総選挙と国民審査を間近にして、本日は悪名高き「10・23通達」発出の日
(2021年10月23日)
「3・11」「1・17」「3・10」「6・23」「8・6」「9・1」…。人は、それぞれに、月と日を記憶する。私にとっては「10・23」が忘れてはならぬ日となっている。2003年以来、今日まで。
18年前のこの日、東京都教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出した。東京都教育委員会とは、石原慎太郎教育委員会と言って間違いではない。この通達は、極右の政治家による国家主義的教育介入なのだ。学校儀式における国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明、つまり「国旗(「日の丸」)に向かって起立し国歌(「君が代」)を斉唱せよ」という職務命令を全教職員に徹底せよと強制する内容。
形式は、東京都内の公立校の全ての校長に対する命令だが、各校長に所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事において、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよというもののだ。実質的に知事が、校長を介して、都内の全公立校の教職員に、起立斉唱命令を発したに等しい。教育法体系が想定するところではない。
あの当時、元気だった次弟の言葉を思い出す。「都民がアホや。石原慎太郎なんかを知事にするセンスが信じられん」。そりゃそのとおりだ。私もそう思った。こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。
しかし、今や石原慎太郎は知事の座になく、悪名高い横山洋吉教育長もその任にない。石原の盟友として当時の教育委員を務めた米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にすべて入れ替わっている。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も一人として、当時の在籍者はない。しかし、「10・23通達」は亡霊の如く、いまだにその存在を誇示し続け、教育現場を支配している。
この間、いくつもの訴訟が提起され、「10・23通達」ないしはこれに基づく職務命令の効力、職務命令違反を理由とする懲戒処分の違法性が争われてきた。
最高裁が、
秩序ではなく人権の側に立っていれば、
国家ではなく個人の尊厳を尊重すれば、
教育に対する行政権力の介入を許さないとする立場を貫けば、
思想・良心・信教の自由こそが近代憲法の根源的価値だと理解してくれさえすれば、
真面目な教員の教員としての良心を鞭打ってはならないと考えさえすれば、
そして、憲法学の教科書が教える厳格な人権制約の理論を実践さえすれば、
「10・23通達」違憲の判決を出していたはずなのだ。そうすれば、東京の教育現場は、今のように沈滞したものとなってはいなかった。まったく様相を異にし、活気あるのになっていたはずでなのだ。
10月31日、総選挙の投票日には、公立校に国家主義を持ち込もうという現政権を批判して、立憲野党4党(立民・共産・社民・れいわ)の候補に投票しよう。そして、最高裁裁判官の国民審査においては、最高裁を総体として批判する意味において、遠慮なく審査対象11人の全員に「×」をつけていただきたい。
全裁判官に「×」はやや無責任に思える、比較的マシな裁判官には、「×」をつけたくない、とおっしゃる方は、宇賀克也裁判官にだけは「×」を付けずに投票されたい。
その理由については、下記のURLを参照願いたい。
国民審査リーフレット
https://www.jdla.jp/shinsa/images/kokuminshinsa21_6.pdf
第25回最高裁国民審査に当たっての声明
https://www.jdla.jp/shiryou/seimei/211020.html