特定秘密保護法は、地雷埋設と同様の危険行為である。
特定秘密とは地雷である。どんな地雷がどこに仕掛けられているかは厳重に秘匿される。それゆえの恐怖の効果によって「敵」の進軍を防ぐことが可能となる。同様に、どこにどのような処罰対象の特定秘密があるかは秘匿される。それゆえの絶大な威嚇効果が、国民の国家情報へのアクセスへの萎縮効果を招くことになる。
地雷を踏んで初めて、地雷が仕掛けられていたことが明らかになる。同様に、逮捕され起訴されて初めて、当該の情報が処罰対象の特定秘密であったことが判明するのだ。
地雷を踏んだ兵士の犠牲によって、個別の地雷の位置と性能は明らかになるが、地雷原の広さは分からない。さらに無数の地雷が存在しているであろうという恐怖が、進軍を防止する効果を高める。同様に、個別の特定秘密漏洩事件の処罰も、その現実化した恐怖が国家権力による国家情報へのアクセス禁止の威嚇効果を高め、国民のあらゆる情報へのアクセスの努力について、さらなる萎縮効果をもたらすことになる。
特定秘密保護法が地雷敷設にたとえられるのは、その危険性と埋設自体の秘匿がもたらす恐怖が近似しているからである。ところが、特定秘密保護法案を提出した政府与党の頭の中は、「自軍の地雷の所在を漏洩したり探知して公表することが利敵行為として処罰の対象となるのは当然ではないか。国家秘密漏洩や教唆も同じこと」というものであろう。実は、それが大間違いなのだ。
本物の地雷の破壊力は「敵軍」に向けられるものだが、特定秘密保護法の危険は自国民の権利に向けられる。自国民に向けられた地雷の付設が許されてよいはずはない。さらに、地雷の敷設は開戦後の戦時下に限られるところ、特定秘密保護法は平時に猛威を発揮する。戦時下特定の限られた局面では、地雷の埋設が合理的な防衛措置となる場合があるかもしれない。しかし、だからといって、平時に猛威を発揮する特定秘密の保護と同列に論じてはならない。戦争は絶対に回避しなければならないし、日本国憲法は一切の戦争を禁じている。
地雷埋設情報と特定秘密。その秘匿の合理性の異同を考えるに際しては、「現実に戦争になった場合には」との前提であってはならない。あくまでも、「万が一にも戦争など起こしてはならない」とする基本視点からの考察でなくてはならない。すべては、戦争を防止する視点からの立論を当然とする。戦時を想定しての地雷敷設が、戦争の想定を許さない平時における法制と「同じこと」であってよいわけわけがない。
さらに、自国の「自衛」のための軍備の増強は、近隣諸国の疑心を招き相手国の「自衛」のための軍備の増強の引き金となる。お互いの「自衛」の軍備増強が、お互い相手国に「自衛力増強」の必要性を語らせることになる。同様に、「安全保障の法整備」の強調も、「防衛秘密保護の立法」も、近隣諸国の疑心を招き相手国の「自衛」のための軍備の増強の要因をつくり出す結果となる。
特定秘密保護法の制定は、平時において国民の知る権利を侵害して民主々義に危険を及ぼすだけでなく、戦争を招き寄せる危険性をも孕むものである。その意味で、法の制定自体が地雷の埋設と同様の危険な行為なのだ。
(2013年11月4日)