山本太郎議員に、なにゆえの「厳重注意」なのか。
日本国憲法は103ヶ条から成る。9条(戦争の放棄)や13条(個人の尊重)、21条(表現の自由)、あるいは96条(改正手続)のような話題性満載の「花形」条文から、普段は目立たない「地味な」条文まで種々様々。58条2項などは、普段はその存在を忘れられている「地味派条文」の典型だろう。
憲法58条2項(議院規則・懲罰) 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
この規定に基づく除名決議は、過去に衆議院で1回だけという。それも、60年以上前の話。除名に至らない懲罰事例も参議院では前例がないのではないか。衆議院でもここ6年はないようだ。
ところが、はからずも参議院でこの条文を参照しなければならない事態が2件続いている。山本太郎議員と、アントニオ猪木議員についてである。
国会法は、憲法58条2項の「院内の秩序を乱した」に値する議員の行為を「懲罰事犯」と言っているが、何が懲罰事犯にあたるかの明示はない。ただ、その典型例として「正当な理由のない会議欠席」を挙げ、以下のとおり、一定の場合には議長が懲罰委員会に付託することとしている。
国会法124条 議員が正当な理由がなくて召集日から7日以内に召集に応じないため、又は正当な理由がなくて会議又は委員会に欠席したため、若しくは請暇の期限を過ぎたため、議長が、特に招状を発し、その招状を受け取つた日から7日以内に、なお、故なく出席しない者は、議長が、これを懲罰委員会に付する。
参議院規則も同様に、何が懲罰事犯にあたるかの明示はなく、国会法に加えて次の典型例を挙げている。まさしく、院内の秩序を保つための規定である。
参議院規則235条 議長の制止又は発言取消の命に従わない者に対しては、議長は、国会法第116条によりこれを処分する(発言禁止・退場)の外、なお、懲罰事犯として、これを懲罰委員会に付託することができる。
委員長の制止又は発言取消の命に従わない者に対しては、委員長は、第51条によりこれを処分する(発言取り消し・発言禁止・退場)の外、なお、懲罰事犯として、これを議長に報告し処分を求めることができる。
また、懲罰の種類は次のとおり、国会法に定められている。
国会法第122条 懲罰は、左の通りとする。
一 公開議場における戒告
二 公開議場における陳謝
三 一定期間の登院停止
四 除名
懲罰に付すための手続も厳格である。もちろん、懲罰委員会が開催されなければならない。また、参議院規則では戒告の場合にも懲罰委員会が起草し、その報告書と共にこれを議長に提出することとなっている(参議院規則241条)。
さて、本日(11月8日)夕刊には、山本太郎議員に対する参議院の対応が報じられている。
同議員は10月31日に開かれた秋の園遊会で、天皇に手紙を手渡した。これが与野党の一部から「非常識だ」と批判され、岩城光英議運委員長の事情聴取を受けていた。
「毎日」の報道は以下のとおり。
「山崎正昭参院議長は8日、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参院議員(無所属)に対して厳重注意した上で皇室行事への出席を認めないとする処分を伝えた。同日午前の参院議院運営委員会理事会で決定した。自民党は山本氏に対し、皇室行事への出席自粛を求める方針だったが、より厳しい処分となった。」
「朝日」は以下のとおり。
「参院の山崎正昭議長は8日、山本太郎参院議員(無所属)を呼び、園遊会で天皇陛下に手紙を渡した行動について『参院の品位を落とすものだ。参院議員としての自覚を持ち、院の体面を汚さないよう肝に銘じて行動してほしい』と厳重注意し、今後は皇室行事への出席を認めないと伝えた。山崎議長は13日の本会議で山本氏への注意を報告する。」
どうやら、参院議長から山本議員に、「参院の品位を落とす」行為があったとして、「口頭厳重注意」と「皇室行事への出席を認めないとする処分」が通知された模様。いずれにしても、憲法58条2項に定められ、国会法や参院規則で具体化された懲罰ではない。「口頭厳重注意」という懲罰はなく、また定められた懲罰の手続を踏んでいないのだから明白なこと。これ以外のバッシングの手段がなかったということだろう。
しかし、「厳重注意」は、法定の懲罰ではないが、参院議長がその公的な資格においてする同議員の行為への否定的な評価である。謂わば、法定手続を僣脱した「戒告」にほかならない。参院議長に「懲罰ならざる懲罰」を言い渡す権限があるとは到底考えがたい。
権限の根拠として考え得るのは、「国会法第19条 各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する。」の中の、「議院の秩序を保持する」に付随する権限であろう。しかし、山本議員の行為は、院外でのものであり、「議院の秩序」には何の関係もない。この条文を根拠に、各院の議長が議員の院外の行為に介入できるとする先例としてはならない。
先に見たとおり、憲法58条2項は、「院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる」とする。「これ以外の場合には懲罰はできない」との反対解釈が成り立つ。院内の秩序に無関係な山本議員の行為について、議長が「懲罰同様の効果を有する厳重注意」を発する権限があるとする解釈は牽強付会と言わざるをえない。
厳重注意可能という解釈は、参院法制局のアドバイスによるものであろう。おそらくは、このアドバイスは、公務員の懲戒制度のアナロジーとしての発想によるもの。「法定されている公務員の懲戒は、戒告・減給・停職・免職の4種類だけ。しかし、戒告に至らない厳重注意や文書訓告などの、事実上の軽微な処分の発令が慣行化している。議長から議員に対しても同じことがいえるはず」という安易な類推である。選挙によって国民からの権限付託を受けた国会議員と院の議長との関係を、職務上の指揮命令に従うべき義務を負う一般職公務員とその上司との関係と同一視するもので、まことに乱暴な議論というほかはない。議長は、議員の上司ではない。一年生議員もベテランも、議員も議長も国民からの負託を受けている点で同等であって、差異はない。
そもそも、客として園遊会に招かれた国会議員が平穏に天皇に文書を渡すことが、なにゆえに「議院の秩序をみだす行為」たりうるのか、さらには、なにゆえ「参院の品位を落とすもの」であり、「院の体面を汚すもの」となりうるのか、理解を超えた認識である。バッシングの高まりを恐れて、天皇の権威を尊重するポーズをとって見せたというだけのことに過ぎない。
もっとも、山本議員にはこの点に抗議し争う意向はないごとくで、「『陛下に心労をお掛けした。猛省しなければならない』と謝罪の意向を示し『国権の最高機関の一員である自覚を深く持たなければいけないことを再認識した』と語った」と報道されている。この報道を前提としてでのことだが、この発言こそ議員としての不見識を露呈するもの。国民から付託を受けた国会議員たる者、自らの行為についての報告も釈明も謝罪も反省も、すべては国民に向かって行わねばならない。常に、国民に対して語りかけ、国民の声に耳を傾け、国民の理解を得、国民の利益のために行動すべきである。天皇に向けての謝罪と反省があって国民に向けてはなされていないことこそが、議員として猛省すべき点である。また、今回の行動の反省として「国権の最高機関の一員であることの再確認」というのも不適切。国会の最高機関性の在り方が問題なのではなく、国会議員として国民の代表であることの自覚の欠如が問題なのだ。
だがもしも、単なるバッシング以上に、右翼の暴力などによる具体的な危害の恐怖が伏在していたとすれば、問題はより深刻で、同議員には気の毒なことというほかはない。
(2013年11月8日)