澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

追悼・安倍晴彦さん ー 良心を貫き「犬にならなかった」裁判官。

(2022年2月1日)
少し遅くなったが、「法と民主主義」2022年1月号【565号】のご紹介である。
https://jdla.jp/houmin/index.html
ご注文は、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

特集●2021年総選挙を総括する
◆特集にあたって … 「法と民主主義」編集委員会
◆総選挙結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆野党共闘の課題はなにか ── 市民連合から見えるもの … 福山真劫
◆曲がり角の選挙報道をどうしていくか
 外れた予測とメディアの影響・効果 … 丸山重威
◆女性議員の現状と展望 … 角田由紀子
◆投票環境をめぐる法的問題点 … 飯島滋明
◆2021年衆議院議員選挙無効訴訟の意義 … 平井孝典
◆諸悪の根源、小選挙区制の廃止を展望する … 小松 浩
◆改憲発議の動きに対し法律家は何をなすべきか … 南 典男
◆特別寄稿 第25回最高裁裁判官国民審査をふりかえって … 西川伸一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈4〉
 学術会議問題とは何か? ─ 〈任命拒否問題〉と〈あり方問題〉と ─
                     … 小森田秋夫
◆司法をめぐる動き〈70〉
 ・「沖縄の怒りではない 私の怒り」
  ──「沖縄高江に派遣された愛知県機動隊への公金支出の違法性を問う住民訴訟」の名古屋高裁逆転勝訴判決をめぐって … 大脇雅子
 ・10/11/12月の動き … 司法制度委員会
◆追悼●安倍さんを追悼する … 北澤貞男
◆メディアウオッチ2022●《「編集の独立」の意味》
 問われる「メディアの財源」 ジャーナリズムはいかにして可能か … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№9〉
 「冤罪」の背骨を持つ … 秋山賢三先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№37〉
 「憲法改正も、本年の大きなテーマです」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆「針生誠吉基金」設立にあたって ── 「法民」の継続発行のために … 佐藤むつみ
◆時評●新型コロナ感染拡大に思う … 間部俊明
◆ひろば●司法改革のわすれもの ── 男女共同参画の現在地 … 小川恭子

 今月号の記事の中から、北澤貞男さん(元裁判官)の「安倍晴彦さんを追悼する …」を、ご紹介(抜粋)したい。安倍晴彦さんは、その出自も学歴も出世コースを歩むに申し分のない人だった。が、権力や時流への迎合をよしとせず、司法行政当局から疎まれて「見せしめ」とされた人。それでも泰然として裁判官としての良心を貫いた生き方を示して尊敬を集めた文字どおりの先達である。その生き方は、自著『犬になれなかった裁判官』(NHK出版)に詳しい。
 温厚な人柄で、この書のタイトルを気にしておられた。「自分が発案した書名ではないんですよ。立派な裁判官をたくさん知っていますが、他の裁判官を犬になってしまったと思っているんだろうと誤解されかねませんのでね…」とお話しされていた。

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 安倍晴彦さんが亡くなりました。
 それを知らされたのは奥方みどりさんからの葉書でした。その文面は、「夫晴彦は9月19日に88歳で旅立ちました。緊急事態宣言が出ておりましたし、遺言に従い、家族だけで見送りました。本人は常々『いろいろなことがあったが、どんな時でも、尊敬する先輩、友人、仲間の方々に支えられてここまでくることができた』と申しておりました。生前は本当にお世話になりました」というものでした。
 この2、3年では、守屋克彦さん、竹田稔さん、花田政道さんに次ぐ訃報でした。

 安倍さんは14期、守屋さんは13期、竹田さんは10期、花田さんは9期で、私は18期です、青法協会員裁判官に対するいわゆる赤攻撃が開始されたのは1967年で、私が判事補になって2年目の夏過ぎでした。この理不尽な攻撃にどう対抗するかを検討する過程で、先輩も後輩もなく真剣に議論をしました

 私の初任地は岐阜地家裁でしたが安倍さんは1968年4月には和歌山地家裁から岐阜地家裁に転勤となり、1年間は同じ裁判所に勤務しました。安倍さんから自然に薫陶を受けることになりました。
 
 そして1971年3月31日最高裁は宮本康昭さん(13期)の判事補再任を拒否して判事に任命しませんでした。これは憲法尊重擁護の義務を自覚する裁判官の良心を骨抜きにする思想攻撃・パージでした。

 宮本さんの次は安倍さんが危ないと予想されました1972年3月当時安倍さんは福井地家裁におられ私は横浜地家裁におりました。内外から再任拒否に反対する行動が起こされ、安倍さんは再任拒否を免れました。任官(新任)拒否は定着してしまいましたが、裁判官の再任拒否は定着を回避することができました。

 安倍さんの任地は福井地家裁の後は横浜地家裁、浦和地家裁川越支部、静岡地家裁浜松支部、東京家裁八王子支部で、1998年2月2定年退官しました。高裁勤務もなく、合議の裁判長を経験することもありませんでした。人事当局から完全に干されたと見ざるを得ません。しかし安倍さんは泰然とし島流しにされた敗軍の将のようでした。花田さんが、かつて「安倍君は大将の器だ。僕はせいぜい参謀だ」と語ったことを覚えています。

 安倍さんは2001年5月にNHK出版から『犬になれなかった裁判官 ― 司法官僚統制に抗してして36年』を出版しました。自らの裁判官生活を基礎に裁判官論を展開し、「今後の司法改革の論議、運動の前進のために少しでも役立つことがあれば、というのが私の期待である」とあとがきの最後に書かれています。安倍さんは「権力の犬になってはならない」と時に口にしておられたので、犬になれなかった裁判官とタイトルをつけたのだと思います。安倍さんらしいタイトルの付け方だと思います。

 安倍さんは日本国憲法下の裁判官として定年まで良心を貫いた人です。まさしく「見せしめ」ではなく、「篝火」(青法協裁判官会員誌の題名)でした。(北澤貞男)

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