澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

参院選・投票日まであと6日       ーこれが維新の「公約」だ

ねえ、維新の「参院選公約」って読んでくれた?
よくできているって思わない?

ボクたち、寄り合い所帯だし、主義主張なんて持ち合わせていない。だから、格好だけでもつくるのたいへんだったんだ。結局できあがったのが、ホンネとウソのベストミックス。そんな人の苦労も知らないで、「底が浅い」「整合性に欠ける」「財界べったり」「労働者・農民切り捨て」なんて批判するのはやめてほしい。いちいちもっともで、的を射ているから腹が立つ。また、「誤解だ」「誤報だ」って騒いじゃうよ。

総論が、「維新の挑戦。逃げずに真正面から」というタイトル。わざわざ、「逃げずに」って書いたのは、ほんとはもう逃げ出したいからなんだよ。でも、いま逃げちゃうと、次の顧問先もままならないから、選挙が終わるまでは「挑戦」するつもり。

えっ? 何から逃げずに、何に挑戦するのかって? あんまり考えていない。問題はイメージなんだよ。なんだか、調子よくって勇ましいフレーズだからタイトルに使ってみただけ。「維新」とか、「挑戦」とか、「逃げない」とか、みんな格好だけ、中身なんてないの。中身なんてどうでもよいの。しょせん、選挙って、大衆の感性に訴えるイベントだろう。視聴率獲得とおんなじさ。

「日本維新の会は、選挙目当てでものを言う政党ではありません。」
これは半分本当で半分はウソ。選挙って、本筋では多くの国民の利益になる政策を出し合って、国民からの支持の獲得を競うことでしょう。ボクたちは、本当のところ国民の利益なんか考えていない。だから、選挙目当てでものを言うことはない。その意味では本当。
だけど、ボクたち、結局は「ふわっとした風みたいなもの」に頼って、政界進出を試みている。何てったって、ポピュリズムなんだもん。だから、選挙の票は喉から手が出るほど欲しい。去年の衆院選の公約問題、まだ覚えている? 「最低賃金制を廃止して市場原理の貫徹」と打ち出したんだけど、すっごく評判が悪かったからすぐに変えちゃった。「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」ってね。だって、票が大事だもんね。だから、いまさら、「選挙目当てでものを言うことはない」って言っても、記憶力のよい人には信用されるのは無理なことはよく分かっている。でも、すぐ忘れちゃう人って少なくないじゃない。そういう人が頼りなの。
だから、選挙目当てではないというのは、その意味ではウソ。
だけど、選挙民に利益を与えるって絶対言わないし言えない。労働・福祉・税・医療・農業‥‥。国民に不利益な辛口なことを意識的に言うんだ。そうすると、かえって、魅力に感じる人たちがいるんだ。きっといじめられるのが好きな人たち。この人たちの票を当てにしている。

「日本の未来にとって、いま必要な改革に真正面から取組みます。」
これも本当。ボクたちの関心は、「日本の未来」だけなんだ。国民の今の生活なんかどうでもよい。日本の未来に必要な改革って、簡単なこと。結局、自由競争の徹底による経済成長の促進のことなんだよ。それ以外に何もないし、考えたこともない。
弱肉強食の市場原理って、とてもわかりやすい。「競争を徹底することによって、成長を達成する」って、こんな単純なことをくり返し言ってりゃ良いのだから楽な話し。経済の停滞の原因を、抵抗勢力と規制のせいにして、抵抗勢力っていうものをつくりだして、徹底していじめる。これ、ボクの得意の手法。

「批判や反対論から逃げずに必要な改革を断行します。」
主張は極端に、徹底した姿勢を見せること。批判も反対論も、まともなことが多いから、きちんと受けとめようとするとたいへんなんだ。だから、批判には耳を貸さない。逃げ腰にならずに「批判も反対論も断固拒否する」ことにする。そして、勇ましく、「改革断行」と言い続ける。これしかないんだよ。

「この改革は、既得権益に支持された政党には絶対できません。抵抗勢力と闘い、日本の未来を切り拓くことができるのは、しがらみのない日本維新の会だけです。」
ここが、維新の会の真骨頂。よく理解して欲しい。
ボクたち、市場原理万能・競争至上主義って考え方しかできないから、結局、安倍さんの自民党と大して変わりはないんだ。だから、「企業べったり・弱者切り捨て」って言われるんだけど、それじゃ今の自民党と変わりがない。どこかで、独自色を出さなくては、選挙にならない。どうすりゃいいんだ。考えた挙げ句が、結局極端なことを勇ましく言うしか、方法がなくなっちゃったんだ。
自民党と共産党を両端とする対抗軸のうえに、公明・民主・社民・みどりなどの各政党が並ぶだろう。それぞれ、ある程度の政策の独自性を持っている。僕たちには、自民党とちがうところが、なんにもない。それで、独自性を出すために、自民党より右に出て、もっと極端なことを言うことにした。そうしないことには、存在価値がなくなる。
だから、結局は財界の意を受けた主張とならざるを得ない。道州制も、社会保障の切り下げも、地方の自立も、法人税の引き下げも、財界様のご負担軽減のためなんだ。

「既得権益」攻撃と言っても、大企業や日米の権力などエスタブリッシュメントを擁護する制度には最初から触るつもりがない。結局、攻撃するのは弱者を保護するための制度のことなんだ。社会的規制と言われる消費者や生活者、弱者保護のための規制を「既得権益」として徹底的につぶそうというのが、ボクたちのウリ。農民の自助組織である農協をぶっ潰して農業を資本に明け渡せ。医療を利潤追求の道具として資本に明け渡せ。こういう荒っぽい極端なことは、自民党じゃ言えない。みんなの党と張り合って、財界支援の尻尾を振っているんだ。

憲法改正には熱心なんだよ。競争至上主義を実現しようとするとき、人権とか福祉とか邪魔だものね。ボクたち、ひやひやしながら、「解雇規制の緩和」「TPP参加」「カジノ開放」「社会保険は保険料アップ給付減」なんて公約を出しているんだけど、財界のお歴々ではない、生活に苦しそうな一般庶民が結構僕たちを支持してくれているのが、楽しい。やはり、ボクたちには、存在価値があるんだ。

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  「ハスの話」つづき
ハスの花の美しさと荘厳さをたたえたのは、古代インド神話。紀元前1500年ごろにつくられたヴェーダ神話、ウパニシャット神話などに、大地創造と神々の誕生に欠かせぬ存在としてハスが語られている。「原初に存在したのはただ水だけであった。そしてその水の中から蓮の葉が浮かび上がってきた。神の、生命のもとがまさに世界を生み出そうとしたとき、その宇宙の水は、太陽のように金色に光り輝く千の花弁をもつハスの花をのばした。これは宇宙の扉、開いた口、または子宮であると受けとめられる」。(ブラーフマナ神話)
漢字の蓮という字も、実がたくさん連なる、豊饒な母性を象徴する植物を意味している。
ハスの花は夜明けとともに開き、日が傾くと閉じるので、太陽になぞられる。卑しく汚れた地面ではなく、涼やかな水のうえに葉を拡げ、花を開く。葉も花も、その形は掌を拡げて、全てを受けとめてくれる姿。人の心の憧れや祈りを呼び覚ますにふさわしい。
ハスについての神話はバラモン教から、ヒンドゥー教に、そして仏教に伝わり、ヒーローやヒロインの荘厳に寄り添ってきた。釈尊は生まれたときハスの花の上を七歩あるいたとされ、如来も菩薩もハスの蕾を持って、ハスの花の上にまします。我々も極楽にいけば(いければ)、妙なる楽の音がただよう、ハスの花の咲き乱れる池の畔で、永遠の生を楽しむことになる。
ハスの花にはそんな、気高く神々しいイメージがつきまとう。清々しい朝に咲く花は開くとき、かすかなポンという音を響かせるという話など聞けば、ますますありがたみが増してくる。
ハスの茎からとった繊維で織り上げた布で作られた曼荼羅絵図もある。根茎は煮たり、きんぴらにしたりして、おいしくいただくレンコンだ。葉も花も根茎も種子も漢方薬として、解熱、止血、利尿、去痰、消化不良、下痢止めなど万能薬となっている。ハスは生命力あふれたパワフルな有用植物なのだ。
猛暑つづきで、熱中症のニュースでうんざりするような暑い夏。たっぷりとしたハスの大きな葉とこぼれそうに咲く花のうえを吹き渡る風が、参議院選挙に吹いて、爽やかで風通しのいい世の中に生まれ変わりますように。
(2013年7月15日)

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