これが行政の行うPCR検査の実態。この貴重な情報を削除せよとは。
表現はまことに多種多様である。社会に有用な表現もあれば無用な表現もある。人畜無害の表現もあれば、特定の人や組織を傷つける表現もある。歴史における経験が教えるところによれば、社会に有用有益な表現は、多くの場合特定の人の耳に痛いものである。そのような表現が封殺されるようなことがあってはならない。あるいは、表現が躊躇されてもならない。
表現の自由とは、有用無用・有害無害を問わず、原則として表現一般に認められる建前ではある。しかし、有用有益な内容をもちながら、権力や社会的強者に嫌われる表現こそが、表現の自由保障の対象として最もふさわしい。これこそが、表現の自由の本領である。
ときに、公権力あるいは社会的な強者から、社会的に有用な表現の削除や撤回が求められる。私(澤藤)の場合は、DHC・吉田嘉明からの6000万円請求スラップ提訴であった。
実際には提訴にまで至ることなく、訴訟提起をチラつかせて恫喝し表現の自粛を求めることが、この社会で多く行われているのだろう。DHCが組織としてこういう動きをしていたことは、DHCスラップ訴訟の中で明らかとなっている。
このコロナ禍での行政の動きは不透明のままである。とりわけ、いっこうに増えないPCR検査の実態がどうなっているのかさっぱり分からない。実際に検査を受けた人の情報は貴重なものである。そのような貴重な情報が社会に多数提供され集積されるることが、合理性ある政策決定と、決定された政策への信頼確保に不可欠だからである。「お上」が密室で拵えた、検証不能の政策の合理性に信頼がおけないのは当然ではないか。
コロナについて、とりわけ検査の実態について、もっと情報の公開を、と考えていたところに、知人からこんなメールをいただいた。「独自のドキュメンタリーを創り続けている映画監督、早川由美子さんは、新型コロナへの感染不安を感じ、PCR検査を受けた。そして、そこに至るまでのプロセスと、検査会場での観察を、自身のブログで報告した。ところが、その記事について、一部削除の「要請」圧力を、世田谷区役所から受けている。貴重な体験ルポをシェアする。」 これはありがたい。
早川さんは、こう述べている。
現在、私は世田谷に住んでいますが、世田谷区のPCR検査を受け、その記録をブログで公開したところ、世田谷区保健所から削除を求められています。あくまでも削除の「お願い」としつつも、要請に従わない場合は法的措置をとるとまで言われています。
ぜひ、以下のブログを読んでくださればと思います。
■世田谷区のPCR検査を受けました
https://www.petiteadventurefilms.com/setagaya_pcr/
■「PCR検査会場を区民に知らせるな!」世田谷区健康企画課からの電話(2020年4月27日)
https://www.petiteadventurefilms.com/20200427/
以上は世田谷区の例ですが、おそらく他の自治体も似たような状況かもしれません。
このメールやブログは転載歓迎です。問題意識を共有してくださればありがたいです。
このレポートは、一般人がPCR検査を受けようと望んでも、容易には検査を受けられない実態が、生々しく分かり易く詳細に語られている。これは貴重な情報である。早川さん夫妻は結果として、検査を受けることができた。その場所は、保健所ではない別の場所だった。そのことの詳細もブログに記載されている。
そして、4月27日世田谷区健康企画課の課長さんからのブログ削除要請に関する電話の内容が書き起こされている。区側は「どうしてものお願い」として、「ブログとツイッターを削除頂けないでしょうか」と言う。理由は、区として公開していないPCR検査の場所を、ブログなどで公開されては不都合ということ。PCR検査の場所を非公開とすることも、これを公開したら大きな不都合が生じることも、到底理解し難い。なによりも、市民の表現を削除せよという根拠が考えられない。
できるだけ文意を損なわず、当該部分を抜粋してみよう。
区:削除をお願いするというのが、私たちの立場です。
早:お願いを、今、していただいているというのは分かりました。
区:で、お願いではないです。これ、このままお願いではなくて、ずっと(ツイッターやブログを)出し続けた場合というのは、わたくしのほうも、区の弁護士のほうとご相談させていただくということになりますけど?
早:あ、そうですか。じゃあ、そのような手続きについても分かりました。
区:「わかりました」っていうのは、どういうことですか?
早:あの、「言い分について分かりました」っていうことです。
区:削除の約束は…。削除の約束はしていただけますか?
早:それは、今ここで約束することはできないです
区:なぜですか?
早:なぜですかって言われても、わたし今…
区:ここにツイートが残っていれば…必ず関係者の方が、(検査会場に)行きますよ。それによって、検査を受けられない人がまた増えるんですよ。責任取れますか? 検査に殺到した場合に、検査の体制を覆すことによって、救われる命も救われなくなるんですよ。それに対してご自身が個人で責任を取れますかって申し上げているんです。
早:私にそういう一個人のね、責任とかっていう風におっしゃる場合、例えば、電話が全くつながらないっていう間に、重症化して亡くなる方の責任も、区役所のほうは取れるんですか?
区:それは当然認識しています
早:「認識」っていっても、(責任は)取れるんですか?
区:認識はしています
早:でも全然つながらないです。
※4月30日追記
世田谷区は、「検査会場が知られてしまったら、検査を受けたい区民が殺到する」と主張していますが、本当にそうでしょうか? とあるメディアの記者の方によれば、他の自治体では、検査会場でメディアの取材対応などをしており、検査会場が事実上公となっているところもあるそうです。
果たして、それらの場所に人々が検査を求めて押し寄せているでしょうか? むしろ、感染のリスクが非常に高い場所ですから、うかつには近づきたくないと考える人の方が多いのではないでしょうか??
私がブログに掲載した、検査会場内部の写真をご覧になった方からは、「感染対策がほとんどされていないようで、検査を受けに行くことで二次感染してしまいそう」という意見を頂きました。世田谷区が、検査会場の場所や内部の写真を削除せよと私に求める背景には、「検査件数を増やしたくない」「感染防止策の緩さを指摘されたくない」という思惑もあるのかもしれません。
上記のブログをたいへん興味深く読んだ。そして驚いた。今どき、行政がこんなにも軽々しく、市民の表現を削除しようとするものだろうか。これではまるで、区がDHCや吉田嘉明なみではないか。しかも、世田谷と言えば、革新区長ではなかったか。行政が「どうしてものお願い」といえば、市民は当然に削除に応じるだろうという思い上がりが見え見えである。そして、一転して「お願いではないです。これ、……区の弁護士のほうとご相談させていただくということになりますけど?」となる。法的手続ともなれば、市民にとってはたいへん荷が重い話となる。要請ではなく、恫喝と言っても差し支えなかろう。
早川ブログに虚偽や不正確な記述があるからこれを是正せよというのではない。正確な記述の内容が不都合だというのだ。さて、健康企画課の課長さんは、既に「区の弁護士のほうとご相談」を終えていることだろう。その結果を知りたいものである。名誉毀損訴訟なら、どんな弁護士もさらさらと訴状だけは書ける。こんな簡単な訴訟はない。しかし、このケースは違う。早川ブログは、誰の名誉を毀損してもいない。そもそも、違法の要素は微塵もない。にもかかわらず、行政が憲法に保障された市民の表現の自由を奪おうというのだ。所詮は無理なはなしというほかはない。
市民の権利や自由は、常に試練に曝されている。早川さんが区からの削除の要請に応じれば、せっかくの憲法上の基本権も眠り込んでしまう。そうすれば、国民の知る権利も知らぬうちに眠り込まされるのだ。早川さんが、くじけることなく、区の要請を拒否し、ブログの掲載を継続しておられることに敬意を表したい。
(2020年5月4日)