公開討論「テレビ報道と放送法―何が争点なのか」を聴いて
本日(6月16日)、日本記者クラブを会場とした、公開討論「テレビ報道と放送法―何が争点なのか」を会場の片隅で聴いた。この公開討論は、「放送法遵守を求める視聴者の会」なるものの主張をめぐって、同会と「放送メディアの自由と自律を考える研究者有志」との討論という形のもの。
「視聴者の会」は、一見明らかにアベ政治の応援団。もっと端的に言えば、政権の手先の役割を担っている。これまで3度この会の名で、「私たちは違法な報道を見逃しません」という「監視の目」を大写しにした例の新聞広告を出した。昨年(2015年)11月、読売と産経に各1度。そして、今年(2016年)2月13日に再び産経に。この3度目の広告には、呼びかけ人だけでなく、賛同者の名が掲載された。変わり映えのしない狭い右派人脈の名が連ねられている。
このような団体との公開討論に意味があるのか疑問なしとしないところだが、「研究者有志」側の醍醐聰さんの事前の呼びかけは、「高市総務大臣の『電波停止発言』や報道の自由、自律、放送メディアの影響力(権力性)などをめぐってさまざま議論が交わされている。これらの点について異なる意見を持つ言論人が公開で討論をする企画が以下のとおり実現することになった。」というもの。
仲間内の議論だけで済ませるのではなく、「異なる意見を持つ者との議論こそが重要」「そのような議論を通じてこそ自分の見解が検証され」「議論が深まる」と言われてみればそのとおりだが、「あまりにも異なる意見をもつ者との議論」が成り立つのだろうか、実りある議論となるのだろうか。
パネラーは、3人対3人。
<放送メディアの自由と自律を考える研究者有志>側は、
砂川 浩慶(立教大学教授/メディア総合研究所所長)
岩崎 貞明(放送レポート編集長)
醍醐 聰(東京大学名誉教授)
<放送法遵守を求める視聴者の会>
ケント・ギルバート(米カルフォルニア州 弁護士、タレント)
上念 司(経済評論家)
小川 榮太郎(文芸評論家、視聴者の会事務局長)
視聴者の会側が求める「放送法遵守」とは、同法4条1項の以下の各号のこと。
第4条1項 放送事業者は、国内放送…の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
会に言わせると、既存テレビ局の放送は、この二号と四号に反して、特定のバイアスをもった政治的なプロパガンダとなっているという。常識的にとても首肯できる主張ではないが、その根拠として持ち出されているのが、特定秘密保護法や安保法制の法案審議段階での各番組の「両論(賛成・反対)放送時間比較」。
秒単位で測ってみたら、圧倒的に反対論の時間が多かった。これを総合すると、
特定秘密保護法案の審議に関する報道では、[賛成 26%][反対74%]
安保法制の審議に関する報道では、[賛成 11%][反対89%]
ほら、こんなに偏っているでしょう、というわけである。今日の討論会でも、「1対9はおかしいでしょう」と、執拗に繰り返された。
この検証をしたのは、「一般社団法人日本平和学研究所」という組織。社団法人で、「平和学」を専門とする研究機関なら権威があろうかと思わせるが、ネットを検索するとこの組織は、
登記年月日:平成27年10月15日
役員:代表理事 小川榮太郎
理事 長谷川三千子
というもの。なお、いうまでもなく一般社団法人の設立は届出だけで可能である。
視聴者の会の事務局長を務める小川榮太郎とは何者か。そのことについて、「リテラ」というネットニュース記者の会場発言が印象的だった。私は初めて知ったことだが、「リテラ」の記事を引用する。
http://lite-ra.com/2015/12/post-1827.html
「同団体(視聴者の会)と安倍首相との関係。鍵を握っているのは「視聴者の会」の事務局長を務める小川榮太郎氏だ。『視聴者の会』を立ち上げ、実質的に仕切っている人物で、同会がテレビの報道内容の調査を委託した『一般社団法人日本平和学研究所』の代表も小川氏が務めている。
その小川氏は、自民党総裁選直前の2012年9月、『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎)という“安倍礼賛本”を出版、デビューしており、この本がベストセラーになったことが、安倍首相復権の第一歩につながったとされている。
ところが、この「視聴者の会」の首謀者の著書を、安倍首相の資金管理団体である晋和会が“爆買い”していたことがわかったのだ。
この事実を報じたのは、「しんぶん赤旗」日曜版(12月13日号)。同紙によると2012年10月に丸善書店丸の内本店で900冊、11月に紀伊国屋書店でも900冊購入していたという。
〈「晋和会」の12年分の政治資金収支報告書には、書籍代として支出先に大手書店の名前がずらり。収支報告書に添付された領収書を見ると、小川氏の『約束の日』を少なくとも2380冊、計374万8500円購入していることが分かりました。〉(同紙より)
本サイト(「リテラ」)でも晋和会の収支報告書を検証したところ、赤旗が報じたよりももっと大量に小川氏の『約束の日』を購入している可能性があることがわかった。同書が発売された2012年9月から12月にかけての収支報告書にはこんな巨額の書籍購入記録がずらりと並んでいた。(中略)
その総額は実に700万円以上! しかも、興味深いのは安倍首相が版元の幻冬舎だけでなく、紀伊国屋書店はじめ複数書店で大量購入していることだ。
支持者に配るためというなら、版元から直接購入すればいいだけの話。それをわざわざ都内の各書店を回って、買い漁っているのは、ようするに、買い占めによって同書をベストセラーにするという作戦だったのだろう。(以下略)」
この事実を念頭に、視聴者の会の主張を聞くとその評価はがらりと変わることになる。つまりは、表向きの主張(知る権利の擁護)とホンネ(アベ応援目的)との乖離が見えてくる。ホンネはマスメディアの安倍批判を牽制しようということとみれば、表向きの主張はご都合主義のきれいごとに過ぎないのだ。
しかし、醍醐さんは、視聴者の会の表向きの主張に真っ向から丁寧に付き合う。主張の背景にあるもので相手を攻撃しない。こんな相手でも、その人格を認めて意見交換を行うことに価値ありという立場なのだ。多分天性のものもあろうし、学生を教えてきた職業的な真摯さが板についていることもあるのだろう。まずは、相手の言い分にじっくり耳を傾けようという姿勢。真似ができない。
政権の応援団として、政権批判の言論を牽制しようという彼らも、民主主義や自由主義、表現の自由を否定しない。むしろ、自分たちこそ、その理念の体現者だという。だから、危ういながらも、議論の出発点としての共通の土台はある。醍醐さんが設定したのは「知る権利」だった。
メデイアの表現の自由とは、国民の知る権利に奉仕するためにある。国民は、メディアが伝える事実やその事実に付随する見解・評価を咀嚼して自らが判断し、主権者としての自らの意見を形成する。
特定秘密保護法や戦争法の法案など、国や国民の命運に関わる重要法案の審議において、メデイアが国民に伝達すべきは、圧倒的に優勢な権力側が提供する情報ではない。これに賛成する意見の垂れ流しでも形式的な賛否の平等でもない。メディア本来の役割は、政府提案の内容や根拠や背景を徹底して吟味しその問題点や、政府案の欠陥をえぐり出して国民に提示することである。そうして初めて、国民は自己の判断に資する情報や評価に接しえたことになる。断じて賛否の時間的なバランスが大切なのではない。どだい、「視聴者の会」がいう賛否の色分けも曖昧なもので、納得できるものではない。
時間で測定した形式的平等に固執し、「賛否の時間比が、1対9」と繰り返す視聴者の会側の3人は、私には政権擁護派の愚論としか聞こえない。メデイアの現状を知る国民に影響力あるとは思えないのだ。しかし、もしかしたら、彼らは俗耳に入りやすいことを計算した巧妙な議論を展開しているのかもしれない。とすれば、愚論と切って捨てることでは問題の解決にならない。その場合には、丁寧に学生と交流し学生を諭す醍醐さん流の正攻法が唯一の有効策なのかも知れない。
(2016年6月16日)