独裁者へのへつらいと、毅然たる批判と。ロシア・アスリートの好対照。
(2022年3月9日)
プルシェンコという人物をご存知だろうか。ロシア人のフィギュアスケート選手で、かつてのスーパースターだという。このアスリートが、6日インスタグラムにこんな投稿をしたと報道された。
毎日7日夕刊の見出しが、「私はロシア人。人種差別をやめろ」。投稿の内容は、「私はロシア人。人種差別をやめろ」「ロシア人であることに誇りを持っている」「ジェノサイド(民族大量虐殺)をやめろ。ファシズムをやめろ」
私は、この見出しと投稿文だけを読んで、不覚にも勘違いしてこう思った。「ロシアのスーパースターもプーチンを批判している」「アスリートの世界にも、骨のある立派な人がいるもんだ」と。「2月24日以後」の今、民族差別も、ジェノサイドもファシズムも、プーチン・ロシアの専売特許になっている感があるのだから。大したものだ、プルシェンコ。
ところが、これは一瞬だけのことだった。共同配信の毎日記事の最後は、「ロシアのウクライナ侵攻に対する批判に反発したとみられる」と結ばれている。他紙の見出しも、「プルシェンコ氏がロシア批判に反発」という。よく読めば、なんだまったく逆じゃないか。つまらぬ奴だ、プルシェンコ。
もう少し詳細な報道では、プルシェンコは英語とロシア語でこのメッセージを投稿したという。英語で記された記事の全文は以下の通りとされている。
「私はロシア人です! 私はロシア人であることに誇りを持っています!私はロシアのハバロフスク地方で生まれました。私は長い間、ヴォルゴグラード=スタリングラードに住み、サンクトペテルブルクで競技生活をしていましたが、現在はモスクワに住んで働いています。
私は過去4大会のオリンピックで4つのメダルを祖国であるロシアにもたらしました。
私はロシア人です!人種差別、ジェノサイド、ファシズムはやめよう!」
これに続くロシア語で記した部分では、以下の文章が付加されているという。
「ロシア人よ!顔を上げて前へ進もう。恥ずかしがらず、ロシア人であることに誇りを持ちましょう!」
このメッセージは英語の文章にはなく、ロシア語文だけにあるという。
プルシェンコには、今月2日にも、インスタグラム投稿があり、国際スケート連盟(ISU)が国際大会からロシアとベラルーシの選手を除外したことに対し、「スポーツと政治を混同してはならない」と否定的な意見を投稿し、さらに同じ投稿で「私は(プーチン)大統領を信頼しています」と述べているという。プーチン礼賛? こりゃダメだ。まったくダメな奴。
さらに、プルシェンコは、次のようなインスタグラムの複数投稿に「いいね」をしていると報道されている。
「今のあなたの国(ウクライナ)には、市民を思いやり、考え、生活をより良くしようとする指導者がいない」「ゼレンスキー(大統領)は世界との繋がりを失っている。今日ではなく、長い間だ。彼は統治しているのではなく、統治されている。彼への信頼は失われた。正しく思慮のある行動を1つもしなかったからだ」「ウクライナの平和な市民よ! ウクライナ軍よ! 裏切り者や盗賊から共に国を解放しよう!」
プルシェンコよ、キミは今、ロシアの何を誇ろうというのだ。国境を越えて軍事侵攻したのはロシアではないか。無差別に市民を攻撃し殺傷し、ジェノサイド状態を作り出しているのはロシアではないか。国内からの批判の言論を恐れて強力な報道規制に及んだのはプーチンではないか。200万人ものウクライナ難民の恨みを買っているのは、プーチンのロシアではないか。いま、どうして、ロシア人であることを誇れるというのだ。どうして、プーチンが信頼できるというだ。
アスリートとて、全部が全部ダメな奴ばかりではない。デイリー新潮の報道によれば、女子テニスのロシア選手パブリュチェンコワは、厳しくプーチンを批判しているという。逮捕されかねない恐れにとどまらない、場合によっては生命の危険をも賭してのこの勇気ある発言には感嘆するほかはない。こういう人の存在こそが、真にロシア人の誇りではないか。
「女子テニス世界ランク14位で昨年の全仏オープンで準優勝したアナスタシア・パブリュチェンコワ(30)が、《母国そのウクライナ侵攻に対する意見を述べた。米ヤフースポーツが報じている》と伝えた。
《「小さな頃からテニスをしてきた。人生でいつもロシアを代表してきた。これが我が家で母国。しかし、私は完全な恐怖の中にいます。私の友人も家族もそうです。しかし、私は自分の立場を明確にすることに恐れはありません。私は戦争と暴力に反対します。個人的な野心や政治的な目標で暴力を正当化することはできない(後略)」》
プルシェンコのごとき政権追随の発言がなぜ出て来るのだろうか。国策によって育てられた、典型的なステートアマの精神の貧しさでもあろうが、むしろ報道統制の影響を考えざるを得ない。要するに無知。政権のプロパガンタ以外の情報は耳にはいらないのだ。
報道統制には敏感でありたい。報道を規制している政権は絶対に信用してはならない。それにへつらっている連中もである。
そして、パブリュチェンコワ。どうして、専制国家にあって、こんなにも敬すべき理性と勇気を備えた人が育つのだろうか。その人となりを知りたいし、その姿勢を学びたいと思う。