澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

在特会の徳島教組襲撃事件に、「人種差別」認定の高裁判決

昨日(4月25日)の「在特会徳島県教組襲撃事件民事訴訟」の控訴審判決を伝える朝日の署名入り記事がすばらしい。客観報道の姿勢を崩さずに、記者の問題意識が貫徹されて、過不足のない情報提供となっている。全文引用したい。

「在特会の県教組抗議は『人種差別の現れ』 高松高裁判決」
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の会員らが6年前、徳島県教職員組合で罵声を浴びせた行動をめぐり、県教組と当時の女性書記長(64)が在特会側に慰謝料など約2千万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、高松高裁であった。生島弘康裁判長は、『人種差別的思想の現れ』で在日朝鮮人への支援の萎縮を狙ったと判断。女性の精神的苦痛を一審より重くとらえ、倍近い436万円の賠償を命じた。

 判決によると、在特会の会員ら十数人は2010年4月、日教組が集めた募金の一部を徳島県教組が四国朝鮮初中級学校(松山市)に寄付したことを攻撃するため徳島市の県教組事務所に乱入。女性書記長の名前を連呼しながら拡声機で『朝鮮の犬』『非国民』などと怒鳴り、その動画をインターネットで公開した。

 判決は、在特会の行動を『人種差別的』と訴える原告側が、その悪質さを踏まえて賠償の増額を求めた主張を検討。在特会側が朝鮮学校を『北朝鮮のスパイ養成機関』と呼び、これまでも同様の言動を繰り返してきた経緯から、『在日朝鮮人に対する差別意識を有していた』と指摘した。

 さらに、一連の行動は『いわれのないレッテル貼り』『リンチ行為としか言いようがない』とし、在日の人たちへの支援活動を萎縮させる目的があり、日本も加入する人種差別撤廃条約上の『人種差別』にあたるとして強く非難。昨年3月の一審・徳島地裁判決が、攻撃の対象は県教組と書記長であることを理由に『差別を扇動・助長する内容まで伴うとは言い難い』とした判断を改めた。

 そのうえで、監禁状態の中で大音量の罵声を浴び、性的暴力まで示唆された女性の苦痛や県教組が受けた妨害の大きさも考慮し、一審の賠償額(230万円)を増額。賠償命令の範囲も一審より2人増やし、在特会と会員ら10人とした。

 在特会をめぐっては、09?10年の京都朝鮮第一初級学校(現・京都朝鮮初級学校)周辺での抗議行動を京都地裁が『人種差別にあたる』と認定。1200万円余の賠償を命じる判断を支持した大阪高裁判決が14年に最高裁で確定している。

■一歩進んだ判決
 《表現の自由に詳しい曽我部真裕(まさひろ)・京都大教授(憲法)の話》 判決は、人種差別的行為は直接の対象が在日の人たちでなくても、支援活動を萎縮させる効果をもたらすとし、非難に値すると指摘した。支援者が対象でも人種差別にあたるとした点は新しく、京都でのヘイトスピーチをめぐる大阪高裁判決を一歩進めた感じがする。また、在特会の言動は「レッテル貼り」「リンチ行為」などと評し、表現活動と呼べるものではないと判断した。「表現の自由」を念頭に、慎重に検討したことの表れと評価できる。

■拡声機・動画…激しい中傷
 「人種差別行為を許さない判断が司法の場で定着したと高く評価したい」
 判決後、原告弁護団事務局長の篠原健(たけし)弁護士=徳島弁護士会=は会見でそう語った。控訴審では、京都での在特会の行動を「人種差別的」と認定した判決を勝ち取った弁護士らも加わり、総勢46人で闘った。京都事件を手がけた冨増四季(しき)弁護士は「続く司法判断の意義は大きい」と話した。

 裁判では、徳島県教組と当時の女性書記長への激しい攻撃が明らかになった。

 十数人の在特会会員らが事務所に突然なだれ込む。「募金詐欺じゃ」「反日教育の変態集団」。拡声機を手に罵声を浴びせ続けた。徳島県庁前では、女性書記長への性的暴行を示唆するような発言もあった。一連の行動はネットに動画配信され、視聴者からおびただしい数の中傷コメントが書き込まれた。県教組には嫌がらせの電話も相次いだ。

 女性書記長は当時の話をするたびに体調が悪くなり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。会見では声を震わせ、裁判を振り返った。

 『言いたい放題、したい放題の社会を認めるのか。民族差別を認めるのか。そのことが何より許せないという気持ちで闘ってきました。駆けつけてくれた一人ひとりの思いが、この判決を導いたと思います』

若干、事件についての情報の補充をしておきたい。
この襲撃事件の参加者は19名だった。威力業務妨害として刑事告訴がなされ、徳島県警は在特会がインターネットにアップした動画で実行犯を特定し、7名を逮捕した。その他の参加者全員が書類送検されたが、曲折を経て6名だけが威力業務妨害と住居侵入で起訴され、いずれも有罪が確定している。

安田浩一著『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』 によれば、襲撃の態様は、次のようなものであった。これを「抗議行動」と言うべきではない。「襲撃事件」が正確なのだ。
「『日教組の正体、反日教育で日本の子供たちから自尊心を奪い、異常な性教育で日本の子供たちを蝕む変態集団、それが日教組』などと記した横断幕、日章旗、拡声器等を携帯して、「詐欺罪。」などと怒号しながら侵入した上、同組合の業務に係る事務をしていた同組合書記長及び同組合書記の2名を取り囲み、同人らに対し、前記横断幕、日章旗を掲げながら、拡声器を用いるなどして、「詐欺罪じゃ。」「朝鮮の犬。」「売国奴読め、売国奴。」「国賊。」「かわいそうな子供助けよう言うて金集めてね、朝鮮に150万送っとんねん。」「募金詐欺、募金詐欺じゃ、こら。」「非国民。」「死刑や、死刑。」「腹切れ、お前、こら。」「腹切れ、国賊。」などと怒号し、「人と話をするときくらいは電話は置き。」「置けや。」などと言いながら前記書記長の両腕や手首をつかむなどして同人が110番通報中であった電話の受話器を取上げて同通話を切った上、同人の右肩を突き、「朝鮮総連と日教組の癒着、許さないぞ。」「政治活動をする日教組を日本から叩き出せ。」などとシュプレヒコールするなどした上、机上の書類等を放り投げ、拡声器でサイレン音を吹鳴させるなどし、前記事務所内を喧噪状態に陥れ…」

民事事件としては、県教組と書記長の両名が原告となって、在特会(法人格なき社団)と実行犯10名を被告とする約2千万円の損害賠償請求訴訟を提起した。民事訴訟の経過は、朝日が報じるとおりである。

次のことを指摘しておきたい。
この襲撃事件の発端に義家弘介がおり、産経新聞がある。
朝日の記事にある「日教組が集めた募金の一部を徳島県教組が四国朝鮮初中級学校(松山市)に寄付した」という経過は、以下のとおりである。

日教組は貧困下にある子どもとその家庭を支援するため「子ども救援カンパ」を募集した。カンパの使途については、公式サイトで次のとおりとしている。
「「あしなが育英会奨学金」に寄付します。また、連合を通じて『保護者の厳しい就労状況等により学校へ修学できない子ども、外国籍・病気・障害のある子どもの支援』、『学生・青年に対する職業訓練、求職支援、障害者の作業所への支援』などを行っているNPO団体等へ寄付します。」

募金活動によって約1億7600万円が集められ、ここから「あしなが育英会」に約7200万円、そして連合が実施していた「雇用と就労・自立支援カンパ」(通称「トブ太カンパ」)に1億円がそれぞれ寄付された。徳島県教組が四国朝鮮初中級学校に寄付した「在日朝鮮学校に通う子どもへの修学支援」金150万円は、この「トブ太カンパ」から出ている。

これに異を唱えたのが、自民党タカ派文教族として知られる義家弘介である。彼は、参議院予算委員会でこのカンパを取り上げ、「街頭に立ったりした教師は、育英会の活動にプラスになるとの思いだったことが聞き取り調査でも明らかだ」と述べて連合の「トブ太カンパ」への寄付を批判した。これに呼応したのが産経新聞。義家発言を報じて、徳島県教組が朝鮮学校に通う子どもへの支援として150万円を受け取ったことにも触れた。ここから、ネトウヨが騒ぎはじめ、在特会の妄動に至った。

その本日の産経。「在特会側の賠償増額 徳島県教組関係者に暴言 『人種差別的行為があった』と高松高裁」という記事を掲載している。

よくある構図だ。「私は、暴力は否定です」「暴力を煽る意図など毛頭ありません」「私の言動が暴力に至ったなどとは言いがかりも甚だしい」「本紙の記事が暴力に至ったとしたら遺憾というしかありません」など涼しい顔をする輩。

ネトウヨ諸君、こういう輩の煽動に乗せられて犯罪者となっては危うい。逮捕され、起訴され、前科がつく。それだけではない。確実に民事的な責任も負わねばならない。民事訴訟で訴訟追行の費用を負担して敗訴し、強制執行も覚悟しなければならない。京都事件は1200万円、徳島事件は436万円だ。ヘイトの言動は高くつくことを知らねばならない。涼しい顔で奥に控えているものに操られて、つい乗せられてしまうと、痛い目に遇うのは、あなたなのだ。

教訓・義家や産経に煽られて舞い上がってはならない。
   他人の業務を妨害してはならない。
   他人の名誉を毀損する行為はあなたを滅ぼす。
   人種や民族を差別する思想を持っていること自体が危険なことなのだ。
(2016年4月26日)

選挙に勝つためには「市民と野党各党の共闘」、これ以外の道はない。

昨夜から元気が出ない。北海道5区の補選の投票結果は、紙一重に肉薄しながらも、野党共闘が支援する市民派池田まき候補の敗北となった。残念でならない。

「いま一歩及ばずの敗北」である。いま一歩のところまで追い詰めた積極面の教訓と、もう一歩のところで勝利に届かなかった消極面の教訓と。その両面について多くの人からの、とりわけ直接選挙に携わった人たちからの報告や意見を聞きたい。

今回は、勝利に結びつかなかったが、差し迫っている憲法の危機を回避するには、市民と野党が大同団結して選挙で勝つしか方法がない。北海道5区補選で形づくられた「この道」「この形」しかないのだ。どのようにすれば、「この道」をもっと大きく広げ、多くの人に歩いてもらうことができるのか。その教訓を得たいと思う。がっかりはしているが、「結局共闘しても勝てない」と清算主義に陥ってはならない。私も、及ばずながら、分かる範囲で、考えてみたい。

北海道5区補選が注目されたのは、野党共闘の効果の試金石としてである。任意の一小選挙区で野党共闘候補が勝てれば、日本中の小選挙区で勝つ展望が開ける。北海道5区は、そのような意味の「任意の一選挙区」であっただろうか。

選挙結果でまず目についたのは、5区内での得票の地域的偏りである。区内各自治体は、札幌市厚別区・江別市・千歳市・恵庭市・北広島市・石狩市・石狩郡当別町・石狩郡新篠津村である。各自治体ごとの候補者別得票数は以下のとおり。
              和田     池田
札幌市厚別区     29,292   33,434
江別市         28,661   29,687
千歳市         25,591   14,439
恵庭市         19,447   13,062
北広島市        13,419   15,200
石狩市         13,103   13,133
市区計        129,513   118,955

当別町           5,023    3,902
新篠津村         1,306     660
北海道第5区     135,842   123,517

以上のとおり、池田候補は、札幌市厚別区、江別市、北広島市、石狩市では勝っているのだ。千歳市、恵庭市で大きく負け込んでいるのが敗因となっている。全体の票差は1万2300票だが、千歳市での1万1100票差、恵庭市での6400票差が大きい。言うまでもなく、この両市は基地の街である。自衛隊関係者の有権者が多い。安全保障問題が大きな争点となった今回選挙では、明らかに千歳・恵庭は「任意の一選挙区」ではなかった。

千歳・恵庭を例外地域とすれば、これを除いた札幌市厚別区・江別市・北広島市・石狩市と市部では野党共闘候補が勝っている。このことは、大いに勇気づけられるところではないか。

ところで、朝日・NHK・道新・共同通信が、それぞれの出口調査の結果を発表している。

朝日は、その結果の報道に「無党派層68%『池田氏に投票』」と見出しを付けている。
「池田氏の方が無党派層依存度が高く、無党派層で和田氏に大きく水をあける必要があった。この日の出口調査で、無党派層は32%が和田氏に、68%が池田氏に投票。池田氏善戦に見えるが、結果を見ればその差では不十分だった。」という分析が、正鵠を得ているのだろう。

NHKの調査は、「和田氏は、無党派層では30%余りの支持を集めました。これに対して池田氏は、また、無党派層からは70%近くの支持を集めました」と、ほぼ朝日と同じ結果を報じている。

道新の分析も同様である。「池田氏は、民進党支持層と、共産党支持層の9割以上を固めた。無党派層からも7割の支持を得たが、当選には及ばなかった。」

共同通信の調査結果では、「『支持政党なし』の無党派層は、73・0%が池田氏に投票した。」という。

朝日によれば、「自公の支持層は出口調査回答者の4割を超えるのに対し、4野党の支持層は3割に満たない」という。そもそも基礎票が「4割強」対「3割弱」と、我が方著しく劣勢なのだ。結局は無党派層の票を上積みするための奪い合いとなるが、野党陣営が勝つためには、基礎票の差を埋める以上の票差をつけて無党派層を取り込まなければならない。池田候補は、「68%」(朝日)、「70%近く」(NHK)、「7割」(道新)、「73%」(共同)と無党派層に浸透したが、基礎票の差を埋めるに至らず、いま一歩及ばなかったということなのだ。

道新の調査は、「野党統一候補で無所属新人の池田真紀氏も民進支持層の95・5%、共産支持層の97・9%の票を得ており、両候補とも支持層を手堅くまとめた。」と報告している。

野党陣営は、それぞれの自陣を固めきり、無党派層を取り込む相乗効果も上げた。共闘は成功したと言ってよい。しかし、千歳・恵庭を擁するこの選挙区では、基礎票が不足していた。そして、無党派層の取り込みが、勝つための高いハードルをクリアーするには十分でなかった。

さて、他の多くの選挙区であれば、基礎票の差は北海道5区ほどではないとして、勝てたのではないか。池田まき候補には、政見放送の機会が与えられなかったなどの無所属故のハンディもあった。このような不公平をカバーすることができれば、勝機があったのではなかろうか。

勝敗の分かれ目は、無党派層の取り込み如何である。さらに無党派からの支持率を上げるには、どのような訴えをすればよいのだろうか。また、投票率のアップは野党有利という図式が明確になった。投票率を上げる工夫はどうすればよいのだろうか。そして、いよいよ次からは18歳の有権者が登場する。この若者たちに、どのような訴えかけが有効なのだろうか。

「これ以外にはない」道を大道とするために、知恵を集めたいものである。
(2016年4月25日)

「大名旅行」の舛添さん、あなたは庶民感覚を忘れた裸の王様だ。

舛添さん、どうもあなたはアカンようだ。あなたには多少の期待をしていた。あの暗黒の石原都政時代が長すぎた。あなたが知事になって、都政が変わるのではないか、そう考えた私が愚かだったようだ。

あなたは庶民感覚を忘れてしまっている。それが、あなたはもうアカンという理由だ。あなたは、都民の目、都民の批判にあまりにも鈍感だ。あなたには、都民の心情に寄り添い、都民の期待を把握してそれに応えようという真摯さが感じられない。「都民からの批判あるのは当たり前、一々気にしていられるか」という為政者の感覚になってしまっている。

あなたが厚労大臣として活躍していたころには、なかなかのものだという印象をもっていた。しかも、あなたは都知事選において必ずしも石原後継というイメージを刻印されずに済んだのだ。あの石原慎太郎が、泡沫とみられていた田母神を応援したからだ。だから傲慢な石原都政とは一線を画した、中道の舛添カラー都政となるのではないかとの期待があった。

2014年都知事選では、保守・中道票は、細川・舛添・田母神に三分された。あなたは、中道リベラルの票は細川に、右翼票は田母神に侵蝕されたが、石原都政とは一線を画し、これを批判する立場に立てた。だから、都庁内の萎縮した雰囲気を変え、風通しのよい都政が期待できるかと、一瞬にせよ思わせたのだ。教育庁の人事も変わってくるだろう。現場の声に耳を傾けることになるのではないか。それが、どうもアカンことになっている。

昨日(4月23日)の毎日夕刊が、「宿泊は会議室付きスイート」「海外出張経費 都知事『高すぎ』」「首都圏3県知事が問題視」「条例上限超え総額年5686万円」「神奈川・埼玉・千葉の2?7倍」と報じている。共産党都議団の「宿泊スイートルーム1泊19万円/共産党都議団が抜調査報告」が赤旗に発表されたのが4月8日。その後各紙とも、このテーマを追っかけている。それでも、是正されないのだ。

毎日記事は、以下のとおり。
「東京都の舛添要一知事の海外出張経費について、首都圏の神奈川、埼玉、千葉3県の知事が高額さを批判している。舛添知事の宿泊費は条例の上限額を大幅に上回るが、3県知事は全員、2015年度の海外出張の宿泊費を条例の規定内に収めていた。埼玉県の上田清司知事は12日の定例記者会見で『東京都は財政に余裕があり、おおらかなお金の使い方だ。国民目線からはどうなのかなと正直思う』と皮肉った。」

「都条例では、知事の宿泊費上限は出張先で異なるが、最高で1泊4万200円。都人事委員会の確認を経れば上限を超えられる。共産党都議団が情報公開請求で得た文書によると、舛添知事は就任した14年2月以降、宿泊費が全て条例の上限を超え、最高はロンドンの1泊19万8000円。15年度末までの8回の出張で延べ10都市のホテルに宿泊し、うち7都市でスイートルームを利用した。
 これに対し、上田知事は15年度の北京出張で上限額を下回る1泊2万3000円のホテルを利用。埼玉県によると、過去5年度分の海外出張の宿泊費は全て上限額を下回り、多くで随行職員と同ランクの部屋に宿泊した。
 神奈川県の黒岩祐治知事も英国出張では上限額以下の1泊3万2200円。12日の定例会見で『効果が期待されるから、いくらでも使っていいということはない』と批判した。
 千葉県の森田健作知事も規定内に収め、ドイツ・オランダ出張は1泊2万4200円。県の担当者は『税金を使うのだから費用対効果を考えて予算を組むよう知事から指示されている』と話す。

 15年度の知事の海外出張経費総額(随行職員の経費含む)は都が約5686万円で3県の約2・2?7・7倍。3県の知事は飛行機の座席がビジネスクラスなのに、都は知事がファーストクラスで、一部職員もビジネスクラスを利用している。

 舛添知事は今月12?18日の米国出張で随行職員を昨秋のロンドン・パリ出張より4人減らして15人とし、一部職員の宿泊先は廉価なホテルにした。ただ、自身の宿泊は全て会議室付きスイートルームで5泊計73万5600円(条例の上限は5泊計20万1000円)。飛行機もファーストクラスを2度、ビジネスクラスを1度使い、自身の旅費総額は298万5650円だった。」

これに対するあなたの反論が、またアカンのだ。
「帰国した18日、舛添知事は『ホテルは二流、三流だと(相手に)「その程度なら会わない」と思われてしまう』と語り、22日の定例会見でも『会議を毎日やる。スイートルームという言葉だけで遊び回っている部屋みたいな誤解があってはいけない』と述べた。」

22日定例会見の内容は、東京都のホームページ(知事の部屋)で見ることができる。そこに次の質疑が掲載されている。
【記者】IWJの城石です。ホテルの宿泊費の件なのですけれども、必要な経費として舛添知事は訴えていますけれども、日本共産党都議団の出した資料によれば、スイートルームでの会見の記録というものは、石原都知事の時代からなかったということで、やはりこのスイートルームの宿泊費というのは、見直す必要があるのでは…。
【知事】部屋について言うと、会議のための部屋を一緒につけているのを、どう呼ぶかは、スイートルームと呼んでいるホテルもあるし、そうではない名前で呼んでいるホテルもあって、つまり、会議をやるわけです、そこで、毎日。例えば今回などもものすごい頻度で会議をやったのは、熊本地震がありました。刻々、全部情報が入って、「どういう形で警察を派遣しろ」「お医者を派遣しろ」と、こういうことを刻々やるわけです。そのために会議をやらないといけない。ホテルで会議のための部屋を特別にとったら、どれぐらいお金を取られると思いますか。そういうことのために使っているので、スイートルームという言葉だけで遊び回っている部屋のような、そういう誤解があってはいけないということです。
 それから、いろいろな方がお見えになりますけれども、極めて大事な政治的な話をするときに、公開すべきものではありません。ですから、来なかった、来たとかということで判断できる話ではないのです、はっきり言うと。結果として、仕事がちゃんとできないとだめだと。だから、仕事の内容を精査しておっしゃっていただきたいと思います。

【記者】朝日新聞の伊藤です。なかなか都民感覚では出張経費にかかった額に対して、やはり自分の生活感覚と比べてしまう部分もあって、理解しにくい部分があると思うのですけれども、今後、理解を得るための成果の出し方とか、伝え方で、何か具体的なアイデアがあれば教えてください。

【知事】それは、随行なさった方は分かると思いますが、現場でちゃんと記者会見をして、どういう成果があったということを言っていますので、それは皆さん方もちゃんと伝えてくださっていると思いますし、また、ホームページを通じて申し上げたいと。
 ただ、遊びに行っているわけではありません。物見遊山ではありません。仕事で行っているのだということをご理解いただいて、きちんと仕事ができる状況を整えるということも重要だということもご理解いただければと。

舛添さん、あなたは「遊びに行っている」「物見遊山をしている」と批判されているわけではない。都民の金銭感覚からすれば、交通費も宿泊費も高額に過ぎる。都民が拠出した税金の使い方が荒すぎはしまいかと疑問視され、その点を批判されているのだ。

都条例での知事の宿泊費上限は最高で1泊4万200円だという。この額は都議会が決めたものだ。近隣3県の知事は、各県条例の上限を遵守していて、どうして舛添さん、あなただけがその何倍もの宿泊費が必要となるというのだ。3県の知事は、出張先で会議などしていないというのだろうか。

本日(4月24日)の赤旗には、「『大名旅行』と批判殺到」の見出しで、次の記事がある。

「東京都の舛添要一知事が12?18日に米国出張し、航空運賃と宿泊費だけで計298万5650円を支出していたことが22日、わかりました。
 舛添知事はニューヨークとワシントンに出張し、両市長と懇談。桜の苗木を植樹し、証券取引所を訪問しました。都政策企画局によると、知事の宿泊ホテル代(5泊)は73万5600円で、航空運賃には225万50円を支出。往復ともファーストクラスで、米国内の移動はビジネスクラスでした。
 知事が宿泊した部屋は1泊14万100円?15万1800円のスイートルームで、都が条例で定めている上限額の3・5?3・8倍と高額でした。
 都によると、知事宿泊室での現地要人との面会はなく、招き入れたのは現地メディア2社の計2回だけで『社名や人数は言えない』としています。」
「都には『大名旅行だ』などと21日までに2469件の批判・意見が殺到しています」

政(まつりごと)の要諦は、「民の信なくんば立たず」にある。舛添さん、都民はあなたに、到底信を寄せることはできない。言い訳は見苦しい。都民の目からは、あなたは貪欲な裸の王様以外のなにものでもない。
(2016年4月24日)

震災のいまだからこそ、より厳格な政府の監視と批判を。

熊本地震は14日の発生以来今日(23日)が10日目。当初、「あと1週間は余震に警戒を」という気象庁の警告を大袈裟ではないかと思ったが、まだ収まらない。九州には身内も知り合いもあり他人事ではない。また、明日は我が身かとも思わざるを得ない。こんなときにこそ、国民はその福利のために、国家を形成したことを思い起こさねばならない。

しかし、いつの世にも政権はしたたかである。戦争が起これば、政権の求心力は瞬時にして跳ね上がる。非常時における同調圧力が政権の求心力に転化するからだ。非常時の擬似一体感が政権を中心に形成される。政権批判は、タブーとなる。

災害も戦争と似た働きをする。恐怖した国民の心理が、容易に政権による統合に乗じられる。「こんなとき」に、政府批判などしている暇はない。現政権を中心に挙国一致で復旧・復興に当たるべきではないか。いま、そういう雰囲気が、演出されてはいないだろうか。

実は、その逆だ。「こんなとき」だからこそ、本当に、国民に役立つ政権であるかが見えてくる。その点を徹底して検証しなければならない。政府の対応の迅速さ、適切さ、真摯さを吟味しなければならない。適切な批判なければ、真っ当な政権は生まれず、真っ当な政権の運用は期待し得ない。国民の安心安全も絵に描いた餅になる。

そのような視点から、この間気になっていることを何点か指摘しておきたい。

まずは、政府の熊本地震現地対策本部長のお粗末である。
災害対策基本法(24条)によって、内閣府内に非常災害対策本部が設置された。河野太郎内閣府特命担当大臣が本部長になっている。これを東日本大震災時並みに、「首相を本部長とする緊急対策本部」に切り替えるべきとする意見も強いが、問題は閣内の非常災害対策本部が適切に機能しているかどうかである。

政府は4月15日松本文明・内閣府副大臣を現地対策本部長に任命し、熊本に派遣した。現地の政府側トップとして国と県の調整を行うべき重責を担ったこの人物。役に立たなかった。むしろ復旧作業の足を引っ張って、このままでは政権に打撃となるとの判断で、更迭された。一昨日(4月20日)のこと、任命期間はわずか6日間だった。

この人、いかにも国民がイメージする自民党議員らしい見た目とお人柄。全国的にはほとんど無名だったが、政府と現地を結んだテレビ会議の「おにぎり・バナナ発言」で、俄然有名になった。

テレビ会議で、河野防災担当大臣に、自分とスタッフへの食料差し入れを要請したのだ。「みんな(自分とスタッフ)食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に、おにぎりでもバナナでも何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」というのだ。河野はこれに応じて手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられたという。

松本は、このことを記者団に得々として話している。「何々先生(議員)からの差し入れだということで、ありがたくいただいた」とまで。公明党も、さすがにかばいきれず批判にまわった。食料を用意して駆けつけているボランティアなどアタマの片隅にもないのだろう。

これだけでない。彼は、「屋外に避難している住民を今日中に屋内に避難させろ」という政府の指示を熊本県側に伝えて、「現地のことがわかっていない」と不快感を示されたという、例の事件の当事者としても著名になった。この政府指示は、安倍首相本人から出ていると報じられている。おそらくは、「迅速で適切な政府の対応の結果として屋外避難はなくなった」という「成果」を絵にすることにこだわったのだろう。

ところが、これをオウムの如く熊本県知事に伝えて、「余震の続くうちは心配で屋内では寝られないのだ。遠くの政府は、現地のことがわかっていない」と切り替えされて、これに同調。知事と一緒に中央を批判する形となった。安倍政権から見れば、こんな無能な者を目立つ位置に置いてはおけないわけだ。

菅義偉官房長官は一昨日(4月21日)の会見で、食料要請問題での松本の陳謝については「そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べたが、松本の交代はローテーションで更迭ではないと強調している。みっともない。

次は、またまたのNHK問題である。

以下は、「原発報道『公式発表で』…NHK会長が指示」との見出しの毎日の記事。
「NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で、本部長を務める籾井勝人会長が『原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい』と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。識者は『事実なら、報道現場に萎縮効果をもたらす発言だ』と指摘している。
 会議は20日朝、NHK放送センター(東京都渋谷区)で開かれた。関係者によると、籾井会長は会議の最後に発言。『食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい』とも述べた。出席した理事や局長らから異論は出なかったという。
 議事録は局内のネット回線を通じて共有され、NHK内には『会長の個人的見解を放送に反映させようとする指示だ』(ある幹部)と反発も聞かれる。
(以下略)」

毎日を追った朝日の報道には、次のような記事がある。
「会議の議事録は局内ネットを通じて関係職員も見られるようになっていた。職員からは『公式発表通りでは自主自律の放送ではない』『やっぱり会長は報道機関というものがわかっていない』といった声が上がっているという。」

何とも情けなくもおぞましいNHKではないか。国民は、NHKを報道機関と認識してはならない。安倍政権の報道部に過ぎないのだ。真実を真実として報道しようという姿勢はハナからない。権力の圧力に抗しても真実を貫くという、ジャーナリズム本来の姿勢は望むべくもない。あるのは、政府の意向を忖度しての、治安に資する報道であり、政府の政策に奉仕する報道の原則を貫こうという、尻尾振る忠犬の姿勢でしかない。

今、断層帶に沿って帯状に、前例のない群発地震が頻発して止まない。その断層帶の南と東の延長線上に、川内原発と伊方原発とがある。安倍政権は、原発再稼働を至上命題とする観点から、納得しうる根拠なく「両原発とも安全。何の心配もない」といいたいのだ。NHKがこれに拳拳服膺なのだ。そして、「原発の安全」と並ぶもう一つのキーワードが「自衛隊の活躍」である。官邸からの指示があったか、あるいは籾井の忖度か。いずれにせよ、NHKの報道姿勢は、安倍政権の思惑に沿うことが最優先され、真実を報道する姿勢ではない。大本営発表時代の再来ではないか。

さらにNHKを離れて政権の思惑を見れば、災害の発生を奇貨としたオスプレイの「活用」である。「被災者に役に立つのだからオスプレイ活用批判は怪しからん」という異論を封じる雰囲気利用の思惑が透けて見える。いつものことながら迷彩服姿で、軍用車両を走らせる自衛隊のプレゼンスも同じ問題をもっている。「せっかくあるものだから活用せよ」という論理だけでは、とめどなく憲法上の自衛隊合憲論に譲歩を重ねざるを得ない。自衛隊違憲論に踏みとどまることが肝要ではないか。

震災あればこそ、政権や、政権を取り巻く体制の本音や不備がよく見えてくる。「震災だから政権批判をせずに挙国一致」ではなく、「震災だからこそ、より厳格な政府の監視と批判を」しなければならない。
(2016年4月23日)

野田正彰医師記事に違法性はないー大阪高裁・橋下徹(元知事)逆転敗訴の意味

野田正彰医師は硬骨の精神科医として知られる。権力や権威に歯に衣着せぬ言動は、権力や権威に安住する側にはこの上なくけむたく、反権力・反権威の側にはまことに頼もしい。その野田医師が、大阪府知事当時の橋下徹を「診断」した。「新潮45」の誌上でのことである。誌上診断名は「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」というもの。この誌上診断が名誉毀損に当たると主張されて、損害賠償請求訴訟となった。

一審大阪地裁は一部認容の判決となったが、昨日(4月20日)大阪高裁は逆転判決を言い渡し、橋下徹の請求を全部棄却した。欣快の至りである。

高裁判決は、野田医師の誌上診断は、橋下の社会的評価を低下せしめるものではあるが、その記述は公共的な事項にかかるもので、もっぱら公益目的に出たものであり、かつ野田医師において記事の基礎とした事実を真実と信じるについて相当な理由があった、と認め記事の違法性はないとした。橋下知事(当時)の名誉毀損はあっても、野田医師の表現の自由を優先して、橋下はこれを甘受しなければならないとしたのだ。

橋下が上告受理申立をしても、再逆転の目はない。判断の枠組みが判例違反だという言い分であれば、上告受理はあり得ないことではない。しかし、本件の争点は結局(野田医師が真実と信じることについての)相当性を基礎づける事実認定の問題に過ぎない。これは最高裁が上告事件として取り上げる理由とはならないのだ。

私は、訴状や準備書面、判決書きを目にしていない。このことをお断りした上で、報道された限りでの経過の説明と意見を述べておきたい。

「新潮45」2011年11月号が、「橋下徹特集」号として話題となった。この号については、当時新潮社が次のように広告を打っている。
「特集では、橋下氏の死亡した実父が暴力団員であったことに始まり、『人望はまったくなく、嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない』(高校の恩師)、『とにかくカネへの執着心が強く、着手金を少しでも多く取ろうとして「取りすぎや」と弁護士会からクレームがつくこともあった』(最初に勤務した弁護士事務所の代表者)といった、橋下氏を知る人の発言や、『大きく出ておいてから譲歩する』『裏切る』『対立構図を作る』という政治戦術、そして知事就任から府債残高が増え続けている現実、またテレビ番組で懇意になった島田紳助氏との交友についても触れるなど、橋下氏の実像をわかりやすくまとめた構成になっています。是非ご一読を。」

この特集記事の1本として、「大阪府知事は『病気』である」(野田正彰・精神科医)が掲載された。病気の「診断」名が「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」というもの。その診断根拠は、橋下に対する直接の問診ではなく、それに代わる高校時代の橋下の恩師の証言等である。

この記事によって、名誉を傷つけられたとして、橋下が新潮社と野田医師を提訴した。損害賠償請求額は1100万円。この請求に対して、昨年(15年)9月、一審大阪地裁(増森珠美裁判長)は、一部記載について「橋下氏の社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容だった」として、新潮社と野田医師に110万円の支払いを命じた。「精神分析の前提となった橋下氏の高校時代のエピソードを検討。当時を知る教諭とされる人物の『嘘を平気で言う』などの発言について『客観的証拠がなく真実と認められない』」との判断だった。

昨日の逆転判決については、朝日の報道が分かり易い。
「橋下徹・前大阪市長は『演技性人格障害』、などと書いた月刊誌『新潮45』の記事で名誉を傷つけられたとして、橋下氏が発行元の新潮社(東京)と筆者の精神科医・野田正彰氏に1100万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が21日、大阪高裁であった。中村哲裁判長は、記事は意見や論評の範囲内と判断。110万円の賠償を命じた一審判決を取り消し、橋下氏の訴えを退けて逆転敗訴とした。
同誌は、橋下氏が大阪府知事時代の2011年11月号で「大阪府知事は『病気』である」とする野田氏の記事を掲載し、高校時代の橋下氏について「うそを平気で言う」などの逸話を紹介。「演技性人格障害と言ってもいい」と書いた。高裁判決は、記事は当時の橋下氏を知る教員への取材や資料に基づいて書かれ、新潮社側には内容を真実と信じる相当の理由があり、公益目的もあったとした。」

また、焦点の「記事の内容を真実と信じる相当の理由」の有無については、次のような報道がなされている。
「高裁判決は野田氏が橋下氏の生活指導に当時、携わった教諭から聞いた内容であることなどから、『真実と信じた相当の理由があった』と判断した(時事通信)」

「中村裁判長は、野田氏が橋下氏の生活指導に関わった高校時代の教諭に取材した経緯などを検討した。その結果、記事内容を裏付ける証明はないものの、『野田氏らが真実と信じる理由があり、名誉毀損は成立しない』と判断した(毎日)」

「野田氏の精神分析の前提となった橋下氏のエピソードについて、1審判決は『客観的証拠がなく真実と認められない』として名誉毀損を認定したが、高裁判決は別記事での取材内容も踏まえ『真実との証明はないが、真実と信じるに足る理由があった』とした(産経)」

「昨年9月の1審判決は、記事の前提になった橋下氏の高校時代のエピソードを『裏付けがない』としたが、高裁の中村哲裁判長は『複数の人物から取材しており、真実と信じる相当の理由があった』と指摘した(読売)」

以上のとおり、原審と控訴審ではこの点についての判断が逆転した。橋下はこれに不服ではあろうが、憲法判断の問題とも、判例違反とも主張できない。結局は事実認定に不服ということだが、それでは上告審に取り上げてはもらえないのだ。

「新潮45編集部は『自信を持って掲載した記事なので当然の判決と考える』とコメント。橋下氏側は『コメントを出す予定はない』とした。」と報道されている。

名誉毀損訴訟においては、表現者側の「表現の自由」という憲法価値と、当該表現によって傷つけられたとされる「『被害者』側の名誉」とが衡量される。この両利益の調整は、本来表現内容の有益性と「被害者」の属性とによって判断されなければならない。野田医師の橋下徹についての論述は、有権者国民にとって、公人としての知事である橋下に関する有益で重要な情報提供である。明らかに、「表現の自由」を「橋下個人の名誉」を凌駕するものとして重視すべき判断が必要である。

総理大臣や国会議員・知事・市長、あるいは天皇・皇族・大企業・経営者などに対する批判の言論は手厚く保護されなければならない。それが、言論・表現の自由を保障することの実質的意味である。権力や権威に対する批判の言論の権利性を高く認めることに躊躇があってはならない。この点についての名誉毀損訴訟の枠組みをしっかりと構築させなければならない。

現在の名誉毀損訴訟実務における両価値の調整の手法は、名誉毀損と特定された記事が、「事実の指摘」であるか、それとも「意見ないし論評であるか」で大きく異なる。野田医師の本件「誌上診断」は、典型的な論評である。基礎となる事実(高校時代の恩師らの取材によって得られた情報)の真実性が問題になる余地はあるものの、その事実にもとづく推論や意見が違法とされることはあり得ない。これは「公正な論評の法理」とされるもので、我が国の判例にその用語の使用はないが、事実上定着していると言ってよい。

そして、実は野田医師の論評が、知事たる政治家の資質に関するものであることから、真実性や相当性の認定も、ハードルの高いものとする必要はないのだ。真実性はともかく、真実相当性認定のハードルを下げるやり方で表現の自由に軍配を上げた高裁判決は、極めて妥当な判断をしたものといえよう。もう、政治家や政治に口を差し挟もうという企業や経営者が、名誉毀損訴訟を提起する時代ではないことを知るべきなのだ。

なお、同じ「新潮45」の特集記事に関して、以下の産経記事がある。
「橋下徹前大阪市長が、自身の出自などを取り上げた月刊誌『新潮45』の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社とノンフィクション作家の上原善広氏に1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が(2016年3月)30日、大阪地裁であり、西田隆裕裁判長は橋下氏の請求を棄却した。判決によると、同社は新潮45の平成23年11月号で、橋下氏の父親と反社会的勢力とのかかわりについて取り上げた。西田裁判長は判決理由で「記事は政治家としての適性を判断することに資する事実で、公益目的が認められる」とした。

私見であるが、「記事は政治家としての適性を判断することに資する事実で、公益目的が認められる」は、単なる違法性阻却の必要条件ではない。判決理由に明示していなくても、その公益目的の重要性は、真実性や真実相当性認定のハードルを低くすることにつながっているはずである。

野田医師の逆転勝訴は、私のDHCスラップ訴訟の結果にも響き合う。何よりも、憲法上「精神的自由権」の中心的位置を占める表現の自由擁護の立場から、まことに喜ばしい。
(2016年4月22日)

子も親も妻も、自衛隊員が災害救助に専念することを望みます。

ボクのお父さんは、じえいたいのたいいんです。
いま、熊本で大じしんのひがいでこまっている人たちを助けるために、いっしょうけんめいはたらいています。いぜんには、大つなみの岩手にはけんされました。

お父さんは、ゆくえふめいの人をさがしたり、こわれた道をなおしたり、食べ物をくばったり、お風呂をわかしてはいってもらったり、みんなにとってもよろこんでもらえるおしごとをしています。

ボクはそんなお父さんが、とてもりっぱだと思います。

でも、友だちからきかれました。つなみもじしんもないときには、なにをしているのって。ボクにはよく分かりません。お父さんにきくと、くんれんをしているんだよ、といっていました。くんれんって、どんなことをするんだろう。

お父さんが、いつもいつも日本じゅうのこまっているひとを助けるおしごとをしていると、ボクもうれしいし友だちにもじまんできます。お父さん、いつも、こまっている人をさがして助けてあげてください。

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私の子供は、陸上自衛隊の隊員です。
今は、熊本に派遣されて、現地で被災者の救援活動に携わっています。東日本大震災の際には、岩手県の三陸に派遣されて、死者の捜索や瓦礫の撤去、道路の修復などの作業を担当しました。

子供は、津波や地震の救援活動をとてもやりがいのあることと考えて、生き生きと任務に当たっています。「被害者や地域の住民と直接に接して、自分が役に立っていることを実感できる」と言っています。

被災地への救援の任務については生きがいを感じる、という子供の言を裏返せば、それ以外の自衛隊員としての通常任務では、生きがいを感じてはいないのかも知れません。少なくとも、「自分が役に立っていることを実感できる」状態ではないようです。

私は、自分の父から先の戦争での辛い体験を聞かされて育った世代です。自衛隊の存在や活動にいろいろな意見があることも知っています。でも、子供が自衛隊員として被災地の救援活動をしているときには、自衛隊にも子供にも誇りを感じます。

できれば、自衛隊の中に、災害救助の専門部隊ができればよいと考えています。そうすれば、子供はきっと真っ先に配属を希望するでしょう。射撃や格技の訓練ではなく、災害救助の専門部隊としての訓練を重ね、国内だけでなく海外にも、人命救助や被災地の復興のための活躍の場を与えられたら、子供はどんなにか張り切ってはたらくことでしょう。

私の子供だけでなく、多くの自衛隊員がそう思っているのかも知れません。それならば、災害救助の専門チームをどんどん大きく増やしていって、自衛隊の名前も災害救助隊と変えてはどうでしょうか。被災地では、迷彩服ではなく、被害者からもっとよく目立つ服装に変えた方がよいと思います。そして、予算もオスプレイやヘリ空母や爆弾に使うのではなく、人命救助やインフラ復旧のための機材や資材の購入に切り替えてはどうでしょうか。

そうすればきっと、私の子供も生きがいを獲得できますし、多くの国民が自衛隊(名前を変えた災害救助隊)を大切に思うようになることでしょう。

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私の夫は、自衛隊員です。今は、熊本で災害援助に当たっています。東日本大震災の際には、三陸の大槌町に派遣されていました。普段は、肩身が狭いような気持になることもすくなくないのですが、テレビで、被災地の自衛隊の活躍を見ると、とても誇らしい気持になります。

夫も、派遣された被災地での災害救助活動には、身が入っている様子です。夫の本来の任務が救援の活動であればよいと思い続けています。

私には、自衛隊という存在が平和のための抑止力になっているのか、それとも近隣の国々への脅威となっているのか、判断はいたしかねます。ただ、一ついえることは、夫の自衛隊員としての奉職は専守防衛のためと信じてのことです。防衛の任務が、国内だけでなく、海外であり得るとは長く考えたこともありませんでした。

ところが、最近急に風向きが変わってきて、心配でなりません。昨年9月には戦争法とも言われる安保関連法が、大きな反対運動を押し切る形で成立しました。難しくてよく理解できない「存立危機事態」には、海外にも防衛出動ができるようになって、夫にも派兵の出動命令が出されるかも知れません。それだけでなく、海外での後方支援活動でも戦闘行為があり得るというのです。

自衛隊は軍隊ではない、国防軍でもない。だから、けっして海外で戦争することはないと考えていたのですが、話しが大きく食い違ってきています。

夫は、人のために黙々とはたらくことが大好きな好人物です。被災地で、被災者のためにはたらくことを厭うはずはありません。そんな夫が、海外で戦闘に巻き込まれるような危険な任務を与えられぬよう、祈るばかりです。
(2016年4月21日)

これが国際社会の良識から見た「日本の言論・表現の自由の惨状」だーデービッド・ケイの暫定調査結果を読む

安倍内閣発足以来、日本の言論・表現の自由は、惨憺たるありさまとなっている。
ほかならぬNHK(NEWS WEB)が、「報道の自由度 日本をはじめ世界で『大きく後退』」と報じている。本日(4月20日)の以下の記事だ。

「パリに本部を置く「国境なき記者団」は、世界各国の「報道の自由度」について、毎年、報道機関の独立性や法規制、透明性などを基に分析した報告をまとめランキングにして発表しています。4月20日発表されたランキングで日本は、対象となった180の国と地域のうち72位と、前の年の61位から順位を下げました。これについて「国境なき記者団」は、おととし特定秘密保護法が施行されたことなどを念頭に、「漠然とした範囲の『国家の秘密』が非常に厳しい法律によって守られ、記者の取材を妨げている」と指摘しました。」

日本は180国の中の72位だという。朝日は、「日本は2010年には11位だったが、年々順位を下げ、14年は59位、15年は61位だった。今年の報告書では、『東洋の民主主義が後退している』としたうえで日本に言及した。」と報じた。アベ政権成立のビフォアーとアフターでこれだけの差なのだ。

ところで、72位? 昨年から順位を下げたとはいえ、まだ中位よりは上にある? 果たして本当だろうか。この順位設定の理由は、「特定秘密保護法が施行されたこと」としか具体的理由を挙げていない。しかし、実はもっともっと深刻なのではあるまいか。

昨日(4月19日)、日本における言論・表現の自由の現状を調べるため来日した国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)が、記者会見して暫定の調査結果を発表した。英文だけでなく、日本語訳も発表されている。その指摘の広範さに一驚を禁じ得ない。この指摘の内容は、到底「言論・表現の自由度順位72位」の国の調査結果とは思えない。

最も関心を寄せたテーマが、放送メディアに対する政府の「脅し」とジャーナリストの萎縮問題。次いで、特定秘密保護法による国民の知る権利の侵害。さらに、慰安婦をめぐる元朝日記者植村隆さんへの卑劣なバッシング。教科書からの慰安婦問題のが削除。差別とヘイトスピーチの野放し。沖縄での抗議行動に対する弾圧。選挙の自由…等々。

ケイ報告についての各メディアの紹介は、「特定秘密の定義があいまいと指摘」「特定秘密保護法で報道は萎縮しているとの見方を示し」「メディアの独立が深刻な脅威に直面していると警告」「ジャーナリストを罰しないことを明文化すべきだと提言」「政府が放送法を盾にテレビ局に圧力をかけているとも批判」「政府に批判的な記事掲載の延期や取り消しがあつた」「記者クラブ制度は廃止すべき」「ヘイトスピーチに関連して反差別法の制定も求めた」などとされている。また、「(当事者である)高市早苗総務相には何度も面会を申し入れたが会えなかった」という。政府が招聘した国連の担当官の求めがあったのに、担当大臣は拒否したのだ。

今回が初めてという国連特別報告者の日本調査。あらためて、日本のジャーナリズムの歪んだあり方を照らし出した。これから大きな波紋を起こすことになるだろう。

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国連報告者メディア調査 詳報に若干のコメントを試みたい。()内の小見出しは、澤藤が適宜付けたもの。

【メディアの独立】
(停波問題)
「放送法三条は、放送メディアの独立を強調している。だが、私の会ったジャーナリストの多くは、政府の強い圧力を感じていた。
 政治的に公平であることなど、放送法四条の原則は適正なものだ。しかし、何が公平であるかについて、いかなる政府も判断するべきではないと信じる。
 政府の考え方は、対照的だ。総務相は、放送法四条違反と判断すれば、放送業務の停止を命じる可能性もあると述べた。政府は脅しではないと言うが、メディア規制の脅しと受け止められている。
 ほかにも、自民党は二〇一四年十一月、選挙中の中立、公平な報道を求める文書を放送局に送った。一五年二月には菅義偉官房長官がオフレコ会合で、あるテレビ番組が放送法に反していると繰り返し批判した。
 政府は放送法四条を廃止し、メディア規制の業務から手を引くことを勧める。」

事態をよく把握していることに感心せざるを得ない。放送メデイアのジャーナリストとの面談によって、政府の恫喝が効いていることを実感したのだろう。また、安倍政権の権力的な性格を的確にとらえている。権力的な横暴が、放送メデイアの「自由侵害のリスクある」というレベルではなく、「自由の侵害が現実化」しているという認識が示されている。危険な安倍政権の存在を前提にしての「放送法四条廃止」の具体的な勧告となっている。

(「記者クラブ」「会食」問題)
「日本の記者が、独立した職業的な組織を持っていれば政府の影響力に抵抗できるが、そうはならない。「記者クラブ」と呼ばれるシステムは、アクセスと排他性を重んじる。規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し、密接な関係を築いている。」

権力と一部メディアや記者との癒着が問題視されている。癒着の原因となり得る「記者クラブ」制度が批判され、「規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し密接な関係を築いている」ことが奇妙な図と映っているのだ。これを見れば、72位のレベルではなかろう。二ケタではなく三ケタの順位が正当なところ。

(自民党改憲案批判)
「こうした懸念に加え、見落とされがちなのが、(表現の自由を保障する)憲法二一条について、自民党が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」との憲法改正草案を出していること。これは国連の「市民的及び政治的権力に関する国際規約」一九条に矛盾し、表現の自由への不安を示唆する。メディアの人たちは、これが自分たちに向けられているものと思っている。」

この指摘は鋭い。自民党・安倍政権のホンネがこの改憲草案に凝縮している。政権は、こんなものを公表して恥じない感覚が批判されていることを知らねばならない。

【歴史教育と報道の妨害】
(植村氏バッシング問題)
「慰安婦をめぐる最初の問題は、元慰安婦にインタビューした最初の記者の一人、植村隆氏への嫌がらせだ。勤め先の大学は、植村氏を退職させるよう求める圧力に直面し、植村氏の娘に対し命の危険をにおわすような脅迫が加えられた。」

植村さんを退職させるよう求める圧力は、まさしく言論の自由への大きな侵害なのだ。この圧力は、安倍政権を誕生させた勢力が総がかりで行ったものだ。植村さんや娘さんへの卑劣な犯罪行為を行った者だけの責任ではない。このことが取り上げられたことの意味は大きい。

(教科書検定問題)
「中学校の必修科目である日本史の教科書から、慰安婦の記載が削除されつつあると聞いた。第二次世界大戦中の犯罪をどう扱うかに政府が干渉するのは、民衆の知る権利を侵害する。政府は、歴史的な出来事の解釈に介入することを慎むだけでなく、こうした深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない。」

安倍晋三自身が、極端な歴史修正主義者である。「自虐史観」や「反日史観」は受容しがたいのだ。ケイ報告は、政府に対して、「歴史的な出来事の解釈に介入することを慎む」よう戒めているだけでない。慰安婦のような「深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない」とまで言っているのだ。

【特定秘密保護法】
(法の危険性)
「すべての政府は、国家の安全保障にとって致命的な情報を守りつつ、情報にアクセスする権利を保障する仕組みを提供しなくてはならない。しかし、特定秘密保護法は、必要以上に情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす。」

特定秘密保護法は、情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす、との指摘はもっともなこと。「市民の関心が高い分野」だけではなく、「国民の命運に関わる分野」についても同様なのだ。

(具体的勧告)
「懸念として、まず、秘密の指定基準に非常にあいまいな部分が残っている。次に、記者と情報源が罰則を受ける恐れがある。記者を処分しないことを明文化すべきで、法改正を提案する。内部告発者の保護が弱いようにも映る。」
「最後に、秘密の指定が適切だったかを判断する情報へのアクセスが保障されていない。説明責任を高めるため、同法の適用を監視する専門家を入れた独立機関の設置も必要だ。」

もちろん、法律を廃止できれば、それに越したことはない。しかし、最低限の報道の自由・知る権利の確保をという観点からは、「取材する記者」と「材料を提供する内部告発者」の保護を万全とすべきとし、秘密指定を適切にする制度を整えよという勧告には耳を傾けなくてはならない。

【差別とヘイトスピーチ】
「近年、日本は少数派に対する憎悪表現の急増に直面している。日本は差別と戦うための包括的な法整備を行っていない。ヘイトスピーチに対する最初の回答は、差別行為を禁止する法律の制定である。」

これが、国際社会から緊急に日本に求められていることなのだ。

【市民デモを通じた表現の自由】
「日本には力強く、尊敬すべき市民デモの文化がある。国会前で数万人が抗議することも知られている。それにもかかわらず、参加者の中には、必要のない規制への懸念を持つ人たちもいる。
 沖縄での市民の抗議活動について、懸念がある。過剰な力の行使や多数の逮捕があると聞いている。特に心配しているのは、抗議活動を撮影するジャーナリストへの力の行使だ。」

政府批判の市民のデモは規制され、右翼のデモは守られる。安倍政権下で常態となっていると市民が実感していることだ。とりわけ、沖縄の辺野古基地建設反対デモとヘイトスピーチデモに対する規制の落差だ。デモに対する規制のあり方は、表現の自由に関して重大な問題である。

【選挙の規制】 (略)
【デジタルの権利】 (略)

さて、グローバルスタンダードから見た日本の実情を、よくぞここまで踏み込んで批判的に見、提言したものと敬意を表する。指摘された問題点凝視して、日本の民主運動の力量で解決していきたいと思う。

但し、残念ながら、二つの重要テーマが欠けている。一つは、学校儀式での「日の丸・君が代」敬意強制問題。そして、もう一つがスラップ訴訟である。さらに大きく訴えを続けること以外にない。

国境なき記者団もこの報告書を読むだろう。さらには、来年(17年)国連人権理事会に正式提出される予定の最終報告書にも目を通すだろう。そうすれば、72位の順位設定が大甘だったと判断せざるを得ないのではないか。来年まで安倍政権が続いていれば、中位点である90位をキープするのは難しいこととなるだろう。いや、市民社会の民主主義バネを働かせて、安倍政権を追い落とし、72位からかつての11位までの復帰を果たすことを目標としなければならない。
(2016年4月20日)

思想・良心の自由を制約して、秩序維持をとった「民事19部判決」

昨日(4月18日)、都教委との訴訟において久しぶりに敗訴の判決を得た。敗訴は辛い。辛いが、励まし合い、知恵も元気も出し合って闘い続けなくてはならない。少しでも真っ当な社会を築くために。

負けてもめげないという点では、都教委を見習おう。なにしろ12連敗しても、少しもへこたれず、反省のかけらすら見せずに、居直り続けているのだから。

昨日敗訴の事件は、「再雇用拒否」第3次訴訟と名付けた事件。東京都立学校の元教員3名が、定年後の非常勤職員の選考に当たって、在任中の君が代不起立のみを理由に不合格とすることは違法と主張して、東京都に計約1760万円の国家賠償を請求した事件。東京地裁民事19部(清水響裁判長)の判決言い渡しのその瞬間までは、勝訴判決があるものと思い込んでいた。都教委も、12連敗の次の13連敗目を覚悟していたに違いないのだ。なんとなれば、まったく法的争点を同じくする「再雇用拒否」第2次訴訟では、昨年5月東京地裁の別の部(民事36部)が、元教員22人が起こした別の訴訟の判決で全面勝訴して約5370万円の損害賠償を命じる判決を言い渡している。しかも、この判決は東京高裁でも1回結審で控訴棄却となっているのだ。都教委も、「どうして勝ったんだろう?」といぶかしんでいるに違いない。

2次訴訟も3次訴訟も、原告らはすべて卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったことだけを理由に定年後の再雇用を拒否されている。懲戒処分を受けただけでなく、定年後年金支給時までのブランクは経済的に厳しい制裁となるのだ。「日の丸・君が代」不服従に対する、懲戒処分以外の制裁措置として実効性のあるこの再雇用拒否は都教委の大きな武器である。この武器をいったんは押さえ込んだと思ったのだが、昨日の判決は、この武器の使用を認めてしまった。だが、判決をよく読むと、裁判官が自信をもって書いた判決とは思えない。勝敗は紙一重。しかも、極めて薄い紙によって分けられたというほかはない。

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まずは、原告団・弁護団の声明を掲載しておきたい。

声明       
1 本日、東京地裁民事第19部(清水響裁判長)は、都立学校の教職員3名が卒業式等の「君が代」斉唱時に校長の職務命令に従わずに起立しなかったことのみを理由に、定年等退職後の再雇用である非常勤教員としての採用を拒否された事件(東京「再雇用拒否」第3次訴訟)について、原告教職員らの訴えを棄却する不当な判決を言い渡した。

2 本件は、東京都教育委員会(都教委)が2003年10月23日付けで全都立学校の校長らに通達を発し(10.23通達)、卒業式・入学式等において「君が代」斉唱時に教職員らが指定された席で「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱すること等を徹底するよう命じて、「日の丸・君が代」の強制を進める中で起きた事件である。
 都立学校では、10.23通達以前には、「君が代」斉唱の際に起立するかしないか、歌うか歌わないかは各人の内心の自由に委ねられているという説明を式の前に行うなど、「君が代」斉唱が強制にわたらないような工夫が行われてきた。
 しかし、都教委は、10.23通達後、内心の自由の説明を一切禁止し、式次第や教職員の座席表を事前に提出させ、校長から教職員に事前に職務命令を出させた上、式当日には複数の教育庁職員を派遣して教職員・生徒らの起立・不起立の状況を監視するなどし、全都一律に「日の丸・君が代」の強制を徹底してきた。
 原告らは、それぞれが個人としての歴史観・人生観・宗教観や、長年の教師としての教育観に基づいて、過去に軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた歴史を背負う「日の丸・君が代」自体が受け入れがたいという思い、あるいは、学校行事における「日の丸・君が代」の強制は許されないという思いを強く持っており、そうした自らの思想・良心・信仰から、校長の職務命令には従うことができなかったものである。
 ところが、都教委は、定年等退職後に非常勤教員として引き続き教壇に立つことを希望した原告らに対し、卒業式等で校長の職務命令に従わず、「君が代」斉唱時に起立しなかったことのみを理由に、「勤務成績不良」であるとして、採用を拒否した。

3 判決は、「君が代」斉唱時の起立等を命じる校長の職務命令が憲法19条及び同20条に違反するかという争点については、2011年5月30日最高裁(二小)判決に従って、起立斉唱命令が原告らの思想・良心及び信仰の自由を間接的に制約する面があるとしながら、公務員としての地位及び職務の公共性から、必要性・合理性があるとして、憲法19条及び20条違反と認めなかった。

4 また、判決は、都教委による10.23通達及びその後の指導について、卒業式・入学式等における「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱の実施方法等について、公立学校を直接所管している都教委が必要と判断して行ったものである以上、改定前教育基本法10条の「不当な支配」に該当するとは言えないと判示した。

5 さらに、判決は、原告らに対する採用拒否は、都教委の裁量権を逸脱・濫用したものではないとした。非常勤教員の採否の判断につき,都教委は「広範な裁量権を有している」として、原告らの非常勤教員への採用の期待は、「事実上の期待でしかない」とする。その上で、本件採用拒否が「不起立を唯一の理由」とするものであり、「原告らが長年にわたり誠実に教育活動に携わってきた」ことを認定しながら、「本件職務命令が適法かつ有効な職務命令であるとの前提に立つ以上、原告らが本件不起立に至った内心の動機がいかなるものであれ、職務命令よりも自己の見解を優先させ、本件職務命令に違反することを選択したことが、その非常勤教員としての選考(本件選考)において不利に評価されることはやむを得ない。」とし、前記2011年最高裁判決に従い、「本件採用拒否が客観的合理性及び社会的相当性を著しく欠くものとはできない」とした。

6 しかし、本件と同様の事件(再雇用拒否撤回第2次訴訟)において、東京地裁民事第36部(吉田徹裁判長)は、2015年5月25日、東京都の採用拒否について、裁量権逸脱として違法とし同事件の原告らの損害賠償請求を認め、同事件の控訴審においても、東京高裁第2民事部(柴田寛之裁判長)は、2015年12月10日、東京都の控訴を棄却している(東京都は上告中)。上記判決においては、「再雇用拒否は本件職務命令違反をあまりにも過大視する一方で、教職員らの勤務成績に関する他の事情をおよそ考慮した形跡がないのであって、客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くものといわざるを得ず、都教委の裁量権を逸脱・濫用したもので違法である」と判示している。本判決は、これらの判決にも反する極めて不当な判断である。

7 原告らは、本不当判決に抗議するとともに、本判決の誤りを是正するために、直ちに控訴する。われわれは、引き続き採用拒否の不当性を司法判断にて確定するために努力する決意である。
以上
                  2016年4月18日
            東京「再雇用拒否」第3次訴訟原告団・弁護団
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判決の理由を見てみよう。判決理由は「本件の争点」として、以下の5点を挙げる。
1 10・23通達及びこれにもとづく起立斉唱の職務命令が、憲法26条、憲法13条、憲法23条及び旧教育基本法10条1項(現教育基本法16条1項)に違反するか(争点1)
2 同通達及び本件職務命令が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」18条に違反するか(争点2)
3 原告らが本件選考において不合格とされたことは思想良心、信仰に基づく不利益取扱いとして憲法19条及び憲法20条に違反するか(争点3)
4 本件不採用に都教委の裁量権濫用・逸脱があるか(争点4)
5 原告らの損害額(争点5)

この争点1?争点3こそが、教員側の主たる主張だが、現実的に勝敗を分けるのは、「争点4」の裁量権濫用・逸脱の有無である。2次訴訟では、この点で教員側が勝っている。このテーマであれば、最高裁判決に縛られることなく、下級審裁判所が自分の頭で判決を書ける。ここで、現実に教員側勝訴の判決が続いているのだ。

その「争点4」について、本件判決はどう書いたか。下記は判決書きのうちの「当裁判所の判断」中の記載の抜き書きである。念のためだが、原告の主張の抜き書きではない。

争点4(本件不採用に都教委の裁量権濫用・逸脱があるか)
「証拠(甲1,甲4ないし甲6,甲50,甲51)及び弁論の全趣旨によれば,平成19年度から平成24年度までの非常勤教員の合格率は約96%から98%で推移しており,不合格となるのは少数に限られること,また,非常勤教員は再雇用制度の廃止に伴い,再雇用職員が担ってきた業務を担う役割を果たすものとして設けられたものであって,再雇用・非常勤教員採用選考実施状況(甲4)に照らし,現実にも,非常勤教員制度は,再雇用制度廃止の受皿としての機能を有していたものと認められ,これに反する証拠はない。かかる事実によれば,原告らにおいて,定年退職後も非常勤教員として勤務することができることを期待したとしても,そのこと自体は理解することができる。」
「進んで,本件不採用の理由について検討するに,…証拠(甲57から甲59まで,原告各本人)によれば,原告らは,それぞれ都立学校に在職中,定年退職に至るまでの間,教師として誠実に職務に取り組んでいたことが認められ,本件職務命令違反に係る本件不起立も原告らの歴史観ないし世界観等に基づくもので,積極的な式典の妨害行為をするような態様のものではなく,証拠上,本件職務命令違反に係る本件不起立以外に,原告らにつき,本件不採用に係る不合格の理由となるような事情は見当たらない。したがって,本件不採用は,専ら原告らが本件職務命令に違反したということをその理由とするものと推定され,これを覆すに足りる主張立証はない。」
「そこで,このような理由により本件不採用をしたことが裁量権の濫用・逸説となるかどうかについて検討するに,…原告らが地方公務員であると同時に教師であり,本質的に子どもとの直接の人格的接触を通じ,その個性に応じて行わなければならない教育に携わる者として,一定程度の教授の自由を有していたと考えられることが考慮されるべきものであり…、確かに,原告らが長年にわたり誠実に教育活動に携わってきたことに鑑みると,本件選考に係る都教委の裁量権の行使に当たっては,専ら原告らの本件職務命令の違反という事実だけを重視するのではなく,原告らの長年にわたる教師としての能力や適性,実績についても同程度あるいはそれ以上に重視して慎重に検討すべきとの考えもあり得るところであり,この点については,人事政策的見地からの当否の問題は残ると考えられる。」

結局、判決は、迷いながらも、「法的見地からみた裁量権の濫用・逸脱の問題としては,被告(都教委)に著しい裁量権の濫用・逸脱があったとまでは言い難い。」と結論した。上述のとおり、「人事政策的見地からの当否の問題は残る」と明言しながらのことである。裁判官は、「都教委のやったことは相当ひどいが、それでも違法とまでは言いにくい」としたのだ。越えてしまえば、なんでもない一線。行政を批判する勇気に欠けたと批判せざるを得ない。

2次訴訟における「民事36部の原告勝訴判決」と、3次訴訟における「民事19部の原告敗訴判決」とを分けるものは、まさしく人権感覚の差である。憲法感覚の差と言ってもよい。個人の尊厳、思想・良心の自由を出発点として果たしてこれを制約するに足りる必要があるかと発想するのか、それとも秩序維持の必要性を出発点としてこの秩序を凌駕するものとして個人の自由の価値を認めるべきかとの発想の落差である。

裁判官の資質としてもっとも重要なものは、何よりも人権感覚である。個人の尊厳への畏敬の念である。生身の人間への共感能力でもある。難波判決・大橋判決・宮川少数意見、そして吉田判決と、一連の「日の丸・君が代」訴訟は、何人もの真っ当な裁判官を見てきた。残念ながら、昨日はハズレ籤だった。気を取り直して、原告団と弁護団と支援の運動全体で控訴審に取り組む決意をかためよう。考えようによっては、まだ12勝1敗ではないか。この1敗で、へこんではおられない。
(2016年4月19日)

「ハーケンクロイツに敬礼し、ナチスを讃える歌を斉唱せよ」と命じられたら…。障害児教育の現場から渡辺厚子さんの訴え

日本での表現の自由の状況を調査する国連人権理事会の特別報告者であるデビッド・ケイ氏(カリフォルニア大学教授)。滞在予定は4月12日から19日まで。この間に、「政府やメディアの関係者を含め、多くの人と会談したい」との意向を表明している。政府やメディア関係者だけでなく、ぜひ市井にある者の声を掬い取っていただきたい。

4月16日のグループヒアリングプログラムでの私の発言を当ブログでご紹介した。「日の丸」への敬意表明の強制は、ナチスのハーケンクロイツへの敬礼の強制と同じであることを理解していただきたいという内容。

実は、私だけでなく、「国連に障がい児の権利を訴える会」の代表として発言された渡辺厚子さんも、期せずして同様の趣旨の訴えとなった。渡辺さんは、自ら英文を朗読した。その日本語訳バージョンをご紹介したい。

想像してみてください

あなたは、教員として、生徒に平和を愛する市民になってほしいと、心を込めて教育にあたっています。しかし政府が、生徒に愛国心をもたせるためと言って、学校行事でハーケンクロイツに敬礼し、ナチスを讃える歌を斉唱することを、義務とすると言い出しました。そしてもし従わなければ、職務命令不服従として、減給や、停職処分や、免職にすると。

この話は、時代錯誤的だと思われるでしょうか?
どこか独裁政治の行われている国の話でしょうか?

いいえ、これは、今、日本の教育現場で起こっていることなのです。
民主国家であるはずの日本で、今、侵略戦争の象徴『日の丸』「君が代』について、このようなことが行われているのです。

私を含め日本の多くの教員は、過去に、教育を通して戦争が美化され、結果として壊滅的な運命がこの国にもたらされた反省から、学校でのこうした愛国心の押し付けに対し警戒心を持っております。それでいくら職務命令があっても、学校行事での国家斉唱では、起立斉唱の際に立ち上がらず、黙って歌が終わるのを待つという、ささやかな抵抗を行ってきました。あるいは、歌の間だけ退席する、あるいは起立はするが歌わない、という形をとる教員もいます。いずれの場合も、我々の「抵抗」は、歌そのものが短いため、ほんの40秒かそこらで終わってしまうようなものです。

しかし、こうした非暴力で消極的な抵抗をする教員に対して、当局は容赦ない締め付けを行ってきています。斉唱拒否する教員を発見するために、学校行事の際には、監視員を各学校に派遣、ビデオを撮影して、ちゃんと国家斉唱をしなかった教師や退席した教師の氏名を確認し、報告するのです。

成熟した民主主義社会で行われていることとは思えない、こんなばかばかしいことが実際に行われ、不釣合いに重い処分が見せしめ的に下され、その結果として多くの教師が、教壇を、愛する生徒たちの元を去ってゆきました。

私自身も、停職1ヶ月、停職3ヶ月、停職6ヶ月、などの処分を受けました。私は養護学校教諭ですから、教えている生徒たちの中には、重度の障害を負って命に限りのある子もいました。そうした生徒にとっては、一日一日がとても貴重なのに、良心にしたがって行動しただけで、長期に渡って彼らの元を離れなければならないのは、耐え難いものでした。

我々教員は、力を合わせて訴訟も起こしましたが、最高裁の判決が出ても、当局は手をゆるめません。良心の自由、信条の自由を訴えるため、最後の手段として、私は、ジュネーブへいき訴えました。

今日、私はあなたに、特に、障害児への権利侵害について注意を喚起します。
障がい児学校には非常に重度の障がいのある子どもたちがいます。教師たちは彼らの命を支えるために常にケアをしています。しかし、君が代の時、立って歌えという命令は、そのような子どもたちのニーズにお構いなしに発せられます。教師は、子どもの装着するアラーム音が鳴った時、アラーム音を無視 して命令に従うのか、それとも、子どもの命に係わることだと処分を覚悟して、命令に逆らい対応するかの選択を迫られるのです。生徒の生きる権利は、政府の最優先事項で はないのです。

また、障害児達への合理的配慮がなされていません。通達前まではバリアーフリーのフロアー会場で式を行っていました。子どもたちには自分で車椅子をこぎ、動く権利が保障されていました。ところが当局は、フロアー会場の使用を禁じました。壇上に日の丸を飾りそれに敬礼させるため、全員の子どもを例外なく壇上に上げるよう命じました。スロープは狭く傾斜もきつく子どもがこいで上がるには無理があり危険なため、自分で動くことができなくなりました。尊厳が傷つけられています。

性教育についてお伝えします。
性教育は、障害児に限らずどのこどもにとっても重要です。障害児にとっては自分自身への肯定感、命の根源の尊重、又性被害や加害からの防御としても重視され取り組まれてきました。しかし政府は性教育をバッシングし,都立七生養護学校では,2003年性教育を行った教員は処分され、教材もすべて都議会議員によって持ち去られました。

最高裁判所は、2013年都議会議員や都教委を罰しました。しかし,彼らは未だに教材すら返却しません。
詳細は、「国連に障がい児の権利を訴える会」が提出した自由権規約委員会への「日の丸・君が代」カウンターレポートをご覧ください。
是非、日本の教員が,自由権規約18条・19条・24条にかかげられているところの良心の自由表現の自由を獲得し、その信ずるところにしたがって教育に従事できるよう、お力をお貸しください。(以上・渡辺厚子さん)

日本の教員から、このような訴えが上がることをケイ氏はどう受け止めるだろうか。今回の調査は、今月19日まで行われる予定で、最終日には中間報告が発表される予定と報じられている。中間報告も、最終報告も大いに期待して待ちたいと思う。
(2016年4月18日)

追憶 菊池久三先生(岩手靖国違憲訴訟原告)

近々ロゴスから、ブックレット「壊憲か、活憲か」を出す予定で、原稿を書いている。
予定では、下記執筆者4人の共著。私一人が脱稿していない。

「〈友愛〉を基軸に活憲を」 村岡到
「憲法を活かす裁判闘争」 澤藤統一郎
「自民党改憲案への批判」 西川伸一
「五日市憲法草案は現憲法の源流」 鈴木富雄

128頁で1100円が予価。
私の、「憲法を活かす裁判闘争」は、岩手靖国違憲訴訟の経験を素材に今の時点で、憲法を活かす裁判運動の経験をまとめてみようというもの。できあがったら、お読みいただくようお願いしたい。

当時の資料に目を通していたら、靖国訴訟の原告のお一人、菊池久三先生(1916-1995. 北上市)が亡くなられたときの追悼文が出てきた。

「どんぐりころころ」という菊池久三先生の遺稿集の片隅に掲載していただいたもの。尊敬する先輩の生き方を書きとめておきたい。

筋を貫く生き方ー菊池久三先生の印象

手許のずいぶんと古ぼけた手帳を繰ってみると、久三先生との初めての出会いは一九八〇年一二月六日である。古い手帳から往事の懐かしい記憶がよみがえる。

その数日前、 懇意の柏朔司さんから紹介の電話をいただいていた。北上に政教分離の運動を進めているグループがあって、君の事務所を訪ねて行くから法律的な相談に乗ってやっていただきたい、という。その中心人物として「菊池久三」という名を初めて知った。岩手靖國違憲訴訟のプロローグである。

初対面の先生は、紛れもない「教師」だった。それも、「教え子を再び戦場にやってはならない」との思いを熱く語り続ける生粋の「教師」だった。この、出会いの日の印象は最後まで変わることはなかった。

法廷における久三先生の思い出の最たるものは、控訴審での本人としての証言だった。尋問は仙台の手島弁護士が主担当、私がサブだった。延べ一〇時間を越えた尋問準備の打ち合わせは、菊池先生には相当の負担であったと思う。

満席の法廷傍聴者は、政教分離運動の支援者が半分、公式参拝推進派の遺族会動員が半分。そのなかでの久三先生の証言は法廷を圧した。青年学校の熱意あふれる教師として子供たちに忠君愛国の教えを説いたこと、教え子の出征に際して「生きて還ると思うなよ、靖國神社で会おう」と送り出したこと、そして、その教え子たちの真新しいいくつもの墓標を見つけたときの悔恨。戦後は、再び教壇に立つ資格はないと思った自分が、「平和教育・民主主義教育を進めることで、贖罪したい」と思い返し決意したその経緯……。

その決意を一筋に貫いた人であればこその迫力に満ちた証言だった。堂々たる証言は、久三先生の堂々たる人生の発露であった。

訴訟が終わって、お目にかかるたびに私の子供のことを話題にされた。この点も教師なのだな、と印象を深くした。平和教育・民主教育を生涯の仕事とされた久三先生にとって、私は戦後初期の教え子の世代、私の子供は先生の最後の教え子よりやや若い世代。悲惨な戦争体験や戦前の不合理な社会の苦い体験が世代から世代にどう承継されているのか。平和や民主主義擁護の熱い思いがそれぞれの世代でどう育まれているか。気になってならなかったのだと思う。若い世代への期待もひとしおだったのだろう。

久三先生にとって、岩手靖國訴訟の提起は自分の生き方の貫徹の結果として、ごく自然なことだった。久三先生は、この訴訟に関わった私たちに、みごとな筋の通った生き方の手本を見せてくれた。やっぱりどこまでも、久三先生は人の師であった。

戦後の民主教育を支えた師を記憶に留めておきたい。
(2016年4月17日)

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