澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

2020年正月三が日。

元日は寄席に出かけた。上野公園までの散歩の足をちょいと延ばしたら、お江戸上野広小路亭に行き着いて、ふらふらと入ってしまい、結局トリまで聴き入った。正月講演の客席は畳に座布団を並べただけの色濃い場末感が売り物。しかも、まばらな客の入りで、高座と客席の一体感がよい。

どの演者も、マクラで客の少ないことを嘆きつつ、さすがにプロ。座布団相手に手抜きなしの熱演続きで堪能した。近くの鈴本に行けば、落語協会の名のある正統派の噺家が出て来るが、こちらは落語芸術家協会。若手の「ホントに上手な噺を聞きたければCDで聞けば良い」という威勢のよい開き直りが心地よい。ライブならではの楽しいひととき。中で、講談界の大看板・神田松鯉が正月にちなんで、小品ながら「門松の由来」の一席。これを聞いただけでも、耳に福であった。

なんとなく、講談には,立身出世や尽忠報国・滅私奉公の臭みを感じて、落語に親しみを感じるのだが、なかなか講談も面白い。

しかも、気持ちがよいのは、この「お江戸上野広小路亭」の番組表やご案内の類が、すべて西暦表示であること。元号がまったく出て来ないのだ。こいつは春から、縁起がよろしい。

2日は、散歩の足を秋葉原まで延ばしたところ、行きも帰りも神田明神初詣客の凄まじさに驚くばかり。道路に溢れたあの行列列の長さ、あの渋滞ぶりでは、善男善女はいったい何時間待たされて拝礼したのだろう。しかも本日は明らかに個人か家族連れの参拝。1月6日の仕事始めには、会社ぐるみの参拝となる。恐るべきことになるのだろう。縁なき衆生から見れば、およそ馬鹿げたかぎり。

もっとも、平将門とは、朝敵であり逆賊である。板東平野に君臨して、自ら「新皇」と称したという。当然のことながら、中央政権の逆鱗に触れてあえなく討ち死にするが、その首は都に運ばれて晒し首とされる。わが国における晒し首第1号だとか。伝承によれば、その首は東に飛んで,大手町に落ちたという。今も、将門の首塚があるところ。

日本には、御霊信仰というものがある。深い怨みを呑んだ死者の霊は、強い霊力ををもって世に人に祟りをなす。これを恐れた人が手厚く神と祀れば、その霊力の加護に与ることができるという。

史上、菅原道真・平将門・崇徳院を三大怨霊ということになっている。これに、早良親王(皇位に就かなかないまま憤死したが、崇道天皇と諡されている)を加えることもある。それぞれに、御霊を祀る社ができている。その中でも、朝敵・逆賊の将門を祀る神田明神にいまも多くの参拝客が詣でるのが面白い。

一方、またまた五條天神に足を延ばすと、こんなものが掲示してあった。

上皇后陛下
神まつる 昔の手ぶり
守らむと 旬祭(しゅんさい)に発(た)たす
君をかしこむ

これには、違和感山積である。
まず、上皇。皇室典範には、上皇なんてものはない。その第5条に「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする」とあるが、今の時代に上皇なんて聞き慣れない地位も言葉もない。

やむを得ず、政府は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を作り、「退位した天皇は、上皇とする。上皇の敬称は、陛下とする」とした。その上で上皇の妻を上皇后として、皇太后と同格とした。条文を重ねれば、「上皇后陛下」は間違いではない。

しかし、まずは「上皇」に違和感を禁じえないし、ましてや「上皇后」においておや。舌を噛まないか。さらに「上皇后陛下」とは。

「神まつる」は、「神祀る」。「昔の手ぶり」は、「昔の手風」であろう。「昔ながらの風習」くらいの意味か。「旬祭」は、毎月1日・11日・21日に行われる宮中祭祀。「かしこむ」は、「畏む」だろう。夫のことを、神を祀る者として、畏れ多いとし、畏まっているというのだ。

この夫に対する妻の姿勢を、美風とも文化とも言ってはならない。因習というべきだろう。神祀るなんて、ひっそりとおやりなさい。国民にひけらかすものではない。

もっとも、私のほかにこの掲示をまじまじと見る者などいない。見なけりゃいいし、読まなけりゃ不愉快でもないのだが。読むは因果、読まるるも因果か。
(2020年1月3日)

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