10月4日スラップ「反撃」訴訟の勝訴判決以来、会う人ごとに「おめでとう」「よかったね」と言われ続けている。とても気分は良い。そして、「この裁判を知ってからDHCは買ってないよ」「ウチは、DHCは以前から買ってない」と,多くの人から聞かされる。面倒を厭わず闘い続けた甲斐があったと思う。本当によかった。弁護団や支援の皆様には感謝の言葉しかない。
しかし、なかには、「いったい、DHCと吉田嘉明にどんな悪口を言って、裁判までされたの?」という質問をする方もいる。かすかに、「裁判までされたのは、よほどのことを言ったからでしょう」というニュアンスが感じられる。
そこで、私が、名誉毀損として訴えられたブログのすべてを掲載しておきたい。そのブログは全部で5本。名誉毀損とされた表現の個所は合計16個所ある。これを並べてお読みいただきたい。私のブログは吉田嘉明を厳しく批判するものだ。吉田の耳に痛いことは当然として、この私の言論が許されざる違法なものであるかどうか、読者ご自身の憲法感覚でご判断いただきたい。
2014年3月27日、吉田嘉明の独占手記「さらば器量なき政治家・渡辺喜美」掲載の週刊新潮(4月3日号)が発売になった。私は、これを批判するブログを3本書いて、DHC・吉田嘉明から、2000万円の損害賠償請求の訴えの提起を受けた。損害賠償請求と併せて、ブログ記事の削除と謝罪文掲載の請求もあった。私のブログ記事掲載は、同年3月31日、4月2日、4月8日のこと。これを違法とするDHC・吉田嘉明の訴え提起は、4月16日のことだった。
その3本の「2000万円相当ブログ」は下記のとおり。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
この提訴の訴状に不備があったのか、訴状の私への送達は遅れて、5月16日となった。友人と相談して、弁護団態勢を組む目途が付いた頃から、私は不退転の決意で反撃に出た。当ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの掲載を開始したのだ。その第1回が、同年7月13日のこと。
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在162弾まで)
以上のとおり、私は猛烈に書き続けた。怒りこそが、エネルギーの源泉である。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの最初の方ものは、読み物としてもできのよい面白いものではないか。
しかし、吉田嘉明にしてみれば、黙れと恫喝したのに反撃されたことが面白くないものと映ったようだ。8月29日付の書面で、2000万円の損害賠償請求金額は6000万円に跳ね上がった。その根拠とされたものが、第1弾と、第15弾の2本のブログ、第1弾の5個所と、第2弾の1個所が名誉毀損の表現部分だという。
https://article9.jp/wordpress/?p=3036(2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾
https://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾
以上の経過で、損害賠償請求の根拠とされた私のブログは、合計2000万円相当の3本と、合計4000万円相当の2本となった。これを以下のとおり、再掲しておきたい。なお、赤字部分が名誉毀損表現として特定された文章である。
**************************************************************************
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。
私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。
「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。
もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。
DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。
もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。
選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。
この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。
DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)
**************************************************************************
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。
渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。
ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。
もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。
では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。
では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。
もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。
今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。
いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。
興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。
それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。
たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。
同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。
サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。
大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。
これが、おそらくは氷山の一角なのだ。
(2014年4月2日)
**************************************************************************
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。
朝日新聞 渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
毎日新聞 渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
東京新聞 渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
日本経済 党首辞任はけじめにならない
読売新聞 渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ
産経新聞 渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る
各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。
毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。
もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。
DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。
自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。
政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。
仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。
主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。
政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。
(2014年4月8日)
**************************************************************************
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾
当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。
その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。
私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。
DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。
私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。
DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。
原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。
万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。
本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。
このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。
応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。
本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。
なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。
是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
**************************************************************************
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾
政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。
政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」
立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。
改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。
キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。
砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。
「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。
今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。
どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。
私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。
事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。
にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。
この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。
憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。(2014年8月8日)
私に「6000万円支払え」と訴訟を提起した根拠が、以上のブログ記事である。これを違法として「6000万円支払え」と請求した人物が、DHCの吉田嘉明。読者諸賢の読後感はいかがだろうか。
問題は2段階ある。まずは、この内容の言論が違法とされてよいのか、ということ。そして、この内容の言論を違法として提訴し、表現者に応訴の負担をかけることが許されるのか、ということ。
私は、改めて読み直して、いずれの記事も正鵠を射たものであり、DHC・吉田嘉明の提訴違法について改めて確信を深めている。
(2019年10月9日)
ご近所のみなさま、ここ本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま。
こちらは、「本郷湯島九条の会」です。日本国憲法と平和をこよなく大切なものと考え、憲法の改悪を阻止し、憲法の理念を政治や社会の隅々にまで活かすことを大切という思いから、志を同じくする者が集まって、「九条の会」を作って、憲法を大切しようという呼びかけを続けています。
私たちは、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで6年近くにもわたって、ここ「かねやす」前で、明文改憲を許さない、解釈による壊憲も許さない、憲法の理念を輝かせたいと訴え続けて参りました。いまは、「安倍9条改憲」の策動を厳しく糾弾しています。
配布しています、手製のチラシをお手にとってお読みください。大きな見出しで、「9条改憲を許さない」「軍事優先社会へ日本が変貌する」「自衛隊明記9条改憲の狙い」と並んでいるとおりです。なお、「NHKに励ましと抗議を」「元号使用強制反対」「教育の自由を守れ」などの集会のチラシも配布しています。また、9条改憲阻止の「3000万署名」にもご協力ください。
さて、いくつもの問題が山積している2019年10月です。まず消費税が上がりました。腹が立ちます。軽減税率という煩わしい制度にも馴染めません。何のための消費増税でしょうか。福祉を支えるため? そんなことをだれも信じていません。そんな実感は、だれにもありません。
消費税が創設されたのは1989年、以来31年間で、国が徴収した消費税総額はほぼ400兆円になります。ところが同じ時期に、法人3税(「法人所得税」「法人住民税」「法人事業税」)はほぼ300兆円減税・減収になっています。所得税・住民税も200兆円を越える減税・減収。小さく生まれて大きく育ってきた消費税は、累進性を押さえた、法人税や所得税減税分の穴埋めに消えてしまったのです。
逆進性の高い消費税を増やし、本来累進性を高めるべき所得税や法人税を減税するのは、苦しい庶民のフトコロから金を巻きあげて、金持ちや大企業にばらまいているに等しいことではありませんか。こんな税制を作ってきたのが、自公の与党政権なのです。あきらかに金持ち優遇、弱者に冷たい。憲法が定める生存権の理念に反するものといわざるを得ません。必要な税金は、あるところから、つまり儲けている大企業や富裕層に負担させるべきが当然ではありませんか。消費増税をあきらめるのではなく、今一度、税制のあり方、こんな税制を押し付けている自公政権のあり方を真面目に考えて見ようではありませんか。
もう一つだけ申しあげます。
本日(10月8日)の午後に、これまで中止となっていた、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由・その後」が再開となります。いったんは脅迫や暴力を示唆する勢力によって中止を余儀なくされた企画展ですが、表現の自由が脅迫や暴力に屈してはならないと真剣に再開を望む良識ある世論が実ったものと喜びたいと思います。
表現の自由の本質とその限界について確認しておきましょう。まずは、その自由の限界についてです。この展示の企画や運営を批判する自由はだれにもあります。意見があれば、忌憚なく表現の自由を行使すればよいのです。しかし、批判の言論を越えて、脅迫や暴力を示唆して展示を妨害する権利はだれにもありません。それは、悪質な犯罪として、厳しく取り締まられなければなりません。
もちろん、威力による業務妨害をけしかけることも犯罪です。また、河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官など、権力の陣営にいる人物は、一般の国民とは違って、権力を背景に展示の可否についての発言を慎まなくてはなりません。その強い立場で、本来自由に形成されるべき国民の意見を抑制したり誘導したりせぬよう配慮が必要だからです。
そして、表現の自由の本質について強調しなければなりません。表現の自由は、時の政権や多数派を批判できるところに,その神髄があります。表現の自由は人権ですから、民主主義という理念に優越するものと考えざるを得ません。「日本人の心を傷つける」から発言を慎まなければならないとは、愚論も甚だしい。
いま、日韓関係が冷え込み、政権やメディアが、韓国バッシング一色に染まっている感があります。このようなときにこそ、日韓の歴史に思いをいたし、歴史の修正を批判して隣国との友好を大切しようという言論は貴重なものです。その意味でも「平和の少女像」の展示の権利を侵害してはなりません。
もう一つ、天皇の肖像の扱いが問題とされている作品があります。今の世は、大逆罪や不敬罪がまかりとおる時代ではありません。天皇をどう語るかについて、萎縮したり、遠慮したりする必要はありません。天皇とは、主権者国民の意思によって存在しています。天皇制を存続させるべきか否か、どのように天皇についての制度を設計するか、天皇制の維持についての経済的負担をどの限度で認めるべきか、すべては国民の意思によって決せられます。むしろ主権者としての国民は,遠慮なく天皇について語るべきなのです。天皇制についての肯定・否定両論があるのは当然のことです。天皇の存在を肯定し、天皇をことほぐ意見だけが許容されるという偏狭な考えは、憲法の国民主権原理に反する暴論と言わざるを得ません。
いま、天皇批判の言論の許容度こそが、表現の自由一般の程度をはかるバロメータとなっている感があります。今回、中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」の展示に天皇の肖像が関わっていることに注目せざるを得ません。いま、事を荒立てたくないから、面倒なことにかかわりたくないからとして、天皇にかかわる言論を避けて自粛することは、表現の自由の幅を著しく狭めていくことにほかなりません。
国民が萎縮し自粛して、自ら表現の自由を抑制すれば、やがて人権としての表現の自由は枯死することになるでしょう。表現の自由がなくなった社会とは、権力が何のはばかりもなく、思いのままに振る舞うことができる社会。それが、人権も平和もない、全体主義と呼ばれる社会です。「表現の不自由展・その後」の再開は、まだ私たちの社会が、人権や民主主義を枯渇させることのない復元力を持ってることを示したのだと思います。
展示再開の意味を,それぞれに、自分なりに考えようではありませんか。
(2019年10月8日)
まずは下記をクリックして、NHKへの抗議と激励の「アピール行動」案内をお読みいただきたい。
10-11 -kanpo_ (004)
日時:10月11日(金) 17時半?18時半
場所:NHK放送センター西門周辺
(最寄り駅:澁谷・原宿・明治神宮駅)
いま、NHKにトンデモナイ事態が生じている。とうてい見過ごすことができない。もっとも、正確に言えば、トンデモナイの元兇はNHKではなく総務省であり、さらには官邸なのだ。しかし、まずはNHKの政策スタッフを激励しなければならない。そして、総務省や官邸の手先となっている、NHK上層部や経営委員会には、抗議の声を挙げなければならない。激励と抗議、この両者が必要なのだ。
NHKに何が起きたのか。あの「かんぽ契約不正」を追及したNHKの「クローズアップ現代+」が、よくやったと褒められて当然というべきなのに、不祥事を起こした当の日本郵政から叱られ抗議されるという、石が流れて木の葉が沈んむ事態となった。
日本郵政には元総務省事務次官が天下って副社長となっている。このところすっかり有名になった、上から目線のアマクダリビトの名が鈴木康雄。日本郵政とは、かんぽ不正事件の取材対象というという存在にとどまらない。意識としては、完全に総務省と一体になって、NHKに圧力を掛けることができると思い込んでいる組織なのだ。
日本郵政は、「クロ現」に「かんぽ不正」を暴かれて、反省するどころか逆襲に出た。2018年8月2日付で、上田良一会長宛てに「NHKにガバナンスの検証を求める」文書を送付。その後、NHKは予定していた続編の放送を延期することを余儀なくされた。
また日本郵政は、NHK経営委員会にも「必要な措置」を要求。10月23日、なんと経営委員会は上田会長を「厳重注意」とし、11月7日、NHK上田会長は非を認めて事実上の謝罪に追い込まれている。アベコベなのだ。
「クロ現」は、番組の続編を作るとして不正事実の情報提供を募る動画をネットに掲載していた。ところが、日本郵政抗議に会長謝罪という事態に、続編放映の実現は大きく遅れ、動画も削除された。
鈴木康雄副社長は、NHK側から「取材を受けてくれれば動画を消す」と言われたと説明。記者団に対し、「まるで暴力団と一緒。殴っておいて、これ以上殴ってほしくないならやめたるわ。俺の言うことを聞けって。バカじゃねぇの」と述べた。これが、総務省から天下りの日本郵政副社長の口の利き方である。
問題は、権力側からの圧力にNHKがかくも脆弱なことである。日本郵政の副社長が元総務次官の肩書を使って、放送に圧力をかけ、それに経営委員長が加担するという、このムチャクチャ。この介入に抗して、経営陣が毅然と現場を守るという気概がないのだ。
今さら言うまでもなく、NHKは公共放送である。ジャーナリズムの本流に位置して、権力からの独立を期さねばならない。ひとえに、国民(視聴者)の知る権利を全うするために。
視聴者は、放送・受信を媒介にNHKと向き合うが、NHKの背後には、総務省があり、さらにその奥に官邸がある。NHKには2面性があり、視聴者に顔を向けている制作スタッフと、権力機構につながるNHK上層部や経営委員会。権力からの独立を志向する側面と、放送に介入し権力による統制の手先となる側面と。
権力の手先となって、番組への外部からの介入に積極的に加担した、石原進経営委員長には辞任を要求しなければならない。良識あるNHKの番組制作スタッフ、経営委員は励まさなければならない。このアピール行動へのご参加をお願いしたい。拡散にもご協力いただきたい。
なお、下記は、関連事件についての日本郵政株式会社宛の「申し入れと質問書」である。
**************************************************************************
2019年10月4日
日本郵政株式会社
社 長 長門正貢 様
副社長 鈴木康雄 様
NHKに対する貴社の抗議の撤回、NHKの視聴者に対する謝罪を求める申し入れとそれに関連した質問書
NHK を監視・激励する視聴者コミュニティ
共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
皆様におかれましては、ご多忙の毎日をお過ごしのことと存じます。
9月26日以降の『毎日新聞』等の報道によって、貴社は昨年4月に放送された「NHKクローズアップ現代+」の、かんぽ生命保険の不正販売の報道につき、何度か、動画の削除、ガバナンスの強化など「善処」を申し入れてこられたことが明らかになりました。
しかし、長門社長は9月30日の記者会見で、番組内容は事実であり、NHKに抗議や申し入れをしたことを深く反省していると陳謝しました。
ところが、10月3日の『朝日新聞』朝刊に掲載された鈴木副社長名のNHK経営委員会宛ての書簡(2018年11月7日付け)では、「当方からの貴委員会へのお願いにつきましては、貴委員会にても、また執行部にても、充分意のあるところをお汲み取りいただいた」ことについて謝意を述べると同時に、鈴木氏の職歴を記しながら、「ひとりコンプライアンスのみならず、幹部・経営陣による番組の最終確認」も求めています。
このような貴社のNHKに対する抗議と干渉、続編放送に対する妨害は、かんぽ生命保険の不正販売の実態について、NHKの視聴者の知る権利を侵害するものにほかなりません。
以上のような経過に関して、次のとおり、申し入れと質問をいたします。申し入れについては、どのように受け止め、対処されるのか、質問については、項目ごとに、書面で、10月10日(木)までに、別紙宛てにご回答をお送りくださるよう、お願いします。
申し入れ
1.9月30日の長門社長の謝罪を踏まえて、貴社が昨年来、NHKに抗議や「善処」の申し入れをしたことを撤回するとともに、NHKの視聴者の知る権利を侵害したことについて、NHKの視聴者に謝罪するよう、要求する。
2.鈴木副社長名のNHK経営委員会宛ての前記書簡の中で、経営委員会に対して、「番組の最終確認」も求めたのは、「放送法」第32条が禁じた経営委員による個別の番組編集への関与・干渉を教唆するものであり、それこそ、NHK役職員に課されたコンプライアンス違反を扇動するに等しい。この点について、鈴木副社長の謝罪と当該求めの撤回を要求する。
質 問
1.長門社長が9月30日の記者会見で上記のような謝罪をした後、貴社広報担当の木下範子執行役は取材に対し、NHKへの抗議について、「当時の状況下で行ったこと」と述べ、謝罪したり、抗議や申し入れを撤回したりする考えはないと明言している(『毎日新聞』2019年9月30日)。
執行役が社長の謝罪を覆す発言をするのでは、貴社のガバナンスが疑われる。長門社長の謝罪発言が貴社の真意なら、木下執行役の発言を撤回するのが当然と考えるが、どうなのか、貴社の正式の見解を求める。
2.鈴木副社長は、これまで、NHK執行部ならびにNHK経営委員会に対する「善処」の申し入れは、NHKのガバナンスの徹底を求めたものであって、番組編集への介入、圧力にはあたらない、と説明してきた。
しかし、鈴木氏がNHK経営委員会宛てに送った前記の書簡の中で、「ひとりコンプライアンスのみならず、幹部・経営陣による番組の最終確認」も求めていたことは、日本郵政によるNHKへの一連の抗議、申し入れの実質は個別の番組への干渉、圧力にほかならず、ガバナンス云々は口実に過ぎなかったと考えられる。こうした指摘を貴社はどう受け止めるか、見解を求める。
3.長門社長の謝罪発言が貴社の公式見解なら、鈴木副社長の従前の言動は撤回され、謝罪のうえ、鈴木氏に対し、しかるべき責任が問われて当然である。貴社は鈴木副社長を何らかの引責処分することを考えていないのか、見解を求める。
以上
(2019年10月7日)
一昨日(10月4日)、臨時国会冒頭の首相所信表明演説。これには驚いた。安倍晋三が臆面もなく、金子みすずを引用したことにである。みすゞファンには、さぞや衝撃の災厄であろう。
世の中には、釣り合いというものがある。梅に鶯、竹には雀、月には雲居、スッポンに泥水ではないか。安倍晋三には旭日旗がお似合いだろう。あるいはハーケンクロイツか。同じ山口県でも、金子みすずはこの上なく不釣り合い。
誰が原稿書いたやら、安倍はこう言ったのだ。
「みんなちがって、みんないい」 新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります。みんなが横並び、画一的な社会システムの在り方を、根本から見直していく必要があります。多様性を認め合い、全ての人がその個性を活かすことができる。
「みんなちがって、みんないい」は、みすゞの『私と小鳥と鈴と』の中のよく知られたフレーズだが、「ウソとごまかし」の安倍晋三に引用されたことによって、この詩のイメージは汚された。これを再び清浄化することは、河清百年を待たねばならない。
安倍の引用で、みすずの詩は、こんなイメージになってしまったか。
私が両手を広げても、
青いお空は横を向く。
私が身体をゆすっても、
身から出る錆落ちるだけ。
だれも仲良くしてくれぬ。
私が声を張り上げて、
これは「TAG」と言ったけど、
気遣い無用とドナルドは、
「FTA」だと言っちゃうの。
「せめて2島」と言ったのに、
ゼロ回答とはこれいかに。
私の面目丸つぶれ。
ほんにつれないプーチンさん。
いつの間にやら大国に
なってしまった中国の
タメ口きけない習近平
出るは溜息ばかりなの
なんの手立てもないままに
ちっとも進まぬ拉致問題
どうして忖度してくれぬ
お恨みしますぞ金正恩
忖度お上手萩生田さん
赤坂自民亭には西村さん
メッキのはがれた進次郎
口をへの字の麻生さん
トランプ、プーチン、習と金。
私を加えて5人組み。
国の中にもいろいろで、
みんなちがって、みんなダメ。
所信表明で、安倍はこうも言っている。
「本年5月、天皇陛下が御即位されました。即位礼正殿の儀をはじめとする各式典がつつがなく、国民がこぞって寿(ことほ)ぐ中で行われるよう、内閣を挙げて準備を進めてまいります。」
えっ?? 国民がこぞってことほぐよう準備って? そりゃいったい何だ。けっしてことほがないと決めている私にも、ことほげとおっしゃるのか。それじゃ、「みんなちがって、みんなよい」ではない。多様性尊重は、やはりお得意のウソか、ゴマカシか。
どうせ安倍の言うことだ。中身は,ありきたりのタワゴトとうかうか聞いていると突然おかしいことになる。かならず、最後がこうなのだ。
「令和の時代の新しい国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
その道しるべは、憲法です。令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法調査会(ママ)ではないでしょうか。私たち国会議員が200回に及ぶその歴史の上に、しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか。」
「令和の時代の新しい国創り」という無内容な話が、突然に改憲問題となる。安倍の話は、最後が「それにつけても憲法改正」なのだ。
「みんなちがってみんないい それにつけても憲法改正」
「多様性尊重社会を作りたい それにつけても憲法改正」
「元号が令和に変わった新時代 それにつけても憲法改正」
「忖度とウソとゴマカシ安倍政権 それにつけても憲法改正」
「国民よこぞって寿げ代替わり それにつけても憲法改正」
「無理にでも創るぞ一億総活躍社会 それにつけても憲法改正」
「こりゃたいへん社会の少子高齢化 それにつけても憲法改正」
「一強が何とか乗り切るモリとカケ それにつけても憲法改正」
「外交は八方ふさがり成果ゼロ それにつけても憲法改正」
「がんばるぞあきらめないぞ原発は それにつけても憲法改正」
「今度こそ必ず開くぞ憲法審査会 それにつけても憲法改正」
「犬が西むきゃ尾は東 それにつけても憲法改正」
「春夏秋冬朝昼晩月月火水木金金 それにつけても憲法改正」
(2019年10月6日)
昨日(10月4日)言い渡しの「DHCスラップ『反撃』訴訟」判決。勝訴判決の理由を、少し補充しておきたい。スラップを違法とする枠組みと、論理的な手順を語って、応用範囲が広いと思われるからだ。
繰り返しになるが、判断の出発点は、以下の最高裁判例が提示した枠組みである。
「訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人が、そのことを知りながら、又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法行為となる」
分かり易く噛み砕けば、こういうことだ。
「民事訴訟の提起は国民誰しもにある権利だが、その提訴の内容が客観的に勝てないものであって、しかも提訴者が勝てない提訴であることを知っていながら敢えて提訴するということになれば、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くことになって、提訴自体が相手方に対する違法行為となる。勝てない提訴であることを認識していなくても、普通なら勝てない提訴と容易に分かるはずと言える場合も同じことだ」
問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
A「客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
くどいようだが、こういうことだ。
「民事訴訟の提起は国民の権利だが、吉田嘉明の澤藤に対する提訴の内容が客観的に勝てないものであって、しかも吉田が勝てない提訴であることを知っていながら敢えて提訴するのは、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとして、提訴自体が澤藤に対する違法行為となる。仮に、吉田が勝てない提訴であることを知らなかったとしても、常識的に勝てない提訴と容易に分かるはずと言えるなら、やはり提訴は違法となる。」
吉田の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定する。この判定過程が、この判決の真骨頂。当該判示部分の冒頭を抜き書きする。
原告澤藤ブログ(5本)は,本件(吉田嘉明の週刊新潮)手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を前提に、他の情報を付加することなく、原告が考える政治と金銭との健全な関係の観点から、本件(8億円)貸付について、被告吉田の内心の推察を試みつつ批判を加えようとするものと読み取ることができる。そうすると、原告ブログは、本件手記ないし本件朝日新聞記事に記載されている事実を元にした社会的な評価や推論であることが理解可能である記述部分や,人の内心に係る一般的な行為の動機の問題である記述部分からなり、被告吉田の本件(8億円)貸付の動機についての事実の摘示を含むものと解することはできないのであり、このことは、一般の読者において同様の理解が容易というべきである。
つまり、澤藤ブログは、「評価や推論」であること、そのことが容易に分かることが、B1・B2判断の出発点となつている。
言論は、「事実摘示」部分と「意見または論評」部分とからなるとし、事実摘示については真実性(ないし真実と信じるについての相当性)が求められるのに対して、「意見または論評」については表現の自由が大幅に認められ、人の名誉を毀損する「意見または論評」も、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り免責される。これを、米判例に倣って「公正な論評の法理」と呼び、日本の最高裁もこれを採用している。もちろん、「意見または論評」には、前提としている事実があるはずで、その前提事実には真実性(相当性)が要求される。
そうすると、吉田の名誉を毀損するブログの表現部分が違法ではなく、違法でないことを知っていたか、容易に分かったはず、というためには、
?ブログの内容が「意見または論評」であること、
?その「意見または論評」の前提となる事実が真実であること、
?さらに、「意見または論評」が公共に関わるものであって、
?もっぱら公益の目的に基づいてなされている
ということを、吉田が知っていたか、あるいは常識的に知っていたはずと言えるかを判断しなければならないことになる。
この作業の中核は、「?その『意見または論評』の前提となる事実」を特定すること、特定された事実の真実性を吉田が認識していたか、あるいは容易に認識し得たと言えるかの判断にある。
DHC・吉田嘉明が、自分たちの名誉を毀損したという澤藤ブログは計5本。その中に具体的に特定された名誉毀損の表現部分は16個所である。判決は、この16個所の全部を詳細に検討して、すべての表現部分について、「吉田が違法性阻却要素のすべてを知っていたか、あるいは常識的に知っていたはずと言える」と結論する。
具体的な意見の前提事実の主要なものとして、下記の点が挙げられている。
「原告ブログは、いずれも意見ないし論評であるところ、その前提としている事実の重要な部分は、被告吉田が被告会社の代表取締役会長であり、被告会社が主に化粧品やサプリメントを扱う事業者である事実(事実?)、「被告吉田が様々な規制を行う官僚機構の打破を求め、特に、被告会社の主務官庁である厚生労働省の規制について煩わしいと考えていた事実(事実?)、被告吉田が渡辺議員に合計8億円を貸し付けた事実(事実?)、被告吉田が雑誌に本件手記を掲載し、渡辺議員との関係を絶った事実(事実?)である。事実?は、当事者間に争いがなく、事実?ないし事実?の各事実は、本件手記に記載されていた内容であり、いずれも被告らにおいて真実として認識していたものである。他に、上記の各原告ブログが前提としている事実の重要な部分には、渡辺議員が平成26年3月31日付けの自己のブログで「DHC会長からの借入金について」と題する記事を掲載し、その中で、被告吉田と渡辺議員との関係について記載したという事実(事実?)、マスコミを使った大量の広告、宣伝により、サプリメントが販売されている事実(事実?)、サプリメント業界において規制緩和を求める動きが存在する事実(事実?)、被告会社において、過去に機能性の評価が不十分であったり、安全性に問題があったりするサプリメントが販売されていた事実(事実?)があるが、事実?ないし?は,公知の事実又は被告らにおいて当然に認識していた事実と認められ、また、事実?は上記貸付の当事者である渡辺議員によるブログ記事であり、本件記事掲載後のインターネット上の反響等を観察していた被告らにおいて、容易に認識し得た事実と認められる。そうすると、以上の事実もまた、被告らにとって、その真実性が明らかであったということができる。
その上で、判決はこういう。
「本件各記述に攻撃的な表現が含まれているとしても、その内容は、前件訴訟における被告らの主張を前提としても、「尻尾を振る」、「利益をむさぼる」、「汚い金」、「私欲のために金で政治を買おうとした主犯」といったものであり、これらはいずれも、本件貸付又はこれを通じた被告吉田と渡辺議員との関係に関する批判であることが、記載自体から明らかなものであるから、被告吉田個人の人格攻撃に及ぶものとはいえず、意見ないし論評としての域を逸脱するものとはいえないことは被告らが容易に認識し得るものといえる。
判決は、結論をこう結んでいる。
以上によれば、被告ら(DHC・吉田嘉明)が前件訴訟の提起等を行うに当たり、被告ら(DHC・吉田嘉明)にとっては、本件各(澤藤ブログの)記述が意見ないし論評であることについても、また、本件各記述が公正な論評の法理により違法性を欠くことについても、容易に認識可能であったということができる。したがって、被告ら(DHC・吉田嘉明)による前件訴訟の提起等(請求の拡張を含む)は、原告ブログ(計5本がいずれも)意見ないし論評であり、その前提としている事実の重要な部分が真実であり、違法性を欠くものであって、請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、原告(澤藤)に対する違法行為と認められる。
以上のとおり、5本のブログの16個所のすべてについて、これを名誉毀損として提訴することが違法だという判断なのである。しかも、その判断に迷いがない。その意味では、違法論では澤藤側完勝と言ってよい判決。被告の弁明についても丁寧な反論をしており、今後のスラップ違法判断のリーディングケースとなると思われる。
もっとも、損害論は違法論と比較して精緻さを欠く。どうしても、不満の残るところ。さて、控訴あるべきか否か。
(2019年10月5日)
本日(10月4日)13時15分。東京地裁415号法廷。裁判長(前澤達朗)が判決を読み上げる。朗読が「原告の…」から始まれば、棄却判決で私の敗訴。「被告らは…」で始まれば、認容判決で私の勝訴。
「主文…」。ほんの少しだけ間をおいて、「被告らは,原告に対し,」と続いた。私の勝訴である。あとは落ちついて聞くことができる。「…連帯して110万円及びこれに対する平成26年8月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え」「原告のその余の請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は,これを6分し,その1を原告の負担とし,その余は被告らの連帯負担とする」とつづき、最後に「この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる」で、主文の朗読は終わり。
「理由は判決書をお読みください」で、裁判官3人は席を立った。法廷内の弁護団と支援の傍聴者から、期せずして拍手と歓声が起こった。「よかった。よかった」「ご苦労様」「ありがとう」。その歓声に、法廷を出ようとしていた裁判長が、くるりと傍聴席の方に向き直った。そして、「法廷では拍手をお控えください」。勝訴の法廷だから、とげとげしい雰囲気にはならなかったが、少々驚いた。いろんな裁判官がいるものだ。
前件の「DHCスラップ訴訟」では、勝訴は確実と思っていた。これに続く、今回の「DHCスラップ『反撃』訴訟」では、勝訴のはずとは思っていたが、確実とまでは思えなかった。ところが、判決の中身は、実に明確に、そして簡潔にDHC・吉田嘉明による提訴の違法を認定している。
判決の出発点は、次の最高裁判例である。
「訴えの提起は,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り,相手方に対する違法行為になるものというべきである(最高裁判所昭和63年1月26日第三小法廷判決)。
その上で、大要次のように判断する。
「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して訴えを提起し、損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについても、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が澤藤に対する違法行為になる」
「DHC・吉田嘉明には澤藤ブログが面白くないとしても、裁判をしても勝てっこないことは分かっていたはず。仮にそのことが分かっていなかったとしても、普通の人なら容易にそのことが分かったはずなのだから、そんな提訴はしてはいけない。してはいけない提訴をしたことは澤藤に対する違法行為として、損害賠償の責任を負うことになる」ということでもある。
660万円の請求に対する110万円の認容だから、この金額に不満は残るところではある。もっとも、判決は、「一見して負けるはずもない損害賠償請求訴訟をされたのだから、大きな精神的打撃を受けたとは言い難い」という趣旨が述べられている。
認容額の多寡はともかく、スラップ提訴の違法を簡明に認めた判断をしている点では、影響の大きな貴重な判決と言えよう。光前幸一弁護団長は、記者会見で「民事訴訟制度は社会の公器。それを強者の凶器としたのがスラップ訴訟」という名言を残している。
スラップが横行するところ、公共の言論は萎縮し、民主主義は形骸と化すことにならざるを得ない。本日の判決は、東京地方裁判所民事一部の判決として、重みをもつ。近時のスラップ横行の潮流に歯止めを掛けるものとして評価に値する。
さて、吉田嘉明に聞いてみたい。彼は裁判所から本人尋問のために出廷の呼出を命じられていながら出廷を拒否した。出廷していたら,ぜひとも聞いてみたいことがあった。現時点ではこういう問になる。
「在日で反日の徒の原告、在日の原告弁護団、在日の裁判長だから敗訴した」とお考えですか、と。
一審判決のPDFを掲載しておきたい。下記URLから読むことができる。
https://drive.google.com/file/d/1998RJj5Z-J2m5EG4D7PCGDc8jCAHLcl8/view?usp=sharing
本日・10月4日は、記念すべきよき日だった。本日は、枕を高くして、ぐっすりと寝よう。
**************************************************************************
DHCスラップ「反撃」訴訟の構図と論点
※本日(10月4日)判決のこの事件は、
DHC・吉田嘉明の「国民の裁判を受ける権利(民事訴訟提起の権利)」(憲法32条)と,澤藤の「表現の自由」(憲法21条)の衝突の調整という図式です。
※「国民の裁判を受ける権利」も濫用は許されません。民事訴訟制度は、国民が自らの権利を擁護するためにこそあります。自らの権利擁護の目的を逸脱して、社会的強者が,自らへの批判の言論を封殺する目的での提訴は、訴権の濫用として提訴自体が違法とならざるを得ません。それがスラップの本質です。
※光前幸一弁護士は、このスラップの本質を「市民の公器が強者の凶器と化している」と表現し、「公共的言論の『不当な裁判から免れる権利』」を確立しなければならないと言っています。まさに、本日の判決では、このことが問われています。
※DHC・吉田嘉明による当初2000万円、訴訟係属中に増額して6000万円請求の前件提訴は、以下の要件から、スラップ性が明白だと考えられます。
☆週刊誌への自らの手記が批判の言論を招いたものであること。
☆批判の言論における事実摘示は、吉田手記にもとづくものでその内容の真実性にまったく問題のないこと。
☆関連10件のスラップ提訴は明らかに濫訴と考えられること。
☆常識的な事前交渉のない、唐突な提訴であること。
☆もともと、2000万円の請求が、高額に過ぎること。
☆しかも、澤藤がブログで反撃をはじめるや、6000万円に請求の拡張を行っていること。⇒言論封殺の目的を自白しているに等しい。
☆反撃訴訟において、吉田嘉明は、裁判所の呼出にもかかわらず、出廷を拒否していること。⇒真摯な、訴訟利用の態度ではない。
☆違法と主張されているブログは、いずれも常識的な表現であること。
※以上のとおり、DHC・吉田嘉明は自らの権利擁護のためではなく、敗訴は当然と知りながらも、批判の言論を威嚇し、自らへの批判を萎縮させる効果を狙って提訴に及んだもので、提訴・請求の拡張・上訴が、いずれも違法なのです。
※本日の判決がスラップの蔓延に歯止めとなり、その害悪を防止するものとなり得たことを喜びたいと思います。
**************************************************************************
DHCスラップ訴訟・『反撃訴訟』経過の概略
☆スラップ提訴以前
2013年4月1日 ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」新装開店
(以来毎日連続更新・本日で2380回)
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日 澤藤・違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
***********************************************************
☆DHCスラップ訴訟の経過
(原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤統一郎
東京地裁民事24部 H26年(ワ)第9408号)
2014年4月16日 提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
8月20日 705号法廷 実質第1回弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記2ブログ記事が名誉毀損とされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2015年12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 DHC・吉田嘉明上告受理申立
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立不受理決定
**********************************************************
☆DHCスラップ「反撃」訴訟の経過
(本訴 原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤( ⇒取り下げられている)
(反訴 原告 澤藤、反訴被告 DHC・吉田嘉明)
2017年9月4日 DHC・吉田嘉明が澤藤を被告として
債務不存在確認請求訴訟を提起? H29年(ワ)第30018号
東京地方裁判所民事1部に係属⇒裁判長 後藤健(41期)
2017年11月10日 澤藤から反訴提起? H29年(ワ)第38149号
損害賠償請求660万円
2018年10月5日 反訴原告 澤藤と吉田嘉明両名の本人尋問申し出
2018年10月26日 裁判長交代・前澤達朗(48期)
2019年1月11日 人証採用決定(3名)
澤藤と吉田両本人と内海拓郎(DHC総務部長)
2019年4月19日 吉田呼出に応ぜず不出頭 澤藤と内海拓郎尋問
2019年7月4日 結審
2019年10月4日 13時15分 判決言い渡し
勝訴 110万円の請求認容
(2019年10月4日)
ときに、新聞記者から電話をもらうことがある。取材だったり、コメントを求められたり。あるいは、記者の理解でよいのか確認のための説明を求められることも。
8月20日ころのある日、電話を取ったら韓国の記者からの取材だった。これは初めての経験。私の数少ない韓国の知人の名をあげて、その人の伝手とのことだった。必ずしも流暢とは言いがたいが、しっかりした日本語で、「JTBCの記者の通訳」を名乗り、記者の名前も通訳の自己紹介も聞いたが名前は難しくて聞き取れない。かなりの時間を割いて、DHC・吉田嘉明との裁判の経過を詳しく語った。もちろん、吉田嘉明のヘイト体質についても、DHCテレビ問題についても、的確な質問があり、自論を述べた。その電話取材がどのように放送に生かされたかは、まったく分からない。
その後間もなく、韓国のある国会議員秘書氏からの電話をもらった。今度は、JTBCの放送で私(澤藤)と吉田嘉明の関係を知ったとのこと。なかなかに達者な日本語だった。韓国の与党である「共に民主党」が、「嫌韓ヘイト発言問題で、国会に、吉田嘉明を召喚して証言を求めたいと思っているが、吉田の呼出先をどう特定すべきかのアドバイスを得たい。また、彼は呼び出せば召喚に応じる人物であろうか」という趣旨の問合せ。
韓国ヘイトのDHC・吉田嘉明が、したたかに韓国でも商売をしていることは、この夏までまったく知らなかった。DHCテレビが、インターネット番組で韓国を中傷する発言をし、韓国のドラッグストア業界がDHC商品の販売中止を始めるなど不買運動が広がった。
DHCは、徴用工を酷使した企業ではない。朝鮮侵略とも無縁な新興企業。日本を代表するほどの企業ではない。それが、敢えて嫌韓ヘイト発言をすることによって、韓国民衆による不買運動の標的とされた。「#さよならDHC」のハッシュタグが大規模に拡散されているという。
DHCコリアは、自分たちは東京の本社とは立場が違うと弁明に努めたが苦境に立たされた。一昨日(10月1日)の報道では、DHCのイメージキャラクターだった女優チョン・ユミが、DHCコリアとの契約を解除した。聯合ニュース配信記事が簡潔に事態を伝えている。
【ソウル聯合ニュース】日本の化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の韓国内イメージキャラクターを務めた女優のチョン・ユミが、同社の韓国法人、DHCコリアとの契約を終了した。期間満了前の契約終了で、残る契約期間の契約料は返還した。
? 所属事務所は1日、DHCコリアが事務所側の立場を理解し、解約の要請に対し円満に合意したと発表した。
8月に放送されたDHC子会社「DHCテレビ」が制作するネット番組の出演者による嫌韓発言が韓国で問題視されたことを受け、所属事務所はDHCに対し、チョン・ユミの肖像権使用撤回とイメージキャラクターとしての活動中止を要請した。
同日の中央日報日本語版の記事では、
チョン・ユミは、「再契約も絶対に無いだろう」と宣言した。さらに、契約終了前のモデル料を返してまでDHCとの縁をバッサリと切った。韓国芸能人がこのような決定を下したのはまれな事。チョン・ユミはDHC側の常識外れの態度に対して積極的に対応したわけだ。チョン・ユミが返す6カ月分のモデル料は数千万ウォンに達するものと見られる。
ヘイトの代償は高い。DHCの場合、韓国だけではない。日本国内でも、じわりと影響が出てきている様子なのだ。
パルシステム生活協同組合連合会という大組織がある。首都圏を中心とした消費生活協同組合の連合体。加盟総数は約152万世帯、年額総事業高2,117.8億円。食を中心とした商品の供給事業を主としている。
「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民」のツイッターには、次のような「朗報」が連ねられている。
パルシステムに電話で問い合わせたところ、商品企画部署から回答があり、「DHCについては事前の調査が不十分だったため、こういう企業とは知らずに商品を企画してしまった(知っていれば企画しなかった)。今後はDHCの商品は取り扱わないし、事前の調査を十分行うようにする」とのことでした。
パルシステムの商品企画部によると「9月の3回以降、DHC商品は扱わない」「事前の調査が不十分だった。今後は、事前の調査を十分行うようにする」とのことです。問い合わせをした組合員のみなさま、本当にお疲れ様でした。#さよならDHC
DHC の商品は生協の理念に合わないのでは? と9月1回のカタログを見てすぐに問い合わせたところ、書面で回答を得ました。直ちに仕入れ企画の修正を決定したパルシステムの対応はナイスだったと思います。市民の運動ってこのように小さい事からですね。
パルシステムを信じて長年使ってきたから本当に良かった。パルは、食べ物だけじゃなく政治や社会問題の勉強会を組合員主催で開催したり、利用者の意識も高いのできっと沢山声が届いたんだと思います。これからも沢山パルシステムでお買い物します。
パルシステムすばらしい!声をあげる意味大きいね!
Dema Hate Company、また販路を失いました。パルシステムさん、ありがとう。
こういう「うっかりミス」が起きないように、ヘイト企業一覧が必要だと思う。
パルシステムに本件に対する意見を送った者です。本日パルシステム東京のご担当者様より、お詫びの言葉と併せて今後のDHCブランドの企画については見送る旨ご連絡をいただきました!同様の意見が多数届いていたようです。ご報告まで。
日韓それぞれの社会環境変化の中で、明日10月4日(金)13時15分に、DHCスラップ「反撃訴訟」判決が言い渡される。法廷は、東京地方裁判所4階の415号法廷。
(2019年10月3日)
「戦争の8月」「侵略の9月」が終わって、「天皇制の10月」である。祝日とされた今月22日には、新天皇を高御座に見上げて臣民たちが、「テンノーヘイカ、バンザイ」という愚劣な滑稽劇を演じる。音頭をとるのが、臣・安倍晋三。なるほど、行政を司る地位にある者をいまだに「大臣」というわけだ。この国が、神の国であり、天皇の国であることを可視化して、広く知らしめようという魂胆。
もちろん、安倍晋三が、天皇を崇敬しているわけでも、神道を信仰しているわけでもない。彼は、天皇(統仁・睦仁)を「玉」として、政敵と取り合った長州派の末裔である。天皇という存在の政治的な利用方法をよく心得ている。保守派の為政者にとって、ナショナリズムはこの上なく便利な政治の手段。天皇は日本型ナショナリズム発揚に欠かせない小道具なのだ。
いささかなりとも主権者としての自覚をもつ者、10月22日を天皇制に無批判な姿勢で無為に過ごしてはならない。10月22日には、何とか一矢を報いたい。
ところで、天皇制を支える小道具は、いくつもある。元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園……等々。
国民の日常生活に、最も密接に定着しているのは元号であろう。10月22日、「即位礼正殿の儀」のバカバカしさに異議ある方には、下記の講演会はいかがだろうか。
-214x300.jpg)
下記のURLをクリック願います。
10.22西暦併用を求める会講演会チラシ(表)
講師の一人が、私である。私の報告のタイトルは、「安倍商店大売り出しの『新元号』は欠陥商品である」というもの。
チラシには下記のように記載されている。
「講師の澤藤統一郎さんは元日弁連消費者委員長、元日本民主法律家協会事務局長を歴任、田中宏さんは長らく在日外国人の問題に取り組んできました。
ご一緒に元号の問題を考えましょう!参加費500円です。
西暦併用を求める会講演会
2019年10月22日(火)18:30?21:00
(開場18:00)
文京区民センタ?【2A会議室】文京区本郷4-15-14
お問い合わせ「西暦併用を求める会」:事務局TEL:090-8808-5000(藤田高景)TEL:080-1052-7714(稲正樹)seirekiheiyo@gmail.com
「西暦併用を求める会」主催だが、「すべての公文書は西暦表記に!」という「急進的」スローガンを立てている。
私の言わんとするところは、元号という紀年法の欠陥性である。消費者事件としての製品の欠陥は、単に性能劣悪ということではなく有害であることを意味する。
元号は、消費期限が短く、しかも使用可能地域の限定性故に不便極まりないというだけでなく、民主主義社会に明らかに有害なのだ。安倍政権は、なぜそのような欠陥商品の販売にこだわり躍起になるのだろうか。そんな問題意識をお話ししたい。
以下、チラシからの引用である。
**************************************************************************
元号の押しつけは許されない。
元号の不合理性は、日常的にイライラさせられる事柄として現れます。
NHKのニュースが、「平成13年から始まった○○が・・」、と放送する時、それは何年前なのか、瞬時には分からず、思考が途切れます。歴史の中にいる感覚が分断されるのです。
銀行通帳に記帳される日付が5月1日を境に、突然31から1に代わったり、あり得ない平成40年とかいう数字が残っている契約書、これらを作っている方々は、「顧客満足」という言葉をどう考えているのでしょうか。なぜ、お互いにわかりやすく年の表記はしましょう、というあたりまえのことが通用しないのでしょうか。
その事を考え、それを変えていくために、私たちはこの講演会を企画しました。
西暦表記に反対したり、ためらう方々は様々な理由を挙げます。
Q:世界にはいろんな暦がある、国の個性なのだからいいではないか。
A:暦の多様性が問題なのではありません。「世界で唯一」年の数え方を途中でリセットしてしまう制度だということが問題なのです。しかも、天皇という生身の人間の状態を変更のきっかけとしているので、いつリセットされるか不確定。一年の途中からでも変更されてしまう。だから、「元号」で未来の年を表記しようとすることは厳密に言えば原理として不可能! そのような紀年法を公文書に使い続けるというのは異様です。「世界で唯一の・・・」は、誇れることでは全くないのです。
Q:西暦はキリスト教のものだから特定の宗教の紀元など使うべきでない。
A:世の中のものにはそれが出来上がってきた経過があります。一宗教に起源があったとしても現在は紀年法としてほぼ世界標準になっており、2016年にサウジアラビアもイスラーム暦であるヒジュラ暦からグレゴリオ暦(西暦)に変更しました。
Q:世の中、合理性だけで割り切れない、日本の伝統・文化を守るべきだ。
A:「元号」は中国からの輸入品ですが、「わが国の伝統・文化」とされています。
1868年(慶応4年)9月8日の明治改元は、それまで天皇の代替わりだけでなく、ことあるごとに元号を変更していた「日本の伝統文化」を打破して「一世一元」としました。
1872年(明治5年)11月9日、それまでの「日本の伝統文化」であった太陰太陽暦(旧暦:天保暦)を現在使われている太陽暦に大変更、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする荒技も見せました。11月15日には神話上の初代天皇である「神武天皇」の「即位日」を“紀元”と定めた(西暦に660年を足した数字となる)「神武天皇御即位紀元」が制定されました。1940年(昭和15年)には「紀元二千六百年」という歌も作られました。
自分が物心ついた時、昔からそれがあったから、というのではなく、現にある制度自体の合理性、妥当性を皆で議論して、今後どのようにしていくのかを、皆で決めていかなくてはなりません。
「伝統・文化」という言葉に「思考停止のゆりかご」を求めてしまうような態度は、「国家・社会」のためにはなりません。
過去の人達と同じように、今、私たちも、新しい「伝統・文化」を作る心意気を持って踏み出すべきではないでしょうか。不合理をあきらめたり、黙認するのではなく、私たちのことを、変化しないように現状に縛り付けようとする思想、を充分吟味し、日本社会をより生きやすくするために共に一歩を踏み出しましょう。
(2019年10月2日)
「法と民主主義」2019年8/9月合併号【541号】が好評発売中である。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
特集の総合タイトルが、「参院選2019と法律家の課題」というもの。その目玉が、「市民と立憲野党の13の共通政策・私たち法律家の闘い」という企画。
リードの一部を紹介しておきたい。
「…『市民と立憲野党の13の共通政策・私たち法律家の闘い』は、市民連合呼びかけ人である広渡清吾氏のほか13名の論者に執筆頂いた論考である。
19参院選は、安倍政治に終止符を打つべく、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合と立憲野党四党一会派による13項目の共通政策についての合意が実現する中でたたかわれた。
改憲問題対策法律家6団体連絡会は、この政策合意が挙げる13項目の分野の第一線で活動する法律家に呼びかけて、それぞれの立場から、この政策合意の項目に賛同し、安倍政治からの転換を目指す立憲野党会派を支持する記者会見を参院選前7月1日に行った。
法律家たちは、
?安倍政治によっていかに国民生活が疲弊し、軍事大国化が進み、民主主義と人権が危機に晒されているか、
?憲法の諸価値が壊されることに対して、それぞれの課題について市民運動がいかに粘り強く奮闘しているか、
?安倍政治のもとでそれぞれの課題を実現することは困難を極めており、草の根の市民運動とそのたたかいは、安倍政治に代わる、憲法の諸価値を実現する新たな政治をどれほど求めているか
を豊かに語った。
本特集では、この記者会見で報告頂いた法律家の皆さんに、改めて論考を執筆頂き、『市民と立憲野党の13の共通政策・私たち法律家の闘い』として構成した」
昨日(9月30日)が、「法と民主主義」編集会議。【541号】の総括について真っ先に出た意見が、「『参院選2019と法律家の課題』というタイトルの付け方が間違っていたのではないか」というもの。『法律家の課題』ではなく、「市民の課題」とすべきではかったか。このタイトルでは、あたかも法律家の、その専門分野だけの課題の特集のごとくではないか。むしろ、その内容は、市民に読んでもらいたいという法律家からの呼びかけではないか。
なるほど、まったくそのとおりだ。本特集は、『市民と立憲野党の13の共通政策』の各課題を法律家の視点から受けとめて掘り下げたものだが、法律家は市民の一部に過ぎない。法律分野で完結する問題など一つもありはしない。市民に呼びかけ、市民と連携することでしか、政策課題の実現はあり得ない。
多くの市民にこれをお読みいただくとともに、各分野で,各課題への具体的取り組みを進めていただきたい。そんな思いでの、購読のお薦めである。
それに、今号は増ページで定価は据え置き。いつもよりは、多少のお買い得感がある。
「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も、下記URLから可能です(1冊1000円)
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
**************************************************************************
法と民主主義2019年8/9月合併号【541号】(目次と記事)
特集●参院選2019と法律家の課題
◆特集企画にあたって … 編集委員会・南 典男
■特別報告●参院選の結果と安倍改憲をめぐる新たな情勢・課題
── 日民協第58回定時総会記念講演より … 渡辺治
■市民と立憲野党の13の共通政策・私たち法律家の闘い
◆新しい政治の旗印 ─ 市民連合と立憲野党の共通政策を発展させる … 広渡清吾
◆立憲野党会派の政策合意と改憲・軍拡反対の法律家共同 … 大江京子
◆「戦争法」の違憲性、歴史への冒涜を問う ─ 安保法制違憲訴訟 … 杉浦ひとみ
◆いまこそ共謀罪の廃止を展望する … 海渡雄一
◆沖縄・辺野古新基地建設問題 … 稲 正樹
◆「共通政策」第5項目の評価と注文
─ 朝鮮半島の平和と非核化、北朝鮮との国交正常化等のために… 大久保賢一
◆「原発ゼロ基本法案」の審議・成立を! … 海部幸造
◆日本で働くすべての労働者が安心して公平に働ける労働法制の実現を…棗一郎
◆消費税の増税中止と税制の公平化 … 浦野広明
◆教育政策の真ん中に子どもの人格的成長を … 小林善亮
◆貧困・社会保障─生活実態を踏まえ、希望の持てる共通政策の発展を…加藤健次
◆ジェンダー平等の確立に向けて
─ 法律家及び法律家運動に求められること… 角田由紀子
◆公文書にまつわる疑惑の徹底究明と透明で公平な行政の実現 … 右崎正博
◆報道の自由と改革の課題 … 田島泰彦
◆特別寄稿●冤罪防止と再審請求を実現するため
── 三鷹事件の再審請求棄却決定から考える── … 高見澤昭治
◆司法をめぐる動き
・「法科大学院関連法」の成立について … 戒能通厚
・7/8月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2019●《「言論の自由」の責任》
韓国叩き、トリエンナーレ…、その背景
「改憲情勢」は時代の風潮なのか … 丸山重威
◆あなたとランチを〈№48〉
上田誠吉を仰ぎ見て … ランチメイト・泉澤章先生×佐藤むつみ
◆BOOK REVIEW●『国家機密と良心』(ダニエル・エルズバーグ著)を創った … 梓澤和幸
◆BOOK REVIEW●自著『「核の時代」と憲法9条』を語る … 大久保賢一
◆改憲動向レポート〈№17〉
父の墓前で改憲を誓う安倍首相 … 飯島滋明
◆ひろば●50回目を迎える「司法制度研究集会」を成功させよう! … 大山勇一
◆時評●消費税の呪縛を解く … 浦野広明
(2019年10月1日)
本日(9月30日)仲間内のメーリングリストに、名古屋の中谷雄二弁護士からの投稿があった。彼は、「あいちトリエンナーレ」《表現の不自由展》再開を求める、仮処分申立事件の申立側弁護団長である。以下はその抜粋。
皆様からご支援していただいていた「表現の不自由展・その後」について、本日、仮処分の第3回審尋期日で、あいちトリエンナーレ実行委員会と表現の不自由展実行委員会との間で、和解が成立しました。
先週の金曜日(9月27日)の第2回審尋期日で、当方から10月1日 従前の展示どおり再開で和解をしようと投げかけました。
これに対して、あいちトリエンナーレ実行委員会は、本日、午前中に10月6日?8日の再開を想定して和解協議をしようとの文書での申し入れがありました。
これを不自由展実行委員会が受け入れる形での和解です。
その中で、「今回は中止した展示の再開であり、開会時のキュレーションと一貫性を保持すること」を確認しました。
これにより、基本的には、不自由展実行委員会の要求が基本的に容れられたと判断して和解を成立させることに致しました。
文化庁の補助金差止めというより大きな「検閲」問題が発生した時期にまずは、脅迫によって中止させられた展示の再開を勝ち取ることで、表現の自由の回復の一歩を踏み出すことができました。
申立が9月13日ですので、全国の皆様の再開を求める運動と併せて短期間に再開の合意を勝ち取ることができました。
ありがとうございました。
なお、同仮処分は「企画展実行委」が申立てたもので、その相手方が「芸術祭実行委員会(代表・大村秀章知事)」である。この点紛らわしいが、実質的には申し立てられたのは愛知県である。また、キュレーションとは門外漢にはなじみの薄い言葉だが、「展示内容」と置き換えてよいようだ。
不自由展実行委員会がこだわったのは、「中止した展示そのままの再開であり、開会時のキュレーションとの一貫性の保持」であった。その確認ができたからの和解であり、それ故の「再開の合意を勝ち取ることができた」という評価である。
この点を、朝日(デジタル)は、こう報じている。
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、中止になった企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会が展示再開を求めた仮処分の審尋が30日、名古屋地裁であり、展示を再開する方向で、芸術祭実行委員会側と和解した。企画展実行委の代理人・中谷雄二弁護士が明らかにした。再開時期は10月6?8日で調整する予定で、早ければ週末から再開されることになる。
記者団の取材に応じた企画展実行委の代理人・中谷雄二弁護士によると、芸術祭実行委側から30日朝に大村秀章知事が公表した再開への4条件の提示があった。?犯罪や混乱を誘発しないように双方協力する?安全維持のため事前予約の整理券方式とする?開会時のキュレーション(展示内容)と一貫性を保持し、(来場者に)エデュケーションプログラムなど別途実施する?県庁は来場者に(県の検証委の)中間報告の内容などをあらかじめ伝える――の四つで、中谷弁護士は、「この内容で和解しましょう、と申し入れました」と説明する。
その上で、?のキュレーションの一貫性について、中谷弁護士は「同じ場所で作品を動かさないという趣旨ではなく、同じ部屋の中で個々の作品を動かすことはあり得るが、その範囲であって、一貫性、同一性を崩すことはしないと確認した」と述べた。展示は、慰安婦を表現する少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品など16作家の23作品が集められていたが、それらをまとめた企画展としての「一体性」は維持された、とみているという。
中谷メールがいうとおり、「脅迫によって中止させられた展示の再開を勝ち取ることで、表現の自由の回復の一歩を踏み出すことができた」ことをまずは、よろこびたい。しかし、「文化庁の補助金不交付というより大きな『検閲』問題が発生している」のだ。表現の自由はご難つづきである。民間の暴力による展示の妨害から、今度は権力の横暴による自由の侵害である。まさしく、自由とは、市民が闘いとり守り育てていくべきものであることを実感する。
その問題で、権力の先頭に立つのは、加計学園事件の当事者である萩生田光一文科相。本日(9月30日)、議員会館で「文化庁の決定に抗議する集会」が開かれた。自ずから、矛先は安倍晋三の手先・萩生田に集中したようだ。
この集会に私は参加できなかったが、私も参加している「表現の自由を守る市民の会」が、下記のアピールを集会に持参した。これも、宛先は、萩生田光一である。このアピールをみんなに訴えたい。ぜひ拡散していただきたい。
**************************************************************************
2019年9月30日
文部科学大臣 萩生田 光一 様
「あいちトリエンナーレ2019」に関する補助金不交付決定の撤回を求める要求書
表現の自由を守る市民の会 呼びかけ人
池住義憲(元立教大学大学院特任教授)/岩月浩二(弁護士)/小野塚知二(東京大学大学院経済学研究科教授)/小林緑(国立音楽大学名誉教授)/澤藤統一郎(弁護士)/杉浦ひとみ(弁護士)/醍醐聰(東京大学名誉教授)/武井由起子(弁護士)/浪本勝年(立正大学名誉教授)
私たち「表現の自由を守る市民の会」は、「多様な表現の自由を尊重し、発展させることを目的とし、表現の自由を侵害する公権力の介入に反対する運動に取り組む」(会則)市民団体です。
文化庁は、2019年9月26日、既に所定の審査を経て本年4月に文化資源活用推進事業の補助対象事業として採択されていた「あいちトリエンナーレ」における国際現代美術展開催事業補助金7,829万円を、”適正な審査を行うことができなかった”として、補助金適正化法第6条等に基づき、全額不交付とする決定(以下、本件決定という。)を行いました。
萩生田文科相は、本件決定の理由は手続き上の不備だけで、展示内容と無関係だと強弁しています。しかし、これは明らかに展示内容に関係した政治介入です。公権力が表現活動の抑圧にまわることは許されません。これは憲法21条が禁じる「検閲」にあたる重大な違憲の疑いがある行為です。国際芸術祭の作品展示が開始された直後の8月2日、河村たかし名古屋市長の言動、菅義偉官房長官の補助金見直しを示唆する発言を受けての決定であり、私たちはこうした経過のもとになされた本件決定を容認することはできません。
現行文化芸術基本法はその前文で「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し,文化芸術活動を行う者の自主性を尊重すること」を明記し、第2条で「文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」と定めています。
本件決定はこうした文化芸術基本法の精神に反するものであり、私たちは決して認めることはできません。
文化庁の本件決定は、企画展を脅迫等によって中断に追い込んだ卑劣な行為を追認することになります。行政が不断に担うべきことは、公共性の確保・育成です。社会的少数者や、異なる地域に暮らす人々、民族を知る貴重な窓口を保障することです。本件決定は、これに逆行します。仮に本件決定に唯々諾々として従うならば、国の意見と合わない表現を許さない悪しき前例となり、国に忖度した無難な展示しかできなくなる恐れがあります。表現者、主催・開催側らの委縮を拡げ、社会全体に委縮効果を及ぼします。
よって私たちは、貴大臣に対し、本件決定を直ちに撤回することを強く要求します。民主主義社会は、多様な表現・意見を自由に表現し、議論をかわす場を保障して初めて成り立ちます。補助金を交付する目的は、多様な文化、芸術を国民の税金で助成することであり、国の意向に沿うものかどうか展示作品の内容をチェックする権限を国に与える根拠はどこにもないことを再度、強調しておきます。
(2019年9月30日)