大阪高裁の「受刑者の選挙権剥奪違憲」判決をどう見るか
公職選挙法11条1項2号は、「禁錮以上の刑に処せられその執行を終るまでの者」について「選挙権及び被選挙権を有しない」と定めている。この規定によって、服役中の受刑者には選挙権が与えられていない。選挙犯罪に限らない。政治犯であろうと過失犯であろうともだ。なお、1項1号には「成年被後見人」と書き込まれていたが、本年5月31日の法改正で削除されている。
受刑者の一律選挙権剥奪を違憲として争った訴訟の控訴審判決の言い渡しが昨日(9月27日)大阪高裁であった。受刑者であったために選挙権を行使できなかった原告(控訴人)の主張に対して、「『受刑者の選挙権を一律に制限するやむを得ない理由があるとは言えない』と指摘。受刑者をめぐる公選法の規定が、選挙権を保障した憲法15条や44条などに違反するとの初判断を示した」などと報道されている。
判決文そのものが閲覧できないのでもどかしいが、原告の請求は、(1) 次回における選挙において投票できる地位の確認と、(2) 過去の選挙において選挙権の行使ができなかったことによる慰謝料の国家賠償、の2点であったようだ。
これに対して、一審大阪地裁の判断は、(1)については服役が終了しているので訴えの利益を欠くから不適法な訴えとして却下、(2)については受刑者の選挙権を一律に制限するやむを得ない理由がないとはいえないとして違憲の主張を退けて請求を棄却したようだ。
ところが、昨日の大阪高裁の判断は違った。まず、選挙権について「議会制民主主義の根幹をなし、民主国家では一定の年齢に達した国民のすべてに平等に与えられる」と原則を述べ、選挙権の制限はやむを得ない理由がなければ違憲になるとする最高裁大法廷判例の基準に沿って判断すると枠組みを設定した。そのうえで、受刑者について、「過失犯など、選挙権の行使とは無関係な犯罪が大多数だ」と認定。国側の「受刑者は著しく順法精神に欠け、公正な選挙権の行使を期待できない」とする主張を退け、単に受刑者であることを理由に選挙権を制限するのは違憲だと結論づけた(以上、判決内容は主として朝日の報道による)。
但し、控訴審判決の主文は「控訴棄却」だった。原告の敗訴である。(1)の請求については一審と同じ理由で却下し、(2)の請求については、違憲論とは別に、公務員の違法行為が必要な要件となるところ、国会議員の立法不作為の違法までは認められない、としたからだ。
この点の報道は、「判決は、『受刑者の投票権の制限に関する問題が独立して国会で議論され、世論が活発になっていたとは認められない』と指摘。『国会が正当な理由なく長期にわたり規定の廃止を怠ったとは評価できない』とした」というもの。
つまり、原告の「違憲な法律が放置されてはならないのだから、国会議員がこれを改正せずに放置した不作為が公務員としての違法行為にあたる」という主張が排斥されたのだ。立法不作為の責任の壁は、高くて厚い。判例では、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである」とされる。
最高裁は、2005年9月「在外邦人選挙権制限違憲訴訟」では、この例外的場合にあたることを認めて、一人5000円の慰藉料請求を認めた。また、「次回選挙における投票をすることができる地位の確認」も認めた。今回との違いは、違憲や制度改正の論議の成熟度ということであろう。
とすれば、この判決をきっかけにした法改正の動きが進行しない場合には、立法不作為による違法の責任が認められることになる、と言ってよい。
在外邦人、成年被後見人、そして受刑者へ。選挙権拡大の流れは着実に進んでいると見るべきであろう。一票の格差についても、最高裁の積極姿勢が見える。婚外子差別違憲判決も出た。これらをもって最高裁の司法消極主義からの転換と見てよいのだろうか。
「裁判所は変わった」という意見がある。最近の最高裁は、かつてよりも違憲判断に躊躇しない姿勢を見せているという積極的評価である。これに対して、「それは、天下の形勢に影響しない範囲でのことでしかない」という反論がある。体制の根幹にかかわるような問題についての司法消極主義はまったく変わらない、との否定的な評価である。おそらく「変化」自体は認めざるをえない。問題は、「どの範囲の、どのような変化となりうるか」である。もう少し、事態を注視しなければならないだろう。
(2013年9月28日)