ああ、香港。ああ、新疆。嗚呼、「中国的民主」。そして、ああ日本。
(2021年12月31日)
2021年が暮れていく。その歳の境目で考える。いったい、世界は進歩しているのだろうか。実は、恐ろしく退歩してしまったのではないだろうか。ロシアはウクライナの国境に10万の軍を集結して一触即発と伝えられている。クーデターを起こしたミャンマー国軍の蛮行は止まるところを知らない。そして香港である。本日も、香港行政当局が民主的新聞社を襲撃し、幹部7人を逮捕したというニュースが流れている。逮捕状は、山梨大学の教員にも出されているという。
【香港・時事】によれば、香港警察の国家安全維持部門は29日、200人以上を動員して「立場新聞」のオフィスを捜索し、当局は関連資産6100万香港ドル(約9億円)を凍結した。同紙は同日、廃刊を発表した。
これ以上はない典型的な、権力による言論弾圧というほかはない。容疑は「扇動的な出版物発行の共謀」と報じられている。警察は、逮捕理由を「2020年7月から今年11月、香港政府や司法への憎しみを引き起こす文章を発表した」と説明したという。
同紙が、政府の転覆を企てたというわけではなく、虚偽の報道をしたというわけでもない。「香港政府や司法への批判」は、中国共産党にとっては「憎しみを引き起こす文章の発表」として許容し得ないのだ。これが「中国的民主」である。さすが習近平、焚書坑儒の故事に倣ったのだ。我が身を秦の始皇帝になぞらえてのこと。
あらためて思う。「人はパンのみにて生くるものに非ず」という箴言を。
中国共産党は「小康社会を実現したその成果を見よ」「人民は自由も民主も望んでいない。その望むところはパンであり、経済的な利益への均霑である。中国共産党は十分にこれに応えた」と胸を張っているのだ。
しかし、これは14億の民を家畜かペットと勘違いしているのではないか。人にはそれぞれの尊厳があり、精神生活が不可欠である。人が人である以上、自分で選択した情報を得ることも、その情報に基づいて意見を述べることも、そして支配されているだけでなく能動的に政治参加することも基本的な欲求なのだ。おそらくは習政権、かならずこのことを思い知ることになるだろう。それがいつであるか、具体的に指摘できないことが歯がゆい。
国内はどうだろうか。安倍壊憲政治の後遺症は余りに大きい。モリ・カケ・サクラ・クロカワイ、そして学術会議である。何一つ本当何が起こったのか明らかになっていない。尻尾は切って、トカゲのアタマは何の責任もとろうとしない。このようなときに、「野党は批判ばかり」という安倍応援団のバッシング。国民は民主主義社会の主権者としての未成熟を露呈した。新しい年も、おそらくは変わり映えしない状況が続くことになるのだろう。元気の出ない、さして目出度くもない正月になりそうだ。
このブログは、今年も毎日欠かさず365日書き続けた。出来のよいのばかりではないが、とにもかくにも2013年4月1日以来の連続更新は本日で3197回となった。明日から、足かけ10年目に入ることになる。引き続きのご愛読をどうぞよろしく。
そしてみなさま、よいお歳をお迎えください。加えて、人権にも民主主義にも、平和にも、よい歳でありますように。