澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

政権が交代しても、憲法解釈は一貫しなければならない

本日の朝日「声」欄は読み応え十分。標題だけを拾えば、「与党の民意のねじれが問題だ」「米軍ヘリ墜落 日本は属国か」「欧州で知ったナチスへの反省」「医薬品業界の利権体質改めよ」「『赤紙』で帰らなかった若者」「仕事優先の35年を振り返る」「パラリンピックにもっと注目を」というもの。いずれも、日本の良識はいまだに健在と意を強くさせてくれる。

中でも出色なのが、「新法制局長官 平和国家危うく」という、西川慎一さん(大学教員)のご意見。大意は、小松一郎駐仏大使の法制局長官起用という伝えられた人事の異例さを指摘の上、「安倍首相は、小松氏起用で集団的自衛権の解釈を都合よく変えようというのだろうが、短絡的な手法ではないか」と批判し、「集団的自衛権の行使を認めないことで、自衛隊を辛うじて軍隊とは異質の存在とし、日本が平和国家としての対外的信用を得てきた事実を忘れてはならない」と結論するもの。

とりわけ注目すべきは、「内閣法制局の誇りは、『いかに政権が変わっても解釈は不変である』というものだ。法令解釈が政権におもねって決められてはならない」という、いかにも研究者らしいご指摘。

官僚に「誇り」あることは当然。立法や法解釈に携わる専門職であればなおさらのこと。「誇り」は、命じられるとおりの解釈をしてみせる技術からは生まれない。憲法や法律の理念を見極め、その理念にしたがった解釈を貫くことこそが「誇り」の源泉である。そのような、「誇り」を伴った法解釈は、必然的に「政権が変わっても不変」となる。誇りをもってする解釈だから不変でもあり、不変であることが誇りにもなる。

ところが、なんとなく、「政権が変われば、法の解釈も変わるのが当然」という論法に巻き込まれてしまいかねない。とりわけ、「憲法解釈などは大きな幅がある。民意を獲得した政権が、民意を踏まえて法の解釈を変更することに不都合はない」という開き直りの一般論に反論を躊躇しがちだ。

西川慎一意見は、政権の交替を超えた憲法解釈の不変性・一貫性こそが内閣法制局の任務であることを喝破している。憲法制定権力によって制定された成文憲法にいささかの変更もない以上、交代した政権の恣意的な解釈による実質的な改憲を許してはならない。行政全体の法解釈をつかさどる立ち場にある内閣法制局は、いまこそ自らの任務を深く自覚しなければならない。

憲法に矛盾する立法によって、実質的に憲法を無力化する「立法府による改憲」が法の下克上として許容しえないことは自明である。ましてや、行政府の憲法解釈の変更によって、憲法の根幹を揺るがす「行政府による実質的改憲」が許されてよかろうはずはない。

先に、「96条先行改憲論」が立憲主義をないがしろにする姑息な手法として、大きな世論の叱責を受けた。この度の内閣法制局長官の交代人事による解釈改憲の「手口」は、姑息さという点では、遙かにこれを凌ぐ。西川意見に続いて、法制局長官の首のすげ替えによる解釈改憲を糾弾する大きな声を上げよう。至るところで、自分の言葉で、自分流に。
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   『手に負えない、水の反乱』
「水は天からもらい水」。だから、鷹揚にジャブジャブ使うか、有り難がって大切に使うか。日本は降水量が多いというのは間違いらしい。年平均1700?と世界平均の2倍雨が降るのは正しい。しかし、国土が狭くて人口が多いので、ひとり当たり降水量は5000?で世界平均の3分の1という計算になる。たいして恵まれているわけではない。やっぱり、水は大切に使わなくてはならないのが正解。

100ミリ豪雨が都心を急襲した翌日、7月24日から関東6都県で10%の取水制限が始まった。隅田川花火中止の土砂降りを思い出しても、雨がよく降っている印象なのにと、首をかしげたくなる。

首都圏は利根川と荒川と多摩川の3水系を水源としている。そのなかで最もたくさん水を恵んでくれるのは利根川だ。その上流にある矢木沢ダムなど、8つのダムの貯水率が6割ちかくまで落ちている。東京に雨が降っても、群馬県に降ってくれないと、東京が渇水する。暖冬で雪解けが早かったことと、関東の梅雨明けが早かったことも、ダムに水が貯まらない原因らしい。そのうえ、気象庁の予報では8月前半、雨が少ないということなので、取水制限が給水制限になる恐れが充分ある。

ダムの水は生活だけでなく、農業にも工業にも使われている。キャベツやレタスをはじめとして、野菜全般値上がりをしている。田圃に水が不足すると、受粉ができず、お米がしいな米になって収量が減ってしまう。農業の一大事だ。

東京都民は生活用水として、1人1日240リットル使っている。2年前、放射能含有を恐れて、飲み水、炊事用水に困った。今回、給水制限になれば、炊事ぐらいはできるだろうが、トイレ、風呂、洗濯が制限される。ひさしく経験したことのない非常事態だ。

生活に欠かせない水道光熱のなかで、なくなったら命に関わるほど困るのは「水」。原発の停止で、電気代はうなぎ登り。円安のせいで、ガス代も値上げ。そこへいくと、水は安くて値上げもない優等生だ。大切に使わないと、水がストライキを起こすかもしれない。いやもう、大暴れをはじめたのかもしれない。福島原発で放射能汚染水になって。どうしたらいいか解らないほど恐ろしい。
(2013年8月7日)

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Published in 水曜日, 8月 7th, 2013, at 22:38, and filed under 未分類.

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