されたが、この度、自民党が民主党政権時の政策を復活する方針を出して、丸川の「愚か者」発言をブーメランにすることとなった。

 ここで、丸川が「自民党執行部がなんと言おうとも、『所得制限なし法案』は愚か極まる」とがんばれば首尾一貫する。この人にも知性はあったのだと納得することにもなったはず。だが、しおらしく自らの過去の醜態を反省する弁を述べることで、みっともなさの極みとなった。そして、知性に欠けることの再確認ともなったのだ。

 自民党は、丸川珠代の「この愚か者めが」という野次はお気に入りだったようで、「この愚か者めが」とプリントしたTシャツを作成して1500円で販売。民主党バッシングの小道具に使っていた。丸川だけでなく、自民党の知性と品性の欠如も問われなければならない。

 武闘派・丸川は、「愚か者」に続いく同年5月の参院本会議では、当時の鳩山由紀夫首相に対し「ルーピー」と野次を飛ばした。「ルーピー」とは、ワシントンポストが鳩山首相を酷評する際に使用した蔑称だった。通常は、品のない言葉を発することを恥ずかしいと思うところだが、丸川はこんな品性のない野次を売り物にした政治家だった。そして、安倍自民党も、これに悪乗りしていた。

 2013年の参院選の公示日、安倍晋三は、再選を目指して立候補した丸川を応援して、「『この愚か者めが!』『ルーピー!』発言で注目を浴びた丸川珠代さん、出陣です」とツイートしている。安倍晋三と丸川珠代、そして「愚か者」のお似合い三者。仲良きことは美しきかな。

 しかし、物事にも人にも、功罪両面がある。丸川珠代、けっして「罪」ばかりではない。社会的には、それなりの「功」も記さねば公平ではない。この人、学歴は東大経済学部卒業だという。「しかし」と逆接の接続詞を用いるべきか、「だからこそ」と順接でいうべきか、あるいは「だからと言って」「それでいて」というべきか、よく分からないが、知性に欠けるのだ。

 これまでのこの人の看板は、東大卒・自民党・安倍晋三の3枚だった。実は、この3枚とも、大した看板ではないことを丸川が身をもって実証してくれた。東大卒で、自民党公認で、安倍晋三のオトモダチだから…?、それがどうした? 何の恐れ入ることがあろうか。むしろ、東大卒・自民党・安倍晋三の3枚とも、「愚か者」とよくお似合いなのだ。これは、大きな「功績」ではないか。

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 以下は、「愚か者」丸川珠代の愚行の一端である。あらためて申し上げるが、こんな人物を東京都民は、当選させた。しかも、3回にわたって。本当の「愚か者」とはいったい誰なのだろうか。

?「えっ? 私の選挙権がない」事件
 丸川の初当選は、2007年7月の参院選。安倍晋三の要請を受けた形で、東京都選挙区に立候補した。7月16日、新宿区役所に期日前投票に行ったところ、丸川は選挙人名簿に登録されておらず、同区における選挙権を有していなかった。そのため、投票できずに、真っ青になったことが大きな話題となった。さらに、2004年にアメリカ合衆国から帰国して以来、6回の国政・地方選挙でまったく投票に行っていなかったことも明らかとなった。それでも、被選挙権は認められ、こんな候補者を都の有権者は国会議員に選出した。

?丸川政務官問責決議事件
 厚生労働大臣政務官だった丸川は、2013年2月、人材派遣会社ヒューマントラストの新聞広告に登場して「日雇い派遣の原則禁止は見直すべき」と発言し、さらに3月15日の衆議院厚生労働委員会で「見直しは省の見解」と答弁した。
 その誤りを野党に追及されて、撤回し陳謝した。この問題を受け、厚生労働委員会は理事会で、丸川に答弁をさせない「謹慎扱い」を全会一致で決定、さらに全会一致(もっとも、自民・公明は欠席)により可決された。

?福島第一原発事故失言事件
 自民党が政権に復帰し、丸川が環境相を務めていた2016年2月、政府が除染の長期目標に掲げた「年間1ミリシーベルト以下」の基準をめぐって、以前の民主党政権を批判する文脈で「何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」などと長野県松本市内の講演で発言した。「年間1mSv以下」の数値は、人工放射線による一般人の年間追加被曝限度を「1mSv/年」とした国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づいて定められたもの。この発言は大騒ぎを引き起こした末に、丸川は「福島をはじめ被災者の皆様に誠に申し訳なく、心からおわび申し上げたい」「(講演での発言は)事実と異なっていた。当日の福島に関する発言を、すべて撤回する」と表明した。

?「カフェスタ」事件
 2015年7月13日放映の自民党のネット番組「カフェスタ」に丸川珠代は安倍晋三とともに出演。丸川は「世界一周の旅行のピースボート。あのピースボートに乗っていたのは、民主党の辻元清美議員でございますが、海賊が出る海域を通るときにたしか、自衛隊に護衛してくれって頼んで、自衛隊に守ってもらったんですよね」と発言。安倍も「海賊対処のための法案を出したときも、民主党は反対でした。しかし実際にいざ危なくなると、助けてくれと、こういうことなんだろうなと思いますね」と調子を合わせた。これが実は、事実無根。辻本は丸川の発言に抗議。7月14日、丸川は辻元を訪ね、直接謝罪した。自民党も詫び状を提出。画像も削除された。

「王様は裸だ」ー 天皇も同じことなのだ

(2023年2月4日)
 「週刊新潮」。かつては大嫌いな保守メディアだった。その取材と報道姿勢を唾棄したこともある。が、この頃、齢のせいなのだろうか。あんまり目くじら立てるほどのこともない、と思えるようになっている。もちろん、絶対に身銭を切ってこの雑誌を購入しないという決意に変わりはないのだが。

 最新号の新聞広告に、『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という記事の見出しが、楽しそうに躍っている。この見出しの付け方、なかなかの出来ではないか。

 週刊新潮には、皇室ネタが多い。とりわけ、秋篠宮長女の結婚問題については、ことのほかの熱心さだった。おそらくは、売れ筋のネタを、もっとも売れるようにさばいて書いたのだ。読者の側から見れば、あの素材を、あのように調理してくれることを望んだということである。

 週刊新潮に限らず、皇室ネタ記事の多くは、皇室・皇族に対する敬意はさらさらにない。表面上は敬語を使っても、内容に遠慮はない。読み手は皇室尊崇の記事などまったく期待していないからだ。「やんごとないお家柄でも、嫁と姑の葛藤は庶民と変わらないのでございますね」「おいたわしや」「おかわいそうに」と言いつつ、実はイジり、貶めて溜飲を下げているのだ。

 『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』の記事については、ネットで多少読める。

 『「陛下専用のベッドに寝そべり…」「“玉座”に座って記念撮影」 皇宮警察OBが明かす衝撃の不祥事
 「互いに高御座に座って携帯で写真を撮り合いました」 天皇陛下や皇族方を最も身近でお守りすべき「皇宮警察」で、皇族方への陰口や、パワハラ、不審者侵入などの事態が頻発していることを、これまでも「週刊新潮」は報じてきた。そして今回紹介するのは、即位の礼で用いられた玉座・高御座に座って写真を撮るという悪ふざけが皇宮警察内で常態化していた、という驚きの証言である。

 「即位の礼」で用いられた「高御座」 皇宮警察はここに座って写真を撮るという悪質なイタズラを行った。自らの“悪事”を打ち明けるのは、さる皇宮警察OB。(略)昨今の「バイトテロ」も真っ青、常軌を逸した悪ふざけと言うほかない。…皇室への敬意も職務への忠誠心や緊張感もまったく感じられない数々の振る舞い。

 ―2月2日発売の「週刊新潮」では、大幹部である護衛部長らが口にしていた雅子皇后への侮辱的な陰口の中身や、皇族に関する根拠のないうわさが吹聴されていた事件などと併せて報じる』

 この記事は、皇室・皇族に対する社会一般の関心の持ち方を反映したものに違いない。もちろん、今の世に天皇家を神代から連綿と連なる神聖な存在と思う人がいるはずはない。天皇は敬愛の対象でもありえない。ナショナリズムのシンボルというのも既に無理がある。積極的に、天皇を税金泥棒と悪口を言うことははばかられるが、陰湿な陰口・イジメの対象としてこれ以上のものはない。

 『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という見出しの付け方が、事情をよく物語っている。自分の言葉として、天皇の子を「クソガキ」とは言えないが、他人の言葉の引用としては「クソガキ」と言いたいのだ。天皇家に生まれる「親ガチャ」はけっして羨ましいようなものではない。

 あらためて思う。これほどまでに揶揄の対象とされる、皇室や皇族とはなんだろうか。私は、冗談ではなく本心から「気の毒に」「かわいそうに」と思わざるを得ない。

 またこうも思う。実は戦前も、多くの大人たちが天皇や皇室・皇族を揶揄の対象と見ていたに違いない。天皇を神の子孫であり現人神とする「教え」を本気で信じていたはずはない。しかし、天皇を神とする権力の押しつけや、社会的な同調圧力には抗することができなかった。多くの人々が、天皇や皇室・皇族を神につながる一族と信じる振りをせざるを得なかったのだ。権力にとって、臣民どもに天皇の神性や神聖性を心から信仰させる必要は必ずしもなかった。一億臣民に、そのように信仰している振りをさせることができれば、それで十分だったはず。

 アンデルセンの「裸の王様」は、恐い話である。本当の自分の姿がわからない愚かな権力者への揶揄の話としてでなく、「王様の裸」に気付きながら、「王様は裸だ」と言わずに、「いかめしくも神々しい衣装をまとっている王様」が見えるような振りをし続けなければならない民衆の比喩の話としてである。

 さて、週刊新潮。もしかしたら、「王様は裸だ」と触れ回っているのかも知れない。ならば、たいしたメディアではないか。

ミャンマーの国軍に抗議を、民主派に支援を。

(2023年2月3日)
 2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが起きた。その前年の総選挙の「不正」を口実に、国軍がアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権幹部らを拘束、全権を奪った。
 国軍の政治的影響力の回復や、ミン・アウン・フライン総司令官の個人的野心が背景にあったとされる。全土に大規模な抗議が広がると国軍は武力で制圧し、事態改善の兆しは見えないまま2年が経過した。

 現地の人権団体「政治犯支援協会」は1日、クーデター後今年1月末までに市民2940人が国軍に殺害され、1万3763人が今も拘束されていると発表した。戦慄すべき事態である。多くの民主派の若者らは地下の武装闘争に入り、国境地帯での戦闘や都市部でのゲリラ攻撃などで抵抗していると報じられている。我が身のこととなったら、どうすればよいのだろうか。

 クーデター2年目の2月1日、民主派はこの日、外出をせずに経済活動を止める「沈黙のストライキ」を呼び掛け、最大都市ヤンゴンでは、多くの人がその「消極的抵抗戦術」に参加して抗議の意思を表明したという。

 ところが、ミャンマー国軍は、この日夜放送の国営テレビで、「2021年2月のクーデター時に発令した非常事態宣言を6カ月延長する」と発表した。ミン・アウン・フライン最高司令官が引き続き全権を掌握し、今年8月に実施すると約束されていた総選挙は先送りとなる。民主派の武装勢力の抵抗で治安が悪化したことが理由とされているという。

 ミャンマーの憲法は、非常事態宣言の期間について、「最長で2年」と定めているという。だから、1月31日をもって期間満了となったのだが、国軍は憲法裁判所が今回の宣言延長を「合憲」と判断したとしている。おそらくは、今後も同様の理由で宣言延長を繰り返し、国軍による強権支配が長期化するだろうと報じられている。政権に独立性を持たない裁判所とは、独裁の横暴にお墨付きを与えるにすぎない存在となるのだ。

 1日、国外に居住しているミャンマー人が、それぞれの居住地で、国軍の支配に抗議する集会を開いたことが報じられている。日本の各地でも集会があった。那覇でも、この日の夜、在沖縄ミャンマー人会が、那覇市ぶんかテンブス館前広場で訴えたという。

 参加者らは「ミャンマーが平和になるまで力を貸してほしい」「日本政府は国軍とのつながりを断って、民主化への働きかけを強めてほしい」と切実に呼び掛けた。留学生や技能実習生など約60人が参加したという。

 これに対して、通りがかった日本人から、「自分の国に帰って(デモを)やれ」などと、心ないやじを飛ばす場面があったという。集会参加者は、「現地でやりたいが、軍に抗議する市民は殴られ、撃たれる」と説明、「悲しくなったけれど、私たちもミャンマーのことを自分たちで解決しないといけないことは分かっている。日本の人々には日本政府に『国軍とのつながりをやめて』ということをお願いしたい」と訴えた。

 なお、この日林芳正外務大臣は談話を発表し「アウン・サン・スー・チー氏を含むすべての当事者の解放など、政治的進展に向けて前向きに取り組むことなく、非常事態宣言をさらに延長したことを深刻に懸念する」「わが国を含む国際社会のたび重なる呼びかけにもかかわらず、今なお暴力によって多くの死傷者が発生している状況を改めて強く非難する。ミャンマーの平和と安定を回復するため、すべての当事者に暴力の自制と平和的解決に向けた努力を求める」として、ミャンマーの人たちに対し積極的に人道支援を行っていく考えを示している。

 ミャンマーの事態から、何を学ぶべきだろうか。まずは、軍隊というものの危険性である。軍隊は、必ずしも外国の軍隊と闘うとは限らない。国内の人民に銃を向ける危険を常に持っているのだ。この危険な軍事組織を、どのように民主なコントロール下に置くことができるか、常に配慮しなければならない。

 そして、人権に関しての国際的な連帯や支援の必要である。ウクライナだけではなく、ミャンマーの人々にも、そして香港にもウィグルにも、イランにもアフガニスタンにも、支援の手が差し伸べられなければならない。

ヘイトスピーチ批判の記者への奇妙な判決。「私は少しも萎縮しない」

(2023年2月2日)
 一昨日(1月31日)、横浜地裁川崎支部で、やや奇妙な判決の言い渡しが報じられている。この奇妙な判決、統一地方選を目前にした今、軽視し得ない。

 「選挙ヘイト」という言葉は以前からあったのかも知れないが、4年前の統一地方選挙戦で大きな問題となった。差別を専らにする団体が候補者を立て、選挙運動の名を借りて、大っぴらに差別をあおるヘイトスピーチが行われた。選挙制度が想定してこなかった事態である。我が国の民主主義の成熟度が劣化していることを象徴する現象と言ってよい。

 差別的言動で知られる桜井誠を党首とする「日本第一党」なる政党が、2019年4月の統一地方選挙に、12の地方議会議員選に候補者を擁立した。当然のごとく全員落選ではあったが、彼らはけっして当選を目指して立候補したわけではない。彼らの目的は、選挙による言論の形式を借りて、差別的言論を有権者に発信しようということなのだ。ヘイトスピーチの場の獲得を目的とした立候補と言ってよい。

 このとき、「日本第一党」は、川崎市議選に公認候補は立てなかったが、佐久間吾一という人物を大っぴらに支援した。この人、2回目の立候補。選挙公報に「保守系政党の主催する政治塾の塾生として政治に関する勉強と人脈を広げてきました」とある。そして「不法占拠池上町の解決」「表現の自由弾圧条例絶対反対」などを公約に掲げている。彼が反対する「表現の自由弾圧条例」とは、民族差別のヘイトスピーチ規制条例のこと。要するに、「ヘイトスピーチを規制するな」というのだ。

 この選挙での佐久間の得票は959票で落選だった。最下位当選者の得票の約4分の1で、得票率は1・4%。ヘイトに反対する立場の市民団体からは、「(佐久間候補は)第一党と組んだことで差別する目的がはっきりし、当て込んだ保守層の支持も得られなかったのでは」とみられている。

 この選挙が終わった後に、名誉毀損損害賠償請求の提訴があった。日本第一党の支援を受けた佐久間のヘイトスピーチ被害者が裁判を起こしたのではない。佐久間が原告となって、佐久間のヘイトスピーチを批判した新聞記者(神奈川新聞の石橋学記者)を被告とした裁判である。しかも、提訴は2件起こされ、併合して審理され判決になった。新聞社は被告にされていない。

 併合前の各事件の請求金額はいずれも140万円で、併合されて合計280万円となった。1件は石橋記者が執筆した神奈川新聞の記事が、もう1件は街頭での選挙演説現場における石橋記者の発言が、原告の名誉を毀損したと主張されている。

 判決の結論は、「神奈川新聞記事」の正当性を認めて請求棄却としたが、「選挙演説現場における記者の発言」の一部は違法とされ15万円の支払を命じた。これは信じがたい、表現の自由に対する裁判官の感覚を疑わざるを得ない。

 この点について、東京新聞の記事を引用する。
 「判決などによると、佐久間氏は19年2月の集会で川崎区池上町について『旧日本鋼管の土地をコリア系が占拠』『共産革命の拠点』などと発言。記事は(この発言を)『悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗(ひぼう)中傷』と断じた。判決は、記事は公益目的であり重要な部分について『真実』として請求を退けた」

 「一方、同年5月の街頭演説中に石橋記者が『デタラメを言っている』などと指摘した発言については、『虚偽やデタラメと一方的に断じることはできない』として請求を認めた」

 石橋記者の『デタラメを言っている』は、もとより同記者の意見ないし見解である。その発言が名誉毀損に当たるか否かは、背景事情や具体的な状況によって左右される。仮に、名誉毀損に当たるとしても、その意見の前提となる事実の真実性の立証は十分に可能ではないか。

 「石橋記者の弁護団は『判決は記者の批判の正当さを認めた。池上町の住民の名誉は守られた』と評価。その上で演説中の名誉毀損の認定は『取材や批判を萎縮させ、表現の自由を揺るがす』として東京高裁に控訴する方針を示した」という。控訴審に期待したい。

 2013年から川崎市内でヘイトデモが激化。これに対抗する反差別の運動が高まり、国のヘイトスピーチ解消法や市条例の制定につながったという。

 「石橋記者は『外国人には選挙権もない。法律や社会を変えられるのは(われわれ)多数派だけだ』と確信し、取材を続けている。判決を受けて『声を上げてくれたマイノリティーの勇気と犠牲によって、差別を批判し、命を守る記事を書いてきた。私は少しも萎縮させられないし、萎縮しない』と話した」(東京新聞記事より)

 「私は少しも萎縮しない」という石橋記者。その意気や良し、である。この記者の意気に応えて、高裁判決も「その理念や良し」「その憲法感覚や良し」となってほしいものである。

「法と民主主義」2・3月号紹介 ー 「軍事大国への大転換阻止を ― 安保3文書改定をめぐって」

(2023年2月1日)
 2月となった。本日は、光の春の趣き。本日の毎日朝刊に、「きさらぎ」の語源を「衣更着」とするのは間違いという。寒さが強調される時季ではなく、むしろ、春に向けて草木が更に生えてくるという意味での「生更木(きさらぎ)」が正しいと述べられている。

 「生更木」が正しく「衣更着」は間違いとは何とも不粋な断定。たしかに、季節感には「生更木」が合っているが、それでも長年にわたって馴染んできた「衣更着」は捨てがたい。「正しい」「間違っている」とは、いったいどういうことなのだろう。

 これまで長年にわたって馴染んできた「自衛隊違憲論」も、「専守防衛」政策も、今や様変わりした防衛環境下では「間違っている」というのが、新安保三文書の立場。正しいのは、「軍事大国への大転換」であり、「敵基地攻撃能力の保有」である。そのためには「大軍拡・大増税」が不可避だというのだ。とんでもない。戦争への道の押し付けは御免を被る。

 そこで、1月末に発刊の「法と民主主義」(2023年2・3月号【576号】)である。ぜひお読みいただきたい。その特集が、「軍事大国への大転換阻止を ― 安保3文書改定をめぐって」である。

 この特集は、岸田内閣が強行しようとする防衛戦略を、歴史的に紐解き、その内容を詳細に検討して、日本の平和のためではなくアメリカの軍事戦略上の要請であるという本質を明らかにし、その危険が沖縄・南西地域に集中する実態を暴き、経済・財政面からの極端な不適切を明らかにする。そのことを通じて、憲法原則から如何に逸脱するかを明らかにして、「軍事大国への大転換」への対案としての外交のあり方、平和の作り方を論じる。時宜に適った特集として、自信をもってお勧めしたい。

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特集●軍事大国への大転換阻止を
― 安保3文書改定をめぐって

◆特集にあたって … 編集委員会・飯島滋明
◆「安保3文書」にいたる道 … 前田哲男
◆改定された安保政策3文書の危険性 … 大内要三
◆岸田大軍拡路線の本質 … 布施祐仁
◆安保関連3文書改訂と沖縄 … ?良沙哉
◆抜本的軍事費の増加・生存権とわが国財政 … 熊澤通夫
◆安保関連3文書の憲法学的検討 … 小沢隆一
◆新外交イニシアティブ(ND)提言「戦争を回避せよ」
── 対米外交の鍵は在日米軍基地の「事前協議」 … 猿田佐世
◆どのようにして平和を実現するのか … 稲 正樹

◆連続企画・学術会議問題を考える(8)
  【緊急特集】市民と法律家の力で日本学術会議法改悪を阻止しよう
◆司法をめぐる動き〈81〉
 ・2022年参議院議員通常選挙 選挙無効確認請求事件
   ── 国会議員主権国家から国民主権国家へ … 伊藤 真
 ・12月の動き … 司法制度委員会


◆連続企画●憲法9条実現のために(43)
 経済安全保障法の経済面での懸念点 … 阿部太郎
◆メディアウオッチ2023●《静かな「独裁者」》
  「平和国家」から「軍事国家」へ メディアはまたも戦争に加担するのか … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№18〉
 そこにいる当事者のために … 金井清吉先生×佐藤むつみ
◆インフォメーション
 ・改憲問題対策法律家6団体連絡会パンフレットのご案内
 ・敵基地攻撃能力の保有などを新方針とする安保関連三文書改定の閣議決定に抗議する法律家団体の声明
◆時評●社会保障を受ける権利に関し後退禁止の原則を認めない司法判断の危険性 … 今野久子
◆ひろば●第6回「『原発と人権』全国研究・市民交流集会in ふくしま」の開催に向けて … 海部幸造

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