澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ピケティ再論ー「初期分配」か「再分配」か

昨日(2月7日)の毎日・「経済観測」という小さな連載コラムに、宮本太郎中央大教授が「『ピケティ・ブーム』に求められる視点」と題して寄稿している。

「最後のカリスマ」宮本顕治の息子は政治学者だが、さすがに経済学にも詳しい。短い文章だが、教えられるし考えさせられる。

「各国の格差拡大を歴史的かつ理論的に論じたピケティ・パリ経済学校教授の『21世紀の資本』が世界的ベストセラーとなり、先ごろ来日した教授は、あちこちでひっぱりだこだったようである。輸出企業などの高収益が、格差や貧困の是正につながらない日本の現実が背景にある。」というのが前置きでもあり、現状認識と現状批判でもある。

続けて、ピケティの提言がこう簡潔にまとめられている。
「資本課税を含めた累進的税制による再分配強化、これがピケティ教授の処方箋である。」

ここからが本論で、ピケティとは別の角度からのものの見方と、格差是正の対応策に言及している。
「ただし忘れてはならないのは、日本がこれまで格差を相対的に抑えてきた仕組みは、再分配による福祉給付ではなかった、ということである。終身雇用や公共事業、業界保護などで、皆が仕事に就いて一定の所得を得ることができたことが、この国の安定を支えてきた。だがこうした仕組みは、成長を阻害する既得権益として、否定的に評価され解体されてきた。」

宮本の指摘は、かつて日本が「格差を相対的に抑えてきた仕組み」は、資産や所得の再分配ではなく、再分配以前の所得獲得における相対的平等性だったという。この平等性確保の中核にあった雇用創出と雇用安定の仕組みが、新自由主義的潮流の席巻とともに「否定的に評価され解体されてきた」のは周知のとおり。

ここで指摘されていることは、格差や貧困を抑える仕組みは2種類あるということ。資産や所得の事後的再分配による格差是正だけでなく、その前段の不平等の源泉である所得格差そのものの是正への留意が語られている。前者は、政治あるいは行政のレベルでおこなわれるが、後者は企業の労働現場が舞台となる。

宮本は、次のように紹介している。
「米エール大のハッカー教授は、こうした仕組みを『当初分配』(プレ・ディストリビューション)と呼び、格差の拡大を防ぐ上では、むしろ再分配より重要と主張する。皆が働ける条件が確保されず、社会が二極分解しているなら、再分配への合意も生まれないと言う。」

私は、ハッカー教授をまったく知らない。「当初分配」(プレ・ディストリビューション)という用語も初めて教えられた。だが、取り立てて目新しい考え方ではあるまい。むしろ、「社会をさまざまに解釈するだけなく、大切なのは社会を変革すること」という立場に魅力を感じてマルクス経済学を(表面なりとも)学んだ立場からは、資本と労働との「当初分配」の現場こそが格差や貧困を生み出す根源である。ここで格差が是正できるなら、それこそが本筋。

「当初分配」における不平等こそが格差や貧困の根源である。ここで、労働者の所得を増やし、しかも労働者全体の雇用創出を目指すことは、むしろ古典的な課題で、当初配分を所与のものとして、所得や資産の「再分配」という事後的弥縫策の方が、「目新しい」施策ということではないか。

宮本は日本の「当初分配」のあり方として、以下のように言う。
「もちろん、日本の旧来の仕組みでよいということではない。これからの当初分配は、男性稼ぎ主だけではなく老若男女が対象でなければならない。政治家による保護ではなく、地域で真に必要な公共事業や介護・医療での雇用などが確保される必要がある。こうした雇用機会を広げることを一定のコストがかかる『分配』ととらえるところが、当初分配論の特徴だ。地方創生とも直接に関わる提起である。」

ここらあたりは宮顕の息子の言ではない。経済合理性では生まれない雇用を政策的にコストをかけても創出することが「当初分配」のごとくである。「当初」といいつつも、実はそのコストは、事後の「再分配」としてのものなのだ。

宮本の結論はこうだ。
「ピケティ教授とハッカー教授の主張は対立するものではなく、日本に再分配の拡充は必要だ。けれども、まず当初分配をという提起は傾聴に値する。」

「まず当初分配における格差是正と公平を」という主張に異論のあろうはずはない。この点の強調のないピケティ批判には賛成だ。

だが、「当初分配」の概念を「政策的な雇用創出や安定」に閉じ込めてはならない。何よりも、労働者自身の闘いによる労働所得の増額が必要である。労働組合運動の昂揚による賃金の増額が何よりも重要であり、これを支える諸制度の充実や運用の適正も必要だ。

整備されるべきは、まともな最低賃金制度の創設であり、不当労働行為制度の厳格な活用であり、労働基本行政の厳格な実践であり、行政だけでなくマスメディアや教育機関も連携したブラック企業の追放であり、労働基本権についての実践的教育の徹底であり、フェアトレード運動の実践等々である。

そのような「初期分配」の不公正是正の実践の上に、ピケティのいう所得や資産の再分配が実施されるべきだろう。いずれにせよ、このような格差や貧困是正の論議を巻き起こしたことにおいて、ピケティの業績は極めて大きいと思う。
(2015年2月8日)

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Published in 日曜日, 2月 8th, 2015, at 20:16, and filed under 経済.

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