澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

国軍の本質は国家の存立を擁護するにあり。他国の戦いにはせ参ずるごときはその本質に反す。

正午ころ、ぽとりと郵便受けに投函されたものがある。封筒に入った「坂のまちだより」。毎月欠かさずに届けられるが、ポスティングする方をお見受けしたことはない。

「坂のまち」とは、文京の町の異名。本郷台、白山台、小日向台、小石川台、関口台などの台地の尾根と、元々は谷や川だった道路とを結んで多くの坂がある。名前のついている坂の数が120を超えるとか。

その「文京」の、「九条の会」機関紙が「坂のまちだより」。手作り感、地元密着感が魅力のA4・1枚に裏表の印刷物。題字は、芝増上寺法主の八木季生さんの筆になるもの。それに、「『憲法は宝』文京の町から憲法九条の声を響かせます」との惹句が添えられている。

今号の一面は、内藤功さんの「集団的自衛権の問題について」の寄稿。紹介に値するものとして、以下に一部を抜粋する。

「集団的自衛権とは、『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利』です。『自衛』ではありません。『他衛』です。憲法9条の下で、集団的自衛権行使が許されるわけはありません。

1939年当時、海軍省軍務局長として、日独伊軍事同盟に反対した井上成美大将は、1946年1月、海軍将官の反省会で語っています。『国軍の本質は、国家の存立を擁護するにあり。他国の戦いにはせ参ずるごときは、その本質に反す。第一次大戦に日本が参戦せるも邪道なり。たとえ同盟軍が、他より攻撃された場合に於いても、自動的参戦は絶対に不賛成にして、この説は堅持して譲らざりき』

集団的自衛権行使を許せば、自衛隊が海外で『武力行使をしない』『戦闘地域に行かない』という二つの歯止めは外され、自衛隊が『戦闘地域で』『戦闘に従事する』ことになります。」

内藤功さんは、1945年4月奈良県の海軍経理学校橿原分校入校という経歴をもつ。本土決戦に備えて、棒地雷を持って戦車に飛び込む自爆攻撃の訓練をしていたという。銃剣術の訓練では、南方の陸戦隊帰りの兵曹長が「内地ではこんなワラ人形でやってるが、戦地では、捕虜を突いている。心臓を一撃で刺す。エグルように抜く」と話していたそうだ。

その内藤さんにとって、「最後の海軍大将・井上成美」の言葉は当時に於いて重い響きをもっていたにちがいない。その人の言葉が68年の時を経て、今、安倍政権の下において、新たな意味をもって生き返ることとなった。

井上は、こう言っている。
安倍政権は国軍の本質を知らない。国家の存立を擁護することこそその本質的任務であって、国家の存立を擁護することと無関係に、他国を侵略することも、他国の戦いにはせ参ずる集団的自衛権行使のごときも、国軍の本質に反する。第一次大戦に日本が参戦せるは邪道であったが、今また安倍政権はその邪道に一歩を踏み出す過ちを犯そうとしている。たとえ同盟軍が、他より攻撃された場合に於いても、我が軍の参戦は絶対に不賛成にして、この説を堅持して譲ってはならない。

いま、井上成美が世にあらば、安倍晋三をしかり飛ばしたであろうか。はたまた精神注入棒で活を入れたであろうか。いや、諄々と不心得を説きあかしたであろうと思われる。

「たより」の読後、確かに、文京の町に響いた憲法九条の声が聞こえた。
(2014年6月17日)

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Published in 火曜日, 6月 17th, 2014, at 19:15, and filed under 集団的自衛権.

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