さあ、これからだ。第196通常国会は最終盤。これからが、アベ内閣と自民党の本領発揮の時期なのだ。これからが、数の力の見せ所だ。アベ一強はダテではないことを実証しなければ、アベ三選もおぼつかない。6月20日に会期終了の予定だが、もちろんこれは延長する。会期を延長して、その間に力づくでのゴリ押しだ。さあ、なんでもありだぞ?。
これまでが、われわれが萎縮せざるを得ない異常な国会運営だったのだ。森友事件と加計問題ばかり。そして、官僚の虚偽答弁や、公文書の隠蔽・改ざんの不祥事。それに加えて、官僚のセクハラ発言や財務大臣のセクハラ容認失言。アベの国政私物化だの、アベに対する忖度行政だの、さんざん言われはしたが、所詮は些末なこと。些末なことに時間を費やしすぎたのだ。
これまでの萎縮を払拭して、些事ではなく、もっと本筋の議会運営に舵を切り直さなければならない。今国会の本筋の第1は、「働き方改革法案」の審議だ。野党の世論の反対を押し切ってこの法案を成立にまで漕ぎつかせなければならない。なぜ、この法案が本筋か。当たり前のことだ。資本が強く要請しているからだ。資本という言葉が耳障りなら、財界と言い換えてもよいし、産業界の要請だと言い直してもよい。
資本主義の世の中だ。資本の儲けがあってはじめて賃金の支払いが可能となる。税収も潤沢となる。企業ファーストの政治は当然のことだろう。企業が儲かれば、おいおい貧乏人にもトリクルダウンのしたたりが期待できることになる。
そりゃあ、残業代をゼロにするのが目的の高プロだ。労働者が反対するのは当たり前だろう。だが、考えてもみよ。企業あっての労働者だ。企業の儲けが拡大しての世の中の安定だ。その企業が是非とも必要だという高プロであり、労働者の働かせ方改革じゃないか。労働者の都合ではなく、まずは企業優先。企業が望む経済政策、それこそがアベ内閣と自民党の使命。そんなの、分かりきったこと。
もう一つがカジノ法案。これも財界の要請だ。バクチを解放して経済発展。結構なことじゃないか。バクチで身を持ち崩す国民が数多く出てくるって? やって見なけりゃ、わからんだろう。そりゃ、どんな政策にも多少のデメリットはあるさ。でもね。そんなことを一々気にしていたら、政治家なんかやっていけない。ギャンブル依存症は自己責任だと切り捨てるしかないのさ。
それから、参議院の合区対策法案だ。定数6増の提案で乗り切ろうというものだ。これも、すこぶる評判が悪いが、乗り切れそうだ。何しろ、「我に数の力あり」なのだから。民主主義の世の中だ。数こそ力、数こそ正義ではないか。まさしく、これこそ民主主義ではないか。
えっ? これは民主主義ではないと? 民主主義とは理性に基づく熟議の政治だって? そんな青くさいことをいっているから、君たちいつまで経っても少数派なんだ。
われわれは選挙によって国民多数から支持を得たのだから、われわれが思うとおりの法案を作成して国会を通すことを考えて悪かろうはずはない。むしろ、そのことがわれわれの政治的責務だというほかはない。
ありがたいことがいろいろある。まずは、公明党さんありがとう。敢えて泥を被って、自民党と一緒に評判の悪い法案成立に協力してくれる。ホントにありがたい。
それから、維新だ。これも、少し餌をやることで飛びついて、与党だけの単独採決という汚名を着ないで済む強力な助っ人。ありがとう。
そして、こんな嘘つき内閣と、悪評さくさくの政権を支えてくださる30%の固定支持層。実は私アベにも、どうしてこんなに支持があるのか分からないけど、ありがとう。
最後に、忘れっぽい有権者の皆様ありがとう。今、強行採決を重ねでも、どうせ来年の参院選のあたりには、皆様きれいさっぱりお忘れになる。それこそが、私みたいなものが総理を続けておられる最大の理由。
この国会会期末。どさくさ紛れに憲法改正の原案発議までやっても、案外うまく行くかも知れない? いややっぱりやめておこうか?
(2018年6月16日)
私には、ネット世界の見通しが利かない。どちらを見回しても、あふれかえるデマとヘイトに辟易せざるを得ない。ネトウヨ諸君は、権力者や富のあるものにはへつらって、弱い立場にあるものへの誹謗中傷に余念がない。実は、ヘイトのサイトに読者がつけば、広告料収入がはいる仕組みだという。
そのようなネトウヨ・サイトの典型に、「保守速報」なるものがある。とある名誉毀損裁判の被告になり、「他人の記事を転載しただけだからウチに責任はない」と争って敗訴したことで有名になった。その後、こともあろうに私の顔写真を掲載して「DHCの吉田嘉明会長」とキャプションを付けた。私にとってはこの上ない侮辱であり不名誉な仕打ち。このことについて「保守速報」は謝罪記事を書いたが、私に謝罪したのか吉田嘉明に謝罪したのか、わけの分からないものだった。その程度のいい加減なサイトなのだ。
記事はいい加減ではあっても、まとめサイトとして、他人が書いた記事を繋げて読者を得、広告を満載して相当の収入を得ていたようだった。ビジネスモデルとしては成功していたわけだ。
ところが、驚くべきことが起こった。下記のURLを覗いていただきたい。不愉快な記事を読む必要はない。記事ではなく広告欄にだけ注目していただきたい。すべての広告が消えて、空白になっているではないか。
http://hosyusokuhou.jp/
これは、すごいことだ。「まとめサイト『保守速報』から広告バナーが完全消滅」「まとめサイト『保守速報』に掲載されていた広告が、6月13日までに全て撤去されていたことが分かりました」という記事をネットのあちこちで見ることができる。
どうやら、ネットの景色が変わりつつあるのだ。多くの人の知恵と惜しみない労力とが、バナー広告のスポンサーを動かしているのだ。こんなデマとヘイトのサイトへの広告は、企業イメージを損なうものではないか、という指摘が功を奏しているのだ。
保守速報の広告撤去に至ったきっかけを作ったのは、エプソン販売だった。
ユーザーからの問い合わせを受けて、同社は6月5日に保守速報への広告出稿を停止したという。これが引き金となって、多くのネットユーザーによる広告主への通報が加速して他の企業にも広告引き上げの動きが波及したもののようだ。
BuzzFeed Newsが報じている。
「保守速報への広告掲載をやめたエプソン 『嫌韓、嫌中の温床』との通報がきっかけに」というタイトル。記事の関心は、「広告売り上げなど資金の流入を断つことで、ネットに溢れるヘイトやフェイクをも断つことはできるのか。」という視点。
同記事によると、「(エプソンに)メールで通報をしたのは6月1日金曜日の夜。Youtube上にあるヘイト動画がユーザーの通報を受け相次いで削除されたのを見て、ヘイト記事が載るサイトの広告主に通報しようと思ったという。メールでは、『保守速報』が『ヘイトスピーチ、いわゆる嫌韓、嫌中の温床となっている』『ヘイト記事で告訴を受けて裁判中』だと伝え、『広告が収入源になっている』と指摘。」こうも書き添えたという。
「ヘイトスピーチを許さない社会的責任と御社の製品のブランドイメージを守るためにも、ご検討なにとぞ、よろしくお願い致します」
同社から出稿を取りやめると返答があったのは、6月5日火曜日の昼のこと。「ご不快な思いをさせ」たことを謝罪するとして、「今後は、出稿先を注意して選定してまいります」と記されていたという。
エプソンは、代理店を通じて広告を出稿していたが配信先までの把握はなく、通報があるまで保守速報への掲載を認識していなかった、という。
エプソンは、「エプソングループコミュニケーション規程」に基づき、すべてのステークホルダーの皆様に対して、正確な情報を偏りなく提供しています。公序良俗の遵守や中立性の維持はもとより、性別、年齢、国籍、民族、人種、宗教、社会的立場などによる差別的な言動や表現を排除し、常に個人を尊重するとともに、文化の多様性を尊重して、世界の人々から信頼されるコミュニケーション活動を行っています。
と言っている。この規程の遵守必ずしも十分ではなかったわけだが、指摘を受けて直ちに差別に毅然とした反応したことは立派なものだ。エプソンのブランドイメージは大いに上がったというべきだろう。私も、今度はエプソンの製品を買おう。
まだ、企業の主流は健全だ。一通のメールがエプソンを動かしたのだ。そして、多くの人のメールが続き、いまネットに溢れるヘイトやフェイクをも断つ動きが加速している。「保守速報」への広告引き上げは、他のヘイトサイトに飛び火して、ネットの世界を一新するきっかけとなるかも知れない。
実は、この動きには前史がある。YouTubeでも同様の動きがあるのだという。差別表現を含む動画に自社の広告が表示されることを嫌った大手企業の広告出稿取り下げ騒動が発生したことを受け、YouTubeでは昨年(2017年)から差別表現に対して厳しい姿勢で臨むよう方針が大きく転換し、10万本を超す投稿動画か削除され、またYouTubeチャンネルが相次いで閉鎖されているという。
ひときわ注目されたのは、「皇族の血統」をウリにして稼いでいたタレント竹田恒泰。差別的言動で、YouTubeの規約によるチャンネル閉鎖に追い込まれた。ネットでは「YouTubeから生前退位」「ヘイトエンペラー」などと揶揄する声があるという。
保守速報は、「嫌韓」「反中」で知られていた。こんなサイトに広告を出していたとなれば、韓国や中国でのビジネスに差し支えが生じる。それを避けるのが、企業活動の合理的判断というべきだろう。ユーチューブにしても、まともな企業からの広告料を得ようと思えば、ヘイト動画を削除せざるを得ないのだ。ネットの世界の浄化の動きは、きっと実を結ぶことになるだろう。
ところで、この件に関して個人的に見過ごせない一点が残っている。「保守速報」サイト左上に残っている「NO!残紙キャンペーン」のバナーだ。これは広告ではなく、収入には結びつかない。「キャンペーンに賛同したサイトであれば自由に貼れるもの」なのだという。だから、保守速報側が勝手に貼ったもので、キャンペーンの主催者側としては保守速報への掲載について関知していない、との経過のようである。
とはいうものの、保守速報のサイトにたった1件残ったバナーである。そのキャンペーンには右から左まで、まことに幅の広い32人の賛同人の名が連ねられており、その1人として私の名前もある。私は、確かに「NO!残紙キャンペーン」の賛同者にはなったが、保守速報にこんな形で名前が出るような不名誉は望むものではない。さりとて、自由や民主主義のためには、右派とも連携すべきでもあろう。複雑な思い、というしかない。
(2018年6月15日)
私は、「瑞穂の國記念小學院」なるもの開校が頓挫してほんとうによかったと思っている。その理由の一つは、この学校の教育理念の反〈日本国憲法〉性である。親〈大日本帝国憲法〉性と言っても同じこと。国家主義であり、天皇中心主義であり、滅私奉公の時代錯誤も甚だしい。
もう一つの理由が、この学校がアベ晋三という薄汚い政治家との縁によって開校寸前まで漕ぎつけていたことである。一時期「安倍晋三記念小学校」の名称で寄付を募っていただけでなく、認可申請先の大阪府(私学課)にも、この校名での説明を行っていたことが明らかになっている。アベの妻が、開校予定学校の名誉校長となっていたことも、天下周知の醜悪な事実だ。
この二つの理由は、実は緊密に結びついている。アベ晋三という権力者が、日本国憲法が大嫌いなのだ。アベに取り入ろうとすれば、右翼でなくてはならない。極右であればなおさらよい。だから、教育勅語による教育を標榜する恐るべきアナクロ小学校が、アベが関与していると思わせるだけで、開校寸前にまで至ったのだ。違法に違法を重ねてのこと。カミカゼは、吹くべくして吹いたのだ。
とはいえ、森友学園の願望は潰えた。本当によかった。アベ晋三と組んでも碌なことにはならないという見本。これが大切な教訓なのだ。ところが、加計学園の野望は成功しつつある(ように見える)。岡山理大・獣医学部は今年(2018年)4月に開校した。これはよくない。アベと親しいと思わせるだけで無理が通る、事業もうまく行く。こんな成功体験を野放しにしていてはならない。「やっぱり、権力とつるむようなところに擦り寄ったらアカン」「安倍晋三なんか当てにしたら、たいへんなことになる」ことの実証が大切なのだ。
昨年(2017年)の12月のこと、刑法研究者を中心としたある会合で、1人の参加者がスピーチに立った。「実は私、今話題の岡山理科大学の教員です」。この自己紹介に、会場がどっと沸いた。沸き方が、何とも名状しがたい雰囲気だった。縁のあるべくもない別世界の異人種が突然この世に現れた、とでもいうような。
ところが、その人の発言は、実に真っ当で、とても立派なものだった。それがまた、聴衆の意外感を掻きたてた。あの加計孝太郎の学園に、あのアベの親友といういかがわしい理事長の学園に、これはまたどうしてこんな真っ当な人がいることができるのだろうか、という共通の印象であったろう。
加計学園、岡山理科大学。いずれも、「あの」「例の」「ほら、アベ首相と関係の」という冠詞抜きでは語られない運命が刻印されたと言わざるをえない。とりわけ、今治の獣医学部新入生186名だ。生涯、「あの」「例の」「ほら、アベ首相と関係の」「アベさんが、『いいね』と言ってできた」学校を出たことがついてまわる。そのことは覚悟しなければならない。18歳は大人だ。自分の選択の結果は、自分で引き受けるしかない。
もちろん、この学校が新入生諸君の卒業までもつかは保証の限りではない。愛媛県も今治市も、こんな学校に補助金を出し続けることができるだろうか。
話題となった愛媛県文書の中の2015年2月25日アベ晋三と加計孝太郎との面談記録。ここから、アベの息がかかった獣医学部建設計画として歯車が動き出す。アベと加計には、この面談記録はまずい。「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまった」としたうえで、加計学園の事務局長渡辺良人が、「自分がウソをついた」と名乗り出て揉み消そうとした。しかし、どうやらこの弁明が嘘だとばれつつある。愛媛県民も今治市民も、こんな学校に補助金を出し続けることを納得できるはずがない。
獣医学部の新入生諸君は、さぞや肩身の狭い不安な思いをしているのだろうと思いきや、どうもそうでもないらしい。学生の声を伝える「女性自身」からの引用記事がネットに紹介されている。
「不満なんてないですね。校舎は新しいし、学食もおいしい。サークル活動も、すべてイチからのスタートです。『こんなサークルを作ろうよ』など、みんなの意見が活発に飛び交っていますよ」
「大学の外で起こっていることは、私たちにはどうしようもありません。ここに入った以上、私たちにできることは勉強することだけ。だから『国家試験に合格して、世間を見返してやろう』と、みんなで言っていたところです」
「みんな『ほかに合格できなかったから、この大学に入ったんだろう』と思っているみたいですが、それは違います。僕たちはみな、獣医になりたくてあえて県外からここにやってきたんです。だから不安なんてありません。もちろん大学が廃校になるというなら、また話は別ですが……」
教育をビジネスとしてきた人物が、薄汚い政治家と結託して、公正であるべき行政を枉げて作り出した獣医学部だ。学生諸君には、その自覚が必要ではないか。その自覚があってなお、こんな脳天気なことが言っておられるだろうか。
(2018年6月14日・連続更新1901日)
6月12日米朝首脳会談は、大仰な「史上初」の「歴史的」セレモニーだった。私は、トランプや金正恩の個人的資質に関する否定的見解を変えるつもりはまったくないが、この会談の成果には評価を惜しまない。そして、この成果を第一歩として、朝鮮半島の非核化が実現し、さらには北東アジアの軍事緊張緩和が進展して真の平和に至ることを切望する。
しかし、アメリカでも日本でも、メディアには辛口の論評があふれている。北朝鮮悪玉論の枠組みからの視点を維持したまま、アメリカの北朝鮮への縛りが不十分ではないか、という論調である。流行り言葉になった「CVID」が盛りこまれていないのは失敗だった、北朝鮮にしてやられた、というわけだ。
本日の主要紙社説はおしなべて、その論調となっている。
朝日が、こう言っている。「その歴史的な進展に世界が注目したのは当然だったが、2人が交わした合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった。」「最大の焦点である非核化問題について、具体的な範囲も、工程も、時期もない。一方の北朝鮮は、体制の保証という念願の一筆を米大統領から得た。」「署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る。」
読売社説の小見出しをひろうと、「「和平」ムード先行を警戒したい」「合意は具体性に欠ける」「圧力の維持が必要だ」。
産経は、「米朝首脳会談 不完全な合意を危惧する」「真の核放棄につながるのか」「歴史的会談は、大きな成果を得られないまま終わった」「共同声明にCVIDの言葉が入らなかった点について、トランプ氏は「時間がなかった」と言い訳した。交渉能力を疑われよう」という。
毎日も同様だ。「非核化の担保が不十分」「トランプ流の危うさ」として、「注目されたのはトランプ氏が北朝鮮への軍事オプションを封印したと思えることだ。北朝鮮が合意を破った時は軍事行動も考えるかと聞かれたトランプ氏は、韓国などへの甚大な影響を考えれば軍事行動は非現実的との認識を示した。」「米韓軍事演習も北朝鮮の対応次第では中止する考えを示し、在韓米軍縮小にも前向きな態度を見せた。この辺は大きな路線転換と言うべきで、北朝鮮への軍事行動は不可能と判断してきた米国の歴代政権に、トランプ氏も同調したように映る。」と非難がましい。
砂漠で出会った水瓶に半分の水があったとする。瓶に半分の水の存在を歓喜をもってありがたいと思うか、それとも、瓶一杯に満たない水の量の少なさを嘆くか。
米朝間の軍事緊張が悪化の一途をたどって、「もしや開戦も」と深刻化していた事態が一変したのだ。軍事衝突の危険度進行のベクトルが緊張緩和と平和のベクトルへと向きを変えた。一触即発とさえいわれたチキンゲームからの解放こそが、この会談の評価すべき本質である。足りないところは、非本質的で副次的なものというべきだろう。
往々にして「予言は自己実現する」。この会談の成果を評価する国際世論は、平和の実現に寄与することになるだろうし、この会談を否定的にしか評価しない国際世論が主流となるなら、朝鮮半島の非核化も危うい。
「過去何度も北には欺され煮え湯を飲まされてきた」は、決して公平な見方ではない。見方を変えればお互いさまなのだ。そして、常に強大な側に寛容が求められよう。その意味では、米韓合同演習中止は素晴らしいことだ。これまでは、この軍事演習こそが、強大な側による弱小の側に対する一方的な威迫行為として、典型的な挑発だったのだから。
問題は、相互信頼から出発するのか、それとも相互不信からか、なのだ。これまでは相互不信のエスカレーションが暴発ぎりぎりのところまで進行した。核のボタンの大きさを競い合っていた愚かな2人が、10秒を超える握手をして、米朝両国関係を「敵対から友好へと転換させるために努力することで合意した」のだ。この第一歩に祝意を表するとともに、この偉大な一歩を後戻りさせることなく、歩ませ続ける国際世論の喚起に努めたいものと思う。
以下が?米朝共同声明の全文である。相互信頼の歩みの第一歩として、立派な成果ではないか。
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米朝共同声明全文(NHK訳)
トランプ大統領とキム委員長は、2018年6月12日に、シンガポールで、史上初めてとなる歴史的なサミットを開催した。トランプ大統領とキム委員長は、新たな米朝関係や、朝鮮半島における永続的で安定した平和の体制を構築するため、包括的で深く誠実に協議を行った。トランプ大統領は北朝鮮に体制の保証を提供する約束をし、キム委員長は朝鮮半島の完全な非核化について断固として揺るがない決意を確認した。
新たな米朝関係の構築が朝鮮半島のみならず、世界の平和と繁栄に貢献することを信じ、また、両国の信頼関係の構築によって、朝鮮半島の非核化を進めることができることを認識し、トランプ大統領とキム委員長は以下の通り、宣言する。
1・アメリカと北朝鮮は、平和と繁栄に向けた両国国民の願いに基づいて、新しい関係を樹立するために取り組んでいくことを約束する。
2・アメリカと北朝鮮は、朝鮮半島に、永続的で安定した平和の体制を構築するため、共に努力する。
3・2018年4月27日のパンムンジョム宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組むことを約束する。
4・アメリカと北朝鮮は、朝鮮戦争中の捕虜や・行方不明の兵士の遺骨の回収に取り組むとともに、すでに身元が判明したものについては、返還することを約束する。
史上初となる、アメリカと北朝鮮の首脳会談が、この数十年にわたった緊張と敵対関係を乗り越え、新しい未来を切り開く大きな転換点であることを確認し、トランプ大統領とキム委員長は、この共同声明での内容を、完全かつ迅速に実行に移すことを約束する。
アメリカと北朝鮮は、首脳会談の成果を実行に移すため、可能な限りすみやかに、アメリカのポンペイオ国務長官と北朝鮮の高官による交渉を行うことを約束した。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は、新たな米朝関係の発展と、朝鮮半島と世界の平和や繁栄、そして安全のために、協力していくことを約束する。
ドナルド・トランプ 米合衆国大統領
金正恩 朝鮮民主主義人民共和国国務委員長
2018年6月12日
セントーサ島 シンガポール
(2018/06/13・毎日連続更新1900日)
本日の朝日時事川柳に、
勝因は原発隠し安倍隠し(神奈川県 朝広三猫子)
言わずと知れた注目の新潟知事選。5野党1会派(立憲民主党、日本共産党、国民民主党、自由党、社民党、無所属の会)の共闘候補が敗れ、自・公推薦候補が当選した。自公の側から見ての勝因が、「原発隠し安倍隠し」だったというわけだ。
アベ9条改憲をめぐる厳しいせめぎ合いが続く今の時期、与野党対決の選挙結果は、直ちに改憲の動向に影響する。新潟知事選での野党共闘の勝利は改憲反対派に大きな影響を与えるものと大いに期待したが、無念の結果に終わった。
敗れたりとはいえ、両陣営それぞれの得票数は、以下のとおり。
546,670 花角英世(自・公)
509,568 池田千賀子(5野党1会派)
その差3万7000は僅差と言ってよかろうが、負けは負け。その原因を川柳子は、「原発隠し安倍隠し」と言ってのけたわけだ。
今後も、焦点ずらしの「争点隠し選挙」が続くのかも知れない。「アベ隠し」「アキエ隠し」「森友隠し」「加計隠し」「働かせ方隠し」「カジノ隠し」「隠蔽・改ざん・捏造隠し」「忖度隠し」「戦争隠し」「対米追随隠し」「麻生隠し」「セクハラ隠し」…。国民は欺しのアベ政権に対峙している。こんな輩に欺されているわけにはいかない。気をつけよう、オレオレ詐欺とアベ政権。
一方、中野区長選挙は野党共闘派の完勝となった。しかも、自民・公明・維新推薦の現職を破ってのこと。
36,758 酒井直人 (野党共闘)新
27,801 田中大輔 (自・公・維)現
本日(6月12日)の東京新聞に「中野区民 刷新を支持 新区長に酒井直人さん」の報道。同紙によると、「東京23区の区長選で現職が落選したのは、1999年の杉並区長選以来となる。」とのこと。
また、東京新聞は、「多選阻んだ野党共闘」という解説記事を載せている。
「中野区民は「刷新」を選んだ。野党統一候補となった酒井さんが幅広い支持を集め、自民、公明などが推した現職の五選を阻んだ。推薦政党のうち、中心的な役割を担った立民は、枝野幸男代表や地元選出の長妻昭代表代行ら幹部が連日応援に入り、国政選挙並みの運動を展開。独自候補の擁立を見送った共産が支援に回ったことも奏功した。野党共闘の成功に加え、現職の四期十六年の多選批判が追い風となった。酒井さんが元区職員の立場から訴えた「組織が停滞している」との指摘は有権者に対し説得力を持った。」「選挙戦を通じて浮き彫りになった課題の一つが、中野サンプラザを解体し一万人収容の巨大アリーナに建て替えるまちづくり。解体には反対の声が根強くあり、結論をどう導くのか手腕が問われる。」
アベの権威失墜が改憲の動きを阻止する。極右勢力である「アベ一派」以外に、アベ改憲を歓迎している勢力はない。あらゆる選挙での自民の敗退が、アベの権威失墜となり、それが憲法の擁護につながる。アベのいる内、両院に改憲派が3分の2を占めている内が、彼らにとっての現実的な改憲実現のチャンスであり、われわれにとってのピンチなのだ。
だから、一つ一つの選挙での野党共闘の成果が、アベ改憲の阻止につながる。3000万署名の推進と、各地方選挙での野党共闘の健闘、この二つが当面の具体的な課題だ。
ところで、今日の川柳欄。朝日だけでなく、毎日も面白い。
曖昧な記憶でピシャリ否定する(津 ちょちょ)
官邸の柳瀬コーチと安倍監督(千葉 姫野泰之)
セクハラ罪あるなしを問う場合かい?(奈良 一本杉)
改ざんも罪ではないと言い出しそ(射水 江守正)
しかし、この句がよく分からない。
日本には大嘘つきが2人居る(野田 醤油樽)
2人と言うところがニクイ。アベとアソウ? アベとアキエ? アベとカケ? アベとサガワ? アベとヤナセ? アベとウチダ? それとも、シンゾーとユリコかな。
(2018年6月12日・連続更新1899日))
中村敦夫が一人芝居として演じる朗読劇「線量計が鳴る?元原発技師のモノローグ」が話題となっている。
「原発の町で生まれ育ち、原発で働き、そして事故で全てを失った主人公のパーソナル・ヒストリー」だそうだ。中村が演じる老いた元原発技師のモノローグで原発が作られた経緯や仕組み、事故の実態、また原発を動かしている本当の理由、その利権に群がる「原子力ムラ」の相関図が浮き彫りにされる。
双葉町に生まれた主人公は原発で働くが、不正を内部告発してクビになる。そして原発事故ですべてを失う。老いた元原発技師が人生を振り返ることで、原発がつくられた経緯や事故の実態、利権に群がる「原子力マフィア」などの問題が浮かび上がる。劇中で、国は「除染したから村に帰れ」と避難者に指示する。主人公は帰らないことを決意して、ここで有名になった決めゼリフを言う。
「右を向けと言われたら右を向き、左と言われれば左を向き、死ねと言われたら死ぬと。俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」
原発を推進した国策の構造は、戦争を推進した国策にそっくりだ。日本人はその国策に唯々諾々としたがった。中村の決めゼリフは、原発の推進を許した国民の責任を、戦争を許した当時の国民の責任と重ねている。
日本人は、戦犯を自らの手で裁くことができなかった。それどころか、再びの天皇美化にさえ手を染めている。メディアが提灯記事をかき、国民も提灯を手に天皇を歓迎するの図柄だ。戦争への反省が中途半端だった日本人が原発の推進を許し、再稼働をたくらむアベ政権の存続を許している。あまつさえ昨日(6月10日)の新潟知事選では再稼働反対を明言する野党共闘候補を落選させてもいる。中村敦夫が、「あっしには関わりのないことでござんす」とは言っておられない。「俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」と叫ばずにはおられない思いなのだ。
それにしても、この決めゼリフ。いくつものパロディが可能だ。
右を向けと言われたら右を向き、
左と言われればいつまでも左、
天皇のために死ねと言われたら死ぬと。
俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。
起立しろと言われたら「日の丸」に起立し、
唱えと言われれば「君が代」を唱い、
国や会社のためなら死ぬほどはたらくと。
そんな日本人がまだいるんだ。
隠蔽と言われたら隠蔽し、
改ざんと言われれば改ざんし、
辞職と言われたら辞職する。
俺はもう、そんな官僚にはなりたくねえんだ。
圧力と言われたら圧力だと言い、
完全に一致してますなどとゴマを擂り、
ハシゴをはずされてもへらへらと。
俺はもう、そんな首相はがまんがならねえんだ。
共鳴したから名誉校長を引き受け、
都合が悪くなったら知らん顔、
ほとぼり冷めるまでダンマリと。
私はもう、そんな首相夫人はまっぴらだ。
「いいね」と言われたから頼ったんだ、
口裏合わせてここまでがんばって、
いまさらダメなんてあり得ない。
もう学部を閉めるなんてできっこねえんだぜ。
監督に命令されたら逆らえない、
相手選手を壊せと言われたら壊しに行き、
おかしいだろ反省しろと言われたら反省してみせる。
俺はもう、そんな体育系はやになっちゃった。
完全・絶対・不可逆なんて
あんたが言うからその気になって、
ヘイト、ヘイトでついてきた。
今さら北の将軍にお世辞使って会談なんて
俺はもう、日本会議をやめたくなった。
右を向けと言われたら左を向き、
左と言われれば右を向く。
そこまではっきりしなくても、
面従腹背の日本人ばかりなら戦争なんてできねえんだ。
(2018年6月11日・連続更新1898日)
1997年刊の岩波新書の一冊に「特捜検察」がある。著者魚住昭の思い入れたっぷりの内容で、特捜部への評価が過ぎるのではないかとの危うささえ感じさせる。
その魚住も書中に、「その一方で、彼らは突然、別の顔を見せることもあった。たとえば東京・町田市で起きた共産党幹部宅の盗聴事件。特捜部は87年夏、神奈川県公安一課の組織的犯行だったことを突き止めながら、実行犯の警察全員の起訴を見送った。…… 真実を追求してやまない捜査官気質と、時に政治的判断と組織防衛を優先させる官僚的体質。いったいどちらが、彼らのほんとうの顔なのだろう。私はときどき、考え込むようになった。」と記している。
「特捜のほんとうの顔」は誰しも知りたいところ。今、多くの人が、特捜のほんとうの顔をこう見ている。本日(6月10日)の毎日新聞投書欄に、「“忖度捜査”だったのか=無職・安達善一・70」の投稿。大阪府富田林市の人。もしかしたら、昔袖すり合っているかも知れない。
森友学園への国有地売却を巡る一連の問題で虚偽公文書作成、背任などの容疑で捜査していた大阪地検特捜部は、財務省理財局長だった佐川宣寿氏ら全員を不起訴処分とした。全く裏切られた思いだ。任意捜査であることに当初から疑問を感じていたが、「結局、そういうことか」と。官邸、財務省への“忖度(そんたく)捜査”だったのなら、検察も同じ穴のむじなというべきか。
?神戸製鋼所による品質検査データ改ざん問題では東京地検特捜部が5日、不正競争防止法違反容疑で強制捜査に乗り出した。かたや民主主義を揺るがす公文書の改ざんであり、更に国会で堂々とうそを重ね、しらを切り、それでいて家宅捜索もなく、結論は「おとがめなし」。この違いはどこから生まれるのか。
私たちの国有財産の不適切極まりない処分を許すことは不条理ではないのか。一人の担当者の命を奪った理不尽な事態に切り込む検察であってこそ、その存在価値がある。諸悪の根源に迫る検察であってほしい。
「結局、そういうことか」と、今誰もが、検察・特捜を見ている。官邸、財務省への“忖度捜査”だったのだ。そうして、「政治的判断と組織防衛を優先」させたのだ。魚住は飽くまで、「時に」政治的判断と組織防衛を優先させる…と言った。官僚的判断は「時に見せる別の顔」であって、ほんとうの顔は「真実を追求して言ったまない捜査官気質」にあると言いたいのだろう。
しかし、ここしばらく、特捜が巨悪を追い詰めたという話しを聞かない。アベ政権の悪だくみを徹底して追求するかと思えば、腰砕けの“忖度捜査”だ。忖度捜査とは、政権の顔色を窺っての「捜査した振り」のことだ。
もう、時の経つ内に、忖度捜査の顔こそが特捜の「ほんとうの顔」になってしまったのではなかろうか。
(2018年6月10日)
本日(6月9日)の毎日新聞朝刊25面に、「是枝監督 文科相のお祝い辞退」の記事。「公権力と距離保つ」と横見出しがついている。私には、カンヌの「パルムドール」がナンボのものかはよく分からない。しかし、「文化は公権力と距離を保つべきもの」「そのために、文科相のお祝いは辞退する」という、是枝裕和監督の心意気はよく分かる。権力への摺り寄りやら忖度やらが横行する昨今。清々しいことこの上ない。
毎日の記事を引用しておこう。
フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、メガホンを取った「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督に対し、林芳正文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したところ、是枝監督が自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」と記して辞退を表明した。
林氏は7日の参院文教科学委員会で、立憲民主党の神本美恵子氏から「政府は是枝監督を祝福しないのか」と質問され、「パルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく誇らしい。(文科省に)来てもらえるか分からないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と述べた。今回の受賞を巡っては、仏紙「フィガロ」が安倍晋三首相から祝意が伝えられないことを「是枝監督が政治を批判してきたからだ」と報じていた。
答弁を受け、是枝監督は同日、HPに「『祝意』に関して」と題した文章を掲載。今回の受賞を顕彰したいという自治体などからの申し出を全て断っていると明かした上で「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないか」とつづった。
是枝裕和のコメントは、下記URLで読める。
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html
『祝意』に関して 2018年6月7日
6月5日にブログで発表した『「invisible」という言葉を巡って』には思った以上に沢山の感想が寄せられました。ありがとうございました。
あれで終わりにしようと思っていたのですが、まぁ僕が語った趣旨がすぐにその通りに浸透するわけもなく…。
国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては? 現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。他に多くの重要な案件がありながら、このような私事で限られた審議や新聞の紙面やテレビのニュースの時間を割いて頂くのも心苦しく、もう一言だけ(笑)僕なりの考えを書いておくことにしました。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。先日のブログの中で僕はこう書きました。
「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだ
もちろん、例えば敗戦からの復興の時期に黒澤明の『羅生門』がベニスで金獅子賞を獲得したことや、神戸の震災のあとに活躍したオリックスの球団と選手を顕彰することの意味や価値を否定するものでは全くありません。
しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。決して波風を立てたいわけではないので「断った」などとはあえて口にしないでおりましたが、なかなかこの話題が収束しないようなので、本日ここに公にすることにいたします。なので、このことを巡る左右両派!のバトルは終わりにして頂きたい。映画そのものについての賛否は是非継続して下さい。『万引き家族』明日公開です。「小さな物語」です。
最後に一言だけ。今回の『万引き家族』は文化庁の助成金を頂いております。ありがとうございます。助かりました。しかし、日本の映画産業の規模を考えるとまだまだ映画文化振興の為の予算は少ないです。映画製作の「現場を鼓舞する」方法はこのような「祝意」以外の形で野党のみなさんも一緒にご検討頂ければ幸いです。
6月5日付ブログ『「invisible」という言葉を巡って』の記事はかなり長い。その中から、『メッセージと怒り』と小見出しを付けた部分だけを紹介しておきたい。
http://www.kore-eda.com/message/20180605.html
映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングか。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
? 映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。
この映画監督が、頭の中に「大きな物語」と「小さな物語」の対立構図を持っていることがまことに興味深い。「大きな物語」とは、「国家」とか「国益」に収斂する物語だが、これは空虚でウソの匂いがつきまとう。一人ひとりの人生は、「小さな物語」でしかなく、泣いたり笑ったり感動したりは、この「小さな物語」の中にしかない。ところが、いまは「人々が『大きな物語』に回収されていく状況」と捉えられている。
「回収」という言葉が、言い得て妙。回収する主体は「国家」や「国益」を司る者。今は安倍政権である。これが、生活ゴミを回収するがごとく、産廃を回収するがごとくに、一人ひとりの「小さな物語」を「大きな物語」の一部として取り込み、回収しようとしているのだ。
「回収の道具」はいろいろある。日の丸・君が代・元号・勲章などは、個人の「小さな物語」を国家の「大きな物語」に取り込み、回収するための分かり易い小道具。オリンピックも、ワールドカップもそんなものなのだろう。
ジャーナリズムも文化も教育も、気をつけないとそんな「回収のための小道具・大道具」に堕してしまうことになりかねない。
だから、是枝は、大切なことは、「『大きな物語』(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な『小さな物語』を発信し続けること」だという。「そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。」という、その言やよし。
もう一言。ネットでの右翼諸君の発言に、「是枝監督の 辞退表明、政府から助成金もらっておきながら『公権力とは潔く距離を保つ』って違うんじゃない?」というものが多い。
この言は、薄汚い権力者のホンネだ。ネトウヨが、アベ政権の本心を代理して発言しているのだ。
「国民の税金はすべて我が政権の手中にある。この政権に従順な者だけに金を配分してやろう。政権に楯突く不逞の輩にはカネをやらない。」「だから是枝よ、胸に手を当ててよく考えろ。」「映画を作るには金が要るだろう。助成金が必要なら、『公権力とは潔く距離を保つ』などと格好つけていてはならない。『魚心あれば水心』って、あながち知らないわけでもなかろうに。」
助成金は国民の税金だ。国民に還元しなくてはならない。還元は先は、けっして公権力でも政権でもない。政権の意向を忖度しない映画の制作こそ、最も適切な国民への還元なのだ。
(2018年6月9日)
DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したスラップ訴訟。私がブログで吉田嘉明を痛烈に批判したことがよほど応えたようだ。人を見くびって、高額請求の訴訟提起で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んだのだ。そこで、自分を批判する言論を嫌って「黙れ」という私への恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償額請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。
そのスラップ訴訟は私(澤藤)の勝訴が確定したが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という風潮が払拭されていない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を相手に、スラップ提訴が不法行為となるという主張の裁判を闘っている。これを「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと呼んでいる。
本日(6月8日)午前10時15分から、「反撃訴訟」の法廷が開かれた。係属部は、東京地裁民事第1部合議係。
次回期日は2018年8月31日(金)午後1時30分?、415号法廷となった。
次回は、当方が準備書面を提出し、人証の申請もすることになる。是非、傍聴をお願いしたい。
本日までの当事者間の書面のやり取りの経過は以下のとおりである。
前回4月26日の法廷では、澤藤側が「反訴原告準備書面(2)」を陳述した。25頁の書面だが、要領よくなぜスラップの提訴が違法となるかをまとめている。それに対するDHC・吉田嘉明側の反論が、「反訴被告ら準備書面2」である。これがどうにも投げやりな6頁の書面。本日の法廷では、「反訴原告準備書面(3)」に基づく、当方からの求釈明をした。
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反訴原告準備書面(2)の要約
1.準備書面(2)は第1から第3で構成されている。
2.第1は、反訴被告の答弁書に対する反論である。答弁書の主張は、前件名誉毀損訴訟は、反訴被告らの敗訴が明らかというようなものではなかったというものであり、其の理由として、主に以下の5点、すなわち、
? 前件訴訟では、反訴原告も、反訴原告のブログにより反訴被告らの社会的評価が低下したことを認めている。
? 前件訴訟において、裁判所は、反訴原告らが主張した訴え却下の主張をしりぞけた。
? 反訴原告と事前交渉しなかったのは、事前交渉しても応じないだろうし、応じる意思があるのなら、訴訟を起こせば反訴原告はブログを削除し連絡してくると考えたから。
? 前件訴訟は、請求額が非常識に高額と非難されるようなものではない。
? 前件訴訟は、判断が微妙な事件だった。
といった事由を上げている。
これらの点に関する反訴原告の意見は反訴状で既に詳細に述べているが、要約すると、他人の言動を批判する論評がその人の社会的名誉を低下させることがあるのは当然のことで、問題はそのような論評が違法か否かであり、訴え却下と不当・スラップ訴訟の判断要素は異なるから、訴えが却下されなかったことが不当訴訟の責任を免れる十分要件となるものではなく、事前交渉の必要性に関する反訴被告らの主張は、その主張内容こそが、異なる意見の交流を認めない反訴被告らのスラップ性を示すもので、請求額については、およそ認容される余地のない非常識に高額なものであるということに尽きる。さらに、前件訴訟は、反訴被告吉田が週刊誌に公表した言動に対する意見、批判、すなわち、前提事実に誤りのない論評であって、違法性のないことは明らかであったということである。
3.準備書面の第2は、前件名誉毀損訴訟と関連する10件の判決結果に対する、反訴被告らの、およそ真に名誉回復を目指して裁判を提起しているとは思えない不合理的な控訴、上告等の姿勢、あるいは、和解、取下げ同意の態様から、前件名誉毀損訴訟は、裁判による権利回復を目指すものではなく、勝訴の可能性などは歯牙にもかけず、批判言論を力づくで封殺することだけを目的としたものであったことを論述したものである。裁判所におかれては、反訴被告らが、関連事件の全部敗訴事件と実質敗訴の一部勝訴事件において、本件のスラップ性を露わにした対応をしていることに注目していただきたい。
4.準備書面の第3では、前件訴訟が、東京地裁が平成17年3月30日に言い渡した「消費者金融会社武富士」のスラップ訴訟判決と同種のものであること、また、前件名誉毀損訴訟が提起された背景には、反訴被告会社のHPから窺われる反訴被告吉田の異なった意見は反日として徹底的に排除するという信条が根強くあり、今後も同様な事件が繰り返されるおそれのあることを東京MXテレビの「ニュース女子」事件等から論じている。また、本件に関連し、反訴被告らの威圧に屈し、裁判被告となる愚を回避するとして、ブログ記事を削除したあるブロガーの記事も紹介し、前件訴訟や関連訴訟のブロガーに対する威圧効果の一例を示した。
以上
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これに対するDHC・吉田嘉明側の反論
第1 前訴提起に至る経緯
1 反訴被告吉田は,日本国をより良くしたいとの思いから,脱官僚を政策に掲げる政治家を応援するべく,訴外渡辺善美に8僮円を貸付けた。ところが,これが公になったあと,一部週刊餡やプログにおいて,反訴被告吉田の貸付行為は,政治を金で買うものだとの全くの事実無根の記述がなされ,反訴被告らの名誉が毀損される事態に陥った。
2 そこで,反訴被告会社担当者らは,当該事実無根の記述をしてい る週刊誌やブログをピックアップし,顧問弁護士と協議の上,表現があまりにも酷く,?裁判所に救済を求める事例,?法務担当者らから警告をするにとどめる事例及び?名誉毀損とまではい攴ないため放置する事例とに分け(乙14参照),?については,特に慎重に不法行為が成立するか,顧問弁護士の意見を聞いた上で,請求認容されると予想された10件について,訴訟提起することとし,反訴被告吉田の了解を得た。
3 より具体的には,顧問弁護士は,不法行為の成否について,まず訴訟対象とした10件については,その表現がかなり酷く,反訴被告らの社会的評価を低下させており,請求原因が認容される可能性が高いものを選別した。
抗弁については,反訴被告吉田の8億円貸付の動機については,反訴被告らが政治を金で買う目的で8億円を貸し付けたなどという動機は見当違いも甚だしく,相当の根拠も全くなかったので,違法性や責任が阻却される可能性はないと考え,その他についても同様であった。(以下略)
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この書面に対する求釈明が以下のとおり。
反訴被告ら準備書面2に対して反論するにあたり、以下の点を明確にされたい。
1 反訴被告らは、週刊誌やブログの記載について、?裁判所に救済を求める事例、?法務担当者らから警告をするにとどめる事例、?名誉毀損とまではいえないため放置する事例、に分けたと述べている。
上記?、?、?に分類された週刊誌やブログの件数は、それぞれ何件か。
また、?に分類された事例のうち、警告後に?に移行した事例はあるか。ある場合にはその件数。
2 週刊誌やブログのピックアップや分類に関与した「反訴被告会社担当者ら」氏名と役職、「顧問弁護士」の全員の氏名。
3 反訴被告らは、明らかに勝訴できると考えて提訴し判決された事件のすべてが敗訴もしくは実質敗訴した理由はどこにあると考えているのか。
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さて、DHC・吉田嘉明はこの求釈明にどう答えたか。反訴被告は口頭で全面的に回答を拒否したのである。
これに対して、反訴原告側から口頭で「以前の準備書面には、『顧問弁護士ら』と複数になっていたが、今回準備書面では『『顧問弁護士』と単数になっている。これは、どういうことか?」と問があり、「今回の書面が間違いで、複数が正しい」との回答があった。
では、「その複数の顧問弁護士の中に、今村憲さん、あなたがはいっていると確認してよいか」と重ねて聞くと、「けっこうです」との返答。裁判所もこれを調書に録っている。
次回には、反論書面とともに、人証の申請をすることになる。こんなことに書面での回答ができないというのなら、証人としての尋問に回答してもらおう、ということなのだ。常識的に、反訴原告本人(澤藤)と、反訴被告本人(吉田嘉明)、そして顧問弁護士今村憲と法務担当者が申請対象となる。
閉廷後、報告と意見交換の会合を持った。そこで、今回もDHCを内情を知る人から、貴重な情報を得ることができた。
DHCに対する批判は実に多様なのだ。DHCの本質のなせる業である。それなら、厚いDHC・吉田嘉明包囲網を作れるのではないだろうか。
スラップ訴訟の被告
提訴には至らないが言論介入を受けた多くの人たち
労働事件で対決した元労働者
いじめられた取引先
吉田嘉明からヘイト攻撃を受けている被害者
対立業者
消費者被害者
DHC取材のジャーリスト
まずは、多様な人々が大同団結して集会を開き、
DHC商品不買運動宣言を採択して、
正々堂々たるDHC・吉田嘉明批判の出版などをやってみては。
日本の民主主義のために、有益な行動提起になりそうではないか。
(2018年6月8日)
DHCスラップ訴訟。DHC・吉田嘉明が、吉田批判言論の萎縮を意図して提起した不当極まる典型的スラップ。DHC・吉田嘉明はスラップの常連だが、2014年3月に明らかになった「対渡辺喜美8億円事件」の批判言論封じ目的のスラップは計10件。私に対する提訴は、そのうちの1件である。
私の勝訴が確定はしたが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「吉田嘉明という男は、カネに飽かせて裁判をやって来る」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という風潮が払拭されていない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を相手に、スラップ提訴が不法行為となるという裁判を闘っている。これを「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと言っている。
その反撃訴訟の次回期日が、6月8日(金)午前10時15分から、東京地裁415号法廷での開廷。担当裁判所は民事第1部合議係。
今回の法廷では、DHC・吉田嘉明側が「反訴被告準備書面2」を提出する。そして、反訴原告(澤藤)側から、いくつかの立証に必要な事項について、求釈明をする予定となっている。
今回の法廷は、山場ではない。見せ場もない。それでも、表現の自由やDHC・吉田嘉明に関心のある皆様に、是非傍聴をお願いしたい。どなたでも、なんの手続も不要で、傍聴できる。誰何されることはない。
閉廷後、いつものとおり、弁護団からのご説明や意見交換の機会を持つことになります。然るべき資料も配付いたします。
今回の法廷で陳述となる「反訴被告準備書面2」は全6頁のたいへんに短いもの。
第1 前訴提起に至る経緯
第2 反訴原告準備書面(2)に対する若干の反論
の2節からなっている。
その内、第1節、第7項?8項の全文をご紹介したい。
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平成29年(ワ)第98149号損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明,株式会社ディーエイチシー
反訴被告ら準備書面2
平成30年6月1日
東京地方裁判所民事第1部合議係御中
反訴被告ら訴訟代理人弁護士 今村憲
第1 前訴提起に至る経緯
7 訴訟提起した10件の内1件は謝罪がなされたので取下げた。
内1件については,裁判所の和解勧告があり,双方代理人が尽力した結果,相手が事実と異なる表現をしたことを認め,和解金を支払うに至ったので,早期円満解決した。
内2件は一部勝訴し,残部について当然控訴するかは検討したが,相手も控訴せず,素直に判決に従・た。金員を遅延損害金を含めて支払うというので,早期解決のため,控訴しなかった。
内5件については敗訴したが、わが国においては,三審制が採られており,特に本件は前記最高裁判決の射程,解釈に関わる問題を含んでいたこともあり,上級審に救済を求めて,いずれも控訴,上告受理申立てをしたものである。
8 以上のとおり,前訴提起が,違法となる余地など微塵もない。
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これに、少しだけ解説を加えておきたい。
「前訴」とは、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として提起した、6000万円請求のスラップ訴訟のこと。
そして、「訴訟提起した10件」とは、DHC・吉田嘉明が、対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判者を被告としたスラップ訴訟である。これが、何と10件。その概容は以下のとおり、一見して凄まじい。
1 平成26年(ワ)第9172号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年4月14日
損害賠償請求額 6000万円
2 平成26年(ワ)第9407号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円
3 平成26年(ワ)第9411号
被 告 業界紙
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に1億円に増額
4 平成26年(ワ)第9408号
被 告 弁護士(澤藤)
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に6000万円に増額
5 平成26年(ワ)第9412号
被 告 弁護士
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円
6 平成26年(ワ)第10342号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年4月25日
損害賠償請求額 2億円
7 平成26年(ワ)第1 1 3 0 9号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年5月8日
損害賠償請求額 6000万円
8 平成26年(ワ)第1 5 1 9 0号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 2億円
9 平成26年(ワ)第1 5 1 9 1号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 2000万円
10 平成26年(ワ)第1 5 1 9 2号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 4000万円
以上のスラップ10件がどのような結末となったか。DHC・吉田嘉明が前記準備書面において「訴訟提起した10件」について書いているところに沿って明らかにしておきたい。
「訴訟提起した10件の内1件は謝罪がなされたので取下げた。」
これは、上記7の事件である。1審の審理の最中、原告が突然訴えの取り下げ書を提出し、その3日後に被告が取り下げ同意書を提出して訴訟終了となっている。同事件被告の出版社が謝罪した記録はなく、もちろん、謝罪の訂正記事も出されていない。そもそも、6000万円の請求を「謝罪がなされたので取下げた」は余りにも不自然。問題の記事は、被告出版社が事前に吉田に取材して執筆したもの。この記事での謝罪は、ジャーリストとしてのプライドを投げ捨てるに等しく、到底考えられない。記録を閲覧した限りでは、DHC・吉田嘉明は、まったく勝ち目ないことを覚って、敗訴判決を避けるために取り下げたとの印象が強い。
「内1件については,裁判所の和解勧告があり,双方代理人が尽力した結果,相手が事実と異なる表現をしたことを認め,和解金を支払うに至ったので,早期円満解決した。」
これは信じがたい不正確。上記1事件と10事件の被告は同一人物。そのため両事件が併合された。合計請求額が1億円である。和解に至ったのは併合された両事件。1億円請求に対して、和解金額は30万円。300万円の間違いではない。請求金額の1%の和解というのも恥ずかしいが、この和解は、0.3%という代物。係争費用を考えれば、和解したくもなる気持は理解できる。「相手が事実と異なる表現をしたことを認め」は、形式的にはそのとおりである。しかし、記事のどの部分がどのように事実と異なっていたかの特定はまったくない。この被告は、1億円もの請求の提訴から「30万円と形式だけの謝罪」で解放される道を選んだのだ。むしろ、「9970万円=99.7%」は不当訴訟であったとも言える低額和解ではないか。
「内2件は一部勝訴し,残部について当然控訴するかは検討したが,相手も控訴せず,素直に判決に従った金員を遅延損害金を含めて支払うというので,早期解決のため,控訴しなかった。」は、噴飯物の言い分である。DHC・吉田嘉明の体質をよく物語る主張と言うべきだろう。DHC・吉田嘉明の言には、眉に唾して聞かなければならない。
「内2件」とは前記3の事件と、6の事件である。
3事件は1億円の請求に対して100万円の一部勝訴、6事件は2億円の請求に対して100万円の一部勝訴であった。問題は、この勝訴部分が、いずれも対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判言論とはまったく無縁なのだ。つまり、スラップとは無関係の別件を併せて提訴して、そちらの方では一部勝訴したから提訴の面目が立ったということにして矛を収めたのだ。確認しておこう。対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判の言論をけしからんとした、DHC・吉田嘉明の提訴での判決はゼロ敗なのだ。
「内5件については敗訴したが、わが国においては,三審制が採られており,特に本件は前記最高裁判決の射程,解釈に関わる問題を含んでいたこともあり,上級審に救済を求めて,いずれも控訴,上告受理申立てをしたものである。」
馬鹿馬鹿しいから、これ以上の論評はしない。確認しておくが、その請求額は、2000万円(上記2の事件)、2000万円(上記4の事件)、6000万円(上記5の事件)、2億円(上記8の事件)、2000万円(上記9の事件)であり、これでゼロ敗なのだ。これだけ負け続けて、反省の弁もない。謝罪もしないのだ。
ところで、貼用印紙(裁判所利用の手数料)は、上記8の事件だけで、1審62万円、控訴審93万円、上告審124万円である。合計279万円。これをはるかに上回る弁護士費用を払っているものと考えられる。
スラップ訴訟とは金がかかる。カネを持つものと持たざるものと、同じ金額でもまったく重みがちがうから、スラップが脅しとなる。言論抑圧手段となるのだ。
(2018年6月7日)