1歩も進めず2歩後退 第3極は4分5裂
前回2012年に続いての、師走総選挙で慌ただしい。
私は、2013年1月1日まだ日民協ホームページの軒先を借りていた頃のブログで、前回12年総選挙の結果をまとめてみた。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/index.cgi?no=204
その大要を紹介しつつ、12年選挙における、第3極なるものの役割について論じたい。
ここ10年ほどの総選挙結果に表れた有権者の投票行動は、小泉劇場を舞台とした郵政選挙(2005年)で自民党に走り、一転してマニフェスト選挙(2009年)で民主党に向かい、前回自爆解散による総選挙(2012年)で自民党に戻ったかの印象を受ける。議席の推移からだけだとそう見えるが、しかし実は前回12年選挙では、民主党から自民党への票の回帰はなかった。自民党政権は、見かけほどに強くはないのだ。この点の見定めが肝要である。
2009年夏の第45回総選挙において、民主党が獲得した比例代表区での総得票数は3000万票である。圧倒的なこの票数は、自公政権批判の民意を示して余りあるものであった。その3年後2012年第46回総選挙での民主党得票数は1000万票を割った。09年選挙での民主党投票者3000万人のうち2000万人に見限られたのである。では、その2000万票は、どこに行ったか。おおよそ次のように考えて間違いはない。
まず、1000万票が消えた。1000万人が棄権したのだ。12年選挙の投票率は09年選挙に比較して10%低下し戦後最低となった。有権者総数1億人の10%は1000万人。その多くが、前回民主党への期待を込めての投票者であったことが想像に難くない。
では、棄権票を除いた1000万票は自民党に回帰したか。否である。自民党も得票数を減らしている。自民党の過去3回の比例得票数の推移は、2100万票(05年)→1900万票(09年)→1700万票(12年)と、着実に票を減らし続けている。政権を奪取した12年選挙でも、民主党から離れた票の受け皿とはならず、200万票を減らしたのだ。なお、公明も民主党離れ票の受け皿とはなっていない。公明の過去3回の比例得票数の推移は、900万票→800万票→700万票と、こちらも着実に票を減らしている。自公政権への国民の評価は、意外に厳しいといわねばならない。
では、09年選挙での民主党投票から離れて12年選挙で棄権しなかった有権者はどこに投票したか。自民党ではなく第3極に向かった。その多くは維新であった。民主党離れの2000万から棄権者数1000万を差し引けば、他党への乗り換えが1000万票。これに自民票から流出した200万票を足せば1200万票。この数字が09年初めて総選挙に登場した維新の獲得票1200万票とぴたりと符合する。
つまり、09年選挙で民主党が獲得した3000万票は、12年選挙では3分されて、
(1) 1000万票は律儀に民主党に再投票した(あきらめず、民主党支持にとどまった)。
(2) 1000万票は棄権票となって消えた(政治への期待を失った)。
(3) 1000万票は維新に移った(政治への期待をあきらめきれず、今度は維新に望みを託した)。
となったと見てよいと思う。「未来」(現生活)や「みんな」に行った票もあるはずだから以上は大まかなところ。
この票の動きから、次のように言えるだろう。
郵政選挙までは自民にとどまっていた有権者の民意は、いったん熱狂的に民主に向かって政権交代を実現したが、民主に裏切られた民意は民主党から離れたものの自民には戻っていない。12年選挙の結果を見る限り、有権者の自民離れの長期傾向は一貫して継続しており、民意はけっして自民を支持してはいない。12年総選挙間の自民の「大勝」は、有権者の積極的支持によるものではないのだ。にもかかわらず自民が圧倒的多数の議席を獲得したのは、民主が沈んだことによる相対的な有利を、絶対的な議席数の差に反映した小選挙区制のマジックの効果である。その、民主の凋落をもたらした大きな要因として、民主離れの票の受け皿となった第3極の存在を無視し得ない。
安倍自民を右翼政党と表すれば、12年選挙における石原・橋下の「維新」は極右というほかはなく、中道・民主から極右・維新への1000万票の流れは、政治の重点を右に傾けた片棒をになっている。
しかし、彼ら第3極の基盤も脆弱である。12年選挙で54議席を獲得した「日本維新の会」は、「維新の党」と「次世代の党」に分裂した。既に当時の勢いはない。18議席を獲得した「みんなの党」も分裂し、このほど解党を決議した。みんなを割って出た「結いの党」が維新の党と合流したが、到底党内の統一が保たれているようには見えない。
あきらかに、有権者は戸惑っている。
自民の長期低落傾向は、自公政権の新自由主義的政策への批判の表れである。目先を変えての集票にも限界があり、いったんは雪崩を打って民意は民主党政権を作り上げた。しかし、民主党の裏切りに、民意は第3極に期待した。その結果が、民主党の凋落と、小選挙区効果による自民党圧勝であった。
安倍自民の延命も、第3極の議席の維持も、真に民意の望むところとは考えがたい。とりわけ、自覚的な安倍政権批判票を第3極に流出させてはならないと思う。第3極とは、日本の軍事大国化をさらに推し進める輩と、経済格差や貧困をさらに深めようとする新自由主義者の連合体ではないか。けっして、安倍政権への批判の受け皿たりうる資格はない。
自民はだめだから民主へ、民主もだめだったから第3極へ、というのが前2回の総選挙に表れた民意漂流の姿である。この流れを断ち切ろう。幸いにして、第3極は四分五裂の状態である。このような無責任政治集団に、貴重な票を投じてはならない。
(2014年11月24日)