下記は、外務省ホームページからの抜粋である。
◆4月12日から19日まで,デビッド・ケイ意見及び表現の自由に対する権利の促進と保護に関する国連特別報告者(「表現の自由」国連特別報告者)(Mr. David Kaye, UN Special Rapporteur on the promotion and protection of the right to freedom of opinion and expression)が訪日します。同特別報告者は,昨年12月上旬に訪日予定でしたが,その後日程を再調整することとなり,その結果,今般,我が国として,先方から改めて希望表明があった日程で受け入れることとしたものです。
◆滞在中,ケイ特別報告者は,意見及び表現の自由に対する権利の促進と保護に関して,我が国の取組や状況を調査することを目的として,関係省庁その他関係機関と意見交換を行うとともに,NGOとの対話を実施する予定です。
[参考]特別報告者とは,特定の国の状況または特定の人権テーマに関し調査報告を行うために,人権理事会から任命された独立専門家。2014年8月に米国出身のデビッド・ケイ氏が就任した。
デビッド・ケイ氏は国連が派遣する公式訪問者である。日本政府がその公式訪問をいったんは承諾しながら、昨年12月にドタキャンしたことで大きな話題となった。アベ政権が話題提供に知恵を絞った結果のドタキャン…、ということはあり得ない。
ともかく、「再度の日程調整」で訪日した同氏は、多忙を極めているご様子。「関係省庁その他関係機関と意見交換を行う」だけでなく、その対抗関係にある「NGOとの対話の実施」にも余念がない。その使命が、「表現の自由に対する権利の促進と保護」にある以上、「加害者側」との意見交換を行うだけでは明らかに不公平。「被害者側」の訴えにもじっくりと耳を傾けてもらわねばならない。
本日午前、私もNGOの立場において、同氏に対するブリーフィングの機会を得た。本日のグループヒアリングプログラムにおける訴えのテーマは、NHK問題、選挙運動の自由、学校現場における「日の丸・君が代」強制、在日コリアンに対するヘイトスピーチ問題など。
「日の丸・君が代」強制問題については、4人がプレゼンターとなった。私もその一人だが、「日の丸・君が代強制に反対し、国連勧告実現を求める1・29院内集会実行委員会」の立場からの発言。
残念ながら、私は英語でのプレゼント能力に欠ける。「欠ける」は少々の見栄で、本当はナッシングなのだ。しかし、「日の丸・君が代」強制反対訴訟の原告団は多士済々、英語に堪能な方がたくさんいる。
私の拙い日本語が、東京「君が代」裁判・4次訴訟原告の加藤良雄さんによって、すばらしい文章になり、流暢で行き届いた訴えとなった。おかげで、他のプレゼンターのブリーフィングとともに、デビッド・ケイ氏の胸に響いた…のではなかろうか。せっかくの名訳、掲載しておきたい。
日の丸・君が代強制に反対し国連勧告実現を求める1・29院内集会実行委員会からの要請
東京都の公立学校の入学式や卒業式においては、全教職員に対して、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令が発せられ、この命令に従わない者には懲戒処分が科せられます。
All the teachers at the public schools in Tokyo are forced by the principal’s work order to stand up facing the national flag and sing the national anthem at the entrance and graduation ceremonies, and those who disobey the order are punished without exception.
自らの思想と教員としての良心に照らして、この命令に従うことができないとして懲戒処分を受けた者は478名に上っています。
The total number of the teachers who have been given some sort of punishments by refusing to obey because of their thought and conscience have amounted to as many as 478.
日本の国旗とは「日の丸」、国歌とは「君が代」のことで、戦前の天皇制時代とまったく同じものです。
The national flag in Japan is called Hinomaru and the anthem called Kimigayo. They are exactly the same as those in the Imperial state period before World War II.
「日の丸」とは、ある教員にとってはナチス政権時代のハーケンクロイツと同じ全体主義と軍国主義のシンポルに映ります。
To some teachers, Hinomaru, meaning the Rising Sun, symbolizes the totalitarianism and militarism, just like Hakenkreuz in the Nazi period.
また、ある信仰者の教員には、天皇の祖先神と言われているアマテラス(太陽神)の象形として信仰上受け容れることが出来ません。
Other teachers with religious faiths cannot accept Hinomaru because its design is the icon of Amaterasu, the name of Sun Goddess, which is said to be the ancestral goddess of the emperors.
「君が代」もその歌詞は神なる天皇の讃歌であり、そのメロディーは天皇が文化的な精神世界までも支配した時代の儀式の記憶と深く結びつくものです。
Kimigayo, meaning the Reign of the Emperor, glorifies the emperors as gods, while its melody is deeply connected with the memories of rituals in the age when emperors controlled even the cultural and spiritual world.
400年前の日本には、キリスト教を厳しく取り締まるために、踏み絵の強制という制度がありました。
About 400 years ago in Japan, in order to clamp down on hidden Christians, there was a system called “coercion of Fumie”, in which they were forced to step on the plate with a crucifix or other Christian symbol to prove themselves non-Christians.
多くの教員が、踏み絵を迫られた信仰者と同様に、自らの信念に従って不起立を貫くか、それとも心ならずも起立するか、という苦渋の選択を迫られているのです。
A lot of teachers, just like Fumie-coerced Christians, are now forced to make a tough choice whether to refuse to stand up according to their faith or to stand up against their will.
これは、人の思想・良心・信仰に鞭を打つ行為というほかありません。
This kind of order, which violates their thought, conscience and faiths, is totally illegal and unacceptable.
東京都はこのような教員を容赦しません。懲戒処分を繰りかえしています。
Tokyo Metropolitan Board of Education aims to drive these disobedient teachers out of school and have been continuing to punish them relentlessly.
歴史観、思想・良心、宗教的理由などから「日の丸君が代」に敬意を表明できない教職員や子どもたちがいるのに、政府はそういった多様な考えを持つことを許しません。
The Japanese government never allows them to have diverse opinions, though it fully knows that there are no small number of teachers and children who cannot manifest their respect for Hinomaru and Kimigayo because of their historical viewpoint, thought and conscience and religious faiths.
東京都教育委員会は話し合いすら拒否しています。
On top of that, Tokyo Board of Education has been refusing even to talk with teachers and citizens.
「日の丸君が代」強制に反対し,国連勧告実現を求める1・29院内集会実行委員会は、昨年、「勧告22」を尊重して侵害を中止するよう、文科省や外務省に、6度の質問書を送り、3度にわたって対話集会を行いました。
The Executive Committee for the 1.29 Meeting at the Diet Members’ Office which is against “Hinomaru & Kimigayo” Coercion and Demanding to Help Realize the Ideas of the U.N. Recommendations sent six written inquiries last year to the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology and the Ministry of Foreign Affairs, calling for the respect for the Recommendation No.22 and the halt of violating human rights, and the Committee held the meetings three times to discuss the issue.
しかし,文科省、外務省、法務省は口を揃えて、「勧告22」には,「日の丸君が代問題」との明示がないとして、全く取り合おうとはしません。
All the three Ministries including the Ministry of Justice, however, closes their ears to our demands, saying that the Recommendation No.22 does not make a clear reference to Hinomaru and Kimigayo issue.
各省は、日の丸君が代強制による思想良心表現の自由への侵害をやめさせる努力を行おうとはせず、結局「勧告22」を無視した姿勢をとり続けています。
After all, each Ministry has done nothing to stop the violation of thought, conscience and expression by the Hinomaru and Kimigayo compulsion, ending up ignoring the Recommendation No.22.
懲戒処分の取り消しを求めて10年以上にわたって裁判が継続する中、最高裁において、減給・停職という重い処分は、裁量権の逸脱濫用として違法とされ取り消されています。
We have been continuing the trial to seek the revocation of all the punishments for over ten years, and we managed to obtain the decision of the Supreme Court, which revoked such serious punishments as salary cut and suspension from work as an abuse of discretion and illegal.
しかし、戒告については、軽微な処分とされ、取り消しが認められていません。
However, we have been so far unsuccessful in revoking reprimand, the judges insisting that reprimand is relatively a minor punishment.
そして今でも、日の丸君が代の強制は続いています。
That is why even now the compulsion of Hinomaru and Kimigayo never stops.
戒告処分といえども、すくなからぬ経済的な不利益はあり、制度の改定によって経済的な損失は重くなっています。
I would like you to see the fact that reprimand is accompanied by no small economic loss, and its loss is getting greater and greater with the revision of the punishment system.
処分にともなって強制される「再発防止研修」では,繰りかえし考えを改め起立斉唱するよう迫られます。
Worse still, the disobedient teachers are not only given punishments. They are made to attend training programs called “Seminar for Prevention of Recurrence”, and are required again and again to change their thought and sing the national anthem.
今、日本は現政権によって憲法が危機的状況を迎えています。
Japan is now in the grave situation because the current administration is trying to change the peaceful Constitution.
憲法の中核をなす思想良心表現の自由が、学校教育の中で崩されつつあるのです。
The freedom of thought, conscience and expression, which is the center core of the Constitution, is on the verge of crumbling down in the school education.
ぜひ、この重要な問題にもっと注目をしてくださるようお願いします。
With my whole heart, I would like to call on you to pay much closer attention to this serious issue. Thank you.
(2016年4月16日)
熊本地震には驚いた。古語の「なゐ」は、「なゐ(大地)震る」が原義だそうだが、大地だけでなく人も震る。身も心も震える。被災地の方々は、さぞかし怖かったことだろう。心からお見舞いを申しあげたい。
5年前東北に起こったことも、昨日熊本に起こったことも、明日は日本中のどこにでも起こりうることだ。私は小心なので心底怖い。原発などを作ろうという人たちの神経が理解しかねる。再稼働を容認する社会の空気も恐ろしい。
地震に続いて、さらに怖いことが起こっているという。岩上安身さんから、こんなメールがはいった。
「今回の熊本での地震を受け、一部のネット上で関東大震災の虐殺事件を彷彿とさせるようなヘイトスピーチやデマが流されています。十分にご注意ください。警察は対応を。以下、ご参照ください。
https://twitter.com/IWJ_sokuhou/status/720607857314402306
このような行為はとても看過できないと思うのですが、ご意見を…」
検索すると次のような「ヘイトツィート」が、いくつも目にはいった。
熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ
在日朝鮮人 が 熊本中の井戸 に 毒を入れて回っている というのは本当なのですか?
こいつらいつも井戸に毒流してんな
熊本で不逞朝鮮人が暴動を起こそうとしてるってマジ!?
朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ回ってるようです!!!
熊本県民の皆さんは自警団を組織して自己防衛に努めてください!!!
朝鮮人かの区別には「がぎぐげご」と言わせてみればわかります!!!
騒ぎに乗じるのはこっちの趣味ではないのだけど鮮人どもが騒ぎに乗じて悪事を行うからしょうがないよねぇ…、と私は思うのですよ。
こういう時に暴言はもちろん盗みとか嘘募金とかやる中国朝鮮人にご注意。
まさしく、現代の流言飛語はツイートが媒体となる見本。「軽いいたずら」と見過ごすことはできない。この愚かな差別表現を芽のうちに摘まなければならない。このような複数のつぶやきが繰り返されて累積するうちに、尾ひれがつきリアリティを獲得するものとなりかねない。罪の深いことこの上ない。
このようなネット上のヘイトスピーチは、人種差別撤廃条約第4条の「人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布、人種差別の扇動」にあたるものというべきであろう。国際社会は、日本にもこれを処罰できる法制を整えるよう求めているのだ。このような差別的言論の蔓延は、厳格なヘイトスピーチ処罰法制定の立法事実となるだろう。
現在、このツィートの「犯人」を警察が強制捜査し、処罰する権限はない。しかし、明らかに社会の安全に反する「ヘイトデマ」に惑わされることのないよう「対応」すべきは行政警察の職務である。公共の安全と秩序を維持するために、警察は、悪質な「ヘイトデマ」を否定しその影響を解消すべく広報活動を徹底しなければならない。
朝日(デジタル)にも、「熊本地震のデマ、ネットで出回る 安易な拡散には注意を」という記事が出た。こちらは、「ツイッター上には熊本地震を巡り、『イオンモールが火事』といったデマも出回った。中には画像付きで『熊本の動物園からライオンが逃げ出した』という内容も。」という中身。
ところで、熊本地震後のヘイトツィートの恐ろしさは、関東大震災後の混乱の中で、流言飛語が多数の在日朝鮮人(中国人も含まれている)殺害の要因のひとつとなった事件を思い起こさせるからだ。1923年9月1日震災から始まる軍と警察と民衆とによる朝鮮人・中国人虐殺である。日本の民衆の多くが暴虐な加害者となった恥辱の記憶。
資料は夥しくあるが、吉村昭の「関東大震災」(文春文庫)と、姜徳相の「関東大震災」(中公新書)の両書がコンパクトで信頼できる。前者が客観性にすぐれ、後者が在日の立ち場から「死者の怨念が燃え立つような」情念を感じさせる。そして、2003年8月に日弁連が、「関東大震災人権救済申し立て事件調査報告書」を下記のとおりまとめている。
http://www.azusawa.jp/shiryou/kantou-200309.html
私のブログも、やや長文の下記「震災時の朝鮮人虐殺から90年」を書いている。以下はその抜粋である。
https://article9.jp/wordpress/?p=1102
朝鮮人虐殺の主体は、日本刀・木刀・竹槍・斧などで武装した自警団であった。仕込み杖、匕首、金棒、猟銃、拳銃の所持も報告されている。自警団とは日本の民衆そのものである。「彼ら」と客観視はしがたい。自警団をつくったのは「私たち」なのだ。その自警団は、朝鮮人を捜索し誰何して容赦なく暴力を加え殺害した。「武勇」を誇りさえした。その具体的な残虐行為の数々は判決にも残され、各書籍にも生々しい。姜徳相の書は、「単なる夜警ではなく、積極果敢な人殺し集団であったことまた争う余地がない」「天下晴れての人殺し」と言いきっている。さらに、「死体に対する名状しがたい陵辱も、忘れてはならない。特に女性に対する冒涜は筆舌に尽くしがたい」「『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいる」と紹介している。
事後の内務省調査によれば、自警団は東京で1593、神奈川603、千葉366、群馬469など、関東一円では3689に達した。ひとつの自警団が数十人単位だが、中には数百人単位のものもあった。全体として、恐るべき規模と言わねばならない。
在日朝鮮人の被害者数はよく分からない。公的機関が調査を怠ったというだけでなく、調査の妨害までしたからである。一般に、その死者数は6000余と言いならわされている。上海在住の朝鮮独立運動家・金承学の、事件直後における決死的な各地調査の累計数が6415人に達しているからである。
当時、東京・神奈川だけで、ほぼ2万人の朝鮮人がいた。事件のあと、当局は、朝鮮人保護のためとして徹底した朝鮮人の「全員検束」を行った。この粗暴な検束の対象として確認された人数が関東一円で11000人である。少なくとも、9000人が姿を消している。これが、殺害された人数である可能性があるという。
一部犯罪者傾向のある少数者の偶発的犯罪ではない。恐るべき、一民族から他民族への集団虐殺というほかはない。なにゆえ3世代前の日本人(私たち)が、かくも朝鮮人に対して、残虐になり得たのだろうか。当時、「混乱に紛れて、朝鮮人が社会主義者と一緒に日本人を襲撃しに来る」「朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている」「爆弾を持ち歩き、放火を重ねている」などの、事実無根の流言飛語が伝播し、これを信じて逆上した自警団が、朝鮮人狩りに及んだとされている。ではなぜ、そのような流言が多くの人の心をとらえたのだろうか。
歴史的には、朝鮮併合が1910年、最大の独立運動である3・1事件が1919年である。3・1事件には、200万人を超える民衆が参加し、7500人の死者を出す大弾圧が行われた。関東大震災が発生した1923年は、多くの日本人にとって、朝鮮独立運動の記憶生々しい時期に当たる。「不逞鮮人の蜂起」「日本人への報復的加害」の流言飛語は、それなりのリアリティをもつものであった。
自警団の犯罪は、形ばかりにせよ検挙の対象となり、起訴され有罪判決となっている。各地で裁判を受けた被告人の職業別統計を見ると、ほとんどが「下層細民」に属する人々であるという。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けた」「これは、日本帝国主義が植民地を獲得したことの盲点であり、植民地制度によってさずけられた特権であった」「朝鮮人は、軽蔑し圧迫するに適当な集団と見られたのである」という同氏の指摘は重い。
いま、「朝鮮人は殺せ」などと、ヘイトスピーチを繰り返して恥じない集団がいる。おそらくは、彼らは90年前の「都市下層細民」にあたるのだろう。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けたい」「自分たちよりも、もう少し圧迫されている存在を見下して安心したい」心情なのだ。しかし、今やそんなことが許される時代ではない。もともと、「在日コリアンは、軽蔑し圧迫するに適当な集団」ではあり得ない。平等の人格をもつ人権主体であることを知らねばならない。
90年前の日本人(私たち)がした民族差別に基づく集団虐殺を、けっして忘れてはならない。日本人自身の震災被害の甚大さに埋没させ、隠してはならない。その事実を見つめ、そこから教訓を酌まなければ類似の事件が起きかねない。日韓・日朝の友好関係を築くことも困難になる。熊本地震後の混乱のヘイトスピーチ。今こそ、歴史の教訓に学んだ対応をしなければならない。
(2016年4月15日)
田母神俊雄が逮捕された。一瞬驚いたが、所詮は政権とは無縁の人。甘利逮捕ならビッグニュースだが、田母神逮捕ではさしたるニュースバリューはないのかも知れない。それでも、田母神を応援した石原慎太郎や百田尚樹らの言を聞きたいところ。
政治的影響はともかく、政治とカネ、選挙とカネについての貴重な教訓を提供する事件だ。選挙運動は無償だ。これにカネを支払えば犯罪となるとの警鐘として心しなければならない。似たような話は身近にいくつもある。
田母神逮捕の被疑事実は公職選挙法の運動員買収である。条文を抜粋すれば以下のとおり。
第221条(買収)「次に掲げる行為をした者は、3年(候補者がした場合は4年)以下の懲役若しくは禁錮又は50万円(100万円)以下の罰金に処する。
一 当選を得、若しくは得しめ又は得しめない目的をもって、選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益の供与、その供与の申込み若しくは約束をしたとき。」
公選法上の買収には2種類ある。選挙人買収と運動員買収である。選挙人(有権者)を買収することは、直接に票をカネで買うことだ。運動員の買収はカネで票を集めること、間接的にカネで票を買うことにほかならない。選挙運動は無償が大原則なのだから、選挙運動員にカネを渡してはならない。カネを渡せば運動員買収罪が成立する。受けとった運動員も処罰対象となる。買収だけでなく供応も同じだ。
田母神の被疑事実は、「都知事選後の14年3月中旬ごろ、東京都内の事務所で、事務を統括し選挙運動をしたことへの報酬として島本順光元事務局長に200万円を支払ったほか、島本元事務局長らと共謀し、同3月中旬?5月上旬、同事務所などで運動員だった5人に対し、投票を呼びかけて練り歩いたことなどに対する報酬として、現金計280万円を供与したと」と報道されている。
候補者であった田母神だけでなく、島本順光元事務局長も逮捕された。島本は、5人の運動員買収について田母神との共犯(共同正犯)とされたほか、自らが田母神から200万円を受領したことが別の独立した犯罪とされている。
選挙運動は、判例において「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」と定義されている。選挙運動は飽くまで、自発的な意思によって行われるべきもので、報酬はない。選挙運動は無償が原則である。選挙運動者に報酬を支払えば、運動員買収として処罰対象となるのだ。もっとも選挙運動には当たらない純粋な労務の提供や事務作業者に対しては、予め届け出た者に限って決められた範囲の額の対価を支払うことができる。気をつけなければならないのは、たとえ労務者として届出があっても、単純労務の提供の範囲を超えて「選挙運動をした者」となれば報酬を支払ってはならないということだ。
私は、2013年の暮れから14年の1月にかけて、連続33日間「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズを書き続けた。その中で、12年暮れの都知事選における宇都宮陣営の田母神類似問題について、詳細に報告した。
金額の大小の差はあれども、宇都宮選対事務局長と選対本部長とは、田母神陣営と似たことをしている。この報告は、下記のURLでお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6
この私の指摘に対して、宇都宮陣営の3人の弁護士が連名で「反論」している。2014年1月5日付(公表は6日)の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」というもの。公平に見て、駄文の域を出ないものであるが、そのなかに、見過ごせない次の一文がある。
「澤藤氏は、『公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。』とか『市民選挙における選挙カンパとは、選対事務局員への報酬へのカンパではないはずと思うのです。』との一方的な思い込みに基づく論理で、あたかも選対事務局員に公選法違反の報酬が支払われたかのごとき主張をなしているのである。これらの支払いは単純労働への対価の支払であり、何らの違法性もないものである。」
この文章の非論理はともかく、これを普通の読み方をすれば、「公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています」という私の指摘を、「一方的な思い込みに基づく論理」として非難するものにほかならない。これは、恐るべき認識というほかはない。この文章が書かれたのは、2014年都知事選の直前のこと。14年都知事選での宇都宮陣営は、「選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています」という指摘を真剣に受け止めることなく、選挙戦に突入したと考えるほかはない。この3弁護士の「論理」で選挙運動をしたのでは、田母神陣営と同様の違法を犯した可能性を否定し得ない。
革新陣営の選挙に参集する選挙運動者に対しては、飽くまで「選挙運動は無償(ボランティア)でするもの」と確認し強調しなければならない。これを「一方的な思い込みに基づく論理」などと揶揄するようでは、田母神陣営の感覚と変わるところがない。14年選挙についての違法は可能性しか指摘できないが、12年選挙に選対事務局長や選対本部長の違法があったことは、既述のとおりである。
このような感覚だから、12年選挙における宇都宮選対の打ち上げの「会食費」が政治資金収支報告書に計上されたり、宴席で突然に「労務者報酬」が配られたりするようなことになる。このようなやり方で、善意の選挙運動参加者を違法行為に巻き込んだ選対事務局長の責任はとりわけ大きい。
その他の反論は、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその17」をお読みいただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=1834
あらためて当時のことを思い出す。今回の田母神逮捕は、私の運動員買収の指摘が杞憂でなかったことを裏付けるもの。再度しっかりと確認しておきたい。選挙運動は飽くまで無償でやることなのだ、と。
(2016年4月14日)
選挙は戦争によく似ている。昨日(4月12日)開戦の、北海道5区の「選挙戦」について、本日の朝日トップは、「衆院2補選告示 参院選前哨戦」と見出しを打った。天下分け目の総力戦の前哨戦。しかも、アベ自民と野党・市民連合の一騎打ちである。
続いて、「アベノミクスの評価 焦点」という大見出し。関連の記事は以下のとおり。
「安倍首相はこれまで、経済が好調であることを前面に掲げて国政選挙を連勝してきた。ただ、今年に入り世界経済の減速を受けた円高・株安の影響で、政権が掲げる「経済の好循環」の実現が見通せなくなっており、アベノミクスの評価が改めて問われる。安全保障関連法が昨年9月に成立してから初めての国政選挙でもあり、同法の是非をめぐる論戦も焦点だ。環太平洋経済連携協定(TPP)への賛否も争われる。」
結局対立軸となる争点は、「アベノミクス」「安全保障関連法」「TPP」の3本というわけ。3本ともアベ側が放った矢だが、色褪せ、折れている。「アベノミクスの失敗」「戦争法の違憲性」「TPPの秘密主義と地域経済切り捨て」の3本の矢が、返り討ちの矢となっている。
谷垣幹事長の街頭演説が紹介されている。
「野党統一候補を『何党に所属して政治をやるのかも分からない』と批判。一方で『アベノミクスを力の限りやってきた。あと一歩のために、政治の安定が何よりも大事だ』と訴えた。」という。この人、性格上大言壮語は似合わない。結局、これくらいのことしか言えないのだ。
アベ側候補の出陣式で読み上げられた安倍晋三自身のメッセージは次のとおり。
「国民に責任を持つ自民党、公明党の連立政権か、批判だけの(旧)民主党、共産党勢力かの選択を問う極めて重要な戦いだ」。
防戦一方のメッセージ、積極的な武器も戦略も戦術もなんにもない。迫力ないことこの上ない。総大将がこれでは、士気は上がらない。
戦は、勢いだ。いま自公側に勢いはなく、野党・市民側には勢いがある。緒戦の戦況、我が軍に大いに有望ではないか。
ところで、野党連合軍に新兵器はないのか。敵の放った矢を的外れとし、あらためて射返すだけでも大いに意気が上がってはいるが、さて、果たしてこれで十分だろうか。
常々、不思議に思っていたのは、アベ自民の評判はよくない。よくないどころではなく、悪いと言いきってよい。アベの性格もよくない。政策もよくない。個別の政策では明らかに世論の支持を得ていない。ところが、内閣支持率はなかなか落ちない。落ちそうになりながらも、落ちきらない。その理由が実感しにくい。
本日の東京新聞「本音のコラム」欄に、斉藤美奈子が「一発逆転の秘策」という記事を書いている。中身は、松尾匡『この経済政策が民主主義を救うー安倍政権に勝てる対案』(大月書店)の紹介。斎藤美奈子をして、「安倍自民党に勝つための起死回生ともいうべき本を見つけた。」と言わしめている。
大筋ははこんなことだ。「安保法制も改憲も問題だけど、人々が求めているのは景気と福祉だ。対抗勢力はそこがわかってない。個別の案件では反対者が多いのに安倍政権の支持率が落ちないのはなぜか。人々が不況に戻るのを恐れているからだ」というのが、この書の基本視点。確かにそうだと頷かざるを得ない。
自民党は長期低落傾向にあって、国民から見放された。国民の輿望を担って、民主党政権ができたが、国民の意識としては大きな失敗をしたのだ。この失敗の失望が大きい。
自民党の方がまだマシだった。アベ自民に戻って、なにか民主党政権よりはマシなことをやっているようだ。自分の生活は少しも楽にはならないが、いつかはよくなることを期待できそうだ。自民以外の政権に委ねるのは冒険ではないか。そんな気分が、安倍の評判の悪さにもかかわらず、内閣支持率を支えているのだろう。
「英労働党の党首選でコービン氏が勝ったのも、米大統領選の民主党候補者指名争いでサンダース氏が躍進したのも、庶民に手厚い政策ゆえだった。」ことから学べ、というのが松尾書のコンセプト。
「よって野党が勝つには『こんなものでは足りない』『もっと好景気を実現します』『日銀マネーを福祉・医療・教育・子育て支援にどんどんつぎこみます』というスローガンを掲げる以外に方法はない!」というのだ。なるほど。それは基本的に正しいと思う。
アベノミクスは、「パイを大きくしましょう。そうすれば、貧者にも分け前が期待できる」とした。しかし、パイもさして大きくはならず、むしろいびつな形に変形した。何よりも3年待っても分け前は来ない。ならば、アベノミクスとはおさらばして、徹底してパイの分け前優先に切り替えよう。国民1%の利益にではなく、99%の利益のために。ここから、社会は活性化する。経済の好循環が始まる第一歩ともなる。
いま、野党・市民連合の池田まき候補が、「誰一人置いてきぼりにしない政治をつくる」としているのは、結局はその路線だ。一人ひとりの人間を大切にする政治の実現こそが、社会全体の経済を活性化し、パイの拡大にも繋がるということなのだ。
池田まき候補の公式ウェブサイトを何度も開いて宣伝に努めたい。
http://ikemaki.jp/mypolicy
同候補はこう言っている。
「飢餓、貧困、格差、紛争、難民、テロ。立憲主義、民主主義の危機。
世界の、そして日本の大きな課題です。
強い者による強い者たちのための政治が、
こうした問題を深刻化させています。
権力の暴走を止めなければなりません。
声なき声をもよく聞き、政治に反映させなくてはいけません。
『誰一人、置いてきぼりにしない』
『誰もが安心して暮らせる社会をつくる』
私、池田まきはそれをモットーに、福祉の現場で、
既成概念にとらわれず、行動を起こしてきました。
さらに、環境、経済、政治など広い分野で
社会的な危機の解決に取り組んでいくために。
ここ北海道から、より良い日本をつくりたい。
池田まきは、皆さんと共に、
平和、いのち、暮らしを守る戦いに挑みます。」
がんばれ。野党市民共闘候補。安倍の「強い者による強い者たちのための政治」に負けるな。
(2016年4月13日)
いよいよ、市民主体の選挙戦が幕を開けた。本日(4月12日)、京都3区と北海道5区の衆院補選の告示である。いずれも投開票は4月24日。これが、今年の政治決戦のプラスのスパイラルの発火点。ドミノ倒しの最初の一コマだ。アベ政権には、これがケチのつきはじめ。
平和や人権に関心をもつ国民にとって、第2次アベ政権は3年も続く悪夢だ。しかし、ようやく「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」となる終わりの始まりがやって来た。
京都3区は自民の不戦敗で、自民の議席減1は闘いの前から決まった。自公の議席の増には憲法が泣き、議席の減には憲法が微笑む。京都でも、少し憲法が微笑んだ。
しかし、天下分け目は北海道5区だ。この選挙区の勝敗は、単なる1議席の増減ではない。その後に続く、参院選と総選挙の野党共闘の成否がかかっているのだ。政党レベルでは、民・共・社・生の4党だが、実はその背後に広範な市民の後押しがある。野党共闘とは、野党支持者を単純に束ねただけのものではない。「野党は共闘」とコールを上げる無党派市民が支えているのだ。その典型としての「北海道5区モデル」が成功すれば、正のスパイラルが動き出す。ドミノ倒しが始まるのだ。
ブロガーは、今日からは大いにブログでツイッターで池田まき候補の応援をしよう。虚偽や誹謗はいけない。しかし、アベ政権や、自公与党への批判に何の遠慮も要らない。今、最大の問題は戦争法の廃止であり、明文改憲の阻止である。そのための池田候補を徹底して応援しよう。せっかく、そのような選挙運動が自由になったのだ。大いに活用しようではないか。
一昨日(4月10日)の日曜日、千歳市で開かれた池田陣営の街頭演説会が象徴的だ。3700人の聴衆に、6人の弁士が池田候補推薦の弁を語った。ジャーナリストの鳥越俊太郎、SEALDsの奥田愛基、「安保関連法に反対するママの会」の長尾詩子、「市民連合」の山口二郎、そして「戦争させない北海道をつくる市民の会」の前札幌市長・上田文雄弁護士だという。政治家がいない!のだ。
集会の名称が、「千歳から、未来の日本を考える」。意気込みは、「北海道5区から、市民の力で平和な日本を切り開く」というもの。たいへんな盛り上がりだったと報じられている。
参加者の共通の思いは「平和」だ。平和な日本の未来を願う人びとにとって、アベ政権は危険きわまりない。その暴走にストップをかけないと、日本は本当に戦争をする国になってしまう。その危機感が、反アベ、反自公の共闘を成立させているのだ。
いま日本の平和のために最も必要なことは、選挙に行くことだ。選挙に行って、反アベの野党共闘候補に投票することだ。自公政権の候補者を落選させて、改憲を阻止することだ。「戦争に行くな」「投票に行こう」。このスローガンで、反アベの野党共闘を応援しよう。
ドミノ倒しを警戒するアベ政権は、北海道5区で負けたら衆参のダブル選挙は回避するだろうと言われてきた。ところが急に空気が変わっている。「北海道5区で負けたらどうせジリ貧。それなら早い総選挙の方が傷が浅く済む」という、与党内の声があると報じられている。つまりは、全国の衆院小選挙区での野党共闘が十分に進展せず、統一候補が決まらないうちの抜き打ち解散が与党に有利という読みなのだ。
しかし、ダブル選挙はそれこそ壮大な歴史的ドミノ倒し実現の場となる公算が高い。すべては、アベ政権を倒すに足りる野党共闘の成否にかかっており、野党共闘の成否は市民の後押しの声如何にかかっている。
がんばれ、池田まき候補。がんばれ、4野党。そして、がんばれ5区の無党派市民。全国の市民たちよ。
(2016年4月12日)
本日(4月11日)、G7の外相たちがそろって広島の平和記念公園を訪問した。予定になかった原爆ドームにも足を運んだという。核廃絶・核軍縮の動きが思わしくないこの時期に、まずはけっこうなことである。
昨日(4月10日)は、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、自ら望んで同じ施設を訪れ、次のように記帳したという。
「倫理がない科学は、考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」(毎日)
サミットで来日するオバマにも、ぜひ広島に足を運んでもらいたい。原爆を投下した国の大統領として、被爆の実相を見つめ、被爆者の生の声を聞いてもらいたい。そして、「核こそが悪魔の道具であること」「同じ石でつまずいてはならないこと」を学んでもらいたい。願わくば、その地位にあるうちに核廃絶に向けた国際世論喚起に一石を投じていただきたい。このままでは、せっかくのノーベル平和賞が泣いている。
いうまでもないことだが、核廃絶に向けた国際世論の喚起のためには、何よりも被爆国日本が強力な発信源とならねばならない。被爆者も、被爆地の自治体も、全国の世論も、核廃絶を願う立場に揺るぎはないものと言ってよい。しかし、政府はどうだろうか。とりわけアベ政権の核廃絶に向けた姿勢は信頼に足りるものだろうか。さらに、日本は近隣諸国から、本気で核廃絶に取り組んでいると見られているのだろうか。実は、極めて心もとないといわざるを得ない。
昨年の8月6日、広島の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に出席した安倍晋三に、厳しい野次が飛んだ。「何しに来たのか」「かえれ」「戦争法案撤回しろ」などというもの。そして、安倍の首相としての式辞に、これまでは欠かさず盛り込まれていた「非核三原則堅持」の言葉がなくなっていたことが話題となった。日本の軍事大国化を願う立場のアベに、真摯な核廃絶を願う気持があろうとは思えないのだ。もっとも、囂囂たる非難を受けて、安倍は8月9日長崎での式辞には「非核三原則堅持」の文言を復活させている。安倍の本心を世論の批判が押し戻した形なのだ。
今年3月の参院予算委員会で、横畠裕介・内閣法制局長官が、核兵器使用について「国内法上、国際法上の制約がある」としたうえで「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」と述べている。このあと、戦争法施行(3月29日)直後の4月1日閣議は、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。「自衛のための必要最小限度の実力を保持することは禁止されていない」「核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、必ずしも憲法の禁止するところではない」というもの。
「これは、従前からの憲法解釈の確認に過ぎない」「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」というのが、政府の説明だが、憲法と「国是」とは天と地ほどの開きだ。憲法は、政権の意思を超えた主権者から政権に対する命令だが、非核三原則は政権が選択した政策に過ぎない。いつ変えられるか、甚だ心もとない。
しかも、政府の説明では、従前と同じだというのだが、専守防衛に徹すると言っていた時代と、戦争法が施行になった今とでは、「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」の意味は大きく異なっている。
朝日の記事によれば、「韓国のネットニュースは『日本政府は、現在は非核三原則を維持しているが、今後、状況の変化によっては核の保有や使用もできるという意味に受け取ることができ、論議を呼ぶことが予想される』(ニュース1)と報じた。」という。
今年1月中旬の韓国世論調査(韓国ギャラップ)では、過半数の54%が「韓国の核武装論」に賛成と回答し反対の38%を上回った。さらには、韓国・中央日報が2月15日付朝刊で発表した世論調査によれば、核武装論に賛成する意見は実に、67・7%で、反対の30・5%を大きく上回ったという。
当然に北朝鮮の核実験やミサイルの開発に刺激されてのことだと思うと、どうもそれだけではないようだ。日本の事実上の核武装を警戒してのことでもあるという。
これも朝日の報道。
「3月27日、東京・御茶ノ水でアジア各地の反核団体が集まる集会が開かれ、韓国からはソウルを拠点にする市民団体『エネルギー正義行動』の李憲錫(イ・ホンソク)代表(41)が参加。李氏は、韓国の原発・核問題の現状を報告する中で、韓国内で論議を呼ぶ「核主権(核武装)論」にも触れた。」
同氏の説明では、「韓国で「核武装」の主張が後を絶たない背景には、北朝鮮の核開発はもちろん、いつでも核兵器を造れる能力を維持しようとしているようにみえる日本の原発・核政策がある」という。
「韓国から見れば、韓国を取り囲むすべての国々が『核兵器』を事実上もっているような状態です。ロシア、中国はもちろん、北朝鮮は核開発を進め、日本も核兵器の原料となるプルトニウムを大量に持っている」
「安倍政権の親原発政策が加速度を増しています。日本の核武装に対する憂慮の声が膨らんでいます」。韓国のニュース専門放送局YTNは昨年2月、日本の原発再稼働への動きを報じるニュースで、こう伝えた。安倍政権の発足後、「日本の核武装」のニュースが韓国のメディアに登場している。集団的自衛権の行使容認など「軍事強化」を進める安倍政権は将来的に「核武装」も見すえているのでは、と報じられているのだ。
「日本は、原発の使用済み核燃料の再処理でできた計47・8トン(2014年末時点)の核分裂性物質プルトニウムを国内外に保有している。プルトニウムは約8キロあれば原爆ができるとされ、日本の保有量は計算上、『核兵器約6千発分に匹敵する』(米核専門家)とも警戒されている。核兵器を持たない国で、核兵器の材料になり得るプルトニウムをつくれる再処理と、ウラン濃縮の双方に取り組んでいるのは日本だけだ。六ケ所村の再処理施設が稼働すれば、プルトニウムはさらに増えるおそれがある。」これが日本を、潜在的核保有国とみる国際社会の根拠なのだ。安倍政権の憲法破壊、原発再稼働と核燃料サイクルの推進が、このような見方を実証するものとなっている。
日本が核廃絶の本気度を世界に示すためには、戦争法を廃止すること、憲法解釈において核兵器は保持できないと確認すること、原発再稼働・核燃料サイクルの推進を断念することが必要なのだ。すべてアベ政権には実行困難なこと。結局は、アベ政権を退陣させることこそ、核廃絶への大道ということなのだ。
(2016年4月11日)
東京地検特捜部は、一昨日(4月8日)甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題で、あっせん利得処罰法違反の疑いで、千葉県印西市にある都市再生機構(UR)の千葉業務部と、甘利側に現金を提供した千葉県白井市の建設会社「薩摩興業」、同社の元総務担当だった一色武の自宅を家宅捜索した。捜索は、8日の午後から9日の明け方まで続けられた。なお、今回の捜索対象に甘利氏の事務所や自宅は含まれていないという。
特捜は、これまで既に甘利の元公設第1秘書(清島健一)からも任意で事情を聴いていると報道されていたが、いよいよ強制捜査に踏み切ったのだ。週刊文集のスクープ報道以来、大きな話題となったこの事件。特捜も動かざるを得なくなったということだが、果たしてどこまでの本気度なのかは必ずしも明らかではない。
報道では、被疑罪名はあっせん利得処罰法違反と特定されているが、誰を被疑者としての強制捜査なのか、明らかにされていない。被疑者として可能性のあるのは、甘利明、公設秘書清島健一、政策秘書鈴木陵允、一色武であるが、事件の本命がアベ政権の中枢にあってこれを支えていた「有力政治家・甘利明」であることは明白である。既に切られたトカゲの尻尾の処罰で一件落着着としてはならない。
URとの補償交渉に難航していた薩摩興業(千葉県白井市)が、交渉を有利に運びたいととして有力政治家甘利明(事務所所在地は神奈川県相模原市)に目を付け、これに口利きを依頼して、その見返りとして報酬を支払った。これが事件の大筋であり骨格でもある。有力政治家甘利明の存在あればこその、これを頼っての口利きの依頼である。その口利きは交渉相手において無視し得ず、一定の効果を期待しうるのだ。
要するに、本件ではカネで有力政治家が動いて行政に準ずる団体に口利きをした。その結果として利得するものがあり、その利得の一部が対価として政治家に支払われた。被害者は税金を負担する国民であり、損なわれたものは政治や行政の廉潔性に対する国民の信頼である。政権に近い有力政治家は、かくして汚いカネをくわえ込んで太り、さらに影響力を拡大する。
そのようなカネと政治家との汚い関係が明るみに出たのだ。徹底して、事態を解明し膿を摘出しなければならない。類似の事件はどこにもありそうなことながら、ことの性質上闇に葬られて表には出て来ない。この事件は稀有なこととして、政治家にカネを渡した当事者が自分も罪に服することを覚悟して、事件を明るみに出し証拠をぶちまけたのだ。
もう一つ、稀有なことがあった。普通は秘書レベルで済まされている金銭の授受に、本件では政治家本人が直接関与していたことだ。現金50万円が2度にわたって、一色から直接甘利に手渡されている。しかも、そのうちの1回は大臣室でのこと。これで、甘利を立件できなければ、せっかくの「あっせん利得処罰法」がザル法であることを証明することになる。検察の権威にも関わることにもなりかねない。
政治とカネ、カネと政治家の汚い関係の一角に光が当たって、闇の世界から浮かびあがったこの事件を、けっしてうやむやにしてはならない。秘書や情報提供者だけを立件して幕引きということがあってはならない。
薩摩興業から甘利事務所に動いたカネは、一色の言として1200万円とされている。甘利の秘書が口をきいて、URから薩摩興業に渡ったカネは、2億2000万円と報道されている。UR側は、当初1600万円を適正額としていたが、甘利事務所が介入してからは、1億8000万円に跳ね上がり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万なのだ。このままでは、「1200万円程度は安いもの」「政治家は利用のしがいがある」との「教訓」を残したままとなるではないか。
この事件では、2件の告発がある。1件は、社会文化法律センターのものだが、私には告発状を読むことができない。もう1件は、「落選運動を支援する会」によるもの。「甘利明前経済産業大臣(神奈川13区)を次期衆議院選挙における落選対象議員第1号として告発しました」という趣旨での告発である。長文のものだが下記のURLで読むことができる。私も代理人の一人で起案にも関与している。
http://rakusen-sien.com/topics/5281.html
この種の告発は、報道された事実を整理して法的に再構成するものではあるが、それなりの迫力をもつものとなっている。さらに、告発をしておくことは、万が一被告発人甘利に対する立件が見送られた場合に検察審査会への審査申立ができることに大きな意味がある。
あっせん利得処罰法の内容を確認しておきたい。「あっせん」とは、政治家あるいはその秘書の「行政への口利き行為」をいう。同法第1条は政治家(国会議員)が、あっせん(口利き)行為に関して財産上の利益を収受することを犯罪としている。第2条では政治家秘書についての規定。
同法第1条(公職者あっせん利得)1項の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して
公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。
また、同条2項は、第1項の「国又は地方公共団体」だけでなく、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」に対象を拡大して、「前項と同様とする。」と定めている。本件の場合のURはこれに当たるわけだ。
各要件の該当性吟味は、告発状をお読みいただきたい。外形的には構成要件該当性は十分に立証可能である。もちろん、共謀の態様や具体的な故意の有無内容など、捜査を遂げなければ詰め切れないことは多々残る。しかし、それでも、甘利についての立件見送りはあり得ないというべきだろう。
国会では、甘利が交渉をリードしたTPP承認案に関する審議が衆院の特別委員会で始まったばかり。当然に国会審議にも影響するだろうし、4月24日投開票の衆院北海道5区補選への影響もあるだろう。しかし、そんなことで検察が捜査を躊躇することは許されない。公訴時効を徒過することなく、厳正な捜査と立件をされるよう、しっかりと見守りたい。
(2016年4月10日)
品のない表現で恐縮だが、我慢してお読みいただきたい。
「足立康史もおおさか維新も、あほじゃないか。あほです。あほ」「安保法が合憲だと胸を張っているのは、あほじゃないか」「こんな議員も政党も日本の恥だ。あほ、ばか、どうしようもない」「もし、議員や所属政党に不愉快な思いをさせたとすれば陳謝する。しかし、私の発言に事実誤認は見当たらない」「私の発言を取り上げて名誉毀損だの侮辱だのというのは単なる嫌がらせだ。そのような嫌がらせの言論自体が、違法というに値する」
以上は、足立康史の衆議院総務委員会発言のパロディである。原発言の「民進党」を「おおさか維新」に置き換え、「足立康史」をくっつけただけ。これが、飲み屋のカウンターではなく、国会審議の場での発言であるから驚く。まさしく、足立こそは「議会の恥、日本の恥。民主社会の恥」である。そして、大阪9区の恥でもあると言えよう。
足立の地盤大阪9区は府の北部、北摂といわれる地域。池田市・茨木市・箕面市・豊能町・能勢町である。足立は2012年選挙で日本維新から出馬して風に乗り当選している。このときの得票率が39.8%。前回14年選挙では、自民(公明推薦)候補に当選を譲ったが、それでも39.5%の得票を得て比例復活を果たしている。私は少年時代を南河内で過ごしたが、北摂けっしてアホな地域ではない。池田・茨木・箕面・豊能・能勢、この辺りはむしろ教育水準が高いというイメージがある。その土地のイメージに全くそぐわない、粗野でアホというしかない議員を選出していることが不思議というほかはない。
もう、そろそろ不毛な「維新」劇の幕を引く時期ではないか。足立の「あほ発言事件」は、おおさか維新の賞味期限終了のピリオドとして記憶されねばならない。9区がこの次の選挙でまた足立を通すようなことになれば、池田・茨木・箕面・豊能・能勢の「有権者があほじゃないか。あほです。あほ」と言われることにならざるを得ない。
安倍周辺にもひどい議員が少なくないが、足立康史のひどさは際立っている。違法を重ねて恥じないのだ。
私のブログでも昨年3月に一度足立を取り上げている。こちらは厚生労働委員会の質疑の中で、脈絡もなく「自分の秘書に残業代支払わない」宣言をしたことを批判したもの。これを再掲しておきたい。
議会というところは、諸勢力、諸階層、諸階級の代表が、それぞれの利益を代弁してせめぎ合うコロシアムだ。有権者は、どの政党、どの議員が自分の味方で、敵は誰なのかを見極めなければならない。多くの政党や議員が、騙しのテクニックに磨きをかけて、庶民の味方を装う。「オレオレ詐欺に引っかかってなるものか」という、あの細心の注意による見極めが必要なのだ。
時にホンネが語られることがある。ついつい議員の地金が出る。メッキがはげ、衣の下から鎧が見える。これを見逃してはならない。
その典型例が、昨日(2015年3月25日)の衆議院厚生労働委員会での、維新の党足立康史議員の発言。これは、維新の党が誰の味方で誰の敵であるかを、よく物語って分かり易い。同時に、維新の党のレベルの低さを物語る点でも興味深い。
共同配信記事は以下のとおり。短いがまことに要領よく事態をとらえたもの。
「維新議員、秘書残業代不払い宣言 『労基法は現実に合わない』
維新の党の足立康史衆院議員(比例近畿)は25日の厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。
足立氏は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
取材に対し『労基法は現実に合っておらず、見直しが必要だ。議論を喚起するために発言した』と述べた。」
「ふざけるな」と言いたいのは、まずは未払いの残業代を請求している元秘書氏だろう。そして、おそらくは現役の同議員秘書氏もだ。うかうかしていると残業代を含めた未払い賃金の請求権は2年で時効になる。早めに手を打っておくことをお勧めする。
それだけではない。すべての労働者が「足立議員よ、フザケルナ」と言わねばならないし、法による秩序を大切に思うすべての国民が「維新の党よ、フザケルナ」と言いたいところだ。私は、法による秩序すべてが守るに値するという立場ではない。しかし、社会法の典型として弱者を保護する労基法は厳格に遵守されねばならないことは当然だ。仮に、法改正を要するとの意見を持っていたとしても、現に存在する法規に違反することは許されない。この維新議員、恐るべき法感覚と指摘せざるを得ない。
いうまでもなく、残業には割増分(25%)を付した賃金を支払わなければならない(労基法37条)。その支払いを拒絶することは犯罪に当たる。刑罰は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金である(労基法119条1項)。足立発言は、国会と公の場での犯罪宣言にほかならない。足立議員は、告発され厳重に処罰されてしかるべきだ。
念のためにユーチューブで彼の質問を聞いてみた。「自分はこういう労働基準法を改正するために議員になった」とまで言っている。臆面もなく、強者の側に立って、弱者保護の法律をなくしてしまおうという使命感。こんな議員、こんな政党に票を投じることは、多くの人にとって自分のクビを締めることになる。
なるほどこれが維新の役割なのだ。この維新の議員は、「残業代ゼロ法案」を提案している悪役・政府与党の政務三役までを品良く見せている。こんなお粗末な手合いが、維新の党を作り、議員になっているのだ。民主主義の堕落というほかはない。
この足立という議員。2012年の総選挙では、陣営から選挙違反の逮捕者を出している。投票呼びかけの電話作戦を担当した女性運動員3人に時給約800円の報酬を支払う約束をしたという被疑事実。維新全体がそうだが、コンプライアンス意識に大いに問題あり、なのだ。
足立には「ブラック議員」というネーミングが、まことにふさわしい。ブラック企業、ブラック社長、ブラック選対だけではない。ブラック政党、ブラック政治家、そしてブラック政権だ。この世にブラックが満ちている。
議会内のブラックは、選挙で一掃する以外にない。まずは、7月参院選からである。参院選に足立は出ないが、おおさか維新には批判の意思を表明しうる。
(2016年4月9日)
私は、東京新聞とも中日新聞社とも、なんの縁故もない。が、この新聞の読者が増えて欲しいと思う。そのリベラルな論調が、社会に浸透して欲しいと思う。その思いから、本日の紙面を紹介して宣伝に努めたい。
まずは、毎号一面の左肩に定位置を占めている「平和の俳句」。戦後70年企画として始まったヒット連載。
今日の一句は、
昼下り妻に勝てない指相撲 (村松武徳(73)静岡県袋井市)
いとうせいこうが、「病によって半身マヒの作者。動かない方の手でなく、きっと動く手のことだろう。それでも指相撲に負けてしまい、笑いの出る平穏。」と解説している。このコーナーは、闘いとるべき厳しい平和よりは、のどかな平和のたたずまいが好もしい。
一面の記事では、「舛添都知事、海外出張費計2億円超 就任後2年で8回 共産都議団批判」の見出しが目を引く。
「舛添要一東京都知事が二〇一四年二月の就任後に行った八回の海外出張の経費が、合計で二億一千三百万円に上ることが分かった。共産党都議団が七日、一回当たりの費用は平均二千六百万円余で、石原慎太郎元知事の平均額を一千万円上回っていることを明らかにし、随行職員が多いためだと指摘。「『大名視察』との批判もある。都民の税金で賄われており、必要性を精査して経費節減の徹底を」と改善を求めた。」という都民への注意喚起の内容。
あの傲慢石原慎太郎を上回る金額というのだから、舛添要一恐るべしである。共産党都議団の資料を記事にすることに躊躇しない東京新聞の姿勢を買いたい。
「TPP 首相『丁寧に説明』と矛盾 衆院特別委 民進『隠蔽』と反発」という解説記事も充実している。「七日の衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会で、TPP担当の石原伸晃経済再生担当相は交渉経過について、約二十回も『コメントを差し控える』などと繰り返した。安倍晋三首相はTPPについて『影響や対策を国民に丁寧に説明していく』と理解を求めたが、民進党は『隠蔽内閣だ』と反発、情報開示に関する追及を強める構え」という内容。論点の解説が分かり易い。
「茨城の元首長ら『安保法廃止を』 参院選へ市民連合」という記事もある。錚々たる呼びかけ人が、参院選だけでなく、次期衆院選での野党統一候補擁立を働きかける動きを報じている。
実は、最も感心したのは、第5面。社説と投書の欄である。
社説は2本。「年金運用損失 なぜ公表を遅らせる」と、「TPP本格審議 透明度を上げ、丁寧に」。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040802000133.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040802000132.html
どちらも、落ちついた論調で説得力に富む。そして、どちらも鋭い政権批判となっている。とりわけ、「年金運用損失」の社説を読むと、安倍内閣の姑息な姿勢にあらためて憤らずにはおられない。
投書欄は、「発言」の表題。いつも、政府批判の論調というわけではないが、本日の投書は優れている。
「表現自由侵す広告は拒否を」 例の「右派論客らが名を連ねる「視聴者の会」の意見広告について述べたもの。「言論の自由圧殺に肩入れすれば、いつかメディア全体を縛ることになる」という警告。
「伊勢神宮での歓迎行事憂慮」 伊勢志摩サミットでの歓迎行事を伊勢神宮で行うとすれば、明らかな政教分離違反。もってのほかではないか、という盲点の指摘。
そして、「衆参同日選挙の混乱懸念」 同日選の複雑さとそれ故の混乱を懸念して、「そこまでして同日選を行う大義名分があるか」を問うている。
さらに、「容疑者の卒業取消疑問」の意見。「在学中のデモ参加などでの逮捕歴でも卒業取消ともなりかねない」という指摘に、なるほどと思う。
名物「こちら特報部」今日の記事の一つは、「警官に首を絞められた」《ヘイトスピーチ過剰警備》河野国家公安委員長が謝罪」である。「与党法案、実効性ゼロ」「警察への人権教育を」という小見出しも付いている。
歴史修正主義者・安倍晋三がヘイトスピーチと深く結びついていることは誰もが知ってはいるが、なかなか決定的な証拠は出てこない。今日の記事は、「ヘイトスピーチ問題をめぐっては、レイシストらのデモや街宣を護衛する一方、カウンター側を徹底して規制する警察の対応が非難を浴び続けてきた」という認識を基調に、警備の警察官がカウンター側の女性の首を絞めている写真を掲載して、問題提起したもの。これはインパクトが大きい。今後の追加報道を期待させる。
最後に、コラム「筆洗」も紹介しておきたい。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカについて。次の個所がこの新聞らしい。
「自由。この人が語るこの言葉には特別な重みがある。彼は反政府勢力の幹部として捕らえられ、十数年間も獄中で過ごした。地面に穴を掘った独房に入れられ、一年余も体を洗えなかったこともあるという。それは狂気と闘う日々だったという。ムヒカさんは口に石を含み、叫び出す衝動を抑えた。穴に入り込んでくるカエルやネズミとパンくずを分け合い、彼らを友とすることで孤独を癒やした。そんな極限の生活を体験したからこそ、地球の資源を食い尽くすような大量生産・大量消費の虚構が見えたのだろう。」
タックスヘイブンで蓄財している政治指導者に読ませたい。海外出張に都民の税金を惜しげもなく2億円も使い込む都知事にも。
全体に紙面が伸びやかで萎縮を感じさせない雰囲気がよい。そして、分かり易く面白い。東京新聞が、この姿勢を続けて多くの読者を得ることができるよう願っている。
(2016年4月8日)
例のアベ政治御用集団・「放送法遵守を求める視聴者の会」の蠢動がやまない。
4月1日付で、「TBS社による重大かつ明白な放送法4条違反と思料される件に関する声明」を発表し、記者会見をしている。あろうことか、TBSを標的にスポンサーへの圧力をかけることを広言するに至っている。
アベチルドレンが百田尚樹を招いての会合で、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」などと気勢を上げて、世論からの厳しい指弾を受けたのは、昨年(2015年)の6月。議員に代わって、今度は右派「言論人」たちが、気に食わないメディアのバッシングに一役買って出たということなのだ。一見在野の如くだが、明らかにアベ人脈の面々。
この声明の一部を抜粋する。カッコ内は私(澤藤)の感想。
「勿論、放送法第4条に定められた『政治的公平性』や『多角的論点の提示』は曖昧な概念であり、このような概念を根拠に政府による罰則を適用するのは極めて危険である。(そのとおり) が、今回のTBSによる安保法制報道は、議論の余地も政府による恣意の介在も許さない、局を挙げての重大かつ明確な放送法違反とみなし得よう。(そんな決め付けが危険ではないの?) 残念ながら、現行の標準的なガイドラインに従えば、TBS社は電波停止に相当する違法行為をなしたと断定せざるを得ないのではあるまいか。(「あるまいか」は「断定」とは矛盾するね) ただし、誤解ないように強調したいが、当会は、政府が放送内容に介入することには断固反対する。(本当? いったいどっちなの?) もしも電波停止のような強大な権限が、時の政権によって恣意的に用いられたならば、民主主義の重大な危機に直結する。いかなる政権も、どんな悪質な事例であれ、放送事業の内容への直接介入に安直に道を開いてはならない。(あなたたちが、その道を開こうと先導しているではないか)」
どうも何を言っているのか、よく分からない。
声明は、TBSが放送法違反を犯したと決めつけたうえで、TBS本社と、「倫理向上委員会を名乗る任意団体BPO」と、「TBSの報道番組のスポンサー企業各位」と、国会のそれぞれに「要望」を申し入れている。
この声明のBPOに対するむき出しの敵意が際立っており、「放送法遵守を求める視聴者の会」の性格をよく表している。
TBSを名指しの攻撃に、さすがにTBSも反論した。昨日(4月6日)付の「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」とするコメント。短いものなので全文を引用する。
「株式会社TBSテレビ
弊社は、少数派を含めた多様な意見を紹介し、権力に行き過ぎがないかをチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りを行っております。放送法に違反しているとはまったく考えておりません。
今般、「放送法遵守を求める視聴者の会」が見解の相違を理由に弊社番組のスポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦であり、看過できない行為であると言わざるを得ません。
弊社は、今後も放送法を尊重し、国民の知る権利に応えるとともに、愛される番組作りに、一層努力を傾けて参ります。」
公平・中立を求めるという名目での政権迎合のメディア攻撃。アベ政権が改憲を公言することができるのは、このような政権迎合の輩の蠢動の後押しがあってのことなのだ。
「視聴者の会」の声明自身がいうとおり、『政治的公平性』や『多角的論点の提示』は極めて曖昧な概念であり、どのようにも論じることができる危険を内包している。
このことに関連して、『法と民主主義』の最新号(2・3月合併号)が、「アベ政権と言論表現の自由」を特集している。
http://www.jdla.jp/houmin/
主な記事は、以下のようなもの。
◆安倍政権によるメディア介入と言論・表現の自由の法理………右崎正博
◆情報統制に向かう日本 進む放送介入………田島泰彦
◆安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向………戸崎賢二
◆安倍政権のメディア政策──その戦略と手法………石坂悦男
放送界での最大の問題メデイアは、TBSではなく明らかにNHKである。
「安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向(戸崎賢二)」は、「NHK『ニュースウオッチ9』が報道しなかった事項」を一覧表にまとめている。テレ朝の「報道ステーション」、TBSの「NEWS23」との比較においてである。
テレ朝とTBSの両者が報道して、NHKが報道しなかった事件(あるいは言葉使い)の主なものは次のとおり。
5月20日【党首討論】ポツダム宣言について「詳らかに読んでいない」との安倍総理の答弁
5月28日【衆院特別委】安倍総理「早く質問しろよ」などのヤジ(NHKは翌日報道)
6月1日【衆院特別委】日本に対して攻撃の意思のない国に対しても攻撃する可能性を排除しないとする中谷防衛大臣の答弁
6月1 日 衆院特別委】「イスラム国」に対し有志連合などが行動する場合後方支援は法律的に可能との中谷大臣の答弁
6月中旬 憲法学者へのアンケートほか、「違憲」とする憲法学者が多数であることの報道
7 月1 日 自民党「勉強会」の発言について「威圧」「圧力」という表現使う
7月15日【衆院特別委】採決に「強行」という表現使う
7月29日【参院特別委】戦闘中の米軍ヘリへの給油を図解した海上自衛隊の内部文書について共産党小池副委員長が追及
8月5 日【参院特別委】「後方支援で核ミサイルも法文上運搬可能」という中谷大臣の答弁
8月19 日【参院特別委】安保法案成立を前提とした防衛省文書で中谷大臣の矛盾する答弁を共産党小池副委員長が追及。
8月下旬 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士が来日、安倍首相の「積極的平和主義」は本来の意味とは違うと批判
9月2日【参院特別委】自衛隊統合幕僚長が訪米した際の会議録について共産党仁比議員が追及
9月17日【参院特別委】採決で「強行採決」という表現を使う
情報源はもっぱらNHKという視聴者がいたとすれば、恐るべく偏頗な情報に操作されていることになる。なるほど、アベ政権と籾井NHK、持ちつ持たれつの関係がよく見えてくる。
このことは、3月31日の参院総務委員会質疑でも話題とされている。民進党の江崎孝議員が、この「法と民主主義」を取り上げて籾井会長らを追及している。上記の一覧表をパネルにして、NHKの報道姿勢の偏向ぶりを問題としたのだ。
「NHK」対「テレ朝・TBS」の対立の構図。けっしてそれぞれの側の応援団が相互に批判し合って、水掛け論になっているのではない。中立や公平という用語は、すべてを相対化してしまう危険を内包している。視聴者が真に関心をもつべきは、時の権力に不都合な事実が萎縮することなく放送されているか否か、という一点である。
真実を曇らせる力をもつものは権力である。その権力に遠慮も迎合もすることのない姿勢があってこそジャーナリズムと呼ぶにふさわしい。権力は、自らの正当性を訴えるのに十分な情報発信力をもっている。放送において、臆するところのない権力批判に圧倒的なスペースが割かれて当然なのだ。その基準からは、明らかにNHKがおかしい。TBSはそれよりはマシで、当たり前というだけのこと。
「視聴者の会」はアベ政権の外にあって、アベ改憲政権のお先棒担ぎ。この蠢動に動じてはならないが、軽視してもならないとおもう。
(2016年4月7日)