澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

参院選・投票日まであと5日       ー「みんな」は脱原発政党ではない

「みんなの党」では、公約なんて古くさい用語は使わない。「アジェンダ」っていうんだ。おどろかない? カタカナにしたら、新鮮な響きと、何とはないありがたさがあるだろう。えっ? 問題は中身だろうって? そりゃまあ、そうだがね。

1990年代以降、自民党は確実にジリ貧状態に陥った。対抗勢力として民主党が勢いを増しつつあるとき、沈みそうな舟にいつまでもしがみついてはいられない。自民党には飽き飽きしたという保守層の受け皿たらんとして、2009年に飛び出して新党結成となったのが「みんなの党」。

だから、基本は骨の髄まで保守。もちろん、憲法改正大賛成。労働者や消費者の利益ではなく、企業の立場にしっかりと立っている。ただ、これまでの自民とちがって、徹底した新自由主義を信奉する保守の立場。この点、維新の会と同じ。独自性を出さなきゃならないから、極端なことを言う点でも同じ。内部で内紛を抱えている点でもよく似ている。

「自民には愛想が尽きたでしょう。さりとて、民主のふがいなさもよくお分りのとおり。だから「第3極」の我が党に」というわけだが、おっと待った。自民が国民から見放されてジリ貧となったのは、新自由主義がもたらした、雇用不安、格差・貧困の蔓延が目にあまるものとなったからではないか。それを、弱肉強食の市場原理主義徹底の立ち場では、保守の受け皿としては失格ではないか。さらには、民主党が信頼を失ったのも、雇用不安、格差・貧困解消の政策を実行できずに、自民政策へ回帰してしまったからではないか。いまさら、徹底した新自由主義の旗では、自民・民主の二大政党に愛想をつかした国民の受け皿とはなり得ない。

しかし、「みんな」の政策の柱は「経済成長」にある。経済成長こそ価値の根源、成長こそ達成目標。賃金も福祉も生活の質も福祉の財源も、すべては成長なくしてあり得ない。成長さえ達成できればすべてはあとからついてくる。この徹底した「経済成長」至上主義は、ここまで来ると信仰の域に近い。薬害反対運動で生命の価値を訴えていたはずの河田龍平が、何を考えて「みんな」に参加したか。不可解というほかはない。

アジェンダ8項目のトップが、「成長戦略は徹底した規制改革で!」というもの。成長を達成するためにはなによりも規制をなくすることだという。その勇ましい既得権益の打破が、みんなの党の真骨頂だ。「そのために必要なのが、2年で2%以上の物価安定目標に加え、既得権益に切り込んだ大胆な規制改革。みんなの党は、電力・医療・農業の3分野で闘う改革を進めます。電事連・医師会・農協の既得権3兄弟は「岩盤規制」を下支えしています。これらの団体とのしがらみのないみんなの党だからこそできる改革です。」とされている。

成長至上主義の立場だから、この党はTPP参加にはことのほか熱心だ。財界本体の既得権益に切り込むことはせずに、医療や農業など、国民の命にかかわる分野まで、国内外の資本に売り渡そうという魂胆は、維新と異心同体というところ。

これ以上、みんなの党について多くを語る必要はないが、原発問題についてだけは一言しておきたい。
「みんなの党は、原発ゼロと経済成長を両立させる確かな答えを持っています。2020年代には原発による発電はゼロにいたします。」と大見得を切っている。ところが、「2030年までの原発ゼロ」を実現する具体的方策については、「社会的コストを精査すれば、原発は市場原理よって淘汰されます。」と、いかにも新自由主義者らしい発想が語られるのみ。電力自由化を徹底すれば、市場原理によって原発はなくなるという楽観。政策を論じていると言うよりは、感想を述べているという印象でしかない。

根源的な問題は、経済活動の自由がすべてを解決するという迷妄にある。資本主義の矛盾に目をつぶって、すべてを見えざる神の手に委ねるべきとする思想は、現実としての労働者の困窮と、その事態を不正義とする運動によって歴史的に克服された。ところがいま、克服されたはずの思想が、再び新しい形で復活しようとしている。万能の市場原理に任せるべきだというのだ。そうすれば、原発問題も解決できるという。

健全な社会を形成するためには、公正な競争を確保することが必要だが、すべてを経済原則だけに任せてよかろうはずはない。政治的民主々義とは、経済的な現実に対しても強制力を行使しなければならない。「次元の異なる危険な存在」である原発への対応を、経済合理性や市場原理で済まそうというのは、政治の無力を宣言することに等しい。

原発は、その存在そのものの危険性と、核兵器転換への潜在能力の2点において、即時廃炉の決断をしなければならない。コスト如何にかかわらず、経済合理性がどうであろうと、経済市場がどう判断しようとも、である。

また、原発稼働を市場原理に任せたままでのTPP参加は、外国資本の国内原発新設や再稼動の経済活動参加に道を開く。しかも、その後に政策の転換はできない。ISD条項によって我が国が莫大な金額の訴訟リスクを負わねばならなくなる。

「みんなの党」を脱原発政党のうちに数える向きがあるが、とんでもない。原発再稼動認可反対も廃炉も明確にしていない市場原理任せのこの党に、しかも、TPP参加執心のこの党に、脱原発派有権者からの一票も投じさせてはならない。この党の推薦するすべての候補者にも、である。
(2013年7月16日)

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