錯綜する情報に接する際の基本姿勢のあり方
(2022年4月15日)
ウクライナ戦争のさなか、情報戦も熾烈である。何が真実か、真実をどう見極めるべきか、そもそも真実とはいったい何だろうか。錯綜する情報にどう向き合うべきか。多くの人の悩みを反映して、アンヌ・モレリ著「戦争プロパガンダ 10の法則」(草思社・永田千奈訳、初版2002年3月刊)が話題となっている。この「10の法則」を岩月浩二さんが、メーリングリストに次のとおり紹介してくれた。
1 われわれは戦争をしたくはない
2 しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3 敵の指導者は悪魔のような人間だ
4 われわれは領土や覇権のためにではなく、偉大な使命のために戦う
5 われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる
6 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7 われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9 われわれの大義は神聖なものである
10 この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
この法則は、イギリスの軍人でもあり政治家でもあったアーサー・ポンソンビー著の「Falsehood in Wartime(戦時の嘘)・1928」に出てくる、第一次世界大戦当時のプロパガンダを分析したもの。アンヌ・モレリは、その後に起こった第二次世界大戦やさまざまな戦争の情報を盛り込んで、1法則1章の章立で解説している。なお、モレリの肩書は、ブリュッセル自由大学歴史批評学教授となっている。
そして、モレリは11番目の法則を付け加えている。
「新たにもうひとつ法則を追加しよう。
『たしかに一度は騙された。だが、今度こそ、心に誓って、本当に重要な大義があって、本当に悪魔のような敵が攻めてきて、われわれはまったくの潔白なのだし、相手が先に始めたことなのだ。今度こそ本当だ』」
この本については、NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」4月8日の「ヒミツの本棚」でも取りあげられている。その最後の部分の高橋の解説が興味深い。
モレリさんは書いています。「戦争プロパガンダの法則について考えてゆくと、最後には次のような根本的な疑問にたどりつく」「真実は重要だろうか。」
本当のことって分かんないんだから、もうどうでもいいみたいになるのか、それでも本当の事を探すべきなのか。何が本当かわからなくなってくるっていうときに、我々はどうしたらいいのか。「なにもかも疑うのもまた危険なことではないだろうか」
これメディアリテラシーの話なんですよね。いま皆さんもいろんなメディアの情報にさらされてて、そういう時にどうしたらいいのかと。「これまでの歴史のなかで、戦況を左右した「情報」が、その後あっさりと否定され、しかもその否認が何の反響も引き起こさないとなると、真実には何の価値もないのだろうかという疑問がうかぶ」
モレリさんはこういうふうに言ってます。
「行き過ぎた懐疑主義が危険であるとしても」、「盲目的な信頼に比べれば、悲劇的な結果につながる可能性は低いと私は考える。メディアは日常的にわれわれを取り囲み、ひとたび国際紛争や、イデオロギーの対立、社会的な対立が起こると、戦いに賛同させようと家庭のなかまで迫ってくる。こうした毒に対しては、とりあえず何もかも疑ってみるのが一番だろう。」
モレリさんの最後の結論は最後の1行に出てきます。
「疑うのがわれわれの役目だ。武力戦のときも、冷戦のときも、漠とした対立が続くときも。」
今の目の前の戦争もそうだけれども、こういったことは戦争だけじゃないよね。だから本当にいま困難な中で、明せきでいられるにはどうするか。絶えず自分で注意して、でも自分が取っている情報が本当かどうかもわからない中で、どうしたらいいのか、っていうときに、こういうプロパガンダの法則があるというのを知っていると、ちょっと我に返るためには、僕はすごくいいことだと思いました。
戦争目的の聖化や敵の悪魔化は、皇軍やナチスの専売特許ではない。そして、過去のことでもなく、戦争遂行に限られたことでもない。リテラシーを研ぎ澄まして、プロバガンダに対する強い免疫を獲得せねばならない。