商業活動を行う者にとって、信用とはかけがえのない大切なものだ。商業の世界で、一度失った信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、愚かな人の性というもの。
江戸期の商道徳は信仰と結びついていたという。近江商人が真宗を信仰して、商業による自己の利益を顧客への奉仕による「御利益」と観念したことが広く知られている。彼らにとっては、日常の商業活動が菩薩行であって、顧客からの信用の保持は、経済的な打算よりは、むしろ信仰上の規範であったようだ。だから、老舗は近視眼的に判断を誤ることが少なかったと説かれる。
ジャーナリズムは権力に毅然としていなければならない。権力から独立しているとの社会的信用が、ジャーナリストにとってはかけがえのない財産である。「政府の公報担当」「権力の走狗」とレッテルを貼られて一度失った社会的信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、大切なジャーナリストとしての社会的信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、浅はかな御用新聞の性というもの。
ジャーナリストとは、本来が本能的な権力批判者である。ジャーナリストの倫理とは、在野、反権力に徹した精神である。権力者と一緒に寿司を食えるセンスの持ち主はジャーナリストを志望してはならない。日常の取材論評の活動の根底に健全な権力批判の精神のあることが、社会的信用の根源である。そのジャーナリスト・スピリットは、記者の内奥に沈淪する倫理であって、打算とは無縁なもの。だから、尊敬されるジャーナリストは、すべからくやせ我慢をしてでも権力批判に徹している。
今や、アベから「読売新聞をよく読んで」と言われ、政府の窮地を救うべく、忠犬役を買って出た読売である。「政府広報紙と堕した」「アベ政権の走狗となった」と言われて、社会的信用を失墜した。その読売が、腹心の友学園問題についての社説を書いている。一昨日(5月27日)のことだ。
タイトルは、「加計学園問題 『特区指定』の説明を丁寧に」というもの。このタイトルで、読売が記事を書けば、アベ政権の走狗となるべくシッポを振って、自社の紙面を大きく割いたスキャンダル記事をどう釈明しているかの興味しか湧かない。今後しばらくは、読売の記事は、読売とアベ政権との距離についてどう書いているかだけの関心しか持てない。信用回復は困難と言うよりは、もう無理ではないだろうか。
と思いつつ、我慢して社説を読んでみよう。読めば、どうしても、突っ込みをいれたくもなる。
「前次官が在職中の政策決定を公然と批判する。異例の事態である。政府には、疑念を払拭する努力が求められよう。」
前次官の私的スキャンダルを暴く記事を掲載して、前次官の内部告発(公益通報)を妨害し、政府の疑念払拭懈怠の姿勢を援護した読売ではないか。まずは、自らの襟をただして、その姿勢の反省から出発せよ。
「学校法人『加計学園』が愛媛県今治市に大学の獣医学部を新設する計画を巡って、前川喜平・前文部科学次官が記者会見し、早期の学部開設は『総理の意向』と記した文書について『確実に存在していた』と明言した。内閣府との協議を踏まえ、文科省の担当課が作成したという。」
当該の文書の受領者の証言なのだから、疑問の余地のないこと。さすがに、読売もこの点に疑義をはさむことができないようだ。
「疑問なのは、前川氏が国家戦略特区による獣医学部新設を『極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた』と批判したことだ。」
それだけではない。「職員は気の毒だ」「赤信号を青信号にさせられた」とも語っている。読売は、政権にとっての不都合を、すべからく「疑問」というわけだ。
「獣医師の需給見通しなどが十分に示されないまま内閣府に押し切られたとして、『行政のあり方がゆがめられた』とまで語った。これが事実なら、なぜ現役時代に声を上げなかったのか。」
読売さんよ、自分のこととしてお考えいただきたい。現役の読売記者が、公然と「当社は政府広報機関と堕した」「読売はアベ政権の走狗となった」「ジャーナリズムの倫理を失った」「クォリティペーパーとしての社会的信用を失墜した」と声を上げることができると考えられるか。
「規制改革を主導する内閣府と、業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁が対立することは、ままある。」
これが政権の構図。読売も、この件をそんな対立図式として見ているのが「権力の走狗」たる所以。もっと別の見方は、種々あり得る。また、仮に読売社説図式でものを見たとしても、「業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁」とは、この場合文科省ではなく、農水相であり厚労省であって、文科省ではない。
「問題は行政手続きの適正性であり、菅官房長官は『国家戦略特区法に基づく手続きを経た』と強調している。」
信じがたい愚論。「問題が行政手続きの適正性である」なら、その具体的な検証をすべきが大新聞の責務であろう。権力側の言い分だけを引用してこと足れりとしているその姿勢は、まさしく「政府広報紙」と呼ぶにふさわしい。
「与党は、野党による前川氏の証人喚問要求を拒んでいる。政府は文書の存在を否定し、文科省の再調査も必要ないとしているが、その主張はやや強引ではないか。野党は、安倍首相が長年の友人の加計学園理事長に利益誘導したのではないか、と追及する。官僚が忖度した可能性も指摘する。首相は、「学園からの依頼は一切ない」と述べ、加計学園の特別扱いはなかったと言明している。内閣府も、『総理の意向』との発言や、首相の指示を否定する。政府は、特区を指定した経緯や意義について、より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう。」
何と生温い。政権におもねって遠慮がちな、みっともない読売。一省の事務次官が、「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた」「行政のあり方がゆがめられた」と断定しているのだ。首相の腹心の友の私的な利益のために、行政がゆがめられたとの指摘が本質的な問題。これを「より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう」は、問題を説明の仕方、丁寧な説明の不十分にすり替えようという邪悪な魂胆。こんな社説でよかろうはずがない。
「今治市は2007年以来、特区指定申請を15回も却下された。民主党政権下の10年に「対応不可」から「実現に向けて検討」に格上げされ、16年に認められた。獣医学部は1966年を最後に新設が認められていない。獣医師の過剰を防ぐためだが、専門分野や地域で偏りがあり、開設を求める声も根強い。まず特区に限定した規制緩和は理解できよう。」
いや、理解できない。それは大新聞の言うべきことではない。新聞社の責任をもって「獣医師の専門分野や地域で偏りがある」のか否かを調査した後でなくては軽々に政権の肩をもった意見を述べるべきではない。
「規制緩和は安倍政権の重要政策であり、仮に首相が緩和の加速を指示しても問題はあるまい。」
とんでもない。問題大ありである。規制緩和一般を善とする無原則な姿勢こそ、権力にある者の利権や、政治の私物化の根源ではないか。
「野党は、首相の交友関係に焦点を当て、学校法人「森友学園」問題と関連づけている。しかし、獣医学部誘致は今治市が中心になって長年取り組んできた懸案だ。同列に論じるのは無理があろう。」
読売の正体見たり、である。今治市への獣医学部誘致は、安倍晋三という政治家の腹心の友の利益と一体であった。長年取り組んできてできなかった懸案が、国家戦略特区構想として突然に実現したからおかしいと言っているのだ。他の有力候補に優越して、どうして腹心の友学園だけに絞られたかも疑惑だらけ。
世は闇だ 赤は青なり 黒も白
読売の紙面凍てつく 寒さかな
やせがえる負けるな アベにもメデイアにも
(2017年5月29日)
昨日(5月27日)の公益財団法人第五福竜丸平和協会2017年度定時評議員会で、協会人事が大きく入れ替わった。協会の歴史にも反核運動にも、節目の時を感じる。
これまで長く代表理事を務めて、第五福竜丸の顔として知られた川崎昭一郎さん(千葉大名誉教授)が退任され、新たな代表理事に山本義彦さん(静岡大学名誉教授)が選任された。初代・三宅泰雄、2代・川崎昭一郎に続く、3代目の代表理事である。なお、川崎さんに代わる新理事として、高原孝生さん(明治学院大学教授)が選任された。
新理事会メンバーは以下のとおり。
・奥山修平(中央大学教授)
・川口重雄(高校教諭、丸山眞男手帖の会代表)
・坂野直子(日本青年館職員)
・高原孝生(明治学院大学教授・新任)
・山本義彦(静岡大学名誉教授・代表理事に)
理事だけでなく、評議員も大きく入れ替わった。浅見清秀(元都労連副議長)、岩佐幹三(被団協)、岩垂弘(元朝日新聞記者)、猿橋則之、高原孝生(理事に)の諸氏が退任して、新評議員会は以下のメンバーとなった。
・大石又七 (元第五福竜丸乗組員)
・桂川秀嗣 (東邦大学名誉教授・物理学者)
・岸田正博 (墨田山多聞寺住職)
・榛葉文枝 (元中学校教諭)
・日塔和彦 (文化財木造建造物修復)
・竹内 誠 (東京都生活協同組合連合会専務理事) (新任)
・長田三紀 (全国地域婦人団体連絡協議会事務局長)(新任)
・西原美香子(日本YWCA常務理事/総幹事) (新任)
・山田玲子 (東友会副会長、日本被団協中央相談所委員長)(新任)
・若林克俊(自治労東京元執行委員、東京平和運動センター副議長)(新任)
なお、私は浦野広明さんとともに、もう1期(任期4年)監事を務める。
会合のあと、新旧役員の懇談会があって、顧問の杉重彦さん、山村茂雄さんらも出席され、全員のスピーチがあった。大石又七さんも、やや不自由なお体で出席され、思いの丈を語られた。
岩垂弘さんのスピーチだけを紹介しておきたい。
ビキニ事件が世を震撼させた1954年3月、岩垂さんは高校を卒業して大学に入学直前の時期だった。入学早々の早稲田での集会で、当時の総評事務局長高野実の原水爆反対運動への呼びかけの演説が印象に深いという。そして、岩垂さんは、夢の島に捨てられた第五福竜丸を記者として取材することとなり、その契機から反核運動の報道に携わることとなった。
岩垂さんは、初代三宅泰雄さんの原水禁運動における功績を、次のように語った。
「当時の原水禁と原水協との組織的対立は、一緒に運動することができないなどというレベルではなかった。お互い同席もできないんですよ。両者の反目激しいなかで、唯一、第五福竜丸の運動だけが、両組織が共同して参加できるもので、それは三宅さんが心を砕いた結果だった。」
そして、「2代目川崎さんの時代は、三宅さんの築いた基礎の上に、順調に広く社会に第五福竜丸の保存・展示を中心とした反核平和運動を展開した時期だった。今、時代は移り、ビキニも第五福竜丸も知らないという若い人々が増えている。この時期に、これまでの遺産をどう活かすか。それが3代目・山本代表理事の課題となることでしょう。」
おそらくは、同席する人々の賛意を得たスピーチであったと思う。
同日の会合で配布された資料の中に、昨年(2016年)の「展示館開館40周年」を伝える幾つかの新聞報道のスクラップのコピーがある。いずれも、「開館以来40年間で、来場者総数は530万人になっている。」と、核実験の被害を伝えてきた意義を確認しつつも、朝日は、「だが、原水禁運動の起点になったビキニ事件を知らない世代が増え、最盛期には30万件を超えた年間来館者数も、東日本大震災発生後の2011年度に10万人を割り込むなど、下落傾向に歯止めがかからない」と辛口の報道。対して、東京新聞は、「来場者の4分の1は学校見学できた子どもたち。成人して子供を連れてくる人もいる。世代を超えて、記憶を継承する役割を果たしている」と明るい展望を描いている。もちろん、両面とも真実。現実を見つめつつ、反核・平和に寄与する運動を進めなければならない。なお、2016年度(16年4月1日?17年3月31日)の年間入館者数は10万人の大台を回復している。山本義彦新執行部の幸先は悪くない。
公益財団法人第五福竜丸平和協会の公式サイトのURLは以下のとおり。よろしくご協力、ご支援のほどを。
http://d5f.org/kyokai.html
(2017年5月28日)
醍醐聡さんから下記のご連絡をいただいた。
お知り合いの皆様へ
ここ数日、文部科学省の前川喜平・前事務次官の証言を機に加計学園問題をめぐって緊迫した政治状況になっています。
そうした中、私も参加する「森友問題の幕引きを許さない市民の会」主催で6月13日に次のようなシンポジウムを開きます。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-7be4.html
「森友・加計問題を考えるシンポジウム」
日 時 6月13日(火)14時30分?(14時から入館証渡し)
会 場 衆議院第一議員会館 大会議室(地下一階)
パネリスト 小川敏夫(民進党 参議院議員)
宮本岳志(日本共産党 衆議院議員)
杉浦ひとみ(弁護士)
青木 理(ジャーナリスト)
コーディネ?タ? 醍醐 聰(東京大学名誉教授)
主 催 森友問題の幕引きを許さない市民の会
資料代 500円
◆ご参加と広報にご協力ください
シンポジウムのチラシのURLは次のとおりです。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/LASTsin-moritomo210x297outlined.pdf
◆当日は早めにお出かけください
会場の収容人数は300人です。消防法の規制のため、入館証は300人分しか、発行されません。300人に達したところで受付は終了します。
参加くださる方は入館証渡しを始める時刻(14時)より早めに会場へお出かけください。
◆昭恵夫人らの証人喚問を求める署名の広報にご協力ください
今、こういう取り組みもやっています。
ツイッター、FACEBOOK、をお持ちの方は下記URLから、
リツイート、シェア、いいね、等で拡散していただけるようお願いします。
安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名(ツイッター)
https://twitter.com/toketusa98/status/867852029019832320/photo/1
安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名(FACEBOOK)
https://www.facebook.com/NHKhouiJikkoCOM/posts/552549888466533
諸々のサイト
・署名用紙のダウンロード: http://bit.ly/2qkwucT
・ネット署名のフォーム: http://bit.ly/2rdgyXe
・ネット署名/メッセージの集約状況の閲覧サイト: http://bit.ly/2r68HhH
よろしくお願いいたします。
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安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名運動、今日からスタート(2017年5月17日)
政府・与党は安倍夫妻が疑惑の中心にいる森友学園問題の幕引きを図ろうと執心しているが、逆に疑惑は深まる一方である。8億余円もの値引きの根拠として、地下9mのゴミの撤去費用が挙げられてきたが、工事業者自身、そのようなゴミの存在を確認していないと語っているし、籠池理事長も約3m以上、掘った覚えはないと証言している。国会でも、地下9mとは沖積期時代の地層であり、そのような地層にゴミが存在するはずがないという指摘もされている。
このような指摘に対し、安倍首相は悪意の「印象操作」と突き放すばかりで、疑惑を払しょくする答弁を全く行っていない。昭恵夫人に向けられた疑惑についても「妻は妻は」と無内容なはねつけを続け、夫人の証人喚問をかたくなに拒む一方で、野党を挑発するすり替え答弁を切れ目なく続けている。
しかし、昨日、今日の報道では疑惑は加計学園(岡山市内の学校法人)にも及んでいる。政府が国家戦略特区として同学園が新設を計画していた獣医学部を認定するにあたって、内閣府が文科省に対し、「安倍首相の意向だ」と伝えた文書があるという指摘が国会で出された。
このように安倍首相がらみの疑惑が深まり、広がるなか、各界の有志15人は連名で「安倍昭恵氏ほかの国会証人喚問を求める要望署名」の運動を企画し、準備が整った今日から、この署名運動をスタートさせた。署名用紙の全文は次のとおりである。
署名の第一次集約日 6月14日
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安倍昭恵氏ほかの国会証人喚問を求める要望署名
衆議院議長 大島理森 様
参議院議長 伊達忠一 様
呼びかけ人
池住義憲(元立教大学大学院特任教授)/太田啓子(弁護士)/丘修三(児童文学作家)/きどのりこ(児童文学作家)/小林和子(『週刊金曜日』編集長)/笹井明子(老人党リアルグループ「護憲+」管理人)/佐々木江利子(児童文学作家)/杉浦ひとみ(弁護士)/醍醐聰(東京大学名誉教授)/武井由起子(弁護士)/根本仁(元NHKディレクター)/藤田高景(村山談話を継承し発展させる会・理事長)/八木啓代(健全な法治国家のために声をあげる市民の会・代表)/湯山哲守(元京都大学教員・NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)/ 渡辺眞知子(キリスト者政治連盟)
森友学園問題に関するどの世論調査をみても回答者の7,8割が「政府の説明に納得できない」と答えています。その最大の理由は鑑定価格9億円余の国有地が約8億円も値引きされて森友学園に払い下げられた経過、根拠について政府が納得のいく説明をしていないことにあります。また、国有地払い下げの経過を記した公文書を廃棄したと繰り返す財務省理財局の答弁にも強い批判が向けられています。
さらに、時の総理大臣夫人・安倍昭恵氏が、教育勅語を礼賛するなど教育基本法の理念に反する教育を進める森友学園の小学院(2017年4月開校予定)の名誉校長に就任したことに批判が起こっています。また、昭恵氏が同夫人付きの政府職員を介して、問題の国有地の払い下げに深く関与していた疑惑も指摘されています。にもかかわらず、安倍夫人が沈黙を続けていることに批判が広がり、安倍夫人も籠池泰典氏と同じ条件で証人喚問を行うべきという意見が高まっています。
そこで私たちは、皆院議長に次のことを申し入れます。
申し入れ
安倍昭恵氏、迫田英典氏(前財務省理財局長)、武内良樹氏(前財務省近畿財務局長)、田村嘉啓氏(財務省国有財産審理室長)、松井一郎氏(大阪府知事)、酒井康生氏(森友学園元弁護士)をすみやかに国会に証人喚問し、国有地の格安売却など森友学園をめぐる一連の疑惑を徹底究明すること
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私たちは主権者だ。私たち一人ひとりの意思の集積が政治を形づくることになる。一人ひとりの意思は、表現しなければ無に等しい。権力の理不尽には、怒りの声を上げなければならない。総理の友人や支援者への利益供与という私利私欲政治を許してはならない。
政治家や政党にお任せでも、メディアにお任せでも、主権者としての責務は果たせない。声を上げよう。
「アベ友学園事件の疑惑は解明されていないではないか。このままでの幕引きは許さない。」「腹心の友学園事件の疑惑解明はこれからだ。徹底して明らかにせよ」「二つの事件は偶然のきっかけで発覚した。実は、アベ政権が隠し通している疑惑の事件は、もっともっとあるのではないか」「全ての政治過程、行政過程の透明性を確保せよ」。
集会への参加や、署名によって、主権者としての怒りを表明しよう。
(2017年5月27日)
前川喜平前文科省事務次官の肚をくくった発言に驚いた。驚いただけでなく、爽快感と感動をさえおぼえた。なんと言っても、つい先日までの事務次官である。腹心の友学園設立認可問題の当事者中の当事者。その人が決然と、ホイッスルを吹き鳴ならしたのだ。政権への衝撃は計り知れない。
人は、どこかで迷いを吹っ切って決断する。後戻りのできないことを覚悟で、ルビコンを渡るのだ。多くの場合、自分のプライドを守るために。一寸の虫にも五分の魂があることを、自分にも言い聞かせ、人にも知ってもらうために。
この人の場合も、黙っていれば安穏な立場。政権に不愉快なことを言えば首が寒くなることは百も承知で、危険を冒して敢えて言わねばならないことを言ってのけたのだ。その心意気やよし。拍手を送りたい気分。
誰もが知っている。組織の中の人間は、組織に縛られている。発言も行動も組織に制約される。官僚機構において、人事権を握られている立場であればなおさらのことだ。「辞めたあとではなく、在職中に言うべではなかったか」とは、ためにする愚論。そんなことができるはずもない。在職中に言ってみろ。炙り出されて、叩かれ踏みにじられて追い出されるのがオチとなる。
今にして思えば、この人が天下り問題で引責辞任したのは、日本国民にとっての僥倖だった。しかも、「8枚のレク文書」について、政権が怪文書扱いとし、文科大臣に「存在を確認できなかった」と言わせたことも。「あったものをなかったことにはできないということを申し上げたい。」と、発言を決断したのだから。これも、菅官房長官のお手柄であったと言ってよい。
今や前川発言は、文書の存在・真正の問題をはるかに飛び越え、たくまずしてアベ政権の醜悪な心臓部を射貫くことになった。アベ政権の醜悪とは、総理の腹心の友の利益のために、行政機構をあげての密室政治のことだ。行政の公平・公正が大きく歪められていることだ。それを外に漏らさぬように内部を締めつけ、秘密が漏れそうになるとスキャンダル情報を収集し御用メディアを使って個人攻撃をする。これを醜悪と言わずしてなんと言うべきか。
幾つかの感想があるが、最初に述べておきたいのは、毎日新聞西山記者事件の苦い経験を思い起こさねばならないということ。スキャンダル問題への論点ずらしの策略に乗せられてはならない。
報じられているこの人のスキャンダルが真実かどうか、どの程度のものかは知る由もない。それがどのようなものであってもこの際問題ではない。問題は、政権がスキャンダルをもちだして、論点ずらしをたくらんでいることなのだ。
論点の中心は、飽くまで行政の公平・公正が害されたことにある。前川発言は、「非常に行政のあり方として問題だ。きわめて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた。また公正公平であるべき行政のあり方がゆがめられたと認識している」「これ以上、行政のあり方をゆがめることがないようにしてほしい」と言っている。これが、腹心の友学園に大学設立認可を与えた文科省の事務方トップの言なのだ。
行政は公正公平なものでなければならない。しかもその過程が透明で、説明責任を全うするものでなくてはならない。いやしくも、総理の腹心の友に利益を供与するために行政がゆがめられてはならない。それだけではなく、行政の公正性に国民が信頼をおけるものでなくてはならない。疑惑を払拭できなければアウトなのだ。
「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。これは官邸の最高レベルが言っていること」「総理のご意向」「30年4月で決まったことだ、大前提である」。こんな文字が踊っている文書がホンモノだというのだ。納得できる根拠の説明あるまでは、疑惑を否定しえない。
「いったん設置が認可された大学は、国民から預かった税金から私学助成もしなければならない。したがって大学の認可はきちんと根拠をもって行わなければならない。」「獣医師の将来需要について、農水省に、きちんと見通しをたててもらわないといけない。文科省としては将来の人材需要についてきちんと見通してくれなければ、責任がもてないといい続けてきた。ところが農水省、厚労省も明確な見通しを示してくれなかった。その中で規制改革が行われた。獣医学部の新設について特例を認めるという結論が出てしまった。」
このことをもって、「行政のあり方として問題」「きわめて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた」「公正公平であるべき行政のあり方がゆがめられた」と言っているのだ。
「危険にして醜悪なるアベ政治」。もう、国民の手で舞台から降ろさねばならない、その潮時ではないか。
(2017年5月26日)
私は、歴史に記憶さるべき本日1925年3月7日のこの日、第50帝国議会通常会の衆議院本会議において、ただいま議題となりました治安維持法案について、賛成の立場から討論いたします。(拍手)
治安維持法案については、国民の一部から、とりわけ無産政党の諸君から、これは政府の恣意的な刑罰権の発動を許すことにつながる弾圧立法である、ひいては思想そのものを取り締まるもので近代刑法の原則を逸脱するなどという、いわれのない非難が浴びせられています。しかし、本法案は、国民の不安や懸念を払拭するのに十分な処罰範囲の限定と明確化が図られていることを、まずもって申し述べます。
まずは、構成要件が厳格に規定されている点です。
法案は、わずか7箇条。極めて簡明な条文となっています。その中心をなす第一条の条文を朗読いたします。
「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス」「前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス」極めて明確ではありませんか。
この構成要件における行為は、「結社を組織すること」または「情を知って結社に加入する」ことです。しかし、全ての結社が違法となり禁止されるはずはありません。本罪はこれを限定し、目的犯として「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的」とする結社のみが、違法とされるのです。「國体ヲ變革」しようという皇国臣民にあるまじき目的、また「私有財産制度ヲ否認」という唾棄すべき共産主義や無産主義者だけを処罰するものであることが、法文上明確に限定されています。畏れおおくも、皇室の尊厳を否定しようと言うがごとき、非国民や一部の極端な主義者だけが、処罰対象で、さらに、主義そのものを処罰するのではなく、「結社」や「加入」という外部に明らかな行為があって初めて処罰が可能となるのですから、内心の自由を害するのではないかとの懸念も払拭されております。このような何重もの限定により、これらの非国民集団との関わりを持たない一般の善良な国民が処罰されることはなく、まったく心配する必要のないことを強調しておきたいと思います。
次に、本法案が成立した際の運用面に関し申し述べます。
法案審議の中で、一般の方々が捜査の対象になるのではないかとの懸念が示されました。しかし、捜査は、任意捜査、強制捜査を問わず、「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トスル結社」の成員に限定されている以上、これとかかわりのない一般の方々に犯罪の嫌疑が発生する余地はなく、捜査の対象になることは考えられません。
また、本法案の成立により一億総監視社会になるとか、戦争に近づくとか、「政府の悪口も言えなくなる治安維持法」などといった批判、主張がありました。しかし、本法案は、手続法ではなく実体法の制定であって、治安維持法の成立は現在の捜査のあり方に何ら影響を与えるものでもありません。しかも、捜査機関が一億人を常時監視するのにどれはどのコストとマンパワーが必要になるのか。余りに非現実的な主張であります。
法的根拠に基づかないレッテル張りによって国民の不安をあおり、その自由な言動、活動を萎縮される暴挙を行っているのは一体誰なのか。一部の野党、とりわけ無産政党の諸君には猛省を促すものであります。
なお、ことさらに捜査機関が本法の濫用をするであろうという荒唐無稽な主張もありました。しかし、わが帝国は、法治国家であります。文明国でもあります。国体を変革することを目的とした結社を処罰すること以上に、その執行において拷問や司法手続を経ない身柄の拘束などする必要は毫もありません。
大日本帝国憲法によって、行政手続は法定され、大審院以下の司法制度も整い、臣民の自由と権利は憲法上保障されているではありませんか。立憲主義は、あまねく帝国に満ち、新聞や雑誌、あるいはラジオなどの報道機関の監視が行き届いている現在、捜査機関の権限の濫用の問題が生じる可能性は皆無です。不見識きわまりない主張であると断じざるを得ません。
原案のとおり、すみやかなる法の成立を求めるものであります。
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第193通常国会 衆院本会議2017年5月23日における共謀罪法案賛成討論
公明党の吉田宣弘です。
私は、ただいま議題となりました組織的犯罪処罰法改正案、いわゆるテロ等準備罪処罰法案並びに自由民主党、公明党及び日本維新の会の共同提出による修正案について、賛成の立場から討論いたします。(拍手)
テロ等準備法案は、国民の不安や懸念を払拭するのに十分な処罰範囲の限定と明確化が図られていることを申し述べます。
一点目は、構成要件が厳格に規定されている点です。
まず、犯罪主体を、重大な犯罪の実行を結合の目的とする組織的犯罪集団に法文で明確に限定しています。そして、行為は、具体的、現実的な計画と、それに基づく準備行為を必要としています。
この三重の限定により、組織的犯罪集団とのかかわりのない一般の方々が処罰されることはなく、従前政府が提出した共謀罪に対し示された、内心の自由を害するのではないかとの懸念も払拭されております。
ニ点目は、本法案は、我が党の意見も踏まえ、対象犯罪を、六百七十六から、組織的犯罪集団が関与することが現実的に想定される二百七十七の罪に限定されている点です。
次に、本法案の運用面に関し申し述べます。
法案審議の中で、一般の方々が捜査の対象になるのではないかとの懸念が示されました。しかし、捜査は、任意捜査、強制捜査を問わず、組織的犯罪集団に限定されている以上、これとかかわりのない一般の方々に犯罪の嫌疑が発生する余地はなく、捜査の対象になることは考えられません。
また、本法案の成立により一億総監視社会になるとか、LINEもできない共謀罪などといった批判、主張がありました。しかし、テロ等準備罪は通信傍受洗の対象犯罪ではなく、LINEやメールが本罪の嫌疑を理由に傍受されることはありません。また、本法案は、手続法ではなく実体法の改正であって、テロ等準備罪の新設は現在の捜査のあり方に何ら影響を与えるものでもありません。しかも、捜査機関が一億人を常時監視するのにどれはどのコストとマンパワーが必要になるのか。余りに非現実的な主張であります。
法的根拠に基づかないレッテル張りによって国民の不安をあおり、その自由な言動、活動を萎縮される暴挙を行っているのは一体誰なのか。一部の野党諸君には猛省を促すものであります。
なお、本法案を治安維持法と同視するような荒唐無稽な主張もありました。しかし、治安維持法は、国体を変革することを目的とした結社を処罰し、その執行において拷問や司法手続を経ない拘束までもが行われた悪法です。本法案とぞの内容が根本的に異なります。しかも、治安維持法の問題は、旧憲法下での制度、戦時体制が前提となっています。成熟した民主主義と司法手続、マスコミ等により監視が行き届いている現在、治安維持法と同様の問題が生じる可能性は皆無です。不見識きわまりない主張であると断じざるを得ません。
よって、すみやかなる法の成立を求めるものであります。
(2017年5月25日)
3月21日に上程され、ズタボロになりながら5月23日衆院を通過した共謀罪法案。数の力でゴリ押ししようという「保守ブロック(アベ政権+自民・公明・維新)」と、人権や民主主義の理念でこれを廃案に追い込もうという「野党(民進・共産・自由・社民)+市民」勢力のせめぎあいが続く。その舞台は、参議院だけではない。街頭も、メディアも、市民の会話も、メールもブログも闘いの場だ。
その緊迫の事態に、廃案を求める勢力に思いがけなくも強力な助っ人が登場した。国連の看板を背負った助っ人である。政府や与党には、面白くないこと甚だしい。何しろ、法案推進の錦の御旗が「国連の条約批准のために必要」というものだった。正式に国連から任命された人の「共謀罪法案への懸念の表明」は、大きな打撃だ。世論にも、大きな影響を及ぼすことが必至である。しかも、菅官房長官が、余計な反発をして、ことを大きくした。形勢に逆転を及ぼしかねない。
衆院法務委員会強行採決の前日となる5月18日のこと、国連プライバシー権に関する特別報告者であるジョセフ・ケナタッチが、共謀罪(政府の言う「テロ等準備罪」)法案に関する書簡を安倍首相宛てに送付するとともに、これを国連のウェブサイトで公表した。書簡の内容は、「共謀罪法案は、プライバシー権と表現の自由を制約するおそれがあるとして深刻な懸念を表明する」という内容。
その書簡の全文(英文)は次のURLで閲覧できる。
http://www.ohchr.org/Documents/Issues/Privacy/OL_JPN.pdf
国連の特別報告者とは何者か。国連人権理事会に任命されて、特定の個別テーマまたは個々の国について、調査のうえ報告義務を負い、人権に関する助言を行う独立した人権問題専門家であるという。
国連広報センターのホームページ(下記URL・日本語)では次のように解説されている。
http://www.unic.or.jp/activities/humanrights/hr_bodies/special_procedures/
特別報告者と作業部会
人権に関する特別報告者と作業部会は人権擁護の最前線に立つ。人権侵害を調査し、「特別手続き」に従って個々のケースや緊急事態に介入する。人権専門家は独立している。個人の資格で務め、任期は最高6年であるが、報酬は受けない。そうした専門家の数は年々増えている。2013年4月現在、36件のテーマ別、13件の国別の特別手続きの任務があった。
人権理事会と国連総会へ宛てた報告書を作成するに当たって、これらの専門家は個人からの苦情やNGOからの情報も含め、信頼にたるあらゆる情報を利用する。また、最高のレベルで政府に仲裁を求める「緊急行動手続き」を実施する。多くの調査は現地で行われる。当局と被害者の双方に会い、現場での証拠を集める。報告は公表され、それによって人権侵害が広く報じられ、かつ人権擁護に対する政府の責任が強調されることになる。
これらの専門家は、特定の国における人権状況や世界的な人権侵害について調査し、監視し、公表する。
ケナタッチはマルタ出身の研究者(マルタ大教授)で、プライバシーの権利に関する特別報告者。2015年に国連人権理事会により任命されたという。「プライバシーの権利」は、「世界人権宣言」12条と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(「自由権規約」)17条で定義されており、国連人権理事会に報告する任務(マンデート)を果たす立場にある。
その人権専門家である国連特別報告者の書簡が、「法案はプライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と言ったのだ。「対象となる犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係なものも含まれる可能性がある」とした。さらに具体的に、法案の「計画」や「準備行為」、「組織的犯罪集団」の文言があいまいで、恣意的な適用のおそれがあること、対象となる277の犯罪が広範に過ぎ、テロリズムや組織犯罪と無関係の犯罪を多く含んでいることも指摘し、いかなる行為が処罰の対象となるかが不明確で刑罰法規の明確性の原則に照らして問題があると詳細に言及している。当然に影響は大きい。
これに対して、菅義偉官房長官は精一杯の不快感を表明した。5月22日の記者会見で、「政府が直接説明する機会を得られることもなく、公開書簡の形で一方的に発出された。内容は明らかに不適切なものであり、強く抗議した」「特別報告者は国連の立場を反映するものではない」。また、「法案は、187の国・地域が締結する条約締結のために必要な国内法整備であって、プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約するとして恣意的運用がなされるということは全くあたらない」と反論。外務省を通じて国連に抗議したことも明らかにしている。さて、この記者会見、国連を背負った特別報告者の意見への反応としていかがなものか。
この菅の抗議に対する特別報告者の反論が、待ち構えていたように素早い。その内容が23日に公表されている。報道では、民進党か抗議書を入手して発表したという。本日(5月24日)の赤旗が、次のとおりに内容を要領よく要約している。
日本政府の抗議への反論(要旨)
▽私の書簡は、日本政府が、提案された諸施策を十分に検討することができるように十分な期間の公的議論を経ることなく、法案を早急に成立させることを愚かにも決定したという状況においては、完全に適切なものだ。
▽私が(5月18日に)日本政府から受け取った「強い抗議」は、ただ怒りの言葉が並べられているだけで、全く中身はなかった。その抗議は、私の書簡の実質的内容について、一つの点においても反論するものでもなかった。
▽日本政府は、これまでの間、実質的な反論や訂正を含むものを何一つ送付して来ることができなかった。いずれかの事実について訂正を余儀なくされるまで、私は、安倍首相に向けて書いた書簡のすべての単語、ピリオド、コンマにいたるまで維持し続ける。日本政府がこのような手段で行動し、これだけ拙速に深刻な欠陥のある法案を押し通すことを正当化することは絶対にできない。
▽日本政府は、2020年の東京オリンピックに向けてTОC条約を批准するためにこの法案が必要だと主張する。しかし、このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護措置のない法案の成立を何ら正当化するものではない。
5月18日付ケナタッチ書簡は、威儀を正した公式文書である。このときには、「懸念」が述べられていたに過ぎない。しかし、23日付反論では、日本政府の姿勢に「腹に据えかねる」という「怒り」が滲み出ている。同時に、けっして引かないという決意も読み取れる。このように特別報告者の決意を固めさせたのは、ひとえに菅官房長官の手柄だ。
日本政府はこれまで共謀罪制定の根拠として国連のTOC条約批准のためとしてきた。同じ国連の人権理事会が任命した特別報告者という専門家から、「日本政府は、2020年の東京オリンピックに向けてTОC条約を批准するためにこの法案が必要だと主張する。しかし、このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護措置のない法案の成立を何ら正当化するものではない。」と、真っ向から批判されたことの意味は大きい。
事態は、ゴリ押し勢力にとっても極めて深刻である。参院は、ケナタッチ報告者を招いて、TОC条約批准にこの法案が必要か否かの意見を聞いてみてはどうだろうか。
いずれにせよ、せめぎあいの力学に小さからぬ変化が生じた。国会内だけを見れば、廃案を求める勢力の議席は少数である。しかし、国会外の世論はけっして廃案派が少数ではない。さらに国連に代表される世界の良識は廃案派の味方なのだ。世界の良識、国会外の世論の動向が、国会内に影響をもたらさぬはずはない。このせめぎあいは、まだまだ続く。帰趨はまだ見えてこない。
(2017年5月24日)
本日(5月23日)夕刻、仕事を切り上げて国会前に駆けつけた。5時少し過ぎころだったが、衆議院の本会議は既に終わっていた。共謀罪法案は、自民・公明・維新の保守3党の数の力で、衆議院を通過した。4野党は、論戦に力を尽くしたと思う。しかし、衆寡敵せず、数の力に押し切られた。この数の力を、自民・公明・維新の非立憲・非民主3党に与えたのは、国民自身だ。
本来、民主主義とは多数決主義ではない。討議によって国民に利益をもたらす政策を見いだし合意して決定するプロセスである。言うまでもなく、重要なのは審議時間ではなく、よりよい政策に到達すべき議論の深まりこそが重要だ。
国民の自由にかくも危険きわまる法案である。討議を通じて、その欠陥が炙り出されつつあった。当然に廃案になるか、大きく修正されるべきことが明らかとなってきていたではないか。277罪の共謀罪を作ろうという法案。1罪について4時間の議論を重ねれば1000時間が必要だ。30時間では、ようやく議論が緒に就いたばかり。熟議にはほど遠い醜態をさらしての審議打ち切りと採決の強行。
自・公・維の思惑は、「この欠陥法案は審議を重ねるほどにボロが出る。日が経つに連れ反対世論が大きくなるのだから、無理は承知で早めに審議を打ち切って成立させるに越したことはない。国民がこの法案の危険性を見抜いて、大きな反対運動が盛りあがらないうちに」というもの。そのよこしまな思惑を潰しきることができない。これが、私たちの国の民主主義成熟度の現状なのだ。
もちろん、共謀罪法案(組織犯罪処罰法改正案)は衆院を通過しただけで、まだゴールは先のことだ。ようやく、法案の危険性は国民の間に浸透しつつある。メディアも本格的な報道や論評をするようになってきた。
これまで、「テロ等準備罪」という、取って付けた法案名の印象操作が功を奏してきたのがもどかしい。「テロ制圧のためなら、多少の人権制約に行き過ぎがあっても、やむをえないじゃないか」「テロ対策は、屋上屋を重ねてもよいじゃないか」「安全のためだ。自由だの人権だのと言っておられないのでは」という、気分がありはしないか。
しかし、この法案はテロ対策を目的としたものではない。テロ防止に役に立たない。もともとは、TOC条約(パレルモ条約)の締結に必要という政府の説明だった。同条約は、マフィアやヤクザという組織暴力に対する経済面からの封殺を目的とするもので、政治的テロの予防や制圧を目的とするものではない。
しかも、277もの犯罪について実行行為着手以前の「共謀」の段階で摘発しようという無茶な法律を作ろうというのだ。犯罪の実行行為がないのに処罰の対象となるのだから、「内心を処罰する悪法」と言われ、刑罰権の恣意的な発動に道を開くことになる。何が国民に禁止される行為で、何が自由になしうる行為なのかの境界が不明なる。権力は、その恣意でどんな行為も摘発しうることになる。暗い監視社会が到来しかねない。
その指摘に、政権の側はこう反論する。「それは杞憂だ。この法は、『テロリズム集団その他の組織的犯罪集団』の活動として行われる行為だけを処罰するもので、「一般人が捜査の対象になることはない」。これに欺されてはならない。
そもそも、「一般人」とは何だ。定義なしに「一般人が捜査の対象になることはない」ということはまったく無意味である。刑法は、殺人・窃盗・詐欺・放火等々の犯罪行為を定める。「犯罪を犯す者は、一般人ではない」と言えば、「全ての刑事法の全ての犯罪は、犯罪者だけを対象とするもので、一般人を対象とするものではない」ことになる。
むしろ政権は、特定のグループに属する人々を念頭において、それに属しない人々を「一般人」と言っているとの疑念を払拭できない。政権の頭の中では、国民が二分されている。処罰対象の「組織的犯罪集団たりうる、特定グループ」とそれ以外の「一般人」に。『テロリズム集団その他の組織的犯罪集団』の定義は極めて曖昧なのだ。だから、「特定のグループ」は、法の運用次第、どのようにでも構想できることになる。
1925年成立の治安維持法においては、「特定のグループ」は、法文に書きこまれていたわけではないが、明らかに共産党であった。つまり、「この法律は、共産党だけに適用します。それ以外の『一般人』が捜査の対象になることはない」「だから、『一般の方』が案ずるには及ばない」としての立法だった。
しかし、治安維持法がその後大きく育ち、共産党だけではなく、社会民主主義者にも、労働運動にも、在日の民族独立運動にも、平和運動にも、報道の自由にも、教育運動にも、宗教家にも弁護士にも、猛威を振るったことは周知の歴史的事実。「特定のグループ」は限りなく肥大し、「一般人」は限りなくその範囲を狭めていったのだ。
歴史的教訓として確認しなければならないことは、弾圧立法の下において、国民はけっして「自分は一般人の範疇」として安閑としてはおられないということなのだ。それは、特定の人の自由を見殺しにするにとどまらず、自分が享有するものでもある自由一般を失うことにつながる。共謀罪法案とは極めて曖昧な構成要件で、日常行為が広く犯罪として摘発される危険性をもつことにある。まずは、「特定グループ」がターゲットになるのではあろうが、やがては誰をも、摘発の対象にしかねないのだ。
これからが、反対運動の本番だ。私も非力ながら、できるだけのことをしなければならない。あとになって悔やむよりは、今の苦労を選ぶべきなのだから。
(2017年5月23日)
本日昼過ぎ、いつものように性能の悪いラジオのスイッチを入れた。いつにもまして、受信状態がよくない。雑音に紛れて聞き取りにくいニュースが流れてきた。思いがけない内容だったが、私の耳にはこう聞こえた。
『学校法人森友学園の小学校敷地とするための国有地売買契約、および、学校法人加計学園による岡山理科大学獣医学部設立認可申請に対する認可に関して、政治家としての口利きがあったとしてあっせん利得罪に問われていた現職総理大臣に、本日東京地方裁判所は執行猶予付きの有罪判決を言い渡しました。
公訴事実は、「同被告人が国会議員として、請託を受けて政治家の権限に基づく影響力を行使して、公務員の職務上の行為をさせるようにあっせんし、国有地売買において破格の廉価による売買を成立させるよう、また腹心の友と呼ぶ知人が経営する学校法人が他の有力候補を除外して設立認可に至るよう、公務員に働きかけ、そのことに関する報酬として財産上の利益を受けた」というものです。
同被告は、「請託を受けたことも、政治家としての権限に基づく影響力を行使したことも、あっせん(口利き)をしたことも、報酬を受けたこともない」と、全面的に争って無罪を主張していましたが、判決は、「具体的客観的な経過を見れば、余りに不自然で不合理な結果が生じており、事実を隠蔽しようと画策していたこととも相まって、関係各公務員が被告人の指示や了承を得ないでことを進めたとは到底考えられない。被告人の弁明は信用できない」と斥けました。
その上で、「事案は民主主義の根幹である行政の公正さに大きな疑念を抱かせたもので、被告人は行政の最高責任者としての自覚を欠いたことにおいて厳しい非難を免れない」と指摘しました。
判決言い渡し後記者会見を開いた同被告と弁護人は、「納得のできない思い込み判決。到底承服できない。直ちに控訴して徹底して争う」と控訴の意向を明らかにしています。』
後ほど、私の聞き間違えだったことに気がついた。あのニュースは、現職総理に関連したものではなく、田母神俊雄有罪判決の報道だった。認知バイアスの作用が、私にとって望ましいように聞き間違えをさせたのだ。
実際のニュースは、次のとおりだ。
「2014年の東京都知事選挙で、運動員に報酬を渡した罪に問われた田母神俊雄元航空幕僚長(航空自衛隊トップ)に対し、本日(5月22日)東京地方裁判所は無罪の主張を退け、執行猶予のついた懲役1年10か月の有罪判決を言い渡した。
田母神被告は無罪を主張していたが、家令和典裁判長は、陣営の元幹部2人との共謀を認定。「買収を了承するだけでなく、増額も指示しており、役割は小さくない。公職の立候補者としての自覚を欠き、厳しい非難を免れない」と述べた。
判決によると、田母神被告は、陣営の元出納責任者・鈴木新(有罪確定)と共謀し、都知事選後の14年3月中旬、元選対事務局長の島本順光被告(公判中)に選挙運動を統括した報酬として現金200万円を提供。同年3月中旬?5月8日には、島本被告や元出納責任者と共謀し、運動員5人に計280万円を渡した。動いたカネは、合計480万円である。なお、金を受けとった側の運動員も全員起訴されている。要求したわけではなく、「ご苦労様」とねぎらわれて渡された金。これを受けとったがゆえの犯罪。災難と言えば、この上ない災難ではあろう。
田母神は、「現金を配ることを了承したり、指示したりしたことは一切なかった」として無罪を主張したが、判決は「報酬一覧を記載した書類に(田母神被告を指す)『会長指示』とあり、島本被告が指示や了承を得ないことは考えられない。被告自身の供述も一貫しておらず、信用できない」と斥けた。その上で「民主主義の根幹である選挙の公正さに大きな疑念を抱かせた」と指摘した。
田母神は閉廷後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。
「非常に残念な判決。私は絶対に共謀などしていない。やってもいないことで有罪にされたのではかなわんな、というのが正直な気持ち。公正な裁判がなされたのか疑問がある」と納得できない様子で語った。控訴については「控訴する方向で考えているが、今後、(弁護人らと)相談して最終的に決めたい」とした。
政治とカネ、選挙とカネについての貴重な教訓を提供する事件。確認しておこう。選挙運動は飽くまで無償が原則。運動員に現金を渡せば、公職選挙法違反の運動員買収の罪に問われる。金をもらった運動員も犯罪者となる。似たような話は身近にいくつもある。
田母神が有罪となった罰条は、運動員買収である。条文を抜粋すれば以下のとおり。
「公職選挙法第221条
次に掲げる行為をした者は、3年(候補者がした場合は4年)以下の懲役若しくは禁錮又は50万円(100万円)以下の罰金に処する。
一 当選を得、若しくは得しめ又は得しめない目的をもって、選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益の供与、その供与の申込み若しくは約束をしたとき。」
公選法上の買収には2種類ある。選挙人買収と運動員買収である。選挙人(有権者)を買収することは、直接に票をカネで買うことだ。運動員の買収とは票を集める人を買収すること、間接的にカネで票を買うことにほかならない。選挙運動は無償が大原則なのだから、選挙運動員にカネを渡してはならない。カネを渡せば運動員買収罪が成立する。受けとった運動員も処罰対象となる。買収だけでなく供応も同じだ。今どき、選挙人買収は滅多にない。ほとんどが運動員買収事案である。
選挙運動は、判例において「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」と定義されている。選挙運動は飽くまで、自発的な意思によって行われるべきもので報酬があってはならない。もっとも選挙運動には当たらない純粋な労務の提供や事務作業者に対しては、予め届け出た者に限って決められた範囲の額の対価を支払うことができる。気をつけなければならないのは、たとえ労務者として届出があっても、単純労務の提供の範囲を超えて「選挙運動をした者」となれば報酬を支払ってはならないということだ。
私は、2013年の暮れから14年の1月にかけて、連続33日間「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズを書き続けた。その中で、12年暮れの都知事選における宇都宮陣営の田母神案件類似問題について、詳細に報告した。
金額の大小の差はあれども、宇都宮選対事務局長と選対本部長とは、田母神陣営と似たことをしている。その報告は、下記のURLでお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6
あらためて当時のことを思い出す。本日の田母神有罪判決は、私の、宇都宮陣営における運動員買収の指摘が杞憂でなかったことを裏付けるもの。再度しっかりと確認しておきたい。選挙運動は飽くまで無償でやることなのだ、と。
田母神陣営は選対ぐるみの選挙違反として摘発され、訴追は徹底したものとなった。起訴されたものは合計10名に及ぶ。
田母神俊雄(候補者) 逮捕後起訴
島本順光(選対事務局長) 逮捕後起訴
鈴木新(会計責任者) 在宅起訴
運動員・6名 在宅起訴
ウグイス嬢・女性 略式起訴
ウイキペディアからの孫引きだが、以下は田母神出馬についての賛同者リストからの抜粋である。アベ政治の応援団とほとんど重なっている。アベ・コア人脈と言ってもよいのではないか。それでいて、なお、これだけの訴追の徹底なのだ。
政治家
石原慎太郎(元東京都知事)
土屋敬之(元東京都議会議員)
中山成彬(日本維新の会衆議院議員)
西村眞悟(無所属衆議院議員)
平沼赳夫(日本維新の会衆議院議員)
三宅博(日本維新の会衆議院議員)
松田学(日本維新の会衆議院議員)
大学教員
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
西部邁(元・東京大学教授)
藤岡信勝(元・東京大学教授、元・拓殖大学教授)
中西輝政(京都大学名誉教授)
荒木和博(拓殖大学教授)
小田村四郎(拓殖大学元総長)
関岡英之(拓殖大学客員教授)
石平(拓殖大学客員教授・評論家)
杉原誠四郎(武蔵野大学教授・新しい歴史教科書をつくる会会長)
西尾幹二(電気通信大学名誉教授)
渡部昇一(上智大学名誉教授・故人)
実業家
中條高徳(アサヒビール名誉顧問、日本会議代表委員)
水島総(日本文化チャンネル桜元社長)
元谷外志雄(アパグループ代表)
評論家・芸能人など
加瀬英明(外交評論家)
クライン孝子(作家)
デヴィ・スカルノ(スカルノ元大統領第3夫人)
すぎやまこういち(作曲家・日本作編曲家協会常任理事)
西村幸祐(評論家)
百田尚樹(作家)
三橋貴明(経済評論家)
上念司(経済評論家)
選挙運動に参加する者は、無償が大原則であることをわきまえよう。常に心掛けねばならない。選対本部長や事務局長から「ごくろうさまです」とカネを差し出されても、迂闊にもらってはならない。犯罪として立件される虞のある危険な事態だと心得なければならない。
(2017年5月22日)
昨今おおはやりの「忖度」。またまた出てきた。今度は新バージョンだ。しかも、憲法問題として、事態は重大である。
アベ友学園事件でも、腹心の友学園事件でも、「忖度」されたとする意向の当人は、「忖度あったとの疑惑は迷惑、忖度されるような意向は断じてなかった」という否定の文脈で語っている。ところが今度は、「どうして私の意向を忖度してくれないのか」「もっと忖度あってしかるべきではないか」という文脈の語り口なのだ。これが、「新バージョン」という所以。
本日(5月21日)の毎日新聞トップ記事。「陛下・公務否定に衝撃」という大見出し。サブの見出しを拾ってみると、「有識者会議での『祈るだけでよい』」「『一代限り』に不満」そして、「『象徴』実践と不可分」「陛下の祈り 全身全霊」などというもの。
なお、デジタル版の報道には、「宮内庁幹部『生き方否定』」という見出しもつけられている。
「宮内庁幹部は、有識者会議での保守派メンバーによる『祈るだけでよい』という発言に、天皇は『生き方を否定』されたと衝撃を受けている、と語っている」という文脈。
この記事、記者の署名がはいってはいるが、単なる報道ではない。内容からみて、社説に準ずる新聞社の意見と見てよかろう。その姿勢、看過し得ない。大いに問題ではないか。
記事は、一面と三面にまたがっている。三面の記事は「皇室考」という続き物の第1回という体裁。毎日新聞の、天皇の「ご意向」への忖度であふれた内容。その中に、天皇の「世間は、どうして私の意向を十分に忖度してくれないのか」との嘆きが、ことこまかく書き連ねられ、毎日が賛意を表している。さながら、不遇の天皇を支える「忠臣メディア・毎日新聞」という趣である。
一面・トップの記事を引用しておきたい。
『天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。(中略)
陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。』
********************************************************
事実関係がこの記事のとおりであるとすれば、問題はすこぶる大きい。天皇は自分の意向が法の整備に反映されて当然と考えているようなのだ。忖度不十分との不満を言える立場と思い込んでいるだけでなく、実際に宮内庁幹部(ないし「関係者」)を通じて内閣に不満を伝えている。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とまで、メディアにリークもしている。これは天皇の越権、というよりは叛乱というべきではないか。
私は、平川祐弘も渡部昇一も、虫酸が走るほどに大嫌いだ。しかし、平川も渡部も主権者たる国民の一人として、天皇制や天皇のあり方についてはどのようにも意見を述べる権利がある。国民の誰もがその意見に賛否を示し批判し反論する自由をもつが、天皇にだけはその自由がない。天皇は、国民の総意に基づいて存在する。天皇のあり方は、天皇制の廃止を含めて、すべて国民の議論にゆだねられていることを自覚しなければならない。天皇の立場で、「不満だ」「失礼だ」と言ってはならない。
もっとも、毎日のスタンスについては、原則論からではない別の角度から忖度することが可能だ。
毎日は、現天皇を護憲リベラル派の一員と見て、改憲右翼勢力の先頭にあるアベ政権と対峙させる図式を描いている。平川や渡部は、アベ政権の手先との位置づけで、その意見が批判されているのだ。
所詮天皇とは、政治の道具。幕末の西南雄藩連合と幕府方との拮抗の中で、「玉」と言われた天皇の取り込み合戦が行われた。たまたまそれに勝って、「玉」を手にした方が、「官軍」となったに過ぎない。そう考えれば、いま、リベラルな天皇という「玉」を最大限活用して、アベ改憲勢力に対峙しようとする合理性は納得できなくもない。
毎日は、この政治的プラグマティズムの視点や実践を意識的に貫いているのかも知れない。しかし、天皇制とは、そもそも民主主義にはなじまない危険物である。取り扱いはすこぶる難しい。取り扱いを誤れば、制御しきれず暴走し暴発しかねない。私は、詭道を衒わず、原則論に徹すべきだと思う。
(2017年5月21日)
なんとなく、ネットを検索していたら、「内田樹 私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』編集部)という記事にぶつかってギョッとした。アップされた日付は、2017年5月3日とされている。これまで、気付かなかった。
内田樹については、よく知っているわけではない。しかし、悪い印象はもっていなかった。リベラルな陣営にある人との思い込みは強く、また、滑らかなよく練れた文章を書く人とも思っていた。その人が、「私が天皇主義者になったわけ」を語ろうと言うのだ。もっとも、このタイトルが内田自身のものか、それとも『月刊日本』編集部が付けたものなのかはよく分からない。
かたちは、『月刊日本』編集部のインタビュー記事である。総合タイトルが、「天皇陛下の『おことば』を受けて」というもののようだ。天皇の「8月8日メッセージ」を素材に、「弊誌としては、各界の識者にお話をうかがい、そもそも日本にとって天皇とは何かということを議論していきたいと考えています。」という企画。
「弊誌5月号に掲載した、神戸女学院大学名誉教授で思想家である内田樹氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は5月号をご覧ください。」とのイントロで、内田は、次のように語っている。ややながいが、全文を引用する。
象徴天皇の本務は「慰霊」と「慰藉」である
昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてこられました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。
「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。
ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの「慰藉」とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。
死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。
憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。
憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。
けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。
「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。
「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。
天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはその意味においてです。……
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内田樹に聞いてみたい。
あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきだというのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っておいでなのか。
象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。
上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。
内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇には、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。
象徴天皇とは何か。一言で分かりやすく言えば、ロボットなのだ。AI時代のロボットではなく、カレル・チャペックが造語した当時のイメージのままのロボット。戦争の惨禍をもたらした戦前の体制への反省の一端として、天皇をなんの権限も権能ももたず、内閣の助言と承認でのみ動く機関と定めたのだ。
戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。
「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」
この「天皇≒ロボット」説が、表現はともかく、憲法体系を整合的に考察しての通説。ごく当たり前の考え方。内田のように、天皇自身に憲法を自分流に解釈して行動する余地を認めたのでは、「まさに憲法の意味するところ」を没却することになる。内田説は、天皇に絶対の禁じ手を称揚するもの。贔屓の引き倒しというほかはない。
戦前の右翼は、美濃部達吉の「天皇機関説」を不敬として攻撃した。戦後は、さすがに宮沢の「天皇≒ロボット」説を不敬と攻撃する声は聞かない。代わって、内田流の「天皇非ロボット説」、あるいは天皇自身の憲法新解釈褒めそやし説が登場しているのだ。天皇批判を封じる効果をねらう点において、戦前右翼と内田説とは変わるところがない。
ことは、靖国問題として論じられてきたものとよく似ている。内田は、述べている「憲法第7条には、天皇の国事行為として、…最後に『儀式を行うこと』とあります。陛下はこの『儀式』が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。」
既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に則って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。
いたずらに、些末な形式論をあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威を付してはならないのだ。
日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。
(2017月5月20日)