昨日(11月3日)の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)に、北九州市・67才男性からの「よみがえった詩の一節」という投稿が掲載されている。
先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。昨年の沖縄の「慰霊の日」、糸満市摩文仁での「沖縄全戦没者追悼式」で、当時中学3年の相良さんは、平和の詩「生きる」を沖縄の穏やかな海風に黒髪をなびかせるように堂々と朗読した。その時の表情、詩のフレーズが、かすかによみがえった。 (略)
即位礼正殿の儀に出席した相良さんは「天皇陛下のおことばに、令和の時代を平和にしていく決意が感じられました」などと語った。素晴らしい感想で、私は胸に刻んだ。
私も、相良倫子さんの平和の詩「生きる」に感動した一人だ。その思いは、当日付下記の私のブログに書き留めてある。
この上なく感動的な「平和の詩」と、この上なく凡庸なアベ来賓挨拶と。
https://article9.jp/wordpress/?p=10581
投書子は、「先日行われた即位礼正殿の儀に招待された沖縄県の高校生、相良倫子さんの笑みを見て、その成長ぶりをうれしく思った。」というが、私はまったく別の感想を持った。わたしには、新天皇就任を祝賀する儀式へ参列して何とも凡庸な感想を述べたこの高校生と、素晴らしいきらめく感性で平和の詩を書いたその人とが、どうしても重ならない。あの凛とした気迫に溢れた詩が、私の気持ちの中で色褪せてしまった。残念でならない。
報道での相良さんの感想は、「平和の詩の朗読がきっかけで参列のお話をいただいたと聞き、本当にありがたく光栄に思います。天皇陛下のおことばを聞いていて、平和を希求する思い、令和の時代を平和にしていく決意が感じられ、とてもすてきなことだと思いました。天皇皇后両陛下がとても堂々とされていたのと、天皇陛下がずっとほほえんでいらっしゃった姿が印象に残りました。本当に貴重な体験をさせていただきました」「平和を希求する天皇陛下のお言葉に触れ、令和の時代を平和にしていく決意を感じられた。すてきな言葉だった。平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」などというもの。「『とても貴重な体験をさせていただき、ありがたい気持ちと光栄な気持ちがある』と感激した様子で話した。」というものもあった。「平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」「光栄な気持」というコメントが、胸に突き刺さる。
私は思う。彼女は、天皇制の承継を祝賀する場に行くべきではなかったし、天皇の賛美を語るべきでもなかった。改めて思う。ほかならぬ沖縄の若き感性をも呑み込んでしまう、天皇制というものの不気味さと怖さを。
相良さん、あなたの詩を反芻したい。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
そのように自分の生を謳った相良さん。
あなたは、天皇の宮殿で、「私は今、生きている。」と実感していただろうか。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
こう綴ったあなたは、天皇賛美の儀式のあとに「光栄な気持」と語ったあなたと、本当に同じあなたなのだろうか。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
あなたが愛する島をこの阿鼻叫喚の地獄に陥れたのは、天皇が唱道する侵略戦争だったのではないか。当時の天皇は、沖縄を捨て石とし、戦後も、米軍に沖縄を売り渡したではないか。
その天皇は、自分の名で行われた戦争の非道と悲惨に反省の弁はなく、責任を取ろうとはしなかった。
そして、その子も、孫も、天皇の戦争責任に触れることはない。
沖縄に謝罪する言葉もない。
そのような天皇の地位の継承を祝賀し賛美する行事に、あなたはどんな気持で出かけたのだろうか。
「テンノーヘイカバンザイ」と、あなたも唱和したのだろうか。
長い「平和の詩」の最後は、素晴らしい言葉でこう締めくくられている。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
過去を見つめなければ、現在も未来も語ることはできない。沖縄の過去を見つめることは、虐げられた沖縄の悲劇を心に刻むことだ。「鎮魂すべき悲しみの過去」をもたらしたのは天皇制の日本ではなかったか。武力による琉球処分に続いた皇民化教育、その末にもたらされたものが「鉄の嵐」だった。神なる天皇の名のもとにおこされた侵略戦争の最終局面での悲劇。沖縄を本土の捨て石とした地上戦は、単なる敗戦ではなかった。皇軍は沖縄の住民をスパイとして摘発し、避難の豪から追い出し、あまつさえ集団自殺まで強いたではないか。
しかし、天皇制の真の恐ろしさは、皇軍の軍事力にあるのではない。不敬罪・治安維持法を駆使した暴力にあるのでもない。むしろ、高貴の血への信仰に支えられた天皇の権威と仁慈の姿で「赤子」を慈しむ虚像にこそある。それあればこそ、天皇は荒唐無稽な神話に基づいて、臣民を洗脳し「神」となり得た。
いま、皇軍はなく、不敬罪・治安維持法を武器に天皇制を支えた特高警察も思想検事もない。しかし、血への信仰に支えられた天皇は残っている。その仁慈の姿で平和を語り、国民を慈しむ虚像こそ危険なのだ。そして、政権は天皇の権威を高めることに躍起となっている。そのことが、象徴天皇制の危険を象徴している。
沖縄の若い知性や感性は、国民主権の異物としての象徴天皇制の危険を、そして人間差別の根源としての象徴天皇制への不快を、肌で感じるのではないか。私はそう期待している。
相良倫子さん。私のような意見は、活字にはなりにくいだけで、けっして特別なものではなく、少なくはない者の見解であることを知って欲しい。
(2019年11月4日)
11月3日。明治天皇(睦仁)の誕生日で、かつては「天長節」とされ、その死後は「明治節」となった日。日本国憲法は1946年の明治節を選んで公布され、その半年後の1947年5月3日が憲法施行の記念日となった。その後、憲法公布の日である明治節は「文化の日」となって今日に至っている。
明治節は、四方拝・紀元節・天長節とともに、四大節のひとつとされた祝祭の日。四大節には、それぞれの唱歌がつくられて、祝賀の儀式に唱われた。「明治節」の1番と2番は以下のとおり。神なる天皇の讃歌であり、天皇教の宗教歌である。天皇を神と信ずる者には大真面目で歌えるのだろうが、そのような信仰を持たない者にとっては、大仰で馬鹿馬鹿しい限りの歌詞。
亞細亞の東日出づる處
聖の君の現れまして
古き天地とざせる霧を
大御光に隈なくはらひ
教あまねく道明らけく
治めたまへる御代尊(たうと)
惠の波は八洲に餘り
御稜威の風は海原越えて
神の依せさる御業を弘め
民の榮行く力を展ばし
外つ國國の史にも著く
留めたまへる御名畏(みなかしこ)
その3番が少し趣が変わって、やや興味を惹く歌詞となっている。
秋の空すみ菊の香高き
今日のよき日を皆ことほぎて
定めましける御憲を崇め
諭しましける詔勅を守り
代代木の森の代代長(とこし)へに
仰ぎまつらん大帝(おほみかど)
3行目の「御憲」(みのり)とは、大日本帝国憲法のこと。4行目の「詔勅」(みこと)は、言わずもがなの教育勅語。この二つが歌詞に取り入れられて、軍人勅諭が入っていない。
明治天皇制定の憲法を、臣民皆が崇めなければならないというのだから、欽定憲法の解釈としても本末転倒も甚だしい立憲主義への無理解。そして、上から賜る教訓を守りなさいというお説教。こんなもの、子どもが唱いたいか。
最後が、「今日のよき日を皆ことほぎて…代々とこしえに仰ぎまつらん大帝(おほみかど)」と、祝意と敬意の押し売りで締めくくられている。実は、これ昔のことでは済まされない。今また、新天皇就任で、祝意の押し付けが甚だしい。衆参両院が賀詞の決議をしている。地方議会でも、これに倣うところがある。主権者の矜持はどこにいったのだ。
ところで、この3番の歌詞に、「秋の空すみ菊の香高き」と、「菊」が読み込まれている。春なら桜、秋は菊。なんでも、天皇讃歌の小道具として動員されるのだ。
私の手許に、「日本植物記」という東京書籍発行の一冊がある。著者は、本田正次。1897年生まれで、東京帝大を卒業して帝大(植物学)教授になった人。同大学理学部付属職植物園長、東大教授を経て、この書物発刊の1981年には、同大名誉教授という肩書だった。
この本、100話ほどの植物にまつわるエッセイ集で、けっこう面白い。この方、歴史や文学に造詣の深い人とは思えないが、さすがに植物に関する専門家として、素人が知りたいことをよく書いてくれている。
ところが、菊の解説でのけぞった。まず、表題が、「“禁裏様の紋”と教えられたキクの花」というのだ。以下本文の抜粋である。はからずも、無自覚無批判に天皇信仰に取り込まれた愚かな臣民の独白となっている。
私のような明治生まれの人間にとっては、十一月三日の天長節はとても懐しい思い出である。今の天皇誕生日と違って学校や役所などがただ休むだけの形式的な祝日でなく、その日は国民こぞって天皇陛下の万歳を心から慶祝したものである。そして学校、役所はもちろん、その他家庭でもどこででも黄ギク白ギクの花を飾ってお祝いをした。天長節とキクの花とは切っても切れぬ思い出が私には繋がっている。
学校の講堂では演壇に一抱えもあろうという大きな花瓶に黄ギク白ギクの花束がぎっしりと活げてあって、せっかくフロックコートに威儀を正して立っておられる校長先生の姿さえ見えないくらい、そして講話を始めようと真顔になって、まず大きな咳払いをされる校長先生に初めて気がつくというありさまであった。
(略)
私が東大の学生のときに分類学の講義を聴いた松村任三先生はキクの属名Chrysanthemumを覚えるには禁裏様の紋といって覚えると覚えやすいといわれた。キンリサマノモンとクリサンセマム、教えられた通り、自分で口に出して何度もいってみてなるほどと思った。そして同時に大学の先生というものは偉いことを知っているものだとつくづく感心したことがある。
小学校のときは演壇のキクの花に隠れた校長先生、大学では分類学の先生から禁裏様の紋で学名を覚えたことなど、私にとってキクの思い出はなかなかつきない。
帝大の先生というものはまことにつまらぬことを教え、東大の先生になろうという人はまことにつまらぬことに感心するものと、つくづく呆れるよりほかはない。
(2019年11月3日)
11月になった。
「戦争の8月」、「差別の9月」、「新天皇就任儀式の10月」を経て、「大嘗祭の11月」である。また、今年の8月から10月までは、「あいちトリエンナーレ」での、わが国の「表現の不自由」を見せつけられた3か月でもあった。
いうまでもなく、最高にして最大の戦争責任は天皇(裕仁)にある。国民主権下の戦後日本は、その天皇の責任を断罪し得ていない。いや、追及すらしていない。「戦争の8月」において戦争の加害・被害両面の悲惨を語るとき、天皇と天皇制の果たした決定的な負の役割から目を背けるのは欺瞞も甚だしい。意識的にせよ無意識的にせよ、天皇の責任から目をそらすことは、ワイツゼッカーが言う「過去に目を閉ざす者」となることで、「現在にも将来にも盲目」の姿勢である。
「差別の9月」は私の造語であり、私の思いである。1923年9月、関東大震災後の日本人は、在日の朝鮮人・中国人を残酷に虐殺した。軍や警察だけでなく、自警団という名の一般人が、逃げる人を追いかけ追い詰め縛り、撲殺や刺殺をしたのだ。この歴史的事実は重い。この事実の重みを真摯に受けとめることなくして、近隣諸国との真の友好関係を築くことは難しい。
この国の国民の奥底にある対朝鮮・韓国差別意識は、対外侵略を国是とした天皇制権力が意図的に作りあげてきたものである。ここにも、天皇制が絡んでいる。なによりも、天皇制の存在こそが差別の根源である。人に貴賤の別などあるはずがない。天皇を貴と認めるから、その対極に賎が生じる。天皇を尊崇しあるいは容認する者は、必然的に人間の平等を認めない差別容認主義者である。
そして、「天皇交替儀式の10月」。主権者国民の「代表」が、国民の総意に基づいて存在するとされる天皇を下から仰ぎ見て、「テンノーヘイカバンザイ」をやったのだ。今どきに信じがたい愚行。今なお天皇制のしがらみから解放されないわが国の現状を嘆かざるを得ない。
そして、「大嘗祭の11月」。大嘗祭が行われる月。これから、その報道が溢れることになる。これは、天皇を現人神にする信仰上の皇室儀式。国が関わってはならない。大いに、政教分離の本質を語り合わなければならない。
ところで、ネット上に、政教分離の理解に関するこんな記事が目に留まった。この記事の掲載者は「小林よしのり」氏。一部の引用では不正確になりかねないので、全文を引用する。
憲法20条の政教分離がおかしいのではないか?
神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも「政教分離」の問題が出てくる。これが本当にウザイ。
例え津地鎮祭判決(目的が宗教的意義を持たないなら許される)があっても、神道が宗教なら宗教的意義があるに決まってるだろと思ってしまう。
憲法20条に政教分離原則がある限り、最高裁も解釈で言い逃れをしているように感じる。だからこそ秋篠宮さまは「宗教色が強い儀式を国費で賄うことが適当か」と疑問を投げかけたのだろうし、昭和天皇も皇室の内廷費を節約して積み立ててはどうかと仰ったのではないだろうか?
権力は天皇を儀式的に仰ぎ見て高御座の下で、万歳三唱をするのだけれど、いつも儀式的に仰ぎ見ているだけで、天皇の言葉に耳を貸さないし、天皇の望みは一切聞かない。
天皇は「憲法」を守る存在で、あくまでも「立憲君主」に徹しようと努力なさる。
ならばわしはいっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいいのではないかと思える。
解釈改憲に対して、わしは警戒感が強いのだ。
文意明晰とは言い難いが、このような漠然とした政教分離に対する疑問を多くの人が持っているのではなかろうか。気になるので、コメントしておきたい。
まず、タイトルはとうてい容認できない。
「憲法20条の政教分離がおかしいのではないか」は、「わが国の憲法原則として、政教分離は不要」「いっそのこと憲法20条を変えてしまった方がいい」という趣旨だが、政教分離は憲法原則の要の一つである。おそらくは憲法改正できない。この原則をなくせば、日本国憲法は,もはや日本国憲法ではなくなる。軽々に「なくせ」と言うべき対象ではない。
ただ、小林氏が言う「政教分離(という憲法原則)がおかしいのではないか」という根拠は、「本当にウザイ」という程度のもので、確信に裏付けられた見解ではなさそう。同氏には、ぜひとも、津地鎮祭訴訟の最高裁判決の全文をお読みいただきたい。よく知られているとおり、この著名な最高裁大法廷判決は、原審名古屋高裁の立派な違憲判断の判決を、10対5の評決で合憲判断にひっくり返した評判のよくない判決である。それでも、政教分離の本来の趣旨を、極めて微温的にではあるが書き込んでいる。その部分を,抜き書きして最後に引用しておく。
政教分離とは、形式的には「政治権力」と「宗教一般」の分離のように読めるが、実はその神髄は、「政治権力」と「神道」との分離にある。戦前、神社神道が天皇制国家と結び付き、国家神道となって、神なる天皇に対する尊崇を全国民に強要した。全国の学校で、軍隊で、天皇の神性が国民に叩き込まれた。それでも、神なる天皇を受容しない者には、大逆罪・不敬罪・治安維持法というムチが用意されていた。
敗戦時には、天皇制廃絶の可能性もあった。が、GHQと支配層とは何とか天皇制を存続することに成功した。もちろん大日本帝国憲法時代の天皇制ではなく、国民主権や、平和主義・人権尊重と矛盾しない形に変えての「天皇」制としてのことである。
そのために新憲法制定上留意された主要なものは、天皇という三層の構造に相応した3点であった。大日本帝国憲法において、天皇とは主権者(=統治権の総覧者)であった。その地位は、統帥権の主体として軍事力に支えられていた。のみならず、「天皇は神聖にして侵すべからず」(旧憲法3条)とされた宗教的権威の体現者でもあった。
この天皇の3層構造を、日本国憲法はすべて否定することで、かろうじて象徴天皇制を維持し得たのだ。日本国憲法の国民主権原理が天皇の主権を奪い、憲法9条が天皇の軍事大権を無用のものとし、そして、政教分離原則が、国家神道を否定して天皇の宗教的権威の復活を許さないのだ。
だから、日本国憲法の政教分離原則とは、比喩的に言えば、「神から人になった天皇を、再び神にしてはならない」という歯止めの装置なのだ。国家神道とは、天皇を神とする「天皇教」のこと。政治権力の天皇教利用も、神道の政治権力利用もけっして許さないための、国家(自治体)と神道との完全分離が本来の姿。
だから、小林氏が言うように「神道を宗教とするから即位礼正殿の儀にも大嘗祭にも『政教分離』の問題が出てくる」のではない。「神道こそが,憲法上政権と分離を要求される『宗教』なのだから、新天皇の即位式からは、厳格に神道色を排除しなければならない。」「大嘗祭は、新天皇を現人神にする皇室の宗教行事の最たるもので、これは皇室の家内行事として、『身の丈』の範囲でひっそりと行うしかない」のだ。
大嘗祭をめぐっては、今後も当ブロクで、何度も取りあげたい。
(2019年11月2日)
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http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/189/054189_hanrei.pdf
(津地鎮祭訴訟の最高裁判決からの抜粋)
一般に、政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから、世俗的権力である国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。
もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によつて異なるものがある。わが国では、過去において、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴つていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対しきびしい迫害が加えられた等のこともあつて、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかつた。
しかしながら、このような事態は、第二次大戦の終了とともに一変し、昭和二〇年一二月一五日、連合国最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示された。
昭和二一年一一月三日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至つたのである。元来、わが国においては、キリスト教諸国や回教諸国等と異なり、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであつて、このような宗教事情のもとで信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた。
これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(以下略)
11月5日、NHK問題のシンポジウムのお知らせ。
「圧力はなかったのか? 報道の自律はどこに?日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える?」
13時? 参議院議員会館B109(地下1階)
パネリスト
田島泰彦(元上智大学教授)/皆川学(元NHKプロデューサー)
/小林緑(元NHK経営委員)/杉浦ひとみ・澤藤統一郎(弁護士)
チラシのダウンロードはこちら→http://bit.ly/31tpSYI
https://kgcomshky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/sympo12.png
なお、下記「10月11日(金)夕刻、NHKに激励と抗議を」もご覧下さい。
https://article9.jp/wordpress/?p=13490
かんぽ生命保険の不正販売は底なしの様相。だが、この問題を機に、はるかに大きな問題がもちあがっている。この、かんぽ不正販売を暴いたNHK番組「クローズアップ現代+」の制作に対する外部からの干渉である。しかも、干渉したのは単なる外部ではない。NHKと監督官庁(総務省)を共通にする日本郵政による番組への露骨な干渉。日本郵政の先頭に立って干渉を加えたのは、総務省の元次官である。NHKからみれば、総務省からの圧力に見える構図なのだ。
さらなる問題は、NHKの経営委員会がこの干渉に一枚加わったこと。驚くべきことに、経営委員会が日本郵政の意を受けて、NHK会長に厳重注意をした。そして、NHK会長はこれを撥ね除けることをせず、唯々諾々と受け容れた。番組制作現場を守る、外部の干渉から報道の自由を守るという姿勢を露ほども見せていない。会長としての見識に欠け、頼りないことこの上ない。
この日本郵政・経営委員会の干渉は、明らかに番組制作現場に対する「かんぽ生命保険の不正販売追及報道などはやめておけ」というメッセージ。現場は萎縮せざるを得ない。予定されていた、「かんぽ不正販売」報道の続編放映は無期延期となった。関連するホームページも削除となった。然るべき立場からのNHKへの圧力や干渉は、有効に利くことが立証された。これは、恐るべき事態ではないか。
今のところ、役者は3人である。まずは元総務事務次官の鈴木康雄・日本郵便上級副社長、これが元兇。次いで、その意を受けてNHK会長を厳重注意とした石原進・NHK経営委員会委員長。そして、情けなくもこれを受け容れた上田良一・NHK会長。昨年11月に郵政側に上田会長名の事実上の謝罪文が届けられている。さらに、この3人の背後には、4人目の役者として高市早苗総務大臣が控えている。総務大臣は、経営委員会の判断を積極的に後押ししてはいないが、消極的には是認している。
全体像はこんな具合に見える。
《総務省・高市早苗⇒日本郵便・鈴木康雄⇒経営委員会・石原進⇒会長・上田良一》
この4階建ての圧力が、NHK現場の番組制作スタッフにかかってきているのだ。この圧力と露骨な干渉が、制作現場を萎縮させ、報道を歪めている。これを座視してはおられない。
権力の干渉はどんな場面でも望ましくはないが、とりわけ介入してはならない分野がいくつかある。権力が介入の衝動をもち、介入の結果が取り返しのつかない重大な結果をもたらす分野。
まずは教育である。そして学問、信仰、文化・芸術。さらに、司法も報道も。報道の自由は、なによりも権力の干渉・介入からの自由を意味する。その自由が保障されていなければ、国民は真実を知ることができない。再び、NHKが大本営発表の伝声管となる時代を繰り返してはならない。
この当然の理を明確ににするものとして、放送法第3条は(放送番組編集の自由)と題して、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と定める。
念のためだが、NHK経営委員会は飽くまでNHKの経営面の基本方針を定め、役員の職務の執行を監督する機関であって、放送法第29条(経営委員会の権限等)「経営委員会は、次に掲げる職務を行う。」と限定列挙されているが、放送番組編集に関与する権限はない。
むしろ、放送法第32条(経営委員の権限)は、「第1項 委員は、この法律又はこの法律に基づく命令に別段の定めがある場合を除き、個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない。」「第2項 委員は、個別の放送番組の編集について、第3条(放送番組編集の自由)の規定に抵触する行為をしてはならない。」と、個別番組への干渉を禁止されている。
さらに、内規である「NHK経営委員会規程」は、第3条(権限)において、「第5項 委員は、放送法または放送法に基づく命令に別段の定めがある場合を除き、個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない。」「第6項 委員は、個別の放送番組の編集について、放送法第3条の規定に抵触する行為をしてはならない。」と念入りに、経営委員が、個別の放送番組の編集に介入することを固く禁じている。
今回の、経営委員会の行為は、少なくともこの法の理念に違背する行為と言わねばならない。世論による、《総務省・高市早苗、日本郵便・鈴木康雄、経営委員会・石原進、NHK会長・上田良一》への厳しい批判と、現場スタッフに対する激励が必要ではないか。
そのような観点からのシンポジウムである。ぜひ、ご出席を。
(2019年11月1日)
「法と民主主義」2019年10月号【542号】が発売中である。
その概要は、下記URLをご参照いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
特集は、以下の2本立て。ぜひとも、ご購読をお願いしたい。
①●共生をめざして ── 民族差別を許さない
②●国旗国歌強制の是正を求める「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか
お申し込みは、下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も、上記のURLから可能です(1冊1000円)。なお、今月号の編集は、澤藤の担当です。**************************************************************************
特集①●共生をめざして ── 民族差別を許さない
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆いま、在日コリアンの人権状況は … 金 竜介
◆高校無償化の朝鮮高校除外 最高裁判決と今後の課題 … 丹羽 徹
◆「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の今日的意義と追悼の辞送付を拒否する小池都知事に見る問題 … 宮川泰彦
◆川崎の差別禁止条例案 ─ その立法事実と条例制定の経過 … 宋 惠 燕
特集②●国旗国歌強制の是正を求める
「ILO・ユネスコ勧告」をどう生かすか
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」の意義とCEARTの役割 … 勝野正章
◆初めての「国旗・国歌強制」是正 セアート勧告の内容と意義 … 寺中 誠
◆国際人権法をいかに活用するか─ CEART勧告とNGOの課題 … 前田 朗
◆ILO・ユネスコからの勧告をどう活かしていくか … 渡辺厚子
特集外
◆特別寄稿●関西電力スキャンダルの闇
── 原発マネーの実態が露見 ── … 岡田俊明
◆司法をめぐる動き(51)
・東電刑事裁判無罪判決 ── 司法が原子力行政を忖度して東電役員を救済した … 海渡雄一
・9月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2019●《文明が問われている》
災害、NHK、N国… メディアも共犯 積年のツケが明るみに … 丸山重威
◆あなたとランチを〈No.49〉
止まるな憲法9条号 … ランチメイト・宮坂浩先生×佐藤むつみ
◆BOOK REVIEW●市民の奮起が情報環境の「現在史」をのり超える
── 田島泰彦 著『表現の自由とメディアの現在史』(日本評論社) … 服部孝章
◆改憲動向レポート〈No.18〉
「私の考え方の基本は9 条改正にある」と発言する安倍首相 … 飯島滋明
◆インフォメーション
◆ひろば●私、こんな本を読んでいます … 宮腰直子
◆時評●天皇の代替わり儀式とオクトーバー・フェスト … 小沢隆一
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◆特集①のリード
人権尊重を理念とする社会に差別があってはならないことは当然だが、民族差別や人種差別は、平和と国際協調の主要な障害物でもある。戦前の軍国主義日本では、侵略戦争と植民地支配の道具として、故なき民族蔑視や排外的差別感情が作られ、煽られた。
戦後、時を経た今なお、その作られた民族差別感情は払拭され得ていない。国民の精神の奥底に澱のように沈殿して、折りあらば浮揚する。平和や国際協調に敵対する勢力の煽動によって、民族差別はときに大合唱となる。
この民族差別意識は、敗戦と日本国憲法の制定によって清算すべきであった負の遺産にほかならない。駆逐されるべくしてされなかった差別意識が、むしろ近年再生産されている側面さえ否定し得ない。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライム、ヘイトデモという言葉と現実が横溢する昨今の国内社会は、北朝鮮・韓国との国際関係の冷え込みの反映でもある。平和と国際協調のためにも、国内の民族差別問題の克服は喫緊の重要課題である。
当誌は、今年の4月号に「日韓関係をめぐる諸問題を検証する」という特集を組んだ。昨年10月の韓国大法院徴用工判決以来の日韓関係の現状を歴史的背景に遡って考察する大型企画となったが、そのリードに「日韓関係が過去最悪」とのコメントがなされている。ところが、その後半年間の日韓関係の事態の推移は、さらに急速に悪化し深刻化している。とりわけ、政府とメディアに煽られた日本社会の「嫌韓」の空気は、人権問題としても、政治問題としても到底看過し得ない。
今、国内でどのような民族差別問題が生じているかを正確に認識するとともに、この事態に警鐘を鳴らしたい。その思いから、本号では、在日差別に焦点をおいた緊急の特集を組むこととした。
当然のことながら、官民の在日差別の深刻化があれば、この空気に抗って差別を許さないとする運動の昂揚もある。その運動の成果もあれば、この時代故の困難もある。その運動に携わっている方々に、当誌ならではの貴重な寄稿をいただいた。
総論的に金竜介氏(在日コリアン弁護士協会・代表)から、「いま、在日コリアンの人権状況は」をいただいた。氏は、差別される側の視点で、「差別を許容する社会」が既に現実化していると指摘する。陰湿な差別を看過している間に、あからさまな排外主義が大手を振ってまかりとおる時代となってしまった。永住外国人への参政権の付与が遠のき、在日外国人の無権利状態が固定化され、ヘイトスピーチが跋扈している。しかし、問題はヘイトスピーチにとどまるものではないという。問題の深刻さを認識し共有するところから、「共生をめざす」議論を始めねばならない。この論稿で、民族差別の全体状況や主要な問題点を把握いただきたい。
丹羽徹・龍谷大学法学部教授には、象徴的な「在日差別」として、民族教育を行う朝鮮高校への無償化措置からの除外問題を寄稿いただいた。高校無償化において、朝鮮高校だけを除外 した露骨な差別の実態と、この除外を違法とする全国五件の訴訟の経過を丁寧に解説いただいている。残念ながら、司法はその役割を放棄したとしかいえない。問題は、保育無償化にも及んでおり、多文化共生の理念は深刻な壁に突き当たっている。
宮川泰彦弁護士(日朝協会会長)には、日朝・日韓の歴史における負の遺産として見逃すことのできない関東大震災後の日本人による朝鮮人(中国人を含む)虐殺事件と、その犠牲者追悼碑建立と追悼式の由来をご紹介いただいている。小池百合子東京都知事の、これまでの歴代知事とは明らかに異なる追悼式への対応の問題点を、当事者として執筆いただいた。
最後に、宋惠燕弁護士(武蔵小杉合同法律事務所)から、「川崎の差別禁止条例案ーその立法事実と条例制定の経過」の論稿。最も典型的な川崎市におけるヘイトの実態や、それを克服するための差別禁止条例案発表までの道のり。そして、全国初の実効性ある罰則をともなう条例の意義や、その過程での議論は、困難な中の優れた実践例として参考になろうと思われる。
今、私たちの国では恥ずべき民族差別が横行している。本特集を通じて、この民族差別を克服して、共生の社会を作ることが、人権と平和と国際協調の第一歩であることを確認したい。(「法と民主主義」編集委員会 澤藤統一郎)
◆特集②のリード
本小特集は、ILO・ユネスコの日本政府に対する「国旗国歌強制の是正を求める勧告」を取りあげる。
周知のとおり、公立学校での国旗・国歌(日の丸・君が代)強制が、看過し得ない大きな問題となっている。とりわけ、東京都教育委員会の強硬姿勢が突出している。悪名高い「10・23通達」(2003年10月)発出以来、都内の全公立学校では入学式・卒業式に全教職員に対して国旗に正対して起立し、国歌を斉唱するよう職務命令が発せられ、これに服しない教員に対して苛酷な懲戒処分が濫発されてきた。
この問題は、憲法訴訟として、また教育訴訟として、長く法廷で争われ、「10・23通達」16年を経た今、教員側は起立・斉唱の強制や懲戒処分を違憲とする判決を得るに至っていない。しかし、処分歴の累積を理由に戒告を超えた減給以上の処分量定は懲戒権の逸脱濫用として違法とされている。訴訟の現段階は、都教委側にも当初の思惑がはずれた事態となっている。
法廷での争訟がやや閉塞感を漂わせている状況の中で、国際人権の分野から、朗報が届けられた。それが、このほどILO・ユネスコ合同委員会(セアート)における検討を経て、両機構が日本の政府に対して発出するに至った、「国旗国歌強制の是正を求める」勧告である。
本特集では、多くの法律家にその経過と内容を報告して意義を知っていただくとともに、かならずしも勧告を積極的に受けとめようとはしない文科省や各地の教育委員会にアピールする運動に役立てたいと思う。
国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいる。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきた。また、ユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開している。その両機関の活動領域の交わるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、各国の教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当している。この合同委員会が「セアート(CEART)」である。
各国の教職員組合が、それぞれに抱える問題をセアートに訴え、国連から各国にしかるべき勧告がなされるよう働きかけている。そのような試みのひとつとして、我が国のいくつかの教職員労組が、「日の丸・君が代」強制問題を取りあげるようセアートに申し立てた。この春、これが正式に取りあげられ、ILOとユネスコ両機関での正式決議が成立し、日本政府に対する勧告となった。その意義は大きい。
申し立てを行って、勧告を得たのは、東京と大阪にある二つの独立系教職員組合。「アイム’89東京教育労働者組合」と「合同労組仲間ユニオン」の教職員支部である。この申立をセアートは受理し調査を実施した。日本政府へ問い合わせもおこない、アイム’89と日本政府の双方にそれぞれ意見と反論を述べる機会を与えたうえで、2018年10月、ILOとユネスコに対する報告・勧告を採択した。この勧告に基づいて、2019年3月ILO理事会が4月にはユネスコ執行委員会が、正式に採択して公表し、小さな組合の大きな成果となった。
ILOとユネスコの日本政府に対する勧告は、以下の6点である。明らかに、「国旗・国歌(日の丸・君が代)」強制を是正するよう求めるものとなっている。
(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること。
このILO・ユネスコ勧告は、「日の丸・君が代」強制の入学式・卒業式を「愛国的な式典」と呼んでいる。最も注目すべき上記(a)は「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員」の立場を慮るものであり、(b)では「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」よう手段を尽くせと言う。つまり、「入学式・卒業式での国歌斉唱時における強制はやめよ。平穏な不起立に対する懲戒処分は避けよ」と言っているのだ。これが、勧告の眼目である。
この問題をめぐって、本特集では4本の論稿をお送りする。
まず、勝野正章氏(東京大学)「教員の地位に関するILO勧告の歴史」が、今回勧告の基本となつている1966年勧告を中心に、何が教育労働者処遇のグローバルスタンダードになっているかを解説している。また、「セアート」とは何か、その勧告がいかなる意味をもつものかを総論としてお読みいただきたい。
寺中誠氏(東京経済大学)の「ILOユネスコ勧告の内容とその意義」は、勧告の内容とその積極的意義について論じていただいた。
また、前田朗氏(東京造形大学)には、「国際人権法の射程と活用について」と題して、予想される政府と各教委の対応と、国内法の法源としての実践的活用の展望についての解説をいただいた。
渡辺厚子氏(アイム89労組)「ILOユネスコ勧告の活用の展望」は、当事者としての勧告にいたるこれまでの経過と、今回の勧告を生かす今後の運動の展望を中心にご報告をいただいた。
日本政府ならびに各地教委は、国旗国歌の強制、しかも懲戒処分までしてする「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、国際標準からみて非常識なものであることを真摯に受け止めなければならない。本特集が、そのような事態転回の契機となることを願っている。
(「法と民主主義」編集委員会 担当澤藤統一郎)
(2019年10月31日)
人事の要諦は適材適所だよ。私が、文部科学大臣。これこそ理想の適材適所。安倍政権の傑作じゃないか。口さがない輩は、「加計学園にあれだけドップリ浸かって、疑惑を抱えた萩生田が文科行政のトップとはブラックジョークか」などと悪口を言うが、ためにする言いがかりで八つ当たりも甚だしい。森友・加計批判を強引に乗り切った私こそが、教育行政のトップを担うにふさわしい。一見して明白だよ。
私は、予てからの教育勅語信奉者だ。日々、勅語の精神を政治に行政に体現しようと、議員会館の私の部屋には、勅語の額が掲げてある。掲げてあるだけではない。朝に夕に勅語を拝読三唱し、明治大帝の大御心の深さの一端でも、我が心にしようと誠心誠意努力を重ねている。そんな私なのだから、子どもたちに倫理を教える文科省の大臣にもっともふさわしいんだ。
往々にして、勅語は失効しただの、アナクロニズムだのという不敬の言動にお目にかかるが、ものを知らないということは恐ろしい。勅語の最後にはこう書いてある。
「斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所。之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕、爾臣民ト?ニ拳々服膺シテ咸其?ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」
どう? おそれいらない? つまり、勅語の精神はだね、なんたって神さまがお示しになったものだから、正しいに決まっている。「古今の歴史を通じて、また世界のどこにおいても」けっして間違っていないと書いてあるんだ。勅語が示している道は、令和の御代においても、我等臣民の永遠に守るべきものなのだから、これを信奉している私こそが文科大臣に最もふさわしいわけだ。
その私の、「身の丈」発言だ。「身の丈」で生きることって、大切なことだよ。常々思っていることを口にしただけだが、形勢不利となれば、撤回も謝罪もなんでもありだ。これも、子どもたちに教訓的だろう。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というじゃないか。蟹だってオケラだって、身の丈に合わせて生きているんだ。ましてや知恵のある人間だもの、身の丈に合わせた生き方をしなくては苦しむだけさ。「身の程」を知り、「分相応」の生き方が大切なことを、道徳の時間に改めてよく教えなくてはならない。
人の平等だの、教育の機会均等だのというのは、そりゃ建前だけのこと。ほら、皇室をご覧なさい。畏れ多くも、皇室や皇族の皆様方が、われわれ臣下と平等であるはずはない。だから、安倍晋三首相が、臣下を代表して、高御座のお上を「仰ぎ見て」、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやったのだ。これが世の常識というもの。
そして、「テンノーヘイカ・バンザイ」をやった安倍晋三首相も、典型的な三代目政治家。下から這い上がった人ではない。麻生太郎財務大臣も同じ。何の苦労も知らないお坊ちゃんたち。このような,格差の上澄みが支配する世の中であるという現実を、しっかりと知らねばならない。それこそが教育の課題。
憲法が、人間差別の象徴としての天皇の存在を認めているとおり、人間の平等は観念論だ。現実には、人は差別を背負ってこの世に生まれ育つのだ。とりわけ、貧富の格差による差別は如何ともしがたい。この格差を無理に是正しようとすれば、共産主義の世の中になってしまう。それでもよいという覚悟はおありかな。
だから、大学入試の英語民間試験導入を巡る問題で、「お金や地理的に恵まれた生徒が有利になるのではないか」と聞かれて、私は「身の丈」が大切と答えたのだ。なにも、大学入試の英語の科目だけが教育差別というものではない。人は、生まれ落ちたときから、教育格差の中で生きているのだ。幼稚園から大学まで、すべて教育格差で貫かれた現実。「自分の身の丈に合わせて勝負してもらう」以外にありようはない。
私は、「受験生に不快な思いを与えかねない説明不足な発言だった。おわびしたい」とは言った。もちろん、慎重に「受験生に不快な思いを与えた」とは認めていない。「説明不足」に過ぎなかったのだから、説明さえすればよいのだ。それで、身の丈に合わせてとは、「自分の都合に合わせて」の意味だと言ってはみたが、我ながら上手くない。「身の丈に合わせて」は外部からの強制による余儀なくされた選択で、「自分の都合に合わせて」は強制性のない自発的な選択なのだから。
しかしだ、この程度のことで騒がれるのは、はなはだめんどうだ。やっぱり、教育勅語だよ。上から目線で、教育も教育行政も貫けるのだから、戦前はよかった。ここでうんと天皇の権威を高めて、政治も行政もやりやすくしてもらいたいものさ。
(2019年10月30日・連続更新2403日)
幼子を失った中原中也は、こう呟く。
?「愛するものが死んだ時には、
自殺しなければなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
……
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから」
最近、医療過誤事件の受任が多い。そのほとんどが患者死亡事故で、愛する者を失った依頼者の痛切な思いの一端を背負うことになる。時にその重さにたじろがざるを得ない。
「もはやどうにも、ならぬ」身近な人の死について、いったい訴訟という無機質の手段は何をなし得るのだろうか。依頼者本人と受任弁護士とは、共同で何をしようとしているのだろうか。答えのないままに、訴訟は始まり、進行し、終わっていく。
1992年暮の12月29日午後6時、当時27歳のSさんは甲府の産科診療所で妻の出産に安堵の思いをしていた。初産の妻は過期妊娠として入院しており、陣痛誘発剤の投与による4350グラムの「巨大児」の出産だった。
ところが、事態は思いもよらない悲劇に発展する。妻は分娩室からなかなか出てこない。不安が募るうちに分娩室の様子が慌ただしくなり、午後9時30分救急車の出動要請となった。妻は地元の大学病院に搬送されるが、救急車に同乗したSさんが見た妻の姿は生者のものではなかった。
後の手続きで顕出された大学病院でのカルテの最初に書かれた3文字は、「DOA」(デッド・オン・アライバル、到着時死亡状態)。死亡診断書の死亡時刻は、その日の午後11時54分とされている。
Sさんはこの年の2月に結婚、12月には夫婦が赤ちゃんを迎えるはずの家を新築したばかり。妻はこの新居に3日だけ住んで帰らぬ人となった。こうして、生まれた子は自分の誕生日を母の命日として記憶することになった。
間もなく、Sさんの動める会社の紹介で私が事件の依頼を受けた。最初に、Sさんはこう言った。
「妻の死を、このまま受け容れることができません。妻のために、できるだけのことをしなければならない気持ちです。訴訟という手段があるなら、妻のためにとことんやってみたい。」
セオリーどおりに証拠保全手続きをしてカルテを入手した。その中に、大学病院の産科長からの報告書があった。「遺族には、子宮破裂か羊水塞栓症による産科ショックと説明」「マルプラクティス(医療過誤)はないと思う。産科ショックは早期発見、管理は難しい」。壁は厚い。
提訴が、1993年の暮。3年間甲府の裁判所に通った。
被告の主張は、患者は羊水塞栓症だったということ。羊水塞栓は2万ないし3万の分娩に1例生ずる珍しい症例である。その発症機序は明らかでなく、予見も予防も不可能。そして治療方法はなく、死亡率は極めて高い。原告は、羊水塞栓の主張は産婦死亡事故における医師の常套手段であり、逃げ場に過ぎないとしてこれを争い、法廷では熾烈なやりとりが行われた。
この間、亡くなった妻の親族の多数が傍聴席を占め、Sさん自身の主張や立証手段の理解に熱心だった。進行につれて、被告となった医師側の事情や気持ちもわかってきたのではなかろうか。
この件では鑑定はなされず、後医として患者の死亡診断書を書いた若い医師の、冷静で客観的な証言がこれに代わる役割を担った。こうして、証拠調べを終えて、双方から最終準備書面が提出された段階で裁判所から和解勧告がなされた。
「合議の結果、転医措置の遅延に関しては有責との心証ですが、果たして早期の転医が実現していれば救命できたかという因果関係の点に関しては、必ずしも十分な心証を得たとは言えません。」
この前提で和解の交渉は進行したが、原告がこだわったのは和解金の金額ではなく被告の死亡患者に対する謝罪と再び同様事故を起こさないという誓約だった。被告がこれを容れることは困難だったが、交渉進展の中でSさん自身の気持ちが整理されていった感がある。その本来の願いは、医師の責任を追及して「謝罪」を求めるよりは、むしろ妻への「哀悼」の意思表明を求めるものであったろう。
何度かの和解案の摺り合わせのあと、最終的な和解条項第1項の文言はつぎのとおりとなった。
「被告(医師)は、原告らに対し、亡S女の診療に関し理想の診療に至らざるところがあったことを認め、今後理想の診療のために努力を重ねることを確約するとともに、亡S女に対して深甚の哀悼の意を表明する」
最後にSさんが納得したのは、被告医師が妻への墓参を約束してくれたことによる。なお、和解金は1800万円でまとまり、Sさんに金額の不満はなかった。
1996年12月10日、甲府地裁での和解成立直後に関係者は車に分乗してSさんの妻の墓所に向かった。うららかな冬の午後の日差しのなかで、先ほどまで被告だった医師は、用意した花束と線香を墓に供えた。被告代理人の弁護士も同道して、同様に死者に哀悼の意を表した。
Sさんや、亡くなった妻の両親、残された子らに対して、医師は「今後、このような事故をおこさぬよう、研讃をいたします」と、頭を下げた。誠実な態度だった。
Sさんは、万感の面もちで答礼した。妻の母は涙を浮かべて、「おかげさまで胸のつかえがとれ、もう気持ちが晴れました。あの子も成仏できます」と医師に精一杯の言葉を返した。
甲府駅までの車のなかで、Sさんは言った。
「妻のために、できるだけのことをした思いです。これで、ようやく妻の死を受け容れることができます」
特に普遍的な影響を持つ「意義のある」訴訟ではない。しかし、今までにない、後味のよい受任事件の「解決」であった。生きた人間の営みの手段として訴訟が有効に働いたとの満足感があった。
自分が同様の被告事件を受任したら、あの被告代理人のように、線香と花束を用意して和解成立後の墓参に行ってみたいとも思った。
「キタニ ケンカヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイイ」と手帳に書き留めた賢治の気持ちは分からないではない。「それでは弱者の人権が…」と息巻くつもりもない。賢治がイメージした訴訟は、勝敗に関わらず、詩人にとって生きる価値とは無縁のものであった。
しかし、「愛するものが死んだ時に」「もはやどうにも、ならぬ」気持ちを癒す訴訟もあり得る。
そのような訴訟を担う人に、ワタシハナリタイ。
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以上は、私が、東京弁護士会・期成会の機関誌「Wa」に掲載した1996年の寄稿である。もう、23年も前のことだ。
創立60周年を迎えた期成会が、本日(10月29日)は盛大な祝賀会を開いた。60周年記念企画として、これまで機関誌に掲載された会員の論稿の中から優秀作の表彰が行われた。光栄なことに、上記の私の論稿が「Wa傑作大賞」を受賞した。
私のこれまでの人生は、受賞とか表彰とは無縁だったが、弁護士仲間に表彰してもらうことは、とてもありがたいと思う。もちろん、司法制度や憲法論の、理論的に優れた論稿は他に多くあったはず。私の論稿は、弁護士のありかた、事件との関わり方が、選考委員に好感を持たれたものだろう。
ところで、東弁・期成会とは何かを説明しておきたい。
弁護士会には、「会派」というものがある。全国最大の単位会である東京弁護士会には、戦前からの「親和」と、戦後すぐに結成された「法友」の2大会派が重きをなしている。この「派閥」の弊害をなくす目的で、後に期成会が作られた。私も、東京弁護士会所属以来一貫して、期成会の会員である。
その期成会が、期成会をこう解説している。
期成会は、1959年(昭和34年)11月に産声を上げました。
それまでの東京弁護士会は、2大会派が非民主的な選挙抗争を繰り広げたり、各種委員や破産管財人の人事を壟断したりしていて、新たに発足した司法研修所で修習し、弁護士法第1条の理念を実現しようという気概に燃えた若い弁護士たちにとっては、改革の対象と映っていました。期成会という名称にも、「修習何期」というように呼ばれた司法研修所修了者たちによる会という意味が込められています。
今でこそそのような実感を抱くことはまずなくなりましたが、ここに至るまでには、40年余りの永きにわたって、期成会に集う会員たちが弁護士会の民主化のために脈々と活動を続けてきたのです。
今でこそ当然のように行われている日弁連の会長選挙も、古くは代議員による間接選挙でした。期成会の呼びかけに呼応した全国の弁護士が、これを現在の直接選挙の形に改革したのです。(以下略)
勲章や褒賞を授与といわれたら突っ返すが、東弁・期成会からの表彰なら、名誉なこととしてありがたく頂戴する。
(2019年10月29日・連続更新2402日)
ムカシ、ムカ?シのことよ。いつ頃とも分からぬほどの大昔。
天と地とが合体してな、子が生まれた。
そんな不思議なことも、大昔にはあったということだ。
天を父とし地を母をする子のことを、人びとは天子と呼んだ。あるいは、天子様と敬った。並みの人とはまったく異なる貴いお方。生まれながらに、国土と人民と、時をも支配する霊力を備えておられた。その聖なるお身体を玉体といい、お顔を竜顔、お言葉は綸言というたな。
天の子は、当然のこととして天命を受けて皇帝となり、万民がこれに従った。皇帝には陛下という尊称をたてまつって、百姓が皇帝を崇めた。皇帝の命には下々に至るまで喜んで従った。皇帝に弓を引くことは、天の命に逆らうこと。畏れ多くて、反逆などは考えられなんだ。
もちろん、皇帝の子は皇帝となった。なにせ貴い血筋だ。天子の子孫が天子であること,皇帝の子孫が皇帝であることを誰も疑わなかった。ところが、長い歴史の中には、とんでもない暴虐な皇帝も現れる。これは、天命に逆らった皇帝の所業。こういうときには、新たに天命を受けた者が現れて、皇帝の位を継ぐこととなる。これを易姓革命というた。こうして、天の命は、常に皇帝を通じて天下万民の利益を守るようにうま?くできているんじゃな。
問題は現皇帝が天命に従っているかどうか、その確認の方法がはっきりとせんことだ。とうてい常人には分からない。不便なことにな、天は自ら声を発することができんのだな。そこで、皇帝が天意に沿うて世を泰平におさめているときには、天はその喜びの証しとして瑞祥を現わすという。その反対の場合には、天譴として災厄が起こるそうじゃ。
念のためだが、もちろんこれは嘘っぱちの話だ。天の子も嘘、血の貴さも嘘。人間に貴賤があるというのがそもそもの大嘘。武力で政権を獲得した者が、自分に都合よく作りあげた荒唐無稽の嘘八百。罪のない嘘も、やむを得ない嘘もあるが、皇帝が天子だなどというのは、最大級の悪質な嘘っぱちでな。その害はとてつもなく大きい。
こんな嘘っぱちを、皇帝の国の周囲にあった蛮夷のミニ皇帝たちが,軒並み真似をしよった。皇帝を真似て、ミニ天子を天皇と造語した国もあった。それから年を経て、皇帝は今やなくなり、他のミニ皇帝たちも消えたが、天皇だけは生き残っている。権力者に使い勝手がよかったからじゃろうが、それにしても奇妙なことよのう。
以前、天皇の末裔が、その国を大いくさに巻き込んでな。国を破滅の寸前にまで陥らせた大事件が起きた。周りの国と国民にはこの上ない不幸をばらまき、自国の民にも塗炭の苦しみを味あわせた。それでも、臣民たちは畏れ多いなどと言ってな、天皇を裁くことはしなかった。これが、嘘っぱちの効用であり、罪深さだ。
さて、ここからはムカシのことではない。その戦犯の子が、天皇の地位を嗣いだ。そのとたんにバブルがはじけて、長期の不況とその国の衰退が始まった。大地震・大津波も起こった。大津波に続いた深刻な原発事故もおきた。それだけではない。その国の現状はこんな具合だ。
「合計特殊出生率は世界最低クラスであり、自殺死亡率は世界トップクラスである。所得格差は、先進国の中でトップクラスにあると懸念され、特に母子世帯の相対的貧困率は最高である。また、税・社会保障による移転の前後で子どもの相対的貧困率を比べると、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で日本でのみ、移転後のほうが高い」(2010年学術会議提言)という、これまでにない情けない事態た。実は、これこそ天譴ではないか。
最近、その国では天皇がまた交代したという。それ以来半年が経過したが、碌でもないことばかり。とりわけ、台風と豪雨、河川氾濫の災害は過去に例のない規模だという。これもまた天譴ではないか。何に、天は怒っているのか。常人には分かりにくいところだが、忖度するに次のようなことではなかろうか。
今回の天皇交代にかける費用は166億円と予算計上されておる。前回比で、3割増だ。台風禍、豪雨禍の被災者をそっちのけで、大規模な「饗宴の儀」の繰り返し。「饗宴の儀」とは、要するに税金を使っての飲み食いじゃ。これが、4回も行われるというんじゃな。4回のうちあと2回残っているが、まだ中止と言わない。その無神経に、天は怒っているのじゃろうて。
考えて見れば、天の怒りが権力者には向かわず罪のない庶民に被害を及ぼすのだからひどい話だ。それでも、このままでは、もっと大きな天地鳴動の天譴が起きかねない。くわばらくわばら。
(2019年10月28日・連続更新2401日)
岡林辰雄こそは、伝説の弁護士である。
なによりも彼は社会進歩を目指す闘士であった。戦前は思想犯として3度逮捕されている。弁護士資格剥奪の難にも遭っている。また、彼は闘士であるだけでなく理論家でもあった。あの弾圧厳しい時代に資本論の対訳註解書を上梓しているし、クルプスカヤの「レーニンの思ひ出」という訳書もある。
戦後は、松川・三鷹・菅生をはじめとする謀略冤罪事件の多くに弁護人として関与し、最前線で「裁判闘争」を闘った。「大衆的裁判闘争」や「主戦場は法廷の外に」などの主唱者であり、実践者としても知られている。当然に、優れたオルガナイザーでもあった。そして、いくつもの成果を挙げている。岡林こそ、これ以上はない「伝説の弁護士」。
なによりも松川事件弁護団のリーダーとしての活動で知られ、14年にわたる大裁判・大運動の立役者となった。映画「松川事件」(監督・山本薩夫、脚本・新藤兼人)の法廷場面で常に弁護団の先頭にいる岡林役を宇野重吉が演じている。
私が弁護士になった頃、既に岡林は伝説の人であり、雲の上の人であった。その伝説の人に、ばったりと出会ったことがある。私が岩手弁護士会の会員だった1980年ころのある日、盛岡地裁庁舎内にあった岩手弁護士会の控え室でのこと。私は、少なからず驚き興奮した。何しろ、雲の上の伝説の弁護士に、偶然出くわしたのだから。「あれっ? 岡林先生ではありませんか。いったい何用あってここへ?」
彼は一人ではなく、竹澤哲夫弁護士との同道だった。親しかった竹澤さんから説明を受けた。「小繋事件をご存知でしょう。あの民事事件は幾つかあり、今でも終わっていない事件があるんですよ。いまだに、私と岡林先生とで事件を続けている」
15分くらいだったろうか。私は、学生時代に松川事件支援の活動を通じて弁護士を志し、自由法曹団員となっているという話をし、彼は、私の質問に応じて、戦前勾留されていた当時のことを話してくれた。「ともかく身体と思考力をなまらせてはいけないと思って運動を怠らなかった。四股を踏むのが一番よかった。負けるものかという気概が湧いてくる」と聞いた憶えがある。
かつて、まだ弁護士を志す前の学生時代に大きな集会で演説する彼を見上げたことがある。盛岡で言葉を交わした伝説の弁護士は、往時の精悍さを欠いているように見えた。その後間もなく、病牀に伏せったと知らされ、長い闘病生活を経て1990年3月の訃報を聞くこととなった。伝説の弁護士と言葉を交わしたのは、この一度だけである。
先日、地元「国民救援会・文京支部」が映画「松川事件」の上演会を催した。改めて、70年前の松川事件の経過とこれに取り組んだ伝説の弁護士を思い起こした。あのような弁護士になりたいと思った時期があったことも。
今、私の手許に日弁連人権擁護委員会から「再審通信」118号が届いている。15もの再審請求事件の現状が各弁護団から報告されているが、そのパンフの表紙に、「題字:故竹澤哲夫会員(東京)」と記されている。あのときご一緒だった竹澤哲夫さんも、2012年に鬼籍に入られたのだ。
なお、岡林は「われも黄金の釘一つ打つ 一弁護士の生涯」(大月書店)という自伝を残している。このタイトルは、与謝野晶子の歌「劫初より作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」から採られている。
歌人である晶子がイメージした殿堂と、共産党幹部でもあった岡林が作りあげようとした殿堂とは大きく異なるものであったろう。しかし、人類の壮大な営みに、「我も黄金の釘一つを打ち得た」という両人の矜持には脱帽せざるを得ない。岡林辰雄は、自伝の表題の選定でも、伝説の弁護士となった。
(2019年10月27日・連続更新2400日)
忠臣蔵を扱った落語の演目の著名なものとしては、「淀五郎」「中村仲蔵」「庫丁稚(四段目)」「七段目」「九段目」…、あたりだろうか。いずれも、討ち入りの事件を直接の素材にしたものではなく、仮名手本忠臣蔵という芝居がテーマであり、芸談でもある。
抜きん出て知られるものが「淀五郎」であろう。昔は名人圓喬の持ちネタだったというがレコードに残る時代のことではない。録音が残る時代となってからは、「淀五郎」と言えば六代目圓生。特に圓生百席の「淀五郎」が極め付けか。また、正蔵の「淀五郎」も捨てがたく、さすがに芝居話として聞かせる。歌舞伎を知らない世代に、仮名手本忠臣蔵を上手に解説して,この点は親切で分かり易い。
よくできた芸談だが、忠臣蔵のイデオロギーを当然の前提としている点に注目せざるを得ない。正蔵の淀五郎が、大序「鶴が岡兜改めの段」の語りを述べる。これが、忠臣蔵イデオロギーの解説。
嘉肴(かこう)ありといへども食せざればその味を知らずとは。国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るゝに、たとへば星の昼見えず夜は乱れて現はるゝ、ためしをこゝに仮名書の…
よき武士とは、忠と武勇とを備えた者。乱世には、忠と武勇は自ずと目立つことになるが、泰平の世では目立つ機会がない。しかし、忠勇の武士は昼は見えない星のごとく、隠れてはいるがなくなったのではない。いったんことあれば夜に輝く星のごとくに現われて、褒むべき活躍をする。まさしくそれが、赤穂浪士の討ち入り、というわけだ。
身分制社会の支配者の側が、被支配者の側に求めるものが忠義・忠節という徳目。支配を力で押し付けるだけでなく、支配される側がこれを倫理上の徳目として受け入れてくれれば、こんなに都合のよいことはない。
武士階級だけでなく町民までもが、忠義という徳目を価値あるものと受容していた。だからこその討ち入り賛美である。それ故に、町人文化において、仮名手本忠臣蔵が名作とはやされ、落語「淀五郎」も成立しているのだ。
淀五郎が演ずる塩谷判官は、どうひいき目に見ても短慮のバカ殿以外のなにものでもない。法に反して殿中で抜刀し老人に斬りつけたのだ。切腹は自業自得としても、お家断絶は傍迷惑な話。大企業が突然破産するに等しく、夥しい数の従業員や関連下請け業者の失業者を生み、その家族を路頭に迷わせる。
四段目の腹切りの場面では、判官は「由良助はまだか」と死に際に焦る。家臣団を代表する筆頭家老に詫びをしたいというのではない。自分の引き起こした不始末の事後処理を委託するというでもない。ようやく間に合った由良助に、「この九寸五分は汝へ形見。我が鬱憤を晴らさせよ」というのだ。さらに一騒動起こせと、テロを教唆して死ぬ。
こうして、47人のテロ集団が平和な江戸を騒がせることになる。ひとえに、バカ殿のせいである。ところが、芝居の見物人は「忠義なサムライの武勇談」として喝采を送る。座頭の団蔵は淀五郎に、忠臣由良助が主君の近くに擦り寄りたい心境を述べつつ、5万3千石の大名の風格の演技ができなければ、近寄ろうにも近寄れない、という。
演者も聴衆も、この支配者側のイデオロギーである忠義を当然の美徳として了解していればこその話の運びなのだ。ところで、圓喬も圓生も正蔵も、江戸時代の人物ではない。忠義・忠節のイデオロギーは、近世から近代にみごとに受け継がれた。それが、一君万民、すべての民草の天皇への忠誠と形を変えてのことである。
教育勅語では「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と教えられ、軍人勅諭では「軍人は忠節を尽すを本分とすへし 」「只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」と叩き込まれた。
忠臣蔵に喝采した町人階級の無自覚な精神が、天皇制をも支えることとなったのだ。そして、天皇の代替わりを無自覚に慶事と受容する現代の国民の精神構造は、淀五郎の時代と基本的な変化がない。
淀五郎のオチは、「待ちかねたあ?」である。由良助の着到ではなく、忠義などという支配のイデオロギーの払拭についてこそ、待ち侘びねばならない。
(2019年10月26日)