澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

婚外子差別違憲判決に思う

婚外子の遺産相続分を、法律上の夫婦の子の半分とする民法の規定が、憲法に違反するかどうかが争われた遺産分割事件で、最高裁大法廷は本日、「当該規定の合理的な根拠は失われており、法の下の平等を保障した憲法に違反する」との決定を出した。合憲とした1995年大法廷(10対5)の判例変更をしたもの。

家庭裁判所が民法の規定どおりの遺産分割審判をし、婚外子側がこの審判を不服として高裁に抗告をしたが棄却されたので、最高裁に特別抗告をしていた。本日の決定は、原決定を破棄して高裁に差し戻した。高裁は、最高裁の判断に拘束された再決定をすることになる。

大法廷の決定は、下記のサイトで読むことができる。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130904154932.pdf
法務省の民事局長だった寺田逸郎判事が審理を回避して決定に加わらず、裁判官14人全員一致の意見だった。これはやや意外。なお、時の人・山本庸幸氏ではなく、前任の竹内行夫判事が決定に加わっている。

決定理由の枠組みは、「憲法14条の法の下の平等を大原則とし、その制約を合理化する根拠があるか」という立論をするものではない。「相続制度をどう定めるかは立法府の合理的な判断に委ねられている」ことを前提に、「裁量権を考慮してもなお、そのような区別に合理的な根拠が認められない場合には、憲法14条違反となる」という。原則は国会の裁量、それを逸脱している場合にのみ違憲となる、という枠組み。

だから、「それぞれの国の伝統,社会事情,国民感情、…その国における婚姻ないし親子関係に対する規律,国民の意識等」について総合的に考慮が必要であり、「これらのことがらは時代とともに変遷するもの」ともいう。

「これまで民法の改正が行われてこなかった理由の主たるものは、家族等に関する国民の意識の多様化がいわれつつも,法律婚を尊重する意識は幅広く浸透しているとみられることにあると思われる」「しかし,嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1とする本件規定の合理性は,…個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし,嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題である」という。

国民意識の変化・多様化、世界各国の立法例、国際条約や国際機関の動向、などに鑑みて、「家族の中で個人の尊重がより明確に認識されてきた。子に選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されないとの考え方が確立されてきている」と述べ、遅くとも(今回の裁判の被相続人が死亡した)2001年7月には規定が違憲だったと結論付けた。

考えねばならないことはたくさんある。人権とは、平等とは、時代で変わるものだろうか。国民意識の変遷や他国の法制度の動向に左右されるべきものなのだろうか。

1995年には、5対10だった裁判官の意見分布が、今回は14対0となった。これはどうしてだろうか。以前よりは人権感覚が優れた裁判官が選任されるようになったのか、それとも時代が変わったのか、あるいは雪崩現象なのか。

明日(9月5日)と、明後日(9月6日)には、第一小法廷と第二小法廷で、続けて「日の丸・君が代」強制問題での判決が予定されている。婚外子問題では、違憲判決のできる最高裁が、どうして「日の丸・君が代」強制問題では違憲と言えないのだろうか。

本日の判決では、外国の動向と、自由権規約・子どもの権利条約の締結が、違憲判断の要因として挙げられている。規約委員会からの勧告の事実にも関心が払われている。国旗・国歌問題についても、これは応用が出来そうではないか。

司法消極主義を批判されていた最高裁が、ともかく積極方向に動いた。このことだけでも喜ばなければならない。日の丸・君が代強制問題においても、判例変更はあり得ることではないか。

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   『並木道』
「昔恋しい 銀座の柳 あだな年増を誰が知ろ」「植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残のうすみどり」「巴里のマロニエ 銀座の柳 西と東の恋の宿」
「銀座柳並木」を歌った流行歌の歌詞だ。シダレヤナギは銀座通りの並木道を飾り、江戸情緒の名残だった。関東大震災、東京大空襲などで焼かれてしまい、その後、復活を計っているが、昔の風情は戻っていない。今はイチョウが植えられているようだが、木が小さくて見栄えはいまいちだ。御幸通りには早春に白い花をつけるコブシの木が植えられているが、木の生長が悪くてあまりパッとしない。銀座にはやっぱりヤナギがふさわしい。

パリのマロニエは日本のトチノキの仲間。霞ヶ関の桜田通りが立派なトチノキ並木で、秋になるとツヤツヤした栗の実ほどの栃の実が街路にころがる。一度は手に取るけれど、しばらく置いておくと、艶もなくなってしなびてしまい、がっかりしてしまう。いくらでも拾えるけれど、トチ餅などは都会人には難しくて作れない。トチノキは栃木県の「県の木」で、宇都宮市の県庁前に立派なトチノキ並木がある。5月にはシャンデリアのようなクリーム色の花をたくさん咲かせる。県庁の屋上で8万匹のミツバチを飼って、41キログラムもの蜂蜜を収穫したそうだ。トチノキ並木をつくりたいとおもっても、ヤナギと違って、すぐには造れない。宇都宮県庁前のトチノキは1939年に植えたもの。年期が必要なのだ。

ところが今、街路樹としては「シダレヤナギ」も「トチノキ」も人気がない。プラタナス(鈴掛の木)、ポプラ、ニセアカシア(エンジュ)も以前ほど見かけなくなった。街路樹は排気ガスに強く、人に踏まれてもものともせず、病害虫もよせつけず、剪定されても夏までには葉を茂らせて、成長が早くないとお役が務まらない。そのうえ、美しい花を咲かせ、できたら蜂蜜を恵み、真夏の炎熱をさえぎり、都市をクールダウンし、色とりどりに紅葉して町を飾り、冬の小鳥たちに赤い実をプレゼントすることまで期待される。

今の並木の人気は、イチョウ、サクラ、ケヤキが上位を占めている。明治神宮外苑のイチョウ並木の黄葉は、毎年、秋の風物詩として報道される。燃え立つような黄色い炎は冬に立ち向かう都会人の気持を表現しているようだ。春の喜びはどうしてもサクラに限る。それまで何の変哲もなかった町や道路を華やかに包んで、人の気分を浮きたたせ解放する。毛虫がついたり、欠点がないわけではないが、他の木に植え替えることは住民が許さない。ケヤキは堂々たる大木になるので、よほど広い道路に植えないとピッタリしない。春の芽吹きは遅いけれど、煙立つようにたくさんの若葉を開いて、真夏にはたっぷりした緑陰を提供してくれる。黄色や柿色の紅葉もボリュームがあるので圧倒される美しさだ。ケヤキは仙台の「市の木」で、青葉通りのケヤキ並木は有名だ。駅に降り立ちこの並木を見たとたん、さすが「杜の都」と納得する。明治神宮の表参道のケヤキ並木は葉を落としたあとまで、ご苦労さんにもイルミネーションで大都会東京の冬の夜を飾り立ててくれる。

実用に特化した並木ならキョウチクトウとタブノキだ。キョウチクトウは高速道路に植えられる。真夏の暑さにますます元気で、長い間遠目にも美しい花を咲かせる。冬の寒さにも夏の日照りにも耐える。剪定に強く、挿し木でいくらでも増える。そしてなによりも自動車の排ガスや大気汚染物質にびくともしない。
タブノキは常緑広葉樹で、地味な高木だ。花は小さく緑色で目立たないが、大木の枝先を飾るオレンジ色の新芽は花が咲いているのかと見まごうほど美しい。冬の間も分厚い葉っぱで覆われているので、防風・防火の役に立つ。1976年の酒田の大火のあと、焼けただれて火伏せをしてくれたタブノキをみて、酒田市では「タブノキ1本、消防車1台」と言ったそうだ。

地域限定なら、気温の低いところにはナナカマドだ。マイナス41℃の記録を持つ旭川市には無論ナナカマド並木がある。春は白い花をたっぷりとつけ、秋の紅葉は燃え立つように美しく、房のように成る赤い実は冬鳥のキレンジャクを賑やかに集めてくれる。
南国なら、沖縄のヤシや宮崎のフェニックスが異国情緒をさそう。冬は南国の暖かさを夏は涼風を連想させてくれる。

樹木は、人の心をひろやかで穏やかにしてくれる。大きな樹の下は冬は暖かく、夏は涼しい。猛暑つづきの都会にはとくに並木を植えたい。熱中症も減るだろう。維持費がかかるといっても、「オスプレイ」や「オリンピック」ほどかかりやしない。日本が花綵(はなづな)列島といわれているのなら、北海道から沖縄まで、樹木を植え、花を咲かせ、紅葉を愛で、隅々まで「花を連ねた綱」や「木々の錦」で飾ってみたいものだと思う。
(2013年9月4日)

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Published in 水曜日, 9月 4th, 2013, at 23:58, and filed under 未分類.

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