澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

司法の独立を貫く香港高裁の裁判官に励まされる。

(2022年12月16日)
 中国は師である。多くのことを教えてくれる貴重な存在。民主主義や人権についての恰好の反面教師。けっして、ああなってはならないのだ。

 とりわけ、香港から見える中国の姿が教訓に満ちている。おそらくは、ウィグルやチベットから見ればさらに深刻な教訓が得られるのだろうが、残念ながら報道が極端に少ない。

 香港からの報道で身に沁みて学ぶべきは、権力集中というグロテスクの危険であり恐さである。中国は具体的な実例をもってそのことを教えてくれている。真剣に学ばねばならない。
 
 一党独裁とは、共産党に敵対する政党の存在を許さないというだけのものではなく、徹底した国家権力の集中を意味するのだ。一国二制度の下、ごく最近まで香港には常識的な三権分立の制度が確立していた。中国が香港の自由を蹂躙したとき、香港の教科書から「三権分立」の文字が消えた。同時に香港の人権と民主主義も失われた。その後学校現場に持ち込まれたものは、愛国教育の徹底であった。

 具体例として報道されたのは、「(香港の法制度の特徴は)三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する」との教科書の記述が削除され、代わって「デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う」との記述が加えられたという。恐るべき中国共産党、恐るべき一党独裁、恐るべき偏向の洗脳教育ではないか。

 三権分立の核をなすものは、司法権の独立である。法の支配において、最終的に法の解釈を確定する権限は司法にある。が、この常識は中国では通じない。香港の司法の独立は、中国共産党の支配にまったく歯が立たないのだ。

 それを見せつけたのが、以下の共同配信の記事。毎日新聞は、「香港最高裁判断、全人代が変更の可能性 りんご日報創業者の弁護巡り」という見出しで報じた。

 「香港政府は(22年)11月29日までに、香港国家安全維持法(国安法)違反罪に問われた民主派香港紙、蘋果(ひんか・りんご)日報(廃刊)創業者、黎智英氏の弁護人を英国の弁護士が務めることを認めた最高裁の判断は不当だとして、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会に法解釈の判断を求めた。

 香港メディアは最高裁の判断が覆される可能性が高いと報じており、司法の独立性の後退に懸念が高まっている。」

 黎智英が英国の弁護士を弁護人として選任したのは刑事訴訟法がそれを許容する制度になっているからだ。ところが、香港の司法当局(日本での法務省に当たるのだろう)は、これにイチャモンを付けて、弁護人の変更を申し立てた。その理由は、「国安法の外国勢力との結託による国家安全危害共謀罪で起訴された黎氏の弁護人を、海外で働く外国人が担当するのは国安法の立法趣旨に反し不適当」だというのだ。無罪の推定も、弁護権の保障も念頭にない、まったく無茶な主張。

 さすがに、香港の高裁と最高裁はいずれも司法当局の訴えを退ける判断を下した。ところが、ここで奥の手が出てくる。香港の最高裁の判断は、全人代常務委員会の胸先三寸で、ひっくり返すことができるのだ。これが、一党独裁のグロテスクさ。

 既に、香港最高裁のこの件の判断に対しては、中国政府で香港政策を担当する「香港マカオ事務弁公室」が11月28日に「国安法の立法精神と論理に反している」と非難する声明を出しているという。既に、万事休すなのだ。

 意気阻喪しているところに、今度は元気の出るニュース。「天安門追悼計画、民主派逆転無罪 香港・高裁」という、昨日の毎日新聞記事。

 「香港の高裁は14日、中国当局が民主化要求運動を武力弾圧した天安門事件(1989年)の犠牲者を追悼する昨年の集会計画を巡り、無許可集会扇動罪に問われた香港の民主派団体元幹部(弁護士)に対し、1審有罪判決を取り消し、無罪を言い渡した。

 香港当局は2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、民主派への締め付けを強化。デモ開催などを無許可集会に当たるとして、民主派が有罪判決を受ける中、無罪判決は異例。」

 一審判決禁錮1年3月(実刑)からの逆転無罪である。公訴事実は、昨年6月4日天安門追悼集会を企画し宣伝した「無許可集会扇動罪」。弾圧された民主派が次々と有罪判決を受ける中、無罪判決は異例だという。

 もしかしたら、この判決は最高裁で逆転させられるかも知れない。さらには、またまた北京のご意向で無罪判決は吹き飛ばされるかも知れない。それでも、自分の良心に忠実に無罪判決を書く裁判官の存在に胸が熱くなる。制度よりは、このような人の信念にこそ、民主主義が生きているのだ。

 中国共産党はいろんな教訓を教えてくれる。やはり、貴重な「師」以外のなにものでもない。

「南京事件をなかったことにしたい」人々と、「あったかなかったか分からないことにしてしまいたい」人々と。

(2022年12月15日)
 毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。

 私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。

 私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。

 1937年の事件当時、私はまだ生まれていない。だから、私に責任のあることではない。責任とは一人ひとりに生じるものではないか、などと強弁することはできるかも知れない。しかし、現地では、とうていそんな気持ちにはなれない。日本人の一人として、中国の民衆に深く謝罪しなければならない、と思う。

 日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせていたことの不甲斐なさを嘆くだけではく、そんな社会を作ったことの責めを負わねばならない。
 
 事件から85年となる一昨日、現地の「紀念館」で、恒例の追悼式典が行われた。
 式典で演説した中国共産党幹部の蔡奇(ツァイ・チー)は旧日本軍の行為について、「人類の歴史において非常に暗い1ページだ」と指摘した上で、「中日国交正常化から50年、様々な分野での交流と協力が実を結び、両国の国民に重要な利益などをもたらし地域の平和や発展、繁栄を促進した」「新時代の要求にふさわしい中日関係を構築すべきだ」などと述べたと報じられている。これが、本当に中国国民の気持ちを代弁する言葉なのだろうか。疑問なしとしない。

 南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。

 細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。

 「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。

 そういう人たちの「論理」を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。

 旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。たとえば、文京区教育委員の面々である。

 戦争の悲惨は語り伝えなければならない。被害の責任だけではなく、加害の責任も。そのような姿勢で、日中友好協会・文京支部は、2018年以来毎年8月に、「平和を願う文京・戦争展」を企画し、「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を続けている。その写真の中に、南京事件直後の生々しい写真がある。これが、問題となった。

 この企画展について後援申請をしたところ、文京区教育委員会は「後援せず」と決定したのだ。このことが、18年8月2日東京新聞朝刊『くらしデモクラシー』に大きく取りあげられた。

 同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。

 日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。

 同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」で8?10日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(1909?88年)が中国大陸で撮影した写真50枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。

 区教委教育総務課によると、区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。

 文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。

 教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。

 教育長 加藤 裕一
 委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
 委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
 委員 坪井 節子(弁護士)
 委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

市民運動が求めたNHK会長像

(2022年12月14日)
「東洋経済オンライン」に、下記の本日5:00掲載の記事(抜粋)。到底看過し得ない。

 「今回の会長人事の前に奇妙な運動が起こっていた。市民団体が元文科省次官・前川喜平氏をNHK会長に推す署名活動を行ったのだ。4万人分の署名がネットで集まったそうだが、私はこの運動に何の意味があるのか不思議だった」「選挙ではないのだ。…運動にはNHKのOBもいて、会長選出の仕組みを知っているはずなのになぜ」「集会の様子が偏ったメディアに拡散されれば効果があると思ったのだろうか。そんなやり方で経営委員に届くはずがなく、「お花畑」と言われても仕方ないだろう。」

 市民運動を揶揄するこの見解。市民運動のなんたるかについての理解も想像力もなく、理解しようという意欲も善意もない。民主主義のなんたるかも、公共放送の理念にも無知である。「お花畑」の賑わいも暖かさもなく、「砂漠」の殺風景と「墓場」の冷たさに覆われた記事。

 市民運動は、市民一人ひとりの正義感や怒りから出発する。NHKの報道姿勢は明らかにおかしい。政権に忖度したニュースや解説。現場のドキュメントに対する執行部や経営委員会からの介入・締めつけ。優秀で良心的な現場を、権力と一体となった経営陣が押さえつけているのだ。

 市民運動が求めるNHK会長は、ジャーナリズムのなんたるかをよく理解している人物である。政権と意を通じた、政権お抱えの会長ではない。優秀なビジネスマンでもない。もちろん、安倍・菅政権から一本釣りされた経営委員のお気に入りでもない。

 市民運動は、制度に囚われない。おかしな制度は徹底して批判する。そもそも、会長公選制でないことがおかしいのではないか。マグナカルタ以来の民主主義の基本は、「代表なくして課税なし」である。これは、「課税あるところには、代表選出の権利もなくてはならない」という主張なのだ。

 NHKに受信料を支払っている公共放送の視聴者にとっては、「受信料支払いの強制あれば、当然に会長選出の権利もなくてはならない」のだ。放送法の制度を墨守すべきとする姿勢こそが、嗤うべき因循姑息。

 市民運動には知恵がある。「前川喜平氏をNHK会長に推す署名活動」は、素晴らしい問題提起をした。多くの人が、政権から独立し得ていない現在のNHKの姿勢に不満を持っていることを明確にしたのだ。市民にとって、前川喜平こそは、政権からの独立を象徴する人物像である。これが、多くの視聴者から歓迎されるNHK会長のイメージなのだ。

 NHK次期会長に選任された元日銀理事稲葉延雄は、その人物像を前川喜平と比較されることになる。権力への忖度の素振りは、徹底して批判される。「やっぱり政権ベッタリか」と言われることを気にせざるを得ない。われわれも、遠慮なく批判しよう。「前川なら、こういう態度はとらないだろう」と。

 本日の毎日新聞が、「なるほドリ」の蘭で、NHK会長人事を以下のように解説している。『NHK会長、あるべき姿は? 求められる政治的中立 選考過程をオープンに』というタイトル。これを抜粋する。

 Q 「あるべき会長像」ってあるのかな?
 A リーダーシップはもちろんですが、政治的中立が求められます。放送法などで「公平・公正」「不偏不党」がうたわれているからです。稲葉さんも会長就任の記者会見で「公平・公正が大切」と強調していました。

 Q なぜ公平・公正でなければならないの?
 A NHKは全国各地や海外に拠点を持ち、その放送には大きな影響力があります。時の政権がNHKに圧力をかければ、国民の多様な意見を反映できなくなり、報道機関として国民の知る権利に応えられなくなるでしょう。2014年に就任した籾井勝人(もみいかつと)会長は、当時の安倍晋三(あべしんぞう)政権の肝(きも)いりで決まったといわれました。就任会見で「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」などと発言し、会長としての資質が問題視されました。

 Q 会長を選ぶ過程で、今回は政権の動きはあったのかな?
 A NHKの会長を決めるのは経営委員会なのですが、今回も政権の意向があったという指摘もあります。選考の過程をもっとオープンにすべきでしょうね。

 もちろん、今回の会長選考過程で、政権の意向も動きも、大いにあった。経営委員会は、実際のところ何の選考も審議もしていないとも言われている。さて、政権丸抱えの新NHK会長、前川喜平と比較されて恥ずかしくない姿勢をとれるだろうか。

本郷三丁目交差点で、「専守防衛」逸脱の大軍拡・大増税に抗議する。

(2022年12月13日)
 本郷三丁目交差点ご通行中の皆さま、とりわけ若い方々に訴えます。ご意見もお聞かせいただきたい。あなたは、命じられたら戦争に参加しますか。兵士となって戦場に行く覚悟がありますか。怨みのない人と命をかけた殺し合いもやむを得ないと思いますか。

 お父さんやお母さんの世代の方にも伺いたい。愛する子どもや家族を戦争に差し出しますか。ご親戚や友人、隣人ならどうですか。国を守るためなら戦争もやむを得ないと思いますか。誰かに、命をかけて国のために闘ってもらいたいと思いますか。

 政府・与党は今、大軍拡大増税に踏み切ろうとしています。軍拡って他人事ではありません。軍拡は武器だけでなく、たくさんの兵士を必要とします。あなただって、兵士として戦場に引っ張られるかも知れない。祖国の防衛のためなら、勇躍して任務に当たりますか。

 政権や右翼や扇動者は、平和を維持するためには抑止力が必要と言います。抑止力って、イザというときには反撃できる能力のことのようです。張り子の虎では抑止力にならない。イザというときには対等以上に戦闘する能力を備えるための軍備拡張。あなたは、イザというときの反撃のために兵士になることをやむを得ないと受け容れますか。

 臨時国会が10日に閉幕となりました。この国会では岸田内閣のタカ派的な姿勢は目立ちませんでした。ところが、国会が終わってそのくびきから脱したとたんに、事態は様変わりしました。昨日、安保3文書の与党内合意が成立したことが公表されました。本日の各紙朝刊が、その骨子を報道しています。これが16日に閣議決定される予定ということです。

 恐るべき事態と言わねばなりません。歴代政権が憲法違反だとしてきた敵基地攻撃能力の保有が明記されることになります。米国製の長距離巡航ミサイル・トマホークが導入されます。来年23年度から27年度までの5年間で、防衛予算は総額43兆円に膨れあがります。大軍拡に伴う大増税を覚悟せよというのです。そのうえで、大軍拡のとばっちりを受けて、教育や福祉の予算は削らざるを得ないことになります。「軍事栄えて民痩せる」という時代がやってきます。本当にこれでよいのでしょうか。

 なによりも、軍拡は兵士を必要とします。あなたは兵士として、命をかけて闘う覚悟がありますか。大切な人を、お国のために差し出す覚悟がありますか。

 12月です。太平洋戦争の開戦を思い起こさねばなりません。1941年12月8日の天皇の「詔勅」は、こう言っています。
 「日本は平和を望み、長い間忍耐を重ねてきたが、米も英も少しも互譲の精神がなく、ますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態が続けば、アジアの平和を願っての我が国の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。」

 今また、同じ轍を踏みかねません。かつては、日本は正義の国で、英・米・蘭・ソ・中などは、どれも日本を敵視する不正義の国。ドイツやイタリアと同盟して、これと闘わねばならないとしました。あの頃とは、敵国・味方国が変わっていますが基本は変わりません。かつてヒトラーのドイツと結んだ日本は、今、アメリカと同盟しています。主たる敵が中国であることは隠そうともしません。中国の脅威に備えて軍備を拡大し、軍拡増税をしようというのです。

 77年前の敗戦のあと、日本国民は再びの戦争という過ちを犯してはならないと、深く強く決意しました。その決意の根本には、平和は武装することによって得られるものではない。近隣諸国との軍備拡大の競争という愚かなことはしない。それが日本国憲法9条に結実しました。

 あの戦争の反省には、まったく異なる二通りがありました。一つは、戦争に負けたことを反省しようというのです。今度は、精強な大軍事力を作って、米英にも、中国にも負けない大軍事国家を建設しようという反省の仕方。これは、ほんの一握りの戦争指導者の立場。圧倒的な国民は、戦争そのものを反省しました。どんな理由があろうとも、けっして再び戦争をしてはならない。

 その国民の意思を結実した憲法9条が次第に影を薄くし、いま自衛隊という軍事力が存在感を増すにいたっています。それでも、憲法9条とそれを支える世論があるから、敵基地を攻撃するような武器は持てないとしてきたのです。

 今回の安保3文書は、かろうじて9条の効果としての「専守防衛」路線を事実上放棄すること。敵国の軍事力には、我が国の軍事力を対抗することで、平和を守ろうという路線への転換にほかなりません。明文改憲ないままに、事実上の「壊憲」が行われようとしています。このままでは、9条は空文に帰しとめどない軍拡の悪循環に巻き込まれかねません。慌てず、騒がず、浮き足立つことなく、落ちついて、戦争のない国際社会を作る努力をしようではありませんか。

 [プラスター]★敵基地攻撃能力、戦争への道。★軍拡大増税、くらしはカツカツ大赤字。★穏やかな声優しそうな顔で、憲法9条を壊してゆく岸田政権。★人類の理想、戦争放棄の9条。★トンデモない 軍拡大増税。★浮き足立つな落ち着こう、反対しよう戦争への道。★9条の会、迷わず平和路線。★トマホーク、ハイマースもオスプレイもいらない、憲法9条と国連強化。

中国監視社会の恐るべき姿を見よ。日本の権力者に、この真似をさせてはならない。

(2022年12月12日)
 江戸時代の農民一揆の多くは一定の成功を収めた。領主は一揆の要求を容れて事態を収拾せざるを得なかった。しかし、秩序を紊乱した者の罪を放置することはできず、首謀者は厳しく罰せられた。だから、一揆の指導者は一身の犠牲を覚悟して決起したのだ。それゆえ、数々の一揆伝説が生まれ、一揆の指導者は民衆から尊敬されて語り継がれた。

 「白紙革命」と言われる中国の市民の動向。江戸時代の一揆衆に似ていなくもない。そして、中国共産党は、封建領主とその精神構造において瓜二つではないか。「民衆の不満を宥めて妥協しているようにみえる中国政府が、その一方で抗議活動への封じ込めには最先端の監視技術を駆使して弾圧している」と言うのだから。

 頑なだった中国のゼロコロナ政策は、市民のデモの衝撃によって、大きく修正を余儀なくされた。これ以上の厳格な旧来の政策継続は、体制批判にまで進行する危険があると判断されたに違いない。習近平指導部は、誤りを認めたとは言わぬままに、民衆の要求を容れて事態の収拾を図った。しかし、党の支配に抵抗して、秩序を紊乱したデモの参加者を許すわけにはいかない。

 しかも、恐るべきは、中国共産党が、ほぼ完璧といわれるレベルでのデモ参加者特定の技術と設備をもっているということである。いわゆる監視社会化、その完成形態である。

 中国共産党は、人民管理の手法としての監視技術を発達させてきた。党指導部の言い分は、人民の幸福を最大限に確保するための監視社会である。「幸福な監視国家」で何が悪いと開き直って来ている。コロナ撲滅のための人民の監視と管理はその典型といってよい。人民にとって何が幸福かは党が決める。人民はありがたく、賢い無謬の党の指導に身を委ねておれば「幸福」なのだ。

 ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれたデストピアが、既に中国で実現しているのではないか。市民のすべての行動は当局によって監視され、把握されている社会。その姿こそ、現代の中国のごとくである。権力にとっての夢物語であり、市民にとっては悪夢のデストピアが最先端のハイテク技術を駆使することによって、現実のものになっていると言われる。

 中国の警察は世界で最も洗練された監視システムを構築し、しかも全国では2億台もの監視カメラが設置されているという。強力な顔認識ソフトウェアを開発し、地元市民を識別するようプログラムしていると報道されている。その監視技術が、いま大活躍なのだ。

 ニューヨークタイムズ外が、「中国の警察が電話機と顔写真を使って抗議者を追跡した方法」を報道している。抗議デモ参加者の多くは、目出し帽をかぶり、ゴーグルをつけて、あるいは服装を変えて、身を隠したつもりだった。が、それでも翌日から検挙されている。「警察は、顔認識や携帯電話、情報提供者を使って、デモに参加した人々を特定」したという。

 デモ参加者の多くは、厳しい取り調べを受け、二度と抗議活動に参加しないようにと警告される。多くの人が、抗議活動の調整や海外への画像拡散に使われていたテレグラムのような外国のアプリを削除している。逮捕されたり、警察に声をかけられたりした後、多くのデモ参加者はVPN(仮想プライベートネットワーク)や、テレグラムやシグナルといった海外のアプリの利用を敬遠するようになった。

 かつては、アメリカが「先進国」として、「今のアメリカの姿を見よ。これが明日の日本の姿だ」などといわれた。今、こう言わねばならない。

 「恐るべき今の中国の監視社会の実態を見つめよ。このままでは、これが明日の日本の姿になる。権力は、すべからく民衆の一人ひとりの行動と思想までを把握したいという衝動を持っているからだ。けっして、このような社会の到来を許してはならない」

稲葉延雄は、NHK会長にふさわしいのか。経営委員会は市民の質問に真摯に回答せよ。

(2022年12月11日)
 NHK経営委員会ホームページに、12月5日付の「お知らせ」。「本日の経営委員会において、2023年1月25日付で次のとおり会長を任命することを決定しました」とのこと。
 
 任期3年の次期会長として任命されたのは「稲葉延雄」(株式会社リコー リコー経済社会研究所参与)。前川喜平ではなかった。なお、「前田晃伸現会長は、任期満了により23年1月24日をもって退任となります」と公告されている。
 
 なぜ、稲葉延雄なのか。どのような論議を経ての会長人事なのかはまったくの藪の中。経営委員会は、積極的に明らかにしようとはしない。この次期会長、元は日銀理事だというが、その経歴がNHK会長にふさわしいとはとうてい考えられない。この人事からは、さわやかな風は吹いてこない。明るさも見えない。NHKの未来は展望できない。むしろ、もうNHKダメじゃないのか、と思わせるばかり。

 18年10月に、経営委員会から不当極まる厳重注意処分を受けた上田良一会長も、もちろん経営委員会が選任している。その上田会長選任時の「会長指名部会議事録」を追ってみると興味深い。

【NHK次期会長の資格要件】がこう確認されている。
1 NHKの公共放送としての使命を十分に理解している。
2 政治的に中立である。
3 人格高潔であり、説明力にすぐれ、広く国民から信頼を得られる。
4 構想力、リーダーシップが豊かで、業務遂行力がある。
5 社会環境の変化、新しい時代の要請に対し、的確に対応できる経営的センスを有する。

 その上で、上田良一(元三菱商事株式会社代表取締役副社長執行役員)を会長に推薦する具体的な理由が以下のように述べてられている。
【推薦理由(概要)】
○ 三菱商事株式会社において、海外経験が豊富であり、経営企画部門の責任者としてリスクマネジメント、グループ経営においてすぐれたリーダーシップを発揮するなど、大きな組織の経営に関する経験が豊富であること。
○ NHK経営委員・監査委員として、放送法に明るく、公共の福祉と文化の向上に寄与するNHKの役割を深く理解していること。また政治的にも中立で、沈着冷静であり、国民・視聴者の方にも信頼いただけると期待できること。
○ 放送現場や関連企業をつぶさにまわり、NHK内部の状況にも精通していること。
○ 組織の独立を守り、現場の自由な取材や番組作成の環境作りの重要性を理解した上で、現在進行中のNHK改革を進める見識や手腕を持つこと。
○ 人望に富み常に冷静沈着で温厚な言動や人柄は、NHK職員の人心を掌握し、融和を図る上でも期待できること。

 以上の「会長適格条件」を厳格に墨守する限り、稲葉延雄の不適格は明白と言うべきであろう。あるいは、「会長適格条件」なんぞは、そのときその場でのご都合主義の賜物でしかないというのだろうか。

 経営委員会は特殊法人NHKの最高意思決定機関であるが、その最も重要な任務が、会長の任命である。会長人選と適否の論議がどう行われたか、その過程はまったく公表されていない。これじゃ、ダメだろう。放送法(41条)違反でもあろうが、なによりも視聴者国民の納得を得られまい。

《市民とともに歩み自立した NHK 会長を求める会》は、さっそく抗議声明を発表し、同時に公開質問状をNHKに送付した。以下に、ご紹介したい。

《NHK 次期会長選出についての抗議声明》

 透明性の決定的な欠如と視聴者・市民の声を完全に無視した 次期 NHK 会長選ひ?に抗議します(付・公開質問状)

   市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会

   共同代表 小林 緑(元 NHK 経営委員、国立音楽大学名誉教授)
        河野慎二(日本シ?ャーナリスト会議運営委員)
        丹原美穂(NHK とメテ?ィアの今を考える会共同代表)

 貴経営委員会は 12 月 5 日、委員 12 人の全員一致て? NHK の次期会長に稲葉延雄氏(元日本銀行理事)を選出したと発表しました。その稲葉氏は当日、「突然のこ?指名て?大変驚いていますか?…」とのコメントを発表しました。

 大変驚いたのは、稲葉氏た?けて?はありません。次期NHK会長選ひ?に強い関心を持ち、新会長には時の政権から自立した公共放送の真のリータ?ーにふさわしい人物を、と運動を進めてきた私たち視聴者・市民の方こそ、大変驚きました。

 私たちはすて?に11月4日、貴経営委員会に対して、これまて?5期15年にわたって政権の意向をストレートに受けて選出された財界出身の会長て?はなく、時の政権に媚ひ?ない姿勢を明確に打ち出し、日本国憲法・放送法の精神を踏まえた前川喜平氏(元文部科学事務次官)を次期会長に推薦してきました。

 しかしなか?ら、今回の次期会長選ひ?に、稲葉氏か?はからす?も「突然…」と表明したことからも明らかなように、貴経営委員会か?、公共放送NHK会長選考の手続において、透明性を決定的に欠き、かつ私たち視聴者・市民の声を完全に無視したことは、公共放送の存在意義及ひ?民主主義の精神に著しく反するものて?ある、と言わさ?るをえません。

 私たちは、従前にも増して経営委員会の運営及ひ?新会長選考過程の不透明さに抗議するとと もに心底からの怒りを表明し、今回の次期会長決定の発表を撤回することを要求するものて?す。

 さらに、次の私たちの公開質問状に速やかに回答されることを求めます。

 今回の次期NHK会長選ひ?についてのいくつかの疑問・質問
 いま、国会て?は日本の防衛のありようをめく?って、日本国憲法第9条とも関係する重要な審議か?行なわれています。そうしたなかて?、NHKか?事実を正確に伝え、視聴者・市民の関心を呼ひ?起こし、深い議論の場を提供することは、公共放送として大変重要かつ大切なことて?す。

 公共放送NHKか?日本の民主主義と文化の向上・発展にとって果たすへ?き役割は極めて大きいのて?、次期NHK会長には、シ?ャーナリス?ムと文化について高い見識を有し、言論・報道機関としてのNHKの自主・自律を貫く人物か?選任されるへ?きだと私たちは考えています。

 そこて?、私たちの会は、次期会長に求められる基本的資格要件として、日本国憲法はもちろん 現行放送法の精神を踏まえ、シ?ャーナリス?ムの在り方について深い見識を有することのほかに、何よりも政治権力からの自主・自律を貫ける人物で?あることか?絶対条件て?あると考えます。

Q1:今回の会長選ひ?の手続において透明性の確保か?決定的に欠如しているのて?はないか
~密室選出過程の問題性、経営委員会の役割は?~
「政府高官によると、首相は水面下て?稲葉氏に接触して口説き落とし、自民党麻生副総裁や菅前首相ら総務大臣経験者への根回しを行ったという」(『読売新聞』2022年12月6日号)と報道 されています。現行放送法によれは?「会長は、経営委員会か?任命する」(第52条)と規定されていますか?、実態としては首相か?決定し、経営委員会は単なるその追認機関に成り下か?っているのて?はないでしょうか。しかも「全員一致」て?。

 かつての経営委員経験者の語るところによれは?、たとえ一部の経営委員か?反対しても、外部に発表する場合は「全員一致」とすることになっており、異論は一切表に出ることはなかったそうて?す。実際、今回の場合、本当に「全員一致」た?っのて?しょうか。そこに嘘はないのて?しょうか。

 もしそうて?あれは?、「複数の財界人に断られ、最終的に稲葉氏に行きついた」(自民党幹部)と の見方もある人事(同前『読売新聞』)について、経営委員 12 人全員は、稲葉氏のNHK会長と しての適格性をいつ、と?ういう形て?認識し、賛同したのて?しょうか。また、経営委員会はなせ?会 長に連続 6 期も財界人を求めるのて?しょうか。

 国会か?再度求めた「手続の透明性」(参議院総務委員会附帯決議、2015年及ひ? 2016年)も無視して会長選出を行なうとしたら、きわめて重大な問題て?あるため、お尋ねしています。

Q2:私たちか?推薦した前川喜平さんは、選考過程て?、と?のように取り扱われたのて?しょうか。~公共放送のリータ?ーを選考する際、視聴者・市民の声は無視?~

 私たちは、政権から自立した公共放送のリータ?ーに最もふさわしい新会長候補として、貴経営委員会に対し、元文部科学事務次官の前川喜平さんを推薦するとともに、視聴者・市民による緊急賛同署名を集めてまいりました。このコロナ禍において署名集めは困難を極めましたか?、当初の予想をはるかに上回る署名か?集まりました。この1カ月、オンライン署名(約24,000筆)、書面署名(約21,000筆)あわせて約45,000筆にものほ?りました(2022年12月6日現在)。

 私たちの会は11月4日、貴経営委員会に対し推薦した前川喜平さんか?、視聴者・市民の幅広 い支持のあることを証明するために賛同署名約 44,000 筆(2022年11月30日現在)を提出するとともに、貴経営委員会開催直前の12月5日、前川喜平さんについての審議状況についての公開質問状を提出しました。元総務事務次官(日本郵政ク?ルーフ?)による横槍の「声」(番組介入)には直ちに対応するのに対して、私たち視聴者・市民の声か?45,000筆にのほ?っても一顧た?にしないのか?NHKの「お客様志向」の体質て?あるとすれは?、それ自体大変ゆゆしき問題て?す。

 ちなみに、経営委員会指名委員会か?2007年11月27日に定めた「次期会長の資格要件」には 「*外部、内部を問わす?推薦する候補か?いれは?委員長に連絡する。」(同日第2回指名委員会議事 録)と付記されていました。

Q3:NHK会長選考については、2015年及び2016年、連続して「選考の手続の在り方について検討すること」を国会から求められています。この点に関し、過去数年の間に、貴経営委員会として、と?のように取り組んた?のか、それとも取り組まなかったのか、お尋ねします。

 会長選考にあたっては、BBC(英国放送協会)か?すて?に採用している推薦制、公募制なと?を積極的に導入することにより、政権から公共放送NHKへの直接的な介入を避け、視聴者・市民の 意見を反映させた開放的な会長選考を行なっていくことを提案します。

 このことは、現行放送法のもとて?も、経営委員会か?その本来の職責に加え、自主性・自律性を貫き通すことは可能なことて?すし、それか?高らかにうたわれています。こうしたことを通し?て、失われた視聴者・市民からのNHKへの信頼を取り戻していくことになるのて?はないて?しょうか。

 以上の質問については、2023年1月15日まて?に下記事務局まて?こ?回答くた?さるよう強く要求します。

       

新藤義孝・衆院憲法審査会与党筆頭幹事の、強引な審査会議事運営に抗議する。

(2022年12月10日)
 本日で臨時国会が閉幕となった。政権を揺るがした統一教会問題は、生煮えの「被害者救済新法」成立で、いったん休戦となるが、もちろんこれで幕引きにはならない。問題の本質は、「反共」という理念を共有する、カルト集団と、保守政治勢力、なかんづく安倍派との癒着にある。

 統一教会は、岸・安倍・安倍の3代やその周辺の政治家と結びつくことによって、違法・不当な伝導強化活動を可能とし、信者からの収奪を重ねてきた。なによりも、その癒着の実態を白日の下に曝さねばならない。とりわけ、安倍晋三や細田博之と教団との癒着は徹底的に洗い出さねばならない。その調査の中から、真に実効性ある被害者救済策が構築されることになるだろう。

 なお、国会閉幕後に、日本の防衛問題についての大議論が始まる。政府・与党は《敵基地攻撃能力の保有》の名で、国是とされてきた《専守防衛》論を放擲することになる。その上で防衛費の対GDP比2%を実現し、大軍拡大幅増をやってのけようというのだ。国会が終了しても、政府の動向から監視の目を離すことはできない。

 ところで、各国会会期の終了時に確認しておかねばならないことは、各院の憲法審査会の動向である。明文改憲に向けて、事態は進展したのか、しなかったのか。

 昨年7月10日参院選投開票直後には、衆参両院で圧倒的な「改憲派議席」を獲得した岸田政権が「黄金の3年間」を手にしたのだと喧伝された。自・公だけでなく、維新も国民も改憲派の旗幟を鮮明にしてきている。25年参院選まで国政選挙はない。改憲勢力は、この間なら明文改憲に向けての強引な国会運営ができる。憲法審査会はその,強引な表舞台となるのではないか。

 結論から言えば、深刻な事態というまでには至っていない。政権与党は、統一教会との癒着の実態を追及され常に受け身の姿勢を余儀なくされた。しかも、円安・物価高の経済情勢である。とうてい、積極的に明文改憲を推し進めるだけの余裕も清算も持ち得なかった。

 しかし、両院の審査会が議論を停止していたわけではない。自民党改憲案4項目中の「緊急事態」条項については立憲・共産を除く委員の一定の議論が交わされた。のみならず、12月1日衆院審査会の場に、唐突に「論点整理」表が提出されて、衆院法制局の職員がその表の説明さえしている。彼ら・改憲派は、隙あらば遠慮なく…改憲へ向けての執念を表面化するのだ。下記の「緊急声明」が、事態の顛末と意味についてよくまとめている。

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緊急事態下の国会議員任期延長に関する衆議院憲法審査会の運営及び議論の在り方に抗議する法律家団体の緊急声明

                   2022年12月9日

1 誤解を生じさせかねない姑息なやり方に抗議する
 本年12月1日の衆議院憲法審査会において、衆議院法制局が、緊急事態における国会議員任期延長に関する各党会派の発言を論点ごとに整理した資料を提出し、橘幸信法制局長が20分にわたり説明を行った。
これは、自民党の新藤義孝委員(与党筆頭幹事)が、個人的な議論のとりまとめを行うために、衆議院法制局にその資料作成を依頼したものであり、予めの幹事会では、法制局長が資料説明をすることについては合意がなく、いわば不意打ち的に強行したものである。
 衆議院法制局に説明させることで、審査会において議論が進展しているかのように見せかけて改憲をすすめようとする姑息なやり方である。事実、一部のマスコミ(NHK)は、1日衆議院法制局が主張を整理した資料を説明したことを伝えて、「衆議院の憲法審査会で論点整理まできた。」「そろそろ仕上げの仕事に入っていかなければならない。」とする自民党茂木敏充幹事長の発言を報道している。
 このような姑息なやり方は、与野党の合意に基づき審査会を運営するとした慣例に反し、国民世論を誤って誘導しかねない危険なものであり、自民党には猛省を求める。

2 議員任期延長改憲のみを議論することは根本的に誤りである
 衆議院法制局資料からも明らかなように、緊急事態の国会議員任期延長改憲の議論は、その前提に問題があり、重要な問題についての議論が抜け落ちている。
 改憲推進派は、国会機能(国会の立法機能・行政監視機能)の維持のために、議員任期延長の改憲が必要であると口をそろえている。しかし、国会機能の維持が必要であることは、改憲派の問題とする任期切れ直前に大規模災害等が発生した場合だけではなく、議員任期が十分に残っている場合も、国会の閉会中または開会中に、大規模災害等の緊急事態が発生すれば同様に問題となる。国会の機能維持というのであれば、現に開会中の国会で委員会を招集し、閉会中であれば内閣が適切に臨時会の召集を求め(憲法53条前段)、あるいは、野党議員の求めに応じて内閣が国会を速やかに召集し(憲法53条後段)、政府が国会議員の質問に十分に答えて議論を尽くすことが必要である。これはいわゆる平時であっても全く同様である。
 問題は、内閣が自分に都合が悪いときは国会を開かない、与党多数派が短時間で委員会審議を打ち切り、野党の質問に政府側が真摯に答えようとしない現状である。国会の開会が内閣の専断となっていて、国会(国会議員)が統制できていないこと、与党多数派が十分な国会審議に応じようとしない現状こそが問題の核心である。
 この現状に鑑み、憲法に照らして国会機能を全うするためには、たとえば憲法53条後段に基づき臨時会を召集させることを強制する仕組みなど内閣に憲法を守らせる方途や、国会議員が国会の開会について一定の権限を持つような改革案を憲法審査会で議論することこそが求められている。
 改憲推進派は、この本質的な議論に応じようとしていない。国会議員の任期切れが迫りしかも、その時に大規模地震などの緊急事態が発生し、その上、日本全土にわたり広範にかつ長期間、選挙が実施できない場合といった(確率的には極めて低く想定し難い)事態に限って、国会機能の維持のために議員任期延長の改憲が必要だと主張している。改憲をするためだけの議論であり、国会機能の維持など本心では念頭にないことが明らかである。
 仮に国会議員の任期延長について改憲を行ったとしても、国会が開かれるとは限らない。参議院の緊急集会も、憲法上は「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」(憲法54条2項)とされているため、現状では、内閣が緊急集会を確実に召集する保証はない。むしろ自民党などの改憲派は、緊急事態を口実に選挙を避けて権力を温存したうえで、国会を開かず、緊急政令等の内閣や首相の権限により都合よく政治を執り行うことを緊急事態条項を創設する改憲により目指しているとみるほうが正確である。

3 国会機能の維持のため論点を一から整理しなおすことが必要
 12月1日の衆議院憲法審査会で、立憲民主党の中川正春委員が、「緊急事態の中での議員任期延長というほんの一部分のみにこだわるということではなく」「権力の暴走を民主的に防ぐための歯止めをどのように憲法を含む法体系の中に準備しておくかということ、この問題を総合的に議論する必要がある」と指摘した点は正鵠を射ている。
 内閣の暴走により国会の機能が果たせていない現状の改革こそが喫緊の課題であり、国会機能の維持を理由に任期延長についての改憲のみを取り上げる議論の在り方は、根本的に間違っていると言わざるを得ない。衆議院憲法審査会は、議論すべき論点を一から整理しなおすことが必要である。

以上

「救済新法」ー もっと実効性ある立法も可能なのに

(2022年12月9日)
 統一教会の被害予防と救済に向けた新法の法案が、昨日衆院を通過し会期末の明日には参院でも可決となる見通しである。この法案、与党(自・公)側は一刻も早くあげてケリを着けたい。野党(立・維)側は、一歩前進の与党譲歩を引き出したという実績を早期に誇りたい。両者の思惑が合致して、ことは性急に運ばれた。

 最終的な法案修正は、党首会談での政治決着とも報道されていたが、現実には密室での不透明な協議で、配慮義務に「十分な」という一語を付加しただけの、この上ない微調整による灰色決着となった。はたして、これで実効性のある予防・救済の法律ができると言えるのだろうか。元2世信者や被害者・弁護団からは「生煮えの法案」と評判は芳しくない。

 一歩前進ではあろうが、もっと審議を尽くして、もっと実効性ある法律にできただろうに、と残念である。現行の法体系が、統一教会の横暴から被害者を救済する立法を許さない、などということは考えられない。むしろ、新法案は短時間で安直に作られたものという印象を拭えない。

 かつては私法を貫く大原則として、「取引の安全」が強調された。いったん成立した法律行為が軽々に取り消されたり無効とされたのでは、経済社会の混乱は避けられない。法律行為の積み重ねを極力尊重し、過去に遡っての取消や無効を軽々に認めるべきではないという考え方。

 民法は、詐欺や強迫によってなされた意思表示の取消を認める。ということは、詐欺や強迫によるものでなければ、取消は認めないということでもある。契約当事者の形式的な平等を前提とする限り、売買でも貸借でも、婚姻でも離婚でも、あるいは高額の寄附であつても、自分の意思でした行為には責任を持たねばならないということが原則ではある。

 しかし実質的に、当事者間の力量に大きな格差がある分野では、形式的平等前提の「取引の安全」墨守の不都合は明らかとなる。使用者に対する労働者の保護、大企業に対する小規模企業の保護、そして事業者に対する「消費者利益の保護」を手厚くして初めて、実質的な平等が実現し法的正義貫かれる。

 民法では「詐欺または強迫」に限られていた意思表示の取消要件は、消費者契約法では、大きくその範囲を拡げている。通常、これを「誤認類型」と「困惑類型」に分類する。

?消費者契約法上の誤認類型とは
 ・ 不実告知(消費者契約法第4条1項1号)
 ・ 断定的判断の提供(同条同項2号)
 ・ 不利益事実の不告知(同条2項)
?消費者契約法上の困惑類型とは
 ・ 不退去(同条3項1号)
 ・ 退去妨害(同条同項2号)
 ・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
  (不安をあおる告知 同条同項3号)
 ・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
  (恋愛感情等に乗じた人間関係の濫用 同条同項4号)
 ・ 加齢等による判断力の低下の不当な利用 同条同項5号)
 ・ 霊感等による知見を用いた告知(同条同項6号)

 新法案は、消費者契約上の「困惑類型」を、統一教会への寄附に関して使えるようにしたことが主眼となっている。具体的には、《?不退去、?退去妨害、?勧誘をすることを告げず退去困難な場所へ同行、?威迫する言動を交え相談の連絡を妨害、?恋愛感情等に乗じ関係の破綻を告知、?霊感等による知見を用いた告知》という6項目の「禁止行為」は、消費者契約上の「困惑類型」とほぼ重なる。

 なお、両法における「霊感等による知見を用いた告知」についての規定を比較してみよう。
 消費者契約法では、
 「当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること。」

 救済新法(案)では、
「当該個人に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、当該個人又はその親族の生命、身体、財産その他の重要な事項について、そのままでは現在生じ、若しくは将来生じ得る重大な不利益を回避することができないとの不安をあおり、又はそのような不安を抱いていることに乗じて、その重大な不利益を回避するためには、当該寄附をすることが必要不可欠である旨を告げること。」
 
 以上のとおり、救済新法の「禁止規定適用範囲」は、消費者契約法上の「取消対象の困惑類型」範囲を出るものではない。その禁止規定違反に対する制裁は、寄附の取消だけでなく、行政の関与による勧告や,是正命令・法人名公表などもできるようにしてはいるが、けっして「画期的な法案」でも、「ギリギリまでできるところを詰め切った法案」というほどのことでもない。もっと審議を重ね、もっと加害被害の態様を見極めた法の成立が望ましかったといえよう。

 被害者は多くの場合、洗脳(マインドコントロール)下で「困惑」せずに高額の寄付をしているという。とすれば、「自由な意思を抑圧しない」という配慮義務規定を禁止規定として、「困惑類型」と同等の法律効果を持たれることができれば、画期的立法になるだろうが、そのためには、もっと徹底した審議を尽くさなければならない。それが放棄されたことが残念なのだ。
 結局は、施行後2年の見直し規定に期待したい。

プーチンそっくりのヒロヒト。いや、ヒロヒトそっくりのプーチン。

(2022年12月8日)
 81年前の本日早朝、当時臣民とされていた日本国民はNHKの放送によって、日本が新たな大戦争に突入したことを知らされた。同時に、パールハーバー奇襲の戦果の報に喝采した。こうして、国民の大半が、侵略者・侵略軍の共犯者となった。実は、本年2月24日のロシア国民も同様ではなかったか。

 1941年12月8日付官報号外に、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」、通称「開戰の詔勅」が掲載されている。何とも大仰で白々しい「美文」に見えるが、実は典型的な「駄文」である。句点も読点もなく難読字の羅列でもある原文の掲載は無意味なので、「訳文」を掲出しておきたい。

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 天の助けるところとして代々受け継がれてきた皇位の継承者である大日本帝国天皇は、忠実で武勇に優れた、我が家来である全国民に告げる。

 私・天皇は、米国と英国とに宣戦を布告する。陸海軍将兵は全力を奮って闘え。官僚はその職務に励め。その他の国民も各々その本分を尽くし、一億の心をひとつにして、国家の総力を挙げてこの戦争の目的達成のために努力せよ。

 そもそもアジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、代々の願いであって、私も常に心がけてきた。各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。ところが、今や不幸にして、米英両国と争いを開始せざるを得ない事態に至った。誠にやむをえないところであるが、けっして私の本意ではない。

 中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせるに至らしめ、以来4年余を経過している。幸いに国民政府は南京政府に変わった。帝国はこの新政府と誼を結び提携するようになったが、重慶に残存する政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だ相互にせめぎ合う姿勢を改めない。
 
 米英両国は残存する蒋介石政権を支援して、アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。しかも、味方する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 私・天皇は政府に事態を平和のうちに解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互譲の精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
 このような事態が続けば、アジアの安定に関する我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。

 祖先神のご加護をいただいた天皇は、その家来たる国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いてアジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の栄光を実現しようとするものである。
 裕 仁  印
  1941年12月8日

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 こんな言い回し。最近、どこかで聞いた憶えはないだろうか。そう、プーチンのウクライナ侵攻の日の演説。あれとそっくりなのだ。ただし、プーチンの演説は長い。そして、さすがに裕仁の「詔書」よりは格段の説得力がある。

 どちらも、まずは国民に呼びかける。そして自国の正義と、相手国の非道を延々と訴える。自国は、忍耐に忍耐を重ねてきた。しかし、もうその限界を越えざるを得ない。このままでは、自国の生存が危殆に瀕するからだ。すべての責任は敵側にある。このやむを得ない事情を理解して、国民よともに闘に立ち上がろう。

 この言い回し、裕仁とプーチンだけではない。いま大軍拡を進めようとしている、改憲勢力の想定レトリックであるのだ。権力者がこんな言い回しを始めたら、危機は深刻だと思わねばならない。

 長文のプーチン演説を抜粋してみる。訳文の出典はNHKである。

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 親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん。

 この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。

その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。
なぜ、このようなことが起きているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。
答えは明白。すべては簡単で明瞭だ。

1980年代末、ソビエト連邦は弱体化し、その後、完全に崩壊した。当時、私たちはしばらく自信を喪失し、あっという間に世界のパワーバランスが崩れたのだ。
これにより、従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。
 
ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、第二次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。

事態は違う方向へと展開し始めた。NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。
繰り返すが、だまされたのだ。
正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。

色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。
すべては無駄だった。
世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、私たちロシアを敵国と呼ぶ。
確かに彼らは現在、金融、科学技術、軍事において大きな力を有している。

しかし、軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。
 そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。

NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい
すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。
しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。

問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。
それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。
私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。
それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。

さらに強調しておくべきことがある。
NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。
当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。
それこそドンバスと同じように。
戦争を仕掛け、殺すために。

私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。
そして、今のウクライナの領土に住むすべての人々、希望するすべての人々が、この権利、つまり、選択の権利を行使できるようにすることが重要であると私たちは考えている。

繰り返すが、そのほかに道はなかった。
目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。
それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。

起こりうる流血のすべての責任は、全面的に、完全に、ウクライナの領土を統治する政権の良心にかかっている。

親愛なるロシア国民の皆さん。
力は常に必要だ。どんな時も。
私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。
まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。

親愛なる同胞の皆さん。
自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。
あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。
すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。

歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。

あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。

「市民弾圧の旗幟を鮮明にし、独裁政権を守り抜いた」偉大な江沢民

(2022年12月7日)
 11月30日、江沢民が亡くなった。私の心象の中で《尊敬すべき中国》から《野蛮な中国》へ変容したあの時期の、歴史の転換を象徴する人物の一人。この人に対する敬意のもちあわせはないし、弔意もさらさらにない。その点では、安倍晋三と似たり寄ったり。

 この人、89年6月4日の天安門事件の後、当時の最高実力者である鄧小平によって党幹部に抜てきされた。その後、国家主席にして中国共産党総書記となり、党中央軍事委員会主席にもなった。昨日(12月6日)、その過去の肩書にふさわしい追悼大会が、天安門広場に接する人民大会堂の大ホールで挙行された。

 葬儀委員長となった習近平以下、党や政府、軍など各界の関係者が参列し、《中国の経済発展の礎を築いた偉大な指導者》に最後の別れを告げた。党と政府は「全党、全軍、全国各民族人民に告げる書」を発表し、「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と最上級の表現で追悼した。人民日報も「永遠に消えることのない功績を打ち立てた」と称えている。

 追悼大会では3分間の黙とうが捧げられた。同時刻、中国全土に警笛や防空警報などのサイレンが鳴らされ、哀悼の意が示された。葬儀委員会は娯楽活動の自粛などを要請。全国の政府組織は半旗を掲げ黙祷した。証券取引所も外国為替市場も3分間取引を停止、ユニバーサルスタジオ北京は臨時休業した。江氏の死去後、新聞の紙面や政府機関のホームページ、スマートフォンの買い物や出前サービスのアプリは画面を白黒にして喪に服している。

 習近平の弔辞は、故人の数々の業績を称賛して50分にも及んだという。こんな長広舌を聞かされる方は、さぞかし辛かったろう。習は「江氏の名、功績、そして思想は何代にもわたって人々の心に刻まれるだろう」と持ち上げたが、けっしてそうはならないだろう。スターリンのごとく、突然評価が逆転する日が到来するに違いない。その日の早からんことを切望する。

 また、その弔辞は天安門事件にも触れたという。当時上海市トップだった故人について「動乱に反対する旗幟を鮮明にし、社会主義国家政権を守り抜いた」「上海の安定を維持した」「改革・開放を堅持した」「社会主義国家守り抜いた」「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と改めて礼賛して、一党独裁への異論を許さない姿勢を重ねて強調した。

 結局のところ、習の弔辞における江への評価は、「民主化を求める市民・学生を徹底して弾圧したこと」。そのことによって「人権と民主主義を制圧して強権による秩序維持に貢献したこと」「人民に銃口を向ける人民解放軍を作りあげることに大きな貢献をしたこと」なのだ。式の参列者は、習の見まもるなか、江の遺影に3度頭を下げたという。

 最後に革命歌「インターナショナル」が演奏された。江沢民は、共産党独裁による体制を維持しながら、それまで労働者階級を代表してきた共産党に、企業家などの入党を認めて党を質的に変化させた人物。貧富の差を広げ、社会のひずみを拡大した人物。その追悼に革命歌「インターナショナル」は似合わない。

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