またまたの都教委敗訴。教育委員には厳格な教育的指導が必要だ。ーこんなことで東京の教育本当にイインカイ?
昨日(10月8日)、東京地裁民事19部(清水響裁判長)は、元小学校音楽専科教員Kさんの懲戒処分取消請求訴訟で都教委の懲戒処分を取り消す判決を言い渡した。またまたの都教委敗訴判決。すっかり、敗訴判決が定着した都教委となった。
Kさんは、卒業式における「君が代」斉唱の際のピアノ伴奏を命じられて、信仰上の理由から服することができなかったのだ。このことが、職務命令違反として懲戒処分となったものだが、裁判所はこの懲戒処分を取り消した。はからずも、宮崎緑新教育委員の就任記念祝賀判決としても意義のあるものとなっている。
被処分者の会からの報告では、「今回の判決により、都教委が係わる教育裁判で、都教委は7連敗となりました。司法の目から見ても都教委は『非常識』ということです。なお、都教委中井教育長は『今回の判決は誠に遺憾で、今後、内容を確認し、訴訟対応をとっていく』と控訴の意向を示しています。」とのこと。
本日のブログでは、被処分者の会がいう「都教委の非常識」を解説したい。多少面倒でも、是非ご理解いただきたい。東京都教育委員の6人にも、この拙文をお読みいただけたらありがたい。
中学校の公民授業以来おなじみのとおり、日本国憲法の統治機構は、他の文明諸国同様に三権分立の制度を採用している。権力の集中を防いで国民の人権を擁護するためであることも、ご存じのとおりである。司法は、立法・行政の各部門の行為の合憲性・適法性をチェックする役割を担っている。このことを、憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と表現している。この条文は「最高裁は」としているが、最高裁に直接提訴はできない。したがって、下級審も憲法判断をする。憲法適合性だけでなく、法律への適合性も。その最終審が最高裁となる。
なんとなく、「裁判所こそは憲法の番人、人権の砦。立法や行政に違憲・違法・不当を行う不心得者があれば、裁判所が是正してくれる。だから法の支配は安泰だ」などという俗信が蔓延しているのではないだろうか。残念ながら、現実の制度運用はそんな国民の期待に応えるものにはなっていない。
合憲と違憲、合法と違法の区別は、くっきり二分されているわけではない。グラデーションのどこで線引きするかは常に微妙な問題だ。しかも、立法にも行政にも、裁量権という「判断権限の余地ないし幅」が広くあるとされている。さらに、司法は自分ならこうするという判断を示すわけではない。立法や行政のやっていることの違法・不当が目に余り、「到底目をつぶって放置してはおけない」と考えるときだけ、口を出して是正するのだ。だから、判決が、立法や行政の行為を違憲・違法と宣告するのは、実はなかなかにないことなのだ。これは、見方によっては司法が機能していないとも言える。司法運用の現実は、立法にも行政にも、この上なく大甘なのである。これで、司法が憲法が期待している役割を果たしていると言えるのか、心配せざるを得ないほどなのだ。
この三権分立における運用の実態を、司法消極主義と言っている。立法や行政に対して司法が謙抑的であるとも表現される。立法府は主権者の選挙によって構成される国権の最高機関(憲法41条)であり、行政府も国会が構成するのだから、間接的に有権者の意思に基づくものである。それに対して、司法は民意を反映した構成とはなっていない。「だから、司法消極主義にはそれなりの正当性の根拠がある」ともされ、「いや、到底憲法が想定する司法の役割を果たしていない。その結果、権力の横暴による人権侵害が放置されているではないか」と批判をされてもいる。私は、実務家の実感として後者の立場にあるが、いまはその当否についての議論は措く。
ともかく、現実の三権分立の制度運用において、司法はきわめて消極的なのだ。裁判所が、行政にものを言って、行政のやることを違憲・違法・裁量権の濫用、などとチェックするなどは滅多にないことなのだ。だから、行政庁が司法から「あなたのやってることは違法」「だから処分は取り消す」とアウトの宣告を受けることは、たいへんに恥ずべきことと受け止めなければならない。教育部門においてはなおさらのことである。都教委の諸君は、この辺の感覚がお分かりでない。もしかしたら、単なる鈍感ではなくて、司法の判断など無視しようという魂胆を秘めているのではないだろうか。
行政は厳格に法に従ってなされなければならない。たった1件でも、裁判所から、「違法」「処分取消」の判決を受けたら、そのことを深刻に反省し、違法を犯したプロセスを検証し、責任を明確にして再発防止の策を講じなければならない。そうしてこそ、再びの敗訴判決の恥を繰り返さぬことが可能となる。それが、都民に奉仕すべき都政の真っ当なありかたである。
ところが、都教委という組織は、真っ当ならざることこの上ない。すでに、いくつもの最高裁判決において違憲判断だけはかろうじてまぬがれたものの、「褒められたやり方ではない」「なんとか教育現場正常化の努力をせよ」「処分の量定は、社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権の範囲を逸脱している」と敗訴していながら、これを深刻に反省した形跡がない。むしろ、判決に抵抗し敵愾心を燃やしているようにさえ見える。だから、下級審の判決で最近7連敗となっているのだ。昨日のKさん事件判決は、その典型というべきだろう。
行政訴訟の類型はいくつかあるが、そのメインは行政処分の取消請求訴訟である。Kさんは、懲戒処分の取消請求訴訟を提起した。その提訴の前に東京都人事委員会に審査請求を申し立て、人事委員会の裁決を経ている。こうしてはじめてめて、行政訴訟を提起する手続的要件を具備したことになる。
都教委がKさんに対してした原処分は、「停職1か月」であった。これは、Kさんが同種の行為により過去4回の懲戒処分を受けていたことを理由としてのもの。「停職1か月」の間は、給与の支給がないだけでなく学校に出て授業をすることができない。
これに対して、人事委員会は、いわゆる「修正裁決」をして「減給10分の1・1月」に処分の量定を落とした。
しかし、Kさんはこの減給の裁決をも不服として、裁判所に取消請求の訴訟を提起した。この場合の請求の内容は、「『人事委員会裁決で修正された都教委の減給処分』を取り消せ」というやや込み入ったものとなるが、裁判所はこれを認め、判決は減給処分を違法として取り消した。
都教委処分(停職)⇒人事委員会修正裁決(減給)⇒地裁判決(減給も取消)
つまりは、ホップ、ステップ、ジャンプで、Kさんの処分は取り消されたのだ。もちろん、まだ判決は確定してない。が、都教委は自分の間違いを反省すべきなのだ。控訴して争う愚は避けるべきだ。仮に、控訴してもこの判決は確実に上級審で維持されるだろう。その場合の本判決の意味はより大きなものになる。
判決書は全55頁とかなりのボリューム。一見して、丁寧な書きぶりが印象的だ。
Kさんがキリスト者であり、Kさんの所属する日本聖公会が、君が代を「神聖不可侵な天皇の統治する御代が永遠に続き、栄えることを祈願する歌であるとの解釈を示していること」「都教委による「君が代」の強制が思想良心の自由及び信教の自由に反するとして、その即時中止を求める旨の声明文を採択していること」を認定している。
そして、裁量権濫用については、次のように判断している。
「教職員に直接の不利益が及ぶ減給処分は…学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎づける具体的な事情が認められる場合であることを要する」との判断枠組みを前提に、「これまでに懲戒処分を4回受けているが、その態様はいずれも積極的に式典の進行を妨害する内容の非違行為ではない」「本件不伴奏が原告の信仰等に基づくものであり、これにより卒業式の進行上、具体的な支障が生じたとは認められないこと等を考慮すると、…都の裁量権を考慮しても、減給は重すぎる」
したがって、「処分は裁量権の逸脱濫用に当たるとして違法、これを取り消す」との結論となっている。
飽くまで、最高裁判決が許容する枠組みの中でのことではあるが、できるだけ、憲法に忠実に、行政の暴走から人権を擁護しようという姿勢を見て取ることができる。
それにしても、だ。中井敬三教育長のコメントは、困ったものである。
どうして、「今回の判決は誠に遺憾で、内容を確認し訴訟対応をとっていく」としか言えないのだろうか。相変わらずの頑な姿勢。言葉の上だけの強がりかも知れないが、この悪役ぶりはもう痛々しい。
「処分は違法との裁判所のご指摘をいただきました。法に従わねばならない立場にあるものとして、この判決を重大なものとして受け止め真摯に対応いたします」と、このくらいのことがどうして言えないのだろうか。
何度、敗訴を重ねたら、この人たちは「反省」とか「再発防止策」の必要に思い当たるのだろうか。都教委の各教育委員には、都民からの厳しい教育的指導が必要ではないか。
しかしもう彼らは敗訴判決には慣れっこになって、再教育や指導を受け付けない、反省とは無縁の境地に飛んで行ってしまったのだろうか。
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10月17日集会はこの判決で一層盛りあがることになる。是非ご参加をいただきたい。
『学校に自由と人権を!10・17集会』
子どもたちを戦場に送るな!
―「日の丸・君が代」強制反対! 10・23通達撤回!―
2015年10月17日(土)
13時開場 13時30分開会 16時30分終了
豊島区民センター6F文化ホール(池袋駅東口 徒歩5分)
アクセス地図
http://www.toshima-mirai.jp/center/a_kumin/
☆資料代 500円
☆集会の主な内容
講演 「イラクから見る日本?暴力の連鎖の中で考える平和憲法」
高遠菜穂子さん(イラク支援ボランティア)
歌のメッセージ 中川五郎さん(フォークシンガー)
特別報告 「『君が代』訴訟の新しい動きと勝利への展望」
澤藤統一郎弁護士(東京「君が代」裁判弁護団副団長)
(2015年10月9日・連続922回)