東京都の教育委員は、その職責を自覚せよ
都教委は、管轄下の教員に踏み絵を踏ませ続けて10年になろうとしている。現在、この醜悪な思想弾圧の責任をもつべきは以下の教育委員6名である。
木村孟(委員長)・内館牧子・竹花豊・乙武洋匡・山口香・比留間英人(教育長)
踏み絵は、わが国の権力者の独創的な発明になる思想弾圧のノウハウである。公権力が民衆に対して、禁教の聖像を踏むことを命じ、拒否者には過酷な弾圧が予告される。権力の思惑は、権力が憎む宗教を公示するとともに、信仰者をあぶり出し、過酷な弾圧の威嚇を通じて思想の統制をはかることにある。
自らの意に反した行為を命じられた信仰者は、過酷な制裁を覚悟して信仰を貫ぬくか、あるいは保身のために心ならずも聖像を足蹴にすることによって信仰者としての心の痛みを甘受するか、深刻なジレンマに陥る。
10・23通達を発出した都教委の思惑は、「日の丸・君が代」に敬意を表明できないとする思想をあぶり出し、これに過酷な懲戒を科することによって、思想の「弾圧」と「善導」とをはかることにある。
このことによって、都内公立校の誠実な教職員は400年前のキリシタンと同様の立場に置かれることとなった。懲戒処分を覚悟して自らの教員としての良心を貫くか、保身のために心ならずも良心を裏切るか、のジレンマである。
都教委は400年前にキリシタン弾圧を行った権力者の正統なDNA承継者であるだけでなく、その悪智恵で新たなひと工夫をつけ加えた。それが「累積加重システム」である。懲戒処分の度ごとに、機械的に処分の量定が重くなる。思想・良心を転向するか、信仰を捨てるまで処分は重くなり続け、ついには教職から追放されることになる。「累積加重システム」は、「転向強要システム」または、「背教強要システム」にほかならない。
ところが、この「転向強要システム」が破綻した。昨年1月16日の最高裁(第一小法廷)判決は、職務命令や処分の違憲までは認めなかったものの、思想良心を理由とする真摯な動機による不起立・不斉唱について、戒告はともかく減給以上の処分とすることは懲戒権の逸脱・濫用として違法とし、減給・停職の重い処分を取り消した。行政に大甘の最高裁も、さすがに都教委のやりかたは酷いと言わざるを得なかったのである。
最高裁にたしなめられて、都教委は少しは反省しただろうか。とんでもない。まったく反省しようとしない。「累積加重システムが認められなければ、別の手段で不埒な思想の持ち主を痛めつけてやろう」これが都教委の発想である。
累積加重システムに代わる嫌がらせ手段のひとつが、服務事故再発防止研修の強化である。再発防止研修は、体罰やセクハラなどの不祥事を起こした教員に反省を求め再発を防止するための研修である。しかし、思想や良心、信仰を理由とする行為を懲罰の対象としていることの方がまちがっている。被処分者に反省は馴染まない。むしろ、反省を迫ることが思想良心の新たな侵害になりうる。
現実には、昨年から研修のあり方が変わった。かつてはなかった事前研修なるものとして受講前の課題についての報告作成が義務づけられた。1回だけだった研修センターでの研修は2回になった。その2回の間に、所属校研修が新設された。その回数が半端ではない。昨年の例では12回繰り返された例が報告されている。そして、センター研修の時間も、100分から200分に倍加した。
「なぜ、昨年から再発防止研修の回数や内容が変わったのか?」という問に、都教委は、「平成24(2012)年1月24日教育委員会臨時会議の議決に基づくもの」と回答している。いったい、その日にどんな議論がなされたのだろうか。
当日の議事録はインターネットで公開されている。ぜひご覧いただきたい。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/past_ka.htm
当時の委員は、下記の6名。
木村孟(委員長)・内館牧子・竹花豊・瀬古利彦・川淵三郎・大原正行(教育長)
会議の始まりが8時30分で終了が8時38分、会議の全時間がわずか8分間である。しかも、議事次第での開会・点呼・取材・傍聴許可・会議録署名人指名の手続で少なくとも3分はかかったものと思われる。マスコミ4社がカメラを入室させてセットするだけでも相当の時間ではないか。実質審議はおそらく5分未満。
この日の議案は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」だけ。8日前の最高裁判決の都合のよいところだけを抜き書きして、ますます「日の丸・君が代」強制を徹底する決議の採択だけである。事務局が案文を読み上げ、「原案のとおり決定してよろしゅうございますか。─〈異議なし〉─それでは、本件につきましては原案のとおり承認いただきました。以上で、本日の教育委員会を終了します」というだけの安直なもの。質疑も意見交換もまったくない。猪瀬知事の言を借りれば「あほみたいな話だ」。この「あほみたいな」臨時会議に基づいて、現場を泣かせる研修強化が行われている。「異議なし」と言うしか能のない教育委員では困るのだ。異議なしという決議の影響を理解したうえでの容認ならもっと困る。教育の本質や憲法の理念に思いをいたした教育委員であっていただきたい。
参考までに決議の全文は以下のとおり。
入学式、卒業式等における国歌掲揚及び国歌斉唱について
教育の目的は、人格の完成と、国家や社会の形成者の育成にあることは普遍の原理であり、とりわけ、政治や経済を始め様々な分野で国際化が急速に進展している現代においては、国際社会で尊敬され、信頼され、世界を舞台に活躍できる日本人を育成しなければならない。
そのためには、児童・生徒一人一人に、我が国の歴史や文化を尊重し、自国の一員としての自覚をもたせることが必要である。また、国家の象徴である国旗及び国歌に対して、正しい認識をもたせるとともに、我が国の国旗及び国歌の意義を理解させ、それらを尊重する態度を育てることが大切である。
学校においては、様々な教育活動が行われているが、特に、入学式や卒業式は、学校生活における重要な節目として、全校の児童・生徒及び教職員が一堂に会して行う教育活動であり、厳粛かつ清新な雰囲気の中で、学校、社会、国家など集団への所属感を深める上で貴重な教育の機会である。こうした意義を踏まえ、入学式、卒業式等においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導することが、学習指導要領に示されており、このことを適正に実施することは、児童・生徒の模範となるべき教員の責務である。また、国歌斉唱時の起立斉唱等を教員に求めた校長の職務命令が合憲であることは、平成24年1月16日の最高裁判決でも改めて認められたところである。
都教育委員会は、この最高裁判決の趣旨を踏まえつつ、一人一人の教員が、教育における国旗掲揚及び国歌斉唱の意義と教育者としての責務を認識し、学習指導要領に基づき、各学校の入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱が適正に実施されるよう、万全を期していく。
都教育委員会は、委員総意の下、以上のことを確認した。
平成24年1月24日 東京都教育委員会