教育勅語は臣民の義務の根拠たりえたのか
先日、ある集会にお招きいただき、改憲問題についてお話しをしたときのこと。
現行憲法の、「国民の三大義務」が話題になって、大要次のような発言をした。
「三大義務」とは、納税と教育と労働とに関するもの。しかし、近代立憲主義が貫徹している日本国憲法では、正確な意味での「国家に対する国民の憲法上の義務」はありえない。納税の義務を定めている憲法30条「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」は、「適正な法律の定めによらなければ課税されない国民の権利」を定めたものと読むべきだろう。憲法27条1項の「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」も、義務よりは雇用機会創出を求める国民の権利規定であろう。
教育に至っては、かつては国家のイデオロギー刷り込みを受容すべき臣民の義務であったが、現行憲法26条は国民の教育を受ける権利を明確化して、権利義務の関係を逆転させた。「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」は体系的には違和感のある規定。
現行憲法が第3章を「国民の権利及び義務」としたのは、旧憲法第2章「臣民権利義務」に引きずられたからに過ぎない。いまも「三大義務」などというのは、旧憲法時代の「臣民の三大義務」(納税、兵役、教育)の言い回しを踏襲したからなのだろう。旧憲法時代には、憲法上の「三大義務」でよいだろうが、現行憲法体系においては本来的な憲法上の義務を考える必要はない。教える必要も覚える必要もない。」
これに関連して、会場から質問が出た。
「旧憲法には、納税、兵役の両義務については根拠規定があったが、教育の義務についての定めはなかった。にもかかわらず、『臣民の三大義務』と並べられた根拠はどこにあるとお考えですか。」
私が、常識な回答をする。「憲法と同格の教育勅語による義務と考えてよいのではないでしょうか。」「ほかには根拠を知りません。」「1872(明治5)年の学制発布はどうでしょうか。」
さらに、質問者が発言した。「教育勅語自体が、法源として臣民の義務の根拠になるということが理解しにくいのです。また、学制発布は太政官布告として教育制度を定めるものですが、就学の義務を設定するものではないはずです。」
言葉を交わしてみれば、明らかに質問者の方がよくものを知っている。むしろ、こちらが教えてもらいたい。その場では、「お互い調べて見ましょう。わかったことがあれば、当ブログに出しましょう」で終わった。その後この件については、私にはこれ以上の知見の獲得はない。
本日、その質問者から丁寧なメールをいただいた。次のような内容。
「その後出張やら遠出があったためにご報告が大変遅くなりましたことをお詫び申し上げます。Oと申します。
先日、ご質問させていただいた件についてです。
奥平さんの著書にはこうあります。
大日本帝国憲法下のもと、「『臣民の三大義務』なるものが語られていた。このうち兵役・納税の二つは、憲法典にあげられていたが、もうひとつの『教育の義務』は、憲法典はおろか、どんな法律にも、その根拠規定を有していなかった。それは単なる勅令(明治憲法九条にもとづき天皇が発する命令)によって設定されていたものである。」(奥平康弘『憲法?』一九九三年、有斐閣、437頁)
旧憲法下の1886年小学校令第三条では、「児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トシ父母後見人等ハ其学齢児童ヲシテ普通教育ヲ得セシムルノ義務アルモノトス」と定められています。
また、1900年(第三次)小学校令に「学齢児童保護者ハ就学ノ始期ヨリ其ノ終期ニ至ル迄学齢児童ヲ就学セシムルノ義務ヲ負フ」とあります。
義務教育制度がどの段階で成立したというかは、正直のところ難しく、1886年とみる説、1900年とみる説がありますが、花井信『製紙女工の教育史』は後者をとっています。
教育勅語(1890年、もちろん「勅語」であり、明治天皇の個人的見解を述べたものにすぎません)において、「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ?器ヲ成就シ…」とあるのが、子どもには勉強をする義務がある(道徳的義務?)ととれなくもありませんが、それでいくと子どもの勉強する義務は「夫婦相和す」のと同等の義務であり、「臣民の三大義務」の一つというには根拠薄弱です。
いずれにせよ、どうして「兵役、納税、教育」が臣民の三大義務と語られるようになったのか。私にはよくわかりません。
お返事がおそくなりましたことを重ねてお詫びします。」
Oさん。丁寧なご教示、ありがとうございます。教育勅語を臣民の教育を受ける義務の根拠とすることへの疑問のご指摘、なるほどと思います。
あらためて、私見を申し上げれば、「臣民の三大義務」は、その内容や根拠が厳密である必要は全くなかったものだと思います。権力の思惑として、臣民の道徳観念支配の小道具として通用すればよいだけの話。これを争う国民が想定されているわけではなく、裁判上の義務概念としての厳密性や、論理的な説得力も不要だったのだろうと思います。その意味では、どんな根拠でもよかったのではないでしょうか。もちろん教育勅語でも、です。
もっとも、誰が、いつ頃から、どのような意図で、どのように「臣民の三大義務」を語り始めたのか、とりわけ、「教育を受ける義務」を言い始めたのか。旧天皇制政府の民衆支配の歴史の問題としては、興味の尽きないところです。
また、何かわかれば、教えてください。
(2014年08月17日)