澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「文明社会とは価値観を共有し得ない」櫻井よしこの改憲論

日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、翌47年5月3日に施行となった。本日は69回目の日本国憲法施行の記念日である。

かつては、政府が憲法記念の祝賀行事を主催した。いま政府の祝賀行事は皆無である。昨今はそれどころではない。憲法擁護義務を負う首相自身が「憲法改正」への積極意欲を口にしてはばからない。政府・与党による憲法と立憲主義攻撃の中で、緊張した雰囲気に包まれた憲法記念日となっている。

日本国憲法は保守政権にとっての厄介者である。アベ政権に至っては天敵扱いである。当然に、この軛から逃れたいという衝動をもっている。

しかし国家権力にとっての憲法とは、常にいやいやながらも従わざるを得ないもの。押しつけられたものだ。戦後連綿と続いてきた保守政権にとって、かつては戦勝国から押しつけられたものではあろうが、いま、アメリカからの憲法遵守要求の圧力はない。代わって国民が、政権に憲法を押しつけている構図となっている。国民の意思や運動が、政権に改憲を許さず、憲法理念の遵守要求圧力となっているのだ。

政権に憲法を押しつけているもの。「むかしGHQ、いま国民」ではないか。日本国憲法は、政権から嫌われたが故に、国民のものになってきたのだ。政権から歓迎される憲法では、存在価値はない。政権から疎まれ、嫌われる憲法であってこそ存在の意味がある。アベ政権から疎まれ、国民から大切にされる憲法。改憲の攻撃を受けつつ、これとせめぎ合い、守り抜く運動の中の憲法。緊張感の中ではあるが、こうして日本国民は日本国憲法を血肉化しているのだと実感する。

69回目の憲法記念日で、政府に代わって憲法攻撃を広言しているのが右翼勢力。

「東京・平河町の砂防会館別館であった改憲派の集会には、約1100人(主催者発表)が出席。有識者でつくる民間憲法臨調と『美しい日本の憲法をつくる国民の会』の共催で、同臨調代表のジャーナリスト、桜井よしこさんは改憲について『緊急事態条項を入れるところから出発するのがよい』と主張した。」(朝日)

その集会に参加した友人から次のメモの報告を受けた。

第18回公開憲法フォーラム・各党に緊急事態に対応する憲法論議を提唱する?すみやかな憲法改正発議の実現を!

まず、櫻井よしこさんの主催者代表挨拶。
国と国民の対立構造はない。
この国には国を縛るルールという考えはない。
3.11で命を救うために動けなかったのは憲法が元凶。
財産権の保障があるから助かる命が救えなかった。
日本らしさ、歴史、伝統、文明、価値観を守るのが憲法。
穏やかで公正な国のあり方。
緊急事態条項から出発しよう

安倍首相のビデオメッセージ
自衛隊が違憲と思われていて遺憾

中曽根康弘氏ビデオメッセージ
厭戦感に対し説得しなければならない

下村博文衆院議員(自民党)
どんな想定外のことでも対応できるように緊急事態条項を作らなければならない

松原仁衆院議員(民進党)
我々が憲法を作ったという事実がない
戦勝国の価値観を受け入れざるを得なかった
憲法の勘違いは近隣に平和を委ねること

江口克彦参院議員(おおさか維新の会)
マッカーサーは日本人は12歳だと言った
12歳の日本人を対象に作った憲法
護憲派は日本人は12歳だと言っているのと同じ
作成された時代で止まっている
法は時代の流れとともに変えていかなければならない
現実に合わない
解釈改憲は時の政権の解釈によることになるのでよくない

中山恭子(日本のこころを大切にする党)
拉致事件などが起きた国にすべてをまかせる、
自分の国を他国の力で守ろうとする甘ったれた国
前文を変えたい

この後緊急事態条項新設の必要性の提言
青年からの意見表明

1000万目標の署名が、5月3日時点で700万筆集まっている。」

メモには、「カルチャーショックでした!」という感想が添えられていた。これが、アベ政権提灯持ちの実態であることを国民は知らねばならない。

櫻井よしこの「あいさつ(要旨)」が産経に紹介されている。そのさわりは、以下のとおり。

「『立憲主義』という言葉に関して、国というものが国民と政府の対立であるかのように捉えられています。しかし、日本国の統治の仕方を振り返ってみるときに、国と国民が対立してきた、そしてその国を縛るための基本ルールが憲法であるというような考え方は、私たちにはなじみません」「憲法を論ずるときに、あたかも政府と国民の対立構造の中でものを考えるのは、間違いであると思います

これには驚いた。およそ、櫻井よしこの頭の中は、「17か条の憲法」のレベルである。あるいは、全体主義国家のイデオロギーで固まっている。思想も表現も自由ではあるが、これでは現代世界の文明国との「価値観の共有」は到底できない。「一番大事なことは、国民の共同体としての国家」と、国家権力と国民との緊張関係をことさらに否定する「思想」は、全体主義や軍事独裁のプロパガンダである。改憲派の本音と危険性を露わにしたことことにおいて、櫻井発言は、まさしく「カルチャーショック!」というべきであろう。

櫻井は、こうも言っている。
「私たちはあの3・11から、何を学んだのでしょうか。十分にお年寄りを助けることができましたでしょうか。体が不自由な人を助け出すことができたでしょうか。…もし、私たちができうることができなかったのであれば、それはなぜだろうかと真剣に考えなければなりません。その問題は憲法に元凶があるのではないでしょうか。緊急の道路を造るのに、荷物、車、がれき、片付けようとしても、現場は戸惑いました。なぜならば、それは憲法で財産権の保障などをしていて、もしかしてこれは憲法に抵触するのではないか。そのような思いを現場の人が現に持ったんです。そのことは、助けることのできる命が助からなかったということをも、意味しています。このようなことを繰り返してはなりません」

恐るべきこじつけの論理、いや非論理というほかはない。この非論理を前提にして、櫻井はこう結論する。

憲法は根本から変えなければなりませんけれども、各政党の最大公約数といってよい緊急事態条項を入れましょうというところから出発するのがよいのではないかと思います。日本国の明るい未来というものを目指して、みんなで頑張って憲法改正を実現していきたいと思います」

これが、本日の改憲派集会の趣旨のようだ。

憲法という存在をどう理解することも、発言することも自由だ。しかし、人類の叡智が長年積み上げてきた思想や経験知の体系に、いささかなりとも敬意があってしかるべきではないか。憲法に関する常識を無視しての、勝手放題の発言に説得力はない。驚くべきは、首相や元首相のメッセージまで寄せられた1000人規模の改憲派集会での主催者代表挨拶の知的レベルがこの程度だということ。

こんなレベルの改憲論だから恐るに足りず、というべきだろうか。それとも、こんなレベルの改憲論が国会内では多数派を形成しているのだから恐るべし、なのだろうか。
(2016年5月3日)

「野党は共闘」という市民の声による、アベ政治を許さない選挙共闘

この夏の参院選は、日本国憲法の命運を大きく左右する。アベ政権の改憲策動実現への第一歩となるか、それとも改憲を阻止することによってさらに国民に定着したものとするのか。

その参院選の日程が、いよいよ「6月22日公示、7月10日投開票」と本決まりの模様。そして、衆院の解散によるダブル選挙はなくなったというのが各紙の報ずるところ。寝たふり解散や抜き打ち選挙もあり得ないではないが、解散権を持つ側にとって、「ダブル選挙必ずしも有利ならず」と読ませる状況があるということだ。

選挙をめぐる関心の焦点は、自公の改憲勢力で、改憲発議のできる3分の2をとれるか否か。それは野党共闘の成否にかかっている。とりわけ、32ある一人区で、どこまで野党統一候補の擁立ができるかがカギとなる。いま、その動きが全国に浸透しつつあるが、改憲派から見て、「野党の選挙共闘恐るべし」なのだろうか、それとも「恐るに足りず」なのだろうか。本日の産経がこの点を語っている。しかも、北海道5区補選の彼らなりの教訓を踏まえてのこと。「2016参院選 本紙シミュレーション」という記事である。

右翼と自民党に支えられた産経である。スポンサーに失礼あっては社運に関わる。徹底して、改憲派の側からの分析であり、表現となっている。それでも、危機感横溢の内容となっている。おそらくは、この危機感が保守層の本音なのではないか。

メインのタイトルは「野党共闘効果は限定的 本紙が前回結果から試算」となっているが、サブのタイトルは、「与党、無党派で苦戦も 閣僚不祥事・失言など影響大」というもの。つまり、「野党統一候補は一部地域で善戦する可能性があるとはいえ、効果は限定的ともいえる」とスポンサーのご機嫌を伺いながらも、「補選の結果をみれば、無党派層の動向いかんでは野党共闘に勢いがつきかねない」「自民党は保守層の支持基盤を強化するとともに、無党派層の取り込みに向けた対策を進める必要がありそうだ」と献策している。この大事な選挙、自民党は安泰なのか、危ういのか。タイトルではなく、記事を読む限りは、大いに危ういのだ。

産経が、「野党共闘ができたとしても効果は限定的」という根拠は、3年前の参院選における有権者の投票行動を基礎としてのもの。これはたいして当てになるものではない。それでも、野党が一本化すれば、それだけで自民党候補に勝つところが7選挙区になるという。

さらに、次の記事が北海道5区補選の保守側の衝撃をよく表現している。
「自民党にとって枕を高くして寝ていられる状況でもない。夏の参院選の帰趨を占うとされた4月の衆院北海道5区補欠選挙で、野党統一候補が自民党公認候補を相手に健闘したからだ。
 補選は参院選の構図とほぼ同じ「与党候補」と「野党統一候補」の一騎打ち。両候補の得票数を市町村別に分析すると、支持政党を持たない無党派層が多い都市部で与党候補の得票数が野党統一候補を下回った。
 共同通信の出口調査では無党派層の約7割が野党候補に投票しており、自民党に大きな衝撃を与えた。自民党は政策がバラバラな「民共合作」を批判する戦術で辛くも制したが、無党派層の投票率が伸びれば与党候補が逆転されることもあり得た。もともと革新系が強いとされる北海道とはいえ、「堅調な内閣支持率のもとで党の支持層を固めれば、無党派層もそれほど取りこぼさない」というセオリーが覆された形だ。
 ある自民党選対幹部は『民進、共産両党にほぼきっちり支持層の票を積み上げられ、結果的に「1+1=1・9」になった。0・1は誤差の範囲内。勝ったものの、恐ろしい結果だ』と警戒感をあらわにする。」

要は、野党共闘のあり方次第で、参院選を制することで改憲を阻止し、アベ政権を窮地に追い込むことは可能なのだ。

誰がどう考えても、主敵・アベ政権を倒すには、野党の選挙共闘しかありえない。その基本枠組みは、既に2月19日にできている。

民主、維新、共産、生活、社民の野党5党(現在は、民主・維新が民進となって4党)の党首は2月19日、安全保障関連法を廃止する2法案を同日共同で衆院に提出するに当たって国会内で会談。国会での対応や国政選挙などで協力を強化していくことなど、下記の4点の共闘項目についてあらためて合意している。

(1)安全保障関連法の廃止と集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤回
(2)安倍政権の打倒を目指す
(3)国政選挙で現与党とその補完勢力を少数に追い込む
(4)国会での対応や国政選挙などあらゆる場面で5党のできる限りの協力を行う

本年4月3日の毎日新聞が、その参院選における野党共闘進展の具体的模様を伝えている。見出しは、「野党一本化、15選挙区…32の1人区 本紙調査」というもの。

「夏の参院選に向け、全国で32の「1人区」のうち15選挙区で民進党と共産党を中心にした野党の候補者一本化が確実になったことが分かった。両党による協議が進んでいる選挙区も10あり、「統一候補」はさらに増える可能性が高い。参院選では1人区の勝敗が選挙戦全体の結果を左右する傾向が強く、2013年の前回参院選で『自民党一強』を選んだ民意が変わるかどうかが注目される。」

同日の毎日記事は、32の「1人区」を野党の選挙協力成否に関して3分している。
合意成立 15区
 青森・宮城・山形・栃木・新潟・福井・山梨・長野・「鳥取島根」・山口・「徳島高知」・長崎・熊本・宮崎・沖縄

協議中 10区
 岩手・秋田・福島・富山・三重・滋賀・和歌山・岡山・佐賀・大分

難航 7区
 群馬・石川・岐阜・奈良・香川・愛媛・鹿児島

そして、昨日(5月1日)の赤旗が、最新情勢を伝えている。
「一人区野党統一候補が大勢に」「政権に危機感」というもの。

「夏の参院選にむけ、32の1人区での野党統一候補の擁立が20選挙区を数え、大勢になりつつあります。『野党と市民・国民』対『自公と補完勢力』という選挙の対決構図が鮮明になるなか、安倍政権・与党は警戒感を募らせています。」という内容。

「前回参院選(2013年)の野党票を合計すると、9選挙区で野党が勝利、3選挙区で接戦となる計算となります。前々回(10年)の野党票合計では、18選挙区で野党が勝利、5選挙区で接戦。市民とともに野党が団結し本気で選挙をたたかえば、自民を負かす可能性がみえています。」

「一方、野党は統一候補擁立とともに政策課題でも一致点を広げています。26日、徳島・高知選挙区で野党4党と大西聡統一候補は、消費税増税反対、TPP(環太平洋連携協定)批准反対、原発に依存しない社会の実現、辺野古新基地建設反対など11項目の共通政策を発表しています。」

赤旗が報じる参院選1人区での野党統一候補は以下のとおり。
 青森    田名部匡代          民進公認
 秋田    松浦大悟           民進公認
 宮城    桜井充             民進公認
 山形    舟山康江            無所属
 栃木    たのべたかお         無所属
 群馬    堀越啓仁           民進公認
 新潟    森裕子             無所属
 長野    杉尾ひでや          民進公認
 山梨    宮沢ゆか           民進公認 
 石川    柴田未来           無所属
 福井    横山龍寛           無所属
 滋賀    林久美子           民進公認
 岡山    黒石健太郎          民進公認
 鳥取・島根 福島浩彦           無所属
 山口    こうけつ厚           無所属
 徳島・高知 大西聡            無所属
 長崎    西岡秀子           民進公認
 宮崎    読谷山洋司          無所属
 熊本    あべ広美           無所属
 沖縄    イハ洋一           オール沖縄

残る一人区(12)は、 岩手 福島 富山 岐阜 三重 奈良 和歌山 香川 愛媛 佐賀 大分 鹿児島である。

日経(4月30日)によれば、「7月の参院選で勝敗のカギを握る32の改選定数1の選挙区を巡り、民進、共産、社民、生活の野党4党は全体の6割を超える20選挙区で統一候補の擁立に合意した。残る12のうち、9選挙区で一本化に向け最終調整に入っている。参院選で「自民1強」に歯止めをかけるには野党共闘の加速が欠かせないと判断。残る選挙区で協議を進め、5月中の決着をめざす」とのことである。

私は、無原則な選挙共闘の相乗効果を安易に信じる立場にはない。しかし、今回参院選に限っては、野党候補統一の相乗効果は大いに期待しうるのではないだろうか。『1+1=2』にとどまらず、『1+1=2.5』にも、あるいは『1+1=3』にもなり得ると思う。

「一人区では、どうせ野党候補に勝ち目はない」という雰囲気は、アンチ・アベ無党派層の投票意欲を著しく殺ぐことになる。ところが、第2位・第3位の候補者の共闘が実現して接戦に持ち込めるとなれば、反アベ・反自民・反公明の無党派層の投票行動へのインセンティブが跳ね上がるのだ。

前回参院選(2013年)は、野党陣営にとっては最悪の事態でのものだった。このときの票の分布を今回も同様と安易に決めつけてはならない。北海道5区で示された接戦状態が、至るところで現出するだろう。そして、その経験は来たるべき総選挙における小選挙区共闘につながることになる。

「野党は共闘」という昨年の戦争法案反対デモのシュプレヒコールが、まだ耳に響いている。あのコールが、ここまで政治を動かしつつあるのだ。もしかしたら、あのデモが、アベ政治を許さず、改憲を阻止することになるのかも知れない。
(2016年5月2日)

学問の自由を侵す「国旗国歌」包囲網

本日(5月1日)の毎日によると、同紙のアンケート調査で、国立86大学のうち、76大学が今春の式典で国旗を掲揚し、14大学が国歌斉唱を実施したという。

昨年6月下村博文文部科学相(当時)が、すべての学長に入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請して大きな話題となった。下村が政治資金規正法違反の疑惑から事実上更迭された後、その地位を襲った馳浩文新文科相は、意味不明の「恥ずかしい」発言で不見識をさらけ出したが、政権の意向はしっかりと各大学に伝わった。

愚かな政権の愚かな「要請」の効果が注目されたが、毎日の調査では、前年と対応を変えた大学は15大学に及んだという。新たに国旗を掲揚したのが4大学。国歌を斉唱したのが6大学。斉唱まではしないが、国歌の演奏や独唱をプログラムに入れたのが5大学。じわじわと、「日の丸・君が代」包囲網が大学を押し包んでいくような不気味な空気である。政権だけでなく、これに心ならずも屈服した者が包囲網に加わる形となって抵抗者を孤立させていく。幾たびも目にしてきた光景ではないか。

要請に応じた形となった15大学は、いずれもアンケートには「大学として主体的に判断した」と答えたというが、うち6大学は「文科相要請が学内議論のきっかけになった」と認めているという。

国立大学は結束しなければならない。文科省に擦り寄る大学の存在を許せば、当然に差別的な取り扱いを憂慮しなければならないことになる。大学が真理追究の場ではなくなる虞が生じ、世人の信頼を失うことにならざるを得ない。

愚かな政権の愚かな「要請」は、本来逆効果を生じなければならない。これまで式典に国旗国歌を持ち込んでいた大学も、「文科省に擦り寄る姿勢と誤解されてはならない」「大学の自治に介入する文科省に抗議の意を表明する」として、国旗も国歌も式からなくする見識が欲しい。「文科相要請が学内議論のきっかけ」となって、国旗を掲揚したり国歌を斉唱したり、とは情けない。

大学とは、学問の場であり、学問の成果を教授する場でもある。学問とは真理の追究であって、大学人には、何ものにもとらわれずに自由に真理を追究しこれを教授すべきことが期待されている。言うまでなく、この自由の最大の障壁が権力である。学問の自由とは権力に不都合な真理を追究する自由であり、教授の自由とは時の権力が嫌う教育を行う自由にほかならない。

国立大学とは、国家が国費を投じて真理追究の自由と教育の環境を保障した場である。国家は学問と教育の両面に及ぶ自由を確保すべき義務を遵守するが、学問や教育の内容に立ち入ってはならない。そのような環境があって初めて、学問は進歩し承継され、学生も育つことになる。こうして、学問は時の政権からの介入や、奉仕の要請から遮断されることで、高次のレベルで国民の期待に応えることになる。

時の政権による教育内容に対する介入は、学問の自由・大学の自治を侵すものとして違憲・違法と言わざるを得ない。アベ政治の反憲法的な姿勢の一端がここにも露呈しているのだ。

この国立大学での国旗国歌問題の発端は、昨年(2015年)4月参院予算委員会における首相答弁だった。「税金によって賄われているということに鑑みれば、教育基本法にのっとって、正しく実施されるべきではないか」というもの。

知性に欠けるということは恐ろしい。恐ろしい反面の強みでもある。反知性の首相であればこそ、臆面もなく恥ずかしさも知らず、堂々とこんな短絡した「論理」をのたまうことができるのだ。憲法も、歴史の教訓もまったく無視して、である。

このアベ発言を、盟友下村が受けた。同年6月には、国立大学長を集めた会議で「国旗・国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」との要請となり、後任の馳浩文は本年2月、岐阜大が国歌斉唱をしない方針を示したことに対し、「日本人として、国立大としてちょっと恥ずかしい」などと述べている。教育行政を司る部門の責任者の言がこれなのだから、国民の方がまことに恥ずかしい。

国民の精神的自由を保障するために、けっして権力が介入してはならないいくつかの分野がある。まずは教育であり、次いでメディアであり、そして宗教であり、さらに司法である。

教育の自由の中核をなすものは、憲法23条が保障する学問の自由と大学の自治である。また、メディアの自由は憲法21条が保障するところ。これによって、国民の知る権利が充足されることになる。信仰の自由や政教分離は憲法20条が保障している。裁判官の独立は行政権力からも社会的圧力からも守られなければならない。そして法曹が権力の僕であってはならない。特に弁護士は在野に徹しければならない。この各分野すべてが、濃淡の差こそあれ攻撃の対象とされている。

アベ政権は、国家主義や歴史修正主義の立場から、憲法改正に急である。国民の精神的自由保障に対する各分野への攻撃は、それ自身が政権の目的であるとともに、改憲への強力な手段でもある。国立大学での国旗国歌は、政権の策動を象徴するテーマとなっている。これを成功させてはならない。
(2016年5月1日)

早急に改めていただきたい「別荘通いの公用車使用」と「良心的不服従者に対する処分の濫発」

舛添要一東京都知事が袋叩きの状態となっている。海外出張での大名旅行批判に加えて、週末湯河原別荘通いに公用車利用である。しかも、居直り開き直りの弁明が、火に油を注ぐことになった。よってたかってのイジメ参加は私の趣味ではないのだが、東京都や都教委と争う立場にある者として、やはり一言いわざるを得ない。

4月27日発売の週刊文春によれば、知事は情報公開による公用車記録簿で確認された限りで、2015年5月1日から16年4月8日までの間に、神奈川県湯河原町の別荘への往または復での公用車利用を48回している。16年4月22日(金)には、文春記者が、都庁から湯河原までの公用車利用を目撃しているとのことなので、これを含めると年間49回である。

知事は、ほぼ毎週金曜日の午後2時半には公務を切り上げ、公費で温泉付き別荘に向かったことになる。片道100キロで1時間半の行程。普通にハイヤーを使えば往復8万円の距離だという。年間に換算すると400万円ほど。これが、「都庁関係者から匿名を条件とした情報提供」によって「発覚」し、2年を経過した今頃初めて問題になっていることが信じがたい。関係者には広く知られたことであったろうに、また会計監査も経ているはずなのに、どうして今頃、なのであろうか。

私が問題にしたいのは、知事の弁明のうちの、「ルール通りで問題はない」という一言。4月27日の記者会見では、「ルール通りで問題はないから、今後も続ける」との趣旨で居直っている。知事が言うルールとは、「都の規則では、移動先か移動元が公務の場合は公用車で移動することができる」ということ。この「ルールに従っているのだから何の問題もない」「あらためる必要はない」という弁明の意味を考えてみたい。

世論は「ルール通り」という知事の弁明に総批判と言ってよい。「ルールに従った知事」を批判し非難する世論の方が間違っているのだろうか。そんなことはあり得ない。世論の、「そんなルールがあろうとなかろうと、知事の弁明は詭弁に違いない。到底納得できない」という感覚の方が正しいのだ。

知事の言は、「本当にルール通り」なのか。そして、「ルール通り」であれば問題はないのか。そう、問い正さねばならない。

ルールもいろいろある。憲法のような根本ルールもあれば、末節のルールもある。法律や条例のような民意によって作られたルールもあれば、行政限りで作られた内部ルールもある。ルールを厳格に解釈しなければならない局面もあれば、そのことが詭弁となることもある。

知事は、ルールをもち出してはいるものの、そのルールに関する詳細な説明はしていない。できれば、「法に基づくルール」あるいは「議会が作った条例というルール」と言いたいところだが、知事は、そうは言えなかった。この「ルール」は、民意を反映して作られたルールではない。だから、そのルールに従っているとするだけでは説得力に乏しい。

東京都には、「東京都自動車の管理等に関する規則」というものがある。この「規則」とは、地方自治体が制定するものだが、国の法令に違反しない範囲で首長が定める。議会の議決を必要とするものではない。要するに、知事自身が作った内部規定に過ぎない。

その第9条によって、知事は「専用車」を使うことができる。その「専用車の使用について必要な事項は財務局長が別に定める。」となっている。通常の庁用車の使用時間は、「通常の出勤時限から通常の退庁時限までとする」とされている(同規則8条)が、専用車にはその時間の限定はない。ここまでは、ネットで容易に検索できるが、その先の「財務局長が定める知事専用車使用についての規則」は、見つからない。もっとも、苦労して見つける努力をするほどのこともない。

多分その「財務局長規則」の中のどこかに、知事が言う「移動先か移動元が公務の場合は公用車で移動することができる」という条項があるということなのだろう。

まず、知事の年間49回に及ぶ週末湯河原通いは「移動先か移動元が公務の場合は公用車で移動することができる」というルールに適合しているだろうか。

いかなるルールも文言が抽象的であることを免れず、具体的な事例への適用において宿命的に解釈を必要とする。ルールが許容(あるいは禁止)することが明確な範囲を中核として、その周囲に明確性の濃淡をなす部分があって、ルールで許容(あるいは禁止)された範囲の限界は必ずしも一律に決まるものではない。具体的な事例が、その不明確な限界の内なのか外なのか。その判断が解釈である。

知事が言う「ルール通り」は、知事自身の個人的な解釈によるものに過ぎない。それが、唯一の正しい解釈である保障はない。むしろ、かなり怪しい解釈と指摘せざるを得ない。

ルールの解釈は、何よりもそのルール設定の趣旨・目的を把握するところからスタートしなければならない。また、いかなるルールも、高次のルールによって要件や効果が限定される。知事が公用車を利用する趣旨は、知事としての適正・迅速な公務の遂行に資するため、あるいは効率化のためのものであろう。そのことを離れての公用車利用は合理性を持たない。公務から公務への移動を公用車利用とすることの合理性に疑問の余地はなく、また非公務から非公務への移動の非合理性についても明白である。しかし、公務と非公務とをつなぐ移動については、管理規則の文言如何に関わらず、都有の財産である自動車を、都の公務員である運転者を使用して公用車として利用するに際しては、自ずから限度があるものと考えざるを得ない。

手法は二つある。
まずは、規則が「移動先か移動元が公務の場合は公用車で移動することができる」としているのは、公務地と知事自宅の移動を認める趣旨であって、自宅以外の遊興先や別荘地は含まないと解釈することができよう。ましてや、100キロ遠方の別荘地に毎週末の利用などは、到底規則の想定するところではない、と断じる手法である。規則が、行政内部で作成されたもので、民意を反映したものでないことがそのような解釈を支えることになる。都民の良識がこのような知事の公私混同の外形を有する公用車利用を許さない、としてよいのだ。

もう一つの手法は、権利の濫用ないしは逸脱とすることだ。規則の文言から言えば、確かに都庁と湯河原の別荘との移動に公用車を利用できることになってはいる。しかし、いくら何でも、知事にそのような形式的な解釈をさせて権利を認めるのは、実質的に法の正義に反する。知事の公用車利用は、権利の濫用ないしは逸脱と解釈するのだ。諸般の事情を考慮した結果とすればよい。諸般の事情の中には、この間に表明された都民の意思も重要なファクターとなる。

さらに、問題は知事の公用車利用が規則の解釈上可能か否かにあるのではない。知事に求められているのは、「自動車の管理規則」という些末なルールに従うことではなく、もっと高次の、「都民の信託に応える行政をなすべきとするルール」ではないのか、と批判することができる。都民から預託された税金の使い方には率先して節約の模範を示し、都民の声には誠実に敏感に対応して都庁10万の職員の範たるべきではないのか。それを、都民のほとんどが知らない「ルール」をもち出して、「ルール通りで問題はない」というのは、高次のルール無視という点で「問題大いにあり」と言わねばならない。高次のルールに違反するとは、法の正義に反すること、形式的には違法ではなくとも不当な行為として、反省と改善が求められるということでもある。

実は、東京都(教育委員会)の、教員に対する「日の丸・君が代」強制による処分の濫発が、この知事の姿勢と同じ構造なのだ。形式的にルールに則っているのだから問題はない、という言い分。だから、まったく同じ批判が当てはまる。

都教委が「日の丸・君が代」を強制する根拠としての「ルール」は、学習指導要領のごく一部分の文言である。学習指導要領とは、憲法の下位にある法律の、その下位にある省令の、そのまた下位にある「文科大臣告示」でしかない。当然に、その解釈には上位のルールの制約を受けることになる。

しかし、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、思想・良心の自由を保障した憲法が許容するものではないというのが、教員側の立場。懲戒処分された教員の訴えに対して、最高裁は今のところ痛み分けとしている。最も軽い懲戒である「戒告」については懲戒は許されるとしたものの、思想・良心に基づく「やむにやまれずの不服従」と認めて、「減給」以上の処分はすべて懲戒権の逸脱濫用として違法と判断し、処分を取り消している。

それだけではない。最高裁は明らかに都教委に対して、違法とまではいえない戒告処分についても、当不当の問題は残るという姿勢を示している。教育を司る行政部門として、懲戒処分を濫発しての「日の丸・君が代」強制は、戒告処分に限れば違法とは言えないとしているものの、それでも決して褒められた行為ではない、という立場なのだ。

今回の批判にさらされている舛添知事の姿勢は、まずは端的にルール違反というべきものである。仮に、下位ルールには違反していないとしても、高次のルールには違反している。さらに、いかに言い訳しようとも、不当な行為であることは明白である。別荘通いの公用車使用の濫用と、良心的不服従者に対する「日の丸・君が代」強制による処分の濫発。両方とも、早急に反省して改めていただきたい。
(2016年4月30日)

「昭和の日」の紙面に、「いま読む日本国憲法」と「天皇ご夫妻に頭が下がる」の記事。

4月29日である。かつて、天皇が現人神であった時代には「天長節」と呼ばれ、現人神が人間宣言(!)をしたあとは「天皇誕生日」となり、その死亡の後に「みどりの日」となって、今は「昭和の日」である。

この呼称の変更は、昭和期以後の歴史をよく映したものとなっている。今日こそは、昭和という戦争の時代と天皇制を考えるべき日。端的に言えば、天皇の戦争責任を確認するとともに、その責任追求を曖昧にしてきた国民の責任をも考えるべき日である。

本日の東京新聞が、1面トップに「いま読む日本国憲法」のシリーズ第1回を掲載した。その意気や大いに良しである。モスグリーンの紙面の地に憲法前文を教科書体で全文掲載し、「はじめに非戦誓う」と大見出しをつけている。その解説記事の冒頭が、「戦争は国家権力が引き起こすもの。国民が主権を持って国家権力の暴走を抑えることで、戦争を二度と起こさせないー。日本国憲法全体を貫くこの思想を最初にはっきりと宣言したのが前文です」とある。

国民に多大な惨禍をもたらした侵略戦争と植民地支配は、決して国民の意思によるものではなく、天皇制権力がしでかしたもの。国民は天皇制政府の恐るべき暴走を抑えることができなかった。だから、戦後の平和思想の出発点は、天皇主権を否定して国民主権を確立するところにある、という文脈での解説。昭和の日の一面トップにふさわしい解説ではないか。

国民の加害責任や天皇の戦争責任に触れていないではないかという批判はあるにせよ、「安倍晋三首相らは改憲を訴えるが、憲法は本当に変える必要があるのか。守らなければならないものではないのか。」と旗幟を鮮明にした立派な紙面だと思う。

ところが、である。左肩に恒例の「平和の俳句」欄。いつもは感心しきりなのだが、今日は感心しない。「老陛下平和を願い幾旅路」というのだ。ほかならぬ今日を意識してのこの選句はいただけない。選者のコメントが、さらにいけない。

<金子兜太>天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。

兵としての過酷な戦争体験から戦争をこの上なく憎むこの人は、その戦争を主導した天皇の責任を本心どう考えているのだろう。天皇個人の責任と、天皇制という制度についても。そして、戦後長らえて退位すらしなかった昭和天皇の姿勢をどう評価しているのだろう。

コメントの文脈からは、「昭和天皇の戦争責任には重いものがあるが、その子による親の贖罪には頭が下がる」ということのようだが、天皇制に対する批判はないのか。「好戦派、恥を知れ。」とは、安倍晋三に向けられた言葉だろうが、夥しい戦争犠牲者を思い起こせば、天皇一族に対しても、「恥を知れ。」と言わずに済まされるのだろうか。

選者は、さすがに「両陛下」などの敬称は使わない。「激戦地への訪問」と、天皇への最大限敬語は避けている。しかし、「天皇ご夫妻には頭が下がる」とは、「アベ政治を許さない」と揮毫したこの人の言とは思えない。

昨日(4月28日)の同欄掲載句が「もう二度と昔の日本にはならないで」というものだった。16歳の女子高校生の作。「昔の日本」とは、何よりも天皇が支配した日本である。国民に主権がなかったというだけでなく、天皇の御稜威のために臣民の犠牲が強いられた軍国日本ではないか。その天皇の時代に戻ってはならないとする句の翌日に、「天皇ご夫妻には頭が下がる」である。大きな違和感を禁じ得ない。

あらためて、東京新聞紙上で憲法前文に目を通してみる。すがすがしい気分。これが私たちの国の政治的な合意点であり、出発点であり、公理である。この前文4段のどこにも天皇は出てこない。出る幕はないというべきだろう。天皇に関わる用語は「詔勅」の一語のみ。「われら(国民)は、これ(民主主義)に反する一切の‥詔勅を排除する」という文脈でのこと。各段の冒頭の言葉は「国民」、国民が主語となる文章が連なっている。要するに、主権者国民が作った憲法の核心部分では天皇も天皇制も、出番はないのだ。

憲法は、戦争の原因を天皇制にあるとして、非戦の決意と一体のものとして国民主権原理を宣言した。歴史を学んで過ちを繰り返さないためには、天皇の責任を曖昧にしてはならない。にもかかわらず、戦後社会は天皇の責任追及を不徹底としたばかりか、天皇の責任を論ずることをタブーとさえしてきた。本日の東京新聞一面はそのことを象徴する紙面構成となっている。

国民主権原理に基づく日本国憲法をもつ我が国で、大新聞がわざわざ天皇の存在感を際立たせたり、持ち上げたりすべきではない。昭和の日、戦争の歴史を思い起こすべき日であればなおさらである。
(2016年4月29日)

北海道5区補選・共闘の「成果」と「教訓」についてー郷路征記君の意見紹介

北海道5区補選の教訓をどうとらえるかについては、各地のいたるところで議論がまき起こり、貴重な情報や意見が飛びかっていることだろう。メーリングリストというツールは、議論の場の設定にこれ以上のものはない。

私も、いくつかのメーリングリストで議論に参加しているが、同期弁護士のメーリングリストに札幌の郷路征記君から、以下の傾聴に値する意見をもらった。同君の許可を得たので、ご紹介したい。

まずは、郷路君が推薦する動画の画像。キャプションは省いての紹介。これだけでも、十分な「選挙総括」となりうる。
  https://youtu.be/dkBxZu4IO5A
  http://www.kanaloco.jp/article/168575
  https://www.youtube.com/watch?v=6F-IicWUgZU
  http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/851.html

メーリングリストでは、私が次のように振った。
「さて、5区補選。残念でならない。「いま一歩及ばずの敗北」である。いま一歩のところまで追い詰めた積極面の教訓と、もう一歩のところで勝利に届かなかった消極面の教訓と。その両面について多くの人からの、とりわけ直接選挙に携わった人たちからの報告や意見を聞きたい。
共闘は本当にうまくいったのか。共闘によるシナジー効果が、客観的にあったのか。選挙戦を戦った人に実感できたのか。その「成果」についての確信が、全国に伝播するのか。
そこが最大の関心事だ
。」

これに対して、郷路君のこの上ない丁寧な回答があった。
「澤藤君の問題提起に答えることができるかどうか。次のように考えている。

考える下敷きにしたのは、次の分析。
善戦じゃダメなのだ 衆院補選・野党共闘「惜敗」の絶望
  http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/180218

安倍官邸を苛立たせる、補欠選挙の「ある調査結果」
  http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48537

そして、朝日の4月27日道内版記事「市民主導」浸透に壁
  http://www.asahi.com/articles/CMTW1604270100003.html

1 野党共闘成立前には、ダブルスコアで自民が勝つという調査結果が出ていたという。票差の点は別にして野党分立では勝てっこないことは自明だったと思う。
その理由の一つは、安倍内閣への厚い支持。これがずっと変わっていないこと。アベノミクスによる経済活性化を掲げた(プラス、財政規律を無視した 自民党的ばら撒き政策の実行による)安倍内閣への支持は、正月以来の株安や円高、中国をはじめとする新興国経済の減速など、この先に不安要因をはらみつつ、まだ国民の支持をつなぎとめることに成功していたと思う。

2 それが、自民党・和田候補は、「伯仲・誤差の範囲」という調査がでるところまで追いつめられた。
その理由は 
 ア なんといっても野党共闘の成立。そのことによって前回の選挙での票数でいえば、勝負になるところまで持ち込めた。これがなければ何も起きなかっただろう。なんといっても展望がないからだ。
 イ 「保育園落ちた 日本死ね」のブログによって、安倍内閣の新自由主義的経済政策による弱者切り捨て、格差拡大に苦しめられている国民の怒りのマグマに火が付きそうになった。そのことが契機となって、奨学金の問題とか、最低賃金の問題とか、保育士の待遇の問題とか、国民の貧困に関わるさまざまな問題が噴出しそうな形勢となった。
 ウ 池田候補は子供時代から青年期を超える期間の、極度の貧困を乗り越えてきた経歴を持ち、他方、和田候補は三菱商事の社員。妻は町村の娘。一見して「上級国民」である。イの問題との関係で池田候補の経歴とその人柄が強い訴求力を発揮したと思う。
        
3 危機感を持った自民党は、党本部の総力を挙げた組織選挙をおこなった。なにせ、ダブル選の可否を占うという意味があった。
陣営の幹部の発言として新聞報道されたものの中に、「票を削り出している」という表現があった。それくらい、必死になってやったようだ。それくらいの危機感をもったようだ。野党陣営が勝って勢いがつけば、参議院の議席10程度に影響するという考え方もあった。自公が総力をあげた組織選挙を行うことによって、前回の票を若干上回る程度の得票に繋げることができたのだと思う。これが自民党の勝因だとおもう。総力をあげれば、この程度の票を削り出すことができる組織・人間関係の束を自民党・公明党は持っているということだと思う。大地の票(鈴木宗男)がどう動いたのかはわからないが、和田候補に行ったと考えるのが妥当だと思う。だとすると、必死で、総力をあげて、前回を下回っている程度ということもできそうである。
参議院選挙になれば、党本部が一地域に総力を挙げることはできない。この点では、自民党は厳しい選挙を強いられることになるのではないか?

4 野党共闘は浸透しきれなかった。投票率60%を目標にしたが届かなかった。60%に届いていれば勝てていたかもしれない。無党派層の7割を獲得していたのだから、その層が投票に来てくれていれば、勝機は生まれたのである。
 浸透できなかった理由は
 ア 熊本地震だという。たしかに、熊本地震を契機に、雰囲気は変わったと思う。保育園落ちたも報道の表層から消えて行った。おおさか維新の片山代表が「タイミングのいい地震」と言ったのは、本音で本当だったようだ。安倍首相はこの地震を利用したと思う。事故直後に食糧90万食を送ると表明したり、自衛隊の派遣規模を2000から2万に増加するなどした。現地視察を投票日の前日である土曜日にして、激甚災害指定をその時までしなかった。

報道によれば、選挙狙いの面もあると思われる安倍首相の対応は、国民には評価されているのだという。 危機が発生すると世論は政権支持に回る。このことによって、上記2イの問題が消し去られていった。

 イ シールズも市民連合も学者の会もママの会も、全体から見れば少数である。北海道5区の住民に人的なつながりを持っているわけではない。絵を作るべく努力はした。でも、その絵が大きな力になるほどの参加者のボリュームはなかったと思うし、期間もなかったと思う。また、北 海道5区という地域性もあると思う(札幌市厚別区を除く)。
 そうだとしても、昨年以来のシールズを先頭にした市民組織の継続的活動なしには、野党共闘すら考えることができなかった。その点で、彼らの奮闘と先見的活動には本当に頭が下がる。
 ウ 市民主導の選挙運動を支え、実体化する組織が弱体化しているのではないか。民進党北海道の主体を担っていると思われる官公労 (北教祖・全道庁を中心とする自治労等)に往年の力はないだろう。共産党とその関連組織の力量の減退も疑う余地がないだろう。
 エ 自民党の政治的影響力は全世代に及んでいる。池田候補は60代の年齢層でのみ多数だった。20代から50代のすべて、70代以上で和田候補が多数を占めている。若い世代まで、もはや保守である。そのような広い自民党支持層が醸し出す政治的雰囲気が、リベラルの風を吹かせなかったのではないかと思う。

5 以上で、澤藤君の問いに答えるとすれば、共闘は本当にうまくいったのかということについては、イエスなのだと思う。選挙対策の関係者達の談話でも否定的なものはない。お互い努力しあい、尊重し合ったのではないか。そして、各党の支持者を池田支持にほぼ纏めきることができたことも、信頼関係を作ることになったと思う。
共闘によるシナジー効果が客観的にあったのかという点についていえば、上記の経過が示す通り、客観的にあったといえるのではないか。その程度においては、この程度だったとしても。
選挙戦を闘った人たちが共闘の成果を実感できたのかという点でいえば、ぞれで一発逆転できるものではないにせよ、共闘して必死に戦わない限り、勝負にならない、共闘すれば勝負ができるというレベルではその成果を実感したのではないだろうか。
それが、全国に伝播するかという点については、多分、伝播すると思うが、判らないというところかな。確信が全国に伝播するかどうかは判らないけれども、野党共闘は広がると思う。民進党内部の主要な反対者らがこの選挙の経験を通じて、明確な反対をしなくなるのではないかなと思っている。

6 参議院選挙に向けて、安倍内閣の争点隠しは横行するだろうし、社会福祉についてもばら撒き的政策を打ち出すことによって、不利な争点を消失させようとするだろう。その中で、何をどう訴え、市民主導を拡げていくかが課題になりそうに思う。
                     弁護士 郷路征記

必死で選挙戦を闘った人たちがおり、共闘の成果を実感した人たちもいたことがよく分かる。私の、「その成果についての確信が、全国に伝播するのか。」は愚問だ。全国に伝播するのは、全国の人びと、私を含めた私たち自身の役割なのだから。
ささやかながらも、当ブログもその役割を果たしたいと思う。
(2016年4月28日)

アベ政治を許さない!「アベ政治十の大罪と七つの被害」

本日は、文京区民センターでの「アベ政治を許さない! 4・27文京区民集会」。熱気のこもったなかなかの集会となった。若者の姿も見えたのが頼もしい。

以下は、私の基調報告のレジメ。このレジメの行間をそれぞれの立場で読み込み、使いやすいように改変して活用していただけたらありがたい。

現在の状況を、「アベ政治の罪」と「国民の被害」と「処罰(退陣)」と構成してみた。医療に喩えれば、「病名(疾患)」と「症状」と「処方」と構成もできるだろう。アベ政治にレッドカードを突きつけて「ピッチから退場」させなければならない。その理由と方法を分かり易く整理したつもりである。
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        アベ政治十の大罪
1 憲法をないがしろにする罪         (解釈改憲と明文改憲)
2 平和を破壊する罪              (戦争法と7・1閣議)
3 民主主義を蹂躙する罪           (安保特での「採決」強行)
4 格差を拡大し貧困をつくり出す罪     (新自由主義経済政策)
5 メディアを規制し国民の耳と目をふさぐ罪(秘密保護法と停波・NHK)
6 原発再稼働と原発プラント輸出推進の罪(本音は核保有)
7 歴史の真実を曲げる罪           (靖国・慰安婦・教科書)
8 オール沖縄の民意を圧殺する罪     (辺野古新基地建設強行)
9 TPP交渉推進の罪             (秘密主義と主権の放棄)
10 劣化政治家濫造の罪           (甘利・宮崎・武藤・大西…)

        アベ政治による七つの被害
1 危うくされているものは平和
2 奪われたものは民意に基づく政治
3 覆われたものは真実
4 痛めつけられたものは庶民の生活
5 汚されたものは歴史の真実
6 断ち切られたものは未来と希望
7 損なわれたものは安全と安心

        こうしてアベ政治に引導を渡そう
 アベ政治の罪と被害を深く知ること、広く知らせること
 至るところでアベ・ビリケン(非立憲)政治批判の声を上げること
 声を上げた市民が幅広く連帯すること
 市民が野党の背を押して野党共闘を作り上げ選挙戦に勝ち抜くこと
 勝ち抜いた国会で、憲法改正の発議を許さず、戦争法を廃止すること

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アベ政治の基本姿勢は、「戦後レジームから脱却」して、「美しい日本を取り戻す」というもの。これは、戦後民主主義を否定して戦前回帰を呼号するものにほかならない。

なぜ、戦前回帰なのか。天皇制下の臣民こそが、政権にとって統治しやすく、資本にとって使い勝手がよいからだ。文句を言わず権利主張をせず、権威主義的で勤勉な国民、これこそ政権と政権を支える資本が望む国民像なのだ。

権力や資本に従属する臣民は、敗戦を経て主権者となり人権主体となった。この変化をもたらしたものこそ戦後民主主義であり、その制度の中核に日本国憲法がある。アベ政治は、この戦後民主主義体制を総体として否定し去ろうという政権である。だから、日本国憲法に激しい敵意をもっている。アベ政権はこれまでの保守政権とは違う。戦後民主主義と日本国憲法を否定する危険な存在と認識しなければならない。

アベ政治のもう一つの基本姿勢は、新自由主義の徹底である。資本を優遇し、資本の活動への最大限の自由を保障しようとする。具体的には、解雇の自由であり、労働条件差別化の自由であり、不当労働行為の自由であり、最大限の規制緩和であり、企業減税である。格差・貧困の積極的容認策でもある。

新自由主義政策と戦前回帰政策とが、奇妙なマッチングをしているのが、アベ政治の特徴ではないか。このマッチングは、必然的に軍事大国化路線を志向し、富国強兵を国策とすることになる。

だから、政治・経済・財政・外交・防衛・教育・福祉・労働…等々のあらゆる分野において、アベ政権は国民生活と軋轢をもたらす。一言で表現すれば、アベ政治とは本質的に反国民的政治なのだ。しかも、政権の好戦性は際立っている。

それを整理すれば、「アベ政治 十の大罪 七つの被害」となる。

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アベ政治にレッドカードを突きつけなくては、壊憲の動きは止まらない。引導を渡す手段は、何よりも選挙である。反アベ陣営が小異を捨てて選挙共闘の大同につかなくては選挙戦での勝利はできない。

反アベ陣営とは、市民と諸野党である。北海道5区の補選から貴重な教訓を汲むべきである。池田候補の惜敗を共闘の失敗とみてはならない。

NHKの出口調査による投票者の政党支持率のうち与党は次の数字だった。
 自民 44%
 公明  5%
 自・公の合計が49%となる。これに、1%未満の「大地」を切り上げて足せば、ちょうど50%。つまり、町村後継である和田候補の基礎票はほぼ50ポイント。

これに対する野党側は、以下のとおりである。
 民進 20%
 共産  5%
 社民  1%
合計して、26%。つまり、池田候補の基礎票は26ポイント。

アベ側の和田候補に、民進と共産と社民の候補がバラバラに対抗しても勝ち目はない。候補者を統一した場合の基礎票の割合は50対26。ほぼ2対1の差。当初は、「ダブルスコアでの和田勝利」と囁かれたことにはそれなりの根拠がある。

しかし、池田候補と支持者の奮闘にはめざましいものがあった。市民が各野党の紐帯となって選挙運動の母体を作り、市民候補を市民と各野党が一体となって推す形ができた。創意にあふれた自発性の高い運動の結果、ダブルスコアを伯仲まで押し戻したのだ。熊本震災前には逆転の声も聞かれたし、千歳・恵庭という基地の街を除けば池田候補が勝っていたという側面も見なければならない。

参院選が近い。一人区の共闘がどこまで出来るかがカギとなってきている。参院選の経験は、総選挙の小選挙区での共闘につながる。市民と野党の選挙共闘によって、議席を確保しアベ政権を退場させて、改憲を阻止しなければならない。切実にそう思う。

アベ政治跳梁の現事態は、紛れもなく非常時である。立憲主義も危うい。民主主義も自由も危うい。何よりも平和が危うい。明文改憲を許せば、悔いを千載に遺すことになる。ならば、この非常時を乗り切るために、市民の声を背にした野党の大同団結があってしかるべきだ。いや、憲法と平和と民主主義を守るには、この道以外にはないではないか。
(2016年4月27日)

在特会の徳島教組襲撃事件に、「人種差別」認定の高裁判決

昨日(4月25日)の「在特会徳島県教組襲撃事件民事訴訟」の控訴審判決を伝える朝日の署名入り記事がすばらしい。客観報道の姿勢を崩さずに、記者の問題意識が貫徹されて、過不足のない情報提供となっている。全文引用したい。

「在特会の県教組抗議は『人種差別の現れ』 高松高裁判決」
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の会員らが6年前、徳島県教職員組合で罵声を浴びせた行動をめぐり、県教組と当時の女性書記長(64)が在特会側に慰謝料など約2千万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、高松高裁であった。生島弘康裁判長は、『人種差別的思想の現れ』で在日朝鮮人への支援の萎縮を狙ったと判断。女性の精神的苦痛を一審より重くとらえ、倍近い436万円の賠償を命じた。

 判決によると、在特会の会員ら十数人は2010年4月、日教組が集めた募金の一部を徳島県教組が四国朝鮮初中級学校(松山市)に寄付したことを攻撃するため徳島市の県教組事務所に乱入。女性書記長の名前を連呼しながら拡声機で『朝鮮の犬』『非国民』などと怒鳴り、その動画をインターネットで公開した。

 判決は、在特会の行動を『人種差別的』と訴える原告側が、その悪質さを踏まえて賠償の増額を求めた主張を検討。在特会側が朝鮮学校を『北朝鮮のスパイ養成機関』と呼び、これまでも同様の言動を繰り返してきた経緯から、『在日朝鮮人に対する差別意識を有していた』と指摘した。

 さらに、一連の行動は『いわれのないレッテル貼り』『リンチ行為としか言いようがない』とし、在日の人たちへの支援活動を萎縮させる目的があり、日本も加入する人種差別撤廃条約上の『人種差別』にあたるとして強く非難。昨年3月の一審・徳島地裁判決が、攻撃の対象は県教組と書記長であることを理由に『差別を扇動・助長する内容まで伴うとは言い難い』とした判断を改めた。

 そのうえで、監禁状態の中で大音量の罵声を浴び、性的暴力まで示唆された女性の苦痛や県教組が受けた妨害の大きさも考慮し、一審の賠償額(230万円)を増額。賠償命令の範囲も一審より2人増やし、在特会と会員ら10人とした。

 在特会をめぐっては、09?10年の京都朝鮮第一初級学校(現・京都朝鮮初級学校)周辺での抗議行動を京都地裁が『人種差別にあたる』と認定。1200万円余の賠償を命じる判断を支持した大阪高裁判決が14年に最高裁で確定している。

■一歩進んだ判決
 《表現の自由に詳しい曽我部真裕(まさひろ)・京都大教授(憲法)の話》 判決は、人種差別的行為は直接の対象が在日の人たちでなくても、支援活動を萎縮させる効果をもたらすとし、非難に値すると指摘した。支援者が対象でも人種差別にあたるとした点は新しく、京都でのヘイトスピーチをめぐる大阪高裁判決を一歩進めた感じがする。また、在特会の言動は「レッテル貼り」「リンチ行為」などと評し、表現活動と呼べるものではないと判断した。「表現の自由」を念頭に、慎重に検討したことの表れと評価できる。

■拡声機・動画…激しい中傷
 「人種差別行為を許さない判断が司法の場で定着したと高く評価したい」
 判決後、原告弁護団事務局長の篠原健(たけし)弁護士=徳島弁護士会=は会見でそう語った。控訴審では、京都での在特会の行動を「人種差別的」と認定した判決を勝ち取った弁護士らも加わり、総勢46人で闘った。京都事件を手がけた冨増四季(しき)弁護士は「続く司法判断の意義は大きい」と話した。

 裁判では、徳島県教組と当時の女性書記長への激しい攻撃が明らかになった。

 十数人の在特会会員らが事務所に突然なだれ込む。「募金詐欺じゃ」「反日教育の変態集団」。拡声機を手に罵声を浴びせ続けた。徳島県庁前では、女性書記長への性的暴行を示唆するような発言もあった。一連の行動はネットに動画配信され、視聴者からおびただしい数の中傷コメントが書き込まれた。県教組には嫌がらせの電話も相次いだ。

 女性書記長は当時の話をするたびに体調が悪くなり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。会見では声を震わせ、裁判を振り返った。

 『言いたい放題、したい放題の社会を認めるのか。民族差別を認めるのか。そのことが何より許せないという気持ちで闘ってきました。駆けつけてくれた一人ひとりの思いが、この判決を導いたと思います』

若干、事件についての情報の補充をしておきたい。
この襲撃事件の参加者は19名だった。威力業務妨害として刑事告訴がなされ、徳島県警は在特会がインターネットにアップした動画で実行犯を特定し、7名を逮捕した。その他の参加者全員が書類送検されたが、曲折を経て6名だけが威力業務妨害と住居侵入で起訴され、いずれも有罪が確定している。

安田浩一著『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』 によれば、襲撃の態様は、次のようなものであった。これを「抗議行動」と言うべきではない。「襲撃事件」が正確なのだ。
「『日教組の正体、反日教育で日本の子供たちから自尊心を奪い、異常な性教育で日本の子供たちを蝕む変態集団、それが日教組』などと記した横断幕、日章旗、拡声器等を携帯して、「詐欺罪。」などと怒号しながら侵入した上、同組合の業務に係る事務をしていた同組合書記長及び同組合書記の2名を取り囲み、同人らに対し、前記横断幕、日章旗を掲げながら、拡声器を用いるなどして、「詐欺罪じゃ。」「朝鮮の犬。」「売国奴読め、売国奴。」「国賊。」「かわいそうな子供助けよう言うて金集めてね、朝鮮に150万送っとんねん。」「募金詐欺、募金詐欺じゃ、こら。」「非国民。」「死刑や、死刑。」「腹切れ、お前、こら。」「腹切れ、国賊。」などと怒号し、「人と話をするときくらいは電話は置き。」「置けや。」などと言いながら前記書記長の両腕や手首をつかむなどして同人が110番通報中であった電話の受話器を取上げて同通話を切った上、同人の右肩を突き、「朝鮮総連と日教組の癒着、許さないぞ。」「政治活動をする日教組を日本から叩き出せ。」などとシュプレヒコールするなどした上、机上の書類等を放り投げ、拡声器でサイレン音を吹鳴させるなどし、前記事務所内を喧噪状態に陥れ…」

民事事件としては、県教組と書記長の両名が原告となって、在特会(法人格なき社団)と実行犯10名を被告とする約2千万円の損害賠償請求訴訟を提起した。民事訴訟の経過は、朝日が報じるとおりである。

次のことを指摘しておきたい。
この襲撃事件の発端に義家弘介がおり、産経新聞がある。
朝日の記事にある「日教組が集めた募金の一部を徳島県教組が四国朝鮮初中級学校(松山市)に寄付した」という経過は、以下のとおりである。

日教組は貧困下にある子どもとその家庭を支援するため「子ども救援カンパ」を募集した。カンパの使途については、公式サイトで次のとおりとしている。
「「あしなが育英会奨学金」に寄付します。また、連合を通じて『保護者の厳しい就労状況等により学校へ修学できない子ども、外国籍・病気・障害のある子どもの支援』、『学生・青年に対する職業訓練、求職支援、障害者の作業所への支援』などを行っているNPO団体等へ寄付します。」

募金活動によって約1億7600万円が集められ、ここから「あしなが育英会」に約7200万円、そして連合が実施していた「雇用と就労・自立支援カンパ」(通称「トブ太カンパ」)に1億円がそれぞれ寄付された。徳島県教組が四国朝鮮初中級学校に寄付した「在日朝鮮学校に通う子どもへの修学支援」金150万円は、この「トブ太カンパ」から出ている。

これに異を唱えたのが、自民党タカ派文教族として知られる義家弘介である。彼は、参議院予算委員会でこのカンパを取り上げ、「街頭に立ったりした教師は、育英会の活動にプラスになるとの思いだったことが聞き取り調査でも明らかだ」と述べて連合の「トブ太カンパ」への寄付を批判した。これに呼応したのが産経新聞。義家発言を報じて、徳島県教組が朝鮮学校に通う子どもへの支援として150万円を受け取ったことにも触れた。ここから、ネトウヨが騒ぎはじめ、在特会の妄動に至った。

その本日の産経。「在特会側の賠償増額 徳島県教組関係者に暴言 『人種差別的行為があった』と高松高裁」という記事を掲載している。

よくある構図だ。「私は、暴力は否定です」「暴力を煽る意図など毛頭ありません」「私の言動が暴力に至ったなどとは言いがかりも甚だしい」「本紙の記事が暴力に至ったとしたら遺憾というしかありません」など涼しい顔をする輩。

ネトウヨ諸君、こういう輩の煽動に乗せられて犯罪者となっては危うい。逮捕され、起訴され、前科がつく。それだけではない。確実に民事的な責任も負わねばならない。民事訴訟で訴訟追行の費用を負担して敗訴し、強制執行も覚悟しなければならない。京都事件は1200万円、徳島事件は436万円だ。ヘイトの言動は高くつくことを知らねばならない。涼しい顔で奥に控えているものに操られて、つい乗せられてしまうと、痛い目に遇うのは、あなたなのだ。

教訓・義家や産経に煽られて舞い上がってはならない。
   他人の業務を妨害してはならない。
   他人の名誉を毀損する行為はあなたを滅ぼす。
   人種や民族を差別する思想を持っていること自体が危険なことなのだ。
(2016年4月26日)

選挙に勝つためには「市民と野党各党の共闘」、これ以外の道はない。

昨夜から元気が出ない。北海道5区の補選の投票結果は、紙一重に肉薄しながらも、野党共闘が支援する市民派池田まき候補の敗北となった。残念でならない。

「いま一歩及ばずの敗北」である。いま一歩のところまで追い詰めた積極面の教訓と、もう一歩のところで勝利に届かなかった消極面の教訓と。その両面について多くの人からの、とりわけ直接選挙に携わった人たちからの報告や意見を聞きたい。

今回は、勝利に結びつかなかったが、差し迫っている憲法の危機を回避するには、市民と野党が大同団結して選挙で勝つしか方法がない。北海道5区補選で形づくられた「この道」「この形」しかないのだ。どのようにすれば、「この道」をもっと大きく広げ、多くの人に歩いてもらうことができるのか。その教訓を得たいと思う。がっかりはしているが、「結局共闘しても勝てない」と清算主義に陥ってはならない。私も、及ばずながら、分かる範囲で、考えてみたい。

北海道5区補選が注目されたのは、野党共闘の効果の試金石としてである。任意の一小選挙区で野党共闘候補が勝てれば、日本中の小選挙区で勝つ展望が開ける。北海道5区は、そのような意味の「任意の一選挙区」であっただろうか。

選挙結果でまず目についたのは、5区内での得票の地域的偏りである。区内各自治体は、札幌市厚別区・江別市・千歳市・恵庭市・北広島市・石狩市・石狩郡当別町・石狩郡新篠津村である。各自治体ごとの候補者別得票数は以下のとおり。
              和田     池田
札幌市厚別区     29,292   33,434
江別市         28,661   29,687
千歳市         25,591   14,439
恵庭市         19,447   13,062
北広島市        13,419   15,200
石狩市         13,103   13,133
市区計        129,513   118,955

当別町           5,023    3,902
新篠津村         1,306     660
北海道第5区     135,842   123,517

以上のとおり、池田候補は、札幌市厚別区、江別市、北広島市、石狩市では勝っているのだ。千歳市、恵庭市で大きく負け込んでいるのが敗因となっている。全体の票差は1万2300票だが、千歳市での1万1100票差、恵庭市での6400票差が大きい。言うまでもなく、この両市は基地の街である。自衛隊関係者の有権者が多い。安全保障問題が大きな争点となった今回選挙では、明らかに千歳・恵庭は「任意の一選挙区」ではなかった。

千歳・恵庭を例外地域とすれば、これを除いた札幌市厚別区・江別市・北広島市・石狩市と市部では野党共闘候補が勝っている。このことは、大いに勇気づけられるところではないか。

ところで、朝日・NHK・道新・共同通信が、それぞれの出口調査の結果を発表している。

朝日は、その結果の報道に「無党派層68%『池田氏に投票』」と見出しを付けている。
「池田氏の方が無党派層依存度が高く、無党派層で和田氏に大きく水をあける必要があった。この日の出口調査で、無党派層は32%が和田氏に、68%が池田氏に投票。池田氏善戦に見えるが、結果を見ればその差では不十分だった。」という分析が、正鵠を得ているのだろう。

NHKの調査は、「和田氏は、無党派層では30%余りの支持を集めました。これに対して池田氏は、また、無党派層からは70%近くの支持を集めました」と、ほぼ朝日と同じ結果を報じている。

道新の分析も同様である。「池田氏は、民進党支持層と、共産党支持層の9割以上を固めた。無党派層からも7割の支持を得たが、当選には及ばなかった。」

共同通信の調査結果では、「『支持政党なし』の無党派層は、73・0%が池田氏に投票した。」という。

朝日によれば、「自公の支持層は出口調査回答者の4割を超えるのに対し、4野党の支持層は3割に満たない」という。そもそも基礎票が「4割強」対「3割弱」と、我が方著しく劣勢なのだ。結局は無党派層の票を上積みするための奪い合いとなるが、野党陣営が勝つためには、基礎票の差を埋める以上の票差をつけて無党派層を取り込まなければならない。池田候補は、「68%」(朝日)、「70%近く」(NHK)、「7割」(道新)、「73%」(共同)と無党派層に浸透したが、基礎票の差を埋めるに至らず、いま一歩及ばなかったということなのだ。

道新の調査は、「野党統一候補で無所属新人の池田真紀氏も民進支持層の95・5%、共産支持層の97・9%の票を得ており、両候補とも支持層を手堅くまとめた。」と報告している。

野党陣営は、それぞれの自陣を固めきり、無党派層を取り込む相乗効果も上げた。共闘は成功したと言ってよい。しかし、千歳・恵庭を擁するこの選挙区では、基礎票が不足していた。そして、無党派層の取り込みが、勝つための高いハードルをクリアーするには十分でなかった。

さて、他の多くの選挙区であれば、基礎票の差は北海道5区ほどではないとして、勝てたのではないか。池田まき候補には、政見放送の機会が与えられなかったなどの無所属故のハンディもあった。このような不公平をカバーすることができれば、勝機があったのではなかろうか。

勝敗の分かれ目は、無党派層の取り込み如何である。さらに無党派からの支持率を上げるには、どのような訴えをすればよいのだろうか。また、投票率のアップは野党有利という図式が明確になった。投票率を上げる工夫はどうすればよいのだろうか。そして、いよいよ次からは18歳の有権者が登場する。この若者たちに、どのような訴えかけが有効なのだろうか。

「これ以外にはない」道を大道とするために、知恵を集めたいものである。
(2016年4月25日)

「大名旅行」の舛添さん、あなたは庶民感覚を忘れた裸の王様だ。

舛添さん、どうもあなたはアカンようだ。あなたには多少の期待をしていた。あの暗黒の石原都政時代が長すぎた。あなたが知事になって、都政が変わるのではないか、そう考えた私が愚かだったようだ。

あなたは庶民感覚を忘れてしまっている。それが、あなたはもうアカンという理由だ。あなたは、都民の目、都民の批判にあまりにも鈍感だ。あなたには、都民の心情に寄り添い、都民の期待を把握してそれに応えようという真摯さが感じられない。「都民からの批判あるのは当たり前、一々気にしていられるか」という為政者の感覚になってしまっている。

あなたが厚労大臣として活躍していたころには、なかなかのものだという印象をもっていた。しかも、あなたは都知事選において必ずしも石原後継というイメージを刻印されずに済んだのだ。あの石原慎太郎が、泡沫とみられていた田母神を応援したからだ。だから傲慢な石原都政とは一線を画した、中道の舛添カラー都政となるのではないかとの期待があった。

2014年都知事選では、保守・中道票は、細川・舛添・田母神に三分された。あなたは、中道リベラルの票は細川に、右翼票は田母神に侵蝕されたが、石原都政とは一線を画し、これを批判する立場に立てた。だから、都庁内の萎縮した雰囲気を変え、風通しのよい都政が期待できるかと、一瞬にせよ思わせたのだ。教育庁の人事も変わってくるだろう。現場の声に耳を傾けることになるのではないか。それが、どうもアカンことになっている。

昨日(4月23日)の毎日夕刊が、「宿泊は会議室付きスイート」「海外出張経費 都知事『高すぎ』」「首都圏3県知事が問題視」「条例上限超え総額年5686万円」「神奈川・埼玉・千葉の2?7倍」と報じている。共産党都議団の「宿泊スイートルーム1泊19万円/共産党都議団が抜調査報告」が赤旗に発表されたのが4月8日。その後各紙とも、このテーマを追っかけている。それでも、是正されないのだ。

毎日記事は、以下のとおり。
「東京都の舛添要一知事の海外出張経費について、首都圏の神奈川、埼玉、千葉3県の知事が高額さを批判している。舛添知事の宿泊費は条例の上限額を大幅に上回るが、3県知事は全員、2015年度の海外出張の宿泊費を条例の規定内に収めていた。埼玉県の上田清司知事は12日の定例記者会見で『東京都は財政に余裕があり、おおらかなお金の使い方だ。国民目線からはどうなのかなと正直思う』と皮肉った。」

「都条例では、知事の宿泊費上限は出張先で異なるが、最高で1泊4万200円。都人事委員会の確認を経れば上限を超えられる。共産党都議団が情報公開請求で得た文書によると、舛添知事は就任した14年2月以降、宿泊費が全て条例の上限を超え、最高はロンドンの1泊19万8000円。15年度末までの8回の出張で延べ10都市のホテルに宿泊し、うち7都市でスイートルームを利用した。
 これに対し、上田知事は15年度の北京出張で上限額を下回る1泊2万3000円のホテルを利用。埼玉県によると、過去5年度分の海外出張の宿泊費は全て上限額を下回り、多くで随行職員と同ランクの部屋に宿泊した。
 神奈川県の黒岩祐治知事も英国出張では上限額以下の1泊3万2200円。12日の定例会見で『効果が期待されるから、いくらでも使っていいということはない』と批判した。
 千葉県の森田健作知事も規定内に収め、ドイツ・オランダ出張は1泊2万4200円。県の担当者は『税金を使うのだから費用対効果を考えて予算を組むよう知事から指示されている』と話す。

 15年度の知事の海外出張経費総額(随行職員の経費含む)は都が約5686万円で3県の約2・2?7・7倍。3県の知事は飛行機の座席がビジネスクラスなのに、都は知事がファーストクラスで、一部職員もビジネスクラスを利用している。

 舛添知事は今月12?18日の米国出張で随行職員を昨秋のロンドン・パリ出張より4人減らして15人とし、一部職員の宿泊先は廉価なホテルにした。ただ、自身の宿泊は全て会議室付きスイートルームで5泊計73万5600円(条例の上限は5泊計20万1000円)。飛行機もファーストクラスを2度、ビジネスクラスを1度使い、自身の旅費総額は298万5650円だった。」

これに対するあなたの反論が、またアカンのだ。
「帰国した18日、舛添知事は『ホテルは二流、三流だと(相手に)「その程度なら会わない」と思われてしまう』と語り、22日の定例会見でも『会議を毎日やる。スイートルームという言葉だけで遊び回っている部屋みたいな誤解があってはいけない』と述べた。」

22日定例会見の内容は、東京都のホームページ(知事の部屋)で見ることができる。そこに次の質疑が掲載されている。
【記者】IWJの城石です。ホテルの宿泊費の件なのですけれども、必要な経費として舛添知事は訴えていますけれども、日本共産党都議団の出した資料によれば、スイートルームでの会見の記録というものは、石原都知事の時代からなかったということで、やはりこのスイートルームの宿泊費というのは、見直す必要があるのでは…。
【知事】部屋について言うと、会議のための部屋を一緒につけているのを、どう呼ぶかは、スイートルームと呼んでいるホテルもあるし、そうではない名前で呼んでいるホテルもあって、つまり、会議をやるわけです、そこで、毎日。例えば今回などもものすごい頻度で会議をやったのは、熊本地震がありました。刻々、全部情報が入って、「どういう形で警察を派遣しろ」「お医者を派遣しろ」と、こういうことを刻々やるわけです。そのために会議をやらないといけない。ホテルで会議のための部屋を特別にとったら、どれぐらいお金を取られると思いますか。そういうことのために使っているので、スイートルームという言葉だけで遊び回っている部屋のような、そういう誤解があってはいけないということです。
 それから、いろいろな方がお見えになりますけれども、極めて大事な政治的な話をするときに、公開すべきものではありません。ですから、来なかった、来たとかということで判断できる話ではないのです、はっきり言うと。結果として、仕事がちゃんとできないとだめだと。だから、仕事の内容を精査しておっしゃっていただきたいと思います。

【記者】朝日新聞の伊藤です。なかなか都民感覚では出張経費にかかった額に対して、やはり自分の生活感覚と比べてしまう部分もあって、理解しにくい部分があると思うのですけれども、今後、理解を得るための成果の出し方とか、伝え方で、何か具体的なアイデアがあれば教えてください。

【知事】それは、随行なさった方は分かると思いますが、現場でちゃんと記者会見をして、どういう成果があったということを言っていますので、それは皆さん方もちゃんと伝えてくださっていると思いますし、また、ホームページを通じて申し上げたいと。
 ただ、遊びに行っているわけではありません。物見遊山ではありません。仕事で行っているのだということをご理解いただいて、きちんと仕事ができる状況を整えるということも重要だということもご理解いただければと。

舛添さん、あなたは「遊びに行っている」「物見遊山をしている」と批判されているわけではない。都民の金銭感覚からすれば、交通費も宿泊費も高額に過ぎる。都民が拠出した税金の使い方が荒すぎはしまいかと疑問視され、その点を批判されているのだ。

都条例での知事の宿泊費上限は最高で1泊4万200円だという。この額は都議会が決めたものだ。近隣3県の知事は、各県条例の上限を遵守していて、どうして舛添さん、あなただけがその何倍もの宿泊費が必要となるというのだ。3県の知事は、出張先で会議などしていないというのだろうか。

本日(4月24日)の赤旗には、「『大名旅行』と批判殺到」の見出しで、次の記事がある。

「東京都の舛添要一知事が12?18日に米国出張し、航空運賃と宿泊費だけで計298万5650円を支出していたことが22日、わかりました。
 舛添知事はニューヨークとワシントンに出張し、両市長と懇談。桜の苗木を植樹し、証券取引所を訪問しました。都政策企画局によると、知事の宿泊ホテル代(5泊)は73万5600円で、航空運賃には225万50円を支出。往復ともファーストクラスで、米国内の移動はビジネスクラスでした。
 知事が宿泊した部屋は1泊14万100円?15万1800円のスイートルームで、都が条例で定めている上限額の3・5?3・8倍と高額でした。
 都によると、知事宿泊室での現地要人との面会はなく、招き入れたのは現地メディア2社の計2回だけで『社名や人数は言えない』としています。」
「都には『大名旅行だ』などと21日までに2469件の批判・意見が殺到しています」

政(まつりごと)の要諦は、「民の信なくんば立たず」にある。舛添さん、都民はあなたに、到底信を寄せることはできない。言い訳は見苦しい。都民の目からは、あなたは貪欲な裸の王様以外のなにものでもない。
(2016年4月24日)

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