澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ミャンマーの憂うべき情勢と、自衛隊トップの国軍非難声明

(2021年3月29日)
 ミャンマーからの報道に胸が痛む。これは、軍による無辜の人民の大量虐殺以外のなにものでもない。報道では、昨日(3月28日)までの弾圧犠牲者数は423人を数えるという。

 首都ネピドーで行われた3月27日の国軍記念日の式典で、ミン・アウン・フライン総司令官なる、この大量虐殺を指示した人物は、国民民主連盟(NLD)が大勝した昨年11月の総選挙で「不正があった」と主張し、クーデターは「避けられなかった」と述べたという。とうてい理解できない。総選挙で「不正があった」ことは所定の司法手続で糺せばよいだけのことで、クーデター正当化の理由になろうはずもない。

 それだけではない。国内で拡大する抗議デモを念頭に「安定と安全を害する暴力的行為は適切ではない」と述べてもいる。式典に先立ち、軍は国営テレビを通じて「若者が暴動に参加しようとしているが、頭や背中を銃弾などが貫通する危険がある」と警告した(NHK)という。要するに、デモ参加者には頭を狙って狙撃するぞ、という殺人予告をしているのだ。

 この27日の「殺人者集団創立記念式典」には8か国から出席があったという。その筆頭がロシア。ミン・アウン・フライン司令官は、演説の中で「ロシアは真の友人だ」と述べたそうだ。なるほど、なるほど、類は友を呼ぶとか。奥が深い。次いで、中国も参加している。こちらも、呼ばれた友であろう。

 軍隊とは、基本的に殺人組織である。これが、勝手に動き出したら、これほど危険なものはない。必要悪としての存在を認めざるを得ない場合にも、厳重なシビリアンコントロールが不可欠であって、けっして独り歩きさせてはならない。ミャンマー軍がその危険、その恐ろしさを遺憾なく曝け出している。

 このような折も折。日本を含む12カ国の軍のトップがミャンマー軍を非難する声明を出した。自衛隊の最高機関である、統合幕僚監部のホームページに以下の「お知らせ」が掲載されている。

令和3年3月28日
統 合 幕 僚 監 部

各国参謀長等による共同声明について

統合幕僚長山崎幸二陸将は、令和3年3月28日(日)(日本時間)、ミャンマーで生起している事態に対する平和的な解決を求めて、以下の共同声明を発出することと致しました。

(声明仮訳)
ミャンマーにおける同国軍による暴力行為を非難する
各国参謀長等による共同声明

 以下は、オーストラリア連邦、カナダ、ドイツ連邦共和国、ギリシャ共和国、イタリア共和国、日本国、デンマーク王国、オランダ王国、ニュージーランド、大韓民国、イギリス及びアメリカ合衆国の参謀長等による共同声明である。

 参謀長等として、我々はミャンマー国軍と関連する治安機関による非武装の民間人に対する軍事力の行使を非難する。およそプロフェッショナルな軍隊は、行動の国際基準に従うべきであり、自らの国民を害するのではなく保護する責任を有する。我々はミャンマー国軍が暴力を止め、その行動によって失ったミャンマーの人々に対する敬意と信頼を回復するために努力することを強く求める。

 ノーテンキに、これを立派なこととか称賛に値することと、持ち上げてはならない。「非武装の民間人に対する軍事力の行使」が非難さるべきは当然であるが、そのような意思表明は官邸か外務省が行うべきであって、自衛隊のなすべきことではない。

 政治や外交に関わることを軍のトップが口出ししてはならない。シビリアンコントロールはどこに行ってしまったのか。考えても見よ。自衛隊幹部が、独自の判断で中国やロシアの軍のありかたを批判する発言をはじめたら収拾のつかないことになる。容認する発言ならなおさらのことである。自衛隊を軍隊と定義するか否かはともかく、危険な実力組織には、独り歩きをせぬように厳重な統制が必要なのだ。

日本国憲法は軍隊の存在を想定していない。にもかかわらず、現実に存在する実力組織には、幾重にも、シビリアンコントロールの厳重な網をかぶせておかなければならない。それが、日本国憲法の平和主義、国民主権原理の求めるところである。

是非、野党は、この問題を看過せず、国会で追及していただきたい。 

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