市民運動が求めたNHK会長像
(2022年12月14日)
「東洋経済オンライン」に、下記の本日5:00掲載の記事(抜粋)。到底看過し得ない。
「今回の会長人事の前に奇妙な運動が起こっていた。市民団体が元文科省次官・前川喜平氏をNHK会長に推す署名活動を行ったのだ。4万人分の署名がネットで集まったそうだが、私はこの運動に何の意味があるのか不思議だった」「選挙ではないのだ。…運動にはNHKのOBもいて、会長選出の仕組みを知っているはずなのになぜ」「集会の様子が偏ったメディアに拡散されれば効果があると思ったのだろうか。そんなやり方で経営委員に届くはずがなく、「お花畑」と言われても仕方ないだろう。」
市民運動を揶揄するこの見解。市民運動のなんたるかについての理解も想像力もなく、理解しようという意欲も善意もない。民主主義のなんたるかも、公共放送の理念にも無知である。「お花畑」の賑わいも暖かさもなく、「砂漠」の殺風景と「墓場」の冷たさに覆われた記事。
市民運動は、市民一人ひとりの正義感や怒りから出発する。NHKの報道姿勢は明らかにおかしい。政権に忖度したニュースや解説。現場のドキュメントに対する執行部や経営委員会からの介入・締めつけ。優秀で良心的な現場を、権力と一体となった経営陣が押さえつけているのだ。
市民運動が求めるNHK会長は、ジャーナリズムのなんたるかをよく理解している人物である。政権と意を通じた、政権お抱えの会長ではない。優秀なビジネスマンでもない。もちろん、安倍・菅政権から一本釣りされた経営委員のお気に入りでもない。
市民運動は、制度に囚われない。おかしな制度は徹底して批判する。そもそも、会長公選制でないことがおかしいのではないか。マグナカルタ以来の民主主義の基本は、「代表なくして課税なし」である。これは、「課税あるところには、代表選出の権利もなくてはならない」という主張なのだ。
NHKに受信料を支払っている公共放送の視聴者にとっては、「受信料支払いの強制あれば、当然に会長選出の権利もなくてはならない」のだ。放送法の制度を墨守すべきとする姿勢こそが、嗤うべき因循姑息。
市民運動には知恵がある。「前川喜平氏をNHK会長に推す署名活動」は、素晴らしい問題提起をした。多くの人が、政権から独立し得ていない現在のNHKの姿勢に不満を持っていることを明確にしたのだ。市民にとって、前川喜平こそは、政権からの独立を象徴する人物像である。これが、多くの視聴者から歓迎されるNHK会長のイメージなのだ。
NHK次期会長に選任された元日銀理事稲葉延雄は、その人物像を前川喜平と比較されることになる。権力への忖度の素振りは、徹底して批判される。「やっぱり政権ベッタリか」と言われることを気にせざるを得ない。われわれも、遠慮なく批判しよう。「前川なら、こういう態度はとらないだろう」と。
本日の毎日新聞が、「なるほドリ」の蘭で、NHK会長人事を以下のように解説している。『NHK会長、あるべき姿は? 求められる政治的中立 選考過程をオープンに』というタイトル。これを抜粋する。
Q 「あるべき会長像」ってあるのかな?
A リーダーシップはもちろんですが、政治的中立が求められます。放送法などで「公平・公正」「不偏不党」がうたわれているからです。稲葉さんも会長就任の記者会見で「公平・公正が大切」と強調していました。
Q なぜ公平・公正でなければならないの?
A NHKは全国各地や海外に拠点を持ち、その放送には大きな影響力があります。時の政権がNHKに圧力をかければ、国民の多様な意見を反映できなくなり、報道機関として国民の知る権利に応えられなくなるでしょう。2014年に就任した籾井勝人(もみいかつと)会長は、当時の安倍晋三(あべしんぞう)政権の肝(きも)いりで決まったといわれました。就任会見で「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」などと発言し、会長としての資質が問題視されました。
Q 会長を選ぶ過程で、今回は政権の動きはあったのかな?
A NHKの会長を決めるのは経営委員会なのですが、今回も政権の意向があったという指摘もあります。選考の過程をもっとオープンにすべきでしょうね。
もちろん、今回の会長選考過程で、政権の意向も動きも、大いにあった。経営委員会は、実際のところ何の選考も審議もしていないとも言われている。さて、政権丸抱えの新NHK会長、前川喜平と比較されて恥ずかしくない姿勢をとれるだろうか。