「何が秘密かはヒミツ」の危険
終戦で廃止になるまで軍国日本を支えた法律のひとつに軍機保護法があった。1899年に公布され、1937年戦争一色となった時代に全面改正され、さらに太平洋戦争突入前夜の1941年にも改正されて、軍部による国民統制の強力な手段の一つとして猛威を振るった。陸海軍大臣が定めた軍事上の秘密の探知、収集、漏泄などを罪とするもので、軍人のみならず一般人も対象となり、言論や出版だけでなく、旅行や写生・撮影までも制限された。最高刑は死刑。ゾルゲや尾崎秀実がこの罪名で刑死した。
軍国主義には、軍機保護の法制が不可欠であり、戦時色の進展にともなってそれにふさわしい厳格な法制度が必要なのだ。いま、安倍内閣が特定秘密保護法の制定に着手していることの意味を考えねばならない。また、万が一にもこの法律が制定されれば、今後の軍国主義の進展とともに、必ずや改悪されていくことになろう。
軍が階級社会であることにふさわしく、軍事秘密にも階級が付けられた。最高秘密が「軍機」、以下「軍極秘」、「極秘」、「秘」、「部外秘」の順。かつて国家機密法反対運動をした当時には、防衛庁(当時)の防衛秘密には、「機密」「極秘」「秘」の3段階があると教えられた。だから、われわれは、1985年に提案側が「スパイ防止法」と呼んだ法案を「国家機密法」と呼んだ。しかし、この区別は今はなく、現在の防衛省の訓令では、「特別防衛秘密」、「防衛秘密」、「秘」の3段階なのだそうだ。
もっとも、軍機保護法の条文に5段階の等級が定められていたわけではない。あくまで、内規での取扱い。特定秘密保護法にも「行政機関の長」が指定する特定秘密に等級はない。内規での等級がどうなるかはともかく、特定秘密保護法が成立すれば一挙に40万件余とされる「特定秘密」が誕生する。その法的性格はいくつかに分類できると思う。
特定秘密とは、以下の実質的要件を満たす情報であって、行政機関の長が指定したものである(法案第3条1項)。
(1) 当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報で
(2) 公になっていないもので
(3) その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの
実質的に以上の(1)?(3)の要件を具備する情報とされ、手続において行政機関の長による特定秘密の指定を経た情報群を仮に「指定秘密」(A群)としておこう。A群に接してA群には含まれない情報群を「非指定秘密」(B群)とする。もちろん、国民誰もB群情報の取扱いに関して刑事責任を科されることはない。A群に限って、情報の漏えいや取得に関して厳罰が用意されている。
ところが、何がA群の範疇に属する秘密であるかはヒミツなのだ。「当該指定に係る特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員」または、「特定秘密を保有させられた当該適合事業者」以外には、厳重に秘匿されている。一般国民にはA群とB群との境界はまったく分からない。なにしろ、「何が秘密かはヒミツ」なのが秘密の本質なのだから。
その境界が分からない以上、公権力はA群だけでなくB群に属する情報もできるだけ広範囲に秘匿しようと振る舞うことが可能となる。国民の側から見れば、あらゆる情報へのアクセスに萎縮効果がはたらくことにならざるをえない。
それだけではない。むしろ問題はA群の中にある。
本来国家の情報は国民のものであることが原則。しかし、国家の持つ情報のすべてを国民に公開することの徹底は非現実的といえよう。入札に関する情報や、裁量範囲内での交渉の落としどころに関する情報などを典型として秘密を保持すべき情報があることは否定し得ない。このような実質秘とするに合理性を持っている秘密を仮にA1群としておこう。それ以外の情報は、秘密指定に問題ありということになるが、その範疇を二つに分けて考察することが有益だと思う。当該行政機関の真摯な検討において上記(1)?(3)の要件を厳格に充足しているとして積極的に秘密指定の必要ありとするものと、必ずしも(1)?(3)の要件を充足しているとは言いがたいものについて国民に知られたくない不都合な情報として特定秘密の指定をされた情報群とである。これを、A2群、A3群と名付けておこう。
比喩的に、A1は白、A2はグレイ、A3は黒である。そのA1、A2、A3の各群の境界はまことに不明確である。「何が秘密かはヒミツ」なのだから、検証も困難である。不可能に近い。
最も問題なのは、「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要である」という文言の解釈である。当然に、この文言は憲法に照らして解釈されなければならない。日本国憲法は、武力に依拠した平和という観念を持たない。また、その9条2項で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と明言している。自衛隊という軍事組織の存在を前提とし、安保条約という武力超大国との軍事同盟の存在を前提とする防衛秘密がどこまで法的保護に値する合法的な秘密でありうるかは、常に微妙な問題を孕んでいる。
しかも、特定秘密指定の実質的要件を充足することが必ずしも十分とは言えないA3群について、これを国民の目に触れることによる批判から逃れるために、特定秘密として指定して隠蔽することが可能であり、そのことを検証する手段がない。これも、「何が秘密かはヒミツ」の効果である。
以上のとおり、国民が主権者として知りたいと望み、政策決定のために知らねばならない情報が、特定秘密の指定によって秘匿される。戦争と平和に関わる、国民にとって最も重要な情報が隠蔽されることになるのだ。国民がアクセスしたい情報が、A情報(指定情報)なのかB情報(非指定情報)なのか、A情報(指定情報)としてA1(白)なのか、A2(グレイ)なのか、A3(黒)なのか。すべては、闇の中である。
これを可能としているのが、「何が秘密かはヒミツ」「秘密の範囲はヒミツ」「我が国の安全保障のために一切お答えできない」というこの法律の本質である。平和主義と民主々義を破壊する天下の悪法といって差し支えない。軍機保護法の再来を許してはならない。
その法案が、明日(11月7日)から衆議院で審議入りするという。心ある国民が、一斉に廃案への声をあげることを期待したい。
(2013年11月6日)