戦没者追悼の名で、戦死者の利用を許してはならない
8月15日を何の日と呼ぶべきだろうか。迷いはするが、大勢に随って「終戦記念日」ということにしたい。「終戦」は当時の人々の実感であったろう。貴重な平和を希求し忌むべき戦争を繰り返さない決意を新たにするべき日。
「終戦」のそのときまで、夥しい死が積み重ねられた。近親や身近な人の死への哀悼の念は厳粛なものとして受け止めるべきが当然である。しかも、「終戦」を境に、死を免れた国民が、心ならずもの死を余儀なくされた戦没者を追悼する心情も自然な発露として共感せざるを得ない。軍人軍属の戦死であろうと、民間人の空襲による死であろうと、追悼に異論があろうはずはない。
同胞の死を悼む気持は自然の感情である。しかし、戦争相手国の民衆の死を悼む気持は必ずしも自然なものではない。敵国兵であり敵国民であった人の死、言葉も解せずどのような生活をしていたのか想像しがたい人々の死、ことさらの蔑称をもって敵意や差別感情を煽るように仕向けられていた人々の死。その死に心を痛め追悼する気持は、理性や想像力を必要とする。自分だけではない、他人も自分と同様に近親の死は辛い。自国だけでない、相手国の人々も自国と同様に戦争被害は国民的な惨事なのだ。戦争による同胞の死の痛みを、敵国や敵国民への憎悪のままとするのではなく、相手国の人々も同様の痛みを体験しているのだという理解への努力は、平和のために不可欠である。
さらに、先の戦争は、我が国の近隣諸国に対する侵略としてなされた戦争であった。大義のない戦争を仕掛けた加害者として被害国への謝罪が必要なのだ。このことは、辛いことだが認めざるを得ない。我が国は、今次の戦争が侵略戦争であることを前提とした東京裁判の判決を全面的に受け入れることを公式に認めて、国際社会に復帰したという事情もある。
近隣諸国の民衆の悲惨は、我が国の戦争の惨禍の何層倍ものものであり、しかもその被害は我が国の侵略によるものである。この侵略戦争の加害責任を認めるか否か、これが「歴史認識」問題である。加害の罪は謝罪し清算しなければならない。被害者の心情を癒すにたりる衷心からの謝罪をし、これを受け入れてもらうところから近隣諸国との友好の関係が始まる。
戦死者の遺族には辛くとも、その戦死をもたらした戦争を美化してはならない。戦死者の死を意義あらしめる唯一にして最高の方途は、その死をもたらした戦争をありのままに見つめることを通じて、再びの戦争をなくし再びの戦死者を出さないことなのだ。
終戦記念日恒例の全国戦没者追悼式においては、天皇のことばにも、安倍首相の式辞にも、加害責任に触れるところはなく、近隣諸国の民衆に対する一言の謝罪もなかった。ひたすらに、内向きの戦没者追悼に終始し、近隣諸国の厳しい目からは、平和への決意を疑わざるを得ないものとなっている。
政府の姿勢は、首相の靖国神社参拝にも表れている。安倍首相は、内外の批判の高まりの中で自身の参拝は見送ったが、代理人によって参拝し私費で玉串料奉納をした。記帳の肩書きは、「自民党総裁」だったという。
靖国神社とは、もともとが天皇軍の戦死者の霊を神として祀り、その霊に天皇に仇なす敵への報復を誓う軍事的宗教施設であった。日本が対外戦争を重ねるようになってからは国を挙げての軍国主義鼓吹の道具としての宗教的軍事施設となった。天皇への忠誠を尽くしての戦死者を「英霊」と美称して褒め称えるき、戦争の性格を問うことは許されない。戦後靖国神社が一宗教法人となってからも、靖国神社の思想にいささかの変更もない。A級戦犯を含む戦死者を英霊として合祀する靖国神社は、先の大戦を自尊自衛の戦争として、侵略戦争であることをけっして認めない。国や自治体の代表者の靖国への参拝は、英霊を生んだ戦争を公式に肯定することに繋がる。
けっして、戦死者の利用を許してはならない。戦死者を哀悼する痛切な遺族の念を戦争の合理化のために利用してはならない。戦死を美化する死者の利用や、遺族の気持ちの利用への反対に怯んではならない。
憲法の危機の中で迎えた終戦の日の決意である。
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『さしもの猛き夏も・・』
夏日、真夏日、連日の猛暑日。さらに今年は酷暑日という言葉も飛び交う。去年、新記録で意気が大いに上がた熊谷市が今年はがっかりしている。高知県の四万十市の41℃には完敗してしまったからだ。そんなことで「暑く」ならなくてもいいのにとおかしい。
桁外れの猛暑なのに、「電力がなくなって大変だ、大変だ」と電力会社が、去年のように騒がない。消費者が上手に節電できるようになって、東京電力も当てがはずれているようだ。9月15日には大飯原発4号機も止まって、再び原発ゼロが実現する。
終わりなき夏にうんざりしていたら、今朝、今年初めてのツクツクボウシが鳴いた。ツクツクオシイという声を聞くと、耐えがたいこんな暑い夏でも終わるのが「惜しい」気分になる。夜になると窓の外では、コオロギもリッリッリッと鳴き始めている。秋ももうすぐだ。
とは言え、天気予報では、もう少し炎暑は続きそう。世界ではイラクのバスラというところで、58.8℃(計測が怪しいという声もある)、日本では東京足立区で42.7℃という記録があるそうだから、まだまだ油断は禁物。ぜひ、ご自愛を。
(2013年8月16日)