澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

建国記念の日 「国家主義との対決」の覚悟を

昨年の2月11日、当ブログは「去年までとは違う『建国記念の日』」と題して、歴代首相として初めて、安倍晋三がこの日にちなんだメッセージを発表したことを取り上げた。是非ご一読いただきたい。
   https://article9.jp/wordpress/?p=2086

今年は、右翼メディアの代表格としての産経の本日付社説を解説してみたい。「建国記念の日 『よりよき国に』の覚悟を」と標題するもの。もちろん、産経のいう「よりよき国」には独特な意味合いが込められている。安倍政権が曖昧にしか言えないことをズバリと言っている点において、産経とは貴重な存在なのだ。

「わが子の誕生を喜ばない親はまず、いまい。その後の子供の成長を願わない親もいないはずで、「這えば立て、立てば歩めの親心」とはまことにもって至言である。国家についてもまったく同じことが言えるのではなかろうか。」

冒頭の一節。こういう比喩の使い方が、騙しのテクニックの基本であり典型でもある。まったく異質の「わが子」と「国家」を、等質のものと思わせようという魂胆。うっかり、この手の論法に乗せられると、国家の誕生を祝わない国民は、子を虐待する非道の親のごとくに貶められてしまう。「非国民」概念をつくり出そうという発想なのだ。

「日本書紀によれば日本国の誕生(建国)は紀元前660年で、その年、初代神武天皇が橿原の地(奈良県)で即位した。明治6年、政府はその日を現行暦にあてはめた「2月11日」を紀元節と定め、日本建国の日として祝うことにしたのである。」

騙しのテクニックはさらに続く。日本書紀に書かれている紀元前660年に誕生した日本国と明治政府と日本国憲法下の日本国とを、何の論証もなく「連綿と同一性を保った国家」と言いたいのだ。ことさらに2月11日を選んで祝おうという狙いは、「連綿と続いた国家」を強調することにある。

当然のことながら紀元前660年の頃の日本は縄文晩期と弥生とが重なる時代、いまだ統一国家の萌芽もない。8世紀に編まれた日本書紀に、1400年も前の神武即位の年月日が特定されているわけでもない。どこの国ももっている建国神話を日本書紀が書き留め、明治政府が荒唐無稽な解釈によって、紀元前660年2月11日と擬制しただけの話。元祖歴史修正主義の所業というべきであろう。わが子の誕生日ははっきりしているが、日本国の誕生日など、歴史の見方次第でどうにでもなること。どうにでもなることだが、紀元前660年ではあり得ない。

「西欧列強による植民地化の脅威が迫るなか、わが国は近代国家の建設に乗り出したばかりで、紀元節の制定は、建国の歴史を今一度学ぶことで国民に一致団結を呼びかける意義があった。」

「意義があった」は偏頗なイデオロギーによる決め付け。冷静には、「紀元節の制定こそは、嘘で塗りかためた建国神話を徹底利用して、薩長閥が作り上げた政権の神聖性を臣民に刷り込むための小道具」「天皇制の始まりとされる日を拵え、その日の祝意を強制することによって国民に国家との一体感をつくり出すための演出」というべきなのだ。

「先の敗戦で紀元節は廃止されたものの昭和41年、2月11日は「建国記念の日」に制定され、祝日として復活した。「建国をしのび、国を愛する心を養う」と趣旨にうたわれているように、国家誕生の歴史に思いをはせる大切さは、今ももちろん変わっていない。」

「祝日としての復活」は、国民を二分するイデオロギー対立の暫定決着としてのことである。明治百年論争、元号法制化、国旗国歌法制定そして憲法改正論議なども同じ問題。一方に復古主義的な、「天皇中心の国体護持論+国家主義+軍国主義+歴史美化派」のイデオロギー陣営があり、他方に「国民主権論+個人の人権尊重+平和主義+歴史修正反対派」の陣営がある。両陣営の長いせめぎ合いの末に、両陣営とも不満足ながらの「名前を変えた祝日としての復活」に至った。そして、このせめぎ合いは今も続いている。国家主義への警戒の大切さは、今ももちろん変わっていない。

「ただ忘れてはならないのは、親心と同様に、誕生以後の日本を少しでもよい国にしようと、先人らが血のにじむ努力を重ねてきたことである。現在を生きる国民もまた、さらによい国にして次の世代に引き継がねばならない。」

これも、欺瞞のテクニック。「誕生以後の日本を少しでもよい国にしようと、先人らが血のにじむ努力を重ねてきたこと」などという抽象的な文章は、情に訴えようとするだけで実は何も語っていない。次に控えている危険な毒物を飲み込みやすいようにする準備の一文なのだ。

「日本を少しでもよい国にしようと、血のにじむ努力を重ねてきた先人」とは、何を指しているのだろうか。悲惨な戦争を画策し指導したA級戦犯たちを含んでいるのだろうか。政・商結託して大儲けをした明治の元勲たちはどうだろう。あるいは天皇制の野蛮な弾圧を担った特高警察や憲兵や思想検事たちも「少しでもよい国にしようと努力を重ねた先人」なのだろうか。一方、野蛮な天皇制の暴力に抗して平和や民主主義を目指した不屈の闘いを試みた人々はどうなのだろうか。

「現在を生きる国民もまた、さらによい国にして次の世代に引き継がねばならない」は、空疎空論の見本である。めざすべき「さらによい国」とは、声高に「国」の存在や権威を振りかざす者のいない国ではないか。

「慶応義塾の塾長を務めた小泉信三は昭和33年、防衛大学校の卒業式で祝辞を述べた。その中で小泉は、先人の残したものをよりよきものとして子孫に伝える義務を説いたうえで、こう続けた。「子孫にのこすといっても、日本の独立そのものが安全でなければ、他のすべては空しきものとなる。然らば、その独立を衛るものは誰れか。日本人自身がこれを衛らないで誰れが衛ることが出来よう」(小泉信三全集から)

ようやくここで本音が出て来る。「先人らの血のにじむ努力」とは国防の努力、「さらによい国」とはさらに軍備を増強した国のことなのだ。要するに、防衛力を増強したいのだ。もう一度富国強兵を国家的スローガンに掲げたいということなのだ。そのために「国の誕生」から説き起こし、「国の誕生日への祝意」を大切なものとし、「先人の努力」と「国をよくする」とまで論理をもってきたのだ。

「57年前の言葉がそのまま、目下の国防への警鐘となっていることに驚かされる。中国の領海侵入などで日本の主権が脅かされているばかりか、国際的なテロ組織によって国民の命が危険にさらされてもいる。だが、わが国の現状は、自らの国防力を高めるための法整備も十分ではなく、その隙をつかれて攻撃される恐れもある。」

まったくの驚きだ。57年前も今日と同じ言葉で国防への警鐘がなされていたのだ。いつの時代にも同じ言葉が繰りかえし語られるということなのだ。いつもいつも、仮想敵と敵による危機が叫ばれてきた。ソ連の脅威であり、李承晩の脅威であり、赤い中国の脅威であり、北朝鮮の脅威であり、今またイスラムの脅威であり、テロの脅威である。日本を取り巻く国際環境の厳しさは、際限なく無限に進行しているのだ。

「紀元節制定時に倣って今こそ、国を挙げ「日本人自身が日本を衛る」覚悟を決めなければならない。」

これが産経社説の締めくくり。社説子の頭の中は、今日は「建国記念の日」ではなく、完全に「紀元節」である。そして、かつての紀元節が、天皇中心の国家主義的イデオロギー鼓吹の小道具であったように、「建国記念の日」を国家主義、軍国主義思想浸透のきっかけにしようというのだ。「2月11日は富国強兵思想の記念日」というわけだ。

本日の産経社説。何のことはない。「わが子はかわいい」「かわいいわが子の誕生日を祝おう」「同様にかわいい国の誕生日も祝おう」「かわいい国には武装をさせて守ろうではないか」。だから「国民よ、国防国家となるべく覚悟を決めよ」と言っているだけのこと。

個人よりも国家が大切で、国防が何よりも重要で、歴史の真実よりは国家への誇りが大切だとするイデオロギーが、メディアの一角でこうまで露骨に語られる時代を恐ろしいと思う。しかし、萎縮してはおられない。憲法や人権・平和の理念を護る覚悟が要求されているのだ。

昨年のブログの最終節はこうだった。
「建国記念の日」とは、国家主義との対峙に決意を新たにすべき日。そうしなければならないと思う。

ほとんど同じだが、産経社説の標題に倣って、今年は次のように締めておこう。

「建国記念の日 『国家主義との対決』の覚悟を」
(2015年2月11日)

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