「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」
(2021年12月30日)
以下、管原龍憲さん(浄土真宗本願寺派僧侶)のフェスブック記事からの引用である。紹介に値する一文であると思う。
「仏教教団の多くが戦時中、戦没者に「軍人院号」という特別な称号を与え、顕彰したことはあまり知られていない。真宗大谷派の門徒である西山誠一さんは父の戦死から半世紀を経て、院号を教団へ返還することを願い出た。「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」という信念からだ。
真宗大谷派、本願寺派教団は近代以降、戦時奉公を統括する部署を設け、さまざまな側面より戦争協力を行ってきた。そのような戦争協力の一環としてあったのが「軍人院号」であった。「国のためといえども宗派として侵略戦争をたたえてよいのか」。西山さんは2001年に父親の院号法名を教団に返還し、法名のみ再交付するよう願い出て翌年認められた。真宗大谷派では初のケースで、返還当時の宗務総長は「戦争責任の検証が不徹底だった」と表明した。現在も同派では、住職を目指す僧侶が使う教材に問題の経緯を詳しく記載し、戦争協力の一断面として伝えている。
西山さんは院号を返還した後も、父が祀られている靖国神社への合祀取り消し請求訴訟に参加し、「仏教と戦争」の問題を問い続けている。」
私(澤藤)は、決して墓地巡りを趣味にしているわけではない。が、時折墓地で墓石を見詰め、見知らぬ人の生と死に思いをめぐらすことがある。墓石には、俗名が彫ってあることも、戒名や法名が書いてあることもある。ときに戒名の上に院号というものが付いている。「平和院 反戦居士」「立憲院 人権大姉」というが如くにである。
院号を得るには相当の喜捨を必要とするというのが俗世の常識。墓石の大小や院号の有無で、人は死後も格差に晒され続けることになる。遺族は死者が肩身の狭い思いを続けることのなきよう、喜捨をはずむことになるのだ。
この貴重な院号が、戦没者には無償で提供されていたという。特定の宗派に限ったものではなく、仏教教団の多くが「軍人院号」を付与したというのだ。私はその実物を見たことがないが、「忠節院」「武勇院」「尽忠院」「報国院」などと言うものであったろうか。
靖国に合祀された戦死者の多くは、故郷の寺院の檀家の子弟であったろう。国家からは神に祀られ、地域の仏門からは格式の高い「院」とされたのだ。国民総動員体制における戦死者(遺族)への厚遇である。
このような宗教による戦死者の慰霊ないしは追悼・供養には、当然に世俗的な意図があった。言わずもがなではあるが、靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略軍の神社であった。戦死者を天皇への忠誠故に「英霊」として顕彰し、戦死者を顕彰することによって、戦争を美化するとともに、戦死を厭わない将兵の戦意を高揚したのだ。諸宗教の多くは、国策に迎合することで、その身の安泰をはかった。教義は天皇神話や靖国に沿うべく修正もされた。これを肯んじなかった「まつろわぬ」宗教は、徹底して弾圧された。
管原さんが紹介する西山さんの言葉、「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」は至言である。戦争賛美の装置の中心に靖国があったが、この装置は、教育やメディアや、靖国以外の宗教や、地域共同体との連携において、その本来の役割を発揮した。
そして今なお、戦死の美化を通じての軍国イデオロギー鼓吹をたくらむ勢力があとを絶たない。まずは、極右の安倍晋三。そして賑々しく靖国参拝を重ねようという右翼議員の面々。
無数の西山誠一さんの活躍に希望を見出したい。