ゴーン逃亡正当化の口実と、香港市民の逃亡犯条例反対の理由。両者は相似たるか、似て非なるか。
大晦日から元日は、ゴーン逃亡の記事に目を奪われた。
この事件は、香港の事態との関連性を考えさせる。香港市民から見て、中国本土は、「不公正と政治的な迫害が横行する野蛮の地」「到底、人権と正義にもとづく公正な裁判を期待することができない国」である。図らずも、同じ趣旨の言葉が、レバノンに逃亡したゴーンの口から発せられた。香港市民にとっての中国本土が、ゴーンにとっての日本というわけだ。このゴーンの認識はもっともなものだろうか。それとも言いがかりに過ぎないものだろうか。
国家権力と人権が最も峻烈に切り結ぶ局面が、個人に対する刑罰権の発動である。権力は、犯罪を犯したとする国民を逮捕し勾留したうえ、その生命すら奪うことができる。文明は、この権力による刑罰権の行使が放恣に流れず濫用にわたらぬよう、長い期間をかけて、その歯止めの装置を形作ってきた。それが刑事司法の歴史である。
香港市民の目には、中国が文明国たりうる刑事司法制度をもち人権擁護に配慮した運用をしているとは思えない。だから、昨年(2019年)4月に香港立法会(議会)に「逃亡犯条例」改正案が提出されたとき、これを深刻な事態として受けとめ反対闘争が燃え上がった。
香港は20か国と犯罪人引き渡し条約を締結しているというが、中国本土とはその条約はない。香港で犯罪の被疑者とされた者について、中国本土から香港政庁に被疑者の引渡要求はできないし、香港が中国本土に被疑者を引き渡す義務もない。ところが、「逃亡犯条例・改正案」は、刑事被疑者の中国本土への引き渡しを可能とするものだった。香港政庁はこの「改正案」を、「一国二制度」のもと、「法の抜け穴をふさぐために必要な当然の措置」としたが、香港市民からは、政治的弾圧の被害者の中国本土への引き渡しを可能とする、とんでもない「改悪案」と指弾された。
中国本土の刑事手続が、適正手続に則って被疑者・被告人に弁護権を保障する公正なものであるとの信頼はまったくないのだ。つまりは、香港の市民からは、中国は文明国として認められていない。化外の地なのだ。
この香港市民の対中国司法観には多くの人が賛同するだろう。ゴーンの日本の刑事司法観にはどうだろうか。中国と日本、はたして大同小異あるいは五十歩百歩だろうか。
カルロス・ゴーンの逃亡後の声明は次のとおりである。
もはや私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります。
日本の司法制度は、国際法や条約のもとで守らなくてはいけない法的な義務を目に余るほど無視しています。
私は正義から逃げたわけではありません。
不公正と政治的迫害から逃れたのです。
いま私はようやくメディアと自由にコミュニケーションできるようになりました。
来週から始めるのを楽しみにしています。
ゴーンは、日本の刑事司法を不正なものとし、「有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている」「日本の司法制度は、国際法や条約のもとで守らなくてはいけない法的な義務を目に余るほど無視しています」という。だから、その桎梏から抜け出すために、保釈条件を無視しての国外脱出を正当化している。法的に理屈をつければ、緊急避難の法理にもとづいての違法性阻却という弁明になろう。
ゴーン弁護人の一人は、ゴーンの日本司法についての見解に対して、「保釈条件の違反は許されないが、ゴーンさんがそう思うのも仕方ないと思う点はある」と温いことを言っている。ゴーン逃亡に責任なしとしない弁護人の言としては、無責任の誹りを免れまい。
私は、権力に対する刑事被告人の立場の弱さを嘆き続けてきた。もっと実質的に防御権・弁護権が保障されなければならないと思い続けてもきた。だから、刑事被疑者や被告人が、裁判所や検察を出し抜けば、まずは拍手を送る心境だった。が、今回は違う。苦々しい印象あるのみである。
刑事被告人に対する保釈についての実務は近年ようやく過度の厳格さから解放されつつあったが、その後退を心配しなければならない。保釈保証金の高額化や保釈条件の煩雑化、厳格化も進むことになるのではないか。ひとえに、ゴーンの所業の所為でのことである。迷惑至極といわねばならない。
ゴーンという人には、他国の主権の尊重とか、法の支配に対する敬意はない。彼にも大いに言い分はあろうが、徹底して法廷で無罪を主張して争うべきだろう。それができないはずはない。彼は曲がりなりにも保釈をされている。私選弁護人も付いている。なによりも、闘うための十分な財力に恵まれてもいる。日本に特有の制約はあろうが、法廷で争う手段を彼はもっているのだ。刑事司法の訴追を免れるための国外逃亡という発想は、文明人のものではない。
報じられるところでは、19年3月のゴーンの保釈申請に対して、東京地裁は「海外渡航の禁止やパスポートの弁護人への預託のほか、制限住居の玄関に監視カメラを設置して録画する、携帯電話は弁護人から提供される1台のみを使うなど15項目にわたる条件を付けて保釈を認めた。その中には、妻との接触には裁判所の許可が必要という条件もはいっている。保釈保証金は15億円だった。これが、すべて逃走防止に役立たなかったことになる。ゴーンの違法行為によって、ゴーン自身が批判した「人質司法」がさらに深刻化しかねないのだ。
私にも、日本の刑事司法には大いに不満がある。多くの改善点があることは当然のことと思っている。ときには絶望の思いもないではない。それでも、香港の市民から見た中国の刑事司法と大同小異・五十歩百歩とは思っていない。ゴーンが堂々と無罪の主張を展開することに、裁判官が耳を傾けないはずはないし、検察官提出証拠の弾劾も、弁護側で収集した証拠の提出も可能ではないか。
ゴーンによる日本の刑事司法の欠陥の具体的な指摘は歓迎する。しかし、刑事司法の制度と運用に不満だからという理由での国外逃亡を容認することはできないし、してはならない。
(2020年1月2日)